弓兵しているエミヤさんが好きで、止まりませんでした。
午後のレベリオ騎士団修練場は、その姿を変えていた。
中央には木箱や樽が置かれ、所々には訓練用の柵。
簡易的な盾まで立て掛けられ、普段なら広々としている空間が、今は随分と入り組んでいる。
その最奥、十五人の騎士たちが、弓を手に並んでいた。
五人一組。
三つの班に分かれ、それぞれの足元には大量の訓練用の矢が用意されている。
対する反対側には、盾や木剣を手にした騎士たちが、何とも言えない表情で待機していた。
その中の一人が呟く。
「改めて見ると……嫌だな」
「何がだ?」
「いや、あれだよ」
視線の先には十五人の弓兵。
当然、全て訓練用の装備だ。
矢の先端も通常の鏃ではなく、布や柔らかな素材で覆われている。
当たったところで多少痛む程度。
命に関わることなどない。
分かっている。
分かっているのだが。
「十五人全員がこっちを狙ってるって、結構怖いぞ」
「……それは分かる」
仲間が同意した。
そんな彼らの様子を、少し離れた場所からエミヤが見ている。
「準備はいいかね?」
「一応!」
「随分と頼りない返事だな」
「エミヤ殿が混ざるって聞いたせいですよ!」
エミヤは気にすることなく続けた。
「改めて説明する」
騎士たちが静かになる。
「進行側の目的は単純だ。ここから出発し、反対側まで辿り着け」
修練場の端から端。
距離そのものは、それほど長くない。
普段なら走ればすぐだ。
だが今日は、その間に障害物があり。
何より。
「弓兵側は、それを妨害する」
十五人の騎士が弓を持ち上げた。
「五人一組。先ほど説明した通り、三班で順番に射ろ」
「はい!」
「威力は十分に落とせ。顔は狙うな。訓練だからといって怪我をさせては意味がない」
続いて進行側を見る。
「君たちは盾、障害物、仲間。使えるものは何でも使え」
「盾を持って走っても?」
「好きにしたまえ」
「障害物を動かすのは?」
「動かせるならな」
騎士たちが顔を見合わせる。
「ただし、矢を受けた場合は自己申告しろ。一本につき、訓練後の走り込みを追加する」
「……やっぱりやるんですね」
「当然だ」
「厳しいなぁ……」
「実戦なら走り込みでは済まんぞ」
何も言い返せなかった。
エミヤが片手を上げる。
「では、始めろ」
最初に動いたのは進行側だった。
十人ほどの騎士が、一斉に駆け出す。
「第一班!放て!」
五本の矢が飛ぶ。
「うおっ!」
先頭の騎士が盾を構える。
乾いた音が連続した。
一発。二発。
盾へ矢が当たる。
残りは地面へ落ちた。
「行け!」
「第二班!」
直後に次の五本。
「早いって!」
「止まるな!」
盾の陰へ二人が入り、そのまま進む。
別の騎士は横に置かれた木箱へ飛び込んだ。
矢が頭上を通過する。
「第三班!」
更に五本。
「これ、本当に途切れないぞ!」
「冷静になれ、攻略するぞ!」
そんな会話をしている間にも矢は飛ぶ。
第一班は、既に次の矢を番えていた。
「第一班、放て!」
「来るぞ!」
盾を持った騎士が前へ出る。
その背後、二人が身を低くして走る。
一人が木箱へ。
もう一人が柵の陰へ。
「おお」
エミヤが僅かに感心する。
最初は個々に走っていた。
だが、早くも連携が生まれ始めている。
盾を持つ者が前へ出る。
その陰を使って別の者が進む。
先へ辿り着いた者が障害物を利用して身を隠し、後続へ声を掛ける。
「第二班!」
再び矢。
「盾、右!」
「分かってる!」
「二人こっちへ来い!」
声が飛び交う。
そして。
「よし!」
一人が最奥へ辿り着いた。
続いて二人。
三人。
「抜けた!」
「俺も――」
最後の一人が障害物から飛び出す。
その時。
「甘い」
エミヤが弓を引いた。
「え?」
矢が放たれる。
騎士の横を通り過ぎた。
「外れ――」
反射的に、そう思った直後。
からん。
矢が木製の障害物へ当たり、軌道が変わる。
「は?」
跳ね返った矢が。
ぽすっ。
「一本だ。忘れるな」
「これはひどい!」
このやり取りに見学者の笑い声が起きた。
「ほら、まだ終わっていないぞ」
エミヤが次の矢を取る。
「うわっ、また構えた!」
「早く行け!」
「隠れろ!」
途端に騒がしくなる。
だが、今度は先ほどと違った。
「エミヤ殿も見ろ!」
「弓兵だけに集中するな!」
「右の障害物まで走るぞ!」
騎士たちが、周囲を見るようになっていた。
目の前から飛んでくる矢だけではない。
どこに射手がいるのか。
何を狙っているのか。
自分の周囲に何があるのか。
先ほど教えられたことを、少しずつ実践し始めている。
「……ふむ」
エミヤは彼らの工夫を感じながら、弓を下ろした。
一巡目が終わった。
「はぁ……」
「疲れた……」
「思ったより神経使うな、これ」
進行側だった騎士たちが、その場へ座り込む。
身体的な疲労よりも、常に飛んでくる矢へ意識を向け続けることの方が堪えるらしい。
「休憩は短めにするぞ」
「鬼だ……」
「何か言ったかね?」
「何でもありません!」
エミヤは弓兵側を見る。
「次は交代だ。今度は君たちが進め」
「我々もですか?」
「全員に経験してもらうと言ったはずだが」
「……ですよね」
「それに」
エミヤは弓を持ち直す。
「射る側を経験した後なら、先ほどより相手の考えも分かるだろう」
一同が顔を上げる。
「自分ならどこを狙うか。それを考えながら進め」
「なるほど……」
「射手の視点を知ることも、対策の一つだ」
納得した様子で、騎士たちが入れ替わっていく。
そして二巡目。
三巡目。
訓練は続いた。
◇ ◇ ◇
「――と、概ねそのような形で合同訓練を行った。使用した器具も、既に全て片付けてある」
夕刻。
騎士団本部の執務室で、エミヤは一日の訓練内容を簡潔に報告していた。
その向かいでは、アリューシアが机いっぱいに広げられた書類から顔を上げている。
「弓兵役を十五名。五人ずつ三班に分けて、交代で射撃を?」
「ああ。進行側には盾や障害物を自由に使わせた。射手へ接近するまでを一つの訓練としてね」
「なるほど……」
アリューシアは顎へ指を添え、少し考え込む。
「交友祭での襲撃を考えれば、良い訓練だったと思います。私たち騎士団も、どうしても近接戦闘を重視しがちですから」
「もっとも、元々は彼らから持ち掛けられた話だがね」
「騎士たちから?」
「ああ。交友祭での経験もあって、弓兵への対処を学びたいとな」
エミヤはそこで僅かに口元を緩めた。
「午後の実地訓練を提案したのも彼らだ。自分たちに足りないものを考え、常に学ぼうとする姿勢を見せるな」
「ふふ」
「何かね?」
「いえ」
アリューシアが小さく笑う。
「先生が聞いたら、喜びそうだと思いまして」
「……そうだな」
「はい。あの方も、騎士たちが自分で考えることを大切にされていますから」
それはエミヤにも分かる。
ベリルは、自分の剣をそのまま他者へ押し付けるような教え方をしない。
相手を見て、その者に合ったものを考える。
「ご協力、非常に助かります。エミヤさんには、エミヤさんにしか教えられないことがありますから」
「…………」
「今日の訓練も、その一つですね」
あまりにも自然に言われ、エミヤは僅かに目を細めた。
騎士団へ指南役として出入りするようになって、既にそれなりの時間が経つ。
それでも、自分はベリルの補佐に近い立場だと考えていた。
剣士として技を伝えるのであれば、ベリルの方が遥かに適任だ。
だが――弓兵として。
あるいは、様々な戦場を経験した者として。
自分だから伝えられるものも、確かにあるのだろう。
「……そうかもしれんな」
「はい」
アリューシアは嬉しそうに頷いた。
「騎士たちは皆、それぞれが思い描いた騎士を目指してここへ集まった者たちです。今日の経験も、きっと彼らの糧になります」
その言葉にエミヤは一瞬だけ、眩しいものを見るように目を細めた。
それぞれが理想を持ち、それを目指し、互いに剣を交え、支え合いながら進んでいく。
そんな彼らのように――。
「エミヤさん?」
「いや、何でもない」
そこで思考を切る。
エミヤは持参していた包みを机の端へ置いた。
「それより、こちらを」
「これは?」
「軽食だ。簡単なものだがね」
包みの中には、食べやすい大きさに切ったパンと具材、それに小さな焼き菓子が入っている。
「まだ仕事は残っているのだろう?」
「……お恥ずかしながら」
机に積み重なった書類が、何より雄弁に物語っていた。
「残っている事務方の者たちと分けるといい」
「ありがとうございます。皆も喜びます」
「君も忘れず食べたまえ。ベリルが戻ってきた時、君が疲労で倒れたとなれば笑い話にもならん」
「気を付けます」
苦笑しながら答えたアリューシアが、ふと思い出したように尋ねた。
「エミヤさんは、この後お店へ?」
「いや。そのつもりだったのだが……」
珍しく歯切れの悪い返事だった。
アリューシアが首を傾げる。
「何かご予定が?」
「予定というほどのものではない」
少しだけ言いづらそうにして。
「今日の反省会と称して、彼らに食事へ誘われてな」
「彼ら?」
「今日訓練に参加した騎士たちだ」
「ああ」
アリューシアの表情が明るくなる。
「それは良いですね」
「そうか?」
「はい」
「私は騎士ではない。ベリル不在の中で私のような外の者が同席していては、彼らも気を遣うのではないかね」
どうやら本気で言っているらしい。
アリューシアは一瞬だけ目を丸くして、それから笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ」
「何故そう言い切れる?」
「嫌な相手を、仕事が終わった後の酒席へわざわざ誘ったりしません」
「…………」
言われてみれば、その通りではある。
「騎士たちも、務めを終えた後に仲間と飲むのを楽しみにしています。今日の訓練は随分と盛り上がったようですし、話したいことも多いのでしょう」
「反省会という名目だったはずだが」
「最初の一杯までは、そうかもしれませんね」
「……なるほど」
その後どうなるのか、容易に想像出来た。
エミヤが小さく息を吐く。
「君まで行けと言うなら、仕方あるまい」
「はい。ぜひ付き合ってあげてください」
「分かった。では、私はそろそろ失礼する」
「今日はありがとうございました、エミヤさん」
「ああ。君も仕事は程々にな」
そう言い残して、エミヤは執務室を後にする。
閉じられた扉を見つめて。
「…………」
アリューシアは、少しだけ微笑んだ。
騎士たちの方から、彼を酒へ誘った。
そしてエミヤも、戸惑いながらではあるが、それを断らなかった。
彼女には、とても喜ばしいことだった。
◇ ◇ ◇
「――遅いですよ、エミヤ殿!」
酒場へ入った途端、そんな声が飛んできた。
「まだ約束の時間には遅れていないはずだがね」
「こういうのは早く来た者から飲んでいいんです!」
「それでは約束の時間を決めた意味がないだろう」
店の奥。
既にいくつかの卓を繋げ、十人ほどの騎士たちが陣取っていた。
今日の訓練に参加していた者たちだ。
鎧は脱ぎ、皆が簡素な私服姿。
机には料理が並び、何人かは既にエールの入った杯を手にしている。
「ほら、エミヤ殿。こちらへ!」
「本当に来たのか」
「お前、来ない方に賭けてただろ」
「賭け事の対象にされていたのか、私は?」
「い、いや、その」
「後で詳しく聞こう」
「余計なこと言うなよ!」
笑い声が上がる。
エミヤは呆れたように息を吐きながら、空けられていた席へ腰を下ろした。
すぐに杯が差し出される。
「どうぞ」
「……随分と手際がいいな」
「逃げられる前にと思いまして」
「君たちは私を何だと思っている」
「訓練後に平然と追加の走り込みを命じる人です」
「矢に当たった君たちが悪い」
「ほら、こういう人ですよ」
再び笑い声。
エミヤも否定せず、差し出された杯を受け取った。
「それで」
一口だけ喉を潤してから、周囲を見る。
「反省会ではなかったのかね?」
「ああ、そうでした」
一人の騎士が真面目な顔を作った。
「ではまず、本日の反省点から」
「うむ」
「エミヤ殿の跳弾は反則だと思います」
「却下だ」
「早い!」
笑いが起きる。
別の騎士が杯を置いた。
「でも、あれは本当に勉強になりましたよ」
「ほう?」
「最初は前しか見てませんでしたから。十五人も弓兵がいたら、それだけで精一杯で」
「俺なんて盾さえ持ってれば大丈夫だと思ってたぞ」
「お前、脚に三本当たってたもんな」
「走り込みがきつかった……」
「当然だ」
「そこは少しくらい同情してくださいよ!」
「実戦なら三本目を受ける前に倒れている。走れただけ幸運だと思いたまえ」
「やっぱり厳しい!」
だが、誰も嫌そうにはしていない。
むしろ今日の失敗すら酒の肴にして、楽しそうに笑っている。
「次はもっと上手くやりますよ」
一人の若い騎士が言った。
「次?」
「またやるでしょう?」
「…………」
エミヤは僅かに眉を上げる。
「もう嫌になったのかと思っていたが」
「まさか」
「次は俺たちも、もっと上手く盾を使います」
「弓兵役も面白かったですしね」
「今度は移動する射手も入れませんか?」
「それは良いな」
「あと、エミヤ殿も進行側をやってくださいよ」
その一言に、周囲が反応した。
「あ、それ見たい」
「十五人でエミヤ殿を止められるか?」
「流石に十五人いればいけるだろ」
「…………」
エミヤは杯を置いた。
「君たち」
「はい?」
「十五人で足りると思っているのかね?」
一瞬の静寂。
「……増やしましょう」
「二十人?」
「三十人だ」
「いや、騎士団全員でいいんじゃないか?」
「おい!話が大きくなってるぞ!」
「そこは指南役として十五人で十分と言ってくれませんかね!?」
「出来ない約束はしない主義でね」
「この人、本当に……!」
また、笑い声が響いた。
「まあまあ」
年嵩の騎士が料理の皿をエミヤの前へ寄せる。
「今日は訓練ありがとうございました」
「先ほども言ったが、礼を言われるほどのことではない」
「それでもですよ」
男は穏やかに笑った。
「ベリル殿の訓練とは、また違って面白かったです」
「…………」
「無論、比較するような話ではありません」
穏やかな声で付け加える。
「ベリル殿からは剣を教えていただけます。剣の振り方だけではなく、相手の見方とか、身体の使い方」
「ああ」
「でもエミヤ殿は、戦い方を教えてくれる、と言いますかね」
エミヤは黙って聞く。
「弓や盾、周囲にあるもの。今日もそうでしたけど、剣だけ見ていたら気付かないことを教えてくれる」
「私自身、純粋な剣士ではないのでね」
「だからですよ」
男は杯を持ち上げた。
「私たちには、どちらも必要です」
「…………」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
エミヤは、ほんの僅かに目を細める。
「買い被りだと思うがね」
「またそれですか」
横から若い騎士が口を挟む。
「エミヤ殿、褒められると大体それ言いますよね」
「そうだったか?」
「言います」
「言うな」
「言いますね」
「満場一致じゃないか」
「……君たちは随分と酔っているようだな」
「まだ一杯目です!」
逃げ道を塞がれ、エミヤが小さく息を吐く。
その時。
「ほら、エミヤ殿」
隣から新しい杯が差し出された。
「もう一杯どうです?」
「…………」
エミヤはそれを見る。
明日も訓練がある。
店の仕込みもある。
飲み過ぎる理由などない。
普段なら、そこで断っていただろう。
だが。
「……いただこう」
杯を受け取る。
「よし!」
「何故そこで喜ぶ」
「いやあ、なんとなく!」
「意味が分からん」
言いながら。
エミヤは、その杯を拒まなかった。
誰かが今日の訓練について話す。
誰かが失敗を笑われる。
そして時折。
「エミヤ殿はどう思います?」
当然のように、話を振られる。
「そうだな――」
エミヤも、それに答える。
特別なことは何もない。
ただ指南役として一日を過ごし。
その終わりに誘われた酒席で、騎士たちと同じ卓を囲んでいる。
「エミヤ殿!次はこっちの料理もどうです?」
「分かったから少し落ち着きたまえ。料理は逃げん」
「酒は逃げますよ!」
「逃げる酒とは何だ」
「俺たちが飲み干します!」
「それは逃げるとは言わん」
また、笑い声が上がる。
その夜、エミヤは、騎士たちの輪の中にいた。