スネジンカはアリビナを背負ったまま医務室には向かわなかった。その歩みの先は己の宿舎。
部屋に入ってアリビナをベッドに下ろし、替えの靴を返した。
「ありがとうござい――」
「敬語っ!交換条件だよね?」
「……ありがとう、アリビナ。おかげで助かったよ」
「んふ~。どういたしまして!」
満足そうに微笑むアリビナに、スネジンカはどこまで話したものかと考える。全てを正直に話すわけにもいかなく、虚実半々にせざるを得ないだろう。
「……もう1つの約束。私のこの足だけど」
「フーシャちゃん、都合の悪い所はいいよ」
「えっ」
「誰だって話したくないことはあるわけでしょ?なら、それを無理に話させるのは、やっぱりなんかなあって思って」
どこか貼り付けたような笑みでアリビナは話す。それにスネジンカは1度は口を閉じて、やはり開く。
「私の脚、四肢は機械なんだ」
そう言ってスネジンカは袖を捲り、長手袋状の人工皮膚を脱いで見せる。その光景と出てきた金属製の腕にアリビナは目を見開く。
「国の実験でこんな姿になったの。おかげで私は人離れした腕力と脚力、瞬発力と持久力を持ってて、それでアリビナを自爆兵から助けられたんだ。それとこの目」
指さした両方の目が、電熱灯の人工的な光を反射する。
「義眼なんだ。中に機械が仕込まれていて暗視と、高い動体視力を発揮できる。瞬発力と併せれば撃った後の弾丸も避けられるんだ」
「そんな……なんでそんなこと」
「カゾルミアは、国の意向に否と言える場所じゃない。それこそ、亡命でも覚悟しない限りは」
スネジンカはちりちりと燻ってきた衝動を押し込め、息を吐きだし続ける。
「このことは、監査官を始め誰にも喋らないでほしい。国に関わることだから、知っていることが公になれば拘束される可能性もある」
ブラフを交えた、脅しともとれる言葉を重ねる。嘘は言っていないが、伏せたままの真実が多い。下手をすれば周辺国のスパイとも思われる爆弾である。
沈黙したままのアリビナの姿に一抹の不安がよぎった。彼女のことだから言いふらすことはしないと思うが、もしもの可能性に身構える。
「……うん、誰にも喋らない。絶対に喋らないよ」
初めて見た、アリビナの無表情だった。
「ありがとうアリビナ」
「ねえ、もう1つだけ教えてほしいんだけど。なんでアタシを助けたの?知られたら困ることだったのに」
その言葉にスネジンカの動きが止まる。実は彼女自身わかっていなかった、気が付いたら動いてしまっていたのだ。
「……なんでだろう。実は私もわからない。気が付いたら助けてたんだ」
「そっか……うん!」
勢いよく立ち上がったアリビナはいつもの笑顔だった。スネジンカの冷たい金属の手を握りその目を見つめる。
「助けてくれてありがとう、フーシャちゃん!やっぱり持つべきものは友達だね!」
「こちらこそありがとう。アリビナがいなかったら、もっと戦闘が大変だったから」
「うーん……どう考えてもアタシの助けられたほうが重い気がするけど、残りはいつか返すからね!」
そう言って立ち上がったアリビナが促す。
「それじゃあ門の防衛任務に戻ろっ!ビオンちゃん、きっと今頃目を回しながら敵を撃ってるよ」
スネジンカはその手を握り微笑んだ。そうだ、まだ仕事が残っているのだった。
それからその日の業務が終わり、3人連れ立って報告書を提出した折、スネジンカはライカに呼び止められた。その顔はなんとも複雑な表情だ。そんな彼女から1枚の書類が差し出される。
「まさか追いつかれるとはね……マルフーシャ、これ」
「通知書、ですか。“内門防衛任務への移動”とありますね」
「ええ!?出世じゃん!フーシャちゃんおめでとうっ」
アリビナは笑顔でスネジンカに抱き着き、その後ろで沈黙するビオンがライカに尋ねた。
「監査官。マルフーシャさんの移動に伴い私は」
「……ビオンは、引き続き外側の門扉防衛任務について頂戴」
その言葉にビオンは俯き、はいと答えた。それにアリビナはスネジンカから離れ、ビオンへ覗き込むように話しかける。
「ビオンちゃん、そんな落ち込まないで。任務は別になっても会えなくなるわけじゃないんだから。都合をあわせてまたご飯食べよ?ね、フーシャちゃん」
「ええ、そうですね」
「えっ?あなたたち、いつの間にそんな仲良くなったの?」
私、上官なのにご飯に呼ばれてないんだけど……?そんな顔で声を上げたライカを尻目に、アリビナがビオンを励まそうと話しかけている。
そんな2人を眺めながら、自分はなんて声をかけようかと考えるスネジンカの背に声がかかった。
「ところでマルフーシャ」
「なんでしょうライカさん」
「私も内門防衛任務に配属になったの。それであなたと同僚になるんだけど、なんて呼んだらいい?やっぱりマルフーシャちゃん?」
「……今まで通りでお願いします」
その日の夜、スネジンカは明日以降の内門業務への準備をしていた。といってもこれまでとさほど変わるものはなく、武器や装備の点検程度だが。そんなときに自分の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
利き手を軽く握りこんで、機械の腕の調子を確認してからドアを開ける。
「こ、こんばんは」
来客は手提げ鞄を持ったビオンだった。申し訳なさそうなハの字眉毛は相変わらずだが、初対面のころの人の顔を伺う雰囲気はだいぶ薄れている。
「と、突然でごめんなさい。本当は明日以降にって思ったんですけど、マルフーシャさんにはお世話になったんで伝えたくて」
「まあとりあえず、中にどうぞ」
招いた部屋のテーブルには分解した銃器、それと大きなバックパックがベッド横にあるだけでまるで生活感がなかった。ストレルカの本で埋まった自分たちの部屋を思い出し、ビオンは宿舎の部屋はこんなに広かっただろうかと思ってしまう。
「レーションくらいしかないけど」
「あ、いえお構いなく!用件を伝えるだけです」
ビオンは1度、深呼吸してから口を開いた。
「姉さんに、手紙を出したんです。それで今日、返事がきてました」
「……!そう、そうなんだ」
「姉さんは、変わってませんでした。自分のことより他人のことを案じる、私の好きな、優しいままの姉さんでした。今の私の近況と、元気にしていることだけの手紙だったんですが、すごい枚数の返事で」
照れながら手紙を見せてくるビオンの顔は明るい。それはちょっとしたレジュメ並みの厚さで、よく封筒に収まったなと感心する。
「姉さんは今、卒業論文を提出してほぼ卒業が決まったとのことでした。教師として赴任する中学校も決まってて、働き出す前に1度、私に会いに来たいって」
「それは、難しいね。機械兵の数が増えてる状況だし、民間人がこの都市に来れる交通手段がない」
「はい。残念ですけど姉さんにはそう返事するつもりです。ただ手紙のやり取りは続けたくて。それでマルフーシャさん、写真を撮らせてもらえませんか?」
「写真?」
自分の写真を撮って何に使うのだろうか?それ以前に撮影器具をビオンは持っているのか。訝しむスネジンカの目の前で、ビオンは持ってきた鞄からカメラを取り出す。一眼レフカメラというのだろうか、小柄なビオンが持つには少し大きく見えた。
「カメラ?ビオンの私物なの?」
「はい。亡くなった母さんから譲り受けたもので、私の宝物なんです。それで母さんがここに、私の名前を入れてくれて」
見せられたカメラには“ビオン”と名前が確認できた。問題はその位置だ。かつてのこの場所でアブレックが手にし、そしてスネジンカも触れたカメラがビオンのものだと漸く気づく。
(――そんな)
懸念はあった。義姉を残して壊滅したこの都市の兵士は、死んだか脳を奪われたのだと。だがこうして目の前にその証をまざまざと見せつけられて、スネジンカは血の通わぬ手足の血が引いていく錯覚を覚えた。
「そ、それでですね、姉さんに写真を送りたくて。マルフーシャさんと撮りたいんです!こんな私に優しくしてくれて、そしていっぱい大切なことを教えてくれた仲間だよって……マルフーシャさん?」
「――ん、なにビオン?」
「顔色が、悪くないですか?なんだか白く」
「気のせいだよ。それと写真だね、いいよ撮ろうか」
「あ、ありがとうございます!」
ビオンは周りを見回し、スネジンカを2段ベッドの下に座らせてからカメラをテレビの上に置いて、そして某かの操作をカメラに施した。
「それじゃあこうやって。も、もう少しくっついてもらっても、いいですか?」
「こう?」
「そ、そうです!それで、ちょっとでも笑ってもらえれば。それでカメラに目線を合わせてください」
お互いの肩がつくかつかないほどに距離を詰め、2人はカメラのレンズを見る。
自分は今、笑えているのだろうか。そう思いながら、少しでも変な写真にならないようにとスネジンカは心がける。
フラッシュが焚かれ数回の撮影音が止んだ後に、ビオンはカメラを手に取り嬉しそうに抱きしめた。
「ありがとうございます!写真ができたら、マルフーシャさんにもお渡ししますね」
「そう、ありがとう。私、変な顔で写ってなければいいんだけど」
「大丈夫ですよ。もしそうだったとしても私、お守りとしてずっと持ってますから!」
「それは、ちょっと勘弁してほしいかな」
そう言ってお互い笑い合ってから、ビオンは自室に戻っていった。
1人になった部屋で、スネジンカは天井を見上げた。そこに答えがあればと願うように。
(自己満足、増えちゃったな)
新たに湧き出しつつある自分の願いに、どのような道筋をつけるべきかと考える。
スネジンカは当初の予定通り、100日を迎える前に戦場で行方不明か死亡を装いこの都市を離れるつもりだった。
だがたった40日で、ずいぶんと未練ができてしまったようだ。
「姉さん、マルフーシャ姉さん。私、どうすればいいんだろう。死んでほしくない、もうこれ以上、失くしたくないよ」
そうこぼしながら顔を手で覆い、亡き義姉に問うた。
初めは大切な相棒の妹という色眼鏡で見ていた。しかし生きた彼女に触れ、己の境遇とも重ねて何とかしたいと望んでしまった。
他にもいつも笑顔なムードメーカーを始め、彼女たちがかつて辿った、そしてこれから辿るであろう結末を思いスネジンカの心は激しく軋んだ。
「――そうか。姉さんの仲間でもあるんだ。姉さんは亡くした彼女たちのためにも、戦争を止められなかったんだね」
亡き義姉は本当に情が深かったのだ。
もし今の自分がその立場だったら、大切な義姉が生きていて自分の帰りを家で待っていたら、全てを投げ捨て、どんな手段を使ってでも義姉と共に他国へ逃げただろう。
しかし義姉はそうしなかった。伝手ができなかったのかもしれないが、亡くした戦友たちへの思いも捨てきれずあの道を歩んだのだろう。
(でも私は違う。全部欲しい、みんなも守って、あの男の命も)
義姉がこの世にいないということは、義姉がいたらできなかった選択肢がとれるということ。
「どこまでいっても自己満足なら、最高に満足できる最後がいいよね、姉さん」
顔を戻したスネジンカの人工の瞳が鈍く輝く。それが、スネジンカが自分の未来を定めた瞬間だった。