ご感想、ありがとうございます!
本作品を振り返ると、戦闘シーンが次第に減っていき緩やかな展開が続いている気もします。
序盤の章と比べると失速気味なのかもしれませんが、私の好きを詰め込ませていただいている本作品を、変わらず見守っていただけますと幸いです。
ガーデナント家の居間には、食欲を誘う香りが漂っていた。
長机の上には、大きな鍋から取り分けられたスープと、焼きたてのパン。
香草を添えた肉料理が並べられている。
決して豪勢な晩餐というわけではない。
だが、どの皿にも十分な量が盛られ、温かな湯気が立ち上っていた。
「さあさ、皆揃ったわね。冷めないうちに食べましょうか」
フレンが、ぱん、と手を合わせる。
その声に促され、一同が席に着いた。
モルデアとフレン。
エミヤにランドリド。そして、その妻であるファナリーと、彼女の腕に抱かれた幼いジェイン。
以前、この家で暮らしていた頃とは、少しだけ顔ぶれが変わっている。
「それじゃあ、いただくとするか」
モルデアが、早速パンへ手を伸ばした。
「あなた。皆さんが揃ったばかりでしょう?」
「おう?揃ったから食うんだろうが」
「もう。相変わらずせっかちなんだから」
フレンは呆れたように笑った。
その様子を見て、エミヤも僅かに口元を緩める。
「相変わらずだな、貴方たちは」
「何だエミヤ。文句でもあるのか?」
「いや。実に懐かしいと思っただけだよ」
「そりゃ結構なことだ!」
豪快な笑い声が、居間に響いた。
やがて、皆で食前の挨拶を済ませ、食事が始まった。
エミヤは、まずスープを一口含む。
野菜の甘みと、じっくり煮込まれた肉の旨味。
香草の風味は控えめで、どこか落ち着く味わいだった。
思わず、頷く。
「あら、どうかした?」
フレンが、こちらへ目を向けた。
「いや。やはり、美味しいと思ってね」
「まあ、嬉しい」
「食材の味がよく引き出されている」
「そんなに褒めても、何も出ないわよ?」
「事実を述べただけだがね」
フレンは、嬉しそうに笑った。
「でも、エミヤにそう言ってもらえると、自信になるわねえ」
「貴女ほどの腕前なら、今更だと思うが」
「あらあら」
二人のやり取りを聞いていたモルデアが杯を置いた後、エミヤの皿へ肉を追加しようとする。
「待ちたまえ。まだ十分に残っているのだが」
「遠慮すんな」
「遠慮ではなく、単に食べる順番の問題だ」
「細けえこと気にすんな」
「あなた」
フレンの声が、静かに割って入った。
「あんまり無理に勧めちゃ駄目でしょう?」
「お、おう」
モルデアは、素直に皿を引っ込めた。
エミヤは、その様子を見て小さく笑う。
「貴方が剣以外で大人しく引き下がる姿は、何度見ても興味深いな」
「うるせえ」
再び、笑い声が上がった。
その声に反応したのか、ファナリーの腕の中でジェインが小さく声を上げる。
「あら、ジェイン君も楽しいのかしら?」
フレンが、赤子へ優しく微笑みかけた。
「今日は随分と機嫌が良いみたいです」
ファナリーが、控えめに笑う。
「皆さんが賑やかだからでしょうか」
「ははは。そうかもしれませんね」
ランドリドも、穏やかに頷いた。
エミヤは、もう一口スープを飲んだ。
以前も、こんな時間があった。
剣を交えた後、同じ食卓を囲む。
他愛のない話をして、時折モルデアが笑う。
そして、フレンがそれを穏やかに窘める。
何か特別なことが起こるわけではない。
ただ、食事をする。
それだけの、温かな時間だった。
◇ ◇ ◇
食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「フレンさん、片付けをお手伝いします」
ファナリーが、食器へ手を伸ばす。
「いいのよ。ジェイン君もそろそろ眠たいでしょう?」
「ですが……」
「気にしなくていいの。今日はエミヤもいるんですもの」
フレンは、にこりと笑った。
「ねえ、エミヤ?」
「当然だ」
「ふふっ。でしょう?」
ファナリーは、申し訳なさそうに頭を下げる。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ。君はジェインの世話を優先するといい」
エミヤがそう告げると、ファナリーは柔らかく微笑んだ。
ランドリドも、席を立つ。
「それでは、私たちは離れへ戻ります。エミヤさん、明日は道場の方へ顔を出しますか?」
「午前中なら時間を取れる」
「ありがとうございます。お待ちしています」
ランドリドは、丁寧に頭を下げた。
そして、妻子と共に居間を後にした。
残されたモルデアは、杯の酒を飲み干すと、大きく欠伸をした。
「……ふわぁ。さて、俺も寝るか」
「あなた、まだ食器が残っているわよ?」
「おう?エミヤがいるだろうが」
「まあ」
フレンが、にこりと微笑んだ。
「エミヤが帰ってきた途端、また昔に戻るつもりなのかしら?」
「……む」
「せっかく最近は、少しずつ手伝ってくれるようになったのに」
「分かった分かった」
モルデアは、渋々立ち上がった。
「運べばいいんだろ、運べば」
「ふふっ。ありがとう」
エミヤは、そのやり取りを眺めながら、僅かに目を細めた。
三人で食器を台所へと運ぶ。
そして、モルデアは一通りの片付けを終えると、満足したように頷いた。
「今度こそ寝る」
「ええ。おやすみなさい」
「おう。エミヤも、あんまり夜更かしすんなよ」
「ああ。貴方も良い夢を」
そうして、モルデアは奥の部屋へと消えていった。
ほどなくして、豪快な寝息が聞こえ始める。
「……早いな」
「連日、思い切り剣を振ったから、疲れたんでしょうね」
「私としても、良い時間になったよ」
「そう。それなら良かったわ」
フレンは、穏やかに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
台所には、水の流れる音が響いていた。
フレンが食器を洗い、エミヤがそれを受け取って布巾で拭く。
以前、この家で暮らしていた頃にも、何度となく繰り返した作業だった。
互いに手順を確かめる必要はない。
フレンが皿を渡せば、エミヤがそれを拭く。
エミヤが棚へ食器を戻せば、フレンは次の皿へ手を伸ばす。
言葉を交わさずとも、自然と作業が進んでいった。
「こうしていると、懐かしいな」
エミヤが、ふと呟く。
「あら、そう?」
「こうして貴女と台所に立つのは久しぶりだ」
「そうねえ」
フレンは、楽しそうに笑った。
「エミヤが来てくれてから、随分と助かったもの」
「大したことはしていないがね」
「そんなことないわよ。お掃除も、お料理も。いつの間にか、色々と手伝ってくれていたでしょう?」
「世話になっていた身としては、当然のことだ」
「あらあら」
フレンは、少しだけ目を細めた。
「そういうところ、昔から変わらないわねえ」
「……そうかね?」
「ええ」
フレンは、最後の皿を洗い終えた。
「でもね、エミヤ」
「何かね?」
「私たちは、別にお手伝いをしてもらうために、あなたに泊まってもらっていたわけじゃないのよ?」
「無論、理解しているつもりだが」
「ふふっ。なら、いいの」
フレンは、それ以上何も言わなかった。
エミヤも、布巾を畳んだ。
片付けは、すべて終わっていた。
「さて」
エミヤは、棚へ目を向ける。
「少し、茶でも淹れようか」
「あら、いいの?」
「夕食の礼だ。大したものではないがね」
「それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」
エミヤは、慣れた手つきで茶葉の容器を取り出した。
湯を沸かし、器を温める。
茶葉の量を確かめ、香りが立つのを待つ。
フレンは、そんな様子を楽しそうに眺めていた。
「本当に、手慣れているのねえ」
「こういったことは、昔から嫌いではないのでね」
「そうなの」
やがて、二人分の紅茶が用意された。
エミヤは、居間の長机へとカップを運んだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
フレンが、一口飲む。
「……まあ、美味しい」
「それなら良かった」
「エミヤが淹れてくれるお茶も、久しぶりね」
「そうだな」
二人は、向かい合って腰を下ろした。
先ほどまでの賑やかさが嘘のように、家の中は静かだった。
窓の外には、穏やかな夜が広がっている。
遠くから、虫の声が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
「ねえ、エミヤ」
しばらくして、フレンが口を開いた。
「お話を聞かせてもらってもいいかしら?」
「話?」
「ええ。王都でのことよ」
エミヤは、僅かに首を傾げた。
「それなら、昼間にある程度話したと思うが」
「そうだったかしら?」
「ベリルの近況については、一通り伝えたはずだ。ミュイのことも話したし、騎士団での様子も――」
「もう、エミヤったら」
フレンが、困ったように笑った。
「それは聞いたわよ」
「む?」
「でもね、エミヤ。私はあなたのお話を聞いた覚えがないわねえ」
「……私の?」
「ええ」
フレンは、当然のように頷いた。
「昼間だって、私は王都での暮らしを聞いたつもりだったのよ。でも、あなたったら、ベリルの話ばかりするんですもの」
「それは」
「もちろん、あの子の話を聞けたのは嬉しかったわ。でもね」
フレンは、穏やかに微笑んだ。
「あなたがどうしているのかも、知りたいの」
エミヤは、言葉に詰まった。
「……何故かね?」
思わず、そんな言葉が出た。
フレンは、少し呆れたように目を細める。
「どうして、そんなことを聞くの?」
「いや……」
「一年も一緒に暮らしたでしょう?」
「ああ」
「ベリルの大切なお友達でもあるし、私たちにとっても、もう知らない人じゃないわ」
「それは、そうだが」
「だったら、近況くらい聞きたくなるものよ」
あまりにも自然な言葉だった。
エミヤは、返答に困った。
昼間のモルデアといい、今のフレンといい。
この家の者たちは、どうしてこうも当然のように言うのだろう。
「……似た者夫婦だな、貴方たちは」
「そうかしら?」
フレンは、楽しそうに笑った。
「それで、どうなの?王都では、元気にしている?」
エミヤは、紅茶を一口飲んだ。
「そうだな。まずは……」
少し考え、言葉を選ぶ。
「騎士団の指南役補佐として、ベリルと共に仕事をしている」
「ええ、それは聞いたわ」
「訓練の補助や、団員たちへの指導が主な役割だ。とはいえ、ここで道場の手伝いをしていた時と大きな差はない」
「まあ。大変じゃない?」
「それほどでもない。彼らは熱心だし、教える側としても得るものは多い」
「そうなのね」
フレンは、嬉しそうに頷いた。
「それで、皆さんとは仲良くしているの?」
「……仲良く?」
「ええ。お仕事以外でも、お話したりするのかしら?」
エミヤは、少し考えた。
「最近だが、訓練の後に酒場へ誘われたよ」
「あら!」
「騎士団の者たちも、随分と賑やかな連中でね」
「ふふっ。楽しそう」
「楽しいかどうかは、さておき」
そう言いかけて、エミヤは言葉を止めた。
思い返せば、悪い時間ではなかった。
訓練の後に、酒場で交わした他愛のない会話。
時には、団員たちから料理の相談を受けることもあった。
ベリルと共に、彼らの成長を喜ぶこともあった。
「……まあ、悪くはないな」
そう答えると、フレンは嬉しそうに笑った。
「それなら、良かったわ」
エミヤは、紅茶へ目を落とした。
まだ、湯気が立っていた。
「他にも、いくつか話はあるが」
「あら、そうなの?」
「大したことではないがね」
「いいのよ。聞かせてちょうだい」
フレンは、両手でカップを包むように持った。
「今夜は、まだ時間があるもの」
エミヤは、少しだけ目を細めた。
そして、静かに口を開いた。
「では、少し長くなるかもしれんが」
フレンは、嬉しそうに頷いた。
「ええ。いくらでも」
エミヤは、しばし考え込んだ。
改めて自分の近況を話せと言われても、何から話したものか。
思い返せば随分と慌ただしい日々だったように思う。
だが、その大半は仕事に関することである。
それを話したところで、フレンが楽しめるものだろうか。
「……そうだな。騎士団の仕事以外にも、いくつか頼まれ事をしていてね」
「そうなの?」
「ああ。ギルドの新人たちと、ダンジョンへ赴いたこともある」
「まあ、ダンジョンに?」
フレンが、目を丸くした。
「危なくなかったの?」
「危険がないとは言わんが、彼らにとっては良い経験になったはずだ」
「それで、その子たちはどうだったの?」
「どう、とは?」
「ちゃんと、無事に帰ってこられたのでしょう?」
「無論だ」
「ふふっ。良かったわ」
「……彼らも、よくやっていたよ」
エミヤは、少しだけ言葉を付け加えた。
フレンが気にしたのは、同行した新人たちの無事だった。
「また一緒にお仕事をすることもあるのかしら?」
「どうだろうな。機会があれば、というところだ」
「それなら、また会えるといいわね」
エミヤは、静かに頷いた。
話題は、自然と王都での暮らしへと移っていった。
騎士団での訓練。
魔術学院との交流。
最初は、出来事を順番に説明していたエミヤだったが、フレンがその都度問い掛けてくるため、次第に話は横道へ逸れていった。
「魔術学院でもお仕事をしているの?」
「いや、ベリルは臨時講師をしているが、私は特別仕事をしているわけではない。関係者に縁があってね」
「まあ。魔法の学校なんて、私には想像もつかないわねえ」
「私も、魔術に対して国が推奨するような学び舎があることに、最初は少々驚いたよ」
「ふふっ。エミヤでも驚くことがあるのね」
「無論だ。私を何だと思っているのかね」
フレンは、楽しそうに笑った。
「何でもできる人、かしら?」
「買い被りも甚だしいな」
エミヤは苦笑し、紅茶を一口飲んだ。
随分と話したつもりだったが、フレンはまだ聞き足りないらしい。
むしろ、話題が増えるたびに楽しそうにしている。
まったく、不思議な人だ。
「……そういえば」
エミヤは、ふと思い出したように口を開いた。
「料理をする機会も、随分と増えたな」
「あら!」
フレンが、顔を上げる。
「王都でも、お料理を?」
「ああ。騎士団の食堂を手伝うことがあってね」
フレンは、嬉しそうに笑った。
「それは、皆さん喜んだでしょう?」
「ありがたいことに、評判は悪くない」
「ふふっ。そうでしょうねえ」
「随分と自信があるのだな」
「だって、エミヤのお料理は美味しいもの」
あまりにも当然のように言われ、エミヤは言葉に詰まった。
「それは、どうも」
「食堂のお手伝いは、今も続けているの?」
「時折、な。もっとも、最近は別の仕事も増えたのでね」
「そうなの?」
「ああ。実は、喫茶店を一軒任されることになった」
「まあ!」
フレンは、目を丸くした。
「喫茶店?」
「ああ」
「エミヤが?」
「何故、そこまで驚くのかね」
「だって、騎士団のお仕事をしているんでしょう?」
「無論だ」
「それなのに、喫茶店まで?」
「……まあ、色々と事情があってね」
エミヤは、少しだけ視線を逸らした。
「流れで、引き受けることになった」
「あらあら」
フレンは、口元へ手を添えた。
「エミヤらしいわねえ」
「そうかね?」
「ええ。きっと、困っている人がいたのでしょう?」
エミヤは、返答に窮した。
確かに、そうした事情がなかったとは言えない。
だが、それだけで引き受けたわけでもない。
自分にできることがあり、必要とされる場所があった。
それだけの話だ。
「……まあ、否定はせんよ」
そう答えると、フレンは嬉しそうに笑った。
「ふふっ。それで、お店はどうなの?」
「ああ。少しずつ形になってきている」
「良かったわねえ」
「幸い、手伝ってくれる者もいるのでね。ミュイが手伝ってくれている話は、聞いたかね?」
「えぇ、本人から聞いたわ。ミュイちゃん、うちに来てくれた時も、よくお手伝いしてくれたのよ」
「それはよかった。彼女自身、努力している証拠だろう」
フレンは、満足そうに頷いた。
そして、少し考えるように首を傾げる。
「でも、エミヤ」
「何かね?」
「騎士団のお仕事に、喫茶店まで……ちゃんと、お休みは取っているの?」
エミヤは、僅かに動きを止めた。
「無論、必要な休息は取っているとも」
「あら、本当に?」
「疑っているのかね」
「ふふっ。だって、随分と忙しそうなんですもの」
「問題はないさ」
そう答えると、フレンは困ったように笑った。
「エミヤは、昔から働き者だったものねえ」
「そうかね」
「ええ。あの頃だって、頼んでもいないのに、家のことを色々と手伝ってくれていたでしょう?」
「世話になっていた身としては、当然のことだ」
「そういうところよ」
エミヤは、首を傾げた。
フレンは、それ以上追及しなかった。
ただ、穏やかに微笑んでいる。
「今は、どこに住んでいるの?」
「住まい?」
「王都では、どんなところで暮らしているのかしら?ベリルは家を貰ったなんて言ってたけど、エミヤも?」
「まだベリルにも話していないのだが、新しく家を一軒与えられることになった」
「まあ、良かったじゃない!」
フレンが、再び目を丸くした。
エミヤは、少しだけ苦笑した。
家を与えられることになった経緯は、決して単純なものではない。
「もっとも、まだ整えなければならないことも多いがね。家の中も、少々手を加える必要がある」
「大変ねえ。エミヤ一人で暮らすの?」
「……いや。近いうちに、もう一人、共に暮らす者がいる」
エミヤは、僅かに言葉を選んだ。
「あら、お友達?」
「まあ、知人ではあるな」
「そうなの。どんな方?」
「少々、事情を抱えた人物でね。詳しくは話せないが、生活の手助けが必要なのだ」
「……そう」
フレンは、静かに頷いた。
そして、ふと思い出したように尋ねる。
「その方は、男の人?」
「いや。女性だが」
「あらまあ!」
フレンの表情が、ぱっと明るくなった。
「それはそれは」
「……待ちたまえ」
エミヤは、思わず片手を上げた。
「貴女が何を考えているのかは知らんが、誤解のないように言っておこう。そういう関係ではない」
「まだ何も言っていないわよ?」
「フレン」
「ふふっ。ごめんなさい」
フレンは、楽しそうに笑った。
「でも、ちょっと驚いたわ」
「そうだろうな」
「その方とは、もう長いお付き合いなの?」
「いや。知り合ってから、それほど経ってはいない」
フレンは、少しだけ考えた。
「それなら、これから色々と大変でしょう?」
「まあ、そうだな」
「一緒に暮らすって、相手のことを知っていくことでもあるもの」
エミヤは、静かに頷いた。
フレンは、それ以上詳しい事情を尋ねようとはしなかった。
ただ、穏やかに微笑んでいる。
「その方も、安心して暮らせるといいわね」
「……そうだな」
エミヤは、紅茶へ視線を落とした。
「私も、そう願っているよ」
◇ ◇ ◇
それからも、二人の会話は続いた。
エミヤが何かを話せば、フレンが興味深そうに耳を傾ける。
時には驚き、時には笑い、時には心配そうに眉を寄せる。
騎士団のこと。
魔術学院のこと。
喫茶店での出来事。
行く先々で出会うベリルの弟子たちのこと。
王都での暮らしについて、思い付くままに話していく。
気付けば、随分と多くのことを話していた。
その中には、戦いの話も、自らの過去もない。
フレンが知りたかったことは、ただ、エミヤが日々をどう過ごしているのか。
誰と出会い、何をして、どのように暮らしているのか。
それだけを、楽しそうに聞いていた。
「……随分と話してしまったな」
エミヤは、空になったカップへ目を向けた。
「そうねえ」
フレンも、楽しそうに笑った。
「でも、良かったわ。色々と聞けて」
「……そうかね?」
「ええ」
エミヤは、少しだけ目を伏せた。
「しかし、こんな私の話など、面白くもなかっただろう」
フレンは、きょとんとした。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなことないわよ」
「……」
「私は、あなたがどうしているのか、知りたかっただけなの」
エミヤは、顔を上げた。
フレンは、穏やかに微笑んでいた。
「ちゃんとご飯を食べているのかしら。お仕事は大変じゃないかしら。仲の良い人はできたのかしら」
「…………」
「そういうお話が聞けて、嬉しかったわ」
その言葉は、どこまでも自然だった。
エミヤは、返す言葉を探した。
今こうして向けられている気遣いには、少しだけ、どこか馴染みの薄いものがあった。
フレンは、エミヤの母ではない。
当然、彼女もそんなつもりで接しているわけではないだろう。
ただ、一年の間、同じ屋根の下で暮らした相手。
それだけの縁のはずだった。
だというのに。
「……貴女は」
エミヤは、静かに口を開いた。
「随分と、世話好きな人だな」
「あら、そうかしら?」
「ああ」
フレンは、楽しそうに笑った。
「だって、気になるんですもの」
エミヤも、僅かに笑った。
「それは、ありがたいことだ」
フレンが、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ休みましょうか。明日も早いのでしょう?」
「ああ。昼前には、王都へ戻るつもりだ」
「そう。残念だけれど、仕方ないわね」
「急な帰省だったのでね。向こうにも、やるべきことが残っている」
「ええ。分かっているわ」
フレンは、カップを片付けようとした。
エミヤも、手を伸ばす。
「私がやろう」
「いいのよ。今夜はもう、十分手伝ってもらったもの」
エミヤは、素直に手を引いた。
その時だった。
「ああ、そうだわ」
フレンが、何かを思い出したように振り返った。
「エミヤ。まだ、聞いていないことがあるの」
「……何かね?」
「それじゃあ、改めて」
フレンは、穏やかに微笑んだ。
「お帰りなさい、エミヤ」
「…………」
エミヤは、言葉を失った。
昼間にも、同じ言葉を掛けられた。
あの時は、何と返せばよいのか分からなかった。
そして今も、答えは見つかっていない。
ただ、フレンは急かさなかった。
何かを求めるようでもなく、ただ穏やかに待っている。
「……まったく、この家の者たちは、揃いも揃って強引だな」
フレンは、楽しそうに笑った。
エミヤは、しばし黙っていた。
たった一言。
口にするだけなら、難しいことではない。
だが、その言葉を自分が使ってよいのか。
そんなことを考えてしまう。
そして、ふと思った。
モルデアも、フレンも、一年前と何も変わらない。
同じ食卓を囲み、食器を片付け、他愛のない話をする。
かつて、この家で繰り返していた時間だった。
そして今も、こうして自分を迎えてくれている。
ならば。
「……ただいま」
静かな声だった。
フレンは、嬉しそうに頷いた。
「ええ」
それだけだった。
だが、エミヤは不思議と、それで十分だと思えた。
「……ありがとう、フレン」
「あら、どういたしまして」
フレンは、優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、エミヤは陽が昇るよりも早く目を覚ました。
以前使っていた部屋は、ほとんど変わっていなかった。
荷物をまとめ、身支度を整える。
その後、エミヤは簡単な朝食を用意した。
焼きたてのパンに、卵料理。
温かなスープと、少量の野菜。
フレンが台所へ顔を出した時には、既に大方の準備が終わっていた。
「あらまあ。エミヤったら」
「おはよう、フレン。勝手に台所を借りたが、構わなかったかね?」
「もちろんよ。でも、せっかく帰ってきたのに、そんなに働かなくてもいいのに」
「性分なのでね」
やがて、モルデアも起きてきた。
「おう、何だ。良い匂いがするじゃねえか」
「朝食だ。口に合えば良いがね」
「お前の飯なら、心配いらねえな」
「随分と信用されているものだ」
「当たり前だろうが」
エミヤは、苦笑した。
こうして、朝の食卓も賑やかなものとなった。
朝食を終えると、エミヤは道場へと足を運んだ。
ランドリドから近頃の稽古の様子を聞き、木剣や道場の設備を一通り確かめる。
以前と変わらぬ場所でありながら、師が変わったことで、そこには確かな変化があった。
「良い道場だな」
エミヤがそう告げると、ランドリドは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。先生にも、そう言っていただけました」
エミヤは、静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
昼前。
エミヤは、荷物を肩に掛け、ガーデナント家の前に立っていた。
見送りには、モルデアとフレン。
そして、ランドリドも家族と共に顔を出していた。
「おいおい、エミヤ」
モルデアが、呆れたように腕を組む。
「嵐みてえに来て、嵐みてえに帰りやがる。せわしねえ奴だな」
「そもそも、急に呼びつけたのは貴方だろう」
「そりゃそうだがよ。もう少しくらいいてもいいじゃねえか」
「生憎、王都にもやるべきことが残っているのでね。暇ではないのだよ」
エミヤは、苦笑した。
そして、少しだけ言葉を選ぶ。
「……まあ」
「ん?」
「次は、もう少し時間を作るとしよう」
モルデアが、目を細めた。
「ほう?」
「土産も持って、ゆっくり帰るさ」
「はっはっは!」
モルデアが、豪快に笑った。
「そりゃ楽しみにしてるぞ!」
フレンも、嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。いつでも待っているわ」
ランドリドも、穏やかに頷く。
「また、道場にも顔を出してくださいね」
「ああ。もちろんだ」
ファナリーの腕の中で、ランドリドの子供が小さく声を上げる。
エミヤは、僅かに口元を緩めた。
「さて。それでは、そろそろ行くとしよう」
「気を付けてな」
モルデアが、片手を上げた。
フレンは、いつものように微笑んでいる。
「それじゃあ、エミヤ」
そして、二人の声が重なった。
「行ってらっしゃい」
エミヤは、足を止めた。
振り返る。
そこには、変わらない笑顔があった。
少しだけ、目を細める。
「……ああ。行ってきます」
そう告げて、エミヤは村を後にした。