結局ドアを叩くノックの音がするまで二人の言い争いは続いた。
開けた先にミスタ・コルベールが居てはさしものルイズも黙ることになり、ミスタ・コルベールに先導されて学院長室へと赴くことになった。何でも、学院長からルイズと私に話があるということだ。
他の生徒たちは自分の部屋や広場で使い魔との交流をしているらしく移動中にすれ違う者もいない。
目の前にはぶつぶつと何事かを呟いているルイズ、背後には学院が目新しいのかきょろきょろとせわしなく辺りを見回している才人。それに挟まれて、私は無言で歩いていた。二人とも夢中になっているので、私だけが浮いていた。
程なくして、私たちは学院長室へと辿り着いた。
「楽にしてくれて構わんよ、ミス・ヴァリエール。そしてミス・ラヴァリエールだったかな?」
「はい」
その先に居るのは白髪と白髭の老人、オールド・オスマン。彼の横に控えているのはミス・ロングビル。
ルイズを真ん中に、才人と私で挟むように立っている。ミスタ・コルベールは出入り口であるドアの辺りで立ち止まっていた。
「さて早速じゃが、ミス・ラヴァリエール。君の処遇を暫定的にでも決めねばならん。ミスタ・コルベールによるとここではないトリステインの貴族であるそうだが」
「はい、その通りです。私の生まれ育ったトリステインとここのトリステインは非常に似通っており、けれど間違いなくここではありませんでした。そう、何せ私はオールド・オスマンにもミスタ・コルベールにも毎日のようにお会いしていました。もちろんあちらでのことですが」
「ほぉ、其れは……。しかし、まぁ、確かめる術はないの。それは兎も角、問題は君をこの魔法学院はどう受け入れるべきか、ということじゃ」
「どういうことですか? オールドオスマン」
私を召喚したルイズが代わって疑問の声を上げる。使い魔として呼び出されたのなら、人間であるということを考慮に入れた其れ相応の待遇で構わない筈だ。受け入れがどうの、そんなにも大層にする話ではないというルイズの見解の表れだろう。勿論私だって同じ考えだ。
「うむ。ミス・ラヴァリエールが君の使い魔となってくれるというのならば、それはそれでこちらとしても構わん。だが、この世界に存在しないとはいえ公爵家のご令嬢である彼女を使い魔にするのは忍びないというのも確かでな。幸いミス・ヴァリエールには既に一人使い魔もいるということじゃし、無理に二人を従えることもなかろう。そのことから、ミス・ラヴァリエール。君が望むなら卒業するまではこの学院の生徒として編入させることも儂は視野に入れておる。学費、滞在費は考えんでもええ。恐らく、そちらの儂も君の家には世話になっていたじゃろうしな」
……なんというか、破格の待遇だ。実質身元不明の小娘一人に対し、学費滞在費免除で魔法学院に住まわせるということだ。
エレオノール姉さまもこのトリステイン魔法学院の卒業生であると聞いたから、それなりの寄付金が支払われているのだろう。その過剰を考えれば私一人の学費分は容易く出るのかもしれない。でもまぁ、私の答えは決まっている。
「その申し出、とても嬉しく思います。オールドオスマン。ですが、私はそれを望みません。ルイズに召喚された私は、彼女の使い魔になるべきでしょう」
酷く打算的な思考になるが、ルイズの使い魔とならなかった場合、同じ姿をした私はルイズに疎まれる可能性が高い。
そんな私がルイズの使い魔である才人と仲良く話したりなんてのも、ルイズからすればもってのほかだろう。少なくとも面白いとは思えない筈。私の目標を達成させるには才人は必須だし、ルイズと疎遠になればよろしくない事態が待っているのは間違いない。
この世界で生きるだけならば、学院長の申し出を受けるのもいいだろう。だが『漫画家』を目指す私が選ぶべきは、ルイズの使い魔になることなのだ。
「そうか……まあ、学院内の施設くらいなら使ってもらって構わんからの。元居たところだと思って自由にしなさい」
そこで話を区切り、一息つくとオールド・オスマンはルイズへと向き直った。
「ところでミス・ヴァリエール」
「はぁ、なんでしょうかオールド・オスマン」
「なに。まだ彼女との契約の儀式は済ませていないのじゃろ? 丁度いいからここでぶちゅーっとやりなさい。儂が見ててあげよう」
「え? あ、わ、わかりました。じゃ、ルイーズ……」
「ん……」
衆人環視の中、朗々と読み上げられていくコントラクトサーヴァントの呪文。
そしてそれが終わるとルイズと私は口付けた。……ウンディーナを除くと、これが私のファーストキスだ。
何、この胸の高鳴り。もしかしてこれが……恋? …………それはないか。
いやまぁ、どきどきしたことは確かだけれど人の居る前でキスなんてしたら、羞恥で動悸が激しくなるのも仕方ないだろう。目の前のルイズも顔を赤らめているし。
「あ、づっ、いた……」
馬鹿なことを考えていると、左手の甲に強烈な熱と痛みが走る。思わずその箇所を右手で押さえつけた。場所が場所でなければ床を転がりまわっていただろう。涙が溢れ出てくるくらいには痛い。つまりすごく痛い。
痛い痛い痛い! って、それより左手の甲ってことはもしかして……。
「ふむ、サイト君と同じルーンだね。珍しい」
やはりか。ルイズに呼ばれた使い魔は例外なくガンダールヴということなのだろうか。
「ええのう、ええのう。美少女同士の口付けは。しかも何やら絵面が背徳的じゃ。堪らんのう、堪らんのう」
オールド・オスマンの目尻が下がる。頬がだらしなく緩んだ。しかし、学院長室にいる全員に冷たい目で見られて、強制的にオールド・オスマンは黙らざるを得なくなった。
「ご、ごほん。それではもう行ってもらって構わないよ、ミス・ヴァリエール。明日の授業はミス・ラヴァリエールと共に出席しても大丈夫な様、各教師には通達しておこう。容姿の問題もあって人目が気になるとは思うが、ミス・ラヴァリエールもどうか遠慮せずに参加してくれるといい。使い魔と説明するのに抵抗があるのなら、ミス・ヴァリエールの血縁の編入生と伝えればそれほどには不自然でもないだろう。その辺りはミス・ヴァリエールと話し合ってくれたまえ。もちろん、授業に出なくても問題はないから、君の意思で判断してくれて構わない」
「はい、ありがとうございます」
空気を切り替えるように咳払いをして退室を促したのはミスタ・コルベールだ。オールド・オスマンはミス・ロングビルに未だに冷たい目で見られて何やら恍惚に浸っている。あの一帯は色んな意味で危ない。
一言、オールド・オスマンとミスタ・コルベールに礼を述べてから退出した。
「ねぇ、ルイーズ。貴女、あんまりあの平民を甘やかさないでよ? 貴族の使い魔として最低限の躾をしなくちゃいけないんだから、調子に乗られても困るのよ」
部屋に戻り、才人がまだ廊下にいるというのに閉め出してからルイズは話し出した。
学院長室からの帰り道、不思議そうに見回している才人に私が一から説明してあげていたことだろう。へぇーだのほぉーだの、面白いように感心してくれたものだから説明する側としても退屈ではなかったのだけど。
「ん……確かに口汚いし礼儀もなっていないから、その辺りは追々教えてあげなきゃいけないとは思うけど……。でもルイズ、彼も見知らぬ地に連れてこられたのだから、初めくらいは優しくしてあげてもいいのでは?」
「無理よ。……私の使い魔としてそれなりの礼儀と教養が身についてからなら考えてあげなくもないけど、少なくとも今は絶対に無理。あんな、雑用ぐらいしか出来ない能無しじゃそこらの召使と変わらないもの」
「そう……」
「何? 言いたいことでもあるの? あの平民は私の使い魔。貴女の使い魔はあのドラゴンでしょ?」
何だか、対応や言葉遣いこそ貴族の友人に対するものだけど、ルイズの言葉に棘があるように思えてならない。やっぱり、私が魔法を使えるということが溝を作ってしまったのだろうか。それとも自分が平民で、私がドラゴンを喚び出したからか。
きっと、その両方であり、もっと複雑に絡み合っているのだろう。私には魔法が使えず馬鹿にされ続けて育てられたことはないから、ルイズのコンプレックスがどれほど根深いものかはわからない。
「いいえ。私の主人でもあるルイズがそう決めたのなら、私からルイズに言うことは何もない」
「……ふんっ。入っていいわよ、平民!」
「くそっ、何なんだよ、出てろと言ったり入れと言ってみたり」
ぶつぶつと悪態をつきながら才人が入ってくる。そんな才人を見て、ルイズが笑みを浮かべた。これから、ルイズのいう『躾け』るつもりなのだろう。己に傅く才人を思い浮かべているのが傍から見てもわかる。
「いいこと、平民。私の使い魔であるからには、主人の私に対して無礼な態度の一切を許さないわ。まずは……そうね、私のことはご主人様と呼びなさい」
ふんぞり返って才人を指しながら高らかに告げる。だがしかし、才人は何故か私の方を向いていてほとんど相手にしていない。
「ええと、ルイーズだっけ? 使い魔って何なんだ。教えてくれる?」
「あ、ああああんた! 何でルイーズに訊くのよ! あんたの主人は私なんだからね!」
「そんなの決まってるだろ。お前は俺の話を全く聞かないで、押し付けてばっかりだからだ。で、ルイーズ?」
こう振られると、とても困ってしまうのだが。直前にルイズから釘を刺されたばかりだから尚更だ。
「うー、フクロウとかネコとかが魔法使いの従者をやっている物語や童話なんかを、才人は知ってる?」
ルイズからの突き刺さる視線を感じながら、訊かれた事を答えないわけにもいかないので才人へと質問を投げかける。才人が頷くのを確認して更に続ける。
「それを、色んな種族を対象に出来るのが、サモンサーヴァント。才人が喚び出された魔法の名前。使い魔の役目だけれど、大まかには主人の代わりに情報を集めたり、物探しをしたり。そして、使い魔の意義は、主人を護るということに重きを置いてる」
「ふんふん」
「つまりは、ルイズの使い魔となった才人はその役目をこなさなければならない。ルイズの命に背くのも、基本的にダメ」
主人となるルイズを立てるように話を進めていくと、どうやら少しは機嫌が直ったらしい。突き刺さる視線は大分勢いをなくしている。
「なんでだよ。犬猫ならともかく、俺は人間だぞ。人権ってものがあるだろうが」
「……あんまり言いたくはないけど、貴族の中には勘違いして、平民をイヌネコと変わらない扱いしてたりするのもいる。ただノブレス・オブリージュを実践している貴族も勿論居るし、一概には言えないけど」
「つまりは、勘違い貴族にとって、俺の立場はイヌネコと五十歩百歩ってことか?」
「最悪、覆る」
「なんてこった……」
あんまり貴族を貶めるものだからルイズの視線がまた突き刺さる程の鋭さを見せてきた。まぁ、事実だから否定しないのだが、これ以上は上手くないだろう。
「いい、才人。貴方が立っている位置は、そんなところ。日本からこのハルケギニアにきたというのなら、お金も、職も、この世界の常識も持っていないのでしょう? 今の才人が一人でやっていくのは、事実上無理。野垂れ死ぬよ。なら、ルイズに仕えて学んでいくのが、私は良いと思うのだけれど」
「……ああ。そう、なのかな」
洗脳……じゃなくて、説得完了まであと少し。
「そうだよ。ルイズはさっき言った勘違い貴族とは違って、気高く貴い貴族だろうし。使い魔として働くなら、衣食住は心配しなくていいだろうし。ね、ルイズ」
「あ、ああ当たり前じゃない! そんな貴族の風上にも置けないヤツらとこの私を一緒にしないで!!」
私の問い掛けに、間髪入れずにルイズは声を上げた。
ここまで恥部を話せば、普通なら『自分はそんな下種な奴等とは違うぞ』というところを見せたくなるものである。それにここで私の言葉に同意しないなら、全面的にさっきの話を肯定することになる。
貴族は、その地位を不信によって貶められてはいけない。更に言うなら、こういった貴族全体に対する不信はあってはいけない。
貴族は、平民を先導し支えてやらなければならないからだ。戦となればその貴族としての誇りから先陣を切る。その誇りを失わないから、貴族でいられるのだ。
そういった責務を果たすから、平民との地位の落差が発生する。責務を果たさず、平民が貴族を敬わなければ、貴族を不要とする動きが出るだろう。
いずれはそうして、数に勝る平民は知恵を絞り、新たな道を切り拓いてくれる者を探しだす。この世界では魔法の優位性があるために考えにくいことではあるが、貴族の評判によっては革命運動も有り得ない話ではない。
この話術……といっていいのかは甚だ疑問だが、これが出来たのは貴族でありながら、このハルケギニアでは貴族ではない私だからだ。他の者がやってたら、冒頭部分で侮辱罪で引っ立てられてもおかしくない。
「まぁ、そういうわけで、与えられた労働さえこなせばルイズは養ってくれる。それとついさっきだけど、私もルイズの使い魔になったから。……これからよろしくね、才人」
そういって、右手を差し出す。
「――――ああ、そうだよな。この世界でも仕事があって、飯が食えて、とりあえず生きていけるんだ。使い魔ぐらいやってやろうじゃないか! こちらこそよろしくな、ルイーズ!」
大きな手のひらに力強く握り返された。さっきまで己の境遇に嘆いていた才人はもういない。とりあえずはこの世界で生きてやろうという前向きさに溢れて新生した。
才人は、自分の働きに生活が掛かっていることを自覚したのだ。不満を漏らして言うことを聞かない、なんてことは『よっぽど』ではない限りしなくなるだろう。ルイズはこの言質を以って、理不尽な要求をしたり、『よっぽど』のことがない限りご飯抜きにしたりは出来ないだろう。
……洗脳、完了。じゃなかった、説得だ。説得。あとは『よっぽど』がないことを祈るだけである。
「……何で私の使い魔は、ルイーズの従者みたいになってるのかしら」
気がついたら、もう空は暗くなっていた。空が近く見える。星の光が大きく見える。今夜はいい天気みたいだ。
「才人、ほら。今日は月が綺麗だよ」
「へぇ、どれどれ……」
窓から空を眺めていた私の横から、才人が顔を出して窓を覗き込む。
「……」
「どうしたの? 才人」
「月が……ふたつ?」
「あ、そっか」
地球って、月が一つだったんだ。暫く見ていないものだからその差異をすっかり忘れていた。人間の、慣れて『当たり前』と認識するまで二ヶ月もあれば充分というから当然か。
驚愕して慄く才人を横に、私は一人頷いていた。ただ、才人の歳から使い魔としてこの世界に適応するのは、難しくはないだろうけど大変そうだな。
ああ、そうだ。使い魔といえばウンディーナが馬小屋にいるのだった。
「ルイズ」
「ん? どうしたのルイーズ」
ルイズの機嫌はそう悪くもなさそうだ。そろそろ就寝するのだろう。ベッドを整えている。
「ウンディーナが馬小屋で寝てるから、私も今日は馬小屋で寝てくるね」
「……そうね。貴女も今日使い魔を召喚したってことだしね。わかったわ。明日は起きたらまず私の部屋に来て。それから、どうするか決めましょう?」
「わかった。それじゃおやすみなさい」
ルイズから借り受けた毛布を手に私は馬小屋へと歩き出した。
きっと水竜というのだから、飲み水は大量に必要だろう。今日はあまり魔法を使っていないから、コンデンセイション*1でありったけ水を精製してあげよう。
馬小屋でウンディーナと一緒に丸くなって熟睡していた私には知る由もなかった。就寝の際、着替えと洗濯、寝床について才人とルイズの間にごたごたがあり、早速お互いに『よっぽど』が発生しかかっていたことを。