混血のカレコレとLost evolution 作:Ks5118
休日の朝。
普段なら厨房からカチャカチャと食器の音が聞こえ、店内にも何かしらの話し声が響いている時間帯だ。
しかし、この日は珍しく店の中が静まり返っていた。
客の姿もなく、厨房にも人影はない。
キリトはカウンターの近くで、何をするでもなくのんびりと時間を過ごしていた。
そんな静かな店内に、パタパタと軽い足音が近づいてくる。
「お父さん!」
元気な声と共に、ヒサメが一枚のポスターを手にやってきた。
キリトが振り返ると、ヒサメは見るからに嬉しそうな表情を浮かべている。
「最近このお店で大食い大会をやっているみたいで! 私も出て良い?」
差し出されたポスターには、巨大なステーキを前にして食事を続ける参加者たちの写真が大きく掲載されていた。
大会の目玉は特大ステーキ。
一皿だけでも、普通のステーキとは比べ物にならないほどの大きさだ。
キリトはポスターを眺めながら、少し考える。
「良いぞ、カンナやフィーアも誘ったのか?」
「ううん。大会には出ないけど、二人とも見に行くって言ってたよ」
「そうか」
キリトは頷く。
ヒサメは本気で大会に参加するつもりらしい。
普段から食べることが好きなのは知っているが、こういった大食い大会に自分から参加したいと言うとは思わなかった。
しかし、そんなヒサメを見ているうちに、キリト自身も少し興味が湧いてくる。
「俺も出るかな」
「えっ!? お父さんって、そんなに食べられたっけ?」
ヒサメが驚いたように目を見開く。
その反応は当然だった。
普段のキリトは、決して大食漢というわけではない。
むしろ食事量は普通。
だが、時折──本当に時折ではあるものの、妙に食欲が湧く日がある。
そんな日は、朝から晩まで何かを食べ続けたいと思うほどだった。
「いつもは食べないけど、たまにたくさん食べたくなるんだよな」
「へぇ~、そういう日もあるんだ。ちょっと意外かも」
ヒサメは少し驚きながらも納得したように頷いた。
そしてキリトは、ふと思い出したようにもう一人の名前を口にする。
「因みにボティスも、俺と同じでたまにたくさん食べるぞ」
「えぇっ!? ボティスも大食いだったの!?」
ヒサメがさらに驚いた。
どうやらボティスが大食いだという事実は知らなかったらしい。
「じゃあ、ボティスも一緒に出たら、優勝狙えるんじゃない?」
キリトは肩をすくめる。
「分からないけど、かなり食べるぞ、俺もボティスも」
「へぇ……それならちょっと楽しみかも!」
ヒサメの表情がさらに明るくなる。
それなら、三人で出るのも悪くない。
キリトは店内を見回してから、ボティスを呼ぶ。
「おーいボティス! 大食い大会に出るけどお前も行くか?」
少しして、ゆったりとした足取りでボティスが姿を現した。
金色の瞳がキリトとヒサメを見る。
「ほぉ! 大食い大会となる、して何を食べるのじゃ?」
「えっと……特大ステーキだって!」
ヒサメがポスターを見せながら答える。
その瞬間だった。
ボティスの瞳がキラリと光る。
「ほぉっ! ステーキとな、ワシはステーキが大好物なのでのう」
[……やっぱり食いついた]
キリトは内心でそう思った。
ここまで露骨に反応するとは思っていなかった。
「ステーキが大好物なんだ。じゃあ、絶対参加したほうがいいよ!」
ヒサメも楽しそうに笑う。
ボティスは満足そうに頷いた。
だが、そんなやり取りをしているうちに時間が迫っていることに気付く。
「そろそろ行かないと受付の時間が無くなるぞ」
キリトが時計を確認する。
「えっ、もうそんな時間!? 早く準備しないと!」
ヒサメが慌てて駆け出す。
ボティスもゆったりとしているように見えて、意外と準備は早い。
ヒサメは白いチャイナシューズにサイハイニーソックス、黒の短パンに白いチャイナトレーナーという服装に着替えた。トレーナーの内側から黒いTシャツがちらりと覗いている。
動きやすさを重視した格好だ。
一方のボティスは黒いチャイナブーツにジーンズ、ノースリーブタートルネック。その上に白いジャケットを羽織り、頭にはレディースの黒スポーツキャップを被っている。
大人っぽく、どこか余裕を感じさせる格好だった。
キリトも黒いスニーカーにジーンズ、黒Tシャツに赤いジャケットという格好に着替える。
「準備できたよ!」
「よし、行くか」
三人が揃ったところで店を出発した。
休日の街は人通りも多い。
三人で歩いていると、途中で何度か声を掛けられた。
特にキリトとボティスは目立つらしく、女性たちから声を掛けられることが多かった。
しかし、二人とも特に興味を示さない。
キリトは淡々と断り、ボティスも軽く受け流す。
その様子を見ながら、ヒサメは苦笑していた。
[二人とも、こういうことには慣れてるんだなぁ……]
そんなやり取りをしながら歩いているうちに、目的地である大会会場へ到着した。
会場は、すでに大勢の人で賑わっていた。
筋骨隆々の男性。
大柄な女性。
いかにも大食いが得意そうな体格の参加者。
そして、応援に来た観客たち。
巨大なテーブルが何列も並べられており、その上には大量のステーキ用の鉄板が用意されている。
香ばしい肉の匂いが会場中に漂っていた。
「わぁ……すっごぉい……!」
ヒサメが思わず声を漏らす。
目の前に広がる光景は、まさに圧巻だった。
大きな身体の参加者たちが、これから始まる戦いに備えている。
その中に立つヒサメはかなり小柄だ。
本人もそのことは分かっている。
[うわぁ……私、すっごく小さく見える……]
しかし──案の定。
そんなヒサメに目を付けた者がいた。
「貴方みたいな小娘が、この大会に出るなんて信じられないわ」
ぽっちゃりした女性が、ヒサメを見下ろしながら嘲るように言った。
その声に、周囲にいた別の女性たちも反応する。
「あぁら! 本当だわ」
「こんな大会に出ないで野菜でも食べてたら」
ヒサメの表情がわずかに変わった。
しかし、怒鳴り返したりはしない。
一度相手を見つめると、毅然とした態度で口を開いた。
「そんなこと、あなたたちに言われる筋合いないと思うけど?」
思わぬ反撃に、ぽっちゃりした女性たちは一瞬言葉を失った。
[見た目だけで判断するなんて、甘いんだから]
ヒサメは心の中でそう思う。
自分は確かに小柄だ。
周囲の参加者たちと比べれば、体格では圧倒的に不利に見える。
だが、それだけで勝負が決まるわけではない。
すると今度は、女性たちの視線がキリトへ向けられた。
キリトは面倒そうに相手を見る。
「俺はあんたらに興味ないので、それに俺の娘を悪く言わないでください」
短い言葉だった。
しかし、その一言には明確な意思が込められていた。
ぽっちゃり達は口を開けたまま固まる。
その横で、ヒサメは小さく拳を握った。
[よしっ! ]
お父さんが自分のために言ってくれた。
そのことが、素直に嬉しかった。
やがて受付が終わり、参加者たちがそれぞれの席へ着く。
三人も並んで席についた。
目の前に置かれたのは、巨大なステーキ。
一皿一キロ。
しかも六皿以上。
普通の人間なら、それだけでも十分すぎる量だ。
会場の司会者がルールを説明し、いよいよ大会開始の時刻となる。
会場の熱気が一気に高まっていく。
「それでは──!」
観客の声が大きくなる。
「開始!」
合図と同時に、参加者たちが一斉にステーキへと手を伸ばした。
「いただきます!」
ヒサメも勢いよく食べ始める。
肉を口に入れた瞬間、香ばしい焼き目と肉汁が口いっぱいに広がる。
柔らかく、食べ応えも十分。
[美味しい……! ]
ヒサメの箸は止まらない。
隣ではキリトも次々と肉を口に運んでいる。
そしてボティスは──。
「ほぉ……これは美味いのう」
実に満足そうに肉を味わっていた。
最初の一皿。
二皿。
三皿。
四皿。
五皿。
そして六皿。
普通の参加者なら、この時点でかなり苦しそうな顔を見せ始める。
だが、三人は違った。
六皿を食べ終えても、まだ余裕がある。
次の皿が運ばれてくる。
七皿。
八皿。
九皿。
十皿。
会場の雰囲気が少しずつ変わっていく。
「……あれ?」
「まだ食べてるぞ……」
「小さい女の子のほうも?」
「三人とも全然止まってない……」
ヒサメは周囲の声を気にせず食べ続ける。
最初に自分を馬鹿にしてきた女性たちも、いつの間にか言葉を失っていた。
その表情には、明らかな動揺が浮かんでいる。
十二皿。
十五皿。
十八皿。
それでも三人のペースはほとんど落ちない。
しかも大会側は、参加者が飽きないように毎回違う部位を用意していた。
サーロイン。
リブ。
ヒレ。
ランプ。
それぞれ食感も脂の乗り方も違う。
「うん、これも美味しい!」
ヒサメは楽しそうに食べる。
キリトも満足そうだ。
「やっぱりこういう日はいいな」
ボティスは相変わらず落ち着いている。
「ほぉ……次はどの部位かのう」
そして二十皿を超えた。
ここまで来ると、もはや大会というより異次元の光景だった。
参加者の大半はすでに脱落している。
筋骨隆々の男性も限界を迎え、テーブルに突っ伏している。
大柄な女性もギブアップ。
最初にヒサメを馬鹿にしていたぽっちゃり達も、完全に戦意を喪失していた。
「あの三人……やばいわ……」
誰かが呟いた。
その言葉に反論する者はいない。
三人はただ黙々と食べ続けている。
そしてついに終了の合図が鳴った。
「そこまで!」
会場から大きな歓声が上がる。
集計が行われる。
結果は──。
キリト。
ヒサメ。
ボティス。
三人が同率一位。
「優勝者は三名です!」
観客から歓声と拍手が巻き起こった。
「やったぁ!」
ヒサメは思わず両手を上げて喜ぶ。
しかし、喜んだ直後。
身体から一気に力が抜けた。
[さすがに……食べすぎた……]
キリトも満足そうに息を吐く。
「ははは……やっぱり美味かったな」
ボティスは最後まで余裕を崩さず、残ったステーキを指でつまんで味わっていた。
「ほぉ……美味であったのう」
その時。
審判が恐る恐る三人のもとへ近づいてきた。
「君たち……今日のステーキ代、店に請求するからね……」
「「「えっ!?」」」
三人の顔が同時に固まった。
キリトは目を見開く。
ヒサメは口を開けたまま動かなくなる。
ボティスでさえ、眼鏡の奥の目を丸くした。
「……ちょっと待ってくれ」
キリトが確認する。
「俺たち、優勝したんだよな?」
「そうだよ」
「じゃあ賞金は?」
「ちゃんと出るよ」
「なら……」
「ステーキ代は別」
「…………」
キリトが頭を抱える。
ヒサメは椅子に座ったまま、ぐったりと背もたれに身体を預けた。
「もう……しばらくお肉見たくない……」
さすがのヒサメも限界だった。
今日だけで一体どれだけの肉を食べたのか。
考えたくもない。
ボティスはというと、そんな二人をよそに、最後のステーキを味わっている。
「ほぉ……そうか。しかし美味であったゆえ、やむを得ぬな」
「いや、そこじゃないだろ……」
キリトが疲れたように突っ込む。
ヒサメもボティスを見る。
「ボティス、よくまだ食べられるね……」
「ほぉ? 美味いものはいくらでも食べられるものじゃ」
「……私はもう無理」
ヒサメは完全に椅子から動けなくなっていた。
会場ではまだ三人の話題が続いている。
特に小柄なヒサメが二十皿以上のステーキを平らげたことは、多くの参加者に強烈な印象を残したようだった。
最初にヒサメを馬鹿にしていた女性たちは、遠巻きに三人を見ている。
「……もう二度と挑まないわ……」
そんな声が聞こえてきた。
ヒサメはそれを聞いて、少しだけ笑った。
[見た目だけで判断すると、こうなるんだから]
キリトも立ち上がる。
「さて……そろそろ帰るか」
「うん……」
ヒサメは重そうに立ち上がる。
だが、一歩歩いたところで腹部を押さえた。
「……やっぱり、ちょっと休んでから帰りたい……」
「無理するな。少し座ってろ」
「ありがとう、お父さん」
キリトが近くの椅子を引き、ヒサメは再び腰を下ろす。
ボティスもその場で立ったまま、会場を眺めている。
そんな時、ヒサメがふと思い出したように顔を上げた。
「ねえ、お父さん」
「なんだ?」
「……またこういう大会があったら、出てみない?」
キリトは少し考える。
「まあ、たまにならいいんじゃないか?」
「本当!? じゃあ次はもっと大きな大会に挑戦してみたいな!」
ヒサメの目が再び輝く。
しかし、その横からボティスが口を挟んだ。
「ほぉ……それは面白そうじゃのう」
「ボティス!?」
ヒサメが驚く。
キリトは深いため息をついた。
「……次は食費を確認してからにしような」
「うん……」
ヒサメは苦笑する。
こうして三人は、なんとか会場を後にすることになった。
休日の朝に始まった、ちょっとした思いつき。
それがまさか、大量のステーキを食べる大食い大会になるとは思ってもいなかった。
しかも結果は、三人揃って同率一位。
大会としては大成功だった。
ただし──。
帰り道。
「……お父さん」
「なんだ?」
「今日のステーキ代、本当に大丈夫かな?」
「……賞金があるから、たぶん大丈夫だ」
「たぶん?」
「たぶん」
「…………」
ヒサメは何とも言えない顔になった。
その後ろでは、ボティスが楽しそうに笑っている。
「ふふ……実に良い大会であったのう」
[次があったら、今度は何皿まで食べられるかな……]
そんなことを考えながら、ヒサメは父とボティスの後を追う。
こうして、三人の奇妙な休日は幕を閉じた。
そして──。
この日の大食い大会で三人が叩き出した記録は、後に大会関係者の間で長く語り継がれることになる。
特に、誰もが最初に「小柄だからすぐに脱落する」と思っていたヒサメが、二十皿以上のステーキを平然と食べ切ったことは、参加者たちの記憶に強烈に残った。
見た目だけでは、人の実力は分からない。
それを身をもって証明したヒサメ。
そして、そんな娘と肩を並べて食べ続けたキリト。
さらに、ステーキを心の底から楽しみながら最後まで食べ続けたボティス。
三人が揃えば、ただの休日でさえ一つの騒動になってしまう。
もっとも──。
ヒサメが家に帰ってからしばらく、
「もうお肉はいい……」
と言い続けていたことは、言うまでもない。