「それでは店長、先にいってます!」
「あぁ、片付けが終わったら俺も会場に向かうよ。試合、頑張れよ」
「オス!」
陽が沈み始め、空が赤くなり始めた時間帯。今日は大会の第二試合が始まる日でそこまで勝ち抜いた選手達が次のステップに向けて競い合う日である。
既に店内に客はおらず、売り上げも上々。これなら店を早く閉めても問題はないのかもしれない。常連の人達もフーカちゃんが試合に出ると聞いて応援してくれてるし、気を利かせて早めに店を後にする人が増えてきた。
店の都合でお客を追い出しているように思えて自分としては少々複雑だが、ウチに来るお客さんは皆理解のある気のいい人達で、ウィンターカップの開催期間中という期間限定という事でこの件には納得してくれている。
店を早く閉めるからサービスという事で色々提供させて貰っているが……何故か受けが悪い。中でも丹精込めて作った麻婆を一皿無料で提供しようという渾身のサービスだが、誰もこれに手を付けてはくれなかった。───シャッハさんだけだぞ喜んでくれたの。
────話が逸れた。そんな訳で多くの人達の支えによって成り立っている喫茶シラカワは本日も勝手な都合ながら店を早仕舞いする事にした。腕時計に視線を落とせばまだ時間は余裕があり、これならばヴィヴィオちゃん達の試合にも間に合うだろう。
片付けも終え、私服に着替えた自分は戸締まりや諸々の確認をした後、裏口から出て車に乗り込もうとする。そんな時、横から聞きなれない女性の声に呼び止められた。
一体誰だろう? ワザワザ裏口から来たという事はお客さんではないようだ。誰かと思い振り返ると、そこにはリンネちゃんの専属コーチであるジル=ストーラさんが佇んでいた。
「初めましてシュウジ=シラカワ元選手、私はフロンティアジム所属、リンネ=ベルリネッタ選手の専属コーチを努めさせて戴いているジル=ストーラです。もし宜しければご一緒に会場に向かいませんか?」
「…………アッハイ」
笑顔の割には有無を言わせない彼女の迫力に、俺はただ頷く事しか出来なかった。
………え? 俺、何か悪いことした?
◇
「この度は私の勝手な誘いに応えて下さり、ありがとうございます。シュウジさん。お帰りの際にはタクシーの手配をさせて戴きますので、ご容赦下さい」
「あぁいや、流石にそこまでして戴く必要はないですよ。元とはいえ私もアスリートの端くれ、走って帰る位余裕ですから」
ジルさんが運転する車に乗らせて貰い一緒に会場へと向かうシュウジとジル。互いに社交辞令の挨拶を交わし、端から見れば良い雰囲気の男女の逢い引きにも見えなくもない。
しかし、車内の空気はそれに反して非常に重く、それはまるで愛機の起こす超重力の中にいる様な錯覚に陥る程だ。助手席から見る限りでは笑顔の筈なのに、その目は笑っていないジル、理由を考えても全く心当たりのないシュウジは必死に話題を探そうとして………。
「そ、そう言えば前回の試合は凄かったですね。リンネ選手大分打たれた様子でしたけど………大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、そんな柔な鍛え方はしてませんので」
(怖ぇぇぇぇっ! 何、この怖さ!? え!? 俺が悪いの!? 俺が悪いことになるのこれ!?)
言葉の端から見え隠れするジルの冷たい当たり、心当たりも無く、理不尽にすら思える彼女の態度に流石のシュウジも泣きそうになるが、次に彼女が溜め息を吐き出すと雰囲気は一変し、冷たかった彼女の態度も変わっていった。
「………すみません。我が儘言って同行して貰ったのに不適切な態度を取ってしまって、このお詫びはいつか必ずしますので」
「い、いえ。誤解が解けた様で何よりです。………しかし、随分苛立っていたようですけれど、何かあったのですか?」
不当な扱いを受けるのはこれ迄の体験で慣れてしまっているシュウジはジルの謝罪を快く受け取り、水に流す事にした。ただ何故そこまで自分を敵視するのか気になった、再びあの冷たいジルが復活するのを承知で思いきって訊ねて見ると、彼女の態度は先程の様な強気なモノではなく、頬を僅かに紅くさせていた。
「そ、その、先日リンネから訊いたのですけど、今ウィンターカップに出場しているフーカ選手と大会とは別に試合をした件に関してなのですが……」
「………あっ」
ジルに言われた事で何故彼女が彼処まで怒っていたか漸く理解できた。確かにリンネとシュウジは約束をした。ウィンターカップの大会とは別にフーカとリンネを戦わせ、そこでリンネが勝った場合彼女の専属コーチになると。
自分の店を畳んでまで賭けに出た大きな博打、それを肝心なリンネの専属であるジル=ストーラに何の断りも入れてなかった事に漸くシュウジは思い出した。
(やっべー、そう言えばストーラさんにその事に付いて一言も話して無かったわ。そりゃそうだよ、勝手にリンネちゃんの指導者になるとか、ストーラさんという専属コーチが既にいるのに、そりゃ怒るわけだよ!)
「あ、いえ。その事につきましては情報伝達不足で……その、すみませんでした!」
ジルの怒りの原因に漸く気付いたシュウジは深々と頭を下げる。どう考えても自分が悪いから認めるしかない。どんな罵倒も受け入れるつもりでいたが、ジルから返ってきたのは意外な反応だった。
「思い出してくれたのでしたら幸いです。此方も受け入れ態勢を整えなければなりませんからね。約束の反古さえしなければ、此方から言うことは何もありません」
「………え?」
意外、というより剰りにも淡白なジルの反応にシュウジは拍子抜けの声が漏れる。思っていたモノとは別の反応、どちらかと言えば勝手な約束をした事に対する言及があるのかと思っていたが、ジルの言葉はまるでシュウジを既に彼女の所属しているジム……フロンティアジムに引き入れる準備をしている様に聞こえてきた。
「いや、あの。ご迷惑ではないんですか?」
「何故です? 貴方の実力や肩書きはDSAAで知らない者はいません。それに試合の最中にリンネの違和感に気付き、それを指摘し矯正する指導力の高さも聞き及んでいます。そんな能力の高い方を引き入れない理由はこちらにはありませんが?」
「いや、でもそれはリンネちゃんがフーカちゃんに勝てたらの話で───」
「勝ちますよ。リンネは」
「────っ」
即答。二人が試合をするという約束を守る処か既に勝ったつもりでいるジル。その眼には驕りや慢心の色はなく、ただ純然たる事実としてそこにある。その強い意思は彼女の瞳を強く輝かせていた。
「確かにフーカ選手は将来有望な選手です。きっとリンネとは切磋琢磨出来る数少ない選手になるでしょう。しかし、今の段階ではリンネの敵には成り得ません。彼女とリンネとでは格闘技選手として培ってきた経験の差が違う」
無論それだけではない。リンネの素質は他の選手達と比べてもずば抜けており、その元から生まれた格闘技としたの才能はジルをして100年に一人の逸材と言われている。
故に彼女は断じる。フーカではリンネの敵に成り得ないと。才能というモノを重点にしているジルに取ってそれは覆る事の無い自論、その根拠となるが他ならぬ嘗ての自分自身になのだから。
「………成る程、貴女の言いたい事は分かりました。確かにリンネ選手は強い、恵まれた才能、力のある肉体、格闘技選手として文句なしの逸材だ。才能だけで言うのならアインハルト選手やエレミア選手にも決して引けを取らないでしょう」
「そうですね。そこに私の理論と貴方の指導があれば、リンネは今よりずっと強くなれます」
「尤も、その才能を開花させるには些か問題があるみたいですけどね」
「────何ですって?」
ジルの声が低くなる。既に車は会場の駐車場へと辿り着く、車を止めて助手席に座るシュウジを睨むジルだが、彼の顔には不敵な笑みが浮かび上がっていた。
「格闘技選手に拘わらず、全てのアスリート選手達は日頃の練習や特訓で積み重ねをし、それを大会で披露し、活かし、結果を出す。才能も必要だし、才能を引き出す努力も当然必要だ」
「………リンネが、その才能だけの選手だと言いたいのですか?」
「いいや、彼女は常日頃から努力していると思いますよ。だからこそ彼女は彼処までの動きが出来る。あれほどの戦いを維持できている」
分からない。この男は一体何を言っているのだろうか? 要領の得ない言葉遊びで此方を煙に巻くつもりなのではないだろうか。
「だが、彼女は折角培ってきた努力を糧に仕切れていない。アスリートならば誰もが得られるソレを機械的に処理をしている。……いや、拒んでいると言っても良い」
「何を……言ってるんです?」
「体を痛め、自身を追い詰めるだけが格闘技選手の全てですか? 違うでしょう? そうではないでしょう? 選手達は皆、苦しみの先にあるソレを目指して日々切磋琢磨をしている。……貴女ならば、それを良く御存知の筈ですよ。ジル=ストーラ選手」
「っ!?」
「ここまで送ってくださり、ありがとうございます。それでは自分はこれで……」
頭を軽く下げ、車から降りたシュウジは会場に向けて歩き出す。その背中を見つめるジルの顔は険しく、その瞳は何処までも剣呑なモノになっていた。
「分かった様な事を言って!」
昔、自分にも選手として活躍していた時期があった。しかし才能が無く、怪我もしやすかったジルは15の頃には万全な状態でリングに立つ事はなく、漸く辿り着いたタイトル戦を目の前にして引退を余儀なくされてしまった。
だから3年前、流星の如く現れたシュウジ=シラカワという選手に酷く胸を高鳴らせた。見たこともない戦い方、才能だけでなく努力の賜物であろう肉体は嘗て選手だった自分にとってこれ以上無い理想だった。
チャンピオンになりDSAAの頂点に君臨したシュウジ、彼ならばきっと不動の世界王者に居続けるだろう。全ての格闘技選手達にとって憧れで、目標であり続けるだろう。
しかし、その世界王者は己が頂点に立った事で格闘技に見切りを付けた。突然の引退表明、彼は自分がその世界の王者になると同時にDSAAに興味を示さなくなった。
一度も防衛をせず、一度もチャンピオンとして戦わないまま勝手に終わった気ままな王。ジル=ストーラにとってその王は仇にも近いモノだった。
自分ではとても届かない高みを簡単に手にしておいて、それを守ることもせずに一方的に捨て去った。それが自身の理想の押し付けだとは分かっている。しかし、それでもジルはシュウジという男が許せなかった。
「良いでしょう。ならば証明してみせます。私が、私とリンネが貴方の思い上がったその性根を叩き折って差し上げます」
眼鏡の奥で燃やす怒りの炎、彼女の瞳には最早シュウジ一人しか映ってはいなかった。
この世界でボッチがやらかした事
1.流星の如くデビュー、様々な技と力で瞬く間に勝ち進む。
2.あっという間に世界王者からの引退。
3.多くの格闘技ファンが嘆く中、本人は呑気に自営業。
………あっ(察し
それでは次回もまた見てボッチノシ