エミヤがビデン村に滞在してから、およそ1年が経過した。
今ではエミヤも村の一員として受け入れられて過ごしていた。
この1年、大きな出来事があったわけではないが、エミヤ自身、充実して過ごせていたと自覚している。
アフタヤ山脈の調査、村人と協力して行う狩り、村への細やかな恩返しとして料理を振舞った後から
なぜか定期的に行うようになった食事会、子どもたちへの贈り物とした木製の玩具作り、など様々だった。
率先して力仕事や危険な狩りを行い、村人と交流をするエミヤを見てきたビデン村の人々にとって
よそ者と思う者は誰一人居なくなり、見かければ親しげに話すまでの関係になっていた。
エミヤもまた、度々ビデン村から外に出て狩りや採取などを行っていたが、遠くまで出かけることはなかった。
今の自分には大きな目的はなく、組織に所属するつもりもないと考えており、モルデアの頼みをできる限り
叶えられるまで、この生活を続けようと考えていた。
そのモルデアの頼み————ベリルとの模擬戦だが、こちらも定期的に実施していた。
さすがに人目があるところで行うには憚られるため、普段は道場での木剣を使用した模擬戦になるが、
月に一度の間隔で、山の付近まで移動したうえで、魔術を使用した戦闘まで行っていった。
宝具の真名解放まで行うことは決してないが、刃を潰した状態であるものの
数多の武器の投影、そして憑依経験による技術模倣を使用して相手を務めていた。
驚くべきは、ベリルの剣士としての技量、対応力である。
並みの武器であれば、初見でも対応することができ、一級の戦士、英霊たちの模倣に対しては
数合、有利を取るように攻めれても、数を重ねるうちに対応できるまで見切っている。
彼自身の眼の良さ、戦術眼、剣士として費やした修練の成せる技であり、
体力や筋力が全盛期から離れていても、衰えを感じさせない技量で喰らいつく。
一方、エミヤもまた、積み重ねた努力により数多の戦士集う英霊の一端に成った者だ。
彼自身の模倣に限りはあれど、そこを補う心眼、そして戦運びにより隙を晒すことなくベリルと対峙する。
連続投影による変化ある数多の攻め手、強化魔術による奇襲や夫婦剣の連携による必殺剣。
剣のみではない試合は、今の時点ではエミヤが勝る。
しかしながら、最近ではベリルが後一手というところまで迫っていた。
そうしてエミヤとベリルは、闘い方、在り方が異なる者同士だが、近い技量で切磋琢磨していき、互いのことを信用していった。
どちらも自分に近い技量の者と鍛錬をするといった経験がないため、高め合える者としての友情も芽生えていた。
◇ ◇ ◇
その日は、よく晴れた日だった。
いつも通りの弟子たちの稽古が終わり、エミヤは道場に残り清掃や備品の点検を行っていた。
まだ日が沈むまで時間があるので、今のうちにフレンに声をかけて夕食を担当させてもらうか、
明日は道場も休みなのだから今夜は多めに作れるポテトのスープを用意するとして、
主食は最近家の裏に場所を借りて組んだ石窯を使って、パンを焼くのも悪くない——
などと頭の中で早速献立を考えながらも、テキパキと手を動かしていくエミヤ。
一通り片付けが落ち着き、ガーデナント家に向かおうと考えていたところ、
不意に外から馬車の音が聞こえてきた。
通常、外から馬車がこの村に来るときは、主に商人だ。
それであれば村の中心地に向かうのが正しいが、音を聞くとこちらの方向に近づいているようだった。
だとしたら、恐らく同乗者はこの道場に用があると思われるが、今まで門下生の関係者でも
馬車を使用していた者にエミヤは心当たりがなかった。
当然ながら敵襲ではないと考えると、客人と判断したエミヤはベリルに声をかけに行く。
来客だろうと伝えるが、ベリルも心当たりはないようだったので、ひとまずは出迎えに行ってもらうことにした。
居候の身であるエミヤが出ても困惑させてしまうだろうし、相手も途中で馬車から降りて歩いてきているようなので
簡単なお茶の用意は必要だろうと、さっそく裏から回り、台所に向かっていく。
かすかに聞こえた話し声は、凛とした女性の声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
アリューシア・シトラス
王国直轄レベリオ騎士団の現団長。
人数分の紅茶を用意したエミヤが部屋に入ると、談笑していた銀髪の女性は席を立ち、自身の素性を明かした。
なぜ騎士団長が片田舎の道場を訪ねるのか、といった疑問はない。
前からベリルが弟子の騎士団長と文通をしていると聞いていた。
もっとも、師弟で近況報告をしている程度だとは聞いていたが、大出世した弟子が多忙の中、時間を見つけて文通を続けているのだから、一定の親愛があるのだろう。
ベリルにも、それとなく伝えたことはあるが、当の本人は律儀な子だからと一点張り。
師である立場と年齢を気にしているのだろうと思い、それ以降話題にすることはなかった。
「騎士団長直々の紹介、感謝する。私はエミヤ。ベリルの家で居候をさせてもらってる身だ」
「貴方がエミヤさんですか…先生からお噂は聞いております」
どうやら、こちらが事前に知っていたように、彼女もベリルから私のことを聞いていたようだ。
ふと、ベリルを見ると困惑顔のまま、固まっていた。
よほど彼女から衝撃の発言を受けたらしい…しばらく放っておきたい気もするが、このままでは話が進まないし、何より紅茶が冷めてしまう。
「もし騎士団長殿が許していただけるなら、私も同席して良いだろうか」
「えぇ、問題ありません。先生に関する話ですので、貴方にも説明させてください」
「…とのことだ。ベリル、紅茶を用意してるから、まずは飲んで一息入れるといい。君も、良ければどうかね?騎士団長殿が見知らぬ男からの飲み物を警戒するのであれば、断ってくれて構わない」
「いえ、ありがたく頂きましょう。先生が信用するお方でしたら、私も信用します」
アリューシアからも許可をいただいたので、早速2人の前に紅茶を置き、自分の椅子を用意する。
ベリルも意識が戻ってきたようで、目の前のコップに手をかけ喉を潤した後、先ほどまで固まっていた理由を私に説明し出した。
「…なるほど、レベリオ騎士団の剣術指南役、とは。また、随分と大役の任命だな」
「そうだろエミヤ。それも国王命令だなんて…どうして俺が…」
どうも、この話はベリルにも事前に話していなかったようで、突然の任命に頭を抱えていたようだ。
無論、その国王命令の信憑性を調べることはできないが、彼女は騎士団長としての地位があるのだから、まず本物と捉えていいだろう。
それでは、何故そのような立場の彼女が、事前に師匠に伝えず話を進めていたかと考えると…
まぁ、間違いなく、前もってベリルに話すと断るから、だろうな。
ベリルの性格上、こうした話は自分に相応しくないと、全力で断るだろう。
人が良い男だが、面倒くさがりなところもあり、何より兼ねてから自分の力量に対して評価が著しく低いのだ。
だが、アリューシアのこの行動は、裏を返せば、それだけベリルの腕前を信頼している証である。
そこで彼女に気を向けると、こちらは紅茶を飲んでから放心している様子だった。
「失礼、騎士団長殿。お口には合わなかったかな」
「いえ、申し訳ありません。あまりの美味しさに驚いていました」
「それは結構。ところで、指南役の件だが、具体的にはいつ頃から求められているのだろうか」
「早速ですが、今から馬車に乗っていただき、首都に来ていただきたいと考えてます。細かな日程調整も早急に進めたいので」
今から!?と、隣で驚くベリルを横目に、少し考える。
これはおそらく良い機会だ。
ベリル自身、剣の頂を望む意思は潰えていない。
一方、過去の経験から、自分のゴールを自分で決めているようだった。
私と打ち合うようになってから、剣士としての腕の上昇に喜んでいるのだから、この村から外に出て、世界の広さを知るといいだろう。
それが、モルデアの望みにも合うはずだ。
「ベリル、これは良い機会だ。まずは話を聞いてくるといい。どうせ国王命令なのだから断れないだろう」
「く、エミヤまで、そう言うのか…分かったよ。アリューシア、よろしく頼むね」
納得はしていないのだろうが、諦めて腹を括ったような表情のベリル。
さて、あとは2人を見送れば良いだけだ、夕飯の献立も少し変更するか、
などと考えていたエミヤは、次のアリューシアの言葉を予想していなかった。
「突然のことで申し訳ありませんが、エミヤさんも同行頂けますか?」
そう、何故か私にも、お声がかかったのだ。
「………理由を訊ねても?国王命令とやらは、あくまでベリルだけだろう」
「えぇ、もちろんです。しかしながら、エミヤさんも、また技量が非常に高い人物と伺ってます。どうか、騎士団の育成にご尽力いただけないでしょうか?」
「…ベリルから、どのように伝わっているか知らないが買い被りだ。私はただの居候だよ。ましてや剣を教えられる技術も無い。役に立たないと思うがね」
横に座るベリルが、何を言ってるのだと目線で訴えてくるが、無視をする。
ベリルのことを面倒くさがりと評価した手前だが、私とて、期待に添えない依頼は一度断るものだ。何より、指導者に向かないと自覚もしている。
剣の教育という点だけであれば、ベリル1人で十分だろう。
だか、そんな私の思惑もアリューシアには通用しなかった。
「ご謙遜を。先生の打ち合いの相手など、普通は務まりません。であれば、エミヤさんの技量が優れていることは自明の理です」
…なるほど、彼女の、師への信頼は、どうやら私が思っていたものより随分と重いらしい。
ベリルを見ると、巻き込まれる人間が増えて、喜んでいるようだ。
まぁ、私が後押しをしたところもあるのだから、この頼みは断りにくいか…
「その過剰な期待に応えられるかは約束できないが、承知した。それでは同行させていただこう」
こうして、ガーデナント夫妻に一声かけた我々は、アリューシアが用意した馬車に乗り込むのだった。
まさか、このような形で王都に赴くとは。
そんな内心の戸惑いに払拭するかのように。
窓から暖かな風が、旅立つ者たちを、そっと後押しした。