視界は白一色、どこが前か後ろかもわからぬ中、阿部は呪力の気配を頼りに真人たちのもとへと向かう。
荼毘戦において体力も呪力も大きく消費し、更に全身大火傷の重症。八百万から受け取った武器もさっきの煙幕で全て使い果たした。残るは己の手に握られた一本のナイフのみ。
荼毘と同様に限界間際の身体で、一体どれだけ戦えるか。
最悪夏油君を逃がすことだけに専念しよう、と今後の方針を固めていると徐々に煙が晴れていく。謎の呪力の発生源もすぐそこ。
「真人君! 夏油君! 一体何が起きて――」
――悪感。
最後まで言い切るよりも先に口を閉ざし、阿部は僅かに残った全呪力を己の両足に集中させた。
何か特別なものを見たわけでも、聞いたわけでもない。
そう、これは勘だ。阿部の純粋な勘である。
何を感じ取ったのか、何を察したのかはわからない。だが衝動的にこのままではダメだと悟り、気付いたら行動を起こしていたのだ。深く考えるよりも先に脳が無意識的に何等かの判断を直感的に下し、阿部の身体を勝手に動かしていた。足先は迷いなく夏油に向く。
それと同時進行で阿部は頭をフル回転させながら状況を分析。
脳無。夜蛾もどき。真人。夏油。呪骸。脳無と真人は交戦中。呪骸のほとんどは肉体を再起不能レベルに破壊され戦闘不能状態。夜蛾もどきは依然不気味に笑っている。
そして非術師であるはずの夏油から発せられる呪力……。
情報量の多さに阿部はすぐさま思考を放棄。
細かいことは考えず、己の第六感にのみ従い電光石火で身体を動かした。目的地は目と鼻の先。
――夏油君はどうして俺を……その、先輩扱いしてくれるんですか?
ふと、阿部の脳内に前世の記憶が流れ込む。
何故そんなものがこのタイミングで流れたのかは本人にもわからない。
記憶の中の夏油は不思議そうな顔をして首を傾けている。
――どうしてそんなこと聞くんですか?
――なんとなくです。夏油君は俺より強いのに、なんで五条君みたいに馬鹿にしてこないんだろうって。
すると夏油は小さく苦笑いした後、ゆっくりと口を開いた。
夕焼けで赤く照らされる優しい笑みは、生まれ変わった今でも鮮明に記憶に刻まれている。どうして今の今まで忘れていたのだろうと不思議に思うくらいに、輝いていた。
――阿部さんは私の、ヒーローだから。
刹那、阿部の身体を一発の銃弾が貫いた。
バランスを失い、虚ろ気な目で地に伏す阿部。
曖昧な意識の中、自分がつい先ほどまで見ていた記憶が走馬灯であったことに気付く。そして、身体を駆け巡ったあの悪感の正体にも。
夏油は咄嗟に後ろを振り返り、虫の息となっている阿部を前に目を見開く。
焼け爛れた肌に、腹部から流れる大量の血。早急に適切な処置を施さねば確実に死に至る。
何故彼がこの場にいるのかなど二の次で、夏油は顔面蒼白になりながら「阿部さん!」と駆け寄る。
そんな彼らに歩み寄る一つの影。
「はあ、邪魔しやがって。お前のせいで夏油傑を殺し損ねた」
夏油の耳に、覚えのある忌々しい声が聞こえてきた。
他人を悉く舐め腐ったようなふざけた態度、口調。
しかしそんな気だるげな様子と反し、抑えきれない強者のみが纏うことを許される圧倒的なオーラ。
前世と変わらぬ鍛え上げられた屈強な肉体、口元に刻まれた傷、血に飢えた獣を彷彿とさせる鋭い目つきに戦慄が走る。
かつて呪術界隈で名を上げていた夏油を軽々と追い詰め、言い逃れのできない完膚なきまでの敗北を味合わせた最強の非術師。
視界に移すだけでも腸が煮えくりかえる、憎き因縁の相手。
「――伏黒、甚爾!!」
天与呪縛による呪力からの脱却、それを代償にして得た驚異的な身体能力。その実力はあの五条悟にも匹敵する。
現状は最悪だ。
夜蛾もどきの助言で呪力と術式は取り戻したものの、現時点において呪霊操術で操れる手持ちの呪霊は0。
この男を前にし、呪力だけで逃げ切るのはあまりに無謀。更には満身創痍の阿部を抱えながらなどもってのほか。いや、そもそも術式があったとしても生きて帰れるのかも怪しいところだ。
「星漿体の件では見逃してやったが、今回ばかりはそうはいかねぇ。
なんせ、依頼なんでな」
そう言って甚爾は舌を出しながら夜蛾もどきを指さす。
夏油は歯を食いしばりながら声を荒げた。
「アンタは一体全体、何が目的なんだ!!」
すると夜蛾もどきは面白おかし気に目を細めて「君の身体」と綺麗な笑みを浮かべた。
甚爾が夏油の額に銃口を向ける。
この距離からでは避けようがない、確実に殺される。
「……げと……君、もう、だいじょうぶ…………」
絶体絶命の状況の中、阿部が息絶え絶えにそんなことを口にする。
夏油は意味がわからんと言わんばかりの表情を浮かべるが、その意味はすぐにわかった。
「ーー傑」