ここ好きの反応、感謝です。
本話で伍章は区切りとなります。
本章では、エミヤさんの守護者時代とこの世界の暮らしを表現したいと考えてました。
それは、ここまで皆様に励ましていただきながら続けられた本作で大切にしたかったことです。
あらためて、拙い私の二次創作にお付き合いいただき、ありがとうございます。
次章の構想はありますが、原作とは大きく外れた展開になるかと思います。
またか、と呆れながら見守っていただけますと幸いです。
……つまり、読者の皆様が、エミヤさん呆れスマイル……それは、良き、ですね。
――それは、エミヤが都市に戻った一週間後のことだった。
魔術学院の一室に、鋼の音が響いた。
甲高い衝突音が幾度も重なり、石造りの室内に反響する。
本来であれば魔術の実技講義に用いられる広間だったが、今日は様子が異なっていた。
床には幾重もの魔法陣が刻まれ、壁面には淡い光を帯びた術式が張り巡らされている。
その中心で、三人の剣士が刃を交えていた。
「――はっ!」
アリューシア・シトラスの鋭い刺突が、赤い外套を纏った男へ迫る。
最短の軌道。
無駄のない踏み込み。
"神速"の二つ名に恥じぬ、王国騎士団長として磨き上げた一撃は、並の剣士であれば反応すら許さない。
だが、その剣先は、"巨大な斧"によって弾かれた。
ギィンッ!!
「その程度では崩せん」
エミヤは短く告げる。
手にしているのは、黄金の輝きを宿した、異様なまでに巨大な戦斧。
雷神の如き力を振るった、ある英霊の武装。
――坂田金時。
その豪快な武器を、憑依経験を行使したエミヤは、まるで長年使い慣れた得物であるかのように扱っていた。
「ですが、まだ!」
アリューシアが即座に切り返す。
一撃目が防がれることは想定済み。
彼女は斧の重量と長大な間合いを見極め、懐へ潜り込もうとする。
しかし、その動きを阻んだのは、エミヤの斧ではなかった。
「――っ!」
エミヤの足が、僅かに動く。
踏み込みではない。
身体の軸をずらし、彼女の剣先を外側へ誘導するための一歩。
アリューシアがその意図を悟った瞬間、エミヤは斧を引き戻していた。
「団長殿!」
背後から声が飛ぶ。
ヘンブリッツは既にエミヤの側面へ回り込み、全身の力を込めて剣を振り下ろしていた。
「――はぁぁ!!」
ガァンッ!!
凄まじい衝撃が広間を震わせる。
剣と斧が正面から衝突し、床に刻まれた防護術式が一瞬だけ強く発光した。
だが、エミヤは退かなかった。
むしろ、斧を握る腕へ力を込める。
「……っ!」
ヘンブリッツの表情が変わる。
――重い。
普段の剣とは、根本から異なる。
大剣と対峙した時に感じたように、剣術の技巧で力を受け流すのではなく、圧倒的な膂力で正面から押し返してくる。
「つくづく怪力だな、"轟剣"」
「っ!誉め言葉として、受け取りますよ!!」
「――では、これはどうかね」
斧を振り抜いた。
ドンッ!!
ヘンブリッツの身体が後方へ弾き飛ばされる。
咄嗟に剣を立てて衝撃を分散したものの、足は床を滑り、数歩分の距離を強制的に後退させられた。
「――そこです!」
ヘンブリッツと入れ替わるように、アリューシアは再び、エミヤの懐へ神速の踏み込みを見せた。
巨大な斧を振り抜いた直後。
重量のある武器であれば、次の動作に移るまで必ず隙が生じる。
そのはずだった。
「っ!?」
エミヤは斧の柄を短く握り直していた。
長大な武器を、まるで短槍のように扱う。
振り抜いた斧頭を戻すのではない。
柄の中央付近を握り、残る部分を利用してアリューシアの剣を受け止める。
ギィンッ!
「軽い一撃だな、容易いものだ」
「くっ!その程度の挑発で揺らぐとでも!」
「思わんさ。だが、これも性分でね」
アリューシアは即座に剣を引き、次の刺突へ移る。
しかし、エミヤは彼女の動きを見切っていた。
斧の柄尻が、短く突き出される。
「――っ!」
アリューシアは首を傾け、紙一重で回避。
その直後、エミヤの片手が斧から離れ、拳を振るう。
武器を持つ相手が突然素手で殴りかかってくる、そのような意表を突く攻撃にもアリューシアは咄嗟に上体を逸らし、拳を躱す。
だが、そこで終わらない。
エミヤは拳を引き戻すと同時に斧を握り直し、身体を回転させた。
巨大な斧頭が、横薙ぎに迫る。
「くっ!」
アリューシアは後方へ跳ぶ。
刃は届かない。
そう判断した、その瞬間だった。
――バチッ。
「……っ!?」
黄金の斧から、青白い雷光が散った。
刃そのものは回避した。
だが、斧に纏わりついていた雷撃の一端が、アリューシアの身体へ触れる。
ほんの一瞬だけ、手足が強張った。
(しまっ――!)
エミヤの眼が、その隙を捉える。
「そこだ」
斧が振り上げられた。
雷光を纏った刃が、動きを止めたアリューシアへ落ちる。
防御が間に合わない。
そう判断した瞬間。
「――させません!!」
ガァァンッ!!
横合いから、轟音が叩き込まれた。
弾き飛ばされていたはずの副団長が、再び間合いへ踏み込んでいた。
彼の剣が斧の側面を打ち据え、落下する軌道を強引に逸らす。
雷光が床を走り、防護結界が激しく明滅した。
「……見事だ」
エミヤが感心したように呟く。
しかし、ヘンブリッツは答えない。
斧を逸らした勢いのまま、追撃へ移る。
「はああっ!」
轟剣。
再び、全力の一撃。
だが、エミヤはその攻撃を受けなかった。
素早く後方へ退き、斧を大きく横へ振るう。
――バヂィッ!!
雷撃が、広間の床を這った。
「っ!」
ヘンブリッツが足を止める。
アリューシアも、硬直から回復した直後に後退を選んだ。
二人が距離を取った、その瞬間。
エミヤの手元から、黄金の斧が消えた。
光の粒子となり、空気へ溶ける。
「次だ」
代わって、その手に一振りの剣が現れた。
装飾を施された、端正な騎士剣。
豪快な戦斧とは対照的な、静かな佇まいを持つ武装だった。
エミヤは剣を構えた。
その構えを見て、アリューシアが眉をひそめる。
剣先は低い。
身体の軸は安定している。
攻撃の意思がないわけではない。
しかし、先ほどまでの戦斧とは、明らかに気配が異なっていた。
(守りの構え?)
「行きますっ!」
アリューシアが踏み込む。
ヘンブリッツも、それに呼応した。
二人の連携は、騎士団の中でも随一だ。
互いの動きを妨げず、攻撃の間隙を埋める。
一人が攻めれば、もう一人が退路を断つ。
一人が受ければ、もう一人が斬り込む。
幾度もの実戦と訓練によって磨かれた、騎士団双翼の連携。
「……っ!」
アリューシアの剣が、受け流された。
続くヘンブリッツの一撃も、同じだった。
剣が交わる。
しかし、エミヤは攻めてこない。
最小限の動きで刃を逸らし、身体を入れ替え、二人の攻撃を封じていく。
「……これは」
ヘンブリッツが呟く。
先ほどの斧は、圧倒的な力を押しつける武器だった。
だが今の剣は違う。
攻撃を受けることそのものに、意味があるかのようだった。
「ヘンブリッツ、右を!」
「分かりました!」
アリューシアが速度を上げる。
ヘンブリッツが正面から圧力をかける。
左右からの同時攻撃。
しかし、エミヤは一歩だけ退いた。
それだけで、二人の攻撃の間合いが僅かにずれる。
先に届いたアリューシアの剣を受け流し、その剣筋を利用してヘンブリッツの進路を塞ぐ。
「……っ!」
「くっ!」
二人は即座に連携を組み直す。
だが、再び攻め込んでも結果は変わらなかった。
エミヤの剣は、決して派手ではない。
大きく振るわず、無理に攻めず、必要な場所にだけ刃を置く。
それは、守ることを本分とした騎士の剣。
――ゲオルギウス。
竜殺しの聖人として知られる守護騎士が振るった武装と、その戦いの経験。
エミヤは投影した剣から読み取った記憶を、自身の技量へ重ね合わせていた。
無論、英霊本人の技量を完全に再現できるわけではない。
だが、それでも。
(……崩せない)
アリューシアは歯を噛む。
こちらの剣は届いている。
しかし、届くべき場所に届かない。
剣先が逸れ、踏み込みが封じられる。
連携の隙を埋めたはずなのに、次の一手が遅れる。
「厄介ですね」
ヘンブリッツも同じ結論に至っていた。
「ええ」
アリューシアは短く答える。
「ですが、守り続けるだけなら――」
「いつかは崩せる、かね?」
エミヤが言葉を引き取った。
「……っ!」
「その考え自体は間違っていない」
剣が閃く。
アリューシアの刺突を逸らし、ヘンブリッツの斬撃を受け止める。
「だが、相手が守りに徹しているからといって、攻め手がないとは限らない」
二人の足が、僅かに止まった。
エミヤはその一瞬を逃さなかった。
「――投影、開始」
空気が震えた。
エミヤの背後に、幾つもの光が浮かび上がる。
一本。
二本。
十本。
そして、数十本。
形状も長さも異なる剣が、虚空へ次々と現れた。
「――っ!」
アリューシアの表情が引き締まる。
見覚えがあった。
忘れられるはずがない。
魔術学院の地下で対峙した、あの影も行った、無数の剣による射出攻撃。
「ヘンブリッツ!」
「はい!」
二人は即座に防御へ移行した。
エミヤの背後に浮かぶ剣が、僅かに角度を変える。
「――行くぞ」
直後。
無数の剣が、放たれた。
ガガガガガガッ!!
鋼の雨。
刃が空気を裂き、二人へ殺到する。
「――はああっ!」
ヘンブリッツが剣を振るう。
迫る刃を打ち払い、受け流し、致命的な軌道だけを確実に弾く。
アリューシアは、持ち前の眼と速度を活かして剣の間を抜ける。
一本を躱し、次の一本を弾き、さらに迫る刃を受け流す。
だが、数が多い。
「くっ……!」
一振りが、アリューシアの肩を掠めた。
直後、彼女の身体を覆う淡い光が強く輝く。
防護魔術。
キネラが展開した結界が、斬撃の威力を吸収していた。
「……防護術式、正常です!」
広間の外縁から、キネラの声が響く。
キネラは床に刻まれた魔法陣へ魔力を流し続けていた。
学院の施設を守る結界。
そして、模擬戦に参加する二人を保護する防護術式。
いずれも彼女が中心となって維持している。
とはいえ、無制限に攻撃を受け止められるわけではない。
エミヤ自身も威力を調整しているが、騎士団双翼への信頼から、その攻撃は決して生易しいものではなかった。
キネラが結界の調整や維持を続ける中、その傍らでは、ベリル、クルニ、フィッセルの三人が戦闘を見守っていた。
「……す、すごいっすね」
クルニが目を丸くする。
「これ、本当に模擬戦なんすか……?」
「うん」
フィッセルは短く答えた。
その視線は、一度も戦場から外れない。
「エミヤさんの、魔術師としての姿……あの時に対峙した影と、同じ戦い方」
「フィスちゃんも、団長たちも、あんな苛烈な攻撃と対峙してたっすね……」
その言葉に、クルニは再び広間を見る。
二人は剣の雨を前にしても、退いていなかった。
傷を負いながらも、防御の姿勢を崩さない。
一撃ごとに対応を変え、互いの死角を補い合っている。
「……だけど」
フィッセルが小さく呟く。
「まだ、終わらない」
彼女の視線の先。
エミヤの手に、新たな剣が現れていた。
それは、これまでの武装とは明らかに異なっていた。
幅広の刀身。
重厚な造形。
そして、剣そのものが放つ、異様な存在感。
竜殺しの英雄が振るった魔剣。
――バルムンク。
「……っ!」
その武器が何であるか、エミヤ以外には分からない。
だが、彼が構えた瞬間、周囲の魔力が変化した。
「……まずいですね」
キネラが呟いた。
床に刻まれた防護術式が、エミヤの魔力に反応している。
明らかに、これまでとは違う。
「エミヤさん、それは――」
キネラが声を上げようとした、その時。
「――っ!」
アリューシアが駆け出していた。
彼女もまた、危険を察知していた。
剣の雨を掻い潜り、エミヤへ接近する。
一歩。
二歩。
神速の踏み込み。
しかし、直前に放たれた投影剣が、彼女の進路を塞いだ。
それだけで、僅かな時間を失う。
(……足りない!)
エミヤは、速度の速い彼女が間に合わないと見越して真名解放の準備を進めていた。
既に、バルムンクを構えていた。
刀身へ魔力が集束する。
剣の奥に刻まれた真名。
それを呼び起こすための、ほんの僅かな準備。
「撃ち落とす――」
エミヤが口を開く。
だが、その瞬間。
「――エミヤ殿!!」
ヘンブリッツの声が響いた。
エミヤの視線は、アリューシアへ向いていた。
ヘンブリッツとの距離を把握していたエミヤは、彼では間に合わないことを計算していた。
だからこそ、意識の外から迫る一撃への対応が、僅かに遅れた。
――ギィンッ!!
飛来したのは、一本の剣。
ヘンブリッツが、自らの得物を投擲していた。
「……っ!」
エミヤは反射的にバルムンクを動かす。
剣と剣が衝突した瞬間、刀身へ集束していた魔力が乱れる。
真名解放に至る直前、宝具の発動は中断された。
エミヤの口元が、僅かに緩む。
ヘンブリッツは、普段から剣を手放す戦い方をしない。
ましてや、彼の轟剣は、剣を握ってこそ真価を発揮する。
だが、エミヤとの幾度もの稽古。
ベリルから受けた指導。
そして、かつて学院地下で味わった、あの絶望。
それらが、ヘンブリッツに一つの決断を下させていた。
――間に合わないなら、剣を投げればいい。
剣士としての常道に拘る必要などない。
勝つために必要な一手があるのなら、躊躇する理由はなかった。
「見事な判断だ」
エミヤは短く告げる。
だが、賞賛はそれだけだった。
「しかし――」
即座に踏み込む。
バルムンクを握ったまま、エミヤはヘンブリッツへ迫った。
剣を手放した騎士。
今、最も無防備な相手。
その隙を見逃すほど、エミヤは甘くない。
「――っ!」
ヘンブリッツが身構える。
だが、手元に剣はなく、距離も足りない。
「――させません!!」
アリューシアが駆けつけた。
エミヤの側面。
彼の斬撃がヘンブリッツへ届くより早く、アリューシアの剣が迫る。
「当然、来ると思っていた」
エミヤは、急に身体の向きを変えた。
「――っ!?」
標的が、変わった。
その剣先はヘンブリッツではなく、アリューシア。
駆けつけた彼女こそが、エミヤの狙いだった。
バルムンクが、横薙ぎに振るわれる。
「――くっ!」
アリューシアは即座に剣を構えた。
ベリルから教わった受けの型は、刃筋を逸らし、衝撃を身体全体へ分散させる。
ガァァンッ!!
凄まじい衝撃が、彼女の腕を襲う。
足元の床が軋み、防護術式が光を放った。
アリューシアは倒れない。
だが、その直後、エミヤの剣が再び動く。
「まだだ」
二の太刀。
受けの型を使った直後の、僅かな硬直。
そこへ、容赦なく斬撃が迫る。
「――っ!」
アリューシアが防御へ移ろうとする。
だが、その前に。
「――おおおっ!!」
ヘンブリッツが踏み込んだ。
剣はない。
だからこそ彼は、拳を振るった。
「……!」
エミヤは上体を逸らす。
拳が頬を掠めた。
ほんの僅かな回避。
だが、その動きによって、アリューシアへの追撃が止まる。
「――今です!」
アリューシアが、踏み込んだ。
神速による、鋭い刺突がエミヤへ迫る。
エミヤは即座に剣を構え直す。
ギィンッ!!
バルムンクが、アリューシアの剣を受け止めた。
その間にヘンブリッツは、床へ落ちていた自らの剣へ駆け寄る。
そして、再び構えた。
「お待たせしました、団長殿!」
「いいえ」
アリューシアは、エミヤから視線を外さずに答える。
「十分です」
二人が並び、剣を構える。
互いの呼吸を合わせる。
その姿を見て、エミヤは静かに息を吐いた。
「なるほど」
かつての学院地下。
あの影を相手に、二人は幾度も死線を越えた。
それでも、最後には追い詰められた。
理不尽な存在を前に、常人の努力程度では足りなかった。
剣が通じない。
力が届かない。
経験が足りない。
そして、どれほど鍛えた者であっても、敗北による死は訪れる。
だが今、目の前にいる二人は、あの時のままではなかった。
エミヤは、小さく笑う。
「実に、良い判断だった」
ヘンブリッツが、僅かに目を細める。
アリューシアも、口元に笑みを浮かべた。
だが、二人とも剣は下ろさない。
「まだ、終わっていませんから」
「ええ。もう少し、お付き合いいただきます」
エミヤはバルムンクを構え直した。
「望むところだ」
次の瞬間。
アリューシアとヘンブリッツが、同時に踏み込んだ。
再び、鋼の音が広間を満たした。
◇ ◇ ◇
「――そこまでにしようか」
ベリルの穏やかな声が、広間に響いた。
その一言で、三人の剣士が動きを止める。
エミヤは構えていた剣を下ろし、アリューシアとヘンブリッツもまた、互いに距離を取った。
「……ふぅ」
アリューシアが小さく息を吐く。
額には汗が浮かび、肩で呼吸を整えている。
隣のヘンブリッツも同様だった。
普段の稽古であれば、ここまで消耗することは滅多にない。
だが今日は違った。
かつて魔術学院の地下で対峙した影を思い出させる、苛烈な模擬戦だった。
「……いやはや」
ヘンブリッツが苦笑する。
「エミヤ殿との稽古は何度も経験していますが、ここまで多彩な武器を使われると、何から警戒すればよいのか分かりませんね」
「それが狙いだからな」
エミヤは淡々と答える。
その手にあった剣は、既に光の粒子となって消えていた。
「相手の武装が変われば、間合いも、攻撃の性質も変わる。剣士としての経験だけでは対応できない攻撃もあるだろう」
「ええ。身をもって理解しました」
ヘンブリッツは頷きながら、自らの剣を見下ろす。
ベリルは三人へ歩み寄り、穏やかな表情で続ける。
「アリューシアもヘンブリッツ君も、戦闘中の判断は、とても良かったと思うよ」
アリューシアが姿勢を正す。
「ありがとうございます、先生」
「君たちは既に、真正面から相手を打ち崩すことに長けている。だけど、それだけじゃ対応できない相手もいる」
「えぇ。先生やエミヤさん、そしてあの時の戦闘で、痛感しました」
「何より良かったのは、互いの判断を邪魔しなかったことかな」
「……と、いいますと?」
アリューシアの疑問に、ベリルは二人を見比べながら続ける。
「ヘンブリッツ君が剣を投げた時、アリューシアは迷わずエミヤのところへ向かっただろう?それに、ヘンブリッツが素手で割り込んだ後も、君はすぐに攻撃へ移っていた」
ベリルは続ける。
「どちらか一人でも、相手の行動に驚いて動きを止めていたら、あの連携は成立しなかったと思う」
「……なるほど」
アリューシアが頷く。
「無意識に互いの判断を信じていた、ということでしょうか」
「うん。そういうことだね」
ベリルは満足そうに微笑んだ。
「騎士団の両翼と呼ばれるだけのことはあるよ」
その言葉に、ヘンブリッツは照れくさそうに笑った。
アリューシアも、頬を緩める。
だが、ベリルの講評はそれで終わりではなかった。
「ただ……まだ、少し気になるところはあるかな」
二人の表情が引き締まる。
「お願いします、先生」
アリューシアが即座に答えた。
ベリルは頷く。
「まず、アリューシア。君は相変わらず、踏み込みの速度が速い。今日もエミヤに何度も接近できていた」
「ありがとうございます」
「でも、速いからこそ、相手の誘いに乗ってしまうことがある」
アリューシアは僅かに目を伏せた。
最後の攻防。
ヘンブリッツを狙ったエミヤへ、迷わず駆けつけた。
しかし、エミヤはその行動を読んでいた。
「君が助けに来ることを、エミヤは分かっていた。だから、最初から君を狙っていたんだろう」
「ああ」
エミヤも否定しなかった。
「彼女の速度は脅威だ。だが、だからこそ動くタイミングを予測できれば、こちらにも対処の余地が生まれる」
「……なるほど」
アリューシアは、自らの剣を見下ろした。
「速さだけでは、届かないこともあるのですね」
「うん。もっとも、君の場合はその速さが大きな武器だから、なくす必要はないよ」
ベリルは穏やかに続ける。
「ただ、相手が君の速さを知っているなら、そのことも考えて動くといい」
「はい。ありがとうございます、先生」
「それと、ヘンブリッツ君」
「はい」
「君は、もう少し相手の力を受け流すことを意識してもいいかもしれない」
「……やはり、そうですか」
ヘンブリッツは苦笑する。
「最初の斧の一撃、正面から受けてしまいましたからね」
「うん。君の轟剣は本当に強力だけど、相手の力がそれ以上だった時、どうしても不利になる」
ベリルは一拍置く。
「今日のエミヤは、武器を変えるたびに戦い方まで変えていた。だからこそ、相手の武器を見て、自分の戦い方も変えられるようになるといいね」
「心得ました」
ヘンブリッツは深く頷いた。
その様子を見ていたエミヤが、小さく息を吐く。
「どうしたんだい、エミヤ」
「なに。君は本当に、教えることが上手いと思ってね」
「そうかな?」
エミヤは腕を組む。
「相手の長所を理解した上で、足りない部分を示す。言葉にすれば簡単だが、実際に行うのは難しい」
「はは。長年、弟子を見てきたからね」
ベリルは照れくさそうに笑った。
「それに、君の教え方も悪くないと思うよ」
「私の?」
「うん。今日だって、二人にいろんな戦い方を見せてくれただろう?」
「まあ、そうだな」
「それが何よりの勉強になると思う」
エミヤは一瞬だけ黙った。
そして、小さく肩をすくめた。
「……そう言ってもらえるなら、幸いだ」
「それにしても……」
少し離れた場所から、クルニの声が聞こえた。
「エミヤさん、あんな大きな斧まで使えるんすね」
「そうだね」
フィッセルが頷く。
「しかも、そのあとの戦い方は、鉄壁だった」
「あの守りの剣、すごかったっす!」
クルニは興奮した様子で身振りを交える。
「団長と副団長が二人がかりで攻めてるのに、全然崩れなかったっすよ!」
「……うん」
フィッセルはエミヤを見る。
「でも」
「ん?」
「最後の大きな剣。あれは、何?」
その問いに、エミヤは僅かに目を細めた。
「途中で、魔力が急に変わった」
フィッセルは真剣な表情だった。
「あれ、もし発動していたら……」
「相応の威力にはなっただろうな」
エミヤは静かに答えた。
「もっとも、今回は発動に至らなかったが」
「……ヘンブリッツ副団長のおかげだね」
「ああ」
エミヤは頷く。
「良い判断だった」
「……しかし」
そこへ、キネラが口を挟んだ。
彼女は防護術式の維持を終え、魔法陣から手を離していた。
「正直、私としては肝が冷えましたよ」
「すまない」
「謝っていただきたいわけではありませんが……」
キネラは苦笑する。
「結界の状態を見ながら、何度か本当に模擬戦なのか疑いたくなりました」
「少々、熱が入ったかもしれんな」
「少々、ですか?」
その言葉に、クルニが思わず笑う。
アリューシアとヘンブリッツも、苦笑を浮かべていた。
キネラは一度ため息を吐くと、少しだけ表情を改めた。
「ですが、収穫は大きかったと思います」
「そうだね」
ベリルが頷く。
「特に、あの影への対策を考えるなら」
その一言で、場の空気が僅かに変わった。
ロノ・アンブロシア。
魔術学院の地下で、彼らを死の淵へ追い込んだ存在。
その名前を聞くだけで、当時の光景を思い出す者もいる。
だが、今は違った。
あの時の経験を、次へ繋げるために。
彼らは今日、この場に集まっていた。
◇ ◇ ◇
「さて……」
模擬戦を終えた一同が休憩を取る中、ベリルはエミヤの隣へ歩み寄った。
「改めて、ありがとう。エミヤ」
「なに。私としても良い訓練になった」
エミヤは壁際に置かれた水を一口飲む。
「しかし、あの二人は随分と成長したものだ」
「うん」
ベリルも頷く。
「特に、ヘンブリッツの判断は見事だった」
「そうだね」
ベリルは少しだけ笑った。
「君も、ああいう戦い方をするだろう?」
「ふむ」
「武器を投げたり、相手の意表を突いたり。剣士らしくないことも、平気でする」
「合理的な選択をしているだけだがね」
「はは。そういうところだよ」
二人は小さく笑い合った。
だが、ベリルはすぐに表情を改める。
「……それで、エミヤ」
「ん?」
「一つ、確認しておきたいことがある」
「聞こう」
ベリルは少しだけ考えてから、口を開いた。
「今の俺が、君と本気で戦ったら……どうなると思う?」
エミヤは一瞬だけ、ベリルを見た。
その問いは、単なる腕試しではなく、アンブロシアを意識した問い。
ベリルの眼。
以前とは異なる力を得た、数瞬先の未来を視る眼。
それを踏まえた上での、純粋な戦力評価。
エミヤは少し考えた後、答えた。
「近接戦闘に限るのであれば、君の方が有利だろうな」
「やっぱり、そう思うかい?」
「ああ」
エミヤは迷いなく頷く。
「元々、純粋な剣技では君に分があった。そこへ、あの眼の力が加わったのだろう?」
「正直、近い距離で戦うなら、ほとんど負けないんじゃないかと思ってる」
その言葉に、エミヤは小さく笑った。
「随分と自信があるじゃないか」
「君に言うのは、少し気が引けるけどね」
「いや、構わん」
エミヤは首を振る。
「実際、その評価は大きく間違っていないだろう」
片田舎の剣聖。
かつて他者が広めた噂話に過ぎない称号。
その名に相応しい技量を持つ男は、憧れだった父を超え、一段階覚醒した。
そして今は、偶然の産物とはいえ、剣の理を見通す眼までも備えている。
近接戦闘において、エミヤが容易く勝てる相手ではなかった。
「……もっとも」
エミヤは、静かに続けた。
「それは、私が剣で君と戦う場合の話だ」
「分かってる」
ベリルも頷く。
二人の視線が交わる。
そして、ほとんど同時に口を開いた。
「――弓だね」
「――弓だな」
一瞬の沈黙。
その後、二人は小さく笑った。
「やっぱり、そこか」
「当然だろう」
エミヤは腕を組む。
「私は元々、剣士ではないからな」
「そうだったね」
ベリルは苦笑する。
「普段は剣ばかり使ってるから、つい忘れそうになるよ」
「心外だな」
エミヤは肩をすくめる。
「私としては、弓の方が本職なのだが」
「はは。そうだね」
だが、その笑みはすぐに消えた。
「……問題は、あの影も同じことができるかもしれない、ってことだ」
「その通りだ」
エミヤの声が、僅かに低くなる。
ロノ・アンブロシア。
あの影は、エミヤの姿を模倣した。
そして、彼の武装と戦術の一部を再現していた。
「正直に言えば」
エミヤは続ける。
「私が本気で君を仕留めようとするなら、正面から剣を交える必要はない」
「……うん」
「距離を取り、射撃に専念すればいい」
ベリルは頷いた。
その意味は、よく分かっていた。
剣士としての力量で上回っていても、相手が間合いへ入ってこなければ意味がない。
ましてや、エミヤの弓は、単なる遠距離攻撃ではなかった。
「直接見ていないけど、君の矢にも、いろいろあるんだろう?」
「ああ」
エミヤは淡々と答える。
「例えば、防御を貫くことに特化した矢がある。並の防護魔術や盾であれば、容易く貫通するだろう」
ベリルは眉をひそめる。
「他には、着弾と同時に爆発し、周囲一帯を吹き飛ばす矢」
「……」
「そして、標的を追尾する矢もある。回避したところで、容易く逃げ切れるものではない」
ベリルは小さく息を吐いた。
剣士として、敵の攻撃を見切ることには自信がある。
だが、剣士では対処のしようがない矢を、遠距離から次々と放たれたなら。
「確かに、俺一人じゃ厳しいね」
「だろうな」
エミヤは頷く。
「君の眼と剣がどれほど優れていようと、見えた攻撃すべてに対応できるとは限らん」
「うん」
「ましてや、相手がこちらの動きを読み、最適な武装を選んでくるのであれば、なおさらだ」
あの影との戦いを思い出す。
初めて対峙した時。
相手は自分の知るエミヤと同じ剣技を使っていた。
未知の武装。
予測できない攻撃。
それは、あまりにも合理的な殺しの手順。
「やっぱり、俺一人で行くべきじゃないな」
「賢明だ」
エミヤは短く答えた。
「アリューシアとヘンブリッツ君。それから、スレナとルーシー、俺を含めて五人で行こうと思う」
「悪くない人選だな」
エミヤは即座に答えた。
「まず、アリューシアとヘンブリッツ。あの二人の連携は、今日の模擬戦でも十分に確認できた」
「そうだね」
「単独では対応できない攻撃でも、互いを補い合えば対処できる可能性がある」
ベリルは頷く。
「スレナについても、異論はない」
エミヤは続けた。
「彼女の戦闘能力は、申し分ないだろう。何より、状況への適応力が高い」
「そうだね。騎士団の二人とは違う戦い方だけど、だからこそ頼りになる」
「そして、ルーシーか。妥当だな」
エミヤは即答した。
「剣士だけで構成すれば、遠距離への対応が難しくなる。魔術による支援があれば、選択肢は大きく広がる」
「そうだね」
「そして、魔術師を増やしすぎると、魔術殺しの的になる。その点、彼女だけであれば、最悪独力でもどうにかできるだろう」
「魔術学院内の対処でもあるから人選から外せないし、何より頼りになるね」
「五人であれば、前衛と後衛を分けられる。敵の注意を分散させることもできるだろう」
「そうだね。広さや対応力を考慮しても、この人数が最適であり、限界だと思う」
「同意見だ。あとは、相手が私の戦術を模倣しているなら、連携を崩すための手段も持っているはずだ」
「君なら、そうするだろうね」
「当然だ。多人数を相手にするのであれば、まずは連携を崩す。次に、最も厄介な相手から排除する」
「……」
「そして、残った者を各個撃破する」
その言葉は、あまりにも自然だった。
まるで、何度も同じことを繰り返してきたかのように。
ベリルは、夢で見た冷徹な彼を思い出し、僅かに目を伏せる。
「……ありがとう、エミヤ」
ベリルは静かに告げた。
「君が教えてくれたこと、ちゃんと考えておくよ」
「私としても、君たちが無事に戻ってくることを願っているからな」
エミヤは肩をすくめる。
ベリルは微笑んだ。
「必ず、そうするよ」
その言葉に、エミヤも小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
――時は、少し遡る。
エミヤがビデン村から都市へ戻った、その日の夜。
「エミヤ。今夜、少し時間はあるかい?」
そう声をかけたのは、ベリルだった。
帰省を終え、都市へ戻ってきたばかりのエミヤは、少しだけ首を傾げる。
「ふむ。特に予定はないが……どうかしたのかね?」
「いや、せっかくだから、久しぶりに二人で飲まないかと思ってね」
「……ほう」
エミヤは僅かに目を細めた。
「君から誘ってくるとは、ミュイはいいのか」
「あぁ。ミュイもたまたま学院の友達と食べてくるって」
「あの子にも年相応の時間を過ごせていることは、喜ばしいな」
ベリルは同意して微笑んだ後、エミヤに向き合う。
「君に、少し聞きたいこともあるんだ」
「なるほど」
エミヤは一拍置いてから、頷いた。
「構わんよ。私も、君に村の話をしておきたいと思っていたところだ」
「そうかい?」
「ああ」
エミヤは小さく笑う。
「では、今夜は君に付き合うとしよう」
「ありがとう、エミヤ」
そうして、二人は街へと繰り出した。
◇ ◇ ◇
「――それで、村の皆の反応はどうだった?」
「ああ。変わりなかったよ」
二人が訪れたのは、街の一角にある小さな酒場だった。
騎士団の者たちがよく利用する店とは異なり、客の多くは仕事帰りの職人や商人たち。
賑やかではあるが、騒がしすぎることもない。
二人で落ち着いて話をするには、ちょうど良い場所だった。
卓上には、料理の皿と酒の入った杯が並んでいる。
ベリルはその一つを手に取り、ゆっくりと口をつけた。
「そうか。それなら良かった」
「もっとも、君の父上には少々驚かされたがね」
「おやじ殿に?」
「ああ」
エミヤは肩をすくめる。
「相変わらず、人を使うことに遠慮がない」
「……はは」
ベリルが笑う。
「何となく想像できるよ」
「まったく。呼び戻されたと言うのに、こちらの都合などお構いなしだ」
そう言いながらも、エミヤの声に不満らしいものはなかった。
むしろ、どこか楽しそうですらある。
ベリルはそれに気づき、少しだけ笑みを深めた。
「でも、嫌じゃなかったんだろう?」
「……む」
エミヤが僅かに眉を上げる。
「どうしてそう思う?」
「いや。何となく、ね」
「……やれやれ」
エミヤは小さく息を吐いた。
「君も随分と、人の顔色を読むのが上手くなったものだ」
「君ほどじゃないさ」
「どうだかな」
二人は笑い合った。
しばらくの間、村の話が続いた。
以前と変わらない村の景色。
顔を合わせた村人たち。
昔と同じように交わした挨拶。
エミヤは決して饒舌な男ではない。
だが、ベリルが尋ねれば、一つひとつ丁寧に答えてくれた。
そして、その言葉の端々には、かつて暮らした村への確かな親しみが滲んでいた。
「そういえば、お袋とは、ちゃんと話せたかい?」
「少しばかり、近況報告をしたよ」
「というと?」
「君と都市へ出てからのことを、多少な」
「……そうか」
ベリルは微笑む。
「お袋も、喜んだだろうね」
「どうだろうな。少なくとも、随分と世話を焼かれたよ」
エミヤは杯を傾ける。
「まったく、君の母上には敵わん」
「そうだろう?」
「否定はせんよ」
そんな他愛もない会話が、しばらく続いた。
やがて、卓上の料理が半分ほどなくなった頃。
ベリルは、ゆっくりと杯を置いた。
「……エミヤ」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいかい?」
エミヤは顔を上げる。
その表情を見て、何かを察したのだろう。
僅かに目を細めた。
「……私の過去に関することかね?」
「……うん」
ベリルは頷いた。
エミヤは杯を置く。
「以前、君から聞いた話で、おおよそのことは理解しているつもりだが」
「うん。俺も、君の過去を全部見たわけじゃない」
ベリルは静かに続ける。
「ただ……」
そこで、一度言葉を切った。
何を、どう伝えるべきなのか、少しだけ迷った。
あの夢で見たもの。
戦場や死、そして救うはずだった男が、死後は永遠に切り捨てる側に立ち続けたこと。
そして、その絶望の中、歩み続けた男の姿。
……歩みを止めることを、許してもらえなかった、罪人のような彼の姿。
それらは、今もベリルの胸に残っている。
「……君が、どういう人生を送ってきたのか」
ベリルは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「以前より、少しだけ分かった気がするんだ」
エミヤは黙って聞いていた。
「もちろん、夢で見ただけの俺が、君のことを全部理解できるなんて思っていない」
「……」
「それでも……あの夢を見てから、君のことを考える時間が増えたよ」
「……そうか」
エミヤは短く答えた。
ベリルは、小さく笑う。
「不思議なものだね」
「何がかね?」
「君とは、もう随分と長い付き合いになる」
「そうだな」
「村でも一緒に暮らしたし、今もこうして酒を飲んでいる」
ベリルは、目の前の男を見る。
「でも、君がここに来る前のことは、ほとんど知らなかった。当たり前のことなんだけどね」
ベリルは苦笑した。
「人には誰だって、他人の知らない過去があるんだから」
エミヤは、静かに頷く。
「まったく、その通りだ」
「ただ……」
ベリルは少しだけ表情を改めた。
「君が、あんなにも長い間、一人で戦っていたことを知ってしまうとね」
エミヤの指が、僅かに止まった。
「……何か、してやれたら。そんなことを考えてしまうんだ」
しばらく、沈黙が流れた。
周囲の喧騒だけが、二人の間を通り過ぎていく。
やがて、エミヤが小さく息を吐いた。
「君が、哀れみから告げた言葉ではないことくらい、私にもわかる。君は、本当にお人好しだな」
ベリルは苦笑する。
「よく言われるよ」
「だろうな」
エミヤは、少しだけ呆れたように笑った。
「だが、気にする必要はない」
「うん?」
「君が見たものは、既に終わったことだ」
エミヤは静かに続ける。
「私が選び、私が歩んだ道だ。君が責任を感じるようなことではない」
「……そうだね」
「それに」
エミヤは杯を手に取った。
「今の私は、こうして酒を飲む程度には、気楽に生きている」
「……」
「君も、それで十分だと思ってくれればいい」
ベリルは、しばらくエミヤを見つめていた。
そして、静かに頷いた。
「……でもね、エミヤ」
ベリルは、もう一度口を開いた。
「俺は、君のことを心配しているわけじゃないんだ」
「ほう?」
エミヤが首を傾げる。
「いや、心配していないと言えば、嘘になるけど」
ベリルは苦笑した。
「ただ……それだけじゃないんだ」
「ふむ」
「君が、この世界に来てくれて良かったと思っている」
エミヤは、僅かに目を見開いた。
ベリルは続ける。
「もちろん、君にとって良かったことなのかは、俺には分からない」
「……」
「だけど、俺にとっては良かった」
その声は、穏やかだった。
「君と出会えたことも、一緒に暮らしたことも、こうして話ができることも」
ベリルは、少しだけ笑った。
「全部、良かったと思っているよ」
エミヤは、何も言わなかった。
ただ、静かにベリルを見つめている。
「君は、あまり自分のことを話さないだろう?」
「そうかね?」
「うん」
ベリルは頷いた。
「何かを頼めば、いつも手伝ってくれる。困っている人がいれば、放っておけない」
「……」
「だけど、自分がどうしたいのかは、あまり言わない」
エミヤは、小さく苦笑した。
「まあ、否定はせんよ」
ベリルは、少しだけ笑う。
「だから、たまには君の方から頼ってくれてもいいんだよ」
「……私が?」
「うん」
ベリルは、当たり前のように頷いた。
「俺にできることなんて、剣を振るくらいかもしれないけどね」
「……」
「それでも、何かあったら話してほしい」
エミヤは、しばらく黙っていた。
ベリルもそこで区切りと感じたのか、静かに酒を呑む。
そして、思い出したかのように、エミヤに声をかけた。
「そういえば、言ってなかったね」
「なにかね?」
「――おかえり、エミヤ」
「…………やれやれ」
小さく息を吐いたエミヤは、僅かに笑った。
「まったく、似た者親子だ」
「……ん?」
ベリルが首を傾げる。
「おやじ殿のことかい?」
「いや」
エミヤは首を振り、小さく笑う。
そして、少しだけ目を細めた。
何の気負いもなく。
まるで、昔からそうしてきたかのように。
「――ただいま」
そう、答えた。
「……」
今度は、ベリルが目を見開く番だった。
ほんの僅かな間。
彼は、目の前の友人を見つめていた。
それから、小さく笑った。
「うん」
その声は、穏やかだった。
「おかえり」
やがて二人は店を出て、歩き始める。
夜の街を、肩を並べて。
明日になれば、また忙しい日々が始まるだろう。
騎士団の稽古や各々の生活。
そして、いずれ訪れる、あの影との再戦。
決して、穏やかなことばかりではない。
だが、この瞬間だけは、そんなことを考える必要もなかった。
ただ、友人と酒を飲み、他愛もない話をして、帰ってきたことを喜ばれる。
それだけの、ありふれた夜。
――そして、二人の穏やかな笑い声は、夜の街へと溶けていった。