片田舎の剣聖 錬鉄の英霊   作:ナチュル志保

54 / 54
本話は、これまで幾度か描いてきた、エミヤの過去に関するお話となります。
しかしながら、本話は暗く、残酷なシーンを含んでおります。
また、本話を読まずに次の話をお待ちいただいても、物語を追う上で問題ございませんので、
もし過去の回想や、弐章・第1話などの描写が苦手な方は、避けていただけますと幸いです。


【伍章・第6話】『終わらない夢』

ビデン村での帰省を終え、王都へ向かう馬車。

窓の外には、穏やかな田園風景が広がっていた。

 

久しぶりの故郷。

懐かしい人々。

そして、かつて追い続けた父の背中を、今や超えたという実感。

 

ベリルは、静かに目を閉じた。

長旅の疲れもあったのだろう。

馬車の心地よい揺れに身を任せ、いつしか眠りへと落ちていく。

 

そして――。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

最初に聞こえたのは、歓声だった。

大勢の人間が、誰かを讃えている。

 

「助かったぞ!」

 

「もう大丈夫なんだな!?」

 

「ありがとう……本当に、ありがとう……!」

 

男の声。

女の声。

泣きじゃくる子供の声。

それらが幾重にも重なり、まるで祭りのように響いていた。

 

 

「…………?」

 

ベリルは、ゆっくりと目を開いた。

そこは、見知らぬ街だった。

石造りの建物が並ぶ大通り。

あちこちに破壊された荷車が転がり、壁には焼け焦げた跡が残っている。

道の端には、負傷した兵士たちが横たわっていた。

 

戦があったのだろう。

しかし、不思議なことに。

人々の顔には、安堵が浮かんでいた。

誰もが、同じ方向を見つめている。

 

「……ここは」

 

ベリルは、自分の手を見下ろした。

握り締めても感触がない。

地面を踏んでいる感覚も曖昧だった。

 

流石に三度目となれば、ベリルもこの事態が何か予想ができる。

夢だ。

 

ベリルは顔を上げた。

人々が集まる通りの先。

そこに、赤い外套が見えた。

 

「……エミヤ」

 

白い髪。

褐色の肌。

幾度も見慣れた、友人の姿。

ただし、その表情は、普段の彼とは少し違っていた。

 

エミヤは、人々の輪の中心に立っていた。

周囲には倒れた兵士たち。

そして、街を襲っていたのだろう武装した男たちの死体が、幾つも転がっている。

どうやら、戦いは終わったらしい。

 

「貴方が来てくれなければ、街は終わりでした」

 

年老いた男が、エミヤへ深々と頭を下げる。

 

「何と礼を言えばよいのか……」

 

エミヤは――答えない。

 

「……?」

 

ベリルは僅かに目を見開く。

何か、今まで見てきた過去と、空気が違うように感じる。

言葉では説明できない不安感に襲われながら、彼らのやり取りを見るベリルは気づく。

 

エミヤが彼らを見る目に、救ったことを喜ぶ色はなく――ただ、冷めた目をしていることに。

 

ベリルは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

エミヤが、街の奥へ視線を向けていた。

そこには、先ほど礼を述べていた老人と、数人の男たちがいた。

 

「……これで、ようやく終わった」

 

老人が呟く。

 

「奴らさえいなければ、我々はもう一度やり直せる」

 

「ええ。奪われた土地も、財産も、取り戻せます」

 

「捕らえた連中はどうします?」

 

一人の男が尋ねる。

老人は、しばし考えた。

 

「……生かしておけば、また同じことを繰り返す」

 

「今度こそ、根を絶たねばならん」

 

「捕虜も、協力者も、全てだ」

 

男たちが頷く。

その会話を聞いて、ベリルは眉を顰めた。

 

「……おいおい」

 

先ほどまで、街を守れたことを喜んでいた人々だ。

彼らが受けた仕打ちは、決して軽いものではなかったのだろう。

家を焼かれ、家族を失い、長い間苦しめられてきたのかもしれない。

だからこそ、憎しみを抱くことも理解できる。

しかし。

 

「……それでは、また戦になるじゃないか」

 

ベリルの声は、誰にも届かない。

男たちは、既に次の戦いについて話し始めていた。

誰を処刑するか。

どの村を制圧するか。

どこまで兵を進めるか。

守られたはずの街で、新たな争いの準備が、静かに進んでいく。

 

その様子を――エミヤは、ただ見ていた。

 

何も言わない。

老人たちを止めることも。

彼らの話に加わることもない。

 

ただ――結末がすでに分かっているような表情で、ただ、冷たく彼らを見ていた。

 

「……エミヤ?」

 

ベリルは、呼び掛けた。

当然、返事はない。

エミヤが、一歩踏み出す。

その手に光が集まり、剣を、取り出す。

 

「……待て」

 

ベリルは、思わず声を上げた。

彼にも、"先"の展開が、視えた。

そして当然――返事は、ない。

 

一歩。

もう一歩。

エミヤは、老人たちへ歩いていく。

老人が、ようやく彼に気付いた。

 

「おお、英雄殿。丁度よかった。貴方にも――」

 

言葉は、最後まで続かなかった。

白刃が閃き、老人の身体が崩れ落ちる。

 

「…………え?」

 

隣にいた男が、呆然と呟いた。

何が起きたのか、理解できなかったのだろう。

先ほどまで街を救ってくれた英雄が、自分たちの指導者を、斬り捨てた。

 

「な……何を……!」

 

男が叫ぶ。

エミヤは、答えない。

再び、剣が振るわれた。

 

剣が閃く。

次々と男たちが倒れていく。

 

抵抗しようとした者もいた。

武器を抜こうとした者もいた。

しかし、間に合わない。

そもそも、彼らとエミヤでは、あまりにも力が違いすぎた。

彼を止められるものは、何処にも、いない。

 

エミヤは、止まらなかった。

やがて、その場に立っている者は、一人だけになった。

赤い外套の男。

彼は、静かに剣を下ろした。

 

やがて、エミヤの身体が光の粒となって薄れていく。

血を染み込ませた赤い外套が、風に揺れた瞬間。

男の姿は、跡形もなく消えていた。

 

そこには、死体だけが残された。

先ほどまで、英雄を讃える声が響いていた街。

今は、誰の声も、聞こえなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

景色が変わる。

今度は、雪だった。

 

白い大地。

吹き荒れる風。

視界の先まで続く、凍てついた平原。

 

「……っ」

 

ベリルは、思わず身を竦めた。

寒いと、感じた気がした。

夢なのだから、肌を刺す冷気などない。

それでも、目の前の光景は、あまりにも寒々しかった。

 

遠くに、小さな集落が見える。

木造の家々に薄く立ち上る煙。

その周囲を、武装した兵士たちが取り囲んでいた。

 

兵士たちの装備は、先ほどの街とは異なっている。

別の国、あるいは別の時代なのかもしれない。

 

その時、雪原の向こうに、エミヤが現れた。

先ほどと、まったく変わらない姿。

 

「……君は」

 

エミヤが、弓を構えた。

そして――戦いが始まった。

 

 

 

戦闘は、あまりにも一方的だった。

矢が放たれる。

遠くにいた兵士たちが、次々と倒れていく。

 

彼らも抵抗した。

盾を構え、弓を引き、魔術らしき光を放つ。

しかし――そのどれも、エミヤには届かない。

 

白い雪原に、赤い染みが広がっていく。

あまりにも、無駄がなかった。

 

一人を倒すために必要な動作。

次の敵を射抜くまでの時間。

全てが、ただ目的を達成するためだけに組み立てられている。

そこに、慈悲も、哀れみも、使命感さえも――ベリルには見出せなかった。

 

それは、戦士として戦う姿ではなかった。

ただ終わらせるために、人々を殺していった。

 

やがて、兵士たちは全滅した。

集落から、人々が姿を現す。

老人や女性、子供。

誰もが怯えた顔で、赤い外套の男を見つめていた。

一人の少女が、母親の背後から顔を覗かせる。

 

「……あの人が、助けてくれたの?」

 

母親は、答えなかった。

エミヤは、彼らへ近付かない。

ただ、集落の周囲を見渡している。

 

戦いは終わったはずだ。

この戦いに、どのような理由があったか分からないが、敵対していた兵士たちは倒れた。

それなのにエミヤは、弓を下ろさない。

 

集落の人々は、何もしていない。

ただ、兵士たちに囲まれ、怯えていただけだ。

 

エミヤが、弓を引いた。

 

「……っ!」

 

ベリルは、叫んだ。

 

「エミヤ!!」

 

矢が放たれる。

集落の入口に立っていた男が、倒れた。

 

「……え?」

 

誰かが呟いた。

次の矢が、人の命を、容易く奪う。

一射で、その人が積み上げてきた人生を、終わらせていく。

 

人々が、逃げ惑う。

悲鳴が上がる。

母親が子供を抱き締める。

老人が、雪の上に膝をつく。

 

「待ってくれ!」

 

「何故だ!」

 

「私たちは、何も――!」

 

声が、途切れる――頭蓋が吹き飛んだからだ。

 

ベリルは、立ち尽くしていた。

何故。

何故、彼らまで殺すのか。

 

先ほどの街では、まだ理由を推し量ることができた。

新たな争いを起こそうとしていた者たち。

その命を奪うことが正しいとは思わない。だが、少なくとも、エミヤが剣を向けた理由は想像できた。

 

では、この人々は彼らが何をしたというのか。

彼らが生きていることで、いったい何が起こるというのか。

ベリルには、何も分からなかった。

 

「……やめてくれ」

 

声が、震えた。

 

「……頼む」

 

しかし、エミヤは止まらない。

やがて、集落から人の声が消えた。

 

雪だけが、降り続いていた。

白い大地に、赤い染みが幾つも広がっている。

エミヤは、最後の矢を放った後、静かに弓を下ろした。

 

 

何も言わない。

何も、残さない。

そして、また、消えた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「……何故だ」

 

ベリルは呟く。

答える者はいない。

 

夢は、終わらない。

 

 

 

見渡す限り、乾いた大地が広がっている。

崩れた城壁。

砂に埋もれた建物。

風に煽られ、千切れかけた旗が音を立てていた。

 

その中央に、赤い外套の男が立っていた。

 

目の前には、また大勢の人間がいた。

男たちは武器を握っている。

女たちは荷物を抱えている。

子供たちは、崩れた建物の陰に隠れていた。

 

何かから逃げているのだろう。

誰もが疲れ果てていた。

一人の老人が、赤い外套の男へ歩み寄る。

 

「……助けて、くれるのか?」

 

掠れた声だった。

老人は、震える手を差し出した。

 

「もう、戦いたくないんだ」

 

エミヤは、答えなかった。

ただ、老人を見つめていた。

 

「頼む……」

 

老人が、膝をつく。

 

「子供たちだけでも……」

 

その言葉に、ベリルは思わず目を閉じそうになった。

同じような言葉を聞いた。

 

子供だけでも。

せめて、この子だけは。

どうか、助けてくれ。

それは、どこの世界でも変わらない願いだった。

 

赤い外套の男は、静かに右手を上げた。

光が集まる。

老人が、剣を見上げる。

 

老人が倒れた。

一拍遅れて、悲鳴が上がり、人々が走り出す。

 

「逃げろ!」

 

「子供を連れて行け!」

 

「何なんだ、あいつは!」

 

ベリルは、ただ見ていた。

剣を握れるなら、あの男の前へ立ちはだかりたかった。

何故なのかと問い詰めたかった。

 

だが、知っている。

この場所で、自分には何もできない。

 

声は届かない。

手も届かない。

これは、既に終わった出来事なのだ。

血に濡れた、英雄の歩みだ。

 

剣が閃き、悲鳴が上がる。

射出された剣で、人が縫い付けられる。

最後まで我が子を護ると庇った勇敢な母の背中から、子と共に貫かれた剣が見える。

やがて、声が減っていく。

 

最後には、風の音だけが残った。

赤い外套の男が、剣を下ろす。

その周囲には、誰も立っていなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

景色が変わる。

 

海だった。

荒れ狂う波、黒い雲。

海上には、幾隻もの船が浮かんでいる。

その甲板で、人々が争っていた。

 

赤い外套の男が、船の上に現れる。

矢が放たれ、一隻の船が、炎に包まれた。

 

船上の兵士たちが、慌てて海へ飛び込む。

しかし、次の矢が放たれ、海面が激しく爆ぜる。

悲鳴が、波音に呑まれていく。

 

船が沈んだ。

人が死んだ。

そして、戦いが終わった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

病に侵された街だった。

門は閉ざされ、その内側には無数の人々が集まっている。

 

「開けてくれ!」

 

「ここにいたら死んでしまう!」

 

人々は、必死に門を叩いていた。

その向こうには、まだ病の広がっていない街があるのだろう。

 

遠くに、明かりが見えた。

暖かな灯りは人が暮らしている証だった。

そして、門の前には、赤い外套の男が立つ。

 

「……お願いだ」

 

門の内側から、男が声を上げた。

 

「俺たちは、何も悪いことなんてしていない!」

 

その言葉は、正しかったのだろう。

病に罹ったことは、罪ではない。

 

逃げたいと願うことも。

生きたいと願うことも。

何一つ、間違ってはいない。

 

「……開けてくれ」

 

男が、泣きながら訴える。

 

「頼む……」

 

エミヤは、答えなかった。

ただ、弓を構えた。

狙いは、門ではない。

その上に築かれた、巨大な城壁だった。

 

矢が放たれる。

轟音と共に石壁が崩れ落ち、無数の瓦礫が門の前へ雪崩れ込んだ。

人々の悲鳴が上がる。

 

「……あ」

 

誰かが、呆然と呟いた。

逃げ道が、消えていた。

積み重なった瓦礫の向こうには、まだ人々の暮らす街がある。

暖かな灯りも、生き延びるための場所も、確かにある。

 

だが、もう誰も、そこへ辿り着くことはできない。

エミヤは、静かに弓を下ろした。

誰も、助けには来なかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

次は、戦場だった。

次は、雪山だった。

次は、地下深くの研究施設だった。

次は、見知らぬ国の王宮だった。

次は、森だった。

次は、砂漠だった。

 

次は。

次は。

次は。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「…………」

 

ベリルは、いつしか数えることをやめていた。

何度、景色が変わったのだろう。

十度では済まない、もっと、ずっと多く、何度も続いた。

 

夢の中だからか、時間の感覚が、失われていた。

……いや、こんな体験をすれば、きっと彼本人だって、時間の感覚もないはずだ。

 

休みはなく、救いもなく、希望も、ない。

景色が変わり、国が変わり、時代が変わっても、彼は独りだった。

 

幾度戦っても、幾度傷ついても、次の場所に現れる時には、同じ姿に戻っている。

歳を取らない。

傷を残さない。

そして――死ぬこともない。

そんな終わりは、彼には許されなかった。

 

「…………」

 

ベリルは、赤い外套の男を見つめていた。

ある場所では、剣を振るっていた。

ある場所では、弓を引いていた。

ある場所では、無数の剣を降らせていた。

 

戦場には、善人も悪人もいた。

武器を持つ者、持たぬ者もいた。

誰かを殺そうとしていた者がいた。

誰かを守ろうとしていた者がいた。

そして、その誰もが等しく、倒れていった。

 

「…………」

 

銃声が響き爆発が起こる。 / 戦争の音が、耳に残る。

助けを求める声が聞こえる。 / 絶叫と懇願が、耳に残る。

 

そして、彼が通り過ぎた場所から、人の声が消えていく。

最後に残ったのは、炎が瓦礫を焼く音。

崩れた建物の下で、何かが燻る音。

そして、無数の死体に囲まれた、赤い外套の男だけ。

 

「…………」

 

ベリルは、その光景を見つめる。

そこには、勝者などいなかった。

戦いに敗れた誉ある敗者さえ、残っていない。

ただ、全てが終わった場所に、独りで立っている。

 

「……掃除屋、か」

 

不意に、そんな言葉が浮かんだ。

過去、剣の丘で対峙したアーチャーの言葉だ。

その言葉の重みの一部を、ベリルは思い知らされている。

 

戦士ではない。

英雄でもない。

誰かを守るために、戦場へ駆けつけた救世主でもない。

 

争いを終わらせるために。

あるいは、これから起こる争いを未然に防ぐために。

その原因も、結果も、そこにいた人々さえも、残らず片付けていく。

世界の後始末をするためだけに、呼び出される存在。

 

ベリルは、唇を噛んだ。

彼は、誰かを救いたいと願っていた。

ただ、人々が笑って暮らせる世界を望んでいた。

 

そのために剣を取り。

そのために、自らの命を差し出した。

死んだ後も誰かを救えるのなら、それは願ってもないことだと。

あの時の青年は、確かに笑っていた。

 

「……こんな」

 

ベリルの声が、掠れた。

 

「こんなものが……君に与えられた未来だったのか」

 

当然、返事はない。

赤い外套の男は、静かに立っていた。

やがて、その身体が光の粒となって崩れ始める。

ここでの任務(掃除)が、終わったのだ。

 

男の姿が消えていく。

そして、また景色が変わる。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

次の戦場は、静かだった。

既に戦いは終わりかけているらしい。

見渡す限りの荒野には、幾つもの武器が突き刺さっていた。

 

その中央で、赤い外套の男が一人の兵士と向き合っていた。

年の頃は、アリューシアたちとそう変わらないだろう。

鎧は砕け、片足を引きずっている。

握っている剣も、刃が半ばから折れていた。

それでも、彼は立っていた。

 

「……来るな」

 

震える声だった。

 

「来るな……!」

 

エミヤは、歩みを止めない。

兵士は折れた剣を構えた。

 

「俺には……!」

 

その声が、裏返る。

 

「帰らなきゃいけない場所があるんだ!」

 

兵士は、懐から何かを取り出した。

小さな布袋だった。

汚れた布地には、不器用な刺繍が施されている。

 

中から、一つの木彫りの人形が零れ落ちた。

その小さな人形は、子供が作ったものだろう。

顔は歪で、手足の長さも揃っていない。

だが、大切にされていたのだろう。

何度も握り締められたように、表面が滑らかになっていた。

 

「娘が……待ってるんだ……」

 

兵士が、呟く。

 

「まだ、小さいんだよ……」

 

折れた剣が、震えていた。

 

「帰ったら、一緒に遊ぶって……約束したんだ……」

 

エミヤは、何も言わなかった。

兵士が、涙を流す。

 

「頼む……」

 

剣が、地面へ落ちた。

 

「殺さないでくれ……」

 

その場に膝をつく。

 

「俺は……もう、戦わない……」

 

ベリルは、思わず一歩踏み出した。

 

「……エミヤ」

 

目の前の兵士は、既に戦意を失っている。

武器を捨てた。

命乞いをしている。

これ以上、戦う必要などないはずだった。

しかし、赤い外套の男は、剣を下ろさない。

 

「……お願いだ」

 

その瞳には、恐怖があった。

そして、ほんの僅かな希望があった。

もしかしたら、この男は自分を見逃してくれるかもしれない。

そう、信じたかったのだろう。

 

エミヤが剣を振り上げ、刃が振り下ろされる。

兵士の身体が、崩れ落ちた。

 

「…………」

 

ベリルは、動けなかった。

兵士は、もう動かない。

その傍らに、小さな木彫りの人形が転がっている。

 

エミヤは、地面に落ちた人形を拾い上げた。

血と土で汚れた、小さな人形。

それを、じっと見つめる。

そして、人形についた土を指先で払い、倒れた兵士の手の中へ、人形を戻した。

 

景色が変わった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

何もない場所だった。

空は灰色。

大地は白く、どこまでも続いている。

 

建物もない。

木々もない。

人の姿もない。

ただ、赤い外套の男だけが立っていた。

 

「…………」

 

ベリルは、ゆっくりと顔を上げた。

今度は、戦場ではないらしい。

敵もいない。

助けを求める人々もいない。

エミヤは、剣を握っていなかった。

弓も持っていない。

ただ、そこに立っていた。

 

「…………」

 

風さえ、吹いていない。

音もない。

まるで、世界そのものが止まってしまったかのようだった。

 

ベリルは、男の横顔を見つめた。

白い髪。

褐色の肌。

赤い外套。

幾度も見てきた姿だった。

だが、不思議なことに、今のエミヤは、これまで以上に遠く感じられた。

 

「…………」

 

彼は、何もしていない。

誰かを殺しているわけでもない。

剣を振るっているわけでもない。

ただ、立っているだけ。

それなのにベリルには、その姿が何よりも痛ましく見えた。

 

「……エミヤ」

 

呼び掛ける。

返事はない。

 

「……ここには、誰もいないんだね」

 

何もない世界。

誰もいない場所。

そこに、男が一人。

 

「……君は、ずっと……」

 

言葉が、途切れた。

ずっと、一人だったのか。

そう尋ねようとして、やめた。

 

エミヤが、ほんの一瞬、静かに目を閉じた。

それだけだった。

そして、彼の身体が光に包まれた。

 

「……っ!」

 

ベリルは、反射的に手を伸ばした。

 

「待ってくれ!」

 

声が響く。

 

「もう、十分だろう!」

 

届かない。

 

「これ以上、何を……!」

 

赤い外套が、光の中へ消えていく。

 

「エミヤ!!」

 

男は、振り返らなかった。

そして――次はベリルが、置いて行かれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

「…………っ!」

 

ベリルは、目を開いた。

馬車の天井だった。

車輪が、石を踏む音が聞こえる。

規則正しい振動が、身体へ伝わってきた。

 

「……先生、大丈夫っす?」

 

聞き慣れた声だった。

顔を向けると、クルニが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

隣では、ヘンブリッツも眉を寄せている。

ミュイに至っては、何も言わずにベリルの顔を見つめていた。

 

「……ごめん。ちょっと、夢見が悪くてね。大丈夫だよ」

 

いつものように笑ってみせる。

年長者として皆に心配をかけてはいけないと、ベリルは返事をした。

気を抜くと、今も夢で聞こえた悲鳴が蘇るが、ここにはミュイがいる。

なおさら、少女を不安にさせてはいけない。

 

だが、思ったよりも上手く笑えなかったらしい。

 

「ベリル殿、顔色が優れませんな。少し休憩を入れましょうか」

 

ヘンブリッツが、御者の方へ目を向ける。

 

「いや、大丈夫だよ。もう王都も近いしね」

 

「でも、先生。水くらい飲んだ方がいいっすよ」

 

クルニが、水筒を差し出してくれた。

 

「……ありがとう、クルニ」

 

受け取った水を、ゆっくりと喉へ流し込む。

冷たい水だった。

そして、深呼吸を数度行い、気持ちを落ち着かせる。

 

夢の中で聞いた悲鳴が、まだ耳の奥に残っている。

目を閉じれば、赤い外套の男が、また次の戦場へ消えていく光景が浮かびそうだった。

 

「……おっさん」

 

隣から、小さな声がした。

 

「無理すんなよ」

 

ミュイは、それだけ言って窓の外へ顔を向けた。

 

ベリルは、三人を見回した。

誰も、夢の内容を聞こうとはしない。

ただ、彼の様子を心配してくれている。

 

「……うん。ありがとう」

 

そう答えると、ベリルは窓の外へ目を向けた。

穏やかな空だった。

遠くには、王都の城壁が見え始めている。

 

馬車は、王都へ向かって進んでいく。

その揺れに身を任せながら、ベリルはもう一度、目を閉じた。

今度は、眠らなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

王都へ戻った頃には、日が傾き始めていた。

ヘンブリッツやクルニと別れた後、ミュイと共に自宅に帰ったベリルは、家の前に書置きを見つけた。

それはエミヤからのものであり、内容は端的だった。

 

「――え?エミヤが村に?」

 

ベリルが、目を瞬かせる。

どうやら、おやじ殿に呼ばれたらしく、入れ違いの形ですでに王都を出ているらしい。

ビデン村では、エミヤを呼び戻す話は聞いていなかった。

それなら最初から、一緒に帰るよう言えばよかったし、ベリルに伝言すればよかったはずだが、おやじ殿の考えは読めない。

 

悩んでも仕方ないと、思考を変えて夕食の話を出そうとしたとき、ミュイから声がかかる。

 

「……おっさん、外で吞んで来いよ」

 

「え?いやいや、一緒に食べようよ?」

 

「いい。あたしは一人で勝手に食べる。だから、今日は外に行って」

 

「どうして?何か、ミュイを怒らせること、しちゃったかな?」

 

「そういうことじゃねぇって」

 

ミュイは、面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「帰りに見た夢、悪かったんだろ」

 

「……うん。まあ、そうだね」

 

「だったら、気分転換してこいよ。あたしに気ぃ遣って、無理にここにいることねぇだろ」

 

「でも、ミュイの夕食は?」

 

「自分で何とかできるって。もう子供じゃねぇんだから」

 

そう言って、ミュイはそっぽを向いた。

ベリルは、思わず小さく笑ってしまう。

いつの間にか、こんなふうに人を気遣えるようになっていたらしい。

 

少しばかり申し訳なさもある。

だが、それ以上に、少女の成長が嬉しかった。

 

「……ありがとう、ミュイ。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

「おう。楽しんでこいよ」

 

そうしてベリルは、久しぶりに一人で夜の街へ出ることになった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

そして、酒場で一人吞んでいたベリルだったが、いつの間にか見つかったのか、気づけば弟子たちに囲まれていた。

アリューシア、ヘンブリッツ、クルニだ。

騎士団メンバーということもあり、時間が合うときは一緒に吞むこともあった。

 

……とはいえ、今日に関しては、恐らく偶然ではない。

ヘンブリッツ君が、気をまわしてくれたのだろう。

直接教えてもらえなくても、そうした温かな配慮に、ベリルは静かに感謝していた。

 

酒席の話題は次々と変わるもので、初めはビデン村の出来事の報告や、両親の現況を話した後、不在中の王都の話に移り変わった。

 

「さすがはエミヤ殿。不在の間に弓兵への対処を想定した訓練までされていたとは。私も参加したかったですな」

 

ヘンブリッツが、感心したように頷いた。

 

「騎士団の皆も、非常に勉強になったと話していました。次も予定されているそうですから、その際はヘンブリッツもクルニも参加できるといいですね」

 

アリューシアが答える。

 

「そういえば、エミヤさんの話なら、私もさっきバルデルさんの所で聞いたっす!」

 

「ほう。鍛冶屋ですか」

 

「スレナさんと一緒に来てたみたいっすよ。何か、色々と見せてもらったとか」

 

「リサンデラと、ですか?エミヤさんが武器を購入する姿は想像しにくいですが、剣士として興味があったのかもしれませんね」

 

「そういうことでしたら、私もエミヤ殿の話を聞きましたよ」

 

ヘンブリッツが笑いながら話す。

 

「先ほど、魔術学院に言伝を届けた際、フィッセル殿とお会いしまして」

 

「フィスちゃんっすか!?」

 

「ええ。どうやら、エミヤ殿と一日中模擬戦を繰り返していたそうです」

 

「一日中……さすがフィスちゃんっす……普通、そこまでやらないっすよ」

 

「彼女にとって、エミヤさんはまだ恐怖を感じてもおかしくない相手です。克服しようとされたのでしょうか。さすがは魔法師団の若きエースですね」

 

「うーん、多分フィスちゃんは、負けず嫌いの方が大きいと思うっす」

 

その言葉に、アリューシアとヘンブリッツが笑った。

ベリルも、思わず口元を緩める。

フィッセルらしい話だった。

 

次々と、ベリルたちが不在の間に行っていた彼の生活を聞いていく。

きっと、ヘンブリッツ君だけでなく、二人にも気を使わせてしまったのだろう。

そこから話題は、エミヤの料理や、今後の騎士団での指南へと移っていった。

 

どれも、他愛のない話だった。

誰かが笑い、誰かが呆れ、また別の誰かが思い出を語る。

先ほどまで会話の中心にいた彼は、今、この席にはいない。

それでも。

 

「…………」

 

ベリルは、静かに杯を傾けた。

夢の中で、彼はいつも一人だった。

戦いが終われば、誰にも見送られずに消えていく。

けれど今は、こうして、彼がいない場所でも彼の話をする人たちがいる。

彼の知らないところで、彼を思い出して笑う人たちがいる。

 

「……そうか」

 

ベリルは、小さく笑った。

 

「……良かった」

 

「先生?」

 

アリューシアが、不思議そうに首を傾げる。

 

「いや、何でもないよ」

 

ベリルは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ただ、君たちの話を聞けて良かったと思ってね」

 

そう答え、もう一度杯を傾ける。

酒場には、笑い声が響いていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

片田舎の剣聖の一番弟子(作者:剣術太郎)(原作:片田舎のおっさん、剣聖になる ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~)

▼剣の道を志す者たちなら誰もが聞いたことのある『片田舎の剣聖』▼その弟子たちの誰もが言う▼『先生の後を継ぐのは間違いなく彼ですね』▼『悔しいが、我々弟子の中での最強は彼だな』▼『彼こそ、ベリル先生の一番弟子』▼『いやいや、俺なんてまだまだだし、そもそも一番弟子の意味知ってる!?』▼そんな剣士の物語▼


総合評価:1846/評価:7.85/連載:12話/更新日時:2026年06月27日(土) 20:00 小説情報

ダンジョンに正義の味方がいるのは間違っているだろうか(作者:ラブコメは正義マン)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

聖杯戦争終結から一年。衛宮士郎は遠坂凛の下で、魔術の修行をしていた。▼だが、ある実験の最中に意識を失い――目を覚ますと、そこは神々と冒険者が集う迷宮都市オラリオだった。▼ダンまちとfateのクロスオーバー小説です▼Fateメンバーは基本的に士郎しか出てきません▼ダンまちの最新刊までのネタバレを含む可能性が有ります▼UBW後の士郎を想定▼描写されていない間では…


総合評価:4221/評価:8.41/連載:33話/更新日時:2026年10月02日(金) 20:00 小説情報

『calor ――理想の果てに灯る温もり――』(作者:そもゆえに)(原作:魔法先生ネギま!)

正義の味方は、多くを救った。▼だが、▼救えなかったものもあった。▼何気ない日常。 当たり前の食卓。 ▼誰かと笑い合う時間。▼聖杯戦争を終えた英霊エミヤは、 異世界・麻帆良で小さな食堂を開く。▼店の名は『calor』。▼温もりを意味するその場所には、 傷ついた者たちが自然と集まってくる。▼出し巻き卵に涙する少女。▼シチューに頬を緩める吸血鬼。▼一杯の珈琲に救わ…


総合評価:1143/評価:8.6/連載:35話/更新日時:2026年07月26日(日) 12:06 小説情報

錬鉄と鍛造の贋作者(作者:英雄に憧れた一般魔導師)(原作:杖と剣のウィストリア)

あるはずの無い記憶、何処か遠い記憶。求めて失えど、それらだけは焼き付いて離れる事なんて無い、鮮烈に残る記憶。▼理想に裏切られた赤い外套纏いし錬鉄の英雄▼業を絶つ無念無想の刃を目指した鍛冶師▼そんな二人の力と技術を得て、ドワーフに鍛えられた鍛造技法を以て、彼は▼魔法の世界で剣を打つ。▼これは、杖と剣が交わる物語に贋作者が交差する。


総合評価:2726/評価:8.65/連載:22話/更新日時:2026年08月18日(火) 23:00 小説情報

神殺鎗は、神々の世界に生きる(作者:レヴィ)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

迷宮都市オラリオにおいて神を殺害することは、重罪である。▼※この二次創作にはオリジナル設定が含まれます。苦手な方は、ブラウザバックを推奨します。


総合評価:18508/評価:8.78/連載:19話/更新日時:2026年10月12日(月) 19:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>