優しい霧雨。ところにより暴雨。   作:柚子餅

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向かう先はアルビオン①

 

 白く靄のかかった、まだ日も満足に照らしていない早朝。トリステイン魔法学院正門には、人目から逃れるように馬の準備をする人影があった。最近になって学院で良く見かける二人組みの、才人とギーシュである。

 そのうちの才人は、昨夜完治した筈の顔の傷をまた同じようにその顔面にこしらえて、同じ姿の少女二人に言いつけられた用事を黙々とこなしていた。

 

「……ふん」

 

 一方で、その片割れとなっているギーシュはというとそんな才人を見やり、憤然やる方なしといった様子だった。普段からして友達といっていいのか判断に困る二人の間柄ではあったが、今ここに至っては見間違えようなく剣呑な空気である。

 

「ああ、もう! さっきからちらちらと見てきやがってなんなんだよ、ギーシュ!」

 

 荷物を馬にくくりつける手を止め、振り向きざまに才人は声を上げた。どうやら彼もまた苛立っている。それは刺々しい声色から簡単に読み取れた。

 

「昨夜のことだったらもういいだろ! やられたお姫様が怒っているってんならともかく、何でお前が怒ってるんだよ。お姫様だって許してくれたし、俺だって反省してる。ルイズとルイーズの二人にもぼこぼこにされてへこんでるんだから、あんまり何度も蒸し返さないでくれよ」

 

 数える限りで、ギーシュはもう数十回は意味ありげに鼻を鳴らされたり、ため息を吐かれたりをしていた。ギーシュの馬に荷物をくくりつける手も全然進んでいない。

 才人にしたって、頻繁に気を逸らされて集中できないでいる。いくら自分が悪いと思っているとはいえ、いい加減に才人にも鬱憤が溜まっていた。

 

「いや、僕は単に、君が生きてここにいる事実に驚いているだけだ。姫殿下がお許しになったとしても、本来君は有無を言わさず首を落とされていたはずなのだから。見ていたのが僕だけだから良かったものの、そうでなかったら君は今頃大衆の前に首をさらされていておかしくない。事を公にせず許してくれた姫殿下に、君は深く、それこそ始祖ブリミルに祈ると同じ程には深く感謝することだ」

 

 そういう口振りとは裏腹に、ギーシュの才人を見る目には、怒りやら侮蔑やら羨望やら悲しみやらがごちゃまぜになって込められている。ギーシュに言われて才人は「始祖ブリミルになんて祈ったことねえよ」と呟いた。そして件の事を思い返す。

 才人の左手は勝手に、その口元を覆い隠していた。

 

 ――昨夜ルイズに言われるまま才人はアンリエッタを送っていった。何故かルイーズの部屋から無事その寝所に送り届け、そこから帰ろうと踵を返したその時、才人はアンリエッタに呼び止められたのだった。

 そして、よくわからない頼みごとをされて、ルイズを助けろだの、もう一人のわたくしのおともだちをよろしくだのなんだのと色々言われてきた。

 才人はずっと気絶していたために話の前後もよく理解できず、目の前には差し出された綺麗な手と、にっこり笑う可愛いお姫様。横からは驚いた様子で「キスをしていい」なんていうギーシュの言葉。判断材料はそれだけだった。

 

 とりあえず言われるままにアンリエッタの唇にキスをしてしまったのは、ちょっと考えが足らなかったかな、と今なら思う。『外国ではキスは挨拶』なんて中途半端な知識があったのも悪かったかもしれない。

 結果だけみるならば、申し開きもなく自身が悪いということだって自覚している。きっと自分は大馬鹿者なんだろうとも思っているし、よく考えなくても女性の唇にキスしていい訳がなかった。

 ただ、ギーシュにしたって言い方が悪かった筈だ。こちとら、貴族だのがいない日本出身。いきなり理解しろって方が酷じゃないか。それに、お姫様本人は許してくれたのだから、周りがごちゃごちゃ言う筋合いもないだろう。

 

 才人は苛立ちに任せてそこまで考えてみたが、すぐにいかんいかん、と頭を振った。海よりも深く反省していた俺はどこにいったのだ、と改めて頭の中を探り直す。

 そう、ギーシュから顛末を聞いた時のルイズと、ルイーズの剣幕だ。

 あの怒り具合、そんな簡単に済む話ではなさそうだった。ルイズだけが激昂しているならば大抵は後で取り返しが利く事が多く、才人は特に気に留めない。だが、ルイーズまでとなると流石の才人も反省し、考えを改める。

 

 ルイーズは、才人が何か失敗したり無作法をしても頭ごなしに叱ったりはしない。これから失敗をしないように、何が悪かったのか説明してくれる。そんな彼女に、理由を訊く前に頭をはたかれたのは才人にとって初めてのことだった。

 ならば、きっと取り返しがつかないことをしていたのだ。ギーシュが言っていたように、有無を言わさずに頭と体が強制的にお別れしていてもおかしくなかったんだろう。

 

「……はぁ。そんな心優しく美しい姫殿下の唇を、この下賎な平民が奪っただなんて。ああ、世の中というのはなんて不条理なのだ! 僕も打ち首覚悟で挑むべきだったか!!」

「なんだよ、怒っているのかと思えば、お前もお姫様とキスしたかっただけなのかよ」

「怒っているともさ! 可愛らしい、それも姫殿下にキスをするなんて! 羨ましい、妬ましいぞ、サイト!!」

 

 ギーシュの言葉を受けて「確かにすっごい可愛かったけどな」と口の中だけで呟いた才人は物思いをやめたのだが、目の前の光景につい顔をしかめてしまう。

 原因は、おおう、ああう、と気持ち悪く身悶えするギーシュ。まるで先日の暴走した時の自分のようで、才人は何だか見ていられなくなって顔を逸らした。

 

(あ……)

 

 ギーシュから逸らした先には、瓜二つの少女が二人、何かを話し合っていた。遠目にもなにやら真剣な様子であるので、きっとこれからのことを話しているのだろう。

 よく似ている二人だが、一ヶ月を共に過ごした才人でも見た目だけでは見分けがつけられない。一人の左手の甲さえ見せてもらえばルーンの有無で判別できるが、それ以外は全くといっていいほど同じ姿である。だが、それでも今日だけは、二人のうちのどちらがルイズであるのか才人にも見分けがついた。

 

 昨夜からルイズの右手の薬指には、大きなルビーの指輪が光っていた。アンリエッタが寝所に戻る直前にルイズに与えた王家の財宝、水のルビーだ。それがルイズとルイーズとの区別を容易にしている。

 寝所に帰った才人は今回の任務を託された名誉を誇りながら右手のルビーを大事そうに眺めるルイズを覚えている。そうしてルビーは、一時も外されることなく今もルイズの手で輝いている。

 才人が二人を眺めていると、横から声がかかった。

 

「なぁ、サイト。ところでちょっとした相談がある。実は僕の使い魔であるヴェルダンデの同行を是非とも許してもらいたいんだが、ルイズに口添えを頼めないかい?」

 

 声に反応した才人が見れば、先ほどまでの不機嫌さの欠片もなく話しかけてくるギーシュの姿があった。

 

「え? ああ。ギーシュの使い魔ってもぐらだったっけか?」

「違うっ! ジャイアントモールだ! 僕のヴェルダンデをそこらのもぐらと一緒にしないでくれたまえ!」

「悪い悪い」

 

 つい、と何気なく視線をルイズとルイーズが居たあたりへ戻すと、こちらへ歩いてくるルイーズの姿が目に入った。右手にルビーがないのだからルイーズの筈なんだが、どうにも彼女にしては少しだけ吊り目に見える。

 

「あれ、ルイズはどこ行ったんだ? こっちの準備はもう終わるから、そろそろ出発できるぞ」

「あんたね、まだ自分の主人との見分けがついていないの? ほんといつまで経ってもこのバカ犬は……」

「は? いや、だってルビー……」

「あんな大きなルビーの指輪、これ見よがしにつけておけるわけないでしょ」

「あ、そう考えれば当たり前だよな。もし盗まれたりしたらえらいことになりそうだし。ルイズもちゃんと考えてるんだな。てっきり俺、そのままで行くのかと思ってた」

「まぁ、それを忠告したのは私だけど。……ともかく! ルイーズはディーナに乗って上空から警戒しながら行ってくれるから、少し遅れて出発するらしいわ。私たちは先に出るわよ」

「ああ、待ってくれルイズ! ちょっとした頼みがあるんだが、僕の使い魔のヴェルダンデを連れて行ってもいいかい?」

「へ? あんたの使い魔ってでっかいもぐらだっけ? 私たちは馬で行くのに、もぐらがついて来れるの?」

「もぐらではなく、ジャイアントモールだ! それはともかく、僕のヴェルダンデなら馬に負けないぐらいに早く地中を掘り進むことができるから、問題はないさ。ヴェルダンデ、出ておいで」

 

 ギーシュが呼びかけそのまま十秒ほども経つと、もこもこと地面が盛り上がり、ぽこっと茶色の塊が顔を出す。ジャイアントという名からわかるとおり、それは大型犬ほどもあるもぐらだった。

 

「おお、ヴェルダンデ! どばどばミミズはたくさん食べてきたかい? 最近は学院の外の、泉の傍がお気に入りだったね」

 

 ギーシュはつぶらな瞳のヴェルダンデに語りかけ、その頭を優しく撫でる。どこかうずうずした様子で頬を僅かに染め、それを眺めていたルイズはぶっきらぼうに声を上げた。

 

「す、好きにしたらいいじゃない。ついてくるのはいいけど、遅れても待ったりはしないからね」

「ああ、ありがとうルイズ! それでは丁度こちらも準備も終えたことだし、早速出発しようか!」

「ギーシュ、何でお前が仕切ってんだよ……」

 

 才人が疲れたように呟き、馬へと足を向けると、三人の前に一人の長身の男が立ち塞がった。どこかで見たかもしれないがともかく何だかいけ好かない奴だ、とは才人の第一印象だった。

 

「ああ、悪いが君たち、少し待ってはくれないか? アルビオン行きの旅行に向かうのは君たち三人でいいのかな?」

「っ! 何者だっ!」

 

 その台詞に反応したのはギーシュだ。流れるような動作でバラの造花を男へと差し向け、鋭くにらみつける。その一連の動作に、素人目には隙は見えない。どうやら、才人との特訓は少なからず成果を見せているようだった。

 

「待ちたまえ。僕は怪しい者ではない。特別な符号でも聞いておければよかったんだが、生憎と出発のおおよその時間しか伝えられなくてね。さる高貴なお方より、旅行へ同行するよう仰せつかった者さ」

「姫殿下から……?」

「その返答が出るならやはり、アンリエッタ姫殿下より密命を命じられたのは君たちか。僕は女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長のワルド子爵だ」

 

 羽帽子を取り去ると、優雅に礼を取る。それを前に、ギーシュは「魔法衛士隊……」と呟きながらバラの造花を胸のポケットに差し直した。

 

「なかなかどうして、いい反応だったよ。密命を受けるだけあってそこらの学院の生徒とは違うようだね。ええと……?」

「ギーシュ・ド・グラモンです。子爵」

「ほう、グラモン元帥の……。活躍を期待しているよ。よろしく頼む」

 

 どうやら褒められたことで、ギーシュはワルドへの心象が急上昇しているらしい。学生たちの憧れである魔法衛士隊の隊長ということも手伝って、すっかりギーシュの目は尊敬のそれだ。

 

「ところで。もしやとは思っていたが、ああ、やはりか! 久しいな、ルイズ! 僕のルイズ!」

「ワルドさま……」

「は?」

 

 すっかり置いていかれていた才人は、ワルドの突然の言葉に呆けた言葉を漏らしていた。ルイズはというと、笑みなのかも判別つかない、何とも形容しがたい表情でじっとワルドを見つめている。

 

「ひゃ」

 

 ワルドは反応が返ってくると年の割りには無邪気な笑みを浮かべ、ルイズへと駆け寄ってそのまま抱きかかえる。ふわり、という擬音が聞こえてきそうなほどに、そのワルドの動作には重さを感じさせない。

 

「噂は聞いているよ。まさかあの土くれを捕まえたのが僕の婚約者とは。ははは、誇らしいよ。正直なところ、僕としてはあまり危険なことはして欲しくはないのだがね」

「……はぁ?」

 

 続く言葉に才人は更なる衝撃を受ける。

 婚約者だって? それはいったい誰のことを言っているんだ? 冷静に考えればまず抱き抱えられている人物を指しているのだろうが、生憎才人の頭は混乱していて冷静とは程遠い。

 

「ルイズ、ところで、ギーシュ君の隣にいる彼の紹介を頼んでいいかい?」

「あの、使い魔の才人です」

 

 ルイズと、ルイズを優しく下ろしたワルドと、その二人の視線がこちらに向いて才人は渋々と頭を下げた。

 

「きみがルイズの使い魔なのか。僕の婚約者をよろしく頼むよ」

「……」

「どうしたんだい。もしかして、アルビオンへと向かうのが不安なのかな。大丈夫さ。あのフーケを捕まえた勇気があればなんだってできるさ!」

 

 爽やかに言って男らしく笑うワルドを前に、才人は何も言葉を返せない。

 何だよこいつ。俺より背が高いし、どう見たって鍛えてて強そうだし、明らかにいい奴じゃねえか。会って数秒なのに、悔しいけど自分が勝てそうなところが見つからない。おまけにルイズの婚約者だというじゃないか。何なの? 勝ち組なの? 出会い系で彼女を探して必死な俺はどうすればいいの? 負け組なの?

 

「おいで、ルイズ」

「あ、はい……」

 

 ぴゅう、とワルドが口笛を吹くと、グリフォンが朝もやの中から現れる。手綱に手を掛け、ワルドはルイズに向かって恭しく手を伸ばす。そしてその手を、まるで借りてきた猫のように恐る恐る取ったルイズの姿。

 

「さぁ、諸君。出撃だ!」

 

 再度ルイズを抱き抱えてグリフォンへとまたがったワルドは、杖を手に高らかに宣言する。目を輝かせてワルドに続くギーシュに、ワルドの腕の中で俯いているルイズ。

 なんだか居場所を奪われてしまったような苛立ちを覚える才人だったが、それをぶつけるのが格好悪いことだというのはわかっていた。我慢して馬にまたがり、いくらか慣れた手つきで走らせる。

 そうしながら才人が考えるのは、早くこの任務が終わってくれないだろうか、それだけであった。

 

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