敵基地でたっぷりと置き土産を拵えたスネジンカは闇の中を戻っていた。都市から基地までの距離は徒歩で行き来できるものではなかったが、彼女ならギリギリ問題にならない。風のように駆けながらこれからのことを考える。
(今日は本当に運がよかった、が次もこうなるとは限らない。でもまさか、全面攻勢に出るのが1カ月後だったなんて)
敵司令官を拷問して得られた情報は貴重なものだった。複数ある敵前線基地から同時に東部都市に攻め込む算段を立てており、現状は作戦のすり合わせと機械兵の搬入中だったという。
あの基地に集積された機械兵は貯蔵されていた爆弾で鉄屑にできたが、他の基地も潰したいところだ。
(今日の地点から更に北、さすがに1晩で往復できる距離じゃない)
スネジンカの目的は前線の人間兵の間引き 。普通に考えれば無理な話だが、前線に出てくる敵国の人間兵は極端に少なく、夜襲を繰り返し機械兵に指示を出す人間を物理的に消したいと考えていた。そうして減った人間兵の補充により、都市の制圧までの時間を稼ぎたいのだ。
(これ以上は戦死か行方不明の偽装も視野に入れなければだけど、まだ早い。最後の手段にしたいな)
補給や休息を考えれば単騎の連続夜襲は無理が出る。その後の予定を考えて余力は残しておきたい。人間兵が前線に出てくるのを待つのは無理だ。奴らは完全に優勢になって捕虜を取れる状態でなければ出てくることはない。
言うまでもなくこの行為は非常にリスキーだ。敵の本拠地を襲うのはもちろん、本来の任務を放棄しての行為なため決して味方にバレてもいけない。
本当はここまで無理をするつもりはスネジンカにはなかった。すべては過日のビオンのカメラ。あれを見たことで、彼女は踏ん切りをつかせたのだ。
だから決して味方に露見してはいけないのだが、その焦りがきっかけになってしまった。
都市の門扉が見えてきた。時間はいまだ交代の時刻には余裕があり、手早く元の恰好に戻り門へ駆ける。しかし徐々にスネジンカの足が鈍り、止まった。
(……なんでライカさんがいる?)
外門に居たのは完全装備のライカと、隅で小さくなっている脅した男兵士だ。予想外だった、まさかライカ自ら夜間防衛にねじ込んできたのか?
(予定を前倒す?いや、宿舎のバックパックはこれから必要になる。水と食料も最低限しかない。それならサブバッグをどこかに隠す?ここは敵兵が攻める数も多い。味方ならまだマシだけど、敵に回収されたり破壊されたら詰む。それに、私がサブバッグを持ち込んだ所を確認しているかもしれない……選択の余地がないじゃないか)
少し長めの逡巡だった。
ゆっくりと歩いて門に近づく。その姿を見て取ったライカは、静かにスネジンカに声をかけた。
「長時間の哨戒お疲れ様マルフーシャ。さあ、状況を報告してくれる?」
それはどう聞いても愉快な声音ではない。怒りを押し殺した嵐の前の静けさのようだ。長時間持ち場を離れていたのだ、当然だろう。理由はそれだけでないが。
「……複数の機械兵がこちらに進行していましたので、それと交戦して」
「それにしては銃撃音は最初だけだったけど、まさか数時間も暗闇の中で見回りをしていたの?」
スネジンカは舌打ちしたくなる。据わった目のライカの尋問を躱す手札がなかったからだ。男兵士を睨んでも、向こうは首を横に振るばかりで役に立たない。
「私も同じく正式な手順で防衛に入ったのよ。少しタイミングをずらしてね。そうしたらいるはずのあなたがいないんだもの。驚いたわ」
「ああ、申し訳ありません。実は暗闇の中で居眠りをしておりまして」
その言葉にライカの額に青筋が浮き、ついにスネジンカを睨みつけるが彼女は動じない。その2人の姿に男兵士は必死に自分の気配を消す。巻き込まれたくなかったからだ。
「……そう。あなたがそのつもりなら、それでいいわ。勤務が終わったら覚えてなさい」
そう言ったきりライカは沈黙して、まるでスネジンカの行く手を阻むように防衛業務を続け始めた。
スネジンカとしては背負ったバッグの中身の後始末をしたかったのだが、この分では無理そうだった。しかたなく自分もライフルを手に防衛任務の続きに入る。
ピリピリした空気は夜明けの交代時間まで続き、その間2人は何も話さなかった。
「逃げようったってそうはいかないわ」
バッグを掴んだライカの手は何があっても離せそうになかった。ため息をついたスネジンカは両手を上げ、その様子にライカは歩き出す。観念した彼女はその後を素直について行った。
おそらくこれから入るべき内門防衛についても、ライカは既に手を打ったのだろう。でなければ規律を尊ぶ彼女が平然としているはずがない。
ライカの強硬な態度は監査官としての義務感があるのだろうが、何よりも自分の部下が、あずかり知らぬところで危険なことをしているのを感じ取っているのだ。
1回目が我が身を顧みぬ行為だったため、同じことを繰り返しているのかもしれない、自分が止めなくてはいけない、と。
(本当に、優しい人)
急遽の内門防衛も身を案じての事だったのだろう。
スネジンカとてそれはわかっている。わかっているからこそ、覚悟をより固めてしまう。
終点はライカの宿舎、私室であった。一言も発さずに扉を開いたライカに続き入室する。
よく整理された部屋だ。主の性格を反映したかのように几帳面な印象を受ける。ただし机の上にある編みかけの毛糸玉と編み棒だけが、意外な彼女の趣味を示していた。
ライカは振り返り、傍のテーブルと椅子を視線で指し示す。座れ、ということらしい。スネジンカはバッグを下ろし素直に座った。
「私の役職がなんだったか覚えている?」
「監査官。そして憲兵です」
「そう。そして今の私は憲兵として尋ねるわ。あなたは何者?」
その鋭い視線をスネジンカは無表情で受け止める。
(私室で尋問するってだけで私情を隠せていないけど、盗み聞きを警戒しての判断ともいえるか。さてどうしたものかな)
そう考えていくつかの可能性を考えてから口を開いた。
「機密のため黙秘します」
「はぁ!?あなた、何言って――……いいわ、それならそのバッグの中身を出して」
この言葉にスネジンカは素直にバッグを手に取る。そしてその中身をテーブルに並べていく。
出てくるものが増えるたび、ライカの顔色が変わっていく。
「な、なによ、これ…………うっ!?」
まず彼女が手に取ったのは気密パックに入った軍用コートとマスク。その封を開くと濃密な血の臭いが部屋に広がった。
すぐに封を閉め、青い顔色で他のものも見る。見たことのない銃剣、艶消しされた黒いナイフ、予備弾倉、ジャミング装置に似た機械、レーションと水、地図とコンパス、そして。
「な、なんで電熱線を余分に2本も持ってるの!?あなた、これ盗んで」
「黙秘します」
その返答に動揺で目線を彷徨わせたが、深呼吸してからライカは口を開く。
「……お願いマルフーシャ、本当のことを言って。私、あなたが敵国のスパイだなんて報告したくない」
青い顔のままライカは、真剣な様子でスネジンカを見つめる。しばらく沈黙が場を支配した。
(持てるはずのない2本の電熱線、血の臭いのついたコート、見知らぬ機械。スパイの疑いがかかるには十分。ここで正直に話してもすべて没収の上で拘禁、そして上に報告がいけば私の正体がバレる、か。焦りすぎた…………潮時か)
スネジンカが顔を上げた。その表情は場違いに和らいだ穏やかなものだったが、何かを諦めたようにも見えた。
「……私は昨夜、敵前線基地に侵入しました」
その言葉にライカは目を見開く。
「そこで機械兵の破壊および敵兵の殲滅、後詰の敵軍への破壊工作を施してきました」
そして懐から基地司令官の襟からとった階級章を机の上に出す。
(……これ、敵国の佐官クラスの)
「敵司令官を
「な、何、それってどういう」
「僭越ながら私見を述べさせていただきます。この規模の機械兵の侵攻に対処できる戦力はここにありません。そのため速やかな援軍要請か、都市の放棄、撤退を進言いたします」
ライカは混乱する。突然のスネジンカの言葉と、真偽の判断のできない重要な情報を一気に注がれたその量は、年若い彼女には大き過ぎた。
「それは本当、なの?……いいえ!それよりもそんなこと、誰からの命令で」
「黙秘します」
「っ!?」
ついにライカは立ち上がり、腰元からハンドガンを抜いて構える。震える銃口はスネジンカを捉えていた。
「マルフーシャ、あなたの身柄を拘束します。抵抗はしないで、お願い……!」
そんな切羽詰まった言葉にも、スネジンカは歳不相応なあどけない笑みを向ける。
「ライカさん。喧嘩騒動の時、私のことを仲間って思っててくれて嬉しかったです」
「は?い、いきなりなに」
「久しぶりでした、こんなにあたたかい部隊にいられたこと。ダチカ先輩にアブレックさん、それにみんなのことを思い出して、ちょっぴり泣いちゃいそうでした」
銃が見えていないかのように、微笑んで独白を続けるスネジンカにライカは呆然とする。
「先ほどの侵攻ですが、絶対に阻止しますから。皆さんのこと、私が守ります。溶鉄が“先兵”の戦い、奴らに見せつけてやります」
スネジンカの足がテーブルを蹴り上げる。上に乗ったものごとテーブルが空を舞い、ライカの視界を遮った。
その瞬間、人間離れした速度でライカの下の死角から背後に回り、彼女の首に腕を回す。咄嗟の動きでライカは反応しようとしたが、スネジンカの腕が細首の気道を塞ぐのが早かった。
「マル――」
「ごめんなさい」
ぐったりと脱力するライカをベッドに寝かせ、手早く口を塞いで手首を拘束する。そしてスネジンカは散らばった道具を素早くバッグにしまって部屋を出た。向かう先は自分の宿舎だ。
部屋につくとベッド脇の大きなバッグパックの中身を確認、すべて揃っている事を確認して背負い、足早に東門に向かった。
(……できれば会いたくないなあ)
しかし、その願いは叶わなかった。
東の外門扉脇、出入りのための内扉を開くと見知った2人の姿が見えた。
「え、ええ!?マルフーシャさん、なんで?」
「………お姉さん?」
ビオンとフェリセット、2人が今日の当番だった。スネジンカは思わず笑ってしまう。本当に神様というのは意地が悪い。
「あ、あの!もしかして門兵業務ですか?それなら任務書類を確認――」
言いかけたビオンをスネジンカが抱きしめた。その突然の行動にビオンは目を白黒させる。
「ふえっ!?マ、マルフーシャさんっ!?」
「ビオン、アブレックさんは年内に爆発未遂事件を起こして学校を懲戒解雇される。なんとか止めてあげて」
「ええぇ!?ちょ、何を言って」
「それと、今までありがとう。ビオンのこと、妹みたいでとっても可愛かった。どうかアブレックさんと幸せになって」
そう言って微笑みかけたスネジンカはビオンから離れ、フェリセットに顔を向ける。
「フェリセットさん、お世話になりました。アリビナ
「お姉さん」
「たぶん、ライカさんすっごい怒ってると思いますけど、なんとか宥めてください」
「お姉さんっ」
「皆さんのこと、姉さんに代わって私が守りますから。絶対に」
「――マルフーシャお姉さん!!」
叫び声と共に、フェリセットは上級スナイパーライフルを構えた。
「動かないでください」
常では聞かぬ鋭い声で警告するフェリセット。なぜかその顔は蒼白で、冷や汗で濡れていた。
「フェリセットさん!?なにをしているんですか!!マ、マルフーシャさんですよっ」
「……目的はわかりません。でも何をしようとしているかは、何となくわかりました。死にに行くんですね」
その問いにスネジンカは微笑む。フェリセットの顔が歪み、ビオンは目を見開く。
フェリセットにはそれに見覚えがあった。かつて別の部隊にいた折、撤退の殿につく兵士が同じ顔をしていたのを覚えている。自分の望まぬ未来を受け入れ、諦めた者の顔だ。
「死に、え、どういう、ことですか……?」
「ごめんね」
そう言って、懐に手を入れたスネジンカの足元に熱弾が打ち込まれた。フェリセットが引き金を引いたのだ。
「動かないで、と言いました。ビオンさん、お姉さんを拘束してください」
「えっ、なんで?!嘘ですよね、マルフーシャさん。そんな」
警告に従わずスネジンカは何かを取り出そうとする。
(ッ!?)
トラウマにより悲鳴を上げる心を押さえつけ、フェリセットはスネジンカの足の甲を狙う。上級スナイパーライフルの威力では胴体はもちろん、腕であっても逸れれば致命傷になる。であれば足しかないという判断だった。杖なしでは歩けない体になるが、彼女の一生の面倒を見ると覚悟しての一撃だった。
だが、それが当たることはなかった。
フェリセットは信じられなかった。スネジンカは
10mにも満たない距離で、銃器の中でも弾速の速いスナイパーライフルの弾丸を避ける、この一瞬の事実にフェリセットの思考がフリーズした。
そしてスネジンカは淀みなく、懐から出したスタングレネードのピンを抜く。
突き刺すような爆音と閃光が場を染めた。それをもろに耳目に浴びたビオンとフェリセットは思わずうずくまってしまう。
「あ、ああぁぁぁ!!なんで、なんでぇぇぇ!?」
「ダメ……ダメですお姉さん……行ったら、ダメっ」
2人に背を向け、グレネードに巻き込まれる前に走り出していた。騒ぎを聞きつけた別の兵士が出てくるのが見えるがもう遅い。
スネジンカは振り返らない。彼女は発射された弾丸だ。弾丸は標的に当たるまで止まらず振り返ることもない。
「大丈夫、私だけでもできる。今度こそ、死なせないから」
そう自分に言い聞かせて荒野を駆ける。黒い意思を秘めた瞳は、もう決して揺らぐことはない。
ちなみにスネジンカのマスクと軍用コートの姿は、救国のスネジンカの北部ルート91日目以降の敵をイメージして書いております。