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本章も残り僅かの予定です。
引き続き、お楽しみいただけますと幸いです。
「ということで、詳細は話せないがルーシーも認知している件だ。協力を頼めるかね?」
「もちろん。魔装具の話なら、任せて」
魔術学院の教室。
エミヤは、剣魔法科の授業を終えたフィッセルの元を訪れ、依頼をしていた。
「それにしても、強力な認識疎外の魔装具なんて、普通は断る」
「ああ。依頼しておいて何だが、信用されないアイテムだと認識している。ルーシーに直接確認してもらっても構わない」
「別にエミヤさんを疑うことはないけど、あとで師団長にも聞いておく」
「済まない、手間をかける」
急ぎではないことを伝えつつ、彼女に作成を頼むことに成功した。
それは、フェイの為に用意すべきと考えたもの。
警戒すべき彼女ではあるが、いつまでも家の中に閉じ込めておくわけにはいかない。
そこでエミヤが考えたのは、外出時に彼女の存在を周囲から認識されにくくする魔装具だった。
万一、彼女を狙う者が現れた場合にも、身を隠す手段となる。
「作成した暁には、また手作りデザート、楽しみにしてる」
「お安い御用だ。むしろ店を開けてるときは、遠慮なく訪ねるといい」
そして、いくつか会話を済ませ、エミヤは立ち去った。
日常の役割をこなしつつ、フェイを迎える用意を続けている。
既に、ギルドに対して車椅子の作成依頼を終えており、騎士団に対しても定期的な介助を調整していた。
彼女にも、生活上の配慮は必要だ。
恐らく彼女であれば立場上仕方ないことだと割り切るだろうが、監視対象とはいえ当然の権利があるべきだとエミヤは考える。
そのため、魔装具の用意ができ次第、入浴施設の同行といった依頼を事前に手回ししていた。
当然ながら、アリューシアも関与しているため、手続きはスムーズにいった。
さらにエミヤは、騎士団が開いている介護講座にまで顔を出すつもりでいた。
負傷者の手当てなら、幾度となく経験している。
だが、誰かと共に暮らし、その生活を支えるとなれば、話は別だ。
知らないことがあるのなら、学べばいい。
気付けば、日々の予定は以前にも増して埋まっていた。
だが、不思議と煩わしさはない。
やるべきことがあり、それを必要とする者がいる。
今のエミヤにとって、それだけで十分だった。
そんな最中のことだった。
◇ ◇ ◇
午前の訓練を終えた頃。
騎士団の詰所を出ようとしていたエミヤは、見覚えのある人物に呼び止められた。
「エミヤ殿!」
振り返ると、一人の騎士がこちらへ駆け寄ってくる。
まだ若い団員だった。
普段は訓練場で顔を合わせることが多いが、今日は鎧を着込んでいない。
手には、一通の封書が握られていた。
「お探ししました。こちら、貴方宛てに届いております」
「私に?」
「はい。ビデン村からの便で、差出人はモルデア殿とのことです」
エミヤは僅かに眉を上げた。
少し前に、ベリルたちの帰省を促す手紙が届いていた。
そのベリルたちだが、スケジュールを考慮しても、近日中に帰ってくるはずだ。
そのため、自分宛に届いた手紙に、見当がつかない。
「確かに受け取った。ご苦労だったな」
「いえ!それでは、失礼します!」
騎士が去っていく。
エミヤは封書を裏返した。
差出人には、確かにモルデアの名があった。
何の用件だろうか。
村で何か問題でも起きたのか。
あるいは、ベリルたちへの伝言か。
もっとも、彼らも間もなく帰ってくる。
急ぎの用事であれば、直接伝えれば済むはずだが。
そんなことを考えながら、封を切る。
中には、一枚の紙が入っていた。
簡潔な文面だった。
いや――簡潔というよりも。
「…………」
エミヤは、しばし無言になった。
そこには、ただ一言。
『お前も一度、村へ帰ってこい』
それだけが記されていた。
「何だ、これは」
思わず声が漏れた。
裏返してみる。
他に何か書かれているわけでもない。
日付と差出人の名前はある。
しかし、肝心の用件が見当たらなかった。
「……いや、用件は明確なのだが」
あまりにも明確すぎる。
帰ってこい。
ただ、それだけ。
何故なのか。
いつまでに帰ればよいのか。
何か持っていくものがあるのか。
そのあたりの説明は、綺麗さっぱり省かれていた。
エミヤは、もう一度手紙を見下ろす。
そもそも、先の手紙では帰省する必要はないと書いていたではないか。
だからこそ、自分は王都に残ったのだ。
フェイの件もあったので、結果として都合の良い判断だったと思っている。
だというのに、ベリルたちが帰ってくる頃合いを見計らったように、今度は自分だけを呼び戻す。
「人の予定というものを、少しは考えてもらいたいものだな」
思わず苦笑する。
エミヤは手紙を畳んだ。
断る理由は、特にない。
王都での仕事は、ひとまず区切りがついている。
ベリルたちも近日中に戻るだろう。フェイの住まいについても、必要な手配はほぼ済ませていた。
数日留守にしたところで、大きな支障はない。
それにしても、何故このタイミングなのか。
村で問題が起きたのなら、モルデアは遠慮なくそう書く男だ。
それが今回は、ただ帰ってこいとだけ記されている。
「まったく。年長者の考えることは、時に分からんものだ」
エミヤは手紙を懐へ収めた。
いずれにせよ、行けば分かる。
◇ ◇ ◇
翌朝。
まだ王都が眠りから覚めきらぬ頃、エミヤは都市の外れにいた。
空は薄く白み始めているものの、陽が昇るにはまだ少し早い。
街道を行き交う者の姿もまばらで、時折、荷を積んだ商人の馬車が通り過ぎる程度だった。
「さて」
エミヤは、肩に掛けた荷物を軽く持ち直した。
昨夜のうちに、必要な連絡は済ませている。
懐に収めた手紙を思い出し、エミヤは小さく息を吐いた。
王都へ出て以来、ビデン村に戻るのは初めてだった。
あの村で過ごした一年は、決して悪いものではなかった。
むしろ――
そこまで考え、エミヤは思考を切り替えた。
街道を見渡す。
人目はない。
それを確認すると、魔術回路へと意識を向けた。
身体強化。
筋力、脚力、そして身体を動かすための各部の働きを補強する。
魔術師としては基礎的な術式であり、エミヤにとっては使い慣れた技術だった。
無論、馬車での移動とは異なり、休息も補給も自分で管理する必要がある。
だが、今の身体ならば、それほど難しいことではない。
「では、行くとしよう」
一歩、地を蹴る。
次の瞬間には、その姿は街道の先へと遠ざかっていた。
◇ ◇ ◇
王都からビデン村へ続く道は、エミヤにとって見覚えのあるものだった。
もっとも、こうして自らの足で通るのは初めてである。
以前はベリルたちと馬車に乗り、時折景色を眺めながら進んでいた。
それが今は、風を切り、木々の間を抜け、必要に応じて街道を外れながら進んでいる。
馬車であれば一日近く掛かる道程も、強化した身体を使えば、随分と短縮できる。
途中、森の近くで足を止め、水分を補給した。
陽は既に高くなり始めていた。
「思ったよりも早いな」
目的地までは、そう遠くない。
荷物を下ろし、木陰でしばし休息を取る。
その際、ふと目に入ったのは、街道脇に咲いていた小さな花だった。
名も知らぬ、白い花。
何ということもない光景である。
だが、エミヤはそれを見て、以前ビデン村の子供たちに付き合わされたことを思い出した。
道場の稽古が休みの日。
村の子供たちに誘われ、森の近くまで木の実を拾いに出掛けたことがあった。
最初は、子供たちだけでは危険だろうと付き添っただけだった。
ところが、いつの間にか木登りを手伝わされ、採った木の実の使い道を尋ねられ、最後には木彫りの玩具まで作ることになった。
何故、ああなったのだったか。
「いや、考えるだけ無駄か」
子供というものは、実に遠慮がない。
それも、こちらが断らないと分かれば尚更である。
もっとも。
「……悪くはなかったがね」
独り呟き、エミヤは立ち上がった。
木漏れ日の差す街道へと戻る。
再び地を蹴り、懐かしい村へ向けて走り始めた。
◇ ◇ ◇
ビデン村が見えてきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
遠くに連なる山々。
その麓に広がる畑と、点在する家々。
王都のように高い建物が立ち並ぶこともなく、行き交う人々の数も少ない。
聞こえてくるのは、風に揺れる木々の音と、遠くで働く村人たちの声。
エミヤは、村の入口で足を止めた。
一年を過ごした場所である。
見慣れた風景を前にして、特別な感慨が湧き上がるわけではない。
ただ、妙に落ち着く。
そのことが、少しばかり不思議だった。
「お?エミヤじゃねえか!」
そんなエミヤに、声が掛かった。
畑仕事を終えたらしい年配の男が、道具を肩に担いでこちらを見ている。
「ああ。息災そうだな」
男は嬉しそうに笑い、近づいてきた。
以前、村の狩りに同行したことのある男だった。
獲物を運ぶ際、エミヤが率先して力仕事を引き受けたことを、何度も礼として話していた人物である。
「何だ、帰ってきたのか。ベリルとは入れ違いだぞ」
「ああ、知っている。少々用事があってな」
「そうかい。ま、ゆっくりしてけよ!」
そう言って別れる。
数歩進んだところで、背後から再び声が掛かった。
「おーい、エミヤ!」
「ん?」
「今度、また飯を作ってくれよ!あんたの料理、うちの連中が気に入っちまってな!」
「覚えておこう」
エミヤは苦笑しながら手を上げた。
どうやら、料理の件まで忘れてもらえていないらしい。
そう考えながら、エミヤは村の中心へと歩を進めた。
◇ ◇ ◇
ガーデナント家へ続く道も、以前と変わらなかった。
見慣れた塀に道場へ続く門。
エミヤは家の戸口へと向かった。
軽く戸を叩く。
少し間を置いて、家の中から足音が聞こえてきた。
「はーい」
聞き覚えのある、穏やかな声だった。
戸が開く。
そこに立っていたのは、フレン・ガーデナントだった。
「まあ!」
エミヤの姿を見るなり、フレンは目を丸くした。
「ああ、フレン。突然訪ねてすまない」
「いいのよ。あの人から聞いているわ」
「そうか」
そう答えると、フレンは嬉しそうに頷いた。
そして、当然のように言った。
「ふふっ。お帰りなさい」
エミヤは、一瞬だけ返事に詰まった。
別段、意外な言葉ではない。
以前この家に住まわせてもらっていたのだから、そう声を掛けられても不思議ではない。
「さあ、入って。お茶くらい飲んでいくでしょう?」
「……ああ。ありがたく頂こう」
結局、そんな返事になった。
フレンは気にした様子もなく、戸を大きく開ける。
そうして、エミヤは半ば促されるように家へ入った。
以前と変わらない、木の香りがした。
◇ ◇ ◇
「おや、エミヤさん!」
居間に入ると、そこにはランドリドの姿があった。
道場の仕事を終えたところなのだろう。
手元には、稽古で使う木剣が数本置かれていた。
「お元気そうで何よりです」
「君もな。道場の方は、順調かね?」
「ええ、おかげさまで。もっとも、まだまだ先生には及びませんが」
「ベリルと比べる必要はあるまい。君には君の教え方があるだろう」
「ははっ。そう言っていただけると、ありがたいですね」
ランドリドは照れたように笑った。
そんな会話をしていると、フレンがお茶を運んできた。
「はい、お待たせ」
「ありがとう」
「それで、王都の暮らしはどう?」
フレンが、向かいの席に腰を下ろす。
「ああ。ベリルから話を聞いてるかもしれないが、彼は騎士団での指南も順調だ。本人も随分と馴染んでいるよ」
「あら、そう。それなら良かったわ」
フレンは、安心したように微笑んだ。
「でも、あの子、自分のことはあまり話してくれないのよね」
「気恥ずかしいだけだろう。騎士団の者たちも、彼のことを随分と慕っている」
「少し前に来てたヘンブリッツ君にクルニちゃんだったわね。いい子たちよね」
「彼ら以外にも、ベリルは多くの者たちに囲まれて過ごせている。安心するといい」
「あらあら」
フレンは、困ったように笑った。
「本当に、あの子らしいわね」
ランドリドも、思わず頷いた。
「先生は昔からそうでしたからね」
「まったくだ、都市に場所が移っても彼の本質は変わらないようだ」
エミヤも同意する。
そして、ふと思い出したように付け加えた。
「ミュイとは、会話できたかな?」
「えぇ。ミュイちゃん、とってもいい子ね」
「あぁ。彼女は真面目な子だ。ベリルと共に成長していくだろう」
「まさかベリルが、お嫁さん見つける前に子供を紹介するなんて思わなかったわ」
「心配する気持ちもあるだろうが、彼らは上手くやっている。私に分かることであれば話そう」
そして、エミヤはベリルの近況やミュイの成長といった都市の話を伝えた。
エミヤが話し終えたタイミングで、不意にランドリドが口を開いた。
「エミヤさん。モルデアさんから言伝があります」
「モルデアから?」
「ええ。あなたが来たら、夕方に山の方へ来るように、と」
「山?」
「以前、ベリル先生と稽古をしていた場所と言えば伝わる、と伺ってます」
エミヤは、僅かに眉を寄せた。
思い当たる場所はある。
かつて、ベリルと月に一度の間隔で模擬戦を行っていた山間の一角。
人目を避け、魔術を使用した戦闘まで行うために選んだ場所だった。
そこへ、夕方に来いという。
「他には?」
「それだけです」
「……そうか」
エミヤは、静かにお茶を置いた。
手紙といい、今回の伝言といい、どうにも説明が足りない。
もっとも、あの男の性格を考えれば、今更ではあるのだが。
「まったく、何を考えているのやら」
「ふふっ。行けば分かるんじゃないかしら」
「貴女まで、そのようなことを言うのかね」
フレンは、楽しそうに笑った。
「だって、あの人だもの」
それは、妙に説得力のある答えだった。
◇ ◇ ◇
夕暮れのビデン村を背に、エミヤは村の奥へと歩を進めた。
山へ続く道。
エミヤは、歩きながら考える。
モルデアが自分を呼び戻した理由。
手紙には、何も書かれていなかった。
そして、指定された場所は、かつてベリルと模擬戦を行っていた場所。
そこまで揃えば、ある程度の予想はできる。
「……まさか、な」
思わず、苦笑した。
木々の間を抜ける。
やがて、視界が開けた。
見覚えのある、山間の一角だった。
足元には、踏み固められた土。
周囲には、背の高い木々が立ち並び、遠くには山の稜線が見える。
以前、ベリルと剣を交えた場所。
そして今、その中央に一人の男が立っていた。
年齢を重ねた、堂々とした体躯。
飾り気のない衣服。
その手には、一本の剣。
モルデア・ガーデナント。
老剣士は、エミヤの姿を認めると、楽しそうに口元を吊り上げた。
「おう、来たか、エミヤ」
「……ああ。来たとも」
「思ったより早かったな」
「貴方が呼びつけたのだろう……それで、用件は?」
「まあ、そう急くな」
「二通目の手紙まで寄越しておいて、よく言う」
エミヤは、小さく息を吐いた。
どうやら、説明を求めても無駄らしい。
エミヤは、モルデアの手にある剣へと目を向けた。
「その剣は、何のために?」
「決まっとるだろう」
そう言って、老剣士は剣を軽く持ち上げた。
夕陽が、その刀身を照らす。
「せっかく帰ってきたんだ。少しくらい、付き合ってもらおうと思ってな」
「…………」
エミヤは、しばし無言になった。
そして、深々と息を吐く。
「やはり、そういうことか」
その言葉に、モルデアは愉快そうに笑った。
山間に、老剣士の笑い声が響く。
エミヤは、呆れたように目を細めた。
「何だ、察しが良いじゃねえか」
「この場所へ呼び出されて、剣まで持ち出されれば、流石に分かるというものだ」
「そりゃそうか!」
まったく、悪びれる様子がない。
エミヤは、小さく肩をすくめた。
「それで、モルデア。わざわざ私を王都から呼び戻した理由が、剣を交えるためだと?」
「まあ、待て。順を追って話してやる」
モルデアは、手にした剣を肩に担いだ。
「ついこの間、ベリルが帰ってきただろう?」
「ああ。聞いている」
「あいつとな、久しぶりに打ち合ったんだ」
エミヤは、僅かに眉を上げた。
それは、興味深い話だった。
ベリルが長年、父であるモルデアを超えることを目指していたのは知っている。
かつて村に滞在していた頃にも、その話を聞いたことがあった。
そして、ベリル自身の剣技が如何に優れているかも、エミヤは身をもって理解している。
「それで、結果は?」
「負けた」
あまりにもあっさりとした返答だった。
エミヤは、思わずモルデアの顔を見た。
老剣士は、実に楽しそうに笑っていた。
「……そうか」
「ああ。とうとう、あいつに一本取られちまった」
「なるほど」
エミヤは、静かに頷いた。
驚きがないわけではない。
しかし、ベリルの剣を知っている以上、決してあり得ないことではなかった。
あの男は、常に己の剣を磨き続けている。
王都へ出てからも、その姿勢は変わらなかった。
積み重ねてきたものが、ようやく一つの形になったのだろう。
「それは喜ばしいことだ」
モルデアは、豪快に笑った。
「いやあ、嬉しかったぞ。あいつも随分と良い剣を振るうようになった!」
その言葉には、父としての喜びがあった。
同時に、一人の剣士として、己を超えた相手を称える響きもあった。
エミヤも、自然と口元を緩めた。
ベリルがこの話を聞けば、きっと照れ臭そうに笑うのだろう。
あるいは、まだまだ未熟だなどと言い出すかもしれない。
……いや、恐らく後者だな。
そんなことを考えていると、モルデアが不意に剣を持ち直した。
「で、だ」
「ん?」
「久しぶりにあいつと打ち合ったら、どうにも身体が疼いてな」
「……」
「剣士の血が騒ぐってやつだ。まだまだ腕が鈍っちゃいねえことも分かったしよ」
「それは何よりだ」
「それで、せっかくだから、もう一人の方とも打ち合ってみたくなったわけだ」
「もう一人?」
「お前に決まってんだろうが」
エミヤは、しばし無言になった。
そして、深々と息を吐く。
「モルデア」
「何だ?」
「それだけのために、わざわざ私を呼び戻したのかね?」
「何言ってやがる」
モルデアは、心外だと言わんばかりに眉を寄せた。
「そもそもお前、王都に行ってから一度も手紙を寄越してねえだろうが」
「私が?」
「ああ。ベリルからは時々話を聞いていたが、お前の方はさっぱりだ」
「……それで、剣を交えようというのかね?」
「まあ、そういうこった」
エミヤは、言葉を失った。
どうにも、理屈が通じる相手ではないらしい。
「随分と強引な御仁だ」
モルデアは、実に愉快そうだった。
そして、剣を軽く振ってみせる。
「で、どうする?」
「断ったところで、納得はしないのだろう?」
「当たり前だ」
「……だろうな」
エミヤは、諦めたように息を吐いた。
「分かった。少しばかり、付き合うとしよう」
「おう!そうこなくっちゃな!」
モルデアは、満足そうに笑った。
◇ ◇ ◇
モルデアは、手にしていた剣を構える。
刃を潰した、模擬戦用の剣だった。
エミヤも両手を下ろした。
左右の手に、二振りの剣が現れる。
黒と白の夫婦剣。
こちらも、刃を潰した状態で投影している。
モルデアが、興味深そうに目を向けた。
「そいつか。ベリルとも、よく打ち合ってたな」
「ああ。私には、これが最も馴染むのでね」
「……それじゃ」
「ああ」
二人の間に、僅かな沈黙が落ちた。
風が、木々を揺らす。
夕陽が、山の稜線へと近づいていた。
「始めるか」
次の瞬間。
モルデアが、踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
――速い。
そう感じたのは、最初の一合だけだった。
正確には、速いのではない。
踏み込みの起こりが、見えなかったのだ。
「……っ!」
エミヤは反射的に莫邪を立て、振り下ろされた剣を受け止める。
同時に、空いた右手の干将を返し、相手の胴へと斬り込んだ。
だが、モルデアは既にそこにはいなかった。
大きく避けたわけではない。
僅かに身体を捻り、踏み込む足の位置を変えただけ。
それだけで、干将の軌道から外れていた。
「――っ!」
次の一撃が、エミヤの肩口へ迫る。
莫邪を返す。
間に合う。
だが、受け止めた瞬間には、モルデアの剣は別の角度へ移っていた。
厄介な相手だ。
剣筋そのものが、特別に速いわけではない。
腕力も、決して突出しているわけではない。
だが、間合いの取り方が巧みだった。
こちらが剣を振るう、その僅か前。
身体の重心が移る瞬間。
呼吸が切り替わる瞬間。
その隙間を、当然のように突いてくる。
「どうした、エミヤ!」
モルデアが、楽しそうに笑った。
「随分と大人しいじゃねえか!」
「初手から随分と手厳しいものだな」
「そりゃそうだろう。お前相手に手を抜けるかよ!」
エミヤは干将で一撃を受け流すと、左手の莫邪を逆手に持ち替えた。
左の剣で相手の視線を誘い、右の剣を死角から差し込む。
幾度となく実戦で使ってきた連携だったが――
「……!」
モルデアは、剣を引かない。
むしろ踏み込み、エミヤの右腕が伸び切る、その直前。
剣の腹が、手首へと打ち込まれる。
「……っ!」
干将が、弾かれた。
続けて、モルデアの肩がエミヤの身体へと迫る。
体勢を崩すためだけの、最小限の接触だった。
エミヤは、後ろ足を引いて衝撃を逃がす。
そのまま干将を立て、追撃を防いだ。
再び、剣がぶつかる。
モルデアが、笑う。
「今ので崩れねえか」
エミヤは、静かに息を整えた。
目の前の老剣士。
その剣技は、ベリルのものとは異なっていた。
ベリルは、徹底している。
相手の攻撃を受け、捌き、見切る。
そのうえで、最も確実な一手を選ぶ。
一方、モルデアは、相手に選ばせない。
こちらが何かを仕掛けようとする前に、剣を振るうべき場所を奪ってくる。
防御を強いられ、反撃を考えれば、その起点を潰される。
距離を取ろうとすれば、既に間合いを詰められている。
幾度目かの打ち合い。
エミヤは、意図的に左肩を開けた。
僅かな隙。
相手がそこを狙えば、莫邪で受け止め、干将を返す。
戦場で培った、誘いの一手。
「……っ!」
モルデアの剣は、肩へ向かわなかった。
代わりに、エミヤの踏み込み足へと迫る。
「……!」
即座に重心を移す。
その動きを読んでいたかのように、剣が切り返された。
肩。
脇腹。
そして、再び手首。
次々と、異なる角度から打ち込まれる。
「……くっ!」
エミヤは、干将と莫邪を交差させた。
受け、流す。
そして、反撃へ移ろうとする。
だが、その瞬間には、モルデアの剣が次の位置へと移っている。
まるで、こちらの考えを先回りされているかのようだった。
「馬鹿にするな。そんな見え見えの隙、誰が食いつくかよ!」
「耳が痛いな」
鋭い一撃を、エミヤは莫邪で受け止めた。
しかし、衝撃を逃がした瞬間、モルデアの足が踏み込んでくる。
膝が、エミヤの重心を崩す位置へ入った。
「……っ!」
干将を下げる。
剣の柄で、相手の腕を押し返す。
辛うじて距離を保つが、次の瞬間、モルデアの剣がエミヤの肩を掠めた。
鈍い衝撃が走る。
「……!」
致命となる一撃ではない。
しかし、実戦であれば、確実に傷を負っていただろう。
エミヤは、追撃を警戒しながら構え直す。
ベリルの父、かつて道場を率いた師範。
そして、息子が長年超えられずにいた剣士。
その腕が、並外れたものであることは疑いようがない。
かつてベリルが目標とした剣は、老いてなお鋭さを失っていなかった。
戦いは、続く。
エミヤは、幾度か距離を取ろうと試みた。
だが、そのたびにモルデアが踏み込んでくる。
追い掛けているのではない。
エミヤが退くと判断した、その瞬間には、既に動いているのだ。
距離を取るためには、相手の剣を一度止める必要がある。
しかし、モルデアの剣は止まらない。
無理に離れようとすれば、その瞬間に守りが崩れる。
「……仕方あるまい」
エミヤは、構えを低くした。
他の武装を投影することもできるが、この間合いで新たな手札を切ったところで、目の前の老剣士が容易く隙を見せるとは思えなかった。
モルデアが剣を振り下ろす。
エミヤは、干将を手放した。
「……何?」
その瞬間、空いた右手が、モルデアの剣の柄へと伸びる。
剣を奪うためではない。
ほんの一瞬、剣筋を乱すための動き。
モルデアが咄嗟に腕を引く。
その僅かな間に、莫邪が喉元へ迫った。
「……っ!」
老剣士は、上体を反らして刃を避ける。
「……おいおい」
モルデアが、楽しそうに笑った。
「剣士のやることじゃねえな」
「生憎、私は剣士ではないのでね」
そう言いながら、エミヤは右手に干将を投影し直した。
再び、剣が振るわれる。
エミヤは、正面から受け止めた。
二振りの剣を交互に使い、攻撃を受け流す。
相手の力を逃がし、刃の角度を変え、僅かな隙を探る。
だが、モルデアは、その隙を与えない。
むしろ、こちらの守りを利用するように剣を滑らせてくる。
「……っ!」
干将が弾かれる。
しかし、エミヤは落ちた剣を追わない。
空いた右手に、次の干将が現れる。
モルデアは、その光景に目を細めた。
「相変わらず、手品みてえな芸当だな!」
「もう少し驚いて、隙を見せてほしいものだがね」
「今更、そんなもんで驚くかよ!」
以降も幾度となく剣が弾かれ、そのたびに新たな刃が現れた。
それでも、モルデアの攻め手は止まらない。
どれほどの時間が経ったのだろう。
陽は、既に山の稜線へと近づいていた。
幾度となく、剣が交わされた。
モルデアの剣は、最後まで鋭さを失わなかった。
肩。
脇腹。
腕。
エミヤの守りをすり抜け、幾度も有効打を重ねていく。
しかし、エミヤは、まだ立っていた。
呼吸は乱れ、身体にも幾つもの鈍い痛みが残っている。
だが、構えは崩れていない。
どれほど打ち込まれても、致命となる一撃だけは通さない。
相手の剣筋を読み、身体を捌き、最後の一線で守り切る。
その徹底した戦い方は、鉄壁を思わせる護り。
その意思は、折れることなき鉄の一心。
――最後まで生き延びれば、必ず勝機を手繰り寄せる。
流派も過程も異なるが、その勝利への貪欲な姿勢は、図らずもガーデナント流と同じだった。
「……まったく」
老剣士が、苦笑した。
「何度打ち込んでも、肝心なところだけは抜かせねえな」
「こちらとしては、何度も打ち込まれないようにするだけで精一杯なのだがね」
エミヤも、苦笑を返した。
「その割には、随分と余裕がありそうじゃねえか」
「……貴方こそ」
「はっはっは!」
モルデアが、笑った。
そして、不意に剣を下ろした。
「やめやめ!ここまでだ!」
「……おや」
エミヤは、僅かに眉を上げた。
「もういいのかね?」
「ああ。十分だ」
モルデアは、肩を回した。
「いやあ、久しぶりに思い切り振ったわ!」
エミヤは、干将と莫邪を消した。
二人の間に、静けさが戻った。
先ほどまで響いていた金属音が嘘のように、山間には風の音だけが残っている。
エミヤは、モルデアを見た。
「それにしても、見事な剣技だった」
「おう?」
「ベリルの剣も、相当なものだと思っていたが……なるほど。彼が長年超えられなかった理由が、よく分かったよ」
「そりゃ、褒め言葉として受け取っておこう」
モルデアは、満足そうに笑った。
「もっとも、あいつも随分と強くなったがな」
「……ああ」
エミヤは、静かに頷いた。
その言葉には、心からの同意があった。
◇ ◇ ◇
「……さて」
エミヤは、改めて口を開いた。
「そろそろ、教えてもらいたいものだな」
「ん?」
「何故、私を呼び戻した?」
「まだ言ってなかったか?」
「剣を交えたかったという話は聞いたがね」
「それじゃ不満か?」
「不満ではないが、王都からわざわざ呼びつけられた身としては、理由くらい聞いておきたいものだ」
「……ふむ」
モルデアは、しばし考え込むように顎を撫でた。
そして、ふっと笑った。
「まあ、そうだな」
老剣士は、山の向こうへ目を向ける。
「ベリルが帰ってきてな。久しぶりにあいつの剣を見たんだ」
「ああ」
「驚いたぞ。随分と良い剣になってやがった」
モルデアは、嬉しそうに笑った。
「俺が教えたことも、あいつ自身が積み重ねたことも、全部ひっくるめて、ようやく俺を超えやがった」
「それは喜ばしいことだ」
「ああ。嬉しかった」
その言葉は、先ほどまでの豪快な笑い声とは少し違っていた。
静かで、穏やかな響きだった。
「で、ふと思ったんだ」
モルデアが、エミヤへ顔を向ける。
「なら、あいつと一緒に王都へ行ったお前は、どうなってるんだろうってな」
「私、かね?」
「ああ」
モルデアは、当然のように頷いた。
「お前も、あいつとずっと打ち合ってたんだろう?」
「ああ」
「なら、強くなってねえはずがねえ」
エミヤは、少しだけ目を細めた。
モルデアは、笑った。
「だから、確かめてみたくなった」
「なるほど」
「息子が強くなって帰ってきたんだ。その友人がどれほど腕を上げたのか、気になって当然だろうが」
「当然、か」
「当然だ」
あまりにも迷いのない返答だった。
エミヤは、思わず苦笑した。
「……まったく」
「何だ?」
「貴方という人は、本当に……」
言葉が続かなかった。
呆れているのか、感心しているのか、自分でもよく分からない。
ただ、何とも言えない気分だった。
モルデアは、そんなエミヤを見て、楽しそうに笑った。
「それにな」
「……ん?」
「さっきも言っただろう。お前、手紙の一つも寄越してねえじゃねえか」
「まだ、その話をするのかね」
「当たり前だ」
モルデアは、胸を張った。
「一年も同じ屋根の下で暮らしたんだぞ。たまには顔くらい見せろ」
「親子でもあるまいし」
「んな細けえこと、気にすんな」
エミヤは、言葉を失った。
モルデアは、肩をすくめた。
「別に、何か大層な理由がなきゃ呼んじゃいけねえってわけでもねえだろう?」
「……それは」
「ベリルも、お前も、元気にやってるならそれでいい」
モルデアは、肩をすくめた。
「たまには、こっちにも顔を見せてくれ」
「…………」
エミヤは、静かに目を伏せた。
初めてこの村を訪れた時も、そうだった。
行く当ても定まらなかった自分に、モルデアは声を掛けた。
ベリルと剣を交えてほしい。
そして、しばらく村に滞在してほしい。
あの時も、今も、この男は随分と強引だった。
「そうかもしれんな」
そう言って、エミヤは僅かに笑った。
「次からは、手紙の一つくらい送るとしよう」
「そうしろそうしろ」
エミヤは、呆れたように肩をすくめた。
しかし、その表情は、どこか穏やかだった。
◇ ◇ ◇
山を下りる頃には、陽はすっかり傾いていた。
モルデアは、先ほどまでの打ち合いが嘘のように、軽い足取りで歩いている。
エミヤも、その隣を歩いていた。
「そういや、エミヤ」
「何だ?」
「今夜は、飯を食っていくんだろう?」
「ああ。フレンからも、そう言われているのでね」
「そりゃ良かった」
「モルデア。一つ、聞いてもいいかね?」
「何だ?」
「何故、最初の手紙では、私を呼ばなかった?」
モルデアは、少しだけ目を丸くした。
「そりゃ、ベリルたちと一緒に帰ってきたら、お前、何も言わなくなるだろ」
「どういう意味かね?」
「あいつがいたら、お前は遠慮するだろって意味だ。わかるだろ」
エミヤは、思わず苦笑した。
「否定できんな」
モルデアは、得意げに笑った。
「だから、今度はお前の番だろ」
エミヤは、言葉を失った。
モルデアは、何でもないことのように続けた。
「ベリルが帰ってきた。なら、お前も帰ってくりゃいい」
「……それだけか?」
「それだけだ」
老剣士は、笑った。
「難しく考えんな」
エミヤは、しばし黙っていた。
そして、ふっと息を吐いた。
「まったく」
何度目になるか分からない言葉だった。
だが、今度は少しだけ違う響きだった。
「……貴方には敵わんな」
「今更気付いたか!」
モルデアの笑い声が、夕暮れの道に響いた。
エミヤも、小さく笑った。
そして、二人は村へと歩いていく。
山間を吹き抜ける風は、穏やかだった。
遠くに見える家の灯りは、以前と変わらず、温かな色をしていた。