多くの感想、そしてここ好きや誤字脱字修正、本当にありがとうございます!!
私が本作品で書きたいと考えていたお話が、ここで一つの着地点になります。
初投稿から此処まで書き続けられたことは、ひとえに皆様の応援や感想あってのことです。
あらためて、読んでいただいている皆様と、そして素敵な原作への感謝を永遠に伝えさせてください。
……ところで、FGOのバレンタインデーイベ、配布礼装とママEXに私は死にました。ありがとう。
電子の世界には、静寂だけが残っていた。
"私"は、倒れ伏した男の隣に立ったまま、動かずにいた。
視界の端で、彼の胸が、かすかに上下している。
それだけが――まだ、この場に"終わり"が訪れていないことを示していた。
……妙な話だ。
横たわるその顔は、あまりにも見慣れていた。
鏡に映る自分の顔、すなわち"英霊エミヤ"と同じ姿形をしている。
髪の色、骨格、魔力の波長。
呼吸の癖さえ、どこか似ている、そう思わせる程だ。
僅かに違うのは、服装ぐらいだろう。
赤い外套。
だが、私のそれとは、わずかに仕立てが違う。
縫製の位置。
装甲布の重ね方。
肩口の補強。
注意深く見なければ気づかないほどの差異。
それでも――
(礼装自体は、赤原礼装……か)
それは、聖人の聖骸布。
外界に対する一級の概念武装であり、"特別な入手経路"で手に入れた代物。
つまり。
どれほど細部が違おうと、
この男は、私に限りなく近い存在だ。
偽物(フェイカー)と考えるよりも、同じ存在と捉える方が自然だ。
私は視線を落とし、彼の胸元を見つめた。
魔力の流れが、ほとんど感じられない。
炉心が冷え切った機械のように、内部が空洞だ。
英霊としての基礎構造は、かろうじて保たれている。
だが、それだけだ。
回路は摩耗し、精神核は深く沈み、
意識は――戻る気配がない。
(……ここまで削られているのか)
原因は分からない。
戦闘の痕跡はある。
だが、決定的な破壊痕は見当たらない。
他者の攻撃により傷ついた、というより。
――強引な魔術を抵抗せずに受け入れた、とも見えるな。
そんな印象だけが残っている。
私は、無意識に自分の掌を見下ろした。
魔力は、残っている。
余裕があるわけではないが、分け与える程度なら可能だ。
だが。
私は自身の考えを否定するように、静かに首を振った。
分かっている。
これでは、応急処置にすらならない。
例えるのなら、手持ちの水を砂漠に垂らすようなものだ。
多少流し込んだところで、彼の炉は再起動しない。
それこそ、今の私の全てを注いで、彼が目を覚ますかは怪しいといった感触だ。
そもそも私に思いつくのは、魔力を渡すことだけ。
根本的な原因を探ることも。
精神の深層に干渉することも。
魂そのものを繋ぎ止めることも。
どれ一つ、できない。
私は医者ではない。
そして、優れた魔術師でもない。
ただの、武器を作る力にのみ特化した、執行人に過ぎないのだ。
……皮肉だな。
これほど自分に似た存在を前にして、
できることが、何もない。
運命の夜に共に駆けた"彼女"であれば、治せたのかもしれない、などと意味のない思考が一瞬過る。
視線を彼の顔に戻す。
そもそも、この男は何者なのか。
私の“別の可能性”なのか。
それとも――
(……オルタ、か?)
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。
歪み。反転。
あり得ない話ではない。
英霊であれば、そのような特例は存在する。
私という存在の性質を考えても、あり得ない話ではない。
だが。
私は小さく息を吐いた。
(……現状の情報では、考えるだけ無駄か)
断定できない。
材料が足りない。
感覚だけで語るには、彼は静かすぎる。
答えが出ない以上、掘り下げる意味はない。
私は思考を、そこで打ち切った。
私は一歩、彼の傍に寄り、しゃがみ込む。
そして、彼の状態を、もう一度だけ慎重に視る。
魔力量、極小。
回路の応答、鈍化。
霊基の安定度、危険域。
消滅までの猶予は、長くない。
完全に崩壊しているわけでもないが、あくまで奇跡的に均衡が保たれているだけ。
私は静かに立ち上がり、彼のすぐ隣に立つ。
もし、彼がこのまま消滅するなら。
私は、それを見届ける。
もし、状況が変わるなら。
私は、その変化に対応する。
この男が、再び目を覚ますか。
それとも、このまま霧散するか。
それは、私の力の及ぶ場所ではない。
私は、ただ。
倒れ伏した“もう一人”の隣で、
剣も抜かず、静かに立ち続けていた。
◇ ◇ ◇
この電脳世界では、どれほど正常に時間が経過しているか知る術はなかった。
だからこそ唯一、時の経過を示す彼の状態を視ていたが、もうじき終わることを察していた。
――消えかけている。
それは、見れば分かるほど明白だった。
薄暗い空間の中央で、倒れ伏したまま動かない男の輪郭が、わずかに揺らいでいる。
輪郭が溶けるように滲み、存在そのものが、この場から剥がれ落ちていく前触れだった。
エミヤは、その傍らに立ったまま、動かなかった。
視線は男から逸らさない。
だが、手を伸ばすことも、膝をつくこともない。
――もう、時間はないか。
そう判断した瞬間だった。
空間の奥、あるいは上空とも言える場所を、ひと筋の光が横切った。
いや、光ではない。
圧倒的な魔力の塊。
まるで彗星のように、空を貫く奔流。
「……あれは」
エミヤは即座に理解する。
それは、どこかの世界で、戦いの果てに消滅した存在――
英霊か、それに匹敵する何かが、戦いで討ち倒され"元居た場所"へと還る、その残滓。
本来ならば、世界に還元され、拡散して消えるだけの魔力。
何故このような不明慮な場所を通ったのか、エミヤは知ることもできない。
この場所が、それほど特別だったのか。
または、ただただ、この男が持っていた幸運なのか。
――あるいは、あの残滓も、自分と同様に何かに引き寄せられた、いわば"運命"なのか。
エミヤは、踏み込んだ。
男を助ける理由はないが、同時に見殺しにする理由もない。
強いて言えば、私を呼び出した理由を探りたい思惑もあるが、単純に見捨てるには寝覚めが悪い。
空を掴むように、右手を突き出す。
「――来い」
不慣れではあるが、魔力の流れを自らの意志で引き寄せる。
巧みに扱える程の技量は持っていないが、大まかなコントロールであればエミヤにも扱えた。
荒れ狂う魔力の流れが、軌道を歪め、エミヤの前で渦を巻いている。
手にすると判明したが、この魔力量はちょうど英霊一騎が消滅した程の魔力だった。
それは、本来であれば、極めて危険な行為だ。
他の英霊の消滅時の魔力を、そのまま取り込むなど、相性の問題以前に、器が耐えない。
まして、それを意識のない第三者に流し込むなど。
――正気の沙汰ではない。
だが。
エミヤは躊躇しなかった。
渦巻く魔力を、そのまま、倒れている男の胸元へと押し込む。
予感めいたものがあったわけではない。
元より、あと少しで消える存在だったのだ。
であれば賭けの結果がどうであれ、やるべきだろうと判断したまで。
――そして、結果として"その男に非常に近い存在の魔力"だったことにより、この賭けは成功した。
暴れるはずの魔力が、抵抗らしい抵抗もなく、男の身体へと吸い込まれていく。
まるで、もとからそこに在るべきだったかのように。
「……?」
エミヤは、わずかに目を細めた。
異なるサーヴァントの魔力が、ここまで自然に同化するなど、あり得ない。
エミヤ自身、成功するとは現実的に考えても難しいと考えていた。
だが、現実に起きている。
男の身体を覆っていた、消滅の兆しが、止まった。
薄れていた輪郭が、再び明確な線を取り戻していく。
やがて。
男の指が、微かに動いた。
『……っ』
短い呼気。
そして、男は、ゆっくりと上体を起こした。
赤い外套が、床を擦る。
伏せていた顔が上がり、正面に立つエミヤを捉える。
『……』
数瞬。
男は、何も言わずに、エミヤを見つめていた。
自分と、ほとんど同じ顔。
同じ髪色、同じ視線。
同じ存在を目にした驚愕は――なかった。
ほんの一瞬、瞳が揺れた程度で、すぐに受け入れるように、視線が落ち着く。
『……なるほど』
小さく、呟く。
それだけだった。
その反応に、エミヤはわずかな違和感を覚えながら、先に口を開く。
「起き抜けで悪いが、説明してもらう」
男は、黙って続きを待つ。
「私は、この場所がどこなのかも分からない。状況も把握していない」
淡々と告げる。
「おそらく、ここは私のいた世界とは違う。
そして――」
視線をまっすぐ向ける。
「お前が私を呼んだ。私は、そう考えている」
男は、少しだけ考えるように目を伏せ、それから、静かに口を開いた。
『……君の推測は、間違っていない』
声は、エミヤと酷似している。
だが、どこか角が取れているような、柔らかさがあった。
『まず、真名から名乗ろう」
男は、軽く息を整える。
『私は、名を持たない英雄。
架空の英霊であり、記録上の真名は――無銘』
エミヤの視線が、わずかに鋭くなる。
『ムーンセルに使役される存在だ。
……いわゆる、“正義の味方”としてな』
その言葉に、エミヤの内心で、微かな引っ掛かりが生まれる。
だが、口には出さない。
無銘と名乗った男は、続ける。
『君とは、非常によく似ている。
姿だけじゃない。構造も、在り方も』
わずかに、視線を逸らしながら。
『けれど、完全に同一ではない。
起源が……ほんの少し、違うのだろう』
エミヤは、ゆっくりと頷いた。
その説明は、極めて納得がいく。
とりわけ、“正義の味方”という自己紹介をした彼の発言が、自分とは異なる存在だと実感した。
「……たしかに、別人だな」
ぽつりと、そう零す。
無銘は、かすかに苦笑した。
『そうだろうな』
そして、表情を引き締める。
『次に、この場所についてだ』
視線が、虚空を見上げる。
『おそらく、ここは、私が“世界を渡る”途中に生まれた空間だと思う』
「世界を渡る?」
『正確には、過去へ送られる、途中の座標……とでも言えばいい』
一拍。
『私は、元の世界で、マスターと共に戦っていた。
……それは、遊星が関わる、大きな戦いだった』
それが、どれほど過酷なものであったかは、語らずとも滲み出ていた。
『だが、対処を誤った』
無銘は、淡々と告げる。
『結果として、その世界は剪定事象になった』
"剪定事象"
それは、"人類史そのものが行う、人類の総意によって焼却された頁"とも語られる。
先の展望が定まった世界であり、行き止まりの終着点。すなわち"世界の終わり"。
空気が、僅かに重くなる。
『マスターは、未来を変えるために、全てを賭けた。
残された可能性に、私を投げ込むために』
エミヤは、黙って聞いている。
無銘は、自分の手を見下ろした。
「私は、すでに負傷していた。
それでも他に手がないあの場面で、王権による強引な術式によって、過去へ送られた』
わずかに、唇を噛む。
『……その反動で、私は、ほとんど消えかけた状態だったのだろう。
君が見つけた時の私は、おそらく、その成れの果てだ』
エミヤは、自然と、先ほどまで倒れていた位置に視線を落とした。
確かに、あれほど消耗していれば、通常の回復など意味を成さない。
無銘は、顔を上げ、エミヤを見る。
『本来なら、私は、ここで消えるはずだった』
静かな声だった。
『だが……無意識のうちに、呼び出したんだろう。
君という存在を』
「私を、か」
『そうだ』
迷いのない答え。
『異なる世界が、こうして交わることは、本来ほとんどない。
けれど、私のいた世界では――』
一瞬、言葉を探すように間を置く。
『“エクストラ”が、例外として介入することが、度々あった』
エミヤは、その言葉の意味を、完全には理解できないまでも、感覚として受け取る。
『……とはいえ、消滅寸前の私が願ったから、というには理由は弱いと考えている。
おかしな話だが、君の存在や君の居た世界が、予め特別に月と縁があったと、そう考えるのが一番自然だろう』
「なるほどな」
エミヤは、短く応じる。
自分自身も、彼の世界に現れた経緯に、違和感を覚えていた。
召喚――というには、あまりに歪で。
まるで、誰かの意志で送り込まれたような。
「私たちの知らないところで、そういう縁が結ばれていた、ということか」
エミヤは、そう結論付ける。
同時に、彼の思考は、別の出来事へと向かった。
――魔術学院の結界。
あの結界に触れた影響で、自分の存在が、あたかも世界の外へ流出したのではないか、という不安。
可能性としてはあり得ないものだが、もしも、として考える必要性を感じた。
それこそ、今回の事態と、無関係だと言い切れるだろうか。
エミヤは、その考えを胸の内に留めたまま、無銘へ視線を戻す。
「ひとつ、聞いていいかね」
無銘は、頷く。
『私を見て、ほとんど驚かなかったな』
率直な疑問だった。
「お前の世界では、同じ顔のサーヴァントが、珍しくないのか?」
無銘は、少し困ったように眉を下げた。
『……いや。別に、そういうわけじゃない』
短く首を振る。
『むしろ、普通は、あり得ない方だと思う』
それでも、と前置きして。
『君に似た存在には……かつて、一度だけ、対峙したことがある』
その言葉に、エミヤの視線が、わずかに驚く。
無銘は、どこか懐かしむような、遠い目をしていた。
『まさか、また会うことになるとは思わなかったがね』
◇ ◇ ◇
必要最低限の情報は、すでに共有された。
エミヤは静かに口を開く。
「……無銘。
お前の存在と、この空間については、ある程度理解した」
視線を上げ、正面に立つ“もう一人”を見る。
「だが、この後だ。
どうすれば、私は元の世界へ戻れる?」
無銘は一拍だけ置いてから、淡々と答えた。
『ここは、あくまで通過点だ。
私はこれから過去へ向かうが、君の場合は、自然と自分の世界へ引き戻されるだろう』
「そうか」
短く返し、エミヤは納得したように頷く。
だが――。
無銘は、そこで僅かに言葉を切った。
視線が、ほんの少しだけ伏せられる。
『……しかし』
その一音で、エミヤは理解した。
「――今のお前の状態では、その“ゲート”に耐えられるか不安定、だろう」
無銘が顔を上げる。
わずかに目を見開き、そして、すぐに苦笑した。
『……やはり、隠せないか』
起源は異なれど、同じ場所に辿り着いた存在。
そもそも相手の状態など、"自分のことのように"把握できる。
無銘は、迷わず頷いた。
『その通りだ』
そして、はっきりと告げる。
『だから――君の魔力を、私に与えてほしい』
空気が、僅かに軋む。
エミヤは表情を変えないまま、その言葉を受け止めた。
「……お前の提案は」
低く、静かな声。
「私に消滅してほしいと言っているのと、ほとんど同義だ」
無銘は否定しない。
「先ほどまでのお前の状態を見れば分かる。
生半可な魔力では足りない」
エミヤは続ける。
「必要なのは、私の魔力の大半。
いや……ほぼ全てだろう」
淡々と事実だけを並べる。
「仮に、私が消滅を免れたとしても、戦闘能力は著しく低下する。
――戦闘ができる状態ではなくなる」
一瞬、視線を細める。
「それを理解した上で、私に告げているのだな?」
無銘は、正面から受け止めた。
『……そうだ』
短く、だが迷いなく。
エミヤは、次の問いを投げる。
「一つだけ、尋ねる」
静かな空気の中で、声だけが響く。
「そこまでする理由はなんだ」
一拍。
「君の元いた世界が、救われるわけではあるまい」
無銘は、わずかに視線を逸らした。
だが、その答えは即座だった。
『……全ては、マスターのためだ』
噛みしめるように。
『彼女のためだ』
そして、はっきりと言う。
『オレは、彼女の最後の望みに――全てを賭けて、応えたい』
エミヤは、静かに深く息を吐いた。
短くも長い沈黙。
この空間に存在するのは、ただ二人。
同じ答えに辿り着き、都合のいい舞台装置となることを受け入れた、二つの存在。
「……分かった。必要な魔力を全て持っていくといい」
エミヤは、そう言った。
無銘が、わずかに目を見開く。
『いいのか』
確認するような声音。
エミヤは、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「私は……つい先ほどまで、穏やかな時間を過ごしていた」
自嘲にも似た微笑。
「抑止の守護者として、命じられるままに人を殺してきた私には、不相応なほどに、な」
遠い記憶が、胸を掠める。
「周囲には、私を必要としてくれる者たちがいた。
そして、共に剣技を高め合えるような、友がいた」
戦場ではない場所。
血と叫びではない日々。
「私は……在りし日の、日常を過ごしているような時間だった」
静かに首を振る。
「私には、もったいないほどだ」
一瞬、言葉が詰まる。
「……心残りは、ある」
だが、すぐに続ける。
「それでも」
視線を上げ、はっきりと告げる。
「彼らであれば、安心して任せられる」
無銘は、静かに言った。
『……良い時間を、過ごしたのだな』
エミヤは、穏やかな表情で頷く。
「あぁ」
短く、しかし確かな声音。
そして、わずかに笑う。
「幸せな時間だったさ」
最後に。
エミヤもまた、無銘に向けて告げる。
「……良いマスターに、出逢えたのだな」
無銘は、一瞬だけ言葉を失い。
それから、静かに答えた。
『あぁ――誰よりも大切な、オレのマスターだ』
彼は、エミヤの胸に手を当てる。
エミヤは、目を閉じた。
拒絶はない。
魔力が、静かに流れ始める。
同じ形をした存在から、別の未来へ向かう存在へ。
それは奪うためではなく、託すための流れだった。
やがて。
この空間には、無銘だけが立っていた。
彼は、ゆっくりと拳を握る。
決意は、すでに固まっている。
進むべき先は、過去。
そして、新天地。
彼女の想いを、無下にしないため。
彼の励ましを、無駄にしないため。
――いつか。
彼方の世界に取り残された彼女を、必ず救いに行くために。
無銘は、振り返らずに、前へと歩き出した。
そこは、宿屋の一室。
簡素な木の天井。擦れた床板。
そこには意識のないエミヤは、ベッドの上に横たわっていた。
そして。
彼の魔力が――急激な速度で、薄らぎ、解け始めている。
器から水が漏れ出すように、止めどなく失われていく感覚。
身体の輪郭が、現実から剥がれ落ちていくような錯覚すらあった。
室内にいた二人の魔術教員も、すぐに異変に気付く。
「反応が……薄れている……!」
「魔力の定着が崩れている……!」
慌ただしく結界式や簡易術式が追加で展開されるが、彼らの顔には焦りが滲んでいた。
それは予期しない速度により、急な状態悪化。
知らせでは魔術学院の地下騒動がようやく落ち着いたと情報が届いた後だった。
残り時間が、あまりにも短い。
すぐに知らせを出しても間に合わない。
――長くても、一分もない。
そう理解した瞬間。
部屋の空気が、不自然に揺らいだ。
次の瞬間、何の前触れもなく――
部屋の中央に、ひとりの女性が立っていた。
赤い外套。
長い黒髪。
そして、魔法師団の礼服ではなく、彼らも見慣れない上質な服を羽織った、貫禄のある姿。
「……ちょっと、邪魔ね」
女性は魔術教員たちを一瞥し、まるで家具でも動かすように、軽く手を払う。
それだけの動作で、彼らはあっさりと部屋の端へ弾き飛ばされた。
「なっ――」
思わず声を上げかけるが、女性は意に介さない。
そのまま、ベッドの傍へと歩み寄る。
消えかけているエミヤを見下ろし、深いため息をついた。
「……まったく」
呆れたように、しかし、どこか優しい声で。
「貴方って、本当に――世界が変わっても、性格は変わらないんだから」
女は懐から、小さな宝石を取り出した。
深く澄んだ紅。
まるで凝縮された火そのもののような輝きを宿した宝石だった。
彼女はそれを、そっとエミヤの胸元へ置く。
「はい。これ」
そして、静かに告げる。
「はやく、帰ってきなさい」
その言葉には、確かな温かさがあった。
「……貴方を待っている人たちが、この世界には、たくさんいるでしょう」
紅い宝石が、淡く脈打つ。
次の瞬間。
光が溢れ出した。
柔らかく、それでいて圧倒的な魔力の奔流が、エミヤの身体へと流れ込んでいく。
解けかけていた存在が、再び縫い留められていく感覚。
消えかけていた輪郭が、現実へと引き戻される。
眩い光は、やがて静かに収束し――
宝石は、ただの石のように、輝きを失した。
エミヤの存在は、確かに、そこにあった。
消滅は、免れていた。
魔術教員たちが息を呑む。
学院長ではない人物が、今目の前で、奇跡を起こしたのだ。
女性は満足そうに一度だけ頷くと、踵を返す。
そして、立ち去り際、ふと振り返り、穏やかな微笑を浮かべた。
「……貴方の姿を、久しぶりに視られて良かったわ」
それは、懐かしい人に向けるような声音だった。
「頑張って」
そして、はっきりと。
「幸せに、なりなさいね」
次の瞬間。
赤い外套の女性は、まるで最初から存在しなかったかのように、空間から消え去った。
宿屋の一室には、ただ静寂だけが残る。
ベッドの上で、エミヤは徐々に意識を取り戻す。
失われるはずだった未来は、誰かの手によって、そっと繋ぎ止められていた。
私が描きたかったお話は……
共に穏やかに過ごしながらも切磋琢磨する友人の姿。
無限に挑む剣聖。
EXTELLA / zero。
……あとは、色んなエミヤさんが出てきてくれると私が嬉しいという私へのご褒美と、強い(強すぎる)ベリル先生、そして弓女主です。
何度振り返っても、自分の好きをたくさん詰め込ませていただいた作品に、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。