居酒屋で記憶をなくしてから、大学の美少女からやたらと飲みに誘われるようになった件について   作:古野ジョン

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第9話 いまさら、自己紹介

「お互いのこと?」

「ええ。まだ会って二日目ですし、お互いのことをよく分かっていないでしょうから」

 

 刺身をつまみながら、篠崎さんにそう言った。昨晩の俺がどこまで話をしたのかは分からない。けど、そうは言ってもせいぜい数時間。互いのことを深く知ったわけではないはずだ。

 

「そうだな。まだ君について知らないことが多くある」

「そうでしたか」

 

 意外と突っ込んだ話をしていなかったのかもしれないな。でも「嫁に貰っても――」なんてとんでもないことを俺が言ったのも(たぶん)事実だし。ここは探り探りで話を聞いてみるしかないかな。

 

「何でも聞いてください。気になることがあれば」

「感謝する。では、まず」

「はい、なんでしょう?」

 

 ジョッキを手に取り、ビールを口にする。何を聞かれるのかな。出身地のことか、それとも学部のことか、あるいは趣味とか――

 

「君の()()を教えてくれないか?」

「ぶっ!?」

 

 な、名前!? ちょっと待て、そんなことも教えてなかったのかよ!?

 

「大丈夫か!?」

「い、いえ! そうか、名前も教えてなかったんですね」

 

 吹き出したビールをふき取りながら、なんとかその場を取り繕った。名乗らずに「嫁に貰っても――」なんて口説いてたのか、一周回ってすごいな俺。

 

「えっと、じゃあちゃんと自己紹介した方が良かったですかね」

「ああ。名前も教えてもらえなかったから、もう君には会えないのかと思っていたんだ」

 

 なるほど、今日の朝にたまたま駅で会えたのは奇跡的だったんだな。とにかく、自己紹介するとしようか。

 

「改めまして、僕は岸本(きしもと)(れい)といいます。あなたと同じ森宮(もりみや)大学に所属していて、医学部一年生です」

「怜というのか。いい名前だ」

「呼び捨てで構わないので、名前で呼んでください。その方が慣れていますから」

「い、いいのか?」

「ええ、気にしないでください」

 

 名前で呼んでくれ、と言われて少し戸惑ったみたいだ。しかし、実際に俺のことを「岸本」なんて呼ぶ奴はほとんどいない。まあ「怜」の方が呼びやすいんだろうな。

 

「よければ篠崎さんの自己紹介も聞かせてくれますか?」

「ど、どこまで話せばいい? その、ゆうべも話したから」

 

 ……すごい罪悪感があるけど、本当にまったく覚えてないんだよな。ここは改めて話してもらうしかないか。

 

 本来なら「すいません、全部忘れてました」なんて打ち明けるべきなのかもしれない。だけど「嫁に貰っても――」などと言ったことまで忘れてた、なんて言ったらそれはそれで傷つけてしまうだろう。いずれ打ち明けるとして、まずは話をしよう。

 

「よければ、改めて自己紹介していただけると嬉しいです」

「そうか。では」

 

 篠崎さんはこほんと咳ばらいをした。今度はしっかりと俺に視線を合わせて、はっきりと口を開ける。

 

篠崎(しのざき)夏織(かおり)、経済学部一年だ。よろしく頼む」

「こちらこそ、改めてよろしくお願いします」

 

 向こうがぺこりと頭を下げるのと同時に、俺も頭を下げる。やはり篠崎さんも礼儀を重んじるタイプの人間なのかもしれないな。

 

「えっと、その……」

「どうかしました?」

 

 さっきまで合っていたはずの視線が、また合わなくなった。しばらく言いよどんでいたが、またゆっくりと口を開く。

 

「れ……」

「れ?」

「怜も、夏織と呼んでくれないだろうか?」

「えっ?」

「私が君を名前で呼ぶなら、君も名前で呼んでほしい。……ど、どうだろうか?」

 

 篠崎さんは俯きながらも、ちらりと視線を上げて俺の顔を見た。

 

 名前で呼ぶ、というのは距離が近い人間の特権だと思う。それを許してくれる、ということは――やっぱり、俺はこの人に良く思われているのかな。たとえ相手が誰だろうと、親しく思われることは幸せなことだと思う。

 

 でもなあ、呼び捨てかあ。どちらかというと俺の方が抵抗があるな。別に篠崎さんが嫌いなわけじゃなくて……ちょっと遠慮してしまうというか。

 

「夏織さん」

「ん?」

「って、呼んでいいですか?」

 

 そう告げると、()()()()の表情が明るくなった。「さん」とつけられるのは嫌かな、とも思ったのだけど――夏織さんの返事は意外なものだった。

 

「ありがとう。怜は優しいな」

「えっ、何がですか?」

「怜のことだ、きっと呼び捨ては苦手なのだろう?」

 

 夏織さんはきっぱりと言い切った。ああ、意外と見透かされているものだなあ。

 

「まあ、そうです。なんとなく抵抗があって」

「構わない。怜のそういうところを気に入っている」

 

 そう言って、夏織さんはグラスを手に取ってウーロン茶をちびりと飲んだ。この人は素敵だ。美しい瞳を通じて、人の良いところを真っすぐ見て、真っすぐに評価してくれるんだ。

 

「だが……それはそれだ」

「えっ?」

「私は少しだけ悔しいんだ」

 

 悔しい? 何がだろう。なんて思っていると、また夏織さんは表情を変えて――

 

「だから、いつか怜にも『夏織』と呼んでもらいたい」

 

 こう言った。綺麗、という言葉では言い尽くせないくらいの美しい笑顔に、思わずこちらまで照れてしまう。

 

「お……おつまみでも頼みましょうか!」

「そうだな、何か食べよう」

 

 照れ隠しのつもりで、俺はメニューを手に取った。なんだか恥ずかしい。初めて夏織さんに主導権を握られた気がする。でも……不思議と嫌な気持ちはしないな。

 

 こうして、宴は後半戦に入っていった。

 

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