済まない、多分嘘になる。
────それに気付いたのはアーチャーとバーサーカー、そして修司の三人だった。先程までバカ騒ぎしていた居間の空気が一転し、重苦しいものへと変化する。途方もない殺気、この世の全てに深い憎しみを抱き、それでもなお飽きたらない憎悪の遺志が衛宮邸に集まる面々に突き刺さる。
いち早く行動したのはアーチャーと修司、縁側と玄関口のそれぞれから飛び出すように外に出て、次いでイリヤを抱えたバーサーカーが庭先へ飛び出していく。
「ば、バーサーカー、どうしたの? ダメじゃないいきなり出てきちゃ、士郎の家がメチャクチャになっちゃうでしょ」
叱るように己の
バーサーカーが無理矢理出てきた事で縁側の一部が崩壊した衛宮邸、突然の事に驚愕する士郎と遠坂だが、バゼットは外から感じ取れる殺気に納得した様に頷いた。
「───どうやら、向こうに一手先んじられた様です」
「そ、それってどういう?」
「っ、まさか!?」
修司達に続いてバゼットも外に向かい、何かを察した遠坂と戸惑いながらも付いていく士郎、一気に騒ぎ立てる事態の変化、残された慎二は向かい側に座る黒セイバーへ顔を向け。
「───あの、アンタは行かなくていいのか?」
「私が行って何になる。それとも、行って欲しいのか?」
「────」
言い返されて口を閉ざしてしまう慎二、目の前の黒いセイバーは確かに修司の手によって聖剣は砕かれ、その影響もあって戦意を挫き無力化された。
だが、それでも彼女自身の英霊としての戦闘能力が消失した訳ではない。黒い影に呑まれ、性質も在り方も変容された彼女は謂わば効率の塊。修司を真っ先に狙ったのも彼が一番の脅威だと察知したからである。
そんな彼女が偏に大人しくしているのは修司という強大な楔があるからこそ、あと士郎のご飯が食べられるから、ただそれだけの事である。
彼等がいない今、セイバーが大人しくしているのは単なる気紛れでしかない以上、いつまた暴れだすのか分かったものではない。向こうに行けば恐らくセイバーは再び自分達の敵になる、そうすれば深山町の人々は巻き込まれるの確実で何より己自身が危ない。
もう、間桐慎二に出来ることはない。あるのはただ腹を括って事の顛末を見守るだけである。───故に。
「そ、それじゃあ僕もここで大人しくしておこうかなぁ、あんたの監視もあるし、寝ている連中を放って置くわけにもいかないしね」
アハハと精一杯の強がりを口にしながら座布団に座る。実際慎二が行ったところで手助けなんて出来る訳がないし、セラ達やシドゥリ達の面倒を見るものも必要だ。
何より、避難するにあたって士郎の姉貴分である藤村先生に納得させる言い訳を講じる内容も考えなければいけない………あれ? これもしかしなくても一番の貧乏クジは自分が引いたんじゃね? 引き攣った笑みを浮かべながら慎二はそんな事を考えていた。
「───ま、それでもいいだろ。どちらにせよ今の私は敗残兵だ。業腹だが、今は事の流れに従うとしよう」
そう言ってセイバーはアーチャーが作り置きしていたハンバーガーを再び頬張り始める。
「───ホント、さっきまでベソ掻いてた奴とは思えないな」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
取り敢えず余計な事は口にしない様に勤め、速いところ修司達が戻ってくる事を切に願いながら、慎二は夜が明けるのを待ち続けた。
◇
「────桜、なのか」
目の前の夜の闇から這い出るように現れた黒いそれに衛宮士郎は目を見開いて問い掛けた。帰ってきたのは嘲笑、嘲笑い、見下し、凡そ彼女のモノとは思えない………悪意に満ちた声音だった。
「───はい。先輩、私は正真正銘の間桐桜。聖杯戦争を終わらせるためと先輩を戴くために此処に帰ってきました。ただいま、先輩」
目の前の変容した間桐桜、今の彼女を見て衛宮士郎は理解する。目の前の彼女はこの街に………いや、この世界にとって災いをもたらす者なのだと。斃さなければならない世界の悪意なのだと。
「───そう、間桐臓硯の目論見はまんまと達成された訳ね。聖杯の欠片を用いての聖杯との融合、間桐の魔術である“吸収”と桜の“虚数”、これ等を利用して動く聖杯を組み上げる。成る程、胸糞悪くなる程に合理的な方法ね」
変質した己の妹を努めて冷静に分析する遠坂だが、その表情には強い怒りの色が滲み出ていた。
「ですが妙な話です。間桐臓硯はシュウジが斃した筈です。間桐の当主が倒れた今、間桐桜にそのような施術を施せる者はいない筈、ならば何故───」
バゼットが口にする当然の疑問、臓硯は確かに斃された。無関係な人間を巻き込み、更には人質に取ろうとした事で彼の逆鱗に触れ、間桐臓硯は自身の屋敷───工房と共に消滅した。それは間違いない。
そう、臓臓硯の肉体を形成する
『ワシが斃された? これは異なことを、魔術協会の執行者も其処までの考えには至らんかったか』
しかし、その事実を否定する者がいる。それもよりにもよって………間桐桜の内側から。
「そう、そう言う事ね。呆れ果てたわマキリ=ゾォルケン、己の存命の為に寄生虫にまで成り果てるなんて、どうやら嘗ての誓いはとうの昔に消えた様ね」
『言うではないか、アインツベルンのホムンクルス。命が惜しいのは命あるものとして当たり前の本能よ、貴様には分かるか? 時間と共に崩れ行く肉体の痛みを、腐臭と共に朽ちていく様を、惨めじゃあ、憐れじゃあ、それを嘆いて何が悪い。人を殺すことで生を得られるのなら、世界中の人間を殺して回っておるわ』
イリヤスフィールのアインツベルンとしての言葉も臓硯だった怪物には最早届かない。孫娘である桜に寄生することで生を長引かせる。全ては膨大な魔力を有する聖杯を手にする為、この怪物には既に人としての矜持は微塵も残されていない。
あるのは永い時間の中で腐れて爛れた魂のみ、残されたのは聖杯と不老不死という願いだけ。言葉など、どれだけ重ねても意味がない。
アーチャーもまた手遅れだと断じた。ああなった間桐桜に人としての感情や感傷は残されていないだろう。仮にあったとしてもそれも最早微々たるもの、彼女の事を考えれば彼女の命を絶つ事こそが、この街にとっても間桐桜にとっても救いの筈。それはこの場にいる誰もが考えている事だろう。
(だが、それでもお前は彼女を助けるというのか。白河修司)
横目で見るアーチャーの視線の先には口を結んだ修司が静かに桜を見据えている。聞こえていない訳がない、変貌した間桐桜の有り様を見えていない訳がない。
現実逃避をしているのか? 無理もない、臓硯を斃し、桜を聖杯との繋がりを絶つだけだと思っていただけにこの展開は修司にとってキツすぎるモノがある。必ず助け出すと口にしておいて、いざとなったら動けない。けれどアーチャーはそれを恥だとは思わなかった。
だって仕方ないから、誰もが理不尽や不条理、立ちはだかる運命には決して抗えないのだから。それは古くから続く神話から現している。人は、運命には逆らえない。出来るのは精々がその結末の方向を僅かばかり変えることだけ。
「お爺様、駄目じゃないですか。勝手に出てきては。今は私が先輩とお話をしてるんですから」
『おぉ、そうか。済まないな桜、じゃが時間は限られておる。なるべく早く済ませておくれ』
「分かっています。………ねぇ、先輩。私、考えたんです。どうして私の回りばかり幸せなんだろうかって、私だけ、どうして酷い目にあってるんだろうって」
「だってそうじゃないですか。私、これまで生きてきて悪いことなんて一つもしてこなかった。なのに10年間、私はあの蟲倉の中で貪られ続けました」
「時には魔力を得るためだって何の面識の無い男性と一日中交わりました。汚ならしく、獣みたいに、それでも我慢しました。その方がこれ以上酷くならないと思って、先輩と長く一緒にいられると思ったから」
桜自身の口から語られる間桐という闇が行ってきた悪行の数々、孫娘を聖杯へと変貌させるために行った非道、そこに一切の愛情はなく、あるのは己の剥き出しの欲望のみ。
数々の欲望の受け皿となった桜は正しく願望の器なのだろう。歪んだ欲望は桜の魂すら汚し、犯し、踏みにじってきた。
遠坂も士郎も顔を青ざめていた。自分達が知らない間に凌辱の限りを尽くされてきた桜の実態を聞いて、二人の戦意は既にギリギリの所まで追い詰められていた。
今、サーヴァントによる奇襲を受ければ被害は凄まじいことになる。ジャンヌを始めとした比較的冷静な面々が未だに存在し続けるサーヴァントに警戒を強めるが。
「あぁ、動かないで下さいねジャンヌさん。幾らルーラーの貴方でも私の影には敵いません。無駄に犠牲を出したくなければ大人しく見ていることが正解ですよ♪」
無邪気に微笑みながら恐ろしく殺気を振り撒く桜にジャンヌの頬から一筋の汗が滴り落ちる。彼女が言うように彼女の纏う影にはサーヴァントでは決して抗えない力を秘めている。
それはセイバーを取り込んだ泥と同様、或いはそれ以上の汚染作用が働く。今の間桐桜はこの聖杯戦争に於てサーヴァントに対し絶対的な力を持っている。触れるのは勿論、近付くだけですらサーヴァントを変質させかねない危険な力。恐らくはバーサーカーの暴威ですら、彼女には通じないだろう。
正純な英霊であればあるほど、あの影には弱い。実質的にサーヴァントの封殺をそこにいるだけで目の前の少女はやってのけてしまった。
このままでは町にいる人々の避難が間に合わない。数も質も此方が圧倒的に有利だったのに状況と相手の質の悪さに戦況は覆されてしまった。
「先輩。私、頑張りました。頑張って頑張って、我慢しました。だから………ねぇ、先輩」
そう言いながら桜は士郎へ手を伸ばす。それは救済を求めての縋りなのか、それとも破滅への誘いか、正義の味方としての在り方が問われる選択に士郎が瞳を揺らして動揺していると。
それを割って入ってくるものがいた。
「───なぁ、桜ちゃん。もう止めようぜ。そう言う物言いは君には似合わない」
「……………」
山吹色の背中が士郎の瞳に映る。友人の庇う様な背中に士郎の目は大きく見開き、士郎とは対象的に桜の目は薄く細くなっていく。
「俺さ、魔術の事はテンで素人だから知らないからさ、今君がどういう状況なのかなんてまるで見当が付かないさ。精々大変な事が君の身に起きているという事、それだけさ」
「そうですか、それで? 私の前に立ってどうするんです? 私を殴るんですか? セイバーさんやランサーさんみたいに、私を敵として相手をするんですか?」
「…………そう、だね。確かにそうなるのは避けられないかもしれない。俺だってそこまで子供じゃない。善悪の区別や大事にするべき優先順位って言うのは弁えているつもりだ。でも」
“それでも、君を助けたいという気持ちは変わらない”
そう言いきる修司の言葉、それは誓いでもあり、決意でもあり───覚悟の一言だった。どんな代償を支払ってでも、どんな災いが自身に降り掛かっても初恋の少女を助けるのに微塵の迷いがなかった。
その姿に、士郎も腹が決まった。誰かを助けるのに誰かを犠牲にするのではなく、誰かの力で皆を助ける。そんな浅ましくも勝手で、我が儘な正義の味方の在り方を、衛宮士郎は見出だせた気がした。
そんな士郎の目を見て桜は顔を俯かせる。
「───ホント、いつも貴方はそうですよね。勝手に出てきて場を乱して、全てをグチャグチャに掻き乱していく。なんなんですか? そんなに自分が特別だと、そう言いたいんですか?」
「私にいつも話し掛けて、気に掛けるフリをして、私という弱虫な人間を守った気になって、悦に浸ろうって言うんですか?」
「気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
「気持ち悪いから………修司先輩」
“死んでください”
感情の無い声と
其処から延びる無数の影、触手を槍のように鋭利にし、殺意を以て修司へ襲い掛かる。
煩わしい。鬱陶しくて、其処らの有象無象より目障りな存在、誰よりもそう感じているのにどうしてだろう。間桐桜にはその理由に心当たりがなかった。
「修司君!」
影の触手が修司へと伸びる。ジャンヌが回避の呼び掛けをするが、それよりも早く触手は伸びていき………。
虚しくも、空を切るだけに終わった。
「っ! 一体何処へ………」
まるで見えなかった。如何に力を得ようと動体視力が常人である桜に修司の動きを捉える事は出来やしない。これ迄の戦いを経てサーヴァントの領域すら超えつつある修司は聖杯による感知能力すら振り解き………。
気付けば、彼は桜の右側面へと立っていた。
(あっ、なんかスッゴい既視感)
緊迫した状況、なのに何故か士郎は呑気にデジャブを感じた………瞬間。
「少し、頭冷やそうか」
修司の振り抜かれた左手が、桜の臀部を捉えた。
瞬間、吹き飛んだ桜はそのまま回転しながら衛宮邸の道場の壁へと突き刺さり、目を回して倒れ込む。
静まり返る空気、誰もが絶句するなかで今まで霊体化していたサーヴァントが現界し。
「さ、桜ァァァッ!?」
悲痛な叫びが衛宮邸に響いた。
Q.修司は何故執拗に臀部を狙うのか?
A.臀部は脂肪が付きやすく、尚且つ致命傷になりにくいから。という人道的な意味合いが込められている為。
尚、この場合受けた側の感じる痛みと羞恥は考慮しないものとする。
それでは次回もまた見てボッチノシ