フリッグの舞踏会から十日が経った。魔法学院を騒がせた土くれのフーケは生徒有志によって捕らえられ、学院にも平穏な日々が戻ってきていた。
これといった変化のないような魔法学院。だけれど、ルイーズの周囲でいえば変わった事はいくつかある。
一つ。時折、タバサからの何ともいえない視線を感じるようになっていた。これはフリッグの舞踏会以降のこと。
しかし実はルイーズ、フリッグの舞踏会の日の後半の記憶を無くしていた。だから勿論、そんな視線を向けられる原因に全く心当たりがない。
辛うじてキュルケとタバサに、自分がルイズの使い魔だということを打ち明けた辺りまでのことは覚えている。だが、それから先は完全に真っ白だった。
次の日の二日酔いの頭痛から察するに飲みすぎたことはわかったのだけれど、タバサはそれからの数日学院には戻って来ないために聞くことも出来ないでいた。また、密かに才人からも似たような視線を受けていたが、三日が経つ頃にはそれもなくなっていたのでルイーズは気に留めていない。
次に、学院長がルイズの部屋の隣に部屋を用意してくれたこと。これは学院長が直々に命じてくれたためにえらく大げさになってしまった。
真っ白なベッドに豪奢なクローゼット、大きな鏡のついたドレッサーに、丸テーブル、本棚はもう部屋に配置されていた。どれもこれも、売れば一財産になりそうな高級なものだ。
家具はどうやら置いていかれた使えそうなものを直し、それに上から細工を施してくれたらしい。壁のドアもミス・シュブルーズがその場で繋げてくれたために、一日掛からずに改装は済んだ。
中を検分すると、学院の制服などの生活用品の一切もが用意されてクローゼットに仕舞われてあった。ドレッサーの中も充実している。至れり尽くせりといった状況だ。
折角なのでルイーズは寝起きをこちらの部屋でしているが、実質はルイズの部屋が拡張されたようなものである。才人がこちらに避難してくるのも、ルイズが才人に対しての愚痴を言いに来ることも毎日のこと。こちらで才人が眠り、代わってルイーズが以前のようにルイズと一緒のベッドで寝ることも多々ある。
そして、変わったといえば才人とギーシュの関係。以前にギーシュに頼まれた『才人の貸し出し』をそのままそのご主人様に伝えたところ、あっさりと許可が下りたのだ。
それにより二人は暇を見つけてはよくゴーレムとデルフリンガーを使ってチャンバラを行うようになった。才人に関してはともかく、ギーシュの腕は着々と上がっているようだ。
加えて、なにやらそれ以外のところでも意気投合したようで「何人もの女性と仲良くするには~」という話を真剣にしているのを女子生徒に複数目撃されている。
そうしてこの十日を締めくくるように起こったのが昨夜の出来事である。一応のところ未遂で終わったのだが、一晩中躾けただけでは足りないほどに、今回の才人の行動はルイズには我慢がならないようだった。
「わんわん!」
半ば徹夜でハイテンションのルイズは才人に首輪をくくりつけ、それを鎖で引きずって教室に入室し、駄目押しに才人には犬の鳴き声だけを強要までさせていた。
才人の顔はぼこぼこの打撲痕ばかりの酷い有様で、血の跡やら内出血やらで見るも耐えない。ギーシュの錬金したワルキューレにだって、ここまでの怪我はさせられていない。恐らくハルケギニアに召喚されて、才人初めての生命の危機だった。
本来渦中にいる筈のルイーズはといえば、サイレントをかけていた所為で寝過ごして朝食を抜かす羽目になり、才人とルイズの惨状を知らないままに一足先に教室で着席していた。
彼女は入室してきた二人――犬のように扱われる才人に、それを怒鳴りつけているルイズ――を見るなり、口から音を漏らしていた。
「……へ?」
そして絶句。席に座った体勢のまま呆然と固まってしまう。そんな状況にありながら、ルイーズは止まりかけた脳みそで思った。
お前らは、どれだけアブノーマルなんだと。これではSMというか、飛び越えて飼い犬プレイだ。きっとこの二人、自分が今何をしているのか冷静に見ることが出来ないでいる。ルイズは怒りから、才人は生命の危機から、羞恥心をどこかに置き忘れてきてしまったのだろう。
そんな惨事に、教室の何割かの視線がルイズと同じ姿をしているルイーズへと集まった。それらは『この子もそんな趣味を持っているのではないか』といった思惑で見られているようにルイーズを錯覚させる。
上手く思考が働いてくれず、口だけがぱくぱくと開閉してしまう。自分と同じ姿の少女が這い蹲らせた男を鞭で叩くというあんまりな光景は、ルイーズを赤面させ、思考を鈍らせた。
……生徒たちの視線の実際のところは『こんな趣味を持つ姉がいるなんて、可哀相に』といったものだったのだが、余裕をなくしたルイーズはそれに気づけない。
何はなくとも、まず二人を止めなくてはならない。遅れて冷静さを取り戻したルイーズは、ルイズに駆け寄って詳細を聞き始める。
そうして聞けたのは「ああああの馬鹿犬ってば、わわ私とルイーズを二人まとめて可愛がってやるとかふざけたことを……」云々。要領を得ないものの、昨夜は才人が勘違いをしていたことだけはルイーズにも理解できた。
何とかルイズを宥めてすかして、周囲を見てくれと伝えてみたところそこで初めてルイズは第三者から己がどう見えるかに気がついたのだろう。照れ隠しなのか判断が難しい台詞を最後に、ルイズと才人の公開飼い犬プレイはお開きになったのだった。
その後はキュルケが傷だらけの才人を抱きしめてルイズをからかい、二人はいつものように喧嘩になり、揉めている間にキュルケから脱出した才人はルイズの躾を受けて反省したのか、昨夜あわや襲いかけたルイーズに謝罪する。
寝惚けていたことで記憶は定かではなかったこと、何より実害がなかったルイーズは笑って才人を許した。ついでに、謝っている才人の顔の傷があまりに痛々しいので【治癒】をかけてやったのだが、才人はそんなルイーズにいたく感動し「錆び剣の言うことは当てになんねえ」などとまた勘違いしているようだった。
「あ、う……?」
突如、ルイーズの視界が真っ暗になって揺れた。自分の体を支えきれずに、床にぺたんと座り込んでしまう。
空腹で魔法を使ったのが災いしたか、それとも朝から血が顔に上ったりしたのが良くなかったのか、どうやら立ちくらみらしい。
「ちょっとルイーズ、どうしたのよ!?」
「そういえばあなた、朝から顔色が悪かったわよね?」
ルイズとキュルケも口喧嘩を止め、教室中がルイーズに注目する。どうやらそんなには軽いものではなく、落ち着くまでは自分の足で立つことも侭ならないようだった。
確かにキュルケの言うようにルイーズの顔色は悪かった。元々肌の色は白いが、今のルイーズの顔色はそれを通り越して青くなっている。
「しばらく休めば、大丈夫。だから……って、え? 才人?」
「悪い、ルイズ。俺、ルイーズを医務室に連れて行ってくる!」
引き金となった魔法行使の原因である才人は責任感に駆られたのか、ルイーズをいつかのようにお姫様抱っこで抱え上げ駆け出した。そして医務室に向かうべく、脇目も振らずに廊下へ飛び出す。
すっぽりと才人の腕に収まってしまったルイーズは体調の悪化もあって抵抗できず、使い魔に勝手に置いていかれる形になったルイズはといえば、その駆けていく後姿に向かって「あんたは誰の使い魔なのよ!」と声を上げたのだった。
教室の生徒たちがコルベールより聞かされた話をルイーズが聞いたのは、才人がルイズの元へ戻って医務室で落ち着いた頃だった。症状の方だが、どうやら血糖値が下がっていただけらしく、医務教諭に渡された蜂蜜入りのミルクを飲んでいたらいつの間にか頭も体も落ち着いている。
ルイーズに処置が終わるや、医務教諭を兼任している【水】メイジの先生は慌しく歓迎式典の準備に走っていった。トリステイン王女であるアンリエッタ・ド・トリステイン来訪の歓迎式典だそうだ。ゲルマニア訪問から帰国したアンリエッタ王女殿下がその途上にあるこのトリステイン魔法学院に行幸されるとのことで、学院を挙げて準備に取り掛かっているという。
「そっか。アンが……」
体が落ち着くのを待ってから医務室を出たルイーズは、足取りもしっかりと人の居ない廊下を歩く。その間も、埃被っていた記憶を底から掘り出していた。
アンがトリステイン魔法学院に来たということは、アルビオンは近いうちに落ちる。『ゼロの使い魔』の話通りの展開であるならば、それは間違いはないだろう。
確か、アンにはこの時ゲルマニアへ嫁ぐ話が出ていて、その話を進める上で憂いとなっているのは他の者に宛てた恋文。それを、宛てられた本人であるアルビオンの皇太子ウェールズから取り返さなければならないというもの。
『ゼロの使い魔』でのルイズは王女の勅命にて、敗戦の折にあるアルビオンへと手紙の回収に遣わされるという流れだった。細かい所は忘れてしまっているけれども、それでも流石に要所要所は覚えている。
さて、どうしたものかと考えるが、『ゼロの使い魔』での流れ通りだとするならばワルド子爵を早急に倒すという他に案はない。
なにせルイズを手中に収めようと画策し、ウェールズの命を狙う裏切り者だ。このアルビオンで起こるほとんどの窮地はワルド子爵の手によるもので、退場してもらえば今回の話は決して難しいものではない。
放っておけば、ルイズにだって危害を加えようとする。それは何としても避けなければならないことであるし、絶対に許す事の出来ないことだ。そもそも倒せなかった場合ルイズはワルド子爵に連れ去られるか殺されるかして、全てが終わってしまう。
……けれども、私一人の力でワルド子爵を倒すというのはあまりに困難である。彼を排除出来れば問題のほとんどは消えるのだけど、その彼こそが最大の障害だ。
不意をつけばまだ勝機はあるものの、正面切っての戦いとなればトライアングルとスクウェアの地力の差は大きい。相性と工夫次第では勝てるものではあるが、得意の【水】は他の系統に比べて攻撃性に劣り、自由に扱える【風】も相手が同系統の格上であれば勝ち目は薄い。
直接勝てないのであれば、【水】メイジらしく……そう、眠り薬でも仕込んでおけば? ――いや、駄目だ。裏切るまでは曲がりなりにもトリステイン特使。ウェールズと会うにもトリステイン王女から遣わされたワルド子爵がいないというのはおかしなことになる。
しかしその後ではもう介入出来るようなところがない。その前だって、ワルド子爵がうかうかと襤褸を出すとは思えない。ならばやはり、アルビオンでの決着まではおとなしくしているしかないのだろう。……だがそれでも、私がルイズの身代わりとなれば最悪を防ぐことはできる筈だ。
校舎を出て魔法学院の正門にたどり着くと、丁度王女御一行が到着したと知らせが入った。
ルイーズは一生徒としてルイズからは離れたところに整列し、その入場に合わせて一斉に杖を掲げる。王女に向けての学院長の歓迎の挨拶とが主目的だから生徒たちを注意深くは見たりしないだろうが、念を入れてルイズからは離れていることにした。
ルイーズが使い魔であることをルイズは隠しておきたいようなので、同じ姿が二人並んでいるのをアンリエッタの目に入らないようにしなくてはならなかったからだ。それでなくとも桃色のブロンドは珍しく、目に留まりやすい。アンリエッタが周囲を眺めないようにと祈った。
杖を掲げるその間を、ユニコーンに引かれた馬車が進んでいく。馬車の中は見えない。つまりは中からも外の様子は見えていない。とりあえずルイーズは懸念の一つが消えて安堵の息を吐く。
本塔前で馬車は停止し、マザリーニに続いてアンリエッタが中から現れた。すると周囲からは大きく歓声が上がった。歳若く王女であるアンリエッタは見目麗しく、貴族の子女たちには特に人気が高い。にっこりと笑みを作ったアンリエッタに、生徒たちはうっとりとため息をついた。
だがルイーズはというとアンリエッタよりも、その後方でグリフォンに乗って控えている背の高い長髪の貴族に目がいっていた。いや、その射抜くような視線では睨みつけているといった方が正しかった。
鋭い目つきに、隙のない身のこなし。頭には気品のある羽帽子が乗っていて、それがまた似合っている。――彼が、ワルド子爵だ。
最後に会ったのは彼が十代後半の頃で、十年ほども前だ。もはやルイーズは顔も覚えていなかったのだが、見ればあっさりと思い出すものだと感心する。
あの頃にはなかった口髭が生えたようだが、増えたのはそれだけではないようだ。余裕が立ち振る舞いから溢れて見える。25、6ほどの年齢だと思うがそれよりも老けて見えるのは落ち着いた物腰も手伝っているのかもしれない。
そこで、はたとルイーズは気がついた。
考えてみれば、『俺』の年齢23と『私』の年齢16を足すと彼より遥かに年上になってしまうのではないか?
私としては二つが混ざったので間をとって14、それから十年経ったので24歳ぐらいのつもりではいるけれど、年上である筈のワルド子爵を見て余裕が出てきただのと感想が出てくるのはちょっとおかしい気がする。
そこまで考えて、ルイーズは頭を抱える。そして身震いした。そのうちに見た目は若いのに口調がババアになってしまうのかもしれないと、恐ろしい未来を幻視した。
その後は何事もなく一日を過ごし、夜を迎える。
実際のところ、妙に落ち着きをなくしたルイズや消沈した様子の才人には何かがあったようなのだけれど、朝の続きか、いつもの喧嘩だろうと放っておいた。下手に仲裁しても収まることはないのだと、ルイーズはここ数日で学習していたからだ。
正門の外で指笛を鳴らしてウインディーナを呼び、夕食の生魚と水草を上げたので、後はもう寝るだけだ。
帰る頃には二人の喧嘩が終わっていることを願って、ルイーズは部屋へと急ぐ。寮の螺旋階段を登ろうとしたところで、後から駆けてくる黒い頭巾を被った人物に気がついた。余程急いでいるのだろう、「お先、どうぞ」と声を掛けて道を空ける。
「……お久しぶりね」
小さく頭を下げて横を抜けて階段を上ろうとした人物はしかし、目の前で立ち止まりこちらに振り向いて声を掛けてくる。
そんな挨拶を受けて相対することになるが、だがルイーズには心当たりはなかった。女子寮にいることと、声色からして同年代の女性であることは確かなのだろうけれども、ルイーズが知り合った人物はとても少ない。
ましてや、久しぶりなどと声を掛けられるほどこちらの世界に長くいるわけではないのだ。だとするならば、ルイズと人違いをしているのだろうけれど……。
「ここでは落ち着いてお話も出来ませんね。突然で申し訳ないのだけれど、貴女のお部屋にお邪魔させてもらっても大丈夫かしら?」
「え? ちょっと……」
そう言うと、ルイーズはその女性に腕を引かれていく。口振りとは裏腹に有無を言わせないところ、結構この人物は強引なようである。どうやら部屋の階数を知っているらしく、勝手に階段を上っていってしまう。
まだ相手が誰であるのかわかっていなかったが、ルイーズはため息を一つ吐くと、とりあえず自分の部屋へと案内することを決めた。
自分の部屋へと案内すると、黒頭巾の女性は入室するなり杖を振るう。部屋に光の粉が舞う様子にそのスペルを判別し、ルイーズはようやくその人物が誰だかわかったのだった。
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
「殿下!」
即座に膝を突いて、臣下の礼をとる。相手が別世界の王族でも、このあたりの体に染み付いてしまっている習慣は抜けることはないだろう。
「改めて、お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」
相手は軽やかに笑うと黒頭巾を取る。その顔はやはり、昼に見たばかりのアンリエッタであったのだった。
「いけません、姫殿下。このような下賎なところへお越しになるなんて」
話を進めるためにも当たり障りなく言葉を投げかけるが、その間もルイーズは悩む。
考えてみれば、王女であるアンリエッタが学院生であるルイズに勅命を与えるなんて、公式の場では考えられることではなかった。
ああ、そうだ。ようやく思い出したが、こうしてアンリエッタはルイズの部屋を訪ね、秘密裏に奪還を命じるのだ。
それにしてもややこしくなってしまった。初めにルイズと会ってくれれば問題はなかったのに、先に私が会うことになるなんて。こうなってしまっては折をみて自分がルイズではないことを伝えなくてはならないのは確かなのだけれど、それには状況を見なければならない。
おそらくこの時間ならばまだまだルイズも才人も起きているだろう。とりあえず自分の正体を明かすべき機までは、ルイズとして話すべきか。しかし、何かを忘れているような気がする。
「ああ、ルイズ。そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい。貴女とわたくしはおともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉です、姫殿下」
そう言ってくれるのなら直ぐにでも言葉を崩したいところだけれども、体面上そうもいかない。言外に「出来ません」と言うと、アンリエッタは悲壮な表情を作った。
「お願いよ、ルイズ。貴女にまでそんなよそよそしくされてしまっては、わたくしが心を許せるおともだちはいなくなってしまうもの!」
「ですが」
「幼い頃、宮廷の中庭で一緒に蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」
「……お召し物を汚してしまって侍従のラ・ポルト様に叱られましたね」
「そうよ! お菓子をとりあってつかみあいにもなったわ! わたくしは貴女に髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」
……どうやら、この世界でもアンとルイズは私の時と同じことをやっていたらしい。これなら一々探るように受け答えしなくてもいいのかもしれない。
「けれど、姫様が勝利なさったことも多々ありました。覚えているでしょうか、アミアンの包囲戦を」
「もちろん! 覚えているわ! 『宮廷ごっこ』でどちらがお姫様をやるかで取っ組み合いになったわね! あの時はわたくしの一撃がうまい具合に貴女のおなかに決まって」
「ええ。私、脇腹の骨を二本もっていかれました」
「ええっ!? 冗談はやめてルイズ! あの時は貴女が気絶しただけじゃないの!」
「……ええ。そう、でしたね」
言って、笑うアンリエッタ。ルイーズもそれに笑って返す。アンリエッタは普段こういった軽口を叩くことも出来ないのだろう。表情は晴れやかで、本当に嬉しそうだった。対してルイーズはといえば、確かに笑っているものの苦虫を噛み潰したようなものだ。
実は、先のルイーズの発言は冗談でも何でもなかったりする。ルイーズは確かにそれで二本やられていた。それにどうやらこちらではルイズが勝ち越しているようだが、あっちでは勝率は半々といったところだった。こんな無駄なところに違いなんてなくてもよかったろうに、どういうことなのだろうか。そんなことを考える。
「ねえ、アン。私、貴女はルイズ・フランソワーズに用があってここまで来たのだと思っているのだけど、違う?」
二人で笑い合い、会話が一旦切れたので、ルイーズは意を決して切り出してみることにした。ついでにアンリエッタも堅苦しくなくて構わないと言うから、口調を普段のそれに崩すことにする。
「その呼び方も懐かしいわ、ルイズ。用があるというのも、その通り。やっぱり貴女には、隠しておくことは出来ないのね。実はわたくし――――」
「待って。それを聞く前に、私、アンに伝えておかなければならないことがあるの」
ここでその用事まで言い付かってしまっては、人違いを知らせることが出来そうにない。失礼になるが、ルイーズはアンリエッタの話を遮った。
アンリエッタは少し気分を害したようだったが、ルイーズが自分の話を聞く意思があることがわかって気を持ち直す。
「わかったわ。それではわたくしの話は貴女の後で。それで、お話は何なのかしら。ここにはわたくしとルイズだけなのだから、遠慮せずに何でも言ってちょうだい」
「ええと――――」
いざ口にしようと思うと、踏み止まってしまう。何と切り出していいのかわからない。
「実はね、私、ルイズじゃないの」
結局、遠慮せずにと言われたので素直に暴露することにした。自分でもこれはないんじゃないか、とルイーズは言ってから思った。そんなことを突然言われたアンリエッタはというと、あまりの発言に目をまん丸に見開いている。
「――何を言うのよ、ルイズ。今までの話は、わたくしと貴女しか知らないことばかりじゃない。何年ぶりかに会ったというのに、わたくし貴女がルイズ・フランソワーズだと直ぐにわかったのよ?」
「そうなのだけれどね。でも私はルイズじゃない。貴女の言うルイズは、隣の部屋にいるから」
顔をルイズの部屋に繋がるドアへと向ける。あちらからは、何か怒声が響いている。才人がまた、ルイズに叱られているのだろうか。
「もう、悪い冗談はよしてちょうだい。それじゃあ貴女は誰だって言うの。ディティクトマジックが反応しないのだから、【風】で【変身】しているわけじゃあないのでしょう? それにこういっては何だけれど、貴女魔法が使えなかったじゃない。別人にしても、わたくし貴女に双子がいるなんて話を聞いたことはないわ」
アンリエッタの疑問ももっともだった。というより、ルイズが説明を渋ったように、ルイーズの立ち位置は複雑で、言葉だけで伝えるのは至難に尽きた。
ルイズとルイーズの二人が揃っているならばいくらか理解が早くなるのかもしれないけれど、ルイズと寸分違わないルイーズにこんなことを言い出されても、アンリエッタには信じることが出来ない。
何せ自分との記憶と何ら変わらない姿で、二人しか知らない過去を共有している。そんな人間にいきなり「私は貴女の知っているルイズじゃない」と言われても、相手の頭の方を先に心配してしまうだろう。
ルイーズはといえばどう説明するかを考えながらも、今のアンリエッタの言葉に頭の片隅で感心していた。ついつい流してしまっていたけど、アンってディティクトマジックを使えるようになってたんだ、と。
「信じてもらえないかもしれないけど、私は使い魔として呼び出されたの。これが刻まれた使い魔のルーン」
ほら、とルイーズが、ルイズとの数少ない差異のひとつである左手の甲に描かれた使い魔のルーンをアンリエッタに向ける。だけれど、アンリエッタはそれを見ることが出来なかった。突然、大きな音と一緒にルイーズの部屋と廊下とを繋げている方のドアが開かれたからだった。
自然とアンリエッタとルイーズの視線がそちらへ向かう。
「……」
そうして二人の沈黙が重なった。
開かれたドアから部屋の中に転がり込んできたのは、男。よくよく見れば、それはギーシュだった。勢いのあまり床に転がったまま、驚愕に染まった顔つきでルイーズの顔を注視している。
「ギーシュ、あなた……」
「ルイーズ! 君が使い魔だなんて、それは本当なのかい!?」
ルイーズの怪訝な顔にも構わず、ギーシュはルイーズへと問い掛けた。どうやらギーシュは部屋の中を覗き、聞き耳を立てていたようだった。そうしているうちにルイーズの発言を聞き、驚いた拍子に覗き見ていたドアを開けてしまったらしい。
何か忘れているような気がしていたのは、ギーシュが覗き見していることだと、ルイーズは今更ながら気づく。
「もう、何よルイーズ! さっきからうるさいわよ! おちおち考え事もできやしない! キュルケを来させているんじゃないでしょうね!?」
次いで、またもドアが開けられた。今度はルイズの部屋とを繋げている方だ。
勿論というか、声の主はルイズである。目は釣り上がり、イライラした様子だ。そして、何故かブラウスの前が全開である。よく見ると、ドアから覗くルイズの部屋の隅で才人がずたぼろになって倒れていた。また何かルイズにしでかしたらしい。
「ひぇ!? ひ、姫殿下!? 姫殿下が何でルイーズの部屋に? なんでギーシュが転がってるの!? って、きゃああああああ!」
ルイズは騒ぐだけ騒いだ後、自分の服装に気づいたのか、慌てて部屋に戻っていった。ドアがばったんと乱暴に閉められる。
アンリエッタは呆然と、ルイズによって閉められたドアを眺め続けていた。頭の上を疑問符が飛び交っているように、ルイーズには見えた。
ギーシュは相変わらず床に転がったままだが、ルイズの前がはだけた格好を見れて少しだけ嬉しそうだった。何だか蹴っ飛ばしてやりたくなった。
部屋の主であるルイーズは、あまりに混沌とした状況に頭痛を覚えていた。
――なんで、こんなことになっているのだろう。何を間違えたのだろうか、私は。
ルイーズはそんなことを考えるけれど、その答えは一向に出てこない。結局三人は、ルイズが戻ってくるまで固まったままだった。