片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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…FGO 11周年PV、泣き崩れました。ありがとう…ありがとう……


【肆章・第3話】『言葉より、剣で』

ベリル・ガーデナントが騎士団の訓練場へ再び姿を見せたのは、目を覚ましてから三日後のことだった。

 

「先生!」

 

最初に気付いたのは、クルニだった。

 

訓練の合間だったのだろう。

木剣を片手に休憩していた彼女は、訓練場の入口に立つベリルの姿を認めるなり、ぱっと表情を明るくした。

その声に釣られ、周囲の騎士たちも振り返る。

 

「ベリル殿!」

 

「もう動いて大丈夫なんですか?」

 

「いや、本当によかった……!」

 

次々と声が飛んでくる。

予想以上の反応に、ベリルは思わず足を止めた。

 

「いやあ、皆大袈裟だなあ。もう身体は大丈夫だよ」

 

苦笑しながら答える。

事実、身体そのものに大きな問題はなかった。

 

あれほどの損傷を受けたことが嘘のように、傷は綺麗に塞がっている。

数日間ほとんど身体を動かせなかったせいか、多少の鈍りは感じるものの、日常生活には何の支障もない。

とはいえ。

 

「大袈裟ではないっすよ!」

 

真っ先に近付いてきたクルニが、珍しく強い口調で言った。

 

「本当に心配したっす!」

 

「……うん。ごめんね」

 

「謝ってほしいわけじゃないっす!」

 

「それもそうだね」

 

困ったように笑うベリルを見て、周囲から小さな笑い声が漏れる。

 

地下での戦いから数日。

訓練場には剣を振る音が戻っていた。

騎士たちはいつものように鍛錬し、声を掛け合い、汗を流している。

そんな光景を眺めながら、ベリルは小さく息を吐いた。

 

「ベリル殿」

 

声を掛けられ、振り返る。

そこにはヘンブリッツが立っていた。

 

普段と変わらぬ堂々とした姿。

だが、よく見れば身体の数ヶ所に治療の跡が残っている。

 

「ヘンブリッツ君」

 

「こうしてまたお会いできたこと、心より嬉しく思います」

 

大袈裟な言葉ではない。

真っ直ぐ告げるヘンブリッツの表情を見れば、それが本心であることはすぐに分かった。

 

「ありがとう」

 

ベリルは微笑む。

そして、改めて彼の身体へ視線を向けた。

 

「でも、俺のことよりヘンブリッツ君の方は大丈夫なの?

君もかなり酷い怪我だったって聞いたけど」

 

「はい。幸いにも、こうして剣を握れる程度には」

 

ヘンブリッツは自分の右手を開き、何度か握る。

 

「感覚が完全に戻ったとは言い難いですが、軽い訓練には復帰しています」

 

「もう訓練してるんだ……」

 

「それをベリル殿に言われるのは、少々納得がいきませんな」

 

「はは、それもそうか」

 

二人の間に小さな笑いが生まれる。

ヘンブリッツの負傷も、決して軽いものではなかった。

 

しかし地下戦闘の直後にポーションによる処置を受け、その後は魔術学院の治療を受けることができた。

完全に感覚を取り戻すには時間を要するものの、剣士として致命的な後遺症は確認されていない。

 

「今回ばかりは、幸運だったのでしょう」

 

ヘンブリッツが静かに言った。

 

「あの攻撃をまともに受けていれば、こうして立ってはいられなかった。偶然、致命傷を免れたに過ぎません」

 

「それは違うよ」

 

ベリルが返す。

あまりにも自然な否定だったため、ヘンブリッツが僅かに目を瞬いた。

 

「ベリル殿?」

 

「君は、避けたんだろう?」

 

「……完全には避けきれませんでしたが」

 

「それでもだよ」

 

ベリルは穏やかな表情のまま続ける。

 

「本当にどうしようもなかったなら、その攻撃は君の命を奪っていたはずだ。でも、そうならなかった」

 

一拍。

 

「それは運だけじゃないよ」

 

ヘンブリッツは黙って聞いている。

 

「毎日剣を振って、身体を鍛えて、何度も戦って。その全部があったから、あの瞬間に身体を動かせたんだと思う」

 

あの状況で諦めなかったことも。

最後まで生き残ろうとしたことも。

その一瞬に至るまで積み重ねてきた、数え切れないほどの鍛錬。

それらすべてが生んだ奇跡であり、彼自身が掴み取った未来だった。

 

「運が味方してくれたことまで否定する必要はないけどさ。その幸運を掴めるところまで手を伸ばしたのは、ヘンブリッツ君自身だ」

 

「…………」

 

「だから、そこは誇っていいと思うよ」

 

ヘンブリッツはすぐには答えなかった。

自分の右手へ視線を落とす。

 

あの時。

彼は、死を覚悟した。

 

共に戦った団長を残し、自分は先に地へ伏した。

言ってしまえば、一方的に打ち倒された敗北だった。

己の未熟さを嫌というほど思い知らされた戦いだった。

 

それでも。

生きている。

 

「……はい」

 

やがて、静かに頷いた。

 

「ありがとうございます、ベリル殿」

 

ベリルも小さく頷き返す。

 

その時、甲高い音が訓練場に響いた。

木剣と木剣が激しく衝突する音。

 

ベリルが視線を向ける。

訓練場の中央で、一人の騎士が激しく木剣を振るっていた。

 

その正面。

二振りの木刀を手にした男が、騎士の猛攻を受け流している。

 

「――踏み込みが浅い」

 

エミヤだった。

 

騎士の木剣を右の木刀で逸らす。

体勢が僅かに崩れた瞬間、左の木刀を首筋へ。

寸前で止める。

 

「今ので三度目だ。疲労してくると、君は右足の踏み込みが甘くなる」

 

「は、はい!」

 

「休息を取れ。次」

 

騎士が一礼して下がると、別の団員が前へ出る。

ベリルはその様子を眺めながら、思わず笑った。

 

「相変わらずやってるねえ」

 

声が聞こえたのだろう。

エミヤがこちらへ視線を向けた。

 

「ようやく出てきたか」

 

「病人に対する第一声がそれ?」

 

「三日前に目を覚まし、昨日には散歩を始めていた男を病人と呼ぶべきか判断に迷っていてね」

 

「……なんで知ってるのさ」

 

「ミュイから聞いた」

 

「あの子かあ……」

 

納得するしかなかった。

エミヤは対峙していた騎士へ休憩を告げると、二本の木刀を片手に持ち替え、こちらへ歩いてくる。

 

「身体は?」

 

「もう大丈夫だよ。ちょっと鈍ってる感じはあるけどね」

 

「ならば、無理はするな」

 

「それ、君が言う?」

 

「何か問題でも?」

 

「いや……ないならいいけどさ」

 

少なくとも、ベリルが眠っている間にエミヤが何をしていたのかは聞いている。

説得力という点では、限りなく低い。もはや、説得力/Zeroだ。

だが、それを口にしたところで素直に認める男でもないだろう。

 

ベリルは諦めて話を変えた。

 

「俺がいない間、ありがとうね」

 

「何のことだ」

 

「騎士団のこと」

 

ベリルは訓練場へ視線を向ける。

騎士たちは変わらず剣を振っている。

 

「俺もヘンブリッツ君もまともに動けなかった間、指導を続けてくれてたんでしょ?」

 

「私は特別指南役補佐だ。役目を果たしたに過ぎん」

 

エミヤは当然のように答えた。

 

「それでもだよ」

 

「礼ならば必要ない。それに」

 

エミヤは手にした木刀へ目を落とす。

 

「やはり私は君のように、人へ剣を教えることには向いていない」

 

「そうかな?」

 

「少なくとも、君ほど丁寧ではない」

 

そこへヘンブリッツが口を挟んだ。

 

「それについては、私から異論があります」

 

「ほう?」

 

「エミヤ殿の指導が先生と異なることは事実でしょう。しかし、それが騎士団にとって有益でないということにはなりません」

 

ヘンブリッツも、訓練を続ける団員たちへ視線を向けた。

 

「これほどの強者と日常的に剣を交えられる機会など、そうあるものではありません」

 

エミヤは相手の癖を見抜く。

攻撃を受け。

避け。

時には、あえて隙を見せる。

 

そのうえで、相手が何を選択するのかを見る。

ベリルのように剣の術理や戦術を教える指導とは違うが――。

 

「自分の剣が、どこまで通用するのか。何が足りないのか。それを実戦に近い形で知ることができます」

 

「…………」

 

「改めて、感謝申し上げます」

 

エミヤは僅かに目を細めた。

 

「……買い被りだと思うがね」

 

「そういうことにしておこうか」

 

ベリルが笑う。

 

「君も随分、この騎士団に馴染んだみたいだね」

 

「不本意ながらな」

 

そう答えながら、訓練を待っている騎士から「エミヤ殿、次をお願いします!」と声を掛けられれば、

 

「今行く」

 

と、ごく自然に返している。

その姿を見て、ベリルとヘンブリッツは顔を見合わせた。

 

「……不本意、ですか」

 

「本人がそう言ってるんだから、そういうことにしておこうよ」

 

「聞こえているぞ、二人とも」

 

「おっと」

 

ベリルは肩を竦める。

 

訓練場には再び、剣の音が響いていた。

ベリルは改めて、訓練場で励む騎士たちを眺める。

 

傷も残っている。

身体の感覚も、まだ戻り切ってはいない。

 

それでも、再び剣を握る彼らを見ているだけで、不思議と元気が湧いてくる。

 

自分はやはり、剣士で。

そして、剣を教えることが好きなのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

それからしばらく。

 

訓練場の端へ移動した三人は、休憩を兼ねて談笑を続けていた。

周囲では、騎士たちが訓練後のクールダウンを始めている。

 

「そういえばベリル殿。療養中はどのように過ごされていたのですか?」

 

ヘンブリッツに尋ねられ、ベリルは腕を組む。

 

「どうって言われてもねえ。最初のうちは、本当に寝てるくらいしかやることがなかったよ」

 

目を覚ましてからも、すぐに自由を許されたわけではない。

身体の傷は治っていたものの、あれだけの重傷から生還した直後である。

ルーシーを始めとした治療担当者から、しばらく安静にするよう厳命されていた。

 

少し身体を動かそうとすれば止められ、散歩に出ようとすれば誰かが付いてくる。

挙句の果てには、剣へ手を伸ばしただけでミュイに怒られた。

……そういえば少し前、同じように大怪我をしたくせに動き回ろうとして、周囲から止められていた男がいた気がする。

ベリルは、ちらりと隣の男を見た。

 

「まあでも、退屈はしなかったかな」

 

「と言いますと?」

 

「皆、結構お見舞いに来てくれたんだよ」

 

ベリルは指を折りながら思い返す。

 

「ミュイはほとんど毎日居たでしょ。

クルニとフィッセルも来てくれたし、アリューシアとスレナも、忙しいだろうに時間を見つけて顔を出してくれた。

他にも騎士団の子たちが何人か来てくれたし、魔術学院の方からも剣魔術科の生徒たちとか、知ってる先生たちとかさ」

 

話しながら、ベリルは少し困ったように頬を掻いた。

 

「皆、律儀だよねえ。俺みたいな田舎から出てきたおっさんのために、わざわざ顔を見せに来てくれてさ」

 

「ベリル」

 

それまで黙って聞いていたエミヤが口を挟んだ。

 

「何?」

 

「その認識は改めた方がいい」

 

「え?」

 

「彼らは暇だから君の見舞いへ行ったわけではあるまい」

 

「そりゃ、まあ」

 

「ならば、君自身が築いた縁だ」

 

あっさりと告げる。

 

「君がこの都市へ来て、彼らと関わり、剣を教え、時には助けた。その積み重ねがあったからこそ、彼らは君の元へ足を運んだ」

 

「……そういうものかな」

 

「そういうものだ」

 

エミヤの隣でヘンブリッツも大きく頷いた。

 

「エミヤ殿の仰る通りです」

 

「ヘンブリッツ君まで」

 

「むしろベリル殿は、ご自身が周囲からどのように思われているのか、些か自覚が足りないように思います」

 

「いやあ……」

 

ベリルとしては、本当にそんなつもりはない。

ただ剣を教え、困っている者がいれば、自分に出来る範囲で手を貸してきた。

それだけだ。

 

「それを積み重ねた結果だと言っている」

 

エミヤが、考えを読んだように続けた。

 

「少しくらい堂々と受け取っておけ」

 

「……分かったよ」

 

二人から同時に言われてしまえば、これ以上否定するのも失礼なのだろう。

ベリルは苦笑しながら頷いた。

 

そして。

ふと、思い出したようにエミヤを見る。

 

「でも、そういえばエミヤは一回も来なかったよね」

 

「…………」

 

ヘンブリッツが僅かに目を見開いた。

 

「エミヤ殿が、ですか?」

 

「うん。皆結構来てくれたんだけど、彼だけ一度も顔を見せなかったんだよ」

 

「何故そこで私を見る」

 

「いやあ。薄情な友人だなあと思って」

 

わざとらしく言ってみる。

無論、本気で責めているわけではない。

 

それを理解しているのだろう。

エミヤも特に悪びれた様子はなかった。

 

「毎日のように弟子たちに囲まれている男の元へ、わざわざ私まで顔を出す必要もあるまい」

 

「それはそうだけどさ」

 

「それに」

 

エミヤは腕を組む。

 

「ミュイへ持たせた食事が毎回綺麗に空になって戻ってきていた。あれだけ食えるなら、少なくとも死にかけてはいない」

 

「判断基準がそこなの?」

 

「食欲は体調を測る上で有用な指標だ」

 

「間違ってはいないんだけどねえ……」

 

ベリルは苦笑する。

 

だが。

そこで、ふと表情を和らげた。

 

「……ミュイのこと、ありがとうね」

 

エミヤは僅かに目を動かす。

 

「何のことだ」

 

「俺が寝てた間、面倒を見てくれてたんでしょ」

 

目を覚ました後、本人から聞いた。

 

ベリルが眠っている間。

不安を抱え込んでいたミュイに、エミヤとスレナが付き添ってくれていたこと。

そしてエミヤは、自身の喫茶店へ来るようミュイに約束させた。

 

「俺が起きてからも、家に戻れるようになるまで食事を見てくれてたんでしょ。本当に助かったよ」

 

「必要だったからしたまでだ」

 

「君はいつもそれだね」

 

「事実だからな」

 

エミヤにとっては、本当にそれだけなのだろう。

誰かに感謝されるためにやったわけではない。

 

必要だったから。

自分に出来たから。

だから、した。

その在り方を、ベリルはよく知っている。

 

「そういえば」

 

エミヤが続けた。

 

「ミュイの方から店を手伝うと言い出していてね」

 

「ミュイが?」

 

「ああ」

 

「へえ……」

 

意外な話だった。

 

「食器を洗ったり、店内を片付けたりする程度だが、存外よく働く。こちらとしても助かっている」

 

「大丈夫だと思うけど、迷惑掛けてない?」

 

「少なくとも、君よりはマメに働いてくれるさ」

 

「いやいや、俺と比べるのはミュイに失礼じゃない?」

 

ベリルの返しに、ヘンブリッツも思わず小さく笑った。

 

「……失礼」

 

すぐに表情を引き締めようとするが、口元にはまだ笑みが残っている。

そんな彼らを見ながら、エミヤは僅かに口元を緩めた。

 

「読み書きも、計算も、まだ覚えることは多い。客と話すのも苦手なようだが」

 

それでも、少しずつ覚えればいい。

読み書きや計算。客との受け答え。

そうした一つ一つも、あの少女がこれから生きていく上では無駄にならない。

 

「本人が嫌がらない限り、好きに手伝わせるつもりだ」

 

「そっか」

 

ベリルは静かに笑った。

 

「それなら、お願いしようかな」

 

「任された」

 

短い言葉。それで十分だった。

 

 

 

しばし穏やかな沈黙が落ちる。

ベリルは隣に立つ仏頂面の友人へ、僅かに視線を向ける。

 

――聞きたいことがある。

 

一つではない。

 

地下での出来事。

世界を埋め尽くしていた無数の剣。

最後に見た、エミヤによく似た弓兵。

そして、夢の話。

 

目を覚ましてから三日。

考える時間はいくらでもあったが、エミヤとこうして面と向かって話すのは、あの戦い以来初めてだった。

 

「エミヤ」

 

意を決して口を開く。

 

「少し、聞きたいことが――」

 

「ヘンブリッツ」

 

「はい?」

 

遮るように、エミヤが声を上げた。

ベリルが目を瞬く。

エミヤは訓練場へ視線を向けている。

 

「そろそろ昼休憩だろう」

 

「ええ。もう間もなくですが」

 

「ならば、この後は修練場が空くな」

 

「その予定です」

 

「少し借りたい」

 

ヘンブリッツは不思議そうに首を傾げた。

 

「それは構いませんが……何をなさるおつもりで?」

 

そこで。

ようやくエミヤがベリルを見る。

 

「ベリル」

 

「……何?」

 

「私と打ち合え」

 

一瞬。

言われた意味が分からなかった。

 

「……俺と?」

 

「ああ」

 

「今?」

 

「昼休憩に入ってからだ」

 

「いや、そういう意味じゃなくて」

 

ベリルは困惑する。

エミヤと剣を交えること自体は珍しくない。

これまでも何度となく手合わせをしてきた。

 

だが。

エミヤの方から誘ってくることは、ほとんどなかった。

 

「エミヤ殿」

 

ヘンブリッツも眉を寄せる。

 

「流石にまだ早いのではありませんか。ベリル殿は傷こそ治ったとはいえ、剣士としての感覚を取り戻している最中です」

 

「分かっている」

 

「でしたら――」

 

「いや」

 

今度はベリルが遮った。

 

二人の視線が集まる。

ベリルは自分の右手を見る。

ゆっくりと握る。

 

確かに身体はまだ完全ではない。

そして、それは心も同じだった。

 

胸の奥に、言葉にし難いものが引っ掛かっている。

 

悩んでいるのか。

迷っているのか。

自分でも、よく分からない。

 

けれど、目の前の男と剣を交えることを想像した瞬間――不思議と、迷いはなかった。

 

「やろう」

 

ベリルは顔を上げる。

 

「俺も今、エミヤと打ち合いたい」

 

ヘンブリッツは二人を交互に見た。

そして、何かを察したのか、やがて静かに息を吐く。

 

「……分かりました」

 

そして修練場を見る。

ちょうど昼休憩を知らせる鐘の音が、遠くから響き始めていた。

 

「では、場所を空けさせましょう」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

昼休憩を迎え、騎士たちは一人、また一人と修練場を後にしていった。

先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、やがて残ったのはベリル、エミヤ、ヘンブリッツの三人だけとなる。

 

ベリルは、壁際に立て掛けられていた木剣へ手を伸ばした。

エミヤもまた何も言わず、二振りの木刀を手に取る。

 

少し離れた場所では、ヘンブリッツが二人を見守っている。

 

「本当にやるのですね」

 

念を押すような言葉に、ベリルは苦笑した。

 

「大丈夫だよ、ヘンブリッツ君。ちょうど俺も、今の自分がどのくらい動けるのか知りたかったところだから」

 

「しかし」

 

「無茶はしないさ」

 

そう言いながら、木剣を軽く振る。

 

――やっぱり、少し違うな。

 

身体そのものは治っている。

力が入らないわけでもない。

けれど、長く付き合ってきた身体だからこそ分かる程度の、僅かなズレがあった。

 

「そちらこそ大丈夫なのかい?」

 

ベリルは正面へ視線を戻す。

 

エミヤは二本の木刀を手にしていた。

 

「何がだ」

 

「君も病み上がりでしょ」

 

「問題ない」

 

「便利だね、その言葉」

 

「便利だからな」

 

どこかで聞いたやり取りに、ベリルは小さく笑う。

それから、木剣を構えた。

 

エミヤも応じる。

右手を前へ、左手を僅かに引き、二刀を構える。

 

いつもの姿だ。

何度も見てきた。

何度も剣を交えてきた。

天賦の才ではなく、実直な鍛錬と死線の積み重ねで磨き上げた、錬鉄の剣。

 

「では」

 

ヘンブリッツが片手を上げる。

 

「始め!」

 

その手が振り下ろされた。

 

同時。

二人が動いた。

乾いた音が、修練場に響く。

ベリルの木剣と、エミヤの右手の木刀がぶつかった。

 

一撃。

 

二撃。

 

三撃。

 

互いに踏み込みながら、最小限の動きで剣を交える。

 

エミヤの左手が動き、ベリルの脇腹を狙う横薙ぎ。

身体を引いて躱す。

 

ベリルはそのまま踏み込み、エミヤの肩へ木剣を振るう。

右の木刀が受ける。

 

直後。

死角から、左。

 

「っと」

 

木剣を返す。

甲高い音。

 

弾く。

距離が開く。

そして、すぐに詰まった。

 

「……凄まじい」

 

見守るヘンブリッツの口から、思わず言葉が漏れる。

速さだけではない。

力でもない。

一つ一つの動きが、異様なほど洗練されている。

 

彼らの剣には、無駄がない。

攻撃を正面から受け止めるのではなく、流し、崩し、その僅かな隙へ自身の刃を滑り込ませる。

 

生半可な攻め手では通じない。

いや、レベリオ騎士団の中でも、まともに崩せる者が何人いるだろうか。

 

ベリルが扱うのは、相手の攻め手を見切り、最大の反撃を返す後の先の剣。

エミヤが扱うのは、守りの中にあえて死地を晒し、そこへ敵を誘い込む命削りの剣。

 

そして、両者打ち合う度に相手の癖、視線、重心、呼吸といった、積み重ねた情報から次の一手を読み、最も生存率の高い場所へ身体を滑り込ませる。

幾度となく剣と向き合い実直に振るい続けた、剣技の術理。

幾度となく死線を潜り抜けることで身につけた、戦闘の論理。

 

一パーセントでも残された活路があるのなら――そこへ至る道を、手繰り寄せる。

 

「――っ!」

 

ベリルの剣が走る。

エミヤは半歩だけ後ろへ退いた。

木剣の先端が、胸元を掠める。

 

同時に左の木刀を振り上げる。

ベリルは首を傾けて躱した。

 

――反撃。

 

――防御。

 

――反撃。

 

――また防御。

 

終わらない。

修練場には、木と木がぶつかる音だけが響き続けた。

 

 

 

本来ならば、魔術を使わない純粋な剣技の勝負では、僅かにベリルへ分がある。

 

エミヤも卓越した剣士だが、彼の本領は剣技だけではない。

投影も、弓も、状況に応じた武装の選択も封じ、二本の木刀だけで戦うならば――長く剣一本を磨き続けてきたベリルが最後には上回る。

しかし、今日は違った。

 

「……っ」

 

ベリルの踏み込みが僅かに浅い。

本人にしか分からない程度。

 

だが、エミヤは見逃さない。

左の木刀が木剣を逸らす。

右が肩口へ迫る。

 

ベリルは身体を捻り、紙一重で躱した。

 

「ふむ、今の一手で決め手かと思ったが、やはりしぶといな」

 

「そんなこと微塵も思ってもないくせに、よく言うよ」

 

言葉とは裏腹に、ベリルの口元には僅かな笑みがあった。

 

楽しい。

やはり、剣を握っている間は、余計なことを考えずに済む。

 

もう一度踏み込む。

エミヤが応じる。

 

十合。

 

二十合。

 

さらに、その先。

 

優劣はつかない。

だが、少しずつ、ほんの僅かずつ。

ベリルの身体が、本来の動きを取り戻していく。

それをエミヤは何も言わずに感じ取っていた。

 

そして――。

 

「――?」

 

ベリルの視界が"揺れた"。

 

ほんの一瞬。

エミヤが、動いたように見えた。

 

右の木刀。

斜めから振り下ろす。

そして、自分はそれを木剣で外側へ流す。

 

直後、左の木刀が下から迫る。

半歩退いた自身を、エミヤが追う。

その瞬間、僅かに右脇が空く。

 

そこへ。

自分の剣が――。

 

「……?」

 

おかしい。

 

まだ。

エミヤは動いていない。

 

なのに、今から起こるはずの攻防が、確かに見えた。

予測であれば、今まで何度もやってきた。

 

だが、これは。

もっと具体的で、もっと鮮明な――。

 

「ベリル」

 

エミヤの声に思考が切れる。

 

次の瞬間。

エミヤが踏み込んだ。

 

右。

斜めからの振り下ろし。

 

――同じだ。

 

先ほど見えた光景と、まったく同じ。

身体が動く。

木剣で外へ流す。

 

左の木刀が下から迫り、半歩退く。

 

――来る。

 

考える暇などない。

ベリルは、見えたものへ、身体を委ねた。

木剣を滑らせる。

 

エミヤの二刀が、僅かに止まった。

 

「……一本」

 

静寂。

ベリルの木剣は――エミヤの首筋へ、ぴたりと添えられていた。

 

「……え?」

 

自分でやっておきながら、間の抜けた声が出た。

ヘンブリッツも目を見開いている。

 

「今のは……」

 

その中でエミヤだけが、妙に落ち着いていた。

 

「なるほど」

 

「なるほどって……」

 

ベリルは木剣を下ろす。

 

「今の、何?」

 

「それを私に聞くのかね」

 

「いや、だって」

 

自分でも説明できない。

ただ。

 

「見えたんだ」

 

「何がだ」

 

「君の動きが」

 

ベリルは戸惑いながら続ける。

 

「いや……違うな。動きっていうより」

 

少し考える。

 

「これから君がどう動いて、俺がどう捌いて、その後どうなるのか。それが一瞬だけ、先に見えた」

 

ヘンブリッツが眉を寄せる。

 

「未来が見えた、と?」

 

「そんな大層なものかは分からないけどねえ……」

 

ベリル自身、信じられていない。

 

だが。

今の攻防は、偶然ではなかった。

 

見えた。

確かに、数瞬先の景色が、見えた。

 

エミヤは答えず、ベリルを見る。

正確には、その身体を。

 

「エミヤ?」

 

「……僅かだが、治療の痕跡が残っている」

 

「魔力?」

 

ベリルは自分の手を見る。

 

「いや、俺は魔法なんて使えないよ」

 

「分かっている」

 

「フィッセルみたいに剣魔法が使えるようになった感覚もないし」

 

「恐らく、そういう話ではない」

 

エミヤは木刀を下ろした。

 

「魔力そのものが宿っている、という意味ではない。あれほどの治療だ。身体に何らかの影響が残っていても不思議ではない」

 

「じゃあ、この未来が見えるような感覚も?」

 

「断定はできん」

 

エミヤは即座に答える。

 

「魔力が直接未来を見せている、と考えるのは早計だ」

 

ベリルが顔を上げる。

 

「君は元々、相手の動きを読むことに長けている」

 

それはエミヤ自身、何度も剣を交えて知っている。

ベリルの強さは、ただ剣を速く振れることではない。

その眼の良さで、僅かな動作から次を読み、最適な場所へ剣を置く。

それを、途方もない年月をかけて磨き上げてきた。

 

――だが。

 

「私にも似た戦闘論理はある。だが、今の君の動きは少し違った」

 

「違った?」

 

「私の次の手を読んだというより、そこへ来ることを知っていたように見えた。

……元々持っていた戦術眼が、何らかの影響で一時的に鋭敏になっている可能性もある」

 

「戦術眼……」

 

「あるいは、まったく別の要因かもしれん」

 

エミヤは淡々と続ける。

 

「今の一度だけで結論を出すべきではないな。後でルーシーにも診せた方がいい」

 

「……そうするよ」

 

ベリルは頷く。

それでも、自分の手を見ながら、何とも言えない表情をしている。

そんな彼へ。

 

「今日はここまでだ」

 

エミヤが告げた。

 

「え?」

 

「病み上がりだろう。これ以上はやめておけ」

 

「……君に言われると、なんか納得いかないんだけど」

 

「何か問題でも?」

 

「いや……いいよ、もう」

 

木剣を戻す。

そして、ベリルは、ふと気づいた。

 

「……あ」

 

「何だ」

 

「いや」

 

身体ではない。

胸の奥が、少し軽くなっていた。

 

もちろん、久しぶりに動かした身体は疲労を訴えている。

だが、目を覚ましてから、ずっと胸の奥に引っ掛かっていた何かが。

少しだけ、軽くなっていると、ベリルははっきり感じた。

 

エミヤはそんなベリルを見る。

 

「多少は気分転換になったかね」

 

ベリルは目を瞬いた。

 

「……もしかして」

 

「何だ」

 

「そのために誘った?」

 

エミヤは答えず、木刀を片付ける。

 

「昼休憩が終わる。騎士たちが戻ってくるぞ」

 

話を終わらせるように、エミヤは背を向けた。

 

ベリルは、その背中を見る。

気遣う言葉を並べることはなかった。

悩んでいるのかとも聞かない。

 

代わりに剣を持ち、向かいに立ち、いつもと同じように打ち合った。

 

それだけ。

 

「……まったく」

 

ベリルは小さく笑った。

本当に、不器用な男だ。

 

けれど、今の自分には、きっと、それくらいがちょうどよかった。

 

「ありがとう、エミヤ」

 

小さく呟く。

 

「何か言ったか?」

 

「いや、何も」

 

聞こえなかったなら、それでいいか。

 

少し離れた場所で、ヘンブリッツは何も言わず二人を眺めていた。

やがて昼休憩の終わりを知らせる鐘が鳴る。

騎士たちの声が、再び修練場へ近づいてくる。

いつもの日常が戻ってくる。

 

ベリルは木剣を置き一度だけ、自分の掌を見つめた。

 

先ほど見えた景色。

あれが何だったのかは、まだ分からない。

魔力のことなど、素人の自分が考えたところで答えは出ない。

それなら。

 

「まあ、焦っても仕方ないか」

 

ベリルは顔を上げる。

そこには、いつもと変わらず、不愛想な友人が立っていた。

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