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皆さまから反応いただけること、心から嬉しいです。
本章も一区切りです。
交友祭当日。
レベリス王国の王都は、朝から普段とは比べものにならないほどの賑わいを見せていた。
大通りには色鮮やかな旗が並び、道の両脇にはこの日のために用意された露店が軒を連ねている。
焼いた肉の匂い。
甘い菓子の香り。
酒を売る者の威勢の良い声。
子供たちは親の手を引いて次の店へ走り、遠方から訪れた者たちは珍しそうに街並みを眺めている。
友好国であるスフェンドヤードバニアからも多くの人々が訪れ、普段ならば見慣れない衣服や装飾を身につけた者たちも目立っていた。
二国の友好を祝う祭典――交友祭。
その名に相応しい華やかな一日が始まっていた。
そんな華やかな祭りの片隅で。
「次、野菜が足りんぞ」
「はい!」
「そちらの鍋は火を弱めろ。煮詰まり始めている」
「はい!」
「皿を切らすな。洗い終わったものからこちらへ回せ」
「はいっ!」
――一人だけ、祭りとは無縁のような男がいた。
「……エミヤさん」
「何だ」
「本当に、本職は料理人じゃないんですよね?」
「その認識で間違いない。頼まれたから助太刀しているに過ぎない」
「ですよね……?」
若い騎士が困惑する。
目の前にいるのは、普段から騎士団の訓練へ顔を出している仏頂面の男。
とはいえ、今日は訓練時の格好でもない。
白いシャツの袖を肘まで捲り、その上から濃い色の前掛けを身につけている。
両手には大きな木べらとお玉。
どう見ても剣士ではなく料理人だった。
「口を動かす暇があるなら手を動かしたまえ。昼前には今以上に客が増えるぞ」
「は、はい!」
反射的に返事をして、騎士が持ち場へ戻っていく。
その背中を見送りながら、エミヤは大鍋の蓋を開けた。
湯気が一気に立ち上る。
中で煮込まれているのは、大量の肉と野菜。
一口分を小皿へ取り、味を見る。
「……少し薄いな」
香草と調味料を追加する。
軽く混ぜてから、もう一度。
今度は僅かに頷いた。
「よし」
レベリオ騎士団も、交友祭に合わせて簡易的な出店を設けていた。
普段騎士団食堂で提供している料理を中心に、祭りへ訪れた人々へ安価で振る舞う。
利益を上げることより、地域住民との交流が主目的らしい。
当然、担当する騎士も割り振られていたのだが、問題は予想以上の客入りだった。
朝から既に人が集まり始め、昼時になれば更に増えることが容易に想像できる。
そして、その話を聞いたエミヤが『ならば手伝おう』と言った結果、いつの間にか厨房全体を仕切っていた。
もっとも、以前から騎士団食堂の助太刀として働いていた彼を知る者は多く、今回初参加の騎士以外は皆当然のように彼の指示に従っていた。
「エミヤさーん!」
店先から声が飛ぶ。
「料理、追加お願いします!」
「何が足りない?」
「煮込みと串焼き、両方です!」
「分かった。五分待て」
即答。
エミヤは煮込みを別の鍋へ移しながら、隣で焼かれている肉へ目を向ける。
「そちら、火が強い」
「え?」
「右端だ。焦げるぞ」
「あっ!」
騎士が慌てて串を返す。
その間にエミヤは皿を並べ、料理を盛り付ける。
次々と完成していく料理。
手際が違い過ぎた。
十数人分ならまだしも、今日は何百人分という料理を作らなければならない。
量が増えれば、普段通り作ればいいという話でもない。
何を先に仕込み、どの料理へ人員を回し、どの程度を作り置きし、どのタイミングで追加するのか。
それらをエミヤは、ほとんど迷わず決めていく。
きっと普段から指導されている騎士たちが見たら、口をそろえて言うに違いない。
"木剣を持つより、生き生きしている"、と。
◇ ◇ ◇
昼が近付くにつれて、予想通り客足は増えていった。
「二つください!」
「はい、少々お待ちください!」
「こっちは三人分!」
「今持っていきます!」
職員たちの声が飛び交う。
エミヤも休むことなく料理を作り続けていた。
鍋を混ぜ、肉を焼く。
出来上がった料理を確認する。
足りなくなりそうな食材を見れば、次の仕込みを指示する。
最早、誰が本来の料理担当なのか分からない。
そんな中。
「いやはや!」
聞き覚えのある豪快な声が響いた。
「随分繁盛しているではないか!」
エミヤは振り返らなかった。
「注文なら最後尾へ並びたまえ」
「顔も見ずに客を追い払う店員がいるか!」
「その声量なら確認する必要もない」
「がっはっは!違いない!」
ようやくエミヤが顔を上げる。
人混みの中でも頭一つどころか、それ以上に抜けて見える巨体。
スフェンドヤードバニア教会騎士団長、ガトガ・ラズオーンだった。
人込みもあり張り上げていた声に反応していたが、ようやく正面から相手を見て話をする。
「暇なのかね、騎士団長」
「馬鹿言え、多忙の中で見つけた隙間時間で食事の調達をしに来ただけだ」
ガトガが厨房の前へ来る。
「しかし、本当に料理をしているとはな」
「アリューシアたちから聞かなかったのかね?」
「ああ。だが、半信半疑でな」
「失礼な男だ」
エミヤは皿を一つ取った。
「持ち歩き用に包装するか?」
「助かる」
「なら少し待て、すぐに用意する」
「金は?」
「他の客と同じだ」
「結構」
笑いながら、ガトガは代金を置く。
ほどなくして。
「待たせたな」
目の前に料理が置かれた。
大きめに切った肉と野菜の煮込み、それとは別に肉の入っていないスープや焼きたてのパン。
祭りの出店らしい簡素な料理ではあるが、香りだけでも十分に食欲を刺激する。
「これは、気を遣わせたか?」
「なに、君たちの信仰に詳しくはないが、食肉を禁じるのなら、こちらを食べればいい」
「かたじけない……もう少し話したい本音もあるが」
「構わない、君も早く警護に戻るべき立場だろう」
「そうだな、では単刀直入に用件を言おう」
ガトガの声音が少しだけ変わった。
エミヤが視線を向ける。
「何かね」
「一つ、頼みがある」
「君が改まって頼み事をする時点で、面倒事の匂いしかしない」
「酷い言われようだな」
「先日の会議には参加していないが、今が君たちにとって忙しい時期なのは知っているのでね」
交友祭。
その華やかな催しの裏側で、騎士団が警護のため慌ただしく動いていることくらいは、エミヤも知っている。
まして、既に何度か、表には出ていない騒動も起きている。
ガトガは少しだけ笑みを薄くした。
「まあ、そう警戒するな。頼みというのは、お前の店についてだ」
「店?」
「ああ」
ガトガは周囲を一度確認する。
声を潜めるほどではない。
だが、先ほどまでより少しだけ静かに。
「今夜、店を開けてもらえんか?」
エミヤの眉が上がった。
「営業時間外だが」
「分かっている。だから頼んでいる」
「昼食分を購入しておいて、夜食まで要求する気かね?」
「俺ではない」
その返答に、エミヤが僅かに目を細める。
「客が一人いる」
「ならば明日、営業時間内に来てもらいたまえ」
「それが難しい相手でな」
「…………」
「出来れば、人目にもつかせたくない」
エミヤは黙った。
予想通り、面倒事だった。
「何より、"昨晩のお前の行動"についても、聞きたいことがある」
「事情聴取とは、耳が早いな」
「可能性の話として聞いただけだったが、その反応であれば間違いはないみたいだ」
暫し、エミヤはガトガを見る。
先ほどまでとは僅かに違う。
冗談めかしてはいるが、この依頼自体は本気らしい。
「時間は?」
ガトガの顔が明るくなる。
「引き受けてくれるか」
「時間を聞いている」
「夜、祭りが落ち着いた頃だ。長居はしない」
「人数は?」
「俺を含めて三人だ」
「料理の希望は?」
「任せる」
「一番困る注文だな、それは」
エミヤは小さく息を吐いた。
「分かった。ただし、本格的な仕込みまではせんぞ。今日はこちらで一日働くのでね」
「構わん」
「それと」
エミヤはガトガを真っ直ぐ見る。
「面倒事を店へ持ち込むなら、相応の説明はしてもらう」
「善処しよう」
「……今のうちに断ってもいいかね?」
「がっはっは!」
結局、答えになっていなかった。
◇ ◇ ◇
――話は、昨夜へ遡る。
交友祭を翌日に控えた王都。
日中の賑わいが嘘のように、夜の街は静まり返っていた。
もっとも。
全ての場所が、というわけではない。
大通りでは明日に向けた準備が遅くまで続き、酒場からはまだ人々の笑い声が聞こえてくる。
遠方から訪れた商人。
祭りを楽しみにする市民。
警備のため巡回する騎士。
普段より遥かに多くの人間が、夜になっても王都を行き交っていた。
そんな中、エミヤは一人、人気の少ない道を歩いていた。
「…………」
別に、騎士団から何かを頼まれたわけではない。
交友祭の警備についても、アリューシアたちから協力を求められてはいなかった。
ならば、本来、夜の街を見回る理由などなかった。
「我ながら、難儀な性分だな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
自分でも分かっている。
放っておけばいいのだ。
レベリオ騎士団は優秀だ。
それに加え、今は他国の騎士団まで王都に滞在している。
自分が余計なことをする必要などない。
――それでも。
眠る前に少しだけ街を歩こう。
そう考えてしまった時点で、昔から何も変わっていないのだろう。
これでは、ロゼに対して啖呵を切ったにも関わらず、彼らを信用していないような行動とも取れてしまうだろう。
「……まったく」
小さく息を吐く。
歩く場所も、大通りではない。
人が多い場所ならば、既に騎士たちが巡回している。
ならばせめて、騎士たちの邪魔にならぬ場所を歩けばいい。
そんな、言い訳にもならない理屈を胸中で並べながら。
エミヤは細い路地へ入った。
王都の中心部から離れるにつれ、街並みは少しずつ変わっていく。
建物は古くなり、街灯は減り、人の姿も消えていく。
華やかな交友祭を明日に控えた同じ王都とは思えない。
貧民街。
そう呼ばれる一帯だった。
貧困格差は、この国家が抱えている問題の一つでもある。
大きな国家を維持する以上、すべてに満遍なく富が届く、ということは難しい。
人が集団で生きる以上、格差は生まれ、暮らしに困る者たちも一定数現れる。
それは、たとえ世界が違っていても、時代が異なっていても、同じように抱える人間社会の問題。
「…………」
エミヤが歩く。
風が吹いた。
その時だった。
足が止まる。
「……?」
遠い。
かなり離れている。
だが、何かが聞こえた。
金属同士がぶつかる音。
そして、僅かに遅れて、何かが爆発する音。
「…………」
祭りの準備ではない。
エミヤの表情が変わる。
次の瞬間、その姿が夜道から消えた。
◇ ◇ ◇
屋根から屋根へ、音を立てずに飛び移る。
近付くにつれて、状況が見えてきた。
戦闘。
しかも、小競り合いなどではない。
路地の奥、人目につきにくい一角で、複数の人間が争った痕跡が残されている。
壁には刃物で刻まれた傷、砕けた石畳、転がる武器。
血。
かなり激しい戦闘だったらしい。
だが――
「……遅かったか」
エミヤが呟く。
既に戦闘は終わりかけている。
遠くに撤退していく複数の人影が見えた。
装備を見る限り、騎士ではない……教会側の人間だろうか。
追う者はいない。
否、追う余裕がないのだろう。
反対側にも、複数の気配が残っている。
こちらもレベリオ騎士ではない様子であり、戦闘を続けるつもりもないらしい。
撤収の準備へ移っている。
双方に被害が出た。
目的が何だったのか。
どちらが襲撃したのか。
エミヤには分からない。
そして今、それを知る必要もなかった。
戦闘があった建物を注視するエミヤは、視線が止まった。
「…………」
一人、倒れている。
老女だった。
血溜まりの中、壁際へ身体を預けるようにして倒れている。
周囲には、まだ何人かの人影。
倒れている老女へ近付く様子はない。
助けるつもりもない。
ただ、死にかけの老女が確実に死ぬ瞬間を、警戒して見ている。
息の根が止まる瞬間を確認してから、この場を離れるつもりなのだ。
「……なるほど」
状況は分からない。
戦闘の痕跡から、一方的な制圧ではないようだ。
少なくとも、戦闘慣れした集団であることは分かる。
どちらも手練れの者たちだろう。
双方の出自が分からぬ以上、善悪の判断もつかない。
以前の宵闇事件のような犯罪者かもしれないし、他国の暗殺者かもしれない。
何をした人間なのかも知らない。
――ならば。
「十分だ」
考える理由もなかった。
◇ ◇ ◇
倒れている老女を、数人の男たちが警戒するように見下ろしていた。
呼吸は浅い。
出血も多い。
放っておけば、そう長くは持たない。
だが、油断はしない。
この老女の実力は、先ほどの戦闘で嫌というほど思い知らされている。
死の間際に何をするか分からない相手だ。
だから、完全に息絶えるまで確認する。
「…………」
その時だった。
何かが、夜闇を横切った。
「――っ!」
反射的に身体を逸らす。
直後、先ほどまで頭があった場所を何かが通過した。
乾いた音、背後の壁へ突き刺さる。
「何者だ!」
声が飛ぶ。
全員が武器を構える。
「…………」
暗闇から、一人の男が歩いてきた。
赤い外套、褐色の肌、白い髪。
その両手には、白と黒の双剣が握られている。
「悪いが」
男――エミヤは、周囲を一瞥した。
「彼女は貰っていくぞ」
「王権派の増援か?」
「さてな」
あまりにも気のない返答。
暗殺者たちの警戒が一段階上がる。
少なくとも、この戦いに参加していた者ではない。
ならば何故、こんな場所へ現れた。
「退け」
低い声。
「これは貴様には関係のないことだ」
「ああ」
エミヤは即答した。
「私もそう思う」
「ならば――」
「だが」
一歩、前へ出る。
「まだ息がある――私には十分な理由だ」
「…………」
それだけだった。
忠告を無視する乱入者。
その口封じを判断した暗殺者は即座に動いた。
速い。
一息で距離を詰める。
刃がエミヤの喉へ走った。
金属音。
白い短剣が受け止める。
同時に黒い短剣が相手の武器へ絡みついた。
「な――」
捻り、武器が弾き飛ばされる。
そのままエミヤは相手に蹴りを一つ。
腹部で受けた相手の身体が後方へ吹き飛ぶ。
「っ!」
残る者たちが三方向から同時に動く。
エミヤは息を吐いた。
「荒事は慣れているようだな――」
両手の剣を振るう。
一人目の剣を逸らし、二人目の腕を柄で打つ。
三人目には踏み込みを半歩ずらし、足を払う。
だが、相手も素人ではない。
一人が背後へ回る。
別の者が距離を取る。
暗殺者として、十分に練られた動き。
捕縛して事情を聞くべきなのかもしれない。
だが、今は違う。
背後で弱々しく続く呼吸。
一秒でも早く、この場から離すべきだった。
「悪いが、付き合っている暇はない」
双剣を投げる。
予想外の行動に驚く彼らだが、すぐに防御や回避を判断する。
その瞬間。
「『壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』」
魔力が走り、辺りを爆発させた。
「――な」
さすがの暗殺者たちも、投擲された剣が爆発するとは予想できず、そのまま吹き飛ぶ。
"質を落とした投影剣"の魔力では、戦闘不能にまで追い込むことはできないが、確実に時間を稼ぐ。
エミヤはその隙に背後に回った暗殺者を回し蹴りで吹き飛ばし、彼女の身体を担ぎ上げ、その場を離脱する。
暗殺者たちは、追ってこない。
背後から、指揮を執る人物の声で、撤退の指示が出ていた。
見ればリーダーと思われる人物は前の戦闘で負傷していたようで、エミヤへの戦闘に参加しなかった。
……もし参加されれば、恐らく逃走に時間がかかり、その間に老女を殺す判断をしていただろう。
赤い外套が夜風に揺れる。
エミヤは、老女を抱えたまま地面を蹴り、夜の闇へ消えた。
◇ ◇ ◇
安全な場所まで、そう時間は掛からなかった。
人気のない建物の陰。
周囲に敵意がないことを確認したエミヤは老女を横たえた。
「…………」
改めて傷を見る。
酷い状態だ。
「これは……」
思わず眉を顰める。
よく生きている……いや、死にかけている。
身体の至るところに傷がある。
エミヤには、傷ついた者を癒す術はない。
即座に応急手当を実施し、そのまま手持ちの回復薬を使うが、回復には程遠い。
すぐに高度の治療が必要だ。
「迷う時間が惜しいか」
行動方針を決めたエミヤは、彼女を抱えなおし、この世界における王国最強の魔術師の元へ駆けていった。
それから、夜間にルーシーの家に駆けこんだエミヤは、彼女から小言を頂くも治療を取り付けることができた。
本来であれば専門の医療所に連れていくべきだが、容態が危ういことに加え身分も知らぬ者だ。
運ぶ途中に確認した武装を見ても、戦闘経験が多い人物だと分かる。
身分も所属も分からぬ武装した人間を、この時期に騎士団や医療所へ運び込めば、否応なく事情を問われる。
それが敵対勢力の人間であった場合、余計な混乱を招く可能性もあった。
その点、ルーシーの元に預けるのなら、問題ない。
多忙の身であることを考慮しても、こうした厄介事であれば躊躇なく任せていいだろう。
……なお、この共通認識は、言葉にしなくてもベリルも同様に考えていた。
その後、何事もなかったかのように自室へ戻ったエミヤは、翌朝には通常通り起きて交友祭に取り組んでいた。
◇ ◇ ◇
交友祭の喧騒が、ようやく遠ざかり始めていた。
日中、王都の大通りを埋め尽くしていた人々の姿も、今は随分と少なくなっている。
屋台では片付けが始まり。
酒場や宿には、祭りを楽しみ疲れた人々が流れ込み。
華やかな一日は、ゆっくりと終わりへ向かっていた。
そんな中、大通りから少し外れた場所にある喫茶店――Arbor Haven。
本来ならば既に営業を終えている時間だが、店内には、まだ灯りが残っていた。
「…………」
エミヤは一人、カウンターの中で鍋を確認していた。
――今夜、少しだけ店を開けておいてほしい。
ガトガの依頼に、理由までは聞かなかった。
人目につかないようにしたいとも言われたので、店先の灯りは最低限にして看板も既に下げている。
つまり、これから来るのは、普通の客ではない。
「さて」
鍋の火を弱める。
何者を連れてくるのかは知らない。
ただ、ガトガがわざわざ秘密裏に訪れる以上、それなりの人物なのだろう。
からん。
扉の鐘が鳴った。
「来たか」
エミヤが顔を上げる。
最初に入ってきたのは、見慣れ始めた巨体のガトガ・ラズオーン。
その後ろには、教会騎士団の騎士が一人。
そして、もう一人。
「…………」
ローブを被った若い男が入ってきた。
身なりがいい。
自身を隠すローブを着ているが、その立ち姿や周囲を見る目。
何より、ガトガほどの男が、無意識に半歩だけその人物を守る位置へ立っている。
それだけで、大体の察しはついた。
「随分と大層な客を連れてきたものだな、ガトガ殿」
「やはり分かるか」
「分からない方が難しいと思うがね」
エミヤは肩を竦める。
若い男が、面白そうにエミヤを見た。
「聞いていた通りだな」
「何を聞いていたのかは知らんが、期待外れなら帰ってもらっても構わんぞ」
「いや。ますます興味が湧いた」
ガトガが笑いながら、一歩前へ出る。
「紹介しよう」
先ほどまでの声音より、ほんの僅かに改まった。
「こちらはスフェンドヤードバニア王国第一王子、グレン・タスマカン・グディル殿下だ」
「…………」
やはり。
予想していたより、更に上だったが。
「エミヤだ」
それだけ名乗る。
ガトガの後ろにいた騎士が僅かに目を見開いた。
王族を前にして、頭を下げるでもなく、跪くでもなく、普段と何一つ変わらない。
だが。
「構わん」
グレン本人が、それを制した。
「今夜は王子として公式に訪れたわけではないからな」
そして、エミヤへ手を差し出す。
「グレンだ。突然押しかけて悪かったな」
「ガトガ殿から話は聞いている」
エミヤも手を差し出した。
「もっとも、王子を連れてくるとは聞いていなかったがね」
「言えば断ったか?」
ガトガが笑う。
「さてな」
「なら言わなくて正解だったな」
「君は随分といい性格をしている」
そんなやり取りを見て、グレンが小さく笑った。
「なるほど。ガトガが気に入るわけだ」
「心外だな」
「手厳しいな」
「君たちのような潔癖な騎士と同類と思われるのは些か不本意なのでね」
「がっはっは!」
豪快な笑い声が店内へ響いた。
「時間も遅い。大したものは用意していないぞ」
「構わん」
グレンが席へ座る。
ガトガと護衛も同じテーブルへ座り、エミヤは厨房へ戻った。
昼間から仕込んでいた煮込み料理。
焼いたパン。
簡単な肉料理。
それに、温かいスープ。
王族へ出す料理として考えれば、随分と質素だろう。
「待たせたな」
一つずつ、料理を並べていく。
グレンは目の前の皿を見る。
「……いい匂いだな」
「口に合う保証まではせんがね」
「昼間も思ったが、これを一人で作っているのか?」
「普段はな」
「勿体ない」
「何がだ」
「城へ来ればいい。専属で雇いたいくらいだ」
「過分な言葉だと思うがね」
言いながら、グレンが料理へ手を伸ばす。
その自然な仕草に、エミヤが忠告するように言った。
「しかし、いいのか?」
「何がだ?」
「他国で、素性もよく分からん男が作った料理だ」
護衛が僅かに反応した。
「私はこの国の騎士ですらない。毒味くらいはした方がいいのではないかね」
「お、おいエミヤ」
流石のガトガも止めに入る。
だが、グレンは何でもないことのようにスプーンを取った。
「必要ない」
「ほう」
「俺は今日、お前を疑うために来たわけじゃない」
そのまま、一口。
スープを口へ運ぶ。
護衛が僅かに緊張した様子を見せたが、当然、何も起きない。
グレンはゆっくりと飲み込み。
「……美味いな」
「それは何より」
「本当に城へ来る気はないか?」
「ない」
「即答か」
グレンが笑う。
ガトガも料理へ手を伸ばした。
ほんの少しだけ、場の空気が緩む。
けれど、グレンがここへ来た理由は食事ではないと、エミヤも分かっていた。
やがて、グレンがスプーンを置いた。
「――エミヤ」
声が変わった。
「何かね」
「昨日の夜」
エミヤの目が僅かに細くなる。
「貧民街の近くで、一人の老女を助けたな」
「…………」
一瞬、昨夜の光景が脳裏を過ぎった。
「……あの御仁か」
「ああ」
グレンが頷いた。
「名はフェイ……表向きは、俺の侍女だ」
「侍女?」
エミヤが僅かに眉を上げる。
「随分と物騒な仕事をする侍女だな」
「まあ、普通の侍女ではない」
グレンが苦笑する。
「俺の親衛隊に属している。主な役目は偵察だ」
「なるほど」
それならば、昨夜の状況にも多少の説明はつく。
昨夜救出した老女がただ者ではないと考えていたが、まさか他国の王子の親衛隊だったとは予想できなかった。
「フェイは昨日、俺の命を狙う者たちを排除するため動いていた」
グレンの表情から笑みが消える。
「君を?」
「ああ」
グレンは僅かに目を伏せた。
「今、我が国では王家と教会の間で少々厄介なことになっていてな」
「少々、で済む話には聞こえんがね」
「違いない」
第一王子であるグレンを擁する王権派。
そして、国内における教会の権威を守ろうとする教皇派。
両者の対立は、既に水面下だけで収まる段階を過ぎつつあった。
「つまり、昨夜の連中は」
「教皇派の人間だ。俺を狙って動いていた」
「…………」
「報告を受けた時には、死んだものと思っていた」
静かな声。
それは、王子としてではなく、一人の人間として聞こえる。
「だが、生きていた」
エミヤは黙って聞く。
「お前が助けたからだ」
グレンが真っ直ぐにエミヤを見る。
「礼を言わせてくれ。フェイを助けてくれて、本当にありがとう」
「殿下……」
護衛の騎士が小さく声を漏らす。
他国で見ず知らずの男へ王族が直接礼を言う。
本来ならば、そう簡単にすることではないのだろう。
エミヤは少しだけ、目を細めた。
「君の立場は決して軽くないだろう」
「承知だ。それでも恩人には礼を尽くしたい」
「私は、君から礼を受けるために助けたわけではない」
いつもの返答。
「たまたま通り掛かった。まだ息があった。だから拾った」
「それだけか?」
「ああ」
「相手が誰かも知らずにか?敵かもしれなかっただろう」
「そうだな」
あまりにも淡々としている。
グレンが僅かに呆れたような顔をした。
「なら、何故助けた」
「まだ生きていたからだ」
昨夜と、全く同じ答えだった。
グレンは、暫く何も言わなかった。
この男は騎士ではないが、事前にガトガからも武人であることは聞いていた。
そんな男が、自分の利益にもならずに人助けをする。
それも自身の危険を顧みずに、戦闘の末に救出をした、と。
「……ガトガ」
「何でしょう」
「この国には、ベリルといい面白い人材が多いな」
「そうですね。勧誘に失敗したのが惜しまれます」
「別に我々は国のために動く性質ではないがね」
そこで一度話が途切れ、あらためてグレンはエミヤに尋ねる。
「フェイは、生きている。間違いないか?」
「そうだ……ただ、重傷だ」
エミヤの表情が僅かに変わる。
「命は取り留めた。だが、意識を取り戻していない」
「…………」
「特に脚の傷が酷い。元のように動けるまで戻るかも、まだ分からない」
グレンの表情が僅かに曇る。
死んだと報告を受けていた以上、致命傷を負ったと覚悟はしていたが、実際に聞けば、やはり衝撃は大きいのだろう。
エミヤは続ける。
「この国の最高魔術師、ルーシー・ダイアモンドに預けて治療に当たってもらっている。
……彼女の説明は、不要かね?」
「不要だ。彼女であれば腕前といい人柄といい、信頼できる。
そのままフェイの治療を続けてもらうよう、俺からも依頼しよう」
「昨夜は緊急だったから独断で彼女に頼んだが、本来癒しの力であれば君たち教会側の方が得手ではないかね?」
エミヤの疑問にグレンが答える。
「無論、ガトガを初め我が国の治療師たちの腕もいい。
だが、別の問題で、フェイをすぐには俺のところへ戻せない」
「何故だ」
「死んだことになっているからだ」
エミヤが顔を上げる。
「昨夜の件で、フェイは戦死した」
「表向きは、か」
「ああ」
グレンが頷く。
「敵もそう認識している」
昨夜、暗殺者たちは最後までフェイの死を確認しようとしていた。
そこへ自分が割って入った。
「お前が連れ去ったことで、完全な確認までは出来なかっただろう。だが、あの傷だ。普通なら助からない」
「…………」
「だから今は、死んだままにしておく」
それは、恐らくフェイを守るためでもあるのだろう。
「生きていると知られれば、再び狙われる」
「妥当な判断だな」
「本人には辛い思いをさせる」
グレンが拳を握る。
「暫くは、俺の元へ帰ってくることも出来ない」
王子の親衛隊。
エミヤには、彼らがどれほど長く共にいるのかも知らない。
けれど、グレンの表情からは一人の部下以上の想いがあることは、読み取れる。
「……大切な部下なのだな」
グレンが顔を上げる。
エミヤは、ただ静かに彼を見ていた。
「随分と気に掛けている」
「…………」
グレンが少しだけ笑った。
「子供の頃から俺を知っている人だ」
その一言で十分だった。
「そうか」
エミヤの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「ならば、生きていて良かった」
グレンの目が僅かに見開かれた。
「……ああ」
静かに頷く。
「ああ。本当に」
少しだけ沈黙が落ちる。
エミヤは、これ以上、何も言わなかった。
少し後に、グレンは再びスプーンを取る。
「折角、命の恩人が作ってくれた料理だ。冷ますのは勿体ない」
「その呼び方はやめたまえ」
「事実だろう」
「……王族というのは皆、こうも人の話を聞かんのか?」
「俺以外の王族を知らんのだろう?」
「一応、何人かは知っている」
「ほう?」
「碌な思い出がないので、話すつもりはないがね」
「ますます興味が湧いた」
「忘れろ」
そんな、他愛もない会話が続く。
外では、交友祭最後の夜が、ゆっくりと更けていった。
◇ ◇ ◇
それから、数日後。
「いやあ、大変だったよ」
Arbor Haven。
窓際の席で、ベリルが疲れたように笑っていた。
目の前には夕食。
向かいにはエミヤ。
交友祭が終わり、騎士団の事後処理も、ようやく一段落した頃だった。
「ふむ。騎士たちからは、護衛の功績が認められ、レベリス国の国王たちにもてなされた、と聞いている。
……大変なことではあるまい」
「いやいや、そこだけ抜き出さないでよ」
「事実だろう」
ベリルがパンを千切る。
「まあ、色々あったよ」
詳しい話まではしない。
エミヤも、聞かなかった。
誰と戦ったのか。
何が起きたのか。
何を守ったのか。
……覚悟を決めた彼女と、向き合うことができたのか。
話せること。
話せないこと。
それくらいの区別は、彼にも分かる。
「でもまあ」
ベリルが笑う。
「無事に終わって良かった」
「そうか」
「ああ」
エミヤは、料理を口へ運ぶ。
「ならば何よりだ」
「それだけ?」
「他に何を言えと?」
「もう少し労ってくれてもいいんじゃない?」
「…………」
エミヤは少しだけ考えた。
「ご苦労だったな」
「なんか雑だなあ」
「注文が多い男だ」
「ははは」
ベリルが笑う。
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「でも」
「何だ」
「皆、よくやってくれたよ」
それぞれが、自分に出来ることをした。
護衛を務めた騎士たちも、皆が無事だったわけではない。
傷を負った者も当然いる。……数名、死者も出た。
だが、彼らは交友祭という場面で、王女と他国の王子を護り、民間人への被害も抑えた。
それは、誇りある成果だった。
「ならば、君もよくやったのだろう」
「……俺?」
「ああ」
「何も聞いてないのに?」
「君の顔を見れば分かる」
ベリルが、少しだけ目を丸くする。
「…………」
「何だね」
「いや」
ベリルが笑った。
「君も随分、俺のこと分かるようになったねえ」
「不本意ながらな」
「そこは素直に認めてくれてもいいじゃないか」
「食事中だ。黙って食べたまえ」
「はいはい」
いつもの会話。
いつもの食事。
祭りは終わった。
多くの者が戦い、傷付き。
それでも街には、再び日常が戻ってくる。
エミヤは窓の外を見る。
通りを歩く人々。
店を閉める商人。
家へ帰っていく親子。
どこにでもある光景。
それを、ほんの少しだけ眺めて。
「エミヤ?」
「何でもない」
視線を戻す。
「労いのエールはいるかね、ベリル。君の好みの酒を振舞おう」
「おぉ、分かってるね!お願いしようかな」
そして二人は再び、何でもない夕食へ戻っていった。
あらためて、本章までお付き合いいただきありがとうございます。
相変わらず前半で好き勝手書いてるような本章でしたが、
前の章が大きな話だったからこそ、その後の彼らを表現したいと思いました。
次章以降も構想はございますので、引き続き見守っていただけますと幸いです。