混血のカレコレとLost evolution 作:Ks5118
──それは、今から三十年前のことだった。
空は朝からどんよりと曇り、やがて昼を過ぎた頃には静かな雨が降り始めていた。激しく叩きつけるような雨ではなく、ただひたすらに街を濡らし続ける、冷たい雨。アスファルトに落ちる水滴の音が、一定のリズムで響いていた。
そんな日のことだ。
俺はいつものように、喫茶店【AGIΩ】のカウンターに立ち、コーヒーを淹れていた。店の中には数人の常連客がいて、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。雨の日というのは、どこか空気が落ち着いていて、こういう場所にはよく合う。
ふと、視線を外へ向けた。
ガラス越しに見える景色は、雨に煙ってぼやけている。その中で──
小さな影が一つ、店の前に立っているのが見えた。
「……?」
最初は見間違いかと思った。だが、よく見ると確かにそこにいる。
小さな女の子だった。
傘も差さず、ただじっと立っている。
この雨の中で。
俺は眉をひそめた。
「……おいおい、マジかよ」
思わず小さく呟く。
あのまま放っておけば、間違いなく風邪を引く。いや、それどころかもっと酷いことになるかもしれない。
俺はカウンターから離れ、店の扉へと向かった。
「ちょっと外行ってくる」
そう一言だけ常連に告げ、扉を開ける。
冷たい雨が肌に触れた。
店の軒先まで歩き、少女に声をかける。
「なぁ、どうした? こんな所にいたら風邪ひいちゃうぞ」
できるだけ優しく、驚かせないように。
そう声をかけると、少女はゆっくりとこちらを見上げた。
まだ幼い顔立ち。濡れた髪が頬に張り付いている。
だがその表情は、不思議と落ち着いていた。
「大丈夫」
少女は小さな声で言った。
「ここに居たら、お母さんが迎えに来てくれるから」
その言葉を聞いて、俺は一瞬安心しかけた。
だがすぐに違和感に気づく。
「……ずっとここにいたのか?」
「うん」
「どれくらい?」
「わかんない。でも、ずっと」
その答えで、確信した。
この子は──かなり前からここにいる。
しかも、母親は来ていない。
俺はしゃがみ込んで、目線を合わせた。
「お母さんは、どうしてここに来るって思ったんだ?」
そう聞くと、少女は少しだけ嬉しそうに話し始めた。
「いつもね、お母さんがお仕事お休みの時、いっつもここに来るって言ってたの」
「……なるほどな」
つまり、母親にとってこの店は馴染みの場所ということか。
それなら話は早い。
「じゃあ、お母さんの格好、教えてくれるか?」
「うん」
少女は指を折りながら思い出すように言った。
「先生やってて、黒いスーツ着てて……赤い眼鏡かけてるの」
その瞬間、俺の頭の中で一人の人物が浮かんだ。
「あぁ……」
思わず声が漏れる。
「彼女の娘か」
そういえば、以前そんな話を聞いた気がする。忙しくてあまり家にいられないが、娘がいると。
俺は立ち上がった。
「ちょっと待っててな。お母さんに連絡してみるから」
「うん」
少女は素直に頷いた。
俺は店内に戻り、カウンターの奥から連絡先を探し出す。
「確か……これだな」
番号を押し、耳に当てる。
数回のコール音の後──
『はい、〇〇です』
聞き慣れた女性の声が返ってきた。
「あぁ、俺だ。マスターだ」
『どうかしたんですか?』
「お前の娘、今うちの前に来てるぞ」
一瞬の沈黙。
そして──
『えっ!?』
明らかに動揺した声。
『あの子、そちらにいるんですか!?』
「ああ。ずっと外に立ってたみたいだ」
『すみません……!』
慌てた様子が伝わってくる。
『こちらの仕事が終わったらすぐ向かいます! それまで預かってもらえませんか?』
「問題ない」
俺は即答した。
「こっちで面倒見ておく。仕事、頑張れ」
『本当にすみません……!』
そう言って、通話は切れた。
俺は携帯を置き、再び外へ出る。
「ほら、こっち来い。中で待とう」
少女に手を差し出す。
少し迷った後、その小さな手が俺の手を握った。
ひんやりと冷たかった。
「……これは風邪ひくな」
苦笑しながら、店の中へ連れていく。
タオルを持ってきて頭を拭いてやり、温かい飲み物を出す。
「ほら、これ飲め」
「……ありがとう」
小さく礼を言う少女。
その様子を見ていた常連たちが、ひそひそと話し始める。
「マスター、子供いたの?」
「違ぇよ!」
即座に否定する。
「そんな歳じゃねぇだろ!」
そう言ったが──
次の瞬間、少女が何気なく口を開いた。
「お兄ちゃんって、今何歳?」
店内が静まり返る。
全員の視線が、一斉に俺に向けられた。
「……十五歳だよ」
そう答えた瞬間。
「「「「「「「えええええええええ!?」」」」」」」
盛大な驚きの声が上がった。
「マスターってそんな若かったのか!?」
「見えないんだけど!?」
「絶対二十代後半だと思ってた!」
好き勝手言いやがって。
俺は額に青筋を浮かべながら言った。
「……すみませんねぇ! こんな若人が店やってて!」
そしてニヤリと笑う。
「仕返しだ。今注文してるやつ、全部二割増しな」
「いや待て待て待て!」
「それは横暴よ!」
「ごめんってマスター!」
「知らなかったんだって!」
慌てる常連たち。
俺はしばらくその様子を眺めた後、ため息をついた。
「……次言ったら本当に上げるからな」
「「「「「「「本当にすみませんでした!!」」」」」」」
見事な土下座(に近い動き)だった。
その光景を見て、少女がくすっと笑った。
その笑顔を見て、俺も少しだけ肩の力が抜けた。
それから数時間後。
少女の母親が店に駆け込んできた。
「すみません!」
息を切らしながら、店内を見回す。
そして少女を見つけると──
「もう! どうして家で大人しくしてなかったの!?」
叱るように言った。
少女は少しだけ俯く。
その様子を見て、俺は口を挟んだ。
「……どういうことだ?」
母親は申し訳なさそうに頭を下げた。
「この子、風邪を引いてて……家で寝かせていたんです」
「……なるほどな」
「それで連絡をもらって、本当に驚いて……」
「まぁ、無事ならいい」
俺は少女の方を見て言った。
「あまりお母さんに迷惑かけるなよ」
「……うん」
小さく頷く少女。
母親は何度も礼を言いながら、娘を連れて帰っていった。
──その日を境に。
その少女は、よく店に来るようになった。
最初は母親と一緒に。
やがて一人でも。
少しずつ成長していく姿を、俺はカウンター越しに見ていた。
そして彼女が小学三年生になった頃──
世界は、大きく変わった。
異世界との融合。
怪物の出現。
戦いの日々。
だが、それでも。
店は続けた。
人が来る限り、コーヒーを淹れ続けた。
それから三十年。
あの小さな少女は──
今では、いくつものアパートとリサイクルショップを経営するオーナーになっている。
「……時間が経つのは早いもんだな」
俺はふと呟く。
窓の外には、穏やかな朝の光。
キッチンには、香ばしい匂いが広がっている。
フライパンの上で焼けるベーコン。
トーストの焼ける音。
コーヒーの香り。
背後では、娘たちの声とペットの気配、そして友人の笑い声。
賑やかで、温かい日常。
かつて雨の中で震えていた少女も、今では誰かの居場所を作る側になっている。
そんなことを思いながら──
「さて」
俺はフライパンを返した。
「朝飯、できるぞ」
変わらない日常の中で。
それでも確かに積み重なってきた時間を感じながら。
俺は、今日も料理を作り続けるのだった。
6000文字以上
キリトside
──それは、今から三十年前の、ある雨の日の出来事だった。
朝から空は重く曇り、昼を過ぎた頃には細かな雨が街を静かに包み込んでいた。激しく叩きつけるような雨ではない。ただ、逃げ場を与えないようにじわじわと降り続く、冷たい雨だった。舗装された道路に落ちる水滴が、一定のリズムで音を刻み、その音がどこか心を落ち着かせる一方で、少しだけ寂しさを感じさせる。
そんな日でも、喫茶店【AGIΩ】はいつも通り営業していた。
店内にはコーヒーの香りが広がり、数人の常連客がそれぞれの時間を過ごしている。新聞を読む者、静かに本を開く者、ただぼんやりと雨を眺める者──そんな穏やかな空間の中で、俺はカウンターに立ち、いつものようにコーヒーを淹れていた。
ポタ、ポタ、とドリップの音が響く。
「……雨の日は、やっぱ客少ねぇな」
小さく呟くと、常連の一人が肩をすくめた。
「こういう日は家にいる人が多いからねぇ」
「まぁ、そうだな」
そんな何気ない会話をしながら、ふと外へ視線を向けた。
ガラス越しの景色は、雨によって少し歪んで見える。その向こうに──
「……?」
小さな影があった。
店の前に、ぽつんと立っている。
最初は見間違いかと思った。だが、目を凝らすと、それは確かに人影だった。
しかも──
「子供……か?」
傘も差さず、ただじっと立っている。
この雨の中で。
違和感が胸に引っかかる。
「……おいおい」
思わず眉をひそめた。
どう考えても普通じゃない。保護者が近くにいる様子もない。
このまま放っておくわけにはいかないか。
俺はカウンターを離れ、扉へと向かった。
「ちょっと外行ってくる」
「おう、風邪ひくなよマスター」
「誰のせいだよ」
軽口を返しながら扉を開ける。
外に出た瞬間、冷たい雨が肌を打った。
軒先まで歩き、少女に近づく。
近くで見ると、やはり幼い女の子だった。髪も服もすっかり濡れているのに、動く様子がない。
俺はできるだけ優しく声をかけた。
「なぁ、どうした? こんな所にいたら風邪ひいちゃうぞ」
少女はゆっくりと顔を上げた。
その目には、不安よりもどこか確信のようなものがあった。
「大丈夫」
小さな声で、しかしはっきりと言う。
「ここに居たら、お母さんが迎えに来てくれるから」
「……そうか」
一瞬納得しかけたが、すぐに違和感が浮かぶ。
「どれくらいここにいるんだ?」
「ずっと」
「ずっとって……」
「わかんないけど、ずっと」
その答えに、俺は確信した。
この子はかなり前からここにいる。そして──母親はまだ来ていない。
俺はしゃがんで目線を合わせた。
「お母さんは、なんでここに来るって思ったんだ?」
そう聞くと、少女は少しだけ嬉しそうに話し始めた。
「お母さんね、お休みの日になると、いっつもここに来るって言ってたの」
「……なるほどな」
それで、この店の前で待っていたのか。
確かに、この店は常連も多いし、そういう客もいる。
「じゃあさ、お母さんの格好、教えてくれるか?」
「うん」
少女は指を折りながら答えた。
「先生で、黒いスーツで、赤い眼鏡してるの」
その瞬間、記憶が繋がった。
「あぁ……」
思わず声が漏れる。
「彼女の娘か」
以前、そんな話をしていた常連がいた。忙しいけど娘がいると。
俺は立ち上がる。
「ちょっと待っててな。お母さんに連絡してみる」
「うん」
素直に頷く少女。
俺は店に戻り、連絡先を探す。
番号を見つけて、すぐに発信。
コール音が数回鳴り──
『はい、〇〇です』
落ち着いた女性の声。
「あぁ、マスターだ」
『どうかしたんですか?』
「お前の娘、今うちの前にいるぞ」
一瞬の静寂。
そして。
『えっ!?』
驚きと焦りが混じった声。
『あの子、そちらにいるんですか!?』
「ああ。ずっと外で待ってたみたいだ」
『すみません……! 本当にすみません!』
明らかに動揺している。
『仕事が終わり次第すぐ向かいますので、それまで預かってもらえませんか?』
「問題ない」
俺は即答した。
「こっちで見てる。仕事、頑張れ」
『ありがとうございます……!』
通話が切れる。
俺は携帯をしまい、再び外へ出た。
「ほら、中で待とう」
少女に手を差し出す。
少し迷った後、小さな手が重なった。
冷たい。
「……完全に冷えてるな」
苦笑しながら店内へ連れていく。
タオルで髪を拭き、温かい飲み物を出す。
「ほら、飲め」
「……ありがとう」
小さく礼を言う少女。
その様子を見て、常連たちがざわつき始める。
「マスター、子供いたのか?」
「違ぇよ!」
即座に否定する。
「そんな歳じゃねぇ!」
だが、その瞬間。
「お兄ちゃん、何歳?」
少女の無邪気な質問。
店内の空気が止まる。
全員の視線が俺に集中する。
「……十五歳だよ」
そう答えた瞬間──
「「「「「「えええええええええ!?」」」」」」
大合唱。
「若すぎだろ!?」
「嘘だろ!?」
「絶対もっと上だと思ってた!」
好き放題言いやがって。
俺はため息をつき、にやりと笑う。
「……すみませんねぇ、若くて」
そして一言。
「今の注文、全部二割増しな」
「待て待て待て!」
「横暴すぎる!」
「ごめんってマスター!」
慌てる常連たち。
しばらくその様子を眺めた後、俺は肩をすくめた。
「……次言ったら本当に上げる」
「「「「「「すみませんでした!!」」」」」」
見事な謝罪だった。
少女がくすっと笑う。
その笑顔に、店の空気が少し柔らかくなる。
やがて、数時間後。
扉が勢いよく開いた。
「すみません!」
息を切らした女性が入ってくる。
少女を見つけた瞬間──
「もう! どうして家で大人しくしてなかったの!」
叱る声。
少女は少しだけ俯く。
俺は口を開いた。
「……どういうことだ?」
母親は頭を下げる。
「この子、風邪を引いていて……家で寝かせていたんです」
「……そうか」
「それで連絡をいただいて……本当に驚きました」
「まぁ、無事ならいい」
俺は少女を見る。
「あんまり心配かけるなよ」
「……うん」
小さく頷く。
母親は何度も礼を言い、娘を連れて帰っていった。
──それが、最初だった。
あの日以来、少女はよく店に来るようになった。
最初は母親と一緒に。
やがて一人でも。
少しずつ背が伸び、言葉が増え、笑顔が変わっていく。
俺はそれを、ずっと見てきた。
そして彼女が小学三年生の頃──
世界は一変した。
異世界との融合。
怪物の出現。
日常の崩壊。
それでも──
店は続けた。
人が来る限り、コーヒーを淹れ続けた。
そして三十年後。
あの少女は今──
いくつものアパートとリサイクルショップを経営するオーナーになっている。
「……すげぇもんだな」
俺は小さく呟く。
キッチンには朝の光が差し込み、温かな空気が満ちている。
フライパンの上でベーコンが焼ける音。
トーストの香ばしい匂い。
コーヒーの湯気。
背後では、娘たちの声、ペットの気配、友人の笑い声。
賑やかで、温かい日常。
あの雨の日から繋がった、確かな時間。
「さて」
俺はフライパンを軽く振った。
「朝飯できるぞ」
変わらない日常の中で。
積み重ねてきた時間を感じながら。
俺は今日も、料理を作り続けるのだった。