男は善意で火災報知器を押した   作:がしやま

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第5話

 

 

 

 

 

 

 

 早朝の商店街。

 公園から続いていた残穢の道はそこで綺麗に途切れていた。

 

 阿部は高校生の頃に着ていた青い体育着を着用し、軽く準備運動。そして一つ深呼吸し、「久しぶりだし上手くできるかねぇ……」と不安げに二本の指を立てる。

 静かに目を伏せ、冷たい空気を吸い込んだ。

 

 

「――闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」

 

 

 途端、上空はみるみる黒一色に染まっていく。

 仄かな光に包まれていた商店街は闇に呑まれていき、あっという間に夜が出来上がった。

 

 帳。

 結界術における最も簡単な結界。外からの視認を拒むと共に、電波を遮断する。

 高専に通っていた頃はよく帳の降ろし忘れで怒られたものだと、阿部は過去を振り返り苦笑いした。

 

 

 

 ――徐に、ナイフを握る力を強める。

 まだ震えはある、けれどもその目には強い覚悟の炎を灯しており、以前までの幻に怯えるだけの阿部ではなかった。

 

 そんな最中、阿部は一人ホークスとの会話を思い出していた。

 

 

『本当に貴方だけで大丈夫なんですか』

 

 

 心配そうな表情を浮かべながら阿部を引き留めるホークス。

 誘ってきたのはお前だろ、と言いたくなったものの空気を読んでその言葉は飲み込んだ。代わりに柔らかい笑みを浮かべてこう言った。

 

 

『なんか、今の俺ならできる気がするんですよ』

 

 

 フワフワとした返しにホークスは益々不安そうな顔をしたが、それに反して阿部はいきいきとしていた。

 決してこの後待っている特級呪霊との闘いが楽しみだからというわけではない。ただ、昔の感覚が戻ってきたというだけだ、自分の力で平和を守ることができるその喜びを思い出していたのだ。

 

 

 フッと小さく笑い、軽くなった足を一歩前に踏み出す。

 その時だった。

 

 

 

「あれ、君が来たんだ。

 赤い翼の彼はいないのかい?」

 

 

 背後から聞こえてきた声にピタリと動きを止める。

 ホークスの協力により、人払いは既に済んでいる。ここにいるのは阿部と残穢の主だけ。

 ゆっくりと後ろを振り返る。

 

 

「……赤い翼の彼、というのはホークスさんのことですか」

 

 

 予想通り、そこにはあの時のツギハギ呪霊の姿があった。

 ツギハギ呪霊は「ああ、ホークスって言うんだね、彼。因みに俺は真人、まあ教えても意味ないだろうけどね」と呑気に自己紹介を交えてヘラリと笑う。呪霊のくせして人間のような笑みを浮かべるソレに、阿部は薄気味悪さを感じた。

 

 

 

 ナイフを構える。

 

 

 

 

 ゆっくりと息を吸って、吐いて、集中力を上げていく。全神経に呪力を張り巡らせる。

 今世では一度もナイフを振るったことも、呪力を込めたことさえなかった。戦いとは縁のない生活を求め、長い間、ずっと見て見ぬフリをして生きてきた。心を押し殺し、何もかもから目を背けてきた。

 阿部とは、そういう人間だった。

 

 けれども呪霊の祓い方は身体がしっかりと覚えていた。

 

 

 

 刹那、阿部は走り出していた。

 音も殆ど立てず、風を彷彿とさせる疾走感で間合いを詰める。

 真人は面白いとでも言わんばかりに口角をニイッと上げて己の腕を変形させる。そして鋭い刃物の形へと変わった腕を一振り、しかし前世にて培われた反射神経でスルリとかわしてみせる阿部。

 それと同時に銀色の刃が真人の脇腹に浅く傷を付ける。

 

 

 両者一度距離を取る。

 

 

 阿部は息を整えながらナイフを構え直す。

 対して真人は目を見開きながら、脇腹から流れる己の血をマジマジと見ていた。そして、目を細めながら阿部の方へと視線を移す。

 

 

「……魂を、知覚している?」

 

 

 阿部はその言葉に反応を示すことなく、再び地面を強く蹴って走り出す。

 

 

 

 ――釈魂刀。

 そんな刀が阿部の前世では存在した。

 魂への直接的な攻撃が可能なため、硬度関係なく肉体を切り裂くことができる。かつては五条悟や夏油傑といった後の特級呪術師たちをも追い詰めた、紛れもない特級呪具。

 

 阿部の術式は、まさに釈魂刀に付与された力をそのまま術式としたものだった。

 つまり、ここから言えることは一つ。

 

 

 阿部を前にして、防御は何一つ意味を成さない。

 

 

 一本の腕が血しぶきと共に宙を舞う。

 防御のために構えていた腕が、豆腐を切るようにあっさりと切り落とされた。

 呪力で強度を増したとしても意味がない。

 

 阿部の目は、常に真人の魂を捕らえている。

 

 

 

真人は咄嗟に防御を捨て、攻めの姿勢へとシフトチェンジした。

 この男の前で護りの態勢に入るということは、敗北基、死を意味する。だとしたら真人に残された選択は一つ、相手に反撃の隙を与えない勢いで攻撃を仕掛け続けること。要は力でねじ伏せればいいのだ。

 

 しかし、近接戦闘においても阿部は真人の上にいた。

 阿部の術式は体術を極めてこそ真価を見せる。阿部の持つ強さの本質は体術にあると言っても過言ではなかった。

 

 蹴りも、拳も、難なくかわしてその肉体にナイフを突き刺し、横にスライドさせる。真人はその度に魂を変形させて傷を治した風を装うも、着実にダメージは負っていた。

 一挙手一投足に無駄が無く、洗練された阿部の攻撃は真人の命を削っていく。

 

 

 ――天敵。

 あまりの相性の悪さから、真人の脳裏にそんな言葉が過る。

 自分の血を見る度に臨場感が高まり、内の興奮と高揚が主張を強めていく。

 

 魂を知覚している阿部にはおそらく己の術式は通用しない、かといって近接戦闘に持ち込んだとしても技術はあちらが遥かに上。

 阿部と真人の間には、圧倒的な力の差があった。

 

 だが、そんな絶体絶命の状況下の中、真人はどこか阿部との闘いに既視感を覚えていた。

 

 いつの日だったか、似たような経験があった気がするのだ。

 追い詰められ、死の直前に追いやられ、それで、それで――

 

 

 

「チャンスをあげましょう」

 

 

 

 ピタリ、と顔に触れるか否かといった距離で刃先が止まる。

 阿部の突拍子も無い言葉に拍子抜けする真人だが、阿部は至って真剣だ。

 

 真人はその言葉の裏に隠された真意を密かに探る。

 

 

「……なんのつもりかな」

 

 

「言葉の通りです、貴方に生きるチャンスを与えると言っているんです」

 

 

 深淵の瞳が真人を射抜く。

 その口から紡がれる言葉は、温情があるにも関わらず冷たく、威圧的なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺と、縛りを結べ」

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