304年
東部戦地
塵風が油臭を押し流した。不毛な荒野は見晴らしがよく、今しがた撃ち抜かれた機械兵越しに数え切れない増援が見える。
溶鉄本隊は既に撤退していた。首都防衛と言えば聞こえはいいが、実質は最高指導者の護衛だろう。前線は、もはや溶鉄の精鋭部隊といえど押し返すのは不可能だった。
その背後を守るのに残っているのは2人の溶鉄隊員。軍用コートとマスクを身に着けた姿で顔は見えない。
塹壕だっただろう溝に身を滑り込ませた2人だが、一方は下腹部を抑えた手の隙間から赤い染みが見えた。
「……すまないスネジンカ、内臓をやられた。ここでお別れだ」
その言葉に、もう一方の無傷の兵士が振り返る。
痛みに顔を歪めた女兵士が手持ちの予備弾丸、物資を手渡してきた。残ったのは銃と込められた弾丸だけ。身体に埋め込まれたモノが起爆すれば、すべてが木端微塵になるための譲渡だった。
「最後に礼を言わせてスネジンカ。あなたのおかげで、弟が国から逃げる手筈を整えられた……できる限りのことはやれた。思い残すこともない」
スネジンカと言われた兵士はその言葉に、突き返された餞別が入ったままのポケットに触れる。
「それじゃあね。機械兵は一緒に連れていくから残りをお願い。偉大なる祖国に忠誠を」
「……忠誠を」
マスクの中で苦虫を噛み潰したように兵士は顔を顰めた。受け取った物資をバックパックに詰め踵を返し走り出す。その動きに迷いは感じられない。よくあることだ。
溶鉄部隊に入隊して数年が経った。義姉の身長に並んだところで成長を止めた彼女は、首都決戦に至る現在まで精鋭として数えきれない機械兵を破壊し、反乱軍を含めた敵兵を数多く殺してきた。
背後からの極大の閃光で己の影が差し、ついで音の波がバックパックを叩き轟音を響かせた。電熱線を組み込んだ炉が臨界を迎えたのだろう。
機密の塊と化した溶鉄隊員は決して敵国に渡してはならない。そのための自爆だった。それが戦争末期となった現在の命令、抗えば粛清か、親しい人間が銃殺刑となる。
しかし走る彼女には親しい者はいない、大切だと思える存在も既にこの世にいない。だけれども彼女は誰よりも国に忠実だった。忠実でいらざるを得なかった。
背後をちらと振り返る。小さなキノコ雲が曇天と一体化して見えて、その先の厚い雲が晴れなかったのが残念に思えた。天に召されるなら、少しでも青空が見えたほうがいい。
(お疲れ様。ここよりはいい所だよきっと)
マスク越しの笑みは彼女以外知るものはいなかった。
爆心地を迂回するように敵軍の後方へ駆ける。今の爆発で機械兵の軍勢は壊滅、人間兵はおそらく撤退するだろう。
(1人たりとも帰さない)
戦闘を前にした彼女の思考はそれだけだった。
見つけた。中隊に届かない規模の機械兵を護衛に、数人の敵国の人間兵が国境へ引き返すのが見えた。
駆けながら全力戦闘に支障となるマスクを外す。現れた顔には戦死したかつての英雄、マルフーシャの面影があった。
しかしその頬と隈の濃い眼窩はこけ、両眼は殺意と悦びに爛々と赤く光っている。形見の髪留めのついた頭髪も奇妙で、なぜか右目に近い前髪だけが老婆のように艶のない白髪。20を過ぎたばかりには見えないその顔立ちはどんな修羅場をくぐってきたのか。
束ねた長い三つ編みが後ろに流れた彼女、スネジンカはやっとこちらが攻め手になれる舞台に上がれたことに鬨の声をあげる。
それに反応した大型機械兵が迎撃態勢に入った。これまでの屈辱と鬱憤はここですべて相手に返さなくては。
電熱線を組み込んだマルチバレルライフルを構え、彼女は鉄火場に向けて突撃した。
299年
北部戦地
地獄だった。それは地面が焼けこげ至るところに陥没が見て取れる、荒れ果てた戦場跡だったからではない。
「なんということでしょう!?英雄である姉の危機に走った彼女は、この光景に祖国への挺身を決めてくれることでしょう!!」
国営放送の記者、おそらく軍部の関係者であるその男の芝居がかった声は、しばらくすればカゾルミア中のラジオから聞こえることだろう。
北部都市の決戦跡地に駆け付けたスネジンカを迎えたのは、義姉が戦死した事実と、笑顔と拍手で自分を迎える軍人らの姿、写真を撮るフラッシュ、そして国営放送の面々だった。その衣服には汚れ1つない。
カゾルミア北部に攻め込んだ敵国の大軍団は、甚大な数の兵士を犠牲に撃退された。溶鉄部隊であったマルフーシャは人の身とは思えぬ活躍を見せ、散っていた。
「すべての原因は、不当な手段で我らが祖国を侵さんとする敵国にあります!ラジオをお聞きの皆さん!英雄マルフーシャとその妹の身に起きた悲劇は、国民が一丸となって敵を打ち砕かんとせねば、次はあなた方に降りかかるのです!なればこそ――」
姉さんがしんだ。どこでいつどうして?なんで姉さんがしんだの?
こいつらはなんだ?同じ人間なの?どうしてそんなことをきくの?
正気と狂気の境界にいたスネジンカは記者から何か聞かれた気がするが、姉はどこですかとしか答えられなかった。
そこからの記憶はぼやけて定かではない。気が付いた時にはテントの中で、寝袋のようなものが並んで見えた。
「あなたの姉は、ここです」
傍らには薄紫色の長髪の女兵士がいた。負傷したマルフーシャを戦場から背負ってきてくれたらしい。彼女はスネジンカの目の前の寝袋、死体収納袋のファスナーを開く。
数か月ぶりに再会した義姉の顔は、誰かが整えたように綺麗だった。茶色の豊かな長髪は土埃で汚れていたが、瞼の閉じられたその顔は眠っているかのようだ。兵士は首元までファスナーを開き、そこで止める。なぜだか、下肢があるはずの死体袋部分はぺったんこだ。
「姉、さん」
スネジンカは義姉の頬を挟むようにやさしく触れ、その冷たさにようやく現実を認識できた。そしてその顔に縋りつき抱きしめる、2度と離れないと言うかのように。
その光景を前に女兵士、溶鉄部隊の副隊長チェルヌーシュカは顔を伏せていることしかできなかった。
304年
東部戦地
機械兵の残骸で埋まる平野を背に、スネジンカは汗で張り付いた前髪を気怠そうに掻き上げた。もう片側の手には銃が握られ、銃口は最後の敵国兵士のこめかみを捉えている。その周囲にはすでに、リットル単位の血液を大地に飲ませた兵士らが転がっていた。
「化け物め……」
機械兵に指示を出していた兵士は戦慄していた。我が軍を殲滅した目の前の女兵士に、カゾルミアという国の狂気に。
先ほどの戦闘は明らかに生身の人間ではありえない動きだった。助走もつけずに10数mの距離を弧を描くように跳んで包囲を抜け、機械兵の銃撃・砲撃を見てから避ける異常な動体視力、回避しながらも正確無比な銃撃を浴びせるなど。しかもそれだけの動きをしているのに疲労で動きが鈍ることもなく、大型機械兵を複数含めた小隊がたった1人に破壊されつくしたのだ。
「死ね、死んでしまえ狂ったカゾルミア人!!貴様らのせいで、どれだけの仲間が死んだと思っているんだ!!」
「元気があってよかったです。あなたのような人間が1人でも苦しんでくれれば、先ほど逝ったあの子も笑ってくれます」
男の問う声に、鈴のような女の笑い声が答えた。
「なぜだ、先ほどまではあんな動き」
「私たちへの指示は敵をひきつけ、可能なら殲滅することです。まんまと騙されたんですよあなた方は」
「な、何だと――」
銃声が響いた。こめかみを銃弾に貫かれた敵兵士の頭部は、電熱線を組み込んだマルチバレルライフルの過剰な威力により消滅したようだった。
血煙の香りに鼻をひくつかせてから、嗤うスネジンカは荷物を回収するため死体に背を向け歩き出す。
「ごめんなさい。我慢できなくて引き金を引いちゃいました」
その歩みに合わせ、金属が擦れるような僅かな不協和音が付き纏う。
マスクをつけバックパックを背負って立ち上がると、わずかな立ち眩みと口に血の味が広がる。
(少し、無理をした)
舌打ちして、休息が必要だと判断する。平地での遅滞戦闘の後に、単身での正面衝突はやはり無理があった。
戦闘しながらずいぶんと移動したようだったが、幸いなことに視界内に放棄されたらしい都市が見える。周囲を見回してから、スネジンカは歩き始めた。
近づくにつれ崩れた巨大な門の跡が見えてくる。かつては無数の機械兵を防ぎ止めていたそれも、今では半ば瓦礫と化していた。
(ああ、ここは。そうだ、そうだった東部だったんだ。なんて偶然)
かつては大きな街であり、軍の拠点も置かれていたそこも今は崩れた廃墟しかなかった。
うろ覚えで風景もすっかり変わっているが、ふらふらとスネジンカは歩いていく。
見えてきたのはかつては兵舎であっただろう建物。頑丈に作っていたようで、いまだに建物としての形を守っていた。
1階部分は瓦礫だらけで、何かを探したかのように手あたり次第に破壊された跡が残っている。
「ああ、やっぱり。間違いない」
2階への階段はすぐに見つけることができた。1歩踏みしめ、警戒色の縞模様が貼られた踊り場に足をかける。
『―――この国――込みは――』
『姉さ――戦――…』
『――ジンカちゃ――らの言――は駄目』
「うっ」
急にこみ上げた頭痛と吐き気にえづく。先ほどの戦闘よりも冷や汗が吹き出し、顔を上げて辺りを見回す。スネジンカは深呼吸する。激情に沸騰した内臓を気道から胃に向かって冷ますように。
「行かなきゃ」
呟いて次の段差に足をかける。1歩、1歩と身体が2階へと昇っていく。
余分な思考を切り捨て歩を進めた上階、スネジンカが見たのはそこかしこに切斬痕が刻まれた廊下。
朽ちてもなお巨大な残骸を残したまま、工業機械鋸をそのまま大きくしたような機械兵が横たわっていた。
それを無視するように、しかし警戒を解かないまま迷いなく進んだ先、その一室。
横倒しになった朽ちかけの配給機、側面には弾痕が見えた。
その先には床面が抜けて支柱だけになった二段ベッド。元は休憩、宿舎として使われていたのだろう。更に奥には浴室兼トイレがあって、遮るように横倒しになった洗濯機。一気に記憶が蘇る。
『本当に…ここに…いたんだね。ビオン…』
『お姉さんを助けることができるのは…家族であるあなただけ』
『このピンチを切り抜けて…お姉さんに会いに行ってあげて』
『がんばってね、スネジンカちゃん』
朽ちたシャワーカーテン、ヒビだらけのタイル、バスタブだった残骸、陶器製なためかいまだに形を残した便器。
兵舎として機能していた時は、見知らぬ誰かの安らぎに使われていた空間。そして彼女にとっては、命がけで血路を開いた相棒と別れた場所。
かつての時のように壁に寄りかかり、ずり落ちた先の床に尻が付く。
この場所は危険だ。2階で、しかもここは袋小路で窓すらもない。それなのにスネジンカは、一歩も動けなかった。
「疲れた、な」
そう独り言ちて膝を抱える。脚を動かしたとき何かに触れた。
「カメラ……なんでこんな所に」
引き寄せて見てみると、元はそこそこのものだったようだが今ではすっかり壊れている。持ち主の名前だろうか文字が書かれてあったが、擦れきれて確認できなかった。
スネジンカはカメラを置いてから息を吐きだし、バックパックから缶を取り出す。中の錠剤を噛み砕いてから飲むが、この薬は効き始めるのに少し間があった。
「本当に、疲れた」
半刻前に戦闘を終わらせたときとは比較にならないほど身体が重い。
考えなければいけないことはたくさんあるのに、ぐちゃぐちゃになった頭は思考を放棄し、身体に至っては主人の望むことすら無視をする。
「ごめんなさい、アブレックさん」
乾いた瞳を閉じて、口が言葉を紡ぐ。
「命を懸けて逃がしてくれたのに、私は姉さんを助けることができませんでした」
それは罪を犯したことへの懺悔だった。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も呟き、スネジンカは気絶するように眠りに落ちた。
その眠りは深く、彼女はそこで夢を見た。いつもの悪夢ではなく、かつて民間の軍事会社であるブルーピーコックで戦っていた頃の夢を。
義姉を連れ戻すための入社であったが、面倒見のいい先輩と優しい相棒、ともに作戦に従事した仲間たちとの夢。たった100日ほどだったが、自分にとって義姉との生活に次いで楽しかった日々。その夢の中でスネジンカは祈った。
ああ神様。どうかこの幸せの中で、義姉さんの御許に召してください。