片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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いつも読んでいただき、ありがとうございます。
ご感想や反応、励みになります!
時期や皆様の励ましによって意欲も増し、早いペースでお出しできて嬉しいです。

一方、創作自体が、どんな頻度が適切なのか、もっと見直しなさい私と向けたほうがいいのか…
ここまで長く続けられているのに、まだわからない部分です。
日々の仕事や生活では得られない経験を積ませてもらえること、そして何よりお付き合いいただいている皆様に感謝です。

ふと仕事机にいるエミヤさんを見ると和みますので、次はベリル先生グッズを買わねば…並べたい…


【伍章・第5話】『一人分ではない』

騎士団での指南を終えたエミヤのもとへ、ルーシーから使いの者が訪れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

用件は、彼女の屋敷まで来てほしいというもの。

急ぎではあるが、緊急事態というわけではないらしい。

ただし、できれば今日中に顔を出してほしいとのことだった。

 

「相変わらず、強引な御仁だ」

 

小さく息を吐く。

とはいえ、ルーシーがわざわざ使いを寄越したのだ。

何かしらの理由はあるのだろう。

 

思い当たることがないわけではない。

あの老女――フェイ。

 

交友祭の夜、瀕死の状態で救出し、ルーシーへ治療を頼んだ人物だ。

最後に容態を尋ねた時点では、命の危険こそ脱していたものの、意識は戻っていなかった。

その後も何度か様子を確認していたが、彼女が目を覚ましたという知らせは、まだ受けていない。

 

「……もしや、か」

 

エミヤは騎士団の者へ一言断りを入れ、王都の一角にあるルーシーの屋敷へ向かった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「来たか、エミヤ」

 

案内された部屋へ入るなり、聞き慣れた声が飛んできた。

 

「呼び出したのは君だろう。来なければ後が面倒そうだったのでね」

 

いつもの調子で言葉を交わしながら、エミヤは室内へ視線を巡らせる。

そこには、三人の女性がいた。

 

一人は、屋敷の主であるルーシー・ダイアモンド。

外見こそ幼い少女だが、レベリス王国魔法師団の長を務める、卓越した魔術師である。

そして、その隣に座るのは、騎士団長アリューシア・シトラス。

 

「エミヤさん。お忙しいところ、申し訳ありません」

 

「君までいるとはな。騎士団で何か問題でも起きたか?」

 

「いえ。今回は騎士団の業務というより、別件でお呼びしました」

 

そこで、エミヤの視線が三人目へ向いた。

窓際に置かれた寝台。

その上に、年老いた女性が身を起こしている。

 

白髪の混じる髪、深く刻まれた皺。

年齢相応に細くなった身体。

だが、その眼差しだけは違った。

静かにこちらを見据える瞳には、年齢による衰えを感じさせない鋭さが残っている。

 

「…………」

 

女性もまた、エミヤを見ていた。

互いに言葉はない。

やがて、エミヤが先に口を開いた。

 

「……目を覚ましたのだな」

 

「察しが良くて助かるのう」

 

ルーシーが笑う。

エミヤは寝台へ近付いた。

 

「フェイ殿、だったな」

 

老女が静かに頷く。

 

「貴方が、エミヤ様ですか」

 

「そうだ」

 

「お名前は伺っております」

 

フェイは、ゆっくりと頭を下げようとした。

しかし、身体が思うように動かなかったのか、僅かに顔を顰める。

 

「無理はしなくていい」

 

エミヤが制した。

 

「失礼しました」

 

「構わんよ。今は身体を休めることだ」

 

フェイは小さく頷いた。

あの夜、血溜まりの中に倒れていた老女。

暗殺者たちに囲まれ、息絶える瞬間を待たれていた人物。

その彼女が、こうして言葉を交わしている。

 

「無事で何よりだ」

 

エミヤは静かに告げた。

フェイは、ほんの僅かに目を細めた。

 

「ありがとうございます」

 

それだけだった。

だが、エミヤもそれ以上の言葉を求めなかった。

 

「さて。立ち話もなんじゃ」

 

ルーシーが椅子を指差す。

 

「まずは座れ。説明することがある」

 

「そうさせてもらおう」

 

 

 

エミヤが腰を下ろすと、ルーシーは机の上に置かれていた書類を手に取った。

 

「まずは、こやつの容態からじゃな」

 

「頼む」

 

「結論から言えば、命の危険はひとまず脱した。意識も明瞭で、記憶や判断能力にも、今のところ大きな異常は見られん」

 

「それは何よりだ」

 

「じゃが、問題は残っておる」

 

ルーシーの声が、少しだけ真面目なものへ変わった。

 

「脚じゃ。両脚とも十分には動かせん。片腕にも麻痺が残っておる」

 

エミヤはフェイへ視線を向けた。

寝台の上で、老女は静かに座っている。

布団に覆われた脚は動かず、片腕も膝の上に置かれたままだった。

 

「回復の見込みは?」

 

「ないとは言わん。じゃが、いつ、どこまで戻るかは分からん」

 

ルーシーは書類を置く。

 

「魔術による治療にも限界がある。傷を塞ぎ、命を繋ぐことはできても、損なわれた機能が全て元通りになるとは限らんからの」

 

「なるほど」

 

「今は自力で立つことも難しい。移動には人の手を借りる必要があるじゃろう。しばらくは定期的な診察も欠かせん」

 

「…………」

 

説明の区切りを見て、フェイも自身の感触を交えながら淡々と答えた。

 

「以前のように動くことは、もう難しいのでしょう」

 

「お主の国の"奇跡"程ではないが、わしも手を尽くした。それでも、完治は厳しいかのぉ」

 

「ですが、命はあります。それで十分です」

 

慰めを求めるような声音ではなかった。

自らの状態を理解し、その事実を受け入れている。

少なくとも、エミヤにはそう見えた。

 

「……強いものだな」

 

「ただ、現状を理解しているだけですよ」

 

「そうかね」

 

エミヤは、それ以上何も言わなかった。

彼女が何を思い、どのように自身の境遇を受け止めているのか。

それは、まだ分からない。

ただ、同情を向けられることを望んでいるようには見えなかった。

 

「さて、本題に入るぞ」

 

ルーシーが手を叩く。

 

「今の話が本題ではなかったのか?」

 

「治療の説明は必要じゃろう。お主を呼んだ理由は、その先じゃ」

 

何となく、嫌な予感がした。

ルーシーがこのような言い回しをする時は、大抵、ろくなことにならない。

 

「こやつの今後についてじゃ」

 

「今後?」

 

「うむ。いつまでもわしの屋敷に置いておくわけにはいかんのでな」

 

ルーシーはフェイへ視線を向ける。

 

「そもそも、こやつは本来、この国におってよい立場ではない」

 

フェイは、スフェンドヤードバニア王国第一王子グレン・タスマカン・グディルの親衛隊に属する人物だ。

表向きは侍女。

だが、実際には偵察や情報収集を担う、王子の側近でもある。

そのような人物を、友好国とはいえ、レベリス王国が無条件に受け入れるわけにはいかない。

 

「グレン王子からは、引き続き治療と安全の確保を最優先にするよう頼まれておった」

 

ルーシーが続けた。

 

「今すぐ帰国させるつもりもないらしい」

 

「……そうだろうな」

 

エミヤは頷いた。

交友祭の夜に喫茶店を訪れたグレン王子は、フェイが生きていることを知り、心から安堵していた。

同時に、彼女が帰国できない事情も説明している。

教皇派との対立。

そして、フェイが既に戦死したことになっているという事実。

 

ルーシーは腕を組んだ。

 

「わしの屋敷にいる間は問題ない。じゃが、今後もここで暮らし続けるとなれば、話は別じゃ」

 

「君も多忙だからな」

 

「ようやく分かってくれたか」

 

「以前から理解しているつもりだがね」

 

「その割には、夜中に死にかけの人間を担いで来たではないか」

 

以前と同じようなやり取りだった。

エミヤは肩を竦める。

ルーシーは呆れたように息を吐いたが、すぐに表情を戻した。

 

「それに、こやつは他国の情報機関に属していた人物じゃ」

 

「そうだな」

 

「友好国の人間とはいえ、何の制限もなく行動させるわけにはいかん。長年の経験も、知識も、失われたわけではないからの」

 

戦闘能力だけが、脅威となるわけではない。

情報を集める技術や人を動かす術。

フェイがそうした能力を持つ人物であることは、エミヤ自身も理解していた。

 

「つまり、保護と同時に監視も必要というわけか」

 

「そういうことじゃ」

 

そこで、アリューシアが口を開いた。

 

「騎士団としても、フェイさんの保護と監視は必要だと判断しています」

 

「君も事情を知っていたのだな」

 

「はい。交友祭での王子護衛任務の際、彼女とは面識がありました」

 

アリューシアは、寝台の老女へ視線を向けた。

 

「まさか、こうして再びお会いできるとは思っていませんでしたが」

 

「……私もです」

 

フェイが静かに答える。

 

「その節は、お世話になりました」

 

「いえ。こちらこそ」

 

短い挨拶を交わし、アリューシアはエミヤへ向き直った。

 

「フェイさんが生存していることは、現時点では限られた者しか知りません」

 

「ああ」

 

「教皇派は、彼女が戦死したと認識しているはずです。ですが、その認識が覆れば、再び命を狙われる可能性があります」

 

「……そうだな」

 

「ですから、監視だけではなく、護衛の役割も必要なのです」

 

事情は理解できる。

レベリス王国にとって、フェイは保護すべき人物であると同時に、警戒すべき人物でもある。

 

まして、彼女は自力で生活することすら難しい。

監視と介助、そして外部からの襲撃への備え。

その全てを、継続して行う必要がある。

 

「ただし、現実的な問題もあります」

 

アリューシアが続ける。

 

「安全な住居の確保、治療のための移動、日常生活の補助。そして、万が一の事態に対応できる人材の配置です」

 

「……人員か」

 

アリューシアは頷いた。

 

「騎士団として必要な任務であることは理解しています。しかし、一人のために常時複数の団員を配置するのは、簡単なことではありません」

 

エミヤは少し考えた。

 

「それで、どうするつもりなのかね?」

 

ルーシーとアリューシアが、顔を見合わせた。

エミヤの眉が僅かに動く。

 

「……何かね」

 

ルーシーが、にやりと笑った。

 

「お主に監視役を任せようと思っての」

 

「…………」

 

「…………」

 

暫しの沈黙。

 

「……誰に?」

 

「お主にじゃ」

 

「私に?」

 

「うむ」

 

「…………」

 

エミヤは、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……念のため確認するが、冗談ではないのだな?」

 

「わしがこんな話で冗談を言うと思うか?」

 

「普段の君を知っているのでね。可能性は否定できん」

 

「失礼な奴じゃな」

 

ルーシーが笑う。

しかし、エミヤは笑わなかった。

 

「断らせてもらおう」

 

即答だった。

 

「ほう?」

 

「私は騎士団に所属しているわけではない。まして、この国の正式な監視役など務まる立場ではないのだがね」

 

「じゃが、お主ほど適任な者もおらん」

 

ルーシーが遮った。

 

「実力は申し分ない。こやつが何か企んだところで、そう簡単に出し抜かれることもあるまい」

 

「買い被りだな」

 

「謙遜はベリルだけで十分じゃ」

 

隣で、アリューシアが小さく咳払いをした。

 

「それに、お主は既に騎士団で働いておるじゃろう」

 

ルーシーが続ける。

 

「特別指南役補佐として、騎士団との関わりもある。信用という意味でも、どこの誰とも知れぬ者に任せるより余程よい」

 

「だからといって、正式な権限があるわけではあるまい」

 

「その点は、こちらで対応します」

 

アリューシアが答えた。

 

「監督責任は騎士団が負います。エミヤさんにお願いしたいのは、フェイさんの日常生活における監視と、異常があった場合の報告です」

 

「…………」

 

「必要な対応についても、騎士団が支援します。エミヤさんだけに全てを背負わせるつもりはありません」

 

「……そうか」

 

確かに、条件だけを聞けば無理な話ではない。

だが。

 

「一つ、大きな問題がある」

 

「何じゃ?」

 

「私は現在、宿暮らしなのだがね」

 

「うむ」

 

「喫茶店にも寝泊まりできる設備はない。まして、彼女のように介助が必要な者と暮らせる環境ではない」

 

「そうじゃな」

 

「理解しているなら、話は早い」

 

エミヤが頷く。

 

「適任者を探すことを勧めよう。必要なら、私も人選には協力するが――」

 

「家なら用意したぞ」

 

エミヤの言葉が止まった。

 

「……何?」

 

「家じゃ。住居。お主とフェイが暮らすためのな」

 

「…………」

 

「ベリルの時と同じようなものじゃ。ちょうど都合のよい物件があっての。必要な手続きも進めておる」

 

「以前も言ったはずだが、私は一つの場所に腰を落ち着けるつもりはない」

 

「覚えておるよ。じゃから今回は、お主のためだけに用意した家ではない」

 

「…………」

 

「それに、住む場所ができたからといって、ずっとそこにおらねばならんわけでもあるまい」

 

「待ちたまえ」

 

エミヤは額に手を当てた。

 

「何故、私が引き受けることを前提に話が進んでいる?」

 

「引き受けるじゃろ?」

 

「まだ一度も了承していないのだがね」

 

「今、頼んでおるではないか」

 

「頼むという言葉の意味を、君とは一度話し合う必要がありそうだな」

 

ルーシーは楽しそうに笑った。

アリューシアはというと、少し申し訳なさそうな顔をしている。

エミヤは小さく息を吐いた。

 

「そもそも、私はこの国の人間ですらない」

 

「うむ」

 

「彼女を救ったことに異論はない。だが、救助したことと、監視を引き受けることは別の話だろう」

 

「そうじゃな」

 

「ならば、私が責任を負う理由は――」

 

「ほう?」

 

ルーシーが、にやりと笑った。

 

「お主、以前わしに何と言ったか覚えておるか?」

 

「……何の話かね?」

 

「フェイが回復したら、拾ってきた責任を取ってもらうと言ったじゃろう」

 

「…………」

 

「その時、お主は何と言った?」

 

エミヤは、少しだけ視線を逸らした。

 

「……善処すると答えた記憶はあるな」

 

「そうじゃ。ならば、今がその時じゃ」

 

「善処すると言ったのであって、了承したわけではないのだがね」

 

「ほっほっほ。細かい男じゃな」

 

ルーシーは愉快そうに笑った。

 

「まあ、よい。お主なら、結局は断らんじゃろう」

 

「随分と信頼されたものだな」

 

「当然じゃ。わしのところへ、死にかけの人間を担いできた男じゃからの」

 

エミヤは、何も言い返さなかった。

救える命を見捨てるなど、少なくとも、あの時の自分には、そのような選択肢はなかった。

それが、どのような結果を招くとしても。

 

「……まったく」

 

エミヤは天井を仰いだ。

しかし、まだ了承したわけではなかった。

 

「一つ、確認しておきたい」

 

そう言って、寝台へ視線を向ける。

 

「フェイ殿」

 

「はい」

 

「君は、それで構わないのかね?」

 

老女は静かにエミヤを見返した。

 

「私ですか」

 

「ああ」

 

「君自身の今後についてだ。ここまで、我々だけで話を進めてしまったがね」

 

フェイは少しだけ目を伏せた。

そして、淡々と答える。

 

「私の一存で決められることではありません」

 

「ほう?」

 

「私はグレン殿下に仕える身です。現在も、その立場が変わったとは考えておりません」

 

フェイは静かに言葉を続ける。

 

「殿下が治療の継続を望まれたのであれば、私はそれに従います。そのために必要な措置であるならば、異論はありません」

 

あまりにも迷いのない返答だった。

 

「今の私にとって、最優先すべきことは、殿下のご命令を果たすことです」

 

エミヤは暫く、彼女を見つめた。

 

「生きて、治療を続けること。それが殿下のお望みである以上、私は生きなければなりません」

 

「……なるほど」

 

エミヤは小さく頷いた。

そこには、迷いがなかった。

老齢に至り、長年培ってきた技術を活かすこともできず、満足に身体を動かすことすらできなくなった。

そのような境遇に置かれながらも、彼女の中には揺るがないものがある。

 

グレン王子。

彼女にとって、その存在がどれほど大きいものなのか。

エミヤには、まだ測りかねた。

 

「私からも、お尋ねしたいことがあります」

 

不意に、フェイが口を開いた。

 

「答えられることならば」

 

「何故、私を助けたのですか?」

 

部屋が静かになった。

ルーシーも、アリューシアも口を挟まない。

 

「あの時、私は既に死にかけていました」

 

フェイはエミヤを見つめたまま、続ける。

 

「戦闘の最中でした。貴方にとって私は、見ず知らずの人間だったはずです」

 

「そうだな」

 

「しかも、私は年老いた女です。助けたところで、貴方に何かを返せるわけでもありません。それでも貴方は私を助けた……何故ですか?」

 

フェイは、改めて問いかけた。

そこに、責めるような響きはない。

ただ、純粋な疑問だった。

エミヤは少しだけ考える。

だが、返す言葉は決まっていた。

 

「まだ、生きていたからだ」

 

フェイの目が、僅かに見開かれた。

 

「……それだけ、ですか?」

 

「ああ」

 

「私の素性も、年齢も、何も知らずに?」

 

「そうだな」

 

「……随分と、無謀な判断をなさる」

 

「否定はせんよ」

 

エミヤは肩を竦めた。

 

「だが、君が何者であろうと、何歳であろうと」

 

一度、言葉を切る。

 

「それらは、何一つ躊躇う理由にはならん」

 

フェイは、何も言わなかった。

 

「無論、救助が不可能な状況もある。全ての命を救えるなどと、今さら思ってはいない」

 

エミヤは続ける。

 

「だが、あの時は違った。手を伸ばせば、届くと思った。だから、伸ばした。それだけのことだ」

 

静かな声だった。

 

「……そう、ですか」

 

フェイが目を伏せる。

その表情から、何を考えているのかは読み取れなかった。

ただ、しばらくの沈黙の後。

 

「変わった方ですね」

 

そう呟いた。

 

「よく言われる。少しばかり、自覚はあるのでね」

 

「ふふ」

 

僅かだった。

だが、確かにフェイが笑った。

それは、老女がこの部屋で初めて見せた、役目とは関係のない表情だった。

 

「では、もう一つだけ」

 

「何かね?」

 

「貴方は、私を救ったことを後悔していないのですか?」

 

「していないな」

 

今度は、考える間もなかった。

 

「私が今後、貴方に迷惑をかけることになっても?」

 

「既に、十分かけられている気もするがね」

 

フェイが、少しだけ目を丸くした。

エミヤはルーシーを見る。

 

「何しろ、知らぬ間に家まで用意されていたのだからな」

 

「良い話ではないかの。お主は"ここ"で過ごして長いのじゃから、いい加減家ぐらい持たんか」

 

「通常、家なんて、そのように軽率に得るものではない。一般的に人生設計の延長で検討するものだ」

 

「お主、そんな人生設計とは無縁の男じゃろ」

 

ルーシーの返答があまりに的を射ていたので、エミヤは軽口の応酬を切り上げた。

エミヤは、改めて老女へ向き直った。

 

「フェイ殿。一つだけ、約束してもらいたい」

 

「何でしょう」

 

「私は君を監視する立場になる。だが、君を囚人として扱うつもりはない」

 

「…………」

 

「無論、立場上の制約はあるだろう。私も騎士団から任された以上、必要なことは守ってもらう」

 

「承知しております」

 

「それと、もう一つ。何か不自由があれば、遠慮なく言いたまえ」

 

エミヤは少しだけ声を和らげた。

 

「私は医者ではない。できることにも限りがある。だが、少なくとも、生活の面倒くらいは見られるだろう」

 

フェイは暫く、エミヤを見つめていた。

やがて、静かに頭を下げる。

 

「ご厚意、感謝いたします」

 

「礼には及ばん。どうやら、私にも拒否権はないようなのでね」

 

ルーシーが声を上げて笑った。

 

「ようやく決まったのう!」

 

「まだ、細かな条件は聞いていないのだがね」

 

「それは後でよかろう、アリューシア。後の説明は任せたぞ」

 

「はい。エミヤさん、必要な手続きや連絡体制については、私からご説明します」

 

「君まで随分と手際が良いな」

 

「申し訳ありません」

 

そう言いながらも、アリューシアの表情はどこか安堵していた。

エミヤは、深く息を吐く。

結局のところ、最初からこうなるように話が進められていたのだろう。

 

「まったく」

 

呆れたように呟く。

だが、悪い気分ではなかった。

 

「さて、エミヤ」

 

ルーシーが再び声をかける。

 

「まだ何かあるのかね?」

 

「当然じゃ。家を用意したと言ったじゃろう。せっかくじゃ。今から見に行くぞ」

 

エミヤは、しばらくルーシーを見つめた。

 

「君は、私の予定というものを考慮したことがあるのかね?」

 

「あるぞ」

 

「ほう?」

 

「今日は騎士団の指南を終えた後じゃろう?」

 

「…………」

 

「ならば、時間はあるはずじゃ」

 

エミヤは額に手を当てた。

 

「……用意周到なことだ」

 

「褒めても何も出んぞ」

 

「だから、褒めてはいない」

 

そう返しながら、エミヤは椅子から立ち上がった。

その時だった。

 

「エミヤ様」

 

背後から、フェイの声がした。

振り返ると、老女は寝台の上から彼を見ていた。

 

「……殿下は」

 

そこで、言葉が途切れた。

フェイが僅かに唇を結ぶ。

それまでの彼女とは、少しだけ様子が違った。

エミヤは急かさず、次の言葉を待った。

 

「……グレン殿下は、お元気でしたか?」

 

その問いに、エミヤは静かに頷いた。

 

「ああ。以前、私の店を訪ねてきたことがある」

 

「殿下が?」

 

「君のことを随分と気に掛けておられたよ。命が助かったと聞いて、本当に安堵していた」

 

フェイは、ゆっくりと目を伏せた。

 

「……そう、ですか」

 

そこで、老女は口を閉じた。

ただ、膝の上に置かれた手が、僅かに握り込まれていた。

それきり、暫く言葉がなかった。

 

「では、失礼する」

 

エミヤが言う。

フェイは、もう一度頭を下げた。

 

「今後とも、よろしくお願いいたします」

 

エミヤは頷く。

 

「こちらこそ、よろしく頼む」

 

その返答を聞いて、フェイは僅かに目を細めた。

エミヤが部屋を出ようとすると、ルーシーが先に扉へ向かっていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

王都の大通りから一本外れた道を、エミヤはルーシーと並んで歩いていた。

午後の日差しはまだ高い。

行き交う人々の声が響き、荷車が石畳を転がる音が聞こえてくる。

 

「それで、家というのはどこにある?」

 

「もう少し先じゃ。お主の店からも、騎士団の詰所からも、それほど離れておらん」

 

「随分と都合の良い場所だな」

 

「住む者の事情くらいは考えておるわ」

 

「その住む者の意思は、あまり考慮されなかったようだがね」

 

「まだ言うか」

 

ルーシーが呆れたように笑う。

 

「お主も、彼女を放っておくつもりはないのじゃろう?」

 

「……それとこれとは別の話だと思うがね」

 

「ほっほ。ならば、もう少し素直になればよい」

 

「君にだけは言われたくないものだな」

 

そんなやり取りを続けながら、二人は住宅街へ入っていった。

 

大通りの喧騒が少しずつ遠ざかる。

石造りの建物が並ぶ通り。

軒先には花を飾った家もあれば、洗濯物を干している家もある。

王都の中心部ほど華やかではないが、生活の気配が感じられる場所だった。

 

「ここじゃ」

 

ルーシーが足を止める。

エミヤは、目の前の建物を見上げた。

二階建ての一軒家だった。

 

石造りの外壁に、木製の扉。

通りに面した窓は大きく、建物の脇には小さな庭もある。

長く使われていなかったのか、庭には雑草が伸び、外壁にもところどころ傷みが見られた。

しかし、建物そのものはしっかりしている。

 

「……これを?」

 

「うむ」

 

「私に?」

 

「そう言っておるじゃろう」

 

エミヤは、もう一度建物を見上げた。

 

「随分と立派なものを用意したな」

 

ルーシーは懐から鍵を取り出した。

 

「以前は別の者が住んでおったが、今は空き家じゃ。手続きも済ませてある」

 

「随分と早いな」

 

「お主が引き受けると思っておったからの」

 

エミヤは何か言いかけたが、結局、口を閉じた。

今さら文句を言っても仕方がない。

 

「ほれ、入るぞ」

 

ルーシーが扉を開ける。

古い蝶番が、小さく軋んだ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

家の内部は、外観から想像したよりも広かった。

玄関から続く廊下、その先には居間として使えそうな大きな部屋がある。

階段を上がれば、二階にも複数の部屋が用意されていた。

 

エミヤは、一通り室内を見て回った。

建物自体に大きな問題はない。

柱や壁にも目立った損傷はなく、床板も十分に使える。

少々手を入れれば、すぐにでも住み始められるだろう。

もっとも。

 

「このままでは、彼女には不便だな」

 

ルーシーが振り返る。

 

「何か問題でもあるかの?」

 

「問題というほどではないがね」

 

エミヤは廊下へ視線を向けた。

 

「まず、玄関の段差が高い。彼女の脚では、自力で出入りするのは難しいだろう」

 

「ふむ」

 

「廊下も、場所によっては狭い。何らかの移動用具を使うなら、幅を確保する必要がある」

 

「移動用具?」

 

「車輪を付けた椅子のようなものだ。脚を使わずとも、座ったまま移動できる」

 

「ほう。そんなものがあるのか」

 

「……まあ、似たようなものはな」

 

エミヤは曖昧に答えた。

この世界にも荷車や車輪を使った道具はある。

椅子に車輪を付けるという発想自体は、そう突飛なものではないだろう。

 

ただし、フェイの場合は片腕にも麻痺が残っている。

単純に車輪を付けただけでは、自力での移動は難しいかもしれない。

 

「工夫が必要だな」

 

「お主、随分と乗り気ではないか」

 

「必要なことを考えているだけだ」

 

「そういうことにしておこう」

 

エミヤは、聞こえなかったことにした。

建物の構造を確認する。

木材の組み方や壁の厚み、床下の空間。

どこまで手を入れられるか。

その見当を付けながら、頭の中で必要な作業を並べていく。

 

「少々、大掛かりになりそうだな」

 

「必要なら騎士団へ頼めばよい。アリューシアにも話は通してある」

 

エミヤは小さく頷いた。

確かに、人手があれば作業は早い。

もっとも、騎士団の者たちが大工仕事に慣れているとは限らないが。

 

「それなら、少し相談してみるか」

 

「では、あとは好きに使うがよい」

 

「待ちたまえ」

 

「何じゃ?」

 

「一つ、確認しておきたい」

 

エミヤは改めて、家の中を見渡した。

 

「本当に、これを私へ譲るつもりなのか?」

 

「そう言っておるじゃろう」

 

「監視役のための住居として貸し出す、という話ではないのだな?」

 

「うむ。お主の家じゃ」

 

「…………」

 

「フェイの件が片付いた後も、好きに使えばよい」

 

「随分と気前が良いものだな」

 

「わしが誰だと思っておる」

 

「王国最高の魔術師、だったか」

 

「分かっておるではないか」

 

ルーシーは得意げに胸を張った。

エミヤは、そんな彼女を見ながら小さく息を吐く。

 

「……借りを作ってしまったな」

 

「今さらじゃろう」

 

「違いない。では、ありがたく使わせてもらおう」

 

「うむ」

 

ルーシーは満足そうに頷いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

数日後。

家の前には、何人かの騎士団員が集まっていた。

 

「それで、エミヤ殿」

 

一人の団員が、目の前の建物を見上げる。

 

「本当に、ここを改修するんですか?」

 

「ああ」

 

エミヤは頷いた。

 

「住む者の身体に合わせる必要があってね。少々、手を借りたい」

 

「それは構いませんが、我々、大工ではありませんよ?」

 

「承知している」

 

「ならば、何をすれば?」

 

「まずは、庭の片付けと不要な家具の運び出しだ。難しい作業は後ほどギルドを通して専門の者に頼む」

 

「なるほど」

 

「それと、力仕事なら君たちの得意分野だろう?」

 

エミヤがそう言うと、団員たちは顔を見合わせた。

 

「まあ、それはそうですね」

 

「普段から鍛えられてますからね」

 

「誰かさんのおかげで」

 

「ほう?」

 

エミヤが眉を上げる。

 

「随分と余裕がありそうだな。ならば、明日の訓練は少し増やしても――」

 

「いえ!何でもありません!」

 

即答だった。

周囲から笑い声が上がる。

エミヤも、僅かに口元を緩めた。

 

「冗談だ。今日はよろしく頼む」

 

「はい!」

 

そうして、作業が始まった。

まずは庭の雑草を刈り、不要な家具を外へ運び出す。

長く使われていなかった家だけあって、埃も多い。

窓を開け、空気を入れ替える。

古くなった棚や椅子を運び出し、床を掃除する。

 

「エミヤ殿」

 

作業の途中、一人の団員が声をかけてきた。

 

「この家、誰かと住むんですか?」

 

「……まあ、そうなるな」

 

「へえ」

 

団員の顔に、興味が浮かんだ。

 

「どなたです?」

 

「事情があってね。詳しくは話せん」

 

「なるほど」

 

団員は、何やら納得したように頷いた。

 

「分かりました。聞かないことにします」

 

「助かる」

 

「……しかし、エミヤ殿にもそういう相手がいたとは……」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

改修は、思っていたよりも順調に進んだ。

騎士団の協力に加え、必要な部分は専門の職人へ依頼した。

 

玄関には緩やかな傾斜を設ける。

廊下の幅を確保し、段差をできる限りなくす。

一階の一室を寝室として整え、寝台の高さや家具の配置も見直した。

 

「これなら、ある程度は移動できるだろう」

 

エミヤは、完成した廊下を眺めながら呟いた。

ただし、まだ足りないものがある。

 

「やはり、車輪付きの椅子が必要だな」

 

フェイは両脚を満足に動かせない。

移動のたびに誰かが抱えて運ぶのでは、本人にも負担が大きいだろう。

何より、可能な限り、自分の意思で動けるようにしてやりたい。

 

「さて、どうしたものか」

 

エミヤは、机の上に広げた紙へ視線を落とした。

簡単な図面を描いてみたが、構造そのものはそれほど複雑ではない。

だが、問題は操作方法だった。

 

フェイの片腕には、麻痺が残っている。

通常の車輪付き椅子を作っても、自力で真っ直ぐ進むことすら難しいかもしれない。

エミヤは暫く考えた後、図面を畳んだ。

 

「餅は餅屋、か」

 

この世界にも、優秀な職人たちはいる。

ならば、全てを自分一人で作る必要はない。

 

「ギルドへ相談してみるか」

 

そう呟き、エミヤは新たな図面を描き始めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

家の改修が一段落した頃。

エミヤは、ようやく自分自身のための設備へ手を付け始めた。

 

まずは、調理場だった。

元々備え付けられていた設備も、使えないわけではない。

しかし、日常的に料理をすることを考えれば、少々使い勝手が悪い。

 

「この位置では、動線が悪いな」

 

調理台を移動させ、棚の位置を変える。

鍋や包丁を置く場所、食材を保管する場所、水を使う場所。

一つずつ確認しながら、使いやすい配置へ整えていく。

 

次に、食材の保存設備。

この世界にも、氷を利用した保存方法は存在する。

しかし、長期間の保存となれば、設備や費用の問題がある。

 

「ならば、少し工夫するか」

 

エミヤは手を差し出した。

 

「――投影、開始」

 

魔力が流れる。

掌の上に、一振りの短剣が形作られた。

刀身は薄い青色を帯び、周囲の空気を僅かに冷やしている。

 

冷気を帯びた武器。

本来であれば、戦闘で使用するためのものだ。

だが、別に戦闘にしか使えないというわけではない。

 

「これを利用すれば、多少は保存が利くか」

 

木箱の内側へ断熱材を敷き、冷気が逃げにくい構造にする。

そこへ、投影した短剣を収める。

 

「定期的に交換する必要はあるが、まあ、試作品としては十分だろう」

 

戦場で培った技術を、食材の保存に利用する。

この身は魔術使い、魔術に誇りとか、そういうものはない。

あちらの世界でも、サバイバル魔術として食料用の魔術を編み出した者もいたはずだ。

すなわち、使えればよし、だ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

最後に手を付けたのは、地下だった。

エミヤは、家の奥にある床下収納の蓋を開けた。

その下には、狭い空間が広がっている。

元々は、食料や道具を保管するための場所だったのだろう。

 

土台や柱、地面の状態を見る。

無理に掘り進めれば、建物そのものへ影響が出る可能性もある。

 

「慎重にやるべきか」

 

そう呟きながら、エミヤは作業を始めた。

大掛かりな工房を作るつもりはない。

そもそも、エミヤは本格的な魔術研究を生業とする魔術師ではなかった。

必要なのは、投影や道具の製作を行うための、最低限の設備。

それに、もう一つ。

 

「この土地なら、多少は使えるか」

 

エミヤは、床へ手を当てた。

意識を集中させる。

地中を流れる、僅かな魔力の気配を感じる。

この世界にも、魔力の流れは存在する。

ただし、土地によって濃淡があり、誰でも自由に利用できるわけではない。

 

「…………」

 

エミヤは、ゆっくりと魔力を流した。

床へ刻まれた簡素な陣が、淡く光る。

反応は弱いが、全く使えないわけではなかった。

 

「多少、流れを向ける程度なら可能か」

 

地脈そのものを操るような、大掛かりな術式ではない。

元々存在する魔力の流れを、僅かに誘導する。

それによって、工房内での魔力回復を補助する。

 

「効果は限定的だが、ないよりはましだろう」

 

続いて、周囲の壁へ別の術式を刻む。

外部へ魔力が漏れないようにするための、簡易的な遮断。

完全に気配を消せるわけではない。

それでも、多少の隠蔽にはなる。

 

「……これでよし」

 

小さな地下室。

中央には簡素な魔術陣。

壁際には作業台。

道具を置くための棚。

そして、その奥には、もう一つの小部屋を設けてある。

 

エミヤは、その部屋を覗き込んだ。

今のところ、具体的な用途は決めていない。

必要になれば、道具の保管場所にしてもいい。

あるいは、別の作業に使ってもいいだろう。

 

「まあ、追々考えるとしよう」

 

エミヤは立ち上がった。

地下室の灯りを消し、階段を上がる。

その背後で、床に刻まれた魔術陣だけが、淡い光を放っていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

改修を終えた家を、エミヤは一人で見渡していた。

フェイのために整えた寝室。

段差をなくした廊下。

使いやすいように配置を変えた調理場。

そして、地下には小さな工房まで設けてある。

 

当初は、彼女が不自由なく暮らせる場所を用意するだけのつもりだった。

それが、どういうわけか。

自分の使う道具まで、随分と揃えてしまった。

エミヤは小さく息を吐く。

 

「これでは、私まで住み着くつもりのようではないか」

 

誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。

もっとも、今さら片付けるつもりもなかった。

せっかく用意した設備だ。

使わなければ、それこそ勿体ないだろう。

 

そう考え、調理場へ足を向ける。

新しい棚には、食器が並んでいた。

一人分ではない。

 

「…………」

 

エミヤは、それを一瞥する。

そして、何事もなかったように鍋を手に取った。

 

――かつて、家など必要ないと言った。

その考えを改めたつもりは、今もない。

ただ、ここで誰かが暮らすのならば、少しでも不自由のないようにしておきたい。

それだけのことだった。

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