溶鉄のスネジンカ   作:スペシャルティアイス

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#3

Side:“スネジンカ”

 

その日は大慌てだった。

マルフーシャ姉さんの仕事はパン屋さんで、夜が明けないうちに仕事場に行く。

でもその日は休みなこともあって、一緒に朝食の用意をしていた。私は姉さんと一緒に何かをするのが好き。だから将来は同じくパン屋さんに、できれば一緒に働きたいと思っている。

姉さんがお店からもらってきた余り物のパンを温め、私は食器の準備をしているとき、玄関のドアからトントントンと音がした。

来客だろうか、こんな朝早くに?

姉さんは火を扱っているので私が代わりに出ることにする。開いたドアの隙間から外を伺う。朝日を浴びた来客は女性の兵士だった。第一印象は『怖い』。

険しい痩せた顔立ちで目下にはうっすらと隈が浮かび、向かって右側に三つ編みが垂れ、左側の長い前髪は髪留めが、そこには少なくない白髪が混じっている。大きなリュックのような軍用鞄を背負い、緑色の軍服に黒タイツを履いた脚が見えた。

 

(まさか召集の) 

 

身を固くした私だったけど、ぎょっとする。なぜならその痩せた兵士は、ビー玉のような印象を持った赤い両目で私の顔を凝視していたから。

そのまま黙ったままの兵士に、再度要件を尋ねるも状況は何も変わらない。

 

「どうしたのスネジンカ、誰がきたの?」

 

姉さん、訪ねてきた人はこの人なんだけど、そう言おうと振り返った先の姉は、わずかに驚きの表情を浮かべていた。

姉さん?と、その視線を追うと兵士にたどり着いたが、私も驚くのを止められない。彼女の見開かれた目から、見たこともない量の涙が流れていたのだ。

そのまま固まってしまった私の前で彼女は嗚咽して、胸を抑えうずくまってしまう。どうしようと私が思っていると、姉さんが進み出て介抱する。すぐに動ける姉さんはやっぱりすごい、そう思ったのだけど、その兵士は泣きながら姉さんに謝りだした。ガラガラに枯れた塩辛声、でもとても可哀そうな、心の底から何かを訴えているような哀切な声。

姉さんはあやすように彼女の背中を撫で、徐々にだけど兵士の声も小さくゆっくりになっていく。そして兵士は姉さんに倒れこんでしまった。本当に大変だったのはここからだ。

 

「お、重い、潰れるぅ」

 

なんと姉さんが兵士に押し倒されて、動けなくなってしまったのだ。

私は慌てて姉さんをひっぱり、姉さんも全力で抜け出してようやく解放された。どうやらその兵士は気絶したようで、姉さんを助ける流れ、引きずられる形で我が家の玄関内にうつ伏せに倒れた状態になっていた。

 

「どうしよう姉さん……」

「ひとまず鞄を外そう。このままだといけないでしょうし」

 

ドアを閉め、兵士の鞄紐を肩から外してあげる。鞄は見た目ほど重くはなかった。重いは重いけど私でもなんとか持ち上げられた。問題は彼女。姉さんと同じくらいの身長で痩せた見た目なのに、びっくりするくらい重いのだ!私は脛、姉さんはわきの下をもって持ち上げようとしたのだけど、防具をつけているのか脛部分が金属の感触だった。

なんとか仰向けにできたが、簡易ベッドに寝かせようにも2人では持ち上げることもできない。

私は姉さんの後ろで首をかしげる。彼女は何者なのだろう?

 

「姉さん、この人誰だろうね」

「私にもわからない、けどもしかしたらって心当たりはある」

「えっ?」

 

意外だった。平凡なパン屋である姉が、こんな怖い兵士と知り合いなぞ接点すらないと思うのに。

なぜか口ごもる姉さんだったが、出てきた言葉にまた驚く。

 

「……私の、母親かも」

「ね、姉さんのお母さん!?」

「私が小さいときに出て行ったって、父さんから聞いたことがあるの。理由はわからないけど」

 

もう今日はこれ以上驚くことがないんじゃないか、そう私は思った。改めてその女性の顔を姉と見比べる。

言われて見れば、姉さんに似ている気がしてくる。茶色の髪の毛と同じくらいの身長、ただ姉さんの母親というには若い気もする、顔が怖くて白髪だけど。

 

(あれ?この髪留め)

 

目についたのは彼女の白髪部分の前髪を留めているもの。塗装が剥げたり傷も多いけど、姉さんと同じもののように見える。

 

「うっ」

 

そんなことも、兵士のうめき声ではっとなる。パチリと開かれた目は私たちと同じ赤色。

 

(似ているかな?)

 

疑問が浮かぶ私だったが、兵士はガバリと上体を起こして辺りを見回し、姉さんと目が合うと必死な様子で叫んだ。

 

「姉さん!!」

「んえっ?!」

 

……姉さんから変な声が出た気がする。それよりもなんと、その女性は私の姉であるマルフーシャ姉さんを姉であると宣ったのだ!な、なんだってー!!ということは私の姉でもあるのこの人?

 

「……あなたが、私の妹?」

「そうだよ!私だよ!!……あれから何年も経ってるもんね、そうだよ。しかたない。でも本当だよ信じてっ。あれから私、頑張ったんだよ!?姉さんが死んだって、チェルヌーシュカに見せられて、でもあれは偽物!そうだよあれは……あれは姉さんなんかじゃない、姉さんのはずない!()()()()()()()()()()()()!!だって姉さんはこうして無事に、目だって――」

 

幼子のように捲し立てる兵士が急に黙り込み、豹変した。

 

「ヒッ」

 

私は思わず姉さんの肩をつかむ。だ、だって兵士の顔が、目が急に鋭く徐々に血走って、顔の至る所に血管のようなものが浮き出始めたの。姉さんを、その右目を睨みつけながら。

姉さんも怖いのか、私が掴んだ肩が少し震えている気がした。

 

「どうして、目、元通りなの……?あれを治すことなんてできるはずないのに……まさか姉さんも、手術されたの?あの人でなし共に、身体を弄られたの!?」

 

兵士が姉さんの両腕を掴む。

 

「っ……い、痛い」

「ゆ、許せないィ……!どこまで私を虚仮にすれば。でも待って。姉さん、まさか溶鉄に――」

「やめてっ!!」

 

我慢強いはずの姉さんが痛がる姿に、私は叫びながら兵士の腕に掴みかかった。その腕はびくともせず、文字通り鉄のように固い。

そこで初めて兵士は私の存在に気がついたようで驚き、自らが姉さんの腕を握り続けていることに気づいて手を離す。

 

「姉さんっ大丈夫?」

「……心配しないでスネジンカ。少し痛かっただけ」

 

掴まれた場所は痣になっていた。一体どれくらいの力で掴まれたのか。先ほどとは打って変わり兵士は狼狽している。

 

「ご、ごめんなさい姉さん。私びっくりして」

「――私の妹は、スネジンカしか知りません。あなたは一体誰ッ」

 

謝罪の言葉を口にした兵士へ、硬い声音でそう言い放った姉さんが、私を庇うように抱きしめてくれる。

 

「あ?ぅっ……ぇ」

 

それを呆然と見やる兵士は姉さんと、私の顔を見比べてから顔を伏せた。……たっぷり1分は経っただろうか。室内の沈黙を破ったのは兵士だった。

 

「ごめんなさい。貴女に怪我をさせたことは許されることではありません。本当にっ、ごめんなさい」

 

床に額をつけて謝りながら、彼女は泣いていた。……この人は、少し精神が不安定な人なのだろうか。

私が兵士を軽く睨んでいると、姉さんが頭を上げるよう促した。

 

「大丈夫です。それよりも、あなたの名前を教えてくれますか?」

「私はス――」

 

顔を上げた兵士が名前を口に、しない?なぜか私の顔を見てから、また顔を伏せた。

 

「――スィーストラ、私の名前はスィーストラ です。軍に籍を置いている者です」

 

そう名乗った彼女は顔を上げた。そこには先ほどまでが嘘だったかのような無表情だった。

 

「繰り返しますが、本当に申し訳ありませんでした。あなたが……あなたが、亡くなった私の姉に似ていたので、取り乱してしまったのです」

 

そう弁解してから彼女は続けた。曰く、戦争による人材不足からくる都市治安の悪化を受けて、軍の部隊の一部が治安維持の任務につくと。その任務に配属になったスィーストラさんは、不審者が出たという通報を受けて見回りしていたという。聞き込みのために我が家をたずねたところ、あのようなことになったらしい。

そうだったのかと納得する。姉さんは難しそうな顔をしていた。

 

「長々と申し訳ありませんでした。もしかしたらまた聞き込みに伺うかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。それと」

 

最後に彼女は大きな鞄から薬と包帯を置いて行った。お使いくださいマルフーシャさん、と言葉を残して。

まるで台風のような人だった。ふと時計を見ると学校に行く時間が近づいていることに気づく。

 

「姉さん、私もう学校に行くね」

「……うん。気を付けて」

 

考え事をしている姉さんを置いて、私は登校の準備をする。今年度は卒業もあるのに、遅刻なんてしたら姉さんに迷惑をかけてしまう。

ふやかした黒パンを齧りながら、私は学校へ出発した。

 

 

 

名を偽ったスネジンカは足早に進む、1人になれる場所へ。勝手知ったる庭である。裏路地の更に奥の暗がりでようやく足を留め、座り込んで顔を伏せる。思い出すのは懐かしき我が家での醜態と、そこで見たカレンダーの日付。

 

「296年。私はロスヌイ中学校を来年に卒業、姉さんはノーズコーンベーカリーに勤め始めたばかりの頃……時間がない。今すぐ探さないと」

 

バックパックに乱暴に手を突っ込み、缶に入った錠剤を噛み砕いて飲み下す。いつもならもうすこしまともな感情が、今日は昂ったままで血が昇りっぱなしだ。

 

「ふふっ。それにしても“私の妹は、スネジンカしか知りません”か。姉さんはやっぱり姉さんだ。でも、堪えるなあ」

 

怯えながらも、腕の中の“スネジンカ”を絶対に守るという強い視線。明らかな敵意を自分に、スネジンカにぶつけたのだ。

握った缶に水滴が次々と落ちる。空はスモッグ越しの晴れ間で雨雲は見つからない。

 

「ここが私の妄想でも、過去の世界であっても。私の姉は死んでしまった姉なんだな。変わらない、これは絶たいに覆らないしんじつなんだ」

 

鼻声になっていく。缶に落ちる水滴はまだ止まない。

 

「だ、だからわ、わたじは、あの人のっ“スネジンカ()”にはなれ、なれないんだっ」

 

言葉にするとなお苦しく、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔から涙が止まらない。

 

「そ、そうであってもっ、わっわたじはあのひどを、あのままにすることはできないできるはずない。き、きっとうらまれる間違いなく。でもいいんだ。これは私の自己満足なんだ。溶鉄に入ってあんな姿になって、死んだ後もあんな事」

 

薬がようやく効いてきたのか、顔を上げたその顔は無表情だった。

細長く息を吐き出しながら、スネジンカは三つ編みをほどく。伸ばしていた髪が背中にかかるのがわかる。次いで前髪の髪留めを左側に付け替え、白髪の部分は編み込んで内側に隠す。そうしてできた自分の姿を向かい側のガラスに映した。

 

「太らないと。それと目の隈は化粧でなんとかなるかな」

 

そこには無表情の“マルフーシャ”が反射していた。

 

「マルフーシャ、あなたを貰うよ。そしてスネジンカには」

 

彼女は決めた、誰に何を言われようと実行すると。そのためならあの姉妹の意思を無視することも。

このようなことをしても過去は変わらず、愛する唯一の義姉は蘇らない。なぜならスネジンカがここにいるから。それでも彼女はやると決めた。

 

「消えてもらえばいいよね」

 

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