「――どうですか、百の様子は」
「伸びしろがある子だと思います、流石は貴方が見込んだだけある。
今後が非常に楽しみです」
生徒たちで賑わう雄英高校の食堂場。
阿部はカルボナーラをフォークに巻き付けながら八百万の経過報告を五条に伝えていた。五条はメープルシロップがたっぷりかかった甘いパンケーキを口に運びながら阿部の報告に耳を通す。そしてニマリと怪しい笑みを浮かべる。
「随分楽しそうに話すじゃないですか、まさか好みだったとか?」
「馬鹿なこと言わないでください、俺はただ貴方の指示に従って外部講師を務めているだけです。
一週間経ったらすぐに本来の仕事へ戻りますから」
すると五条は「相変わらずつまんないですね~、阿部さんは」と溜息を吐く。阿部は呆れた表情を浮かべながら「つまらなくて結構」と吐き捨てた。
成り行きで雄英の外部講師を一週間務めることとなったが、案外教育者というのも悪くないと思い始めた今日この頃。
教え子が成長していくにつれて妙に胸が熱くなり、感慨深いものを感じるようになった。成長を嬉しく思う自分もいれば、寂しく思う自分もいる。気分はさながら父親である。
こんな調子で、乗り気じゃなかった最初と比べて今では八百万とのナイフ術の訓練が楽しくなってきたところだ。一週間という期間も短く感じる程に。
「彼女は一体、どんなヒーローになるんでしょうね」
阿部は近い未来に思いを馳せながらカルボナーラを水で流し込んだ。
しかし五条は何の空気も読むことなく「グラビアアイドルに転身してたりして」と最低すぎることを口走っては阿部に睨まれていた。
やはり阿部は五条のことが嫌いだった。特にこういうところが。
ジトリとした目を向けるも、五条は気付くことすらなく、それどころか「あ、そういえば」と何かを思い出したようなことを口にし、話題を切り替えた。
「ところで阿部さん、例の件のことですけど――」
五条は足を組み、カチャンと皿の上にナイフとフォークを置く。しかしそれと同時に着信音が響いた。阿部のポケットからである。
阿部は「少々お待ちを」と言ってから席を離れた。
慣れた手つきで画面を操作し、携帯を耳に当てる。
『――夏油傑の命が惜しくば明日の深夜12時、特級呪霊真人を連れてこちらが指定した場所に来い』
――は?
ボイスチェンジャーにより異様に高くなった声が画面の先から聞こえてくる。
しかし阿部はあまりに突然の出来事で、本当に唐突すぎる事態に、いつもみたく状況が上手く呑み込めず、直立不動で目を見開いていた。
何が起きている? 一体誰だ? コイツは今、何と言った?
「ど、どういうことですか……」
『言葉の通りだ。真人を連れて指定の場所まで来い。
他言した場合、夏油傑の命は無いと思え』
無機質で、無慈悲な声が返ってくる。
すぐさま問い詰めようとしたが、それよりも先に相手は場所だけを告げてブチリと通話を切る。それが益々阿部の焦りに追い打ちをかけた。
壁に背を預ける。身体を震わせながら短く息をする。
チカチカと点滅する視界は徐々に暗闇へと包まれていき、ジンワリと嫌な汗が全身に滲み始める。 頭がグラグラと揺れる。
何故俺に? 何故夏油君を? まさか相手も転生者? 夏油君の前世を知っている人間か?
相手が真人の存在も認知していることから呪術関連の人間であるということはわかる。しかし何故真人をも所望する?
思考をこれでもかという程回転させるが、相手の正体も、目的も、何もわからない。
ただ、今言えることは一つ。
「夏油君が危ない……!」
慌てて夏油に通話を繋げようとするも一向に電話に出る気配は無い。
最悪の事態が頭を過るが、冷静さを失い判断を誤ればそれこそ相手の思うつぼだ。
何度か深呼吸を繰り返して呼吸を整えた後、とりあえず阿部は五条のいるテーブルへと戻ることにした。いつまでも離席したままでは流石に怪しまれる。
「あれ、阿部さんどうしたんすか。そんな暗い顔して」
「な……なんでもないです」
できる限りの平静を装い、なんとかいつもの自分を取り繕おうと努力した。
しかしやはり動揺が隠しきれていないのか「本当ですか?」と顔を覗き込まれる。阿部は勢いよく首を縦に振って「気のせいです」とフォークとスプーンを持って再びカルボナーラを口に運び始めた。
前世の夏油であればそこらの有象無象になど後れを取ることはないだろう。
だが今世の夏油はただの一般人。呪力どころか戦う術さえも知らない。怪我どころでは済まないかもしれない。
もしもの事態もありうる、早急に手を打たなければ。
――どうにかして無事に事を収めるんだ。
阿部は強くフォークを握りしめた。
ーーーーーーーーー
「くくっ……さあ、面白くなってきた」
とあるバーにて、カウンターで頬杖を突きながらカクテルを揺らす一人の男。そしてその足元では手足を拘束された夏油傑の姿。
己を愉快そうに見下ろしてくる男を鋭い目つきで睨みつける夏油。しかし男はつまみのナッツをポリと口に含み、余裕気にニコリと笑う。
「そう怖い顔をするな、仲良くしようじゃないか。酒でも飲むか?」
「……お前は、誰だ」
「酷いものだ、俺の顔を忘れてしまったのか? 傑」
夏油は全くもって意味がわかっていないようで「何を言っているんだ」と顔を歪めた。
なんせ、夏油は目の前の男と話したことがあるどころか出会ったことさえなかった。
この男は一体全体に誰なのか、目的は何なのか、何故面識さえない男が自分なんぞを攫うのかもわからなかった。
現時点でわかる情報は一つもない。拘束も解けそうにないし、見張りもずっとついている。コッソリ逃げ出せるような状況ではないようだ。
不思議なことに最近はよくこんな人違いをされることが多くなった。大学の先輩の見舞いに行った際、見知らぬ白髪の男から人違いを受けて詰め寄られたのは記憶に新しい。
流石に誘拐される事態に発展したのはこれが初めてだが、きっとこの男もあの白髪男と同様に自分のことを他の誰かと勘違いしているのだろうと夏油は一人勝手に思っていた。
だが男はそんな夏油を見て更に楽し気に「上手くいきすぎるのも面白くないし、これもまた良いだろう」と歯茎を見せながら不気味に笑うのだった。
その裏ではタチの悪い悪意と好奇心、そして遊び半分で虫を潰す子供のような純粋で無邪気な残酷性が見え隠れしていた。
――気味が悪い。
この一言に限る。
夏油はなるべくこの男から距離を取ろうと後ろに下がる。すると男は少し考える素振りをしてふと口を開く。
「……やはり彼の力を使わないと記憶を戻すのは難しいか…………」
「記憶……?」
「ああ、気にするな。こっちの話だ」
男は何か含みのある独り言を呟いては再びカクテルの入ったコップに口を付け、アルコールを喉に流しこむ。そしてカウンター先に立っている服を着た黒い霧に対して「もう一杯おくれ」と人差し指を一本立てて酒を注文。
夏油は全身に鳥肌を立てながらも、目の前の男を睨み続けた。