「十中八九、あちら側の目的は傑の肉体で間違いない」
カラオケ店のとある一室。
五条は静かな怒りを揺らがせながらそう断言した。その隣には何故だか縄跳びで身体をグルグル巻きに拘束された夏油。
そんな彼らの向かい側に座る阿部は心底気まずげに目を逸らす。真人は相変わらず食べ物に夢中でフライドポテトを頬張っている。誰も夏油のことについて触れようとはしなかった。
しかし場がいくらカオスを極めようと五条は気にすることなく話しを続ける。
「ヤツの術式は死体へ乗り移り、対象が生前持っていた術式を扱うことができる。
傑の縛りを解かせて術式を取り戻させた理由にもそういった事情があったんだろうね」
だが五条の言葉に疑問を持った真人は「でもさ」と口をつく。
「その羂索? って奴が夏油の身体を乗っ取ってから縛りを解いても良かったんじゃない? なんで態々俺たちまで呼び出してこんな回りくどいやり方を選んだんだろ」
当時、羂索は夏油を人質として脅すことで阿部と真人を呼び出し、前世の記憶を取り戻させた。その後脳無という強敵を夏油にけしかけることで必然的に夏油自身が縛りを解かなければならないという状況にまで追い込んだ。
しかし、それなら阿部や真人を通さず夏油を殺してそのまま身体を奪い、自分で縛りを解いた方が良かったのでは? と真人は羂索たちの非効率的な計画に納得いくことができなかった。
そんな彼に五条は「その理由は簡単さ」と足を組む。
「縛りに対する第三者の介入はある程度のリスクを伴う。しかも今回の縛りは肉体との繋がりも強い、それ相応のペナルティを覚悟しておかなければならない」
「下手すれば呪霊操術自体使えなくなる可能性だってあるしね、それだと本末転倒だ」と五条は夏油を一瞥。夏油はなんとも言えない表情を浮かべながら天井を眺め続けていた。
すると阿部が「あの、話の腰を折ってしまって悪いんですけど一つ確認したいことが」と五条と真人の話しに割ってはいる。
全員の視線が注目する中、阿部は肩を強張らせながら唇を噛みしめる。
早々に阿部が言わんとしていることを察したのか、五条は静かに目を伏せた。
緊張などでは決してない、それは全て彼の表情が丁寧に物語っている。
「夜蛾君はもう、助からないということですか」
意を決し、不安と当惑を滲ませた声でそう訊ねる。
拳は強く握られ、小刻みに震えていた。
現実逃避という名の僅かな期待。
本当は阿部自身聞かずともわかっている、だがそれで終わらせたくなかった。その現実を素直に受け取りたくなかった。ありもしない可能性に縋っていたかった、希望を抱いていたかった。細かいことなんて全て取っ払って、まだ夢を見ていたかった。
五条にはその気持ちが痛い程わかる。
親友を失い、その身体を乗っ取られ、夢に踊らされ――かつて五条も、阿部と同じ立場にいた。
それ故か、普段空気が読めない五条にしては珍しく、己の口から真実を伝えることを躊躇っていた。
しかしそんな五条の様子に答えを聞くよりも先に全てを悟り、阿部は下唇を噛みながら俯いた。
何かに耐えるよう息を止めていたが、やがて全身の力を抜き、小さな吐息を漏らす。
濁った瞳に映るのは現実と幻想のクッキリとした境界線だった。
「……ああ、慣れとは末恐ろしいものだ。親友が殺されたというのに涙一つ流せないとは。
本当に自分が怖くなってくる…………」
己の乾いてしまった涙腺に呆れながら、狂い壊れてしまった感性に絶望する。
阿部はもう、心も身体も立派な呪術師だった。
「――それで、今後の方針はどうするわけ?」
静寂が続いていたこの酸素の薄すぎる空気の中、真人はまるで何事もなかったかのように話を切り替える。
ソファにゴロリと寝転がり唐揚げをつまむその自堕落な姿には思わず力が抜ける。五条の日頃の無神経さが可愛く見える程だ。
夏油も流石に「何、この地獄みたいな空間」とげんなりした表情で零した。しかし真人はあっけらかんとした様子で「だって、今の話全然必要ないじゃん」とまたしても爆弾発言を投下。真人の辞書に配慮という文字はなかった。
「ソイツが誰の皮を被っていようと羂索は敵ってことには変わりないんでしょ? 助ける云々の問題じゃないじゃん」
何がおかしいのか不思議だとでも言わんばかりに首を傾け、ニコリと笑う。
「敵なら、殺さなきゃ」
再び部屋が鎮まりかえる。
阿部は「ま、まあ……確かに、敵ですけど」と文句言いたげに言葉を詰まらせるが、ハッキリとした反論が思い浮かばないようでそのまま黙り込む。
一方、五条は真人の新たな視点に「ふむ、それも言えるね」とパッと頭を切り替えた。
「学長が助からないってのは確定してるし、『今更何を助けるの?』って話だよね」
「そうだよ、助けるとか言う以前にアイツをどう潰すかを優先的に考えるべきだ。そっちの方が建設的だと思うんだよね」
「呪霊対策課は呪詛師を始末するのが仕事なんでしょ?」と物騒なことを言いながらストローでオレンジジュースを吸う真人。
呪霊対策課とはあくまで呪いに纏わる事件を対処するというだけであり、そこに人の命を護る、助けるという役割が含まれているわけではない。
誰かの命が呪術師によって護られているという現状は呪霊の祓除に従属して起きているというわけであって、言ってしまえば副次的なものなのだ。誰もが意図して他人を護ろうとしているというわけではない。
極端な話、命と祓除のどちらかを取れと言われた時、呪術師には前者を見捨て、後者を選ぶ権利がある。
どんな犠牲が出ようと関係ない。
呪術師はヒーローと違い、各々が持つ独自の野望や目的のために働いている。
金のために、家族のために、自分自身のために、呪霊を祓うのだ。阿部のように正義感を原動力として動く人間は非常に少ない。
つまり、ぶっちゃけ夜蛾の肉体のことなどどうでもいいのだ。羂索という敵さえ討ちとることができれば、それでいいのだ。
そんなイカレコンビを前に、阿部と夏油は溜息を吐きながら互いに見合う。
この先到底、五条たちの考えに阿部たちの理解が追いつくことはないだろう。いや、そもそも根本から色々と違うのだ、理解しようとする方がおかしいのかもしれない。
「じゃあ真人の言う通り、今後の方針について話し合うとしましょーかね」
疲れ切った表情を浮かべる阿部と夏油を横目に、五条はパン、と両手を合わせて話に区切りをつける。
唇を弧に描き、「単刀直入に言うけど」とゆっくりと口を開いた。
「ヒーローたちと共同戦線張ってみようよ」