溶鉄のスネジンカ   作:スペシャルティアイス

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#2

296年

 

揺すられる感触をスネジンカは感じた。ああ、きっと敵国の絨毯爆撃あたりで脳震盪を起こしたのだ。同僚に揺すられているのだろう。珍しいことだ。

自分は無理だが最愛の弟だけでも他国に逃がしたいと、反逆罪に問われかねない言葉を吐いた同僚。運び屋の斡旋なんてらしくないことをしたから、らしくないことが起きたのだ。

しかし妙だとスネジンカは訝る。同僚の起こし方というには優しすぎる。

 

(そうだ、もう死んだんだ)

 

重い瞼を開く。見慣れたスモッグ越しの陽光がマスク越しの目に刺さる。ついで国民服をまとった見知らぬ妙齢の女性が見えた。なぜ戦場に民間人が?

 

「ちょっと、しっかりして軍人さん!……大丈夫?こんなところで物騒な格好して」

 

こんなところ?殺し合いにこれ以上ない恰好だろう、と思って軍用コートを見やってから周りを見回すと。

 

「……首都」

「本当に大丈夫かい?」

 

そこには、現在敵国に包囲を受けているかもしれないカゾルミア首都の変わらぬ風景があった。

 

(違う。これは今の首都じゃない)

 

綺麗すぎるのだ。まるでスネジンカ自身が子供であった頃のように。長引く戦争は街の景観にも影響を及ぼし、建物や道路など補修されないままの劣化したインフラが目立っていたはずだ。

それが幾分か人の手で整えられて、落城間近の荒廃した街とは違ったものに見える。

時刻は夜明け間近のようで、生まれる寸前の陽光では街に影を作ることはできていないようだった。

ああ、そうか夢の続きを見ているのだ。しかしせっかくなら今の身体でなく、一番幸せであった頃ならよかったのに、そうスネジンカは笑った。

どうやら公園のベンチに腰かけていたらしい。立ち上がったスネジンカは女性に敬礼する。

 

「お声がけありがとうございます。これより任務がありますので失礼いたします」

 

どうせ夢の中ならと、わざと真面目くさった軍礼を返して女性から離れる。女は変な軍人と見送りながらも、深く立ち入るようなことはしなかった。

人目のない物陰へ入ったスネジンカは、外したマスクと軍用コートをバックパックへしまい、溶鉄部隊の作戦服の姿となる。

 

(思うだけで国民服に変わればいいのに)

 

何とも不便な夢だと思う。武器も持っていないのに何故かついたままの3本の電熱線も外しておく。幾分か目立たない格好になっただろうか?いやいまだに物々しさは拭いきれない、まあ夢だしいいか。

バックパックを背に何処かへと歩き出す。ここは13番通りにほど近い場所だ。

 

「懐かしいな」

 

朝早くで人通りはないが、市民への配給が滞り小売も無関係ではいられない昨今とは違い、いまだ営みは途切れていないようだった。

買い物にいくとオマケをつけてくれた食料品店、絵本を買ってもらった文房具店、かつて義姉が働いていたパン屋。

 

「やっぱり夢なんだ」

 

悪化する情勢のためか閉店したはずだ。なのにそのノーズコーンベーカリーの店先には“本日お休み”の掛札。見覚えのある光景は、まだ自分が幸せだと思えていたころの記憶と一致している。

本当に懐かしい。我慢できずに仕事終わりの義姉を迎えに行き、手を繋いで歩いた帰り道。今日あったとりとめのないことを話していれば、あっという間に自宅につく長くない距離。自分との会話に微笑む義姉がいた思い出の日々。

 

「ははっ」

 

思わず乾いた笑いが出てしまった。

歩いた終わりにあった薄暗いその集合住宅は、スネジンカにとって何よりも大事で、そして今は存在しないはず。

そこにいるだけで心がズタズタに引き裂かれる。あまりにも多すぎる義姉との思い出1つ1つが、刃となって襲う空間。だから引き払った。自身の帰るべき家は、思い出ごと葬った。それなのにそこに在るのだ。

思うよりも体が動きそのドアを叩く。なぜだか他人の家に感じられた。

 

(今の時間は、姉さんと朝食の準備をしている時間)

 

逡巡を挟んだような間は、外開きに開くドアの音で途切れた。

 

「……どちら様でしょうか」

 

顔を出したのは、怪訝さを隠せていない少しの幼さを残した少女だった。肩ほどの長さの茶色の髪に、小柄な身体を見慣れた国民服と黒タイツに身を包んだ姿。それはまぎれもなく10代半ばごろの“スネジンカ”だった。

言葉が出せなかった。あまりに現実的な目の前の光景と、なぜか早鐘のように脈打つ己の心拍に。スネジンカは本当にこれは夢なのかと自問する。

 

「あの――」

「どうしたのスネジンカ、誰がきたの?」

 

“スネジンカ”の後ろから更に顔を覗かせたのは、両目が赤い年上の少女だった。義妹と同じ茶色の長い髪と、無表情ながら大人の顔立ちに近い年頃。これもまた同じ国民服と黒いタイツの姿に今は前掛けをつけている。記憶そのものの、義姉であるマルフーシャの姿だった。

 

『姉、さん』

 

亡くなってから時間が経ち、固く冷たくなってしまったあの亡骸を。

 

『…姉さん。いって、…らっしゃい』

『…行ってきます』

 

最後に覚えている生きていた義姉の、自分に向けた無理に作った笑顔を。

 

『寒いの?こっちにおいで』

 

冬の夜に一緒に眠った日を。

 

『初めましてスネジンカ。私はあなたのお姉さんのマルフーシャ、今日からよろしくね』

 

物心ついたばかりでも覚えている、これから大好きになる小さな義姉の笑顔と、頭をなでてくれた手の温かさを。

 

「あ、ああ……アアァ」

 

喉がつっかえて言葉を出せない。いっぱいになった胸を抑えるが、上へ上へせり上がってくるものが、目から溢れるのを止められず膝をつく。

 

「あ、あの。あのどうしたら」

「どこか悪いのですか?胸が痛むのですか?」

 

戸惑う“スネジンカ”の前に進み、うずくまったスネジンカの肩に手を置いてマルフーシャが冷静に尋ねる。

その変わらぬ義姉の姿にスネジンカは、彼女の腰に縋りつく。

 

「ごめんなさい!!ごめんなさいぃ」

 

大粒の涙と慟哭を止められなかった。何もできずに無力だったこと 、自分が間に合わなかったこと、これまでの己の所業を。後悔が綯い交ぜになった感情にごめんなさいと繰り返し、それは赤子の癇癪と変わらない。

姉妹にとっては初めて会うはずの人間に突如謝られる、そんな戸惑う事態に立ち直ったのは義姉が先であった。

 

「……大丈夫です。大丈夫、落ち着いて」

 

泣きわめくスネジンカの背中を、マルフーシャが撫でてくれる。その優しさと温かさに、さらに涙が止まらない。

 

(姉さん、マルフーシャ姉さん)

 

ゆっくりと、スネジンカの意識が薄れていく。そんな中でも彼女は謝ることを止められぬまま気絶した。

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