ご感想や反応、励みになります!
時期や皆様の励ましによって意欲も増し、早いペースでお出しできて嬉しいです。
一方、創作自体が、どんな頻度が適切なのか、もっと見直しなさい私と向けたほうがいいのか…
ここまで長く続けられているのに、まだわからない部分です。
日々の仕事や生活では得られない経験を積ませてもらえること、そして何よりお付き合いいただいている皆様に感謝です。
ふと仕事机にいるエミヤさんを見ると和みますので、次はベリル先生グッズを買わねば…並べたい…
騎士団での指南を終えたエミヤのもとへ、ルーシーから使いの者が訪れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
用件は、彼女の屋敷まで来てほしいというもの。
急ぎではあるが、緊急事態というわけではないらしい。
ただし、できれば今日中に顔を出してほしいとのことだった。
「相変わらず、強引な御仁だ」
小さく息を吐く。
とはいえ、ルーシーがわざわざ使いを寄越したのだ。
何かしらの理由はあるのだろう。
思い当たることがないわけではない。
あの老女――フェイ。
交友祭の夜、瀕死の状態で救出し、ルーシーへ治療を頼んだ人物だ。
最後に容態を尋ねた時点では、命の危険こそ脱していたものの、意識は戻っていなかった。
その後も何度か様子を確認していたが、彼女が目を覚ましたという知らせは、まだ受けていない。
「……もしや、か」
エミヤは騎士団の者へ一言断りを入れ、王都の一角にあるルーシーの屋敷へ向かった。
◇ ◇ ◇
「来たか、エミヤ」
案内された部屋へ入るなり、聞き慣れた声が飛んできた。
「呼び出したのは君だろう。来なければ後が面倒そうだったのでね」
いつもの調子で言葉を交わしながら、エミヤは室内へ視線を巡らせる。
そこには、三人の女性がいた。
一人は、屋敷の主であるルーシー・ダイアモンド。
外見こそ幼い少女だが、レベリス王国魔法師団の長を務める、卓越した魔術師である。
そして、その隣に座るのは、騎士団長アリューシア・シトラス。
「エミヤさん。お忙しいところ、申し訳ありません」
「君までいるとはな。騎士団で何か問題でも起きたか?」
「いえ。今回は騎士団の業務というより、別件でお呼びしました」
そこで、エミヤの視線が三人目へ向いた。
窓際に置かれた寝台。
その上に、年老いた女性が身を起こしている。
白髪の混じる髪、深く刻まれた皺。
年齢相応に細くなった身体。
だが、その眼差しだけは違った。
静かにこちらを見据える瞳には、年齢による衰えを感じさせない鋭さが残っている。
「…………」
女性もまた、エミヤを見ていた。
互いに言葉はない。
やがて、エミヤが先に口を開いた。
「……目を覚ましたのだな」
「察しが良くて助かるのう」
ルーシーが笑う。
エミヤは寝台へ近付いた。
「フェイ殿、だったな」
老女が静かに頷く。
「貴方が、エミヤ様ですか」
「そうだ」
「お名前は伺っております」
フェイは、ゆっくりと頭を下げようとした。
しかし、身体が思うように動かなかったのか、僅かに顔を顰める。
「無理はしなくていい」
エミヤが制した。
「失礼しました」
「構わんよ。今は身体を休めることだ」
フェイは小さく頷いた。
あの夜、血溜まりの中に倒れていた老女。
暗殺者たちに囲まれ、息絶える瞬間を待たれていた人物。
その彼女が、こうして言葉を交わしている。
「無事で何よりだ」
エミヤは静かに告げた。
フェイは、ほんの僅かに目を細めた。
「ありがとうございます」
それだけだった。
だが、エミヤもそれ以上の言葉を求めなかった。
「さて。立ち話もなんじゃ」
ルーシーが椅子を指差す。
「まずは座れ。説明することがある」
「そうさせてもらおう」
エミヤが腰を下ろすと、ルーシーは机の上に置かれていた書類を手に取った。
「まずは、こやつの容態からじゃな」
「頼む」
「結論から言えば、命の危険はひとまず脱した。意識も明瞭で、記憶や判断能力にも、今のところ大きな異常は見られん」
「それは何よりだ」
「じゃが、問題は残っておる」
ルーシーの声が、少しだけ真面目なものへ変わった。
「脚じゃ。両脚とも十分には動かせん。片腕にも麻痺が残っておる」
エミヤはフェイへ視線を向けた。
寝台の上で、老女は静かに座っている。
布団に覆われた脚は動かず、片腕も膝の上に置かれたままだった。
「回復の見込みは?」
「ないとは言わん。じゃが、いつ、どこまで戻るかは分からん」
ルーシーは書類を置く。
「魔術による治療にも限界がある。傷を塞ぎ、命を繋ぐことはできても、損なわれた機能が全て元通りになるとは限らんからの」
「なるほど」
「今は自力で立つことも難しい。移動には人の手を借りる必要があるじゃろう。しばらくは定期的な診察も欠かせん」
「…………」
説明の区切りを見て、フェイも自身の感触を交えながら淡々と答えた。
「以前のように動くことは、もう難しいのでしょう」
「お主の国の"奇跡"程ではないが、わしも手を尽くした。それでも、完治は厳しいかのぉ」
「ですが、命はあります。それで十分です」
慰めを求めるような声音ではなかった。
自らの状態を理解し、その事実を受け入れている。
少なくとも、エミヤにはそう見えた。
「……強いものだな」
「ただ、現状を理解しているだけですよ」
「そうかね」
エミヤは、それ以上何も言わなかった。
彼女が何を思い、どのように自身の境遇を受け止めているのか。
それは、まだ分からない。
ただ、同情を向けられることを望んでいるようには見えなかった。
「さて、本題に入るぞ」
ルーシーが手を叩く。
「今の話が本題ではなかったのか?」
「治療の説明は必要じゃろう。お主を呼んだ理由は、その先じゃ」
何となく、嫌な予感がした。
ルーシーがこのような言い回しをする時は、大抵、ろくなことにならない。
「こやつの今後についてじゃ」
「今後?」
「うむ。いつまでもわしの屋敷に置いておくわけにはいかんのでな」
ルーシーはフェイへ視線を向ける。
「そもそも、こやつは本来、この国におってよい立場ではない」
フェイは、スフェンドヤードバニア王国第一王子グレン・タスマカン・グディルの親衛隊に属する人物だ。
表向きは侍女。
だが、実際には偵察や情報収集を担う、王子の側近でもある。
そのような人物を、友好国とはいえ、レベリス王国が無条件に受け入れるわけにはいかない。
「グレン王子からは、引き続き治療と安全の確保を最優先にするよう頼まれておった」
ルーシーが続けた。
「今すぐ帰国させるつもりもないらしい」
「……そうだろうな」
エミヤは頷いた。
交友祭の夜に喫茶店を訪れたグレン王子は、フェイが生きていることを知り、心から安堵していた。
同時に、彼女が帰国できない事情も説明している。
教皇派との対立。
そして、フェイが既に戦死したことになっているという事実。
ルーシーは腕を組んだ。
「わしの屋敷にいる間は問題ない。じゃが、今後もここで暮らし続けるとなれば、話は別じゃ」
「君も多忙だからな」
「ようやく分かってくれたか」
「以前から理解しているつもりだがね」
「その割には、夜中に死にかけの人間を担いで来たではないか」
以前と同じようなやり取りだった。
エミヤは肩を竦める。
ルーシーは呆れたように息を吐いたが、すぐに表情を戻した。
「それに、こやつは他国の情報機関に属していた人物じゃ」
「そうだな」
「友好国の人間とはいえ、何の制限もなく行動させるわけにはいかん。長年の経験も、知識も、失われたわけではないからの」
戦闘能力だけが、脅威となるわけではない。
情報を集める技術や人を動かす術。
フェイがそうした能力を持つ人物であることは、エミヤ自身も理解していた。
「つまり、保護と同時に監視も必要というわけか」
「そういうことじゃ」
そこで、アリューシアが口を開いた。
「騎士団としても、フェイさんの保護と監視は必要だと判断しています」
「君も事情を知っていたのだな」
「はい。交友祭での王子護衛任務の際、彼女とは面識がありました」
アリューシアは、寝台の老女へ視線を向けた。
「まさか、こうして再びお会いできるとは思っていませんでしたが」
「……私もです」
フェイが静かに答える。
「その節は、お世話になりました」
「いえ。こちらこそ」
短い挨拶を交わし、アリューシアはエミヤへ向き直った。
「フェイさんが生存していることは、現時点では限られた者しか知りません」
「ああ」
「教皇派は、彼女が戦死したと認識しているはずです。ですが、その認識が覆れば、再び命を狙われる可能性があります」
「……そうだな」
「ですから、監視だけではなく、護衛の役割も必要なのです」
事情は理解できる。
レベリス王国にとって、フェイは保護すべき人物であると同時に、警戒すべき人物でもある。
まして、彼女は自力で生活することすら難しい。
監視と介助、そして外部からの襲撃への備え。
その全てを、継続して行う必要がある。
「ただし、現実的な問題もあります」
アリューシアが続ける。
「安全な住居の確保、治療のための移動、日常生活の補助。そして、万が一の事態に対応できる人材の配置です」
「……人員か」
アリューシアは頷いた。
「騎士団として必要な任務であることは理解しています。しかし、一人のために常時複数の団員を配置するのは、簡単なことではありません」
エミヤは少し考えた。
「それで、どうするつもりなのかね?」
ルーシーとアリューシアが、顔を見合わせた。
エミヤの眉が僅かに動く。
「……何かね」
ルーシーが、にやりと笑った。
「お主に監視役を任せようと思っての」
「…………」
「…………」
暫しの沈黙。
「……誰に?」
「お主にじゃ」
「私に?」
「うむ」
「…………」
エミヤは、ゆっくりと息を吐いた。
「……念のため確認するが、冗談ではないのだな?」
「わしがこんな話で冗談を言うと思うか?」
「普段の君を知っているのでね。可能性は否定できん」
「失礼な奴じゃな」
ルーシーが笑う。
しかし、エミヤは笑わなかった。
「断らせてもらおう」
即答だった。
「ほう?」
「私は騎士団に所属しているわけではない。まして、この国の正式な監視役など務まる立場ではないのだがね」
「じゃが、お主ほど適任な者もおらん」
ルーシーが遮った。
「実力は申し分ない。こやつが何か企んだところで、そう簡単に出し抜かれることもあるまい」
「買い被りだな」
「謙遜はベリルだけで十分じゃ」
隣で、アリューシアが小さく咳払いをした。
「それに、お主は既に騎士団で働いておるじゃろう」
ルーシーが続ける。
「特別指南役補佐として、騎士団との関わりもある。信用という意味でも、どこの誰とも知れぬ者に任せるより余程よい」
「だからといって、正式な権限があるわけではあるまい」
「その点は、こちらで対応します」
アリューシアが答えた。
「監督責任は騎士団が負います。エミヤさんにお願いしたいのは、フェイさんの日常生活における監視と、異常があった場合の報告です」
「…………」
「必要な対応についても、騎士団が支援します。エミヤさんだけに全てを背負わせるつもりはありません」
「……そうか」
確かに、条件だけを聞けば無理な話ではない。
だが。
「一つ、大きな問題がある」
「何じゃ?」
「私は現在、宿暮らしなのだがね」
「うむ」
「喫茶店にも寝泊まりできる設備はない。まして、彼女のように介助が必要な者と暮らせる環境ではない」
「そうじゃな」
「理解しているなら、話は早い」
エミヤが頷く。
「適任者を探すことを勧めよう。必要なら、私も人選には協力するが――」
「家なら用意したぞ」
エミヤの言葉が止まった。
「……何?」
「家じゃ。住居。お主とフェイが暮らすためのな」
「…………」
「ベリルの時と同じようなものじゃ。ちょうど都合のよい物件があっての。必要な手続きも進めておる」
「以前も言ったはずだが、私は一つの場所に腰を落ち着けるつもりはない」
「覚えておるよ。じゃから今回は、お主のためだけに用意した家ではない」
「…………」
「それに、住む場所ができたからといって、ずっとそこにおらねばならんわけでもあるまい」
「待ちたまえ」
エミヤは額に手を当てた。
「何故、私が引き受けることを前提に話が進んでいる?」
「引き受けるじゃろ?」
「まだ一度も了承していないのだがね」
「今、頼んでおるではないか」
「頼むという言葉の意味を、君とは一度話し合う必要がありそうだな」
ルーシーは楽しそうに笑った。
アリューシアはというと、少し申し訳なさそうな顔をしている。
エミヤは小さく息を吐いた。
「そもそも、私はこの国の人間ですらない」
「うむ」
「彼女を救ったことに異論はない。だが、救助したことと、監視を引き受けることは別の話だろう」
「そうじゃな」
「ならば、私が責任を負う理由は――」
「ほう?」
ルーシーが、にやりと笑った。
「お主、以前わしに何と言ったか覚えておるか?」
「……何の話かね?」
「フェイが回復したら、拾ってきた責任を取ってもらうと言ったじゃろう」
「…………」
「その時、お主は何と言った?」
エミヤは、少しだけ視線を逸らした。
「……善処すると答えた記憶はあるな」
「そうじゃ。ならば、今がその時じゃ」
「善処すると言ったのであって、了承したわけではないのだがね」
「ほっほっほ。細かい男じゃな」
ルーシーは愉快そうに笑った。
「まあ、よい。お主なら、結局は断らんじゃろう」
「随分と信頼されたものだな」
「当然じゃ。わしのところへ、死にかけの人間を担いできた男じゃからの」
エミヤは、何も言い返さなかった。
救える命を見捨てるなど、少なくとも、あの時の自分には、そのような選択肢はなかった。
それが、どのような結果を招くとしても。
「……まったく」
エミヤは天井を仰いだ。
しかし、まだ了承したわけではなかった。
「一つ、確認しておきたい」
そう言って、寝台へ視線を向ける。
「フェイ殿」
「はい」
「君は、それで構わないのかね?」
老女は静かにエミヤを見返した。
「私ですか」
「ああ」
「君自身の今後についてだ。ここまで、我々だけで話を進めてしまったがね」
フェイは少しだけ目を伏せた。
そして、淡々と答える。
「私の一存で決められることではありません」
「ほう?」
「私はグレン殿下に仕える身です。現在も、その立場が変わったとは考えておりません」
フェイは静かに言葉を続ける。
「殿下が治療の継続を望まれたのであれば、私はそれに従います。そのために必要な措置であるならば、異論はありません」
あまりにも迷いのない返答だった。
「今の私にとって、最優先すべきことは、殿下のご命令を果たすことです」
エミヤは暫く、彼女を見つめた。
「生きて、治療を続けること。それが殿下のお望みである以上、私は生きなければなりません」
「……なるほど」
エミヤは小さく頷いた。
そこには、迷いがなかった。
老齢に至り、長年培ってきた技術を活かすこともできず、満足に身体を動かすことすらできなくなった。
そのような境遇に置かれながらも、彼女の中には揺るがないものがある。
グレン王子。
彼女にとって、その存在がどれほど大きいものなのか。
エミヤには、まだ測りかねた。
「私からも、お尋ねしたいことがあります」
不意に、フェイが口を開いた。
「答えられることならば」
「何故、私を助けたのですか?」
部屋が静かになった。
ルーシーも、アリューシアも口を挟まない。
「あの時、私は既に死にかけていました」
フェイはエミヤを見つめたまま、続ける。
「戦闘の最中でした。貴方にとって私は、見ず知らずの人間だったはずです」
「そうだな」
「しかも、私は年老いた女です。助けたところで、貴方に何かを返せるわけでもありません。それでも貴方は私を助けた……何故ですか?」
フェイは、改めて問いかけた。
そこに、責めるような響きはない。
ただ、純粋な疑問だった。
エミヤは少しだけ考える。
だが、返す言葉は決まっていた。
「まだ、生きていたからだ」
フェイの目が、僅かに見開かれた。
「……それだけ、ですか?」
「ああ」
「私の素性も、年齢も、何も知らずに?」
「そうだな」
「……随分と、無謀な判断をなさる」
「否定はせんよ」
エミヤは肩を竦めた。
「だが、君が何者であろうと、何歳であろうと」
一度、言葉を切る。
「それらは、何一つ躊躇う理由にはならん」
フェイは、何も言わなかった。
「無論、救助が不可能な状況もある。全ての命を救えるなどと、今さら思ってはいない」
エミヤは続ける。
「だが、あの時は違った。手を伸ばせば、届くと思った。だから、伸ばした。それだけのことだ」
静かな声だった。
「……そう、ですか」
フェイが目を伏せる。
その表情から、何を考えているのかは読み取れなかった。
ただ、しばらくの沈黙の後。
「変わった方ですね」
そう呟いた。
「よく言われる。少しばかり、自覚はあるのでね」
「ふふ」
僅かだった。
だが、確かにフェイが笑った。
それは、老女がこの部屋で初めて見せた、役目とは関係のない表情だった。
「では、もう一つだけ」
「何かね?」
「貴方は、私を救ったことを後悔していないのですか?」
「していないな」
今度は、考える間もなかった。
「私が今後、貴方に迷惑をかけることになっても?」
「既に、十分かけられている気もするがね」
フェイが、少しだけ目を丸くした。
エミヤはルーシーを見る。
「何しろ、知らぬ間に家まで用意されていたのだからな」
「良い話ではないかの。お主は"ここ"で過ごして長いのじゃから、いい加減家ぐらい持たんか」
「通常、家なんて、そのように軽率に得るものではない。一般的に人生設計の延長で検討するものだ」
「お主、そんな人生設計とは無縁の男じゃろ」
ルーシーの返答があまりに的を射ていたので、エミヤは軽口の応酬を切り上げた。
エミヤは、改めて老女へ向き直った。
「フェイ殿。一つだけ、約束してもらいたい」
「何でしょう」
「私は君を監視する立場になる。だが、君を囚人として扱うつもりはない」
「…………」
「無論、立場上の制約はあるだろう。私も騎士団から任された以上、必要なことは守ってもらう」
「承知しております」
「それと、もう一つ。何か不自由があれば、遠慮なく言いたまえ」
エミヤは少しだけ声を和らげた。
「私は医者ではない。できることにも限りがある。だが、少なくとも、生活の面倒くらいは見られるだろう」
フェイは暫く、エミヤを見つめていた。
やがて、静かに頭を下げる。
「ご厚意、感謝いたします」
「礼には及ばん。どうやら、私にも拒否権はないようなのでね」
ルーシーが声を上げて笑った。
「ようやく決まったのう!」
「まだ、細かな条件は聞いていないのだがね」
「それは後でよかろう、アリューシア。後の説明は任せたぞ」
「はい。エミヤさん、必要な手続きや連絡体制については、私からご説明します」
「君まで随分と手際が良いな」
「申し訳ありません」
そう言いながらも、アリューシアの表情はどこか安堵していた。
エミヤは、深く息を吐く。
結局のところ、最初からこうなるように話が進められていたのだろう。
「まったく」
呆れたように呟く。
だが、悪い気分ではなかった。
「さて、エミヤ」
ルーシーが再び声をかける。
「まだ何かあるのかね?」
「当然じゃ。家を用意したと言ったじゃろう。せっかくじゃ。今から見に行くぞ」
エミヤは、しばらくルーシーを見つめた。
「君は、私の予定というものを考慮したことがあるのかね?」
「あるぞ」
「ほう?」
「今日は騎士団の指南を終えた後じゃろう?」
「…………」
「ならば、時間はあるはずじゃ」
エミヤは額に手を当てた。
「……用意周到なことだ」
「褒めても何も出んぞ」
「だから、褒めてはいない」
そう返しながら、エミヤは椅子から立ち上がった。
その時だった。
「エミヤ様」
背後から、フェイの声がした。
振り返ると、老女は寝台の上から彼を見ていた。
「……殿下は」
そこで、言葉が途切れた。
フェイが僅かに唇を結ぶ。
それまでの彼女とは、少しだけ様子が違った。
エミヤは急かさず、次の言葉を待った。
「……グレン殿下は、お元気でしたか?」
その問いに、エミヤは静かに頷いた。
「ああ。以前、私の店を訪ねてきたことがある」
「殿下が?」
「君のことを随分と気に掛けておられたよ。命が助かったと聞いて、本当に安堵していた」
フェイは、ゆっくりと目を伏せた。
「……そう、ですか」
そこで、老女は口を閉じた。
ただ、膝の上に置かれた手が、僅かに握り込まれていた。
それきり、暫く言葉がなかった。
「では、失礼する」
エミヤが言う。
フェイは、もう一度頭を下げた。
「今後とも、よろしくお願いいたします」
エミヤは頷く。
「こちらこそ、よろしく頼む」
その返答を聞いて、フェイは僅かに目を細めた。
エミヤが部屋を出ようとすると、ルーシーが先に扉へ向かっていた。
◇ ◇ ◇
王都の大通りから一本外れた道を、エミヤはルーシーと並んで歩いていた。
午後の日差しはまだ高い。
行き交う人々の声が響き、荷車が石畳を転がる音が聞こえてくる。
「それで、家というのはどこにある?」
「もう少し先じゃ。お主の店からも、騎士団の詰所からも、それほど離れておらん」
「随分と都合の良い場所だな」
「住む者の事情くらいは考えておるわ」
「その住む者の意思は、あまり考慮されなかったようだがね」
「まだ言うか」
ルーシーが呆れたように笑う。
「お主も、彼女を放っておくつもりはないのじゃろう?」
「……それとこれとは別の話だと思うがね」
「ほっほ。ならば、もう少し素直になればよい」
「君にだけは言われたくないものだな」
そんなやり取りを続けながら、二人は住宅街へ入っていった。
大通りの喧騒が少しずつ遠ざかる。
石造りの建物が並ぶ通り。
軒先には花を飾った家もあれば、洗濯物を干している家もある。
王都の中心部ほど華やかではないが、生活の気配が感じられる場所だった。
「ここじゃ」
ルーシーが足を止める。
エミヤは、目の前の建物を見上げた。
二階建ての一軒家だった。
石造りの外壁に、木製の扉。
通りに面した窓は大きく、建物の脇には小さな庭もある。
長く使われていなかったのか、庭には雑草が伸び、外壁にもところどころ傷みが見られた。
しかし、建物そのものはしっかりしている。
「……これを?」
「うむ」
「私に?」
「そう言っておるじゃろう」
エミヤは、もう一度建物を見上げた。
「随分と立派なものを用意したな」
ルーシーは懐から鍵を取り出した。
「以前は別の者が住んでおったが、今は空き家じゃ。手続きも済ませてある」
「随分と早いな」
「お主が引き受けると思っておったからの」
エミヤは何か言いかけたが、結局、口を閉じた。
今さら文句を言っても仕方がない。
「ほれ、入るぞ」
ルーシーが扉を開ける。
古い蝶番が、小さく軋んだ。
◇ ◇ ◇
家の内部は、外観から想像したよりも広かった。
玄関から続く廊下、その先には居間として使えそうな大きな部屋がある。
階段を上がれば、二階にも複数の部屋が用意されていた。
エミヤは、一通り室内を見て回った。
建物自体に大きな問題はない。
柱や壁にも目立った損傷はなく、床板も十分に使える。
少々手を入れれば、すぐにでも住み始められるだろう。
もっとも。
「このままでは、彼女には不便だな」
ルーシーが振り返る。
「何か問題でもあるかの?」
「問題というほどではないがね」
エミヤは廊下へ視線を向けた。
「まず、玄関の段差が高い。彼女の脚では、自力で出入りするのは難しいだろう」
「ふむ」
「廊下も、場所によっては狭い。何らかの移動用具を使うなら、幅を確保する必要がある」
「移動用具?」
「車輪を付けた椅子のようなものだ。脚を使わずとも、座ったまま移動できる」
「ほう。そんなものがあるのか」
「……まあ、似たようなものはな」
エミヤは曖昧に答えた。
この世界にも荷車や車輪を使った道具はある。
椅子に車輪を付けるという発想自体は、そう突飛なものではないだろう。
ただし、フェイの場合は片腕にも麻痺が残っている。
単純に車輪を付けただけでは、自力での移動は難しいかもしれない。
「工夫が必要だな」
「お主、随分と乗り気ではないか」
「必要なことを考えているだけだ」
「そういうことにしておこう」
エミヤは、聞こえなかったことにした。
建物の構造を確認する。
木材の組み方や壁の厚み、床下の空間。
どこまで手を入れられるか。
その見当を付けながら、頭の中で必要な作業を並べていく。
「少々、大掛かりになりそうだな」
「必要なら騎士団へ頼めばよい。アリューシアにも話は通してある」
エミヤは小さく頷いた。
確かに、人手があれば作業は早い。
もっとも、騎士団の者たちが大工仕事に慣れているとは限らないが。
「それなら、少し相談してみるか」
「では、あとは好きに使うがよい」
「待ちたまえ」
「何じゃ?」
「一つ、確認しておきたい」
エミヤは改めて、家の中を見渡した。
「本当に、これを私へ譲るつもりなのか?」
「そう言っておるじゃろう」
「監視役のための住居として貸し出す、という話ではないのだな?」
「うむ。お主の家じゃ」
「…………」
「フェイの件が片付いた後も、好きに使えばよい」
「随分と気前が良いものだな」
「わしが誰だと思っておる」
「王国最高の魔術師、だったか」
「分かっておるではないか」
ルーシーは得意げに胸を張った。
エミヤは、そんな彼女を見ながら小さく息を吐く。
「……借りを作ってしまったな」
「今さらじゃろう」
「違いない。では、ありがたく使わせてもらおう」
「うむ」
ルーシーは満足そうに頷いた。
◇ ◇ ◇
数日後。
家の前には、何人かの騎士団員が集まっていた。
「それで、エミヤ殿」
一人の団員が、目の前の建物を見上げる。
「本当に、ここを改修するんですか?」
「ああ」
エミヤは頷いた。
「住む者の身体に合わせる必要があってね。少々、手を借りたい」
「それは構いませんが、我々、大工ではありませんよ?」
「承知している」
「ならば、何をすれば?」
「まずは、庭の片付けと不要な家具の運び出しだ。難しい作業は後ほどギルドを通して専門の者に頼む」
「なるほど」
「それと、力仕事なら君たちの得意分野だろう?」
エミヤがそう言うと、団員たちは顔を見合わせた。
「まあ、それはそうですね」
「普段から鍛えられてますからね」
「誰かさんのおかげで」
「ほう?」
エミヤが眉を上げる。
「随分と余裕がありそうだな。ならば、明日の訓練は少し増やしても――」
「いえ!何でもありません!」
即答だった。
周囲から笑い声が上がる。
エミヤも、僅かに口元を緩めた。
「冗談だ。今日はよろしく頼む」
「はい!」
そうして、作業が始まった。
まずは庭の雑草を刈り、不要な家具を外へ運び出す。
長く使われていなかった家だけあって、埃も多い。
窓を開け、空気を入れ替える。
古くなった棚や椅子を運び出し、床を掃除する。
「エミヤ殿」
作業の途中、一人の団員が声をかけてきた。
「この家、誰かと住むんですか?」
「……まあ、そうなるな」
「へえ」
団員の顔に、興味が浮かんだ。
「どなたです?」
「事情があってね。詳しくは話せん」
「なるほど」
団員は、何やら納得したように頷いた。
「分かりました。聞かないことにします」
「助かる」
「……しかし、エミヤ殿にもそういう相手がいたとは……」
◇ ◇ ◇
改修は、思っていたよりも順調に進んだ。
騎士団の協力に加え、必要な部分は専門の職人へ依頼した。
玄関には緩やかな傾斜を設ける。
廊下の幅を確保し、段差をできる限りなくす。
一階の一室を寝室として整え、寝台の高さや家具の配置も見直した。
「これなら、ある程度は移動できるだろう」
エミヤは、完成した廊下を眺めながら呟いた。
ただし、まだ足りないものがある。
「やはり、車輪付きの椅子が必要だな」
フェイは両脚を満足に動かせない。
移動のたびに誰かが抱えて運ぶのでは、本人にも負担が大きいだろう。
何より、可能な限り、自分の意思で動けるようにしてやりたい。
「さて、どうしたものか」
エミヤは、机の上に広げた紙へ視線を落とした。
簡単な図面を描いてみたが、構造そのものはそれほど複雑ではない。
だが、問題は操作方法だった。
フェイの片腕には、麻痺が残っている。
通常の車輪付き椅子を作っても、自力で真っ直ぐ進むことすら難しいかもしれない。
エミヤは暫く考えた後、図面を畳んだ。
「餅は餅屋、か」
この世界にも、優秀な職人たちはいる。
ならば、全てを自分一人で作る必要はない。
「ギルドへ相談してみるか」
そう呟き、エミヤは新たな図面を描き始めた。
◇ ◇ ◇
家の改修が一段落した頃。
エミヤは、ようやく自分自身のための設備へ手を付け始めた。
まずは、調理場だった。
元々備え付けられていた設備も、使えないわけではない。
しかし、日常的に料理をすることを考えれば、少々使い勝手が悪い。
「この位置では、動線が悪いな」
調理台を移動させ、棚の位置を変える。
鍋や包丁を置く場所、食材を保管する場所、水を使う場所。
一つずつ確認しながら、使いやすい配置へ整えていく。
次に、食材の保存設備。
この世界にも、氷を利用した保存方法は存在する。
しかし、長期間の保存となれば、設備や費用の問題がある。
「ならば、少し工夫するか」
エミヤは手を差し出した。
「――投影、開始」
魔力が流れる。
掌の上に、一振りの短剣が形作られた。
刀身は薄い青色を帯び、周囲の空気を僅かに冷やしている。
冷気を帯びた武器。
本来であれば、戦闘で使用するためのものだ。
だが、別に戦闘にしか使えないというわけではない。
「これを利用すれば、多少は保存が利くか」
木箱の内側へ断熱材を敷き、冷気が逃げにくい構造にする。
そこへ、投影した短剣を収める。
「定期的に交換する必要はあるが、まあ、試作品としては十分だろう」
戦場で培った技術を、食材の保存に利用する。
この身は魔術使い、魔術に誇りとか、そういうものはない。
あちらの世界でも、サバイバル魔術として食料用の魔術を編み出した者もいたはずだ。
すなわち、使えればよし、だ。
◇ ◇ ◇
最後に手を付けたのは、地下だった。
エミヤは、家の奥にある床下収納の蓋を開けた。
その下には、狭い空間が広がっている。
元々は、食料や道具を保管するための場所だったのだろう。
土台や柱、地面の状態を見る。
無理に掘り進めれば、建物そのものへ影響が出る可能性もある。
「慎重にやるべきか」
そう呟きながら、エミヤは作業を始めた。
大掛かりな工房を作るつもりはない。
そもそも、エミヤは本格的な魔術研究を生業とする魔術師ではなかった。
必要なのは、投影や道具の製作を行うための、最低限の設備。
それに、もう一つ。
「この土地なら、多少は使えるか」
エミヤは、床へ手を当てた。
意識を集中させる。
地中を流れる、僅かな魔力の気配を感じる。
この世界にも、魔力の流れは存在する。
ただし、土地によって濃淡があり、誰でも自由に利用できるわけではない。
「…………」
エミヤは、ゆっくりと魔力を流した。
床へ刻まれた簡素な陣が、淡く光る。
反応は弱いが、全く使えないわけではなかった。
「多少、流れを向ける程度なら可能か」
地脈そのものを操るような、大掛かりな術式ではない。
元々存在する魔力の流れを、僅かに誘導する。
それによって、工房内での魔力回復を補助する。
「効果は限定的だが、ないよりはましだろう」
続いて、周囲の壁へ別の術式を刻む。
外部へ魔力が漏れないようにするための、簡易的な遮断。
完全に気配を消せるわけではない。
それでも、多少の隠蔽にはなる。
「……これでよし」
小さな地下室。
中央には簡素な魔術陣。
壁際には作業台。
道具を置くための棚。
そして、その奥には、もう一つの小部屋を設けてある。
エミヤは、その部屋を覗き込んだ。
今のところ、具体的な用途は決めていない。
必要になれば、道具の保管場所にしてもいい。
あるいは、別の作業に使ってもいいだろう。
「まあ、追々考えるとしよう」
エミヤは立ち上がった。
地下室の灯りを消し、階段を上がる。
その背後で、床に刻まれた魔術陣だけが、淡い光を放っていた。
◇ ◇ ◇
改修を終えた家を、エミヤは一人で見渡していた。
フェイのために整えた寝室。
段差をなくした廊下。
使いやすいように配置を変えた調理場。
そして、地下には小さな工房まで設けてある。
当初は、彼女が不自由なく暮らせる場所を用意するだけのつもりだった。
それが、どういうわけか。
自分の使う道具まで、随分と揃えてしまった。
エミヤは小さく息を吐く。
「これでは、私まで住み着くつもりのようではないか」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
もっとも、今さら片付けるつもりもなかった。
せっかく用意した設備だ。
使わなければ、それこそ勿体ないだろう。
そう考え、調理場へ足を向ける。
新しい棚には、食器が並んでいた。
一人分ではない。
「…………」
エミヤは、それを一瞥する。
そして、何事もなかったように鍋を手に取った。
――かつて、家など必要ないと言った。
その考えを改めたつもりは、今もない。
ただ、ここで誰かが暮らすのならば、少しでも不自由のないようにしておきたい。
それだけのことだった。