片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

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本話は、これまで幾度か描いてきた、エミヤさんの過去に関するお話となります。
しかしながら、本話は暗く、残酷なシーンを含んでおります。
また、本話を読まずに次の話をお待ちいただいても、物語を追う上で問題ございませんので、
もし過去の回想や、弐章・第1話などの描写が苦手な方は、避けていただけますと幸いです。


【伍章・第6話】『終わらない夢』

ビデン村での帰省を終え、王都へ向かう馬車。

窓の外には、穏やかな田園風景が広がっていた。

 

久しぶりの故郷。

懐かしい人々。

そして、かつて追い続けた父の背中を、今や超えたという実感。

 

ベリルは、静かに目を閉じた。

長旅の疲れもあったのだろう。

馬車の心地よい揺れに身を任せ、いつしか眠りへと落ちていく。

 

そして――。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

最初に聞こえたのは、歓声だった。

大勢の人間が、誰かを讃えている。

 

「助かったぞ!」

 

「もう大丈夫なんだな!?」

 

「ありがとう……本当に、ありがとう……!」

 

男の声。

女の声。

泣きじゃくる子供の声。

それらが幾重にも重なり、まるで祭りのように響いていた。

 

 

「…………?」

 

ベリルは、ゆっくりと目を開いた。

そこは、見知らぬ街だった。

石造りの建物が並ぶ大通り。

あちこちに破壊された荷車が転がり、壁には焼け焦げた跡が残っている。

道の端には、負傷した兵士たちが横たわっていた。

 

戦があったのだろう。

しかし、不思議なことに。

人々の顔には、安堵が浮かんでいた。

誰もが、同じ方向を見つめている。

 

「……ここは」

 

ベリルは、自分の手を見下ろした。

握り締めても感触がない。

地面を踏んでいる感覚も曖昧だった。

 

流石に三度目となれば、ベリルもこの事態が何か予想ができる。

夢だ。

 

ベリルは顔を上げた。

人々が集まる通りの先。

そこに、赤い外套が見えた。

 

「……エミヤ」

 

白い髪。

褐色の肌。

幾度も見慣れた、友人の姿。

ただし、その表情は、普段の彼とは少し違っていた。

 

エミヤは、人々の輪の中心に立っていた。

周囲には倒れた兵士たち。

そして、街を襲っていたのだろう武装した男たちの死体が、幾つも転がっている。

どうやら、戦いは終わったらしい。

 

「貴方が来てくれなければ、街は終わりでした」

 

年老いた男が、エミヤへ深々と頭を下げる。

 

「何と礼を言えばよいのか……」

 

エミヤは――答えない。

 

「……?」

 

ベリルは僅かに目を見開く。

何か、今まで見てきた過去と、空気が違うように感じる。

言葉では説明できない不安感に襲われながら、彼らのやり取りを見るベリルは気づく。

 

エミヤが彼らを見る目に、救ったことを喜ぶ色はなく――ただ、冷めた目をしていることに。

 

ベリルは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

エミヤが、街の奥へ視線を向けていた。

そこには、先ほど礼を述べていた老人と、数人の男たちがいた。

 

「……これで、ようやく終わった」

 

老人が呟く。

 

「奴らさえいなければ、我々はもう一度やり直せる」

 

「ええ。奪われた土地も、財産も、取り戻せます」

 

「捕らえた連中はどうします?」

 

一人の男が尋ねる。

老人は、しばし考えた。

 

「……生かしておけば、また同じことを繰り返す」

 

「今度こそ、根を絶たねばならん」

 

「捕虜も、協力者も、全てだ」

 

男たちが頷く。

その会話を聞いて、ベリルは眉を顰めた。

 

「……おいおい」

 

先ほどまで、街を守れたことを喜んでいた人々だ。

彼らが受けた仕打ちは、決して軽いものではなかったのだろう。

家を焼かれ、家族を失い、長い間苦しめられてきたのかもしれない。

だからこそ、憎しみを抱くことも理解できる。

しかし。

 

「……それでは、また戦になるじゃないか」

 

ベリルの声は、誰にも届かない。

男たちは、既に次の戦いについて話し始めていた。

誰を処刑するか。

どの村を制圧するか。

どこまで兵を進めるか。

守られたはずの街で、新たな争いの準備が、静かに進んでいく。

 

その様子を――エミヤは、ただ見ていた。

 

何も言わない。

老人たちを止めることも。

彼らの話に加わることもない。

 

ただ――結末がすでに分かっているような表情で、ただ、冷たく彼らを見ていた。

 

「……エミヤ?」

 

ベリルは、呼び掛けた。

当然、返事はない。

エミヤが、一歩踏み出す。

その手に光が集まり、剣を、取り出す。

 

「……待て」

 

ベリルは、思わず声を上げた。

彼にも、"先"の展開が、視えた。

そして当然――返事は、ない。

 

一歩。

もう一歩。

エミヤは、老人たちへ歩いていく。

老人が、ようやく彼に気付いた。

 

「おお、英雄殿。丁度よかった。貴方にも――」

 

言葉は、最後まで続かなかった。

白刃が閃き、老人の身体が崩れ落ちる。

 

「…………え?」

 

隣にいた男が、呆然と呟いた。

何が起きたのか、理解できなかったのだろう。

先ほどまで街を救ってくれた英雄が、自分たちの指導者を、斬り捨てた。

 

「な……何を……!」

 

男が叫ぶ。

エミヤは、答えない。

再び、剣が振るわれた。

 

剣が閃く。

次々と男たちが倒れていく。

 

抵抗しようとした者もいた。

武器を抜こうとした者もいた。

しかし、間に合わない。

そもそも、彼らとエミヤでは、あまりにも力が違いすぎた。

彼を止められるものは、何処にも、いない。

 

エミヤは、止まらなかった。

やがて、その場に立っている者は、一人だけになった。

赤い外套の男。

彼は、静かに剣を下ろした。

 

やがて、エミヤの身体が光の粒となって薄れていく。

血を染み込ませた赤い外套が、風に揺れた瞬間。

男の姿は、跡形もなく消えていた。

 

そこには、死体だけが残された。

先ほどまで、英雄を讃える声が響いていた街。

今は、誰の声も、聞こえなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

景色が変わる。

今度は、雪だった。

 

白い大地。

吹き荒れる風。

視界の先まで続く、凍てついた平原。

 

「……っ」

 

ベリルは、思わず身を竦めた。

寒いと、感じた気がした。

夢なのだから、肌を刺す冷気などない。

それでも、目の前の光景は、あまりにも寒々しかった。

 

遠くに、小さな集落が見える。

木造の家々に薄く立ち上る煙。

その周囲を、武装した兵士たちが取り囲んでいた。

 

兵士たちの装備は、先ほどの街とは異なっている。

別の国、あるいは別の時代なのかもしれない。

 

その時、雪原の向こうに、エミヤが現れた。

先ほどと、まったく変わらない姿。

 

「……君は」

 

エミヤが、弓を構えた。

そして――戦いが始まった。

 

 

 

戦闘は、あまりにも一方的だった。

矢が放たれる。

遠くにいた兵士たちが、次々と倒れていく。

 

彼らも抵抗した。

盾を構え、弓を引き、魔術らしき光を放つ。

しかし――そのどれも、エミヤには届かない。

 

白い雪原に、赤い染みが広がっていく。

あまりにも、無駄がなかった。

 

一人を倒すために必要な動作。

次の敵を射抜くまでの時間。

全てが、ただ目的を達成するためだけに組み立てられている。

そこに、慈悲も、哀れみも、使命感さえも――ベリルには見出せなかった。

 

それは、戦士として戦う姿ではなかった。

ただ終わらせるために、人々を殺していった。

 

やがて、兵士たちは全滅した。

集落から、人々が姿を現す。

老人や女性、子供。

誰もが怯えた顔で、赤い外套の男を見つめていた。

一人の少女が、母親の背後から顔を覗かせる。

 

「……あの人が、助けてくれたの?」

 

母親は、答えなかった。

エミヤは、彼らへ近付かない。

ただ、集落の周囲を見渡している。

 

戦いは終わったはずだ。

この戦いに、どのような理由があったか分からないが、敵対していた兵士たちは倒れた。

それなのにエミヤは、弓を下ろさない。

 

集落の人々は、何もしていない。

ただ、兵士たちに囲まれ、怯えていただけだ。

 

エミヤが、弓を引いた。

 

「……っ!」

 

ベリルは、叫んだ。

 

「エミヤ!!」

 

矢が放たれる。

集落の入口に立っていた男が、倒れた。

 

「……え?」

 

誰かが呟いた。

次の矢が、人の命を、容易く奪う。

一射で、その人が積み上げてきた人生を、終わらせていく。

 

人々が、逃げ惑う。

悲鳴が上がる。

母親が子供を抱き締める。

老人が、雪の上に膝をつく。

 

「待ってくれ!」

 

「何故だ!」

 

「私たちは、何も――!」

 

声が、途切れる――頭蓋が吹き飛んだからだ。

 

ベリルは、立ち尽くしていた。

何故。

何故、彼らまで殺すのか。

 

先ほどの街では、まだ理由を推し量ることができた。

新たな争いを起こそうとしていた者たち。

その命を奪うことが正しいとは思わない。だが、少なくとも、エミヤが剣を向けた理由は想像できた。

 

では、この人々は彼らが何をしたというのか。

彼らが生きていることで、いったい何が起こるというのか。

ベリルには、何も分からなかった。

 

「……やめてくれ」

 

声が、震えた。

 

「……頼む」

 

しかし、エミヤは止まらない。

やがて、集落から人の声が消えた。

 

雪だけが、降り続いていた。

白い大地に、赤い染みが幾つも広がっている。

エミヤは、最後の矢を放った後、静かに弓を下ろした。

 

 

何も言わない。

何も、残さない。

そして、また、消えた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「……何故だ」

 

ベリルは呟く。

答える者はいない。

 

夢は、終わらない。

 

 

 

見渡す限り、乾いた大地が広がっている。

崩れた城壁。

砂に埋もれた建物。

風に煽られ、千切れかけた旗が音を立てていた。

 

その中央に、赤い外套の男が立っていた。

 

目の前には、また大勢の人間がいた。

男たちは武器を握っている。

女たちは荷物を抱えている。

子供たちは、崩れた建物の陰に隠れていた。

 

何かから逃げているのだろう。

誰もが疲れ果てていた。

一人の老人が、赤い外套の男へ歩み寄る。

 

「……助けて、くれるのか?」

 

掠れた声だった。

老人は、震える手を差し出した。

 

「もう、戦いたくないんだ」

 

エミヤは、答えなかった。

ただ、老人を見つめていた。

 

「頼む……」

 

老人が、膝をつく。

 

「子供たちだけでも……」

 

その言葉に、ベリルは思わず目を閉じそうになった。

同じような言葉を聞いた。

 

子供だけでも。

せめて、この子だけは。

どうか、助けてくれ。

それは、どこの世界でも変わらない願いだった。

 

赤い外套の男は、静かに右手を上げた。

光が集まる。

老人が、剣を見上げる。

 

老人が倒れた。

一拍遅れて、悲鳴が上がり、人々が走り出す。

 

「逃げろ!」

 

「子供を連れて行け!」

 

「何なんだ、あいつは!」

 

ベリルは、ただ見ていた。

剣を握れるなら、あの男の前へ立ちはだかりたかった。

何故なのかと問い詰めたかった。

 

だが、知っている。

この場所で、自分には何もできない。

 

声は届かない。

手も届かない。

これは、既に終わった出来事なのだ。

血に濡れた、英雄の歩みだ。

 

剣が閃き、悲鳴が上がる。

射出された剣で、人が縫い付けられる。

最後まで我が子を護ると庇った勇敢な母の背中から、子と共に貫かれた剣が見える。

やがて、声が減っていく。

 

最後には、風の音だけが残った。

赤い外套の男が、剣を下ろす。

その周囲には、誰も立っていなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

景色が変わる。

 

海だった。

荒れ狂う波、黒い雲。

海上には、幾隻もの船が浮かんでいる。

その甲板で、人々が争っていた。

 

赤い外套の男が、船の上に現れる。

矢が放たれ、一隻の船が、炎に包まれた。

 

船上の兵士たちが、慌てて海へ飛び込む。

しかし、次の矢が放たれ、海面が激しく爆ぜる。

悲鳴が、波音に呑まれていく。

 

船が沈んだ。

人が死んだ。

そして、戦いが終わった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

病に侵された街だった。

門は閉ざされ、その内側には無数の人々が集まっている。

 

「開けてくれ!」

 

「ここにいたら死んでしまう!」

 

人々は、必死に門を叩いていた。

その向こうには、まだ病の広がっていない街があるのだろう。

 

遠くに、明かりが見えた。

暖かな灯りは人が暮らしている証だった。

そして、門の前には、赤い外套の男が立つ。

 

「……お願いだ」

 

門の内側から、男が声を上げた。

 

「俺たちは、何も悪いことなんてしていない!」

 

その言葉は、正しかったのだろう。

病に罹ったことは、罪ではない。

 

逃げたいと願うことも。

生きたいと願うことも。

何一つ、間違ってはいない。

 

「……開けてくれ」

 

男が、泣きながら訴える。

 

「頼む……」

 

エミヤは、答えなかった。

ただ、弓を構えた。

狙いは、門ではない。

その上に築かれた、巨大な城壁だった。

 

矢が放たれる。

轟音と共に石壁が崩れ落ち、無数の瓦礫が門の前へ雪崩れ込んだ。

人々の悲鳴が上がる。

 

「……あ」

 

誰かが、呆然と呟いた。

逃げ道が、消えていた。

積み重なった瓦礫の向こうには、まだ人々の暮らす街がある。

暖かな灯りも、生き延びるための場所も、確かにある。

 

だが、もう誰も、そこへ辿り着くことはできない。

エミヤは、静かに弓を下ろした。

誰も、助けには来なかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

次は、戦場だった。

次は、雪山だった。

次は、地下深くの研究施設だった。

次は、見知らぬ国の王宮だった。

次は、森だった。

次は、砂漠だった。

 

次は。

次は。

次は。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「…………」

 

ベリルは、いつしか数えることをやめていた。

何度、景色が変わったのだろう。

十度では済まない、もっと、ずっと多く、何度も続いた。

 

夢の中だからか、時間の感覚が、失われていた。

……いや、こんな体験をすれば、きっと彼本人だって、時間の感覚もないはずだ。

 

休みはなく、救いもなく、希望も、ない。

景色が変わり、国が変わり、時代が変わっても、彼は独りだった。

 

幾度戦っても、幾度傷ついても、次の場所に現れる時には、同じ姿に戻っている。

歳を取らない。

傷を残さない。

そして――死ぬこともない。

そんな終わりは、彼には許されなかった。

 

「…………」

 

ベリルは、赤い外套の男を見つめていた。

ある場所では、剣を振るっていた。

ある場所では、弓を引いていた。

ある場所では、無数の剣を降らせていた。

 

戦場には、善人も悪人もいた。

武器を持つ者、持たぬ者もいた。

誰かを殺そうとしていた者がいた。

誰かを守ろうとしていた者がいた。

そして、その誰もが等しく、倒れていった。

 

「…………」

 

銃声が響き爆発が起こる。 / 戦争の音が、耳に残る。

助けを求める声が聞こえる。 / 絶叫と懇願が、耳に残る。

 

そして、彼が通り過ぎた場所から、人の声が消えていく。

最後に残ったのは、炎が瓦礫を焼く音。

崩れた建物の下で、何かが燻る音。

そして、無数の死体に囲まれた、赤い外套の男だけ。

 

「…………」

 

ベリルは、その光景を見つめる。

そこには、勝者などいなかった。

戦いに敗れた誉ある敗者さえ、残っていない。

ただ、全てが終わった場所に、独りで立っている。

 

「……掃除屋、か」

 

不意に、そんな言葉が浮かんだ。

過去、剣の丘で対峙したアーチャーの言葉だ。

その言葉の重みの一部を、ベリルは思い知らされている。

 

戦士ではない。

英雄でもない。

誰かを守るために、戦場へ駆けつけた救世主でもない。

 

争いを終わらせるために。

あるいは、これから起こる争いを未然に防ぐために。

その原因も、結果も、そこにいた人々さえも、残らず片付けていく。

世界の後始末をするためだけに、呼び出される存在。

 

ベリルは、唇を噛んだ。

彼は、誰かを救いたいと願っていた。

ただ、人々が笑って暮らせる世界を望んでいた。

 

そのために剣を取り。

そのために、自らの命を差し出した。

死んだ後も誰かを救えるのなら、それは願ってもないことだと。

あの時の青年は、確かに笑っていた。

 

「……こんな」

 

ベリルの声が、掠れた。

 

「こんなものが……君に与えられた未来だったのか」

 

当然、返事はない。

赤い外套の男は、静かに立っていた。

やがて、その身体が光の粒となって崩れ始める。

ここでの任務(掃除)が、終わったのだ。

 

男の姿が消えていく。

そして、また景色が変わる。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

次の戦場は、静かだった。

既に戦いは終わりかけているらしい。

見渡す限りの荒野には、幾つもの武器が突き刺さっていた。

 

その中央で、赤い外套の男が一人の兵士と向き合っていた。

年の頃は、アリューシアたちとそう変わらないだろう。

鎧は砕け、片足を引きずっている。

握っている剣も、刃が半ばから折れていた。

それでも、彼は立っていた。

 

「……来るな」

 

震える声だった。

 

「来るな……!」

 

エミヤは、歩みを止めない。

兵士は折れた剣を構えた。

 

「俺には……!」

 

その声が、裏返る。

 

「帰らなきゃいけない場所があるんだ!」

 

兵士は、懐から何かを取り出した。

小さな布袋だった。

汚れた布地には、不器用な刺繍が施されている。

 

中から、一つの木彫りの人形が零れ落ちた。

その小さな人形は、子供が作ったものだろう。

顔は歪で、手足の長さも揃っていない。

だが、大切にされていたのだろう。

何度も握り締められたように、表面が滑らかになっていた。

 

「娘が……待ってるんだ……」

 

兵士が、呟く。

 

「まだ、小さいんだよ……」

 

折れた剣が、震えていた。

 

「帰ったら、一緒に遊ぶって……約束したんだ……」

 

エミヤは、何も言わなかった。

兵士が、涙を流す。

 

「頼む……」

 

剣が、地面へ落ちた。

 

「殺さないでくれ……」

 

その場に膝をつく。

 

「俺は……もう、戦わない……」

 

ベリルは、思わず一歩踏み出した。

 

「……エミヤ」

 

目の前の兵士は、既に戦意を失っている。

武器を捨てた。

命乞いをしている。

これ以上、戦う必要などないはずだった。

しかし、赤い外套の男は、剣を下ろさない。

 

「……お願いだ」

 

その瞳には、恐怖があった。

そして、ほんの僅かな希望があった。

もしかしたら、この男は自分を見逃してくれるかもしれない。

そう、信じたかったのだろう。

 

エミヤが剣を振り上げ、刃が振り下ろされる。

兵士の身体が、崩れ落ちた。

 

「…………」

 

ベリルは、動けなかった。

兵士は、もう動かない。

その傍らに、小さな木彫りの人形が転がっている。

 

エミヤは、地面に落ちた人形を拾い上げた。

血と土で汚れた、小さな人形。

それを、じっと見つめる。

そして、人形についた土を指先で払い、倒れた兵士の手の中へ、人形を戻した。

 

景色が変わった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

何もない場所だった。

空は灰色。

大地は白く、どこまでも続いている。

 

建物もない。

木々もない。

人の姿もない。

ただ、赤い外套の男だけが立っていた。

 

「…………」

 

ベリルは、ゆっくりと顔を上げた。

今度は、戦場ではないらしい。

敵もいない。

助けを求める人々もいない。

エミヤは、剣を握っていなかった。

弓も持っていない。

ただ、そこに立っていた。

 

「…………」

 

風さえ、吹いていない。

音もない。

まるで、世界そのものが止まってしまったかのようだった。

 

ベリルは、男の横顔を見つめた。

白い髪。

褐色の肌。

赤い外套。

幾度も見てきた姿だった。

だが、不思議なことに、今のエミヤは、これまで以上に遠く感じられた。

 

「…………」

 

彼は、何もしていない。

誰かを殺しているわけでもない。

剣を振るっているわけでもない。

ただ、立っているだけ。

それなのにベリルには、その姿が何よりも痛ましく見えた。

 

「……エミヤ」

 

呼び掛ける。

返事はない。

 

「……ここには、誰もいないんだね」

 

何もない世界。

誰もいない場所。

そこに、男が一人。

 

「……君は、ずっと……」

 

言葉が、途切れた。

ずっと、一人だったのか。

そう尋ねようとして、やめた。

 

エミヤが、ほんの一瞬、静かに目を閉じた。

それだけだった。

そして、彼の身体が光に包まれた。

 

「……っ!」

 

ベリルは、反射的に手を伸ばした。

 

「待ってくれ!」

 

声が響く。

 

「もう、十分だろう!」

 

届かない。

 

「これ以上、何を……!」

 

赤い外套が、光の中へ消えていく。

 

「エミヤ!!」

 

男は、振り返らなかった。

そして――次はベリルが、置いて行かれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「…………っ!」

 

ベリルは、目を開いた。

馬車の天井だった。

車輪が、石を踏む音が聞こえる。

規則正しい振動が、身体へ伝わってきた。

 

「……先生、大丈夫っす?」

 

聞き慣れた声だった。

顔を向けると、クルニが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

隣では、ヘンブリッツも眉を寄せている。

ミュイに至っては、何も言わずにベリルの顔を見つめていた。

 

「……ごめん。ちょっと、夢見が悪くてね。大丈夫だよ」

 

いつものように笑ってみせる。

年長者として皆に心配をかけてはいけないと、ベリルは返事をした。

気を抜くと、今も夢で聞こえた悲鳴が蘇るが、ここにはミュイがいる。

なおさら、少女を不安にさせてはいけない。

 

だが、思ったよりも上手く笑えなかったらしい。

 

「ベリル殿、顔色が優れませんな。少し休憩を入れましょうか」

 

ヘンブリッツが、御者の方へ目を向ける。

 

「いや、大丈夫だよ。もう王都も近いしね」

 

「でも、先生。水くらい飲んだ方がいいっすよ」

 

クルニが、水筒を差し出してくれた。

 

「……ありがとう、クルニ」

 

受け取った水を、ゆっくりと喉へ流し込む。

冷たい水だった。

そして、深呼吸を数度行い、気持ちを落ち着かせる。

 

夢の中で聞いた悲鳴が、まだ耳の奥に残っている。

目を閉じれば、赤い外套の男が、また次の戦場へ消えていく光景が浮かびそうだった。

 

「……おっさん」

 

隣から、小さな声がした。

 

「無理すんなよ」

 

ミュイは、それだけ言って窓の外へ顔を向けた。

 

ベリルは、三人を見回した。

誰も、夢の内容を聞こうとはしない。

ただ、彼の様子を心配してくれている。

 

「……うん。ありがとう」

 

そう答えると、ベリルは窓の外へ目を向けた。

穏やかな空だった。

遠くには、王都の城壁が見え始めている。

 

馬車は、王都へ向かって進んでいく。

その揺れに身を任せながら、ベリルはもう一度、目を閉じた。

今度は、眠らなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

王都へ戻った頃には、日が傾き始めていた。

ヘンブリッツやクルニと別れた後、ミュイと共に自宅に帰ったベリルは、家の前に書置きを見つけた。

それはエミヤからのものであり、内容は端的だった。

 

「――え?エミヤが村に?」

 

ベリルが、目を瞬かせる。

どうやら、おやじ殿に呼ばれたらしく、入れ違いの形ですでに王都を出ているらしい。

ビデン村では、エミヤを呼び戻す話は聞いていなかった。

それなら最初から、一緒に帰るよう言えばよかったし、ベリルに伝言すればよかったはずだが、おやじ殿の考えは読めない。

 

悩んでも仕方ないと、思考を変えて夕食の話を出そうとしたとき、ミュイから声がかかる。

 

「……おっさん、外で吞んで来いよ」

 

「え?いやいや、一緒に食べようよ?」

 

「いい。あたしは一人で勝手に食べる。だから、今日は外に行って」

 

「どうして?何か、ミュイを怒らせること、しちゃったかな?」

 

「そういうことじゃねぇって」

 

ミュイは、面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「帰りに見た夢、悪かったんだろ」

 

「……うん。まあ、そうだね」

 

「だったら、気分転換してこいよ。あたしに気ぃ遣って、無理にここにいることねぇだろ」

 

「でも、ミュイの夕食は?」

 

「自分で何とかできるって。もう子供じゃねぇんだから」

 

そう言って、ミュイはそっぽを向いた。

ベリルは、思わず小さく笑ってしまう。

いつの間にか、こんなふうに人を気遣えるようになっていたらしい。

 

少しばかり申し訳なさもある。

だが、それ以上に、少女の成長が嬉しかった。

 

「……ありがとう、ミュイ。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

「おう。楽しんでこいよ」

 

そうしてベリルは、久しぶりに一人で夜の街へ出ることになった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

そして、酒場で一人吞んでいたベリルだったが、いつの間にか見つかったのか、気づけば弟子たちに囲まれていた。

アリューシア、ヘンブリッツ、クルニだ。

騎士団メンバーということもあり、時間が合うときは一緒に吞むこともあった。

 

……とはいえ、今日に関しては、恐らく偶然ではない。

ヘンブリッツ君が、気をまわしてくれたのだろう。

直接教えてもらえなくても、そうした温かな配慮に、ベリルは静かに感謝していた。

 

酒席の話題は次々と変わるもので、初めはビデン村の出来事の報告や、両親の現況を話した後、不在中の王都の話に移り変わった。

 

「さすがはエミヤ殿。不在の間に弓兵への対処を想定した訓練までされていたとは。私も参加したかったですな」

 

ヘンブリッツが、感心したように頷いた。

 

「騎士団の皆も、非常に勉強になったと話していました。次も予定されているそうですから、その際はヘンブリッツもクルニも参加できるといいですね」

 

アリューシアが答える。

 

「そういえば、エミヤさんの話なら、私もさっきバルデルさんの所で聞いたっす!」

 

「ほう。鍛冶屋ですか」

 

「スレナさんと一緒に来てたみたいっすよ。何か、色々と見せてもらったとか」

 

「リサンデラと、ですか?エミヤさんが武器を購入する姿は想像しにくいですが、剣士として興味があったのかもしれませんね」

 

「そういうことでしたら、私もエミヤ殿の話を聞きましたよ」

 

ヘンブリッツが笑いながら話す。

 

「先ほど、魔術学院に言伝を届けた際、フィッセル殿とお会いしまして」

 

「フィスちゃんっすか!?」

 

「ええ。どうやら、エミヤ殿と一日中模擬戦を繰り返していたそうです」

 

「一日中……さすがフィスちゃんっす……普通、そこまでやらないっすよ」

 

「彼女にとって、エミヤさんはまだ恐怖を感じてもおかしくない相手です。克服しようとされたのでしょうか。さすがは魔法師団の若きエースですね」

 

「うーん、多分フィスちゃんは、負けず嫌いの方が大きいと思うっす」

 

その言葉に、アリューシアとヘンブリッツが笑った。

ベリルも、思わず口元を緩める。

フィッセルらしい話だった。

 

次々と、ベリルたちが不在の間に行っていた彼の生活を聞いていく。

きっと、ヘンブリッツ君だけでなく、二人にも気を使わせてしまったのだろう。

そこから話題は、エミヤの料理や、今後の騎士団での指南へと移っていった。

 

どれも、他愛のない話だった。

誰かが笑い、誰かが呆れ、また別の誰かが思い出を語る。

先ほどまで会話の中心にいた彼は、今、この席にはいない。

それでも。

 

「…………」

 

ベリルは、静かに杯を傾けた。

夢の中で、彼はいつも一人だった。

戦いが終われば、誰にも見送られずに消えていく。

けれど今は、こうして、彼がいない場所でも彼の話をする人たちがいる。

彼の知らないところで、彼を思い出して笑う人たちがいる。

 

「……そうか」

 

ベリルは、小さく笑った。

 

「……良かった」

 

「先生?」

 

アリューシアが、不思議そうに首を傾げる。

 

「いや、何でもないよ」

 

ベリルは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ただ、君たちの話を聞けて良かったと思ってね」

 

そう答え、もう一度杯を傾ける。

酒場には、笑い声が響いていた。

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