他者よりも強く。他者よりも賢く。他者よりも進んだその先へ。
他者よりも優れると言うのは、それ正に人の夢である。
生まれ持った才や努力の類であれば、それは賞賛されるべきだろう。
しかし、尋常ならざる手段で才を得たのであれば。
それは必ず、代償を伴うであろう。
うとうととすると、昔から決まって変な夢を見る。
お前の役目を果たせ。
誰かがそう言う。そして目の前には白銀の騎士が立っている。暗い世界の中に佇むそれは、僕が逃げる事を許さない。
これが僕の役目?
一体何なのか見当もつかない。幼い頃に見た何かが凝り固まって出来た妄想だといつも切り捨てているつもりではある。だけど何度も何度も夢に見るものだから、きっと何か意味があるんじゃないかと、そう思えてきてしまう。
だから待っている。いつかそれが何か分かる日を。
「
誰かが僕を呼んでいる。
「
ついでに肩を叩かれている。
目を開けると、さっきまでいた教室に戻って来ていた。いや、単に授業中に居眠りしただけか。前では先生が僕を睨んでいて、横の席では親友が呆れたと言う顔をしている。
「周防君の順番なんだけど。54ページの問2の2番、解いてもらえる?」
黒板は白線で3つに仕切られていて、既に他の生徒はノートで問題を解いているみたいだった。
問題を見て、一応今日の授業の範囲を確認する。席を立って壇上に上がり、チョークを持って黒板に数式を書く。書き終わると先生がため息をつくのが聞こえた。
席に戻ると、親友はまた呆れたと言わんばかりの視線を僕に向けていた。
「なに?合ってるでしょ?」
「ああ合ってるよ。全く」
かと思うと、可笑しいと言う様に笑う。
「なんだってのさ」
「いや、お前はほんと、ぼけっとしてる割りにはあっさり解くよな」
「……簡単でしょ、こんなの」
「それが簡単と言えるのが羨ましいよ」
「
「俺はちゃんと時間かけてるんだ」
「周防君?お喋りしないの。
「終わってまーす」
「じゃあ他の問題やっとくとか、色々あるでしょ」
「……はーい」
先生に注意されてしまったので一旦黙り、ちらりと視線を遣ると藍もこちらを見ていて思わず笑う。
授業はいつも退屈で、だから今みたいに夢を見て、今みたいな事が結構起こる。皆が僕を見るけど、生徒の中でこんな風に呆れるのは藍くらいのものだ。だから藍と接する時は凄く気持ちが楽で、だから親友だと思っている。できれば行く大学とかも一緒で、なるべく長く付き合いを続けて行ければ良いなとさえ思っている。
放課後になり、帰る支度をしている時に買いたい物があった事を思い出した。
「藍、放課後空いてる?」
「今日も塾だよ、分かってるだろ?」
「だよねー……」
買い物ついでにどこかで遊ぶなりしようかと思ったのだが、そう都合良くはいかなかった。藍は何かと忙しそうで、でも高校3年の秋なら仕方ないのも分かる。藍だけじゃなくて皆そうだ。だから帰る時は大抵一人だ。
別に不満な訳じゃない。これは仕方の無い事だから。昔から周りと歩幅が合わない事はいっぱいあって、これからもそう言う人生を送るんだと思っている。
ただ、少し寂しいだけだ。
ホームセンターで鳥の餌と、ついでに自分のおやつを買った。勿論そんな事で時間が過ぎる訳も無く、空はまだ赤く染まったままだ。
すぐに帰ってしまっても良い、と言うよりそうした方が健全なのだろうけど、帰った所でやる事が無いのも目に見えているのでいつもの様に寄り道をする事にした。
近くにある本屋に寄って、前から気になっていた本を2冊買う。その後は都市部を抜けて住宅街の方に。このまま家に帰るのではなく暫く歩いて、目当ての公園が見えてきた。
幼い頃からのお気に入りであるこの公園には屋根付きのベンチがあって、そこで子ども達が遊ぶ声を聞きながら暗くなるまで本を読むのが常だった。
でも今日はいつもと様子が違っていた。子ども達の遊ぶ声がしない。そして。
「歌……?」
透き通った、真っ直ぐで優しい歌が聞こえてきた。
ジャングルジムの上に、誰かいる。夕日が影を落として、遠くからは分からない。
気付くと吸い寄せられる様に歩いていた。伴奏も無くただ一人で奏でられる音は不思議な程僕の胸に突き刺さって、目が放せなかった。
あと数メートルの所まで近づいた時、僕の蹴り飛ばした小石が音を立てた。同時に歌が止まって、彼女が振り返った。
抜ける様に白い肌。鼻筋は通って唇は赤く、長く流れる桃色の髪が夕焼けに燃えていた。しかしそれよりも、大きな青い瞳が僕の視線を吸い込んだ。とても綺麗だった。
「どうかしましたか?」
歌声と同じ優しく凛とした声が僕に問いかけ、それで僕は我に帰った。
「いや……歌が、聞こえたから」
「ああ、迷惑でしたらごめんなさい」
「いやそんな!……その、凄く、綺麗だなと思って……」
僕は何を言っているんだ、初対面の人に恥ずかしげも無く。
「まあ、ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」
でもその女の子は僕の言葉を聞いて微笑んだ。その笑みが純粋で、眩しくて、こう言う時に人は写真を撮るのかもしれないと思った。
「どうして、こんな所で歌を?」
僕が問いかけると、女の子は空を仰ぐ。その瞳に夕日が映り込む。
「少し高い所から見る夕日って、とても優しいんですよ」
「優しい……?」
「人も、街も、自然も、皆同じ色に染め上げる。そんな風に世界を繋いでくれるんです。私もその中の一つで、世界と繋がっているんだと思えて……だから今なら届くかもと、つい歌ってしまったんです」
女の子はまた僕を見る。
「一緒に見ませんか?」
「え……?」
「貴方も分かってくれる様な気がしたので」
僕にも、分かる。
ジャングルジムに足をかけて登る。彼女が待つ頂上に立って、同じ様に隣に座ってみる。同じ様に、彼女が見る方向に目を向ける。
世界は驚く程、優しい赤色に染まっていた。
「皆、同じだ」
「ええ、私も……貴方も」
振り返った時に見た、夕日に照らされた彼女の微笑みを、僕は一生忘れないだろう。
そして彼女は歌い出す。さっきと同じフレーズを、今度は近すぎる距離で聞く。
気持ち良く歌う彼女を、ちらりと横目で見る。
とても綺麗な顔立ちと明るい色の髪は、街中では周囲の目を引くだろう。近くにあるらしいお嬢様学校の物であろう制服も、それを助長するだろう。
きっとこの子は窮屈なんだろうな。
彼女が歌い終えると、夕日は完全に沈んでいた。星の無い空は黒く、静かに街を包み込んでいる。
「そろそろ帰らないといけませんね」
「……そう、だね」
立ち上がり軽く跳んだ彼女がスカートを揺らしながら地面に降りる。薄暗い中で光る彼女を追いかける様に、僕も降りる。
「短い間でしたけど、会えて嬉しかったです」
「僕も、会えて良かった」
「はい。では、さようなら」
踵を返し、彼女は歩き出す。まるで何事も無かったかの様にあっさりと、僕の前からいなくなろうとした。それが僕は引っ掛かって。
「あの……!」
つい声をかけてしまった。
彼女は立ち止まり、振り返る。
「どうされました?」
「あの……君の、君の名前、教えて欲しい!」
彼女は驚く様な素振りを見せたけど、僕は構わず続ける。
「僕は周防美琴!」
「周防……美琴さん」
僕の名を呟いた彼女は、居住まいを正し、口を開こうとした。
その瞬間、世界が止まった。
「え……?」
僅かに吹いていた風も、虫の鳴く声も、人の温もりさえ、全てが止まってしまった中に、僕だけが取り残されていた。
そして、それが聞こえた。
来るぞ。
何が?何が来るって?
聞こえた謎の声を反芻する。しかし何の事か分からない。
いや、もしかして……。
「美琴さん?」
彼女が不思議そうに僕を見ている。いつの間にか時は動き出していた。
「あ……いや」
きっと幻、幻聴だ。そう考えて彼女に向き直ろうとした。
そして僕は見てしまった。
彼女の足元、不自然に伸びる影。
そこから萎びた真っ黒な腕が伸び、彼女の足を掴もうとしているのを。
「危ない!」
咄嗟に駆け寄り、彼女を押し倒す。
「美琴さん……?一体、どうされて」
「分からない。でも、あれ」
空を掴んだ腕は蠢き、そして地面を突く。暗い影が水面の様に揺れ、それが浮上した。
ミイラの様に干からびた全身は夜より一段と黒に染まり、鋭い爪が手足に光る。コウモリの様な翼を持ち、折れ曲がった2本の角を冠する頭には赤く光る一つ眼が獰猛に光っている。
それはまるで。
「悪魔……?」
単眼の悪魔は低く唸り、一歩を踏み出す。その眼は僕の後ろにいる彼女を見ていると直感できた。
ここでじっとしてたら駄目だ。
「こっち!」
「え……」
戸惑う彼女の手を引いて走り出す。公園を抜け、街灯が照らす街の方へ。明るい方に逃げているはずなのに闇がずっと纏わりつく。顔を上げると僕らが進む先の街灯が不自然に明滅しそして消えていた。どこまで行っても闇が追いかけてくる。
「きゃっ!」
街中の広場に逃げ込んだ時、階段で彼女が躓いた。手が離れる。
「大丈夫!?」
「ええ……」
流れる水が静寂の中不気味に音を立てる。見渡す限りは悪魔の姿は無いが何故だか分かる。絶対に近くにいる。
唸りが聞こえる。それも思っていたよりも近くから。
倒れた彼女を支える姿勢のまま僕は動けなかった。服が引っ張られるのを感じる。震える手が、縋る様に僕の服を掴んでいた。
その手に自分の手を重ねる。
「大丈夫、君は僕が……」
守る、とはっきり言えなかった。でも僕が何を言いたかったのかは伝わったみたいで、顔を上げた彼女は少し迷って口を開いた。
「私、
「え?」
「知らないと、これから不便でしょう?」
これから、と彼女……来那は言った。来那はこれからがあると考えている。この異変から逃げおおせて、また会えると信じている。
僕の言葉を信じているのだ。だから応えないと。
「分かった……立てる?」
「はい」
来那を立たせ、また走り出そうとした所で来那が小さく悲鳴を上げる。来那の足を黒い腕が掴んでいた。その腕を力強く踏みつけて放させる。また闇から這い出てきた悪魔が今度は来那に掴みかかろうとする。
「来那っ!」
咄嗟に来那の手を引き悪魔の腕を躱す。しかし躱した方向が悪く、壁際に追いつめられてしまった。
じりじりと悪魔が詰め寄る。それをきっと睨みつけ、腕を広げて来那を庇う。頼りない盾だけど、少しでも来那を守れれば……。
そして悪魔が爪を振り下ろした。
寂しい人生だった。
だけど最後に、良い出会いをして、良いものが知れたと思う。
結局彼女を守る事はできないんだろうけど。
こう言う命の使い方をするんだったら、悪くないかもしれないな。
悪魔の爪が振り下ろされる瞬間。
空から僕の前に、光が降り注いだ。
「これは……?」
突如降り注いだ光の柱は、その直線状にあった悪魔の手を焼いた。怯んだ悪魔は距離を取り、光を威嚇するかの様に吠える。
その光の中、僕の前に何かが佇んでいた。青く輝くそれはひし形の宝石にも見え、周囲を照らす。
そして呆気に取られる僕の腰に、その宝石が吸い込まれた。
途端に、体が熱くなる。溢れた力が体を包んで、眩しく光った。
美琴の体を包む青い光は、やがて白い鎧を形作る。黒い皮膚に覆われた美琴の体に、鎧が纏われていく。全身に鎧が装着されると同時に腰に先程の青い宝石が現れる。
美琴の背中が震え、青く輝く翼が鎧を突き破って展開する。背後の来那を守る様に広がる翼は、天使のそれを思わせる。
そして二本の角を持つ仮面、その鋭い眼が赤く輝いた。
突然起こった事象に、僕は混乱していた。それでも今の僕なら来那を守れると言う事だけはなんとなく分かった。
ちらりと水に映る自分を見る。それは今まで夢に見た鎧と、全く同じ。
そうか。これが答えだ。
僕の役目は、来那を守る事だ。そのために今日まで生きてきたんだ。
悪魔が吠え、突然現れた白い鎧に掴みかかる。それを見た美琴は右腕を引き、力を込める。
「たあっ!」
咆哮と共に放たれた拳が悪魔の顔にめり込み、一瞬の後に悪魔を吹き飛ばす。よろめきながらも立ち上がった悪魔は地面に腕を伸ばし、影から漆黒の剣を引き抜いた。一瞬身構えた美琴は、しかしそれを恐れずに前へと駆ける。
振り下ろされる剣を左腕の鎧で受け止め、右腕で悪魔の首を掴む。そのまま翼を広げ空へ舞い上がる。
途中で反転し悪魔を掴んだまま地面に叩きつけようとした美琴だったが、悪魔は剣を振り回し抵抗する。剣の柄が美琴の腕を打ち、一瞬力が抜けた美琴は悪魔を放してしまう。自由になった悪魔は自身の翼をはためかせ、美琴の胴を斬りつけた。強い衝撃に身体の制御を失い落下する美琴。しかし。
「うおおおおおおっ!」
再び翼を広げて体勢を立て直し、今度は悪魔目掛けて急上昇する。その手に光が集まると、それは純白の剣に変わった。
一瞬の交錯。互いの影が重なった瞬間振り下ろした美琴の剣が悪魔の腕を斬り落とす。驚愕する悪魔の翼が、再び振るわれた剣によって両翼とも切断される。支えを失った悪魔は、重力に引かれるまま自由落下していく。
美琴の翼が一段と輝く。闇夜を照らすそれは、流星の様に空を駆ける。
そして悪魔に追いついた瞬間、放たれた白い斬撃が悪魔の身体を半ばで断ち切った。断面から光が溢れ、悪魔は空中で爆発した。
着地し空を見上げると同時に鎧が光輝き、そして一瞬で消え去った。いつの間にか空には星が瞬き、普段通りの夜が戻って来ていた。
はっと気付いて、彼女の姿を探す。来那はさっきと同じ場所で呆気に取られたと言う顔で僕を見ていた。
良かった。守れた。
そう思って安心して、僕の意識は途切れた。
腕時計が午後9時を指す。
今日もいつも通りの時間に塾から帰る。暗くなった住宅街もいつも通り静まり返っている。
はずだった。
公園の前を通った時、何かが聞こえる。これは。
「歌……?」
静かな、澄み切った美しい歌が俺の心を震わせた。一体誰が、こんな時間に。そう思って公園に足を踏み入れる。
その誰かはジャングルジムの上に座っていた。こちらに背を向けて、気持ち良さそうに歌っている。
数メートルの所まで近づいた時、踏みつけた砂利が音を立てる。同時に歌声が止まった。
邪魔してしまったか。そう思っていると、今度は言葉が聞こえてきた。
「星が、喜んでいますね」
「え……?」
桃色の長い髪を揺らす彼女は、空を見上げながら言葉を続ける。
「さっきまで隠されてしまっていましたから。私も見れて嬉しいです」
「はぁ……」
星が隠れる?曇りだった、と言う事なのか?しかしどうも空はそう見えない。
彼女が振り返り、にこりと微笑む。星明かりに照らされた彼女の顔は、俺の目に嫌と言うほどに焼き付いた。
「貴方、お名前は?」
「……明日葉、藍」
「藍、ですね」
俺の名前を口にした彼女は、その青い瞳で真っ直ぐに俺を射抜いた。
「私はライナ。よろしくお願いします、藍」