男は善意で火災報知器を押した   作:がしやま

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第14話

 

 

 夜蛾は阿部の言葉に困惑気味で「なんだ、俺のことを忘れたのか?」と笑うが阿部は「違う」と一刀両断。

 根拠があるわけでも明確な証拠があるわけでもない。だがわかる、なんとなくわかる。

 

 

「君は、夜蛾君じゃない」

 

 

 迷いも躊躇もなく、ベルトに取り付けていたケースからナイフを取り出す。そしてゆっくりと刃先を相手に向け、口を開いた。

 

 

 

「誰ですか」

 

 

 

 今度はゆっくりと、ハッキリとそう訊ねた。

 

 あの頃と全く変わらぬ見た目、声、呪力、けれども何かが違う。何かがおかしい。

 どこが変わった、この違和感は何だ、何故自分は目の前のソレを素直に受け入れられることができない?

 

 考えても考えてもわからなかった。だが何度でも言うよう、今目の前にいるあの男が阿部の知る親友ではないということだけは直感的にわかる。

 

 

 阿部の魂が、目の前の男が本物の夜蛾正道であるという可能性を全て否定していたのだ。

 

 

 一定の距離を取りながらナイフに呪力をこめ、いつ攻撃されても対応しきれるよう全ての方位を警戒する。

 もう夢は見ない、可能性に胸を躍らせない。

 阿部の脳は既に目の前の男を敵と認識していた。いつでもその首を掻っ捌き、息の根を止める準備はできている。

 同じ姿形だからとて関係ない、容赦も情けも躊躇いも、全ては前世に置いてきた。取りに戻るつもりもさらさらない。

 

 

 

 

「――はっ……まったく」

 

 

 夜蛾は……いや、夜蛾の姿をした何者かは額の縫い目を人差し指でなぞり、溜息を吐いた。

 サングラスの下から、工場で汚染された水のように黒くドロドロとした瞳が露になる。

 

 

 

 

「五条悟といい、君といい、なんでわかるんだよ。

 キッショ」

 

 

 

 阿部はその一言を聞いても尚、冷静にナイフを構えていた。真人も状況はよくわかってはいないもののとりあえず臨戦態勢をとる。

 

 

 夜蛾もどきも、偽物と見破られたとて慌てることも焦ることもなく、落ち着いて「バレたからには仕方ないか」と観念したように諦めの言葉を零しながらパチンと指を鳴らした。

 

 するとどこからともなく黒い霧が現れる。夜空と同化してしまそうな程に黒く、月をも呑み込んでしまいそうな程不穏な霧。

 そこからドサリと手足を縛られた夏油と、大量の人形が落ちてくる。

 

 ボトリ、ボトリ、ボトリ、と積みあがっていく人形たち。

 落ちてきた人形はやがてムクリと上半身を起こし、綿の詰まった柔らかな身体を器用に動かして立ち上がる。

 その全てが当然のように呪力を身体に纏わせており、核も三つ確認できることから傀儡操術による完全自立型人工呪骸で間違いないと阿部は判断する。

 

 しかしこれで終わることは無く、人形たちに続いて一人のツギハギ面の男が霧から姿を現す。ツギハギ男は「協力してやるからには成功させろよ」と夜蛾もどきに言っては気だるげに大きなあくびを見せた。

 

 そして最後の最後に、ツギハギ男が登場した後、満を持したかのように巨大な黒い足がズドンと地響きを鳴らしながら出てきた。

 その全貌が明らかになった途端、阿部は苦い表情を浮かべた。

 

 

「君たち、こういう敵は苦手なんだろ?」

 

 

 夜蛾もどきの言葉に、図星とでも言わんばかりに舌打ちを一つ。

 

 数か月前に阿部たちを追い詰めた呪骸型脳無は鋭い牙から涎を垂らしながらこちらを見つめ続けていた。

 

 

 

 阿部や真人の術式は主に魂に作用する、しかし呪骸のような魂の代わりに核を持つような相手には効果を見せない。

 核を壊しさえすれば行動不能にすることはできるものの、今阿部達の前に立ちはだかっている呪骸たちには通常の呪骸と違い核が三つ存在する。その三つ全てを破壊しなければ彼らは何度も立ち上がって阿部達に牙をむく。

 

 だがこの量を阿部と真人の二人でいちいち一体ずつ全ての核を破壊していては日が暮れてしまう。そこから更にあの呪骸型脳無とツギハギ男、それから夜蛾もどきたちの相手もするとなると一筋縄ではいかないだろう。

 どうやらこちらに対する対策は万全のようだ。

 

 

 人質を取られている点に加え、この圧倒的な戦力差。どこをどうとっても不利なのは阿部たちの方である。

 前回の戦いでは相澤消太の『抹消』の個性もあって脳無相手にそれなりに有利な戦いをすることができたものの、それでもかなりギリギリの戦いだった。果たして今の阿部に個性有りの、しかも呪力で更に身体強化が施されたあの化け物をまともに相手にできるかというのは、とても怪しいところである。

 

 

 汗を滲ませる阿部、それに反し真人は「楽しそうじゃん」とやる気満々だ。こんな状況を呑気に楽しめる真人のお気楽な脳が少しだけ羨ましく思えた。

 

 

「真人君、無理だと思ったら迷わず逃げてください。

 引き際をしっかり考えて行動することを心掛けるように」

 

 

「そういう君こそ、退院したばっかりで本調子じゃないでしょ。

 俺に全部任せてくれたっていいんだからね」

 

 

 互いに背中を合わせ、自分たちを取り囲む呪骸たちを見据える。

 数はざっと50後半、となるとおよそ150個の核を破壊する必要があるという計算になってくる。二人で割ったとしても75個、骨が折れる作業になるだろう。

 それにツギハギ男に至っては個性も実力も把握しきれていない、不利にも程がある。

 

 阿部は己の髪をグシャグシャとかき乱し、敵を睨みつけた。

 そんな彼を見て、夜蛾もどきはニイと口角を上げる。

 

 

 

 

 

「――ねえ君たち。この子、返してあげようか?」

 

 

 

 

 

 どうこの状況から抜け出そうか、と脳内で必死に打開策を模索していた阿部だが、夜蛾もどきが突如発したその言葉にピタリと思考を止める。

 しかしすぐ我に返り、敵側から提示されたあまりに胡散臭い提案に顔を歪める。当然だ、人質を手放してわざわざ手駒を減らすような真似を、何も怪しく思わないわけがない。どうせ裏がある。

 

 

「ああ、勿論ただでとはいかないよ。一つ条件を付けさせてくれ」

 

 

 夜蛾もどきは人差し指を立て、ニコリと笑った。

 

 

 

 

 

 

「無為転変で夏油傑の記憶を蘇らせる、それだけだよ」

 

 

 

 

 

 この時、阿部の中でいくつかの点と点が繋がりあった。

 なるほど、そういうことか、と。

 

 確かにこれなら夏油を誘拐した理由にも、真人を所望した理由にも説明がつく。

 真人の無為転変は魂に干渉し、肉体に変化をもたらす術式だ。そんな彼の術式ならばもしかしたら脳を刺激するなり何なりして前世の記憶を取り戻させることができるかもしれない。

 

 しかし真人は現在阿部と結んだ絶対服従の縛りにより、主の許可なく無為転変を他人に施すことは禁じられている。

 夜蛾もどきが真人に直接接触するのではなく、わざわざ阿部を通したのにもそういった事情があったのだろう。

 

 

 だがここでまた新たな疑問が浮上する。

 夏油が記憶を取り戻すことであの男が得られるメリットとは何なのか。今の夏油には術式どころか呪力さえ持ち合わせていない。個性も大したものではない。

 何故この男はこんなことまでして夏油の記憶を呼び覚まそうとしているのかが、阿部には不思議で仕方がなかった。

 

 

「さあ、どうする? 阿部。

 記憶さえ戻してくれれば大人しく人質は解放してあげよう。なんなら縛りを結んでもいい」

 

 

 益々男の目的がわからなくなる阿部。だが夏油の安全を確保するためにもこの怪しい提案に乗る他ない。

 ただ、阿部はどうにも夏油の記憶を戻すことに関しては消極的だった。

 

 理由は多々あるが、その中でも一番大きいのは夏油の精神的な面に関するところである。

 折角忘れていたあの惨たらしい世界での記憶を掘り返し、苦しめさせ、追い詰めさせてしまうことを阿部は懸念していたのだ。

 

 

 しかしどれ程躊躇したとしても、命には代えられない。

 ここで提案を無下にすることで夏油救出のチャンスを逃し、最悪の事態に陥るぐらいなら、これもやむを得ない。

 今回は全てを割り切って夏油の命優先で考えていく方針でいこう、と阿部は覚悟を決めた。

 

 

 

「――真人君、夏油君の記憶が戻ったらすぐに彼の護衛に回ってください」

 

 

「りょーかい、でも成功するかはわかんないからね」

 

 

「失敗するにしても後遺症は残らない程度で頼みますよ」

 

 

 真人は「やれるだけやってみるよ」と言い、両手に呪力をこめた。

 地べたに横たわり眠る夏油の頭に、真人の両手が触れる。

 阿部が息を飲みながら見守る中、真人は「んー、こうすればいけるかな」と呟きながら呪力を巡らせた。

 

 

 全員の視線が真人と夏油に注目する。

 扱っているのはあくまで脳、下手に失敗すれば大惨事にもなりかねない。

 真人自身、人間の脳を刺激し奥底に閉じ込められた記憶に訴えかけるといったような経験は今回が初、一発勝負の一か八かの賭けであった。

 

 要されるのは緻密なコントロールと適度な加減、少しでも偏りが生じてしまえば脳に障害がでかねない。真人の技術と感覚が試される。

 夏油の今後は、その両手にかかっているのだ。

 

 

 

「…………ん、んん……」

 

 

 

 真人が無為転変で魂に干渉し始めしばらく経った頃に、夏油が苦しそうに呻き声を上げ始める。そのこめかみにはジンワリと汗が滲んでいる。

 ツギハギ男は顔を歪めながら「何が起こってるかは知らんが、大丈夫なんだろうな」と夜蛾もどきに確認するが、「さあね、知らないよ」とわざとらしく肩を竦めていた。

 

 

 眠る夏油はまるで悪夢にでも侵されているように息を乱し、顔色を一層悪くさせる。まるで死神に生気でも吸い取られているのではと疑いたくなる勢いで青白く、冷たくなっていく。口から零れる吐息と呻きだけが唯一の生存確認だった。

 

 阿部は不安そうな表情で「夏油君……」と目を瞑り、必死に後輩の無事を祈った。

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