「……では、ミス・ヴァリエール。答えなさい。コモンスペルのレビテーションと、【風】のスペルであるフライ、この違いは何かね?」
低く響くその声を受けて、私は板書を写す手をとめて起立する。一瞬、周囲の視線が私に集まった。
「はい、ミスタ・ギトー。レビテーションは念動力と呼ばれるもので、上一方への力を働かすことが主となります。対してフライは風の力を利用したものである為にその自由性は前者の比にならず、術者の意思の通りの浮遊を可能とします。また、その速度も並ならぬものがあり、熟練した風のメイジであれば風竜とも共に飛行することのできる速度を持つともされています」
返事はしっかりと、回答は要点を欠かさないようにまとめる。後は、ミスタ・ギトーの授業に限らずこうして指されたときは少しばかり担当教諭の属性魔法を持ち上げておくと評価が上がりやすかったりする。
ミスタ・ギトーが私の回答に頷いたことを確認してから静かに着席する。
「うむ。ミス・ヴァリエール、いい答えだ。……【風】という要素を加えることによって同じ浮遊魔法でもこのように昇華される。総じて【風】は四系統の魔法の中でも第一といって良いほどに重要な物であるということだ。その凄さは先ほどミス・ヴァリエールが挙げた、風竜と共に飛行した風のメイジを例としてみるとしようか。そもそも……」
……ちょろいね。
サイトが倒れた後、もう一人の使い魔であるあの子が代わりに面倒を引き受けてくれたので、私はこうして午後の授業を受けることが出来ている。
出ても出なくてもいいとされているルイーズと、しっかりと授業に出席しなくてはならない私。そうなると自然と役割分担は決まってくる。本来主人である私が責任持って面倒を見なくてはならないサイトの看護を、自ら買って出てくれたルイーズ。
初対面の時から思っていたけれど、彼女は素晴らしい人だわ。同じ姿をしていてもルイーズは私と違って聡明で優しく、包容力があり、大人の魅力に溢れている。これからはルイーズを見習って、私も一日も早くあの方のように立派な淑女にならなくちゃいけないわよね!
……と、まぁ、実のところは、このようにルイズの演技をした私が授業に紛れ込んでいる状態なのだが。
当の本人であるルイズは今、部屋で才人の看護をしている筈だ。あれほど使い魔の世話は主人である私の仕事と言っていたし。才人の体の打撲や打ち身なら授業に出る前に【治癒】で完治させておいたから、才人に対する心配はいらないと思う。
ちなみに私がルイズに成りすますことを、ルイズには伝えていない。ルイーズとして出席すると思っているはずだ。
動機に関してはほんのお茶目。じゃなくて、出席を取らないとルイズの成績が悪くなってしまう、ということにしておこうと思う。
それにしても完璧すぎる演技をしてしまう私が怖い……! その完璧さたるや、周りを見ても不審そうに私を見ているものはいない。
何せ、キュルケには授業が始まる前にバレていたし、キュルケと談笑する私に、周りの生徒は決して目を合わせようとしないからだ。もう違和感しかないので、とっくに不審がどうのというレベルではなくなっている。あえて当て嵌めるとすれば恐怖だろうか。
とりあえず、板書だけは写しておいたし、ルイズの出席は取れたので良しとしようと思う。……逆に言えばルイズの為に得れたものはそれだけなのだけれど。キュルケと仲良くなれたのは私にとっての得だし。
これで次の授業、何も知らないルイズは異様な空気のクラスメイトに戸惑ってくれるだろう。こればっかり言っている気がするけど、私自身には悪気はなかった。
ちなみに板書を写した紙には、ところどころでデフォルメされた可愛らしい風竜が要点をわかりやすく教えてくれている。中々の出来だ。
授業を終えてキュルケとにこやかに別れの挨拶をした後、私はミスタ・コルベールの姿を探しに出た。早急に訊ねておかないといけない事があるのだ。けれどそこで私は後ろから呼び止められることになる。
「ルイズ、ちょっといいかい? 彼は、いったいどうだったんだ?」
振り向いた先にいたのは、ギーシュ・ド・グラモン。そして私はルイズではなくて、ルイーズである。……授業なら出席があるのでルイズのフリをしても大義名分は立つのだが、普通の会話ではそうはいかない。面倒だけど訂正しておこう。
「違う。私はルイーズ。ルイズの双子ということになってる。で、彼とはルイズの使い魔のこと?」
「なってる? ま、まあ、いい。君が先ほど話題になっていたルイーズだったか、よろしく。そう、僕が訊ねたいのはあの平民のことなのだが。倒れたようだったが、大事はなかったのかい?」
「大丈夫。怪我は私が治したし、後は目が覚めるのを待つだけだから。たぶん、疲れただけだと思うから、明日には起きると思うけど」
私の返答に何か引っかかるようだったが、そんなには優先順位が高くはないのかギーシュはそれを無視したようだ。そして私から才人の無事を聞いて、ギーシュは笑みを浮かべた。
「ならば、ルイズに伝言を頼んでもよろしいかな? 君の使い魔を時折僕に貸してくれないか、とね」
何が恥ずかしいのか、若干頬を染めるギーシュ。
……な、何を? もしかして、こいつ……。
「ち、違う! 違うぞ、ルイーズ! 彼と戦ってワルキューレの指揮に磨きをかければ、僕は更に上達できると踏んだんだ! 変な勘繰りはよしてくれ!」
能面のような無表情を装っていた私から何かを読み取ったのか、ギーシュが慌てて弁明を始める。
ならば何故頬を染めたのか……藪を突いて蛇を出すのは勘弁なので、触れないでおこう。たぶん、恐らく、ほぼ間違いなく平民の力を借りるということに勇気がいったのだろうが、万が一ということもある。
「……わかった。伝えるだけ伝えてあげる。返事はルイズ本人から聞いてね」
若干引き気味になりつつも、にこやかに答える私。笑みは時として、人を遠ざける力を持つもの。私の笑みを見てギーシュは及び腰になった。
「そ、そうか、ありがとう。感謝するよルイーズ。それにしてもルイーズ、君は本当にルイズとよく似ているね。まったく見分けがつかなかったよ」
この嫌な空気を何とか切り替えようと思ったのだろう。明らかに話題を変えたギーシュ。別に先ほどまでの話題に未練があったわけでもない私はそれに乗ってあげることにした。
「そうだね。身長も声も、格好も顔の作りだって同じみたいだからギーシュが間違えるのも仕方ないよ」
当たり前だ。姿だけ見たら、私だってルイズを鏡に移った自分と間違えそうになる。口を開けば口調とか声の抑揚ですぐにわかるだろうけど、見た目だけでいえば相違点を探すほうが難しい。
はっきりと違うといえるのはこの左手のルーンぐらいなものだ。このルーンの存在だって、知っているのはルイズと才人に教師ぐらいで、他の生徒が気づいた様子はないみたいだし。
「うん。そこで物は相談なのだけれど、君がよければ何か目印をつけてもらえると僕たち他の生徒は助かるのだが。見分けがつかないと、どちらか判らない為に迂闊に話しかけることも出来ないのでね」
「目印……といっても私、装飾品は都合があってこの魔法学院には持ち込んでいないし」
何せ着の身着のままでの召喚だった。
手持ちの所持品は、金貨が10枚、新金貨が10枚、銀貨が30枚が入った巾着袋。他には、指揮棒型の杖、あとは香水にハンカチ、水の秘薬を少々に内服薬の材料がちょこっとポケットに入っていただけだ。服も今着ている学院の制服しか持っていないから、着替えも出来ないし。
そんなわけで、目印になるような身に着けるものなんて何も持っていない状態だ。これではどうしようもない。
「ふむ……何か事情がありそうだね。まぁ、詳しくは聞かないが。そうだね、伝言を引き受けてくれた礼だ」
そう言って薔薇の造花を振るうとその内の一枚が舞い、形を変えてギーシュの手に収まった。開いた手のひらには、白銀色の小さなバングルが輝いている。
「生憎まだ細かい細工までは出来ないから簡素であるし、これも青銅なのだけど、未熟ながら固定化をかけておいたらから暫くはくすむ心配なく使えるだろう。こんなものでよければ僕からの礼だと思って受け取ってもらえないかい? 他に何か見つけかるまでの代用としてでも使ってもらえるなら、僕としては嬉しいのだけどね」
礼、と言ったのはこちらに遠慮させないための口実だろう。確かに本人が見分けが出来ない、ということもあるのだろうけど、わざわざ錬金で練成してくれたのは純粋な親切心と見る。
「ん。ありがと。貰っておく」
ルイズに言えば髪留めの一つでも貸してくれるだろうから必要がないといえばないのだけれど、断るのは悪い。
それを受け取って左手に嵌めてみるが、少しばかり大きい。手から抜けてしまう。
「しょうがないね。ほら、待ちたまえ。【錬金】」
もう一度ギーシュが杖を振ると、す、と音も立てずに輪が狭まり、若干の余裕を残して変化を止めた。そうして手首を返して表にしたり裏にして見ると、本人が言ったとおり石が嵌っているわけでもなく華美な装飾があるわけでもないが、シンプルでいいデザインだった。服装はアレであるが、根本的なセンスはそう悪くはないのかもしれない。
この出来なら、このまま売りに出せるぐらいだ。重ねてギーシュに礼を言う。
「…………いや、実際に話してみて思ったのだけれど、本当に君はルイズとは違う人間なのだね。素っ気無く見えるが根は素直で、気高くありながら野花のように純朴。可愛らしい人だ。どうだい? よければ僕に君の事を少し教えてもらえないかな?」
「ナンパはお断り。それに……ほら、見てるよ」
わかるように彼の背後を見ると、ギーシュは怪訝な顔をして振り返る。そして、その人物が視界に入るや否や彼は焦った様子で笑顔を振り撒き始めた。
「いやぁ、モンモランシー! どうしてここに? ああ、言わなくてもわかっているよ。僕に会いに来てくれたのだろう? さぁ、僕と一緒に午後のお茶に……」
「……あなた、あのゼロのルイズにまでちょっかい出していたの?」
そこにいたのは、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。口元が引き攣り、眉根を寄せたその表情は、内心の怒りを何とか抑え込んでいる様にしか見えない。そして見事な巻き髪である。羨ましいほどだ。軽めのカールならともかく、あれ程となると自分では恥ずかしくて出来ない。
「待ってくれモンモランシー!! 彼女はルイズではなく、ルイーズだよ。ほら、ルイズと見分けがつかないだろう? だから僕は彼女がルイーズであるとわかるようにこのバングルをだね……」
「へぇ、そう。この子の為に、バングルを錬金してまで作ったのね。わざわざサイズの調整までしてあげて。それにこの白銀色の青銅、私、見たことがなかったのだけれど?」
「いやぁ、気がついたかい? 僕の魔法を確り見ていてくれているのだね? 嬉しいよ、僕のモンモランシー! ついこの間なのだけれどね、錬金のイメージを変えると青銅の色を変えられるということがわかってね。強度は落ちるみたいなのでゴーレムには使えないのだが、装飾品になら、とだね」
「そう、それで私より先に、この子にあげたというわけね。貴方が意中の相手は、この子ということでよろしいのね?」
「ま、待ってくれたまえよモンモランシー! 僕は決してそんなつもりは……」
何だかこのままぼけっと眺めていたら巻き込まれそうな気がするので、ギーシュには悪いがミスタ・コルベール捜索に戻ることにする。弁解してもモンモランシー相手で私が出ては逆効果だろう。酷くなるだけだ。
背後からは、ギーシュの情けない声がいつまでも響いていた。
さて、ミスタ・コルベールに上申することだけれど、まずは、私自身の寝床の確保である。いつまでも馬小屋で寝起きするわけにもいかない。今朝残り半分を割ってしまった香水ではあと二日と耐えられない。
一番手っ取り早いのはルイズの部屋に住まわせてもらうことだけれど、才人とルイズがくっついた時にお邪魔虫になるのは御免だなぁ、という理由から二の足を踏んでいる。居辛くなってから他所に移るのは何とも情けないし。うう……そうなると、どっちにしても私の立場がないなぁ。部屋の話だけでなくて肩身が狭そうだ。
次にウンディーナの寝床。建物の中ではそんなスペースは存在しないので基本的に外で寝起きしてもらうことになるのだけれど、だからといって藁を敷いておけば済むということでもない。
大量の水が棲み処の近くになければならない。湖、泉、もしくは川の傍であったなら言うことはない。後は日差し除けとなる屋根や風除けになる壁……ひっくるめて小屋があれば完璧だけど。……近くの森の湖に、棲み易い巣を自分で作ってもらった方がいい気がしてきた。
ミスタ・コルベールを見つけたのでその旨を伝えてみるも今の時期ルイズの部屋の辺りには空きはないということ。私の居たトリステイン魔法学院では確か左隣に空きがあったと思ったのだけど、まあ変なところに差異があるものだ。
無い物は無いで仕方ないので、私のことは置いておいてウンディーナを住まわせておけるところがないかを聞いてみるが、こちらも色の良い返事は返ってこない。ドラゴンを飼えるような施設は、この魔法学院にはないとのこと。
――となると、あのウインドドラゴンはどこに棲んでいるのだろうか。疑問が残る。もしやミスタ・コルベール、私が余所者だからと情報を隠して嫌がらせしているのではなかろうか。まぁ、彼がそんな卑しい人間でないのはわかっているのだけど。
とりあえず、ミスタ・コルベールに礼を述べてルイズの部屋へと戻ることにする。暫定的にルイズの部屋に泊まらせてもらおうと思う。スペース的には充分余裕があるから、私一人ぐらいなら大丈夫だろう。
ウンディーナに関しては……適当に巣を作ってもらうことにたった今決定した。湖の場所だけ伝えておいて、あとは私のところに来る合図だけ決めておけば困りはしない筈。ご飯は私が持っていくなり、ウンディーナが学院に来るなりすればいいだろうし。
さて、ルイズの部屋に戻ると穏やかに昼寝をしているルイズがいた。これでは実質、ただのさぼりではないだろうか。(勝手に)代わりに授業に出席した私としてはやるせないものがある。
才人もなんら変わりがない。傷はもう見当たらないし、ただ眠っているようにしか見えない。というか、事実眠っているだけだろう。そもそも、世話をする必要があったかどうかも疑問だ。
……もういいや、何だか私も眠たくなってきた。何故だか知らないけれど、部屋の隅に毛布が放置されてある。丁度良いのは、まぁいいのだけれど。床で寝ることには勿論抵抗はある。けど、他にベッドはないのだからここで寝るしかないだろう。ルイズでさえ机で寝ているわけだし。
馬小屋で一夜を明かし、次は床で眠るのか。貴族の、それも年頃の娘の生活ではないだろう。
愚痴を言っても仕方がないのでそのまま横になる。気のせいかこの毛布、懐かしい匂いがする。
別に豪華で華美で、どんなに寝返りをうっても落ちないほど大きいベッドは望まないから、せめて日本でいう『敷布団』が欲しいなぁ。この際『座布団』でもいい。やっぱり硬いよ、床。
毛布から香る懐かしい匂いに、前世の記憶が掘り起こされているのを自覚しながらそのまま身を任せる。
その日は、『私』が前世の東京にいる夢を見た。『俺』が東京にいるのではなく、私ルイーズが東京にいる夢を、生まれて初めて見た。