ジェニュエン・ヒロイン   作:赫牛

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それでも僕は/だから俺は

「来那が……二人?」

 

 いや違う、と頭の中で即座に否定する。藍の隣にいるのはさっき助けた女の子。見た目も声も名前も全く一緒だが違うと直感した、あの女の子だ。

 そう言う事か。あの来那が、藍にとっての『来那』なんだ。そして彼女の騎士、彼女の運命こそ藍なんだ。

 ならば姉妹、或いは双子か。いやでも名前まで一緒と言うのはおかしい。

 分からない、しかし何か前提が大きくずれている気がする。

 

「君は何も気にしなくて良いんだ、ライナ。すぐに終わるから……」

「藍は私の役目を奪おうとしているのですよ!?それは許される事では——」

「役目なんて知った事か!君が望んだ訳じゃないだろう!?」

「ですが……!」

 

 藍と女の子が言い争っているが、何についてなのかは分からない。役目、と言う単語だけ異質だったが、それが何を意味するのか僕には分からない。

 ただ一つ言えるのは、今藍の注意は女の子の方に向いていると言う事だ。

 

「掴まって、来那!」

「美琴……はい!」

 

 手と手を繋ぎ、来那を抱きかかえて空に飛びたつ。少しでも遠く、速く……。

 

 

 

 

 

「っ……待て!」

 

 ライナとの会話に気を取られていた藍は、美琴が来那を連れて逃げ出した事に気付く。すぐさま翼を広げて飛翔し追跡を始めた。

 高高度を飛ぶ二人の騎士。最初に付けた差は大きかった。しかし来那を抱えている為か、それとも藍の執念か、その差は徐々に縮まりつつあった。美琴を射程内に捉えた藍は肩に二つの砲身を造り出し、そこから光線を放つ。

 

「っ……!」

 

 それを察知した美琴は寸での所で回避する。光線は何度も発射され、その度に美琴は翼を翻して躱し続ける。一見いたちごっこの様。しかし美琴がこの動きに耐えられているのは、鎧を着ているからで……。

 

「う……っ……!」

「来那!……くそっ……!」

 

 生身である来那はこれに耐えられない。それに気付いた美琴が来那を気遣って止まった一瞬。その一瞬の隙に、二条の光線が美琴の翼を焼く。体勢を崩した美琴に更に追撃が入り、来那を掴んだまま美琴は墜落していく。

 

「きゃああああああっ……!」

「っ……ぐうううううううっ!」

 

 地面に激突する寸前で美琴は翼を広げて急制動をかけ、尚且つ瞬時に自分が来那の下になる様に体勢を入れ替える。広げた翼でも落下の勢いを殺し切る事はできず、美琴は背中から地面に衝突する。アスファルトを抉りながら吹き飛ばされ、余剰分の運動エネルギーが完全に死ぬ事でやっと停止する。周囲にいた人々は突然の轟音と衝撃に恐れをなして散り散りに逃げていく。

 

「来那、大丈夫!?」

「ええ……ありがとうございます」

 

 息も絶え絶えながらに来那の安否を確認する美琴。気丈にも笑ってみせた来那を見て安堵した美琴は、すぐさま立ち上がって来那を下がらせ追跡者を迎え撃つ。それは逃げられないと悟った諦めからか、それとも……覚悟が決まったからか。

 数瞬遅れて、赤く光る刃が遥か頭上から振り下ろされる。その一撃は躱し、追撃を剣で受け止めた美琴は藍に問いかける。

 

「何故だ藍!来那を襲って、何の意味があるんだ!?」

「お前に話しても無駄だ!話した所で、お前は絶対に賛同しない。俺とお前は戦うしかない!」

「だからって話そうともしないなんて!」

「それがお前のためだ!」

 

 剣と刃が離れ、互いに距離を取る美琴と藍。藍の肩の砲身から光線が放たれ、回避できず咄嗟に庇う様に左腕をかざす美琴。その手に輝きが集まり白い盾が構成され、迫る光線を弾く。藍が驚いた隙に美琴は距離を詰め、再び間合いに入って切り結ぶ。

 

「どうして君は!そんな風になってまで戦おうとするんだ!」

「守るべきものの命が脅かされていたら、戦うのが騎士だろう!」

「命が……!?」

 

 拮抗する剣と刃、しかし赤い刃は既にひび割れ崩れかけていた。それを察知した藍は刃を力任せに振るう。剣に弾かれ砕け散った刃に美琴が驚く最中、藍は懐に手を伸ばし、美琴が持つ物と同じ様な赤い剣を引き抜く。

 三度目の衝突。剣と剣の間から火花が散り、薄暗くなりかけている空を瞬間的に照らす。

 

「藍!僕にできる事があれば手を貸す!だから——」

「そんなものは無い!だから……大人しく倒されてくれ、美琴!」

「くっ……!」

 

 訴えかける美琴と、拒絶する藍。いつの間にか出来てしまった両者の溝は、決して埋まらない。

 光を纏った赤い斬撃。咄嗟に構えた白い盾が叩き斬られる。同じ様に光を纏った回し蹴りを躱す。肩の鎧が削れる。

 光を纏った、相手を一撃で戦闘不能にさせ得る攻撃を連続で放つ藍。その勢いに圧倒され、美琴は反撃の手が出せない。

 大きな斬撃が美琴を襲う。避けれないと判断した美琴は、同じく光を纏った剣で迎え撃つ。

 一瞬の衝突。その衝撃は凄まじく、周囲のものを容易く吹き飛ばした。

 そして、美琴は来那の悲鳴を聞く。

 

「来那!?」

 

 剣を弾き、距離を取って振り返る。

 木にもたれかかって地面に伏す来那は気を失っているようだった。その額から、血が一筋流れている。

 

「来那っ!」

 

 

 

 美琴は、来那の命に別条が無い事は察知できていた。

 しかし来那が傷ついたと言う事実は、美琴の冷静さを失わせるには充分だった。

 

 

 

 美琴の赤い瞳が鋭く光る。藍がそれに気付いた次の瞬間には、白く輝く斬撃がすぐそこまで迫って来ていた。

 

「っ!」

 

 藍も同様に剣に光を込めて切り払う。剣と剣が交錯し視界が激しく明滅する。

 鍔ぜり合う剣同士が互いを壊し合う。どちらの剣にもひびが入り、それでも構わず美琴は剣に力を込め続ける。

 そして遂に二本の剣は悲鳴を上げて粉々に砕け散る。生じた衝撃で距離が出来たのも束の間、美琴は腰を落とし、右脚に全ての力を込める。それに気付いた藍も、応じる様に腰を落とし、引いた右脚に力を集約する。

 同時に翼を広げ、跳躍し、そして。

 

「らあああああああんっ!」

「みことおおおおおおおっ!」

 

 絶叫が、重なる。突き出した右脚と右脚がぶつかり合い、互いに相手を打ち負かそうと鼓動する。

 そのせめぎ合いは一瞬の事。交錯した脚は推力のままに互いの胸を撃ち吹き飛ばし合った。

 

 吹き飛ばされた美琴と藍は、両者共に鎧が解除されていた。だが立ち上がった美琴は、拳を握りしめ藍の元に向かう。

 

「藍……藍っ!」

 

 振りかぶった拳が、藍の頬を打つ。だが藍も拳を握り、お返しと言わんばかりに美琴の頬を殴る。藍に掴みかかろうとした美琴だったが、それをいなされ体勢を崩し、地面に倒れた所を藍は馬乗りになって殴りかかる。制圧しようとする藍と抵抗する美琴、二人の視線がぶつかる——。

 

 

 

「やめなさい!」

 

 

 

 二人同時に拳を振りかぶった瞬間、鋭い制止の声が入る。

 声の主は、ライナだった。

 

「騎士同士で殺し合って、何になると言うのですか!」

「でも俺は——」

 

 尚も反論しようとする藍を、ライナは抱擁する。

 

「もうやめてください、藍。私は、貴方のそんな姿を見たくありません……」

「ライナ……」

 

 震える手が自身に回されたライナの腕に触れる。大きく息を吐いた藍は立ち上がり、倒れたままの美琴を睨みつける。

 

「お前の事は殺したくない。でもこれ以上邪魔するのなら……その時は俺がお前を討つ」

 

 そう警告した藍は美琴に背を向け歩き始める。その後ろを、気遣う様にライナは付いていくのだった。

 

 

 

 

 

 廊下は白く明るいのに妙に薄ら寒かった。手術室の赤いランプがやけに目について落ち着かない。大した事無いのは分かっているのに、それでもそわそわとしてしまうのは病院と言う独特の空間のせいかもしれない。

 藍と戦った後、我に返ってすぐに救急車を呼んでそのまま来那と一緒に病院に搬送された。すぐに手術室に運ばれた来那を待って、まだ数分なのか、それとも何時間なのか。

 硬いソファーに座っている間は来那の事だけ考えたい、考えるべきなのに、僕の頭の中にはさっきの藍の言葉が木霊していた。

 

『俺がお前を討つ』

 

 あそこまで藍に言わせる原因は何だろう?守るべきものの命に……恐らく藍にとっての『来那』の命に関わる事だと言っていたけど、それは一体何だ?

 静かな廊下に、突然こつこつ、と言う冷たい足音が響く。段々近づいてくるのを感じて、俯いていた僕は顔を上げた。

 

「君は、来那の友達かな?」

 

 少し長い金髪を遊ばせた、青い瞳の男が目の前に立っていた。言葉は柔らかいのに、それを打ち消してしまう様な重みを感じる。

 

「僕は……その」

「分かっている。少し意地の悪い質問をしてしまったな。君は来那の騎士だね?」

「え?」

 

 何故それを、と言う前に僕の中の何かが、目の前の男に親近感の様なものを感じ取った。

 そうか、この人は。

 

「来那の、お父さんですか?」

「そうだ。倉田是空と言う」

「それって、あの……生物学者の?」

「ほう、良く知っているね。あの藍と言う少年と言い、最近の子どもは博識だな」

 

 倉田是空と言えば最先端の科学を担う生物学の権威だ。その人が来那の父親だったとは、全く予想していなかった。

 それよりも、この人今藍の名前を口にしていた。

 

「藍と会ったんですか?」

「ああ、彼も騎士だろう?だから知る権利があると思って話したのだが……そうか、やはり彼は私に敵対する道を選んだか」

「敵対……?貴方は一体何を話したんですか?」

「同じ話を、君にもしようと思ってね。だからここに来たのだ」

 

 そう言うと是空は僕の隣に腰掛けた。まるで世間話でもしようと言う様な仕草だけど、纏う雰囲気がそんな可愛いものではない事を告げている。

 是空は懐を探り、一枚の写真を取り出した。女学校の門の前で来那が立っているものだ。きっと入学した時のものだろう。

 

「来那はね、私の可愛い一人娘だ。」

「……はい」

「そんな子を、もし失う事が定められているとしたら、君はどうする?」

「え……?」

 

 写真を愛おしそうに見つめる是空。それは紛れも無く、子を愛する親の顔だった。

 

「君は騎士について、どれくらい知っているかな?」

「来那を守るよう運命づけられた者、と……」

「それは間違いではない。だが情報が足りな過ぎる。そこの補完から始めよう」

 

 是空は写真を仕舞い、手のひらを組んで語り出す。

 

「事の起こりは古く、18世紀頃だと聞いている。私の先祖は苦しんでいた。彼は才能に劣り、幾ら努力しても報われない日々だった。自分の苦しみの上に、何の努力もしない者が立っている理不尽に憤りを感じていた。誰もが彼を見ず、彼は常に一人だった。現世に縋るものの無かった彼は、この世のものでない者……悪魔に頼った」

「悪魔に……?」

「充分に科学が発達していなかった当時、別段不思議では無い事さ。彼は自分に才をもたらしてくれるよう、悪魔に語り掛けた。そして悪魔は、それに応えた」

 

 怪しげな地下室の中で、黒いぼろ布を被った男が一心不乱に何かを唱え続ける……そんなイメージが浮かんだ。そして魔法陣の向こうから、あの黒い腕が這い出して来る。

 

「現れた悪魔は彼に問いかけた。望みを叶えるなら代償を払う事になると。そして彼は、構わない、どんな代償でも払うと言ったのだ……分かりやすい甘言に乗った哀れな男だ」

「それで、彼に才能がもたらされた?」

「そう。それから彼の人生は一変する。今まで以上にものが分かる。今まで以上に強い肉体を持つ。他者よりも強く、他者よりも賢く、他者よりも進んだその先へ。彼は容易に到達できるようになった。妻と出会い、子に恵まれ、充実した人生を送るようになった。だが彼はそれで満足しなかった」

「それ以上、何を求めたんですか?」

「彼は自分の子孫の繁栄を願ったのだよ。再び悪魔を呼び出した彼は、自分達の子孫にも才能と長寿をもたらすように願った。それを悪魔は許諾し、そして同時に代償を提示した」

 

 代償、そして命。

 

「まさか……」

「悪魔が提示した代償は、自らの子を生贄として差し出す事。そしてそれを、一代毎に一人求め続けると」

「そんな……!そんな残酷な事……!」

「酷いと思うだろう。我が先祖も撤回しようとした。だが悪魔は既に契約は結ばれたと、彼に生贄を求めた。そうしなければ彼の魂を最初に貰うと言ってね。そして彼は、我が身可愛さに彼の子の内一人を、契約通りに差し出した」

 

 ふうとため息をつき、遠い彼方を見ていた是空の目がこの場に戻ってくる。

 

「私の先祖達はこれを代々、続けてきた。子どもの内一人を悪魔に捧げ、そうして私達の家系は今日まで繁栄し続けた」

「そんなの……途中で止めることだってできたはずだ!」

「怖いのだよ。今の繁栄を失うのが。全く愚かだと思うが……だが私もまたその愚か者の一人なのだ」

「まさか……来那を生贄に!?」

「そうはしたくない。だが私が何もしなければ、そうせざるを得なかった。来那の母親は来那を産んだ時に死んでいてね、そのままでは私は一人娘を差し出さなければならなかった」

「そのままではって……っ!?」

 

 その時僕は思い出す。来那とそっくりな誰かがいる事を。

 

「その様子だと、彼女と会ったようだね」

「倉田さん、貴方は何を……!」

「知っての通り、私は生物学者だ。そちらの研究にも精通していてね」

 

 生物学にはとある研究がある。倫理がどうだとか技術が進歩しただとか、様々な側面で取り上げられそれを僕達は目にしている。

 そして是空が、決定的な真実を口にする。

 

 

 

「彼女は、来那のクローンだ。来那の代わりに生贄として差し出すために、彼女は産まれた」

 

 

 

 悪魔だ。この男がやっている事は、悪魔と変わらないくらい残酷だ。こんな残酷な事を平然と言ってのけるこの男が、来那の親だなんて信じられない。

 

「ここまで聞けば分かるだろう。彼が……あのクローンの騎士が怒るのも当然だ。もっとも私としては、あれにまで騎士が現れるのが想定外だったが。彼女の寿命が短いのも、また騎士の怒りを買っただろう。クローンである以上仕方ない事だがね」

 

 そこまで話して、是空は咳払いをする。

 

「話が逸れた……それで肝心の騎士の話だ。ある当主の代、彼が生贄に捧げようと想定していた子どもとは違う子が捧げられてしまうと言う事態が起きた。我慢ができなくなった悪魔が、勝手に子どもを連れ去って贄としたんだ。悪魔に抗議しても跳ね除けられた当主は、今度は神に縋った」

「神ですか……」

「節操の無い事だがね。だが神は訴えを聞いた。始めは悪魔との契約を無かった事にしたいと願ったが、神はその不義理を許さなかった。代わりに神は間違った子が生贄にされる事が無いようにと、子ども達を悪魔の魔の手から守るための力を地上に降ろす事を約束した」

「それが、騎士……」

「騎士は天使の力。天使の光が、定められた人間に降り注いで騎士とする。それは私達が悪魔に贄を捧げないといけないのと同様に、運命で定められている」

「だから、彼女は運命と」

「巻き込まれた方は災難だと思うがね……神の言葉通り、その代から子ども達の近くには騎士が現れ、悪魔から子ども達を守ってきた。それも今代まで続き……今は君が、その騎士なのだ」

 

 話し終えた是空が僕から視線を外す。一仕事終えたという様に細く、息を吐く。それを見ていると自分の中にはっきりとは言葉にしたくない感情が芽生えるのを感じた。

 息を吸って努めて思考を静かにさせ、聞かなければならない事を一つ尋ねる。

 

「貴方は……何故その話を僕に?」

「これを聞いた上で、私から君にお願いがあるのだ」

「お願い?これ以上何を……」

「特別な事ではないよ」

 

 再び僕と視線を合わせた是空の顔は、写真を見ていた時と同じものだった。それを見て、余計に嫌悪感が募る。

 

「君には今まで通り、来那を守って欲しい。あの子を生贄として捧げるまでの期間、何としてもだ」

「それは、いつまで?」

「なに、それ程長くはない。あと一週間以内には終わる」

 

 一週間、余りにも短い。

 

「と言う訳だ。来那の事を頼んだ」

 

 その言葉に何か反応する前に手術室の扉が開き、医師達がぞろぞろと出てくる。

 

「ああ、親御さんですね。手術は成功しました。数日だけ経過観察のために入院していただく事になりますが……」

「ありがとうございます。手続きは……」

 

 医師と話しながら是空は廊下の向こうへ行ってしまった。僕にはもう用が無いと言う様な、そんな風に見えた。

 

 

 

 

 

 病院の外は雨だった。

 轟音を立てて雨が降り注ぐ中、全身が濡れるのも構わずに道を歩いて行く。どこに向かっているのかは自分でも分からない。

 来那の傍にいるべきなのだろうけど、また是空と顔を合わす様な予感がしてつい病院から出てしまった。今頃来那は目を覚ましているだろうか。それともまだ眠ったままだろうか。

 

『来那の事を頼んだ』

 

 是空の言葉に従うのは癪ではあるが、しかし来那を守りたいと思っているのも事実。勿論守らせてもらう。

 だけど。

 今日目にした、来那にそっくりな彼女を思い出す。彼女は藍に、『ライナ』と名乗っていた。

 つまり、彼女もライナなのだ。

 来那の代わりに彼女を生贄にする。それ以外の方法が無いのだとしても、僕にはどうしても残酷だと思えてしまう。それに彼女にも藍と言う騎士が付いている。ならば彼女も守るべき対象ではないのか?

 それならば答えは簡単だ。

 

「僕が……守ってみせる」

 

 来那も、そして彼女の事も、僕は両方、守ってみせる。どちらも死なせない。生贄になんてさせない。

 藍がやろうとしている事は分かった。それを阻止するためにも、藍と一度話さないといけない。或いは、もう一度戦うか。

 どちらでも構わない。僕のやるべき事は、役目は決まったんだ。

 

 

 

 

 

 外は強い雨が降っていた。

 窓越しに雨音が聞こえるが、彼女は安らかに眠っている。薬が効いているのか、或いは俺の前で気丈に振舞おうとしたのか。

 それが本当の気持ちでない事を、俺は知っている。

 それを俺は、是空の話を聞いた後に知ってしまった。

 

 

 

 

 

 ライナの部屋から是空が出ていった後、呆然としていた俺は衣擦れの音で我に返った。

 

「ライナ……?」

 

 ベッドで眠っていたライナが上体を起こしてベッドから出ようとしていた。

 

「ライナ!もう平気なのか?いや、平気とかじゃ……」

「藍……お父様から聞いたのですね」

 

 俺の様子から、ライナは察した様だった。

 

「お父様の言う通りです。私の寿命は短い。薬で安定させていますが、それもいつまでもつか……」

「ライナ……今すぐここから逃げよう。生贄になんてならずに、自由に——」

「それはできないのです、藍」

 

 俺の提案にライナは首を縦には振らなかった。それが当然であるかの様に。

 

「どうして!?だって君は、このままだと死んでしまうんだぞ!?」

「それでも良いのです。私は最初から、そのために産まれたのですから」

「そんなの受け入れるな!君は君の人生を生きて良いはずだ!」

「藍。私が今まで生きてこれたのは、お父様のおかげなのです」

 

 ライナの顔は諦めているのではなく、とても穏やかなものだった。

 

「もっとぞんざいに扱っても良いはずなのに、この歳まで、大切に育ててくれました。そしてその時が近づいた私に、外に出ても良いと言ってくれたのも、お父様なのです。おかげで貴方に会えました」

「そんなの……普通の事じゃないか」

「その普通の時間が、私にとって何より代えがたい宝物なのですよ。その機会を作ってくれた、育ててくれた親に、私は役目を果たす事で恩返しがしたいのです」

 

 生贄になる。それがライナに定められた役目。

 そんなの理不尽だ。決められているからと素直に従って良い訳がない。

 何よりも。

 

「俺は君と離れ離れになるのは嫌だ!」

「え……?」

「役目だから、寿命が短いからって……そんな理由で死ぬ事を受け入れちゃ駄目だ!俺は君とずっと一緒にいたい。君をずっと見ていたいんだ!」

 

 肩を掴んで語り掛ける。ライナにちゃんと届くように。ライナの心の声を聞くために。

 

「君はどうなんだ……ライナ」

 

 俯いたライナの肩が徐々に震え始める。透明な雫が一つ、光を反射しながら落ちた。

 

「駄目ですね、私。今更になって、欲が出てしまうなんて……」

 

 自嘲する様な笑みを浮かべていたライナの顔が段々と崩れる。涙が溢れたのが見えたのと同時に、ライナが顔を胸にうずめてくる。

 

「私……私も……貴方と一緒にいたい……生きていきたい!駄目だと分かっているのに、どうしてもそう思ってしまうのです……」

「ライナ……!」

「でも……役目を放棄した私には、お父様に愛される資格はないのでしょうね……」

「その分も俺が愛するよ。絶対」

「藍……」

 

 夕焼けに照らされたライナは、今まで見た何よりも美しく思えた。だからつい、思っていた事を口にしてしまう。

 

「好きだ、ライナ」

 

 応えを聞く前に唇を重ねる。びくりとライナが震えて、そして躊躇いがちに腕が俺の背に回された。

 生きてきた中で、一番幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

 あの後美琴と戦い、そしてライナの屋敷から薬を持ち出して俺の家に匿う事にした。いつ連れ戻しに来てもおかしくないが、それまではせいぜい抵抗させてもらう。

 そしてライナが生贄にされる前に。

 

「倉田来那……」

 

 彼女を生贄にして、ライナに寿命を与える。

 俺の命をかけても、絶対に。

 

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