日本が誇る日本最大のIS技術開発機関、倉持研究所。ISに関わる多くの才ある技術者達が集うこの施設に一人の青年が訪れた。
倉持研が迎えとして寄越したリムジン、その中から現れた紫色の髪が特徴的な青年の名は───“白河修司”
本来なら企業が一丸となって取得するべき総合IS管理資格をたった一人で掴み取った異常なる者。既に世間からは真性の天才と言われ、一部ではあの篠ノ之束の後継者とも言われている存在。
そんな彼が今、自分達の目の前で優雅に紅茶を啜っている。落ち着きがあり、品がある彼の態度に倉持研の所長である男性と第二研究所所長の篝火ヒカルノは緊張した面持ちで眺めていた。
いい加減何か喋ってくれ。研究所の応接室に案内してからまだ一分も経っていないが、凄まじい緊張感が彼等に襲い、時間の感覚を鈍らせているのだ。
一分が一時間だと錯覚し始めた頃、目の前の天才は紅茶の入ったティーカップをテーブルに置き、穏やかな笑みと共に言葉を紡ぎ始めた。
「……良い紅茶ですね。香りも良いし、気持ちも落ち着きます。流石は倉持研、一流の方はこう言った嗜みも一流なのですね」
「き、恐縮です」
「紅茶は前に友人と何度か嗜んだ事があるので味や香りにはある程度理解がありますが……いや、本当にこの紅茶は美味しい。皆さんもこう言ったモノを口にしているから、日々大きな技術発展に貢献しているのですね」
「は、はぁ……」
テーブルに置かれたカップに視線を落とし、どこか懐かしそうに語る修司に篝火は反応に躊躇した。確かにこの紅茶は一級品だ。それも最高級の農園から栽培される最高級の一品であり、かのエリザベス女王も愛用されている代物。
この日の為だけに用意された特別な代物、本来なら自分達ならどんなに伸ばしても手の届かない一品、それが何故目の前の若造の為に用意せねばならないのか。それは日本政府から言い渡された依頼が原因だ。
『白河修司なる男を必ず我が国の財産とせよ』政府から言い渡されたこの依頼は倉持研全職員に通達され、政府から前金として莫大な資金を受け取っている。
これらの資金を使って白河修司を此方に引き入れろという政府の意向に別に異論などない研究員達は当然これに賛同したのだが……。
(どう見ても、金なんかで動く様なタイプじゃないわね)
隙がない。目の前で再び紅茶を啜る青年を篝火はそう評価した。ただ紅茶を口にしているだけなのに全方位に対して注意を向けている。しかも周囲に気付かせないようさり気なく、且つ浸透させるような気配り。
現に、自分以外にこれに気付いている者はいない。自分の隣にいる所長や護衛と称して部屋に連れてきているガードマン達も違和感は全く感じていない。
何故技術者である篝火ヒカルノがその事に気付けたのか、それは彼女が嘗て現役時代の織斑千冬と面識があり、その実力の一端を見せて貰った事があるからだ。
伊達に倉持研究所の第二所長という肩書きは持っていない。当時は織斑千冬の専用機を何度か調整した事もあるし、訓練と称して彼女の手合わせに付き合った事もある。IS関係で技術者の拉致も珍しくはないこの世界で、一人でもある程度対抗出来る実力を彼女は有していた。
だが、それを引き合いに出しても目の前の男は異質だった。篝火でも余程注意深くしないと察知出来ない気配。まるで限りなく薄く、それでいて鋭い刃に巻き付かれている様な感覚。
何より、この気配に気付いている自分に対し……。
「……クク」
「っ!?」
目の前の男はその事を知った上で放置しているのだ。不気味。目の前の男の底知れない迫力に篝火は手の震えを抑えるだけで精一杯だった。
希代の天才? あぁ確かにそうだろう。ISを開発した篠ノ之束も大概だが、目の前の白河修司なるこの男もそれに迫る化け物だ。
この男を見ていると、底の見えない井戸をのぞき込んでいる気分になる。真っ暗で何も見えず、けれど吸い込まれそうな……危険な感覚。
果たしてこんな存在を引き入れて良いのだろうか。仮に招き入れた所で、この倉持研は……いや、日本はこの怪物を御しきれるのだろうか。
不安と恐怖が混ざり合い、胃の中で渦巻いている。やがて篝火が言いしれぬ悪寒に気分が悪くなった時、紅茶を啜っていた修司の口が再び開いた。
「……本日、この倉持研にお邪魔させてもらったのは他でもありません。先日からあなた方から受けたお誘いについてですが………確かに、悪くはない条件のようです」
「っ!」
「………」
「ISを開発する環境も申し分ありません。最高にして破格の待遇。これを断る者はそうそういないでしょう。日本最大のIS開発機関倉持研、それに選ばれた事、嬉しく思います」
「お、おおっ! では……」
「はい。残念ですがお断りさせて頂きます」
………時が、止まった。目の前のにこやかに誘いを断った修司に所長だけではなく隣の篝火、護衛のガードマンまでもが驚きの表情のまま固まっていた。
一秒、二秒、やがて修司が口にした言葉を理解した所長は壊れた錆び付いた機械の様にギギギとぎこちない動きで目の前の天才に問いただした。
「それは……どうしてですかな? 不満があればすぐに改善させますが」
「いえ、不満はありません。先程も仰いましたようにここの施設の開発環境は総じて高いレベルにあります。通常のISを開発するには持って来いの場所でしょう。───しかし」
「貴方の求めるISは、ここでは造れないと? そう言いたいのですか?」
「そうですね。そう受け取って貰っても構いませんよ」
そう言って不敵に笑みを浮かべる修司、大胆不敵とも言えるその態度に普通なら文句の一つでも口にする所だが、先のIS関連の雑誌に記載された例の言葉、それを思い出した篝火は……ただ目の前の男を見つめる事しか出来なかった。
“原点回帰”――嘗て篠ノ之束が世界に向けて言い放ったISの存在理由。これからの世代で宇宙環境に適応すべく人類に向けて発信したメッセージ。
それを、目の前の男は実行し、実現させようとしているのか。篠ノ之束という天才を越えた天災に挑み、理解し、そしてそれすらも越えてみせると、この男はそう言っているのか。
……無理だ。この男は一国に収まる程小さな器ではない。近い将来、篠ノ之束はこの男の手によって表世界へと引きずり出される事だろう。
そこまで考えが過ぎった時、目の前の天才は席を立つ。それが変わらない答えだと知った所長と篝火は力ない足取りで修司の後に続いた。
「今回はお忙しい所、時間を作って頂き感謝します。倉持所長、篝火さん」
「……此方こそ、わざわざご足労させて頂いて申し訳ない」
「それならお気になさらず。今日は仕事の休みを頂きましたので……それに、何度もお誘いを受けておきながら口答で済ませるのは些か失礼かと思い至った訳ですので……」
完璧な紳士的対応。イヤミの一つすら言わせて貰えない会話術に二人は苦虫を噛み締める思いを味わう。すると、そんな彼等の内心を見越したのか……。
「では、また近い内に、あなた方と再びお会いする日を楽しみに待っていますよ……ククク」
来たときと同様、不敵に……且つ大胆に、彼は笑って見せていた。その笑みは何を意味するのか。篝火は結局その事を理解出来ず、研究所から遠ざかっていくリムジンを見送るのだった。
◇
Σ月※日
いやー、昨日は緊張した。例の倉持研って所は結構遠い所にあるらしく、徒歩じゃ時間が掛かるというから向こうさんから移動手段を手配してくれると聞いていたけれど、まさか朝早くからリムジンに乗るとは思わなかった。
多元世界にいた頃、再世戦争の時に中華連邦でシュナイゼルの奴の強引な誘いに乗った時以来だけど、今回のリムジンもそれに負けないくらい豪華で寛げる造りとなっていた。迎えに来てくれるだけで有り難いのに、まさかリムジンを用意してくれるとは思わなかったので、終始自分は緊張しっぱなしでした。
差し出された飲み物にも手を付けなかったし……いや、出せる訳ねぇよ。唯でさえ向こうはリムジンなんか出してくれてるんだぞ? その上車内で飲食したらスゲェいやしんぼみたいに見えるじゃないか。
ちゃんと朝食を摂った自分は飲み物を勧めてくる運転手さんにやんわりと断り、倉持研へと向かった。……そう言えば、食堂のおばちゃんのおにぎり、あれは美味かったなぁ。一夏君が絶賛しているだけあって、味も確かなものだったし、ああ言うのがお袋の味っていうのかなぁ。しかも自分の時間に合わせて握ってくれたし、マジ良い人。俺の中のベストお袋さんに認定だな。
そんなこんなで倉持研に着いたのだが、これがまた凄いのなんのって。研究所は予想以上に大きかったし、設備もIS学園以上に充実してたし……なによりも中にいる人達全員が自分の到着を待っていたのだ。
もうね、何事かと思ったよ。何で日本最大のISの技術開発機関が総出で若手の自分を出迎えに来てるんだよ。一周回って落ち着いてしまったよ。
その後、篝火さんと倉持研の総責任者である倉持所長を交えて、護衛の人達が見守る中話し合いをしたのだけど……ざっと三十分程かな? 適当に話をした後にキッパリと倉持研からのお誘いを断って研究所を後にした。
話をまとめれば大体こんな所だけど、実は所々厄介な事が合ったんだよね。
来る途中と会談中、そして帰る最中、時折自分を監視する様な視線が所々から感じられたんだよね。なんでもISの技術者は凄まじく貴重な人材で、日夜企業同士で人材の奪い合いをしているんだとか。中でも人材に乏しい所は強行手段を取ってくる話もあるらしく、実際拉致を受けて行方不明となった技術者ってのは少なからずいるそうなのだ。
恐らくはどこかの弱小企業が傭兵崩れを雇って自分を狙っていたと思われるが……こんなIS経験に乏しい自分を必要にしているとか、余程切羽詰まった所なのだろう。
おかげで会談中少しばかり気を立ててしまったし、それを察知したのか篝火さんは渋い顔で自分を睨んでいた。その時は笑って誤魔化したけど……やっぱり非常識だったかなぁ?
護衛の人達も気にしてない様子だったし、自分ももう少し気を抜けば良かったかな? 折角美味しい紅茶を振る舞ってもらったんだし、もっとちゃんと味わえば良かったなぁ。
シュナイゼルが見たらマナーがなってないって呆れられそうだ。アイツ、こういうマナーって結構口うるさいから、何回か注意を受けた事がある。
それでその後、帰りのリムジンに乗ってる間も露骨に分かり易く視線をぶつけてくるし、もうなんなんかな? アレかな? 例のゴシップ記者が自分の動向に探りを入れてきてるのかな? 勘弁して欲しいものである。
おかげで運転手さんも不機嫌そうにしていたし、やっぱり女性だけあってああ言った視線には敏感なのかな? 幸い学園に戻ってくる頃には視線も感じなくなったからいいけど……今度またあの視線を感じたら容赦なく注意しに行ってもいいのかもしれない。
……しっかし、今時のゴシップ記者って良いところに場所とるのな。視線の先を流し目でチラッと見た所、どうやら視線の主は高級そうなホテルにいるようだ。
もしかしたら編集長クラスの人が泊まっているのかな? もしくはどこかの有名人があそこのホテルに泊まって、記者会見を開いているとか。
まぁ、そんな話はどうでもいいとして……いよいよもうすぐ学園祭、自分も本番に向けて気合いを入れようと思う。
……尤も、警備員の真似事位しか出来そうにないんだけどね。や、別に良いけどね。
学園祭が終わったら自分もいよいよIS開発に乗り出すんだし、改めて気を引き締めようと思う。
◇
────とある高級ホテルの一室。広々とした空間で街を一望出来るスイートルーム。一部の人間しか入ることが許されないその一室は、現在複数の女性が使用していた。
「クソッ! あの野郎、私の事に気付きながら見逃しやがって、私を……虚仮にしやがって!」
「落ち着きなさいオータム」
苛立ちを露わにし、運転手の格好をした女性が部屋に入った途端帽子を床へと叩きつけた。尋常じゃない程に怒る女性を金髪の女性が宥める。
腰にまで伸び、ウェーブの掛かった長い金髪、それを揺らしながら豊満な体を揺する女性の姿は……妖艶の一言に尽きる。
女性さえ魅了してしまうその魅惑に、オータムと呼ばれた女性はその怒りを鎮めるが、悔しさは未だ残ったままで不服そうな面持ちで下を向く。
「今は焦らなくてもいいわ。幾ら得体のしれない男だろうと、所詮ISの敵ではないわ。貴方は予定の通りに動いて頂戴」
「……分かったよスコール、けど、あの男、白河修司は私が貰う。奴を叩きのめすのはこの私だ!」
「殺しちゃダメよ。彼の頭脳は私達の為に使って貰わなくちゃならないんだから」
「なら、頭以外潰しても問題はないって事だよなぁ」
自分の仕込んでいた薬入りドリンクを呆気なく看破し、挙げ句の果てには見逃して貰った始末。プライドをこの上なく傷つけられたオータムは獰猛な笑みを浮かべながら部屋を後にする。
そんな彼女をやれやれと肩を竦めながら見送るスコールは、壁によりそう少女に目を向ける。
「そういう訳だからM、貴方も当日は指示に従ってね?」
「……了解した」
スコールの言葉に素っ気ない態度で答え、Mと呼ばれた少女も部屋を後にする。
性格に難ありな彼女は扱いこそ難儀するが、“性能”はお墨付き、あとは彼等の祭りに便乗し、此方も派手な花火を挙げるのみ。
「ふふふ、織斑一夏と白河修司、どっちも私の好みね」
手にした二つの写真。それを片手にスコールは妖しい笑みを浮かべるのだった。
Q次回もシリアス?
Aシリアスは今回で売り切れとなりました。
クロスアンジュ、ドンドン面白くなっていきますね。
色々政治的な話もあるみたいですし、引っかき回すにはちょうど良いかも?(ゲス顔)