『G』の異世界漂流日記   作:アゴン

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最近また冷え込んで来ましたね。
皆さんも風邪には気を付けましょう。


その5

 

 

 

 冨岡義勇が目的地の山へ訪れる数分前、無限城の奥深く。崩れる回廊が瓦礫となって降り注ぐ中、凶器となった無惨の腕がシュウジに向けて奮われる。

 

降り注ぐ瓦礫が横に両断される。壁となった視界の先が斜めに開かれるが、其所にシュウジの姿はない。

 

(まただ! 奴め、どんな術で姿を消した!?)

 

姿の見えないシュウジを探すが、何処にも彼の姿はない。まさかまた上かと見上げるも、やはりシュウジの姿はなかった。

 

何処かへ逃げたのか? そんな思考が浮かんだ瞬間、無惨の足元は爆発し、其処から現れるシュウジの蹴りによって無惨の顎はカチ上げられる。仰け反り、体が宙に浮く。初めて体験する痛みと衝撃、一度ならず二度までも自身の顔を足蹴にしたことに憤る無惨だが、既にシュウジは無惨の懐へと潜り込んでいた。

 

「さっきから思ってたがお前、随分と隙だらけだな」

 

「っ!?」

 

 呆れの混じった一言に無惨の怒りは振り切れる。ブチりと額から音を立て、凄まじい形相で身体中から生やした鞭でシュウジを切り刻もうとするが………遅い。先に述べた様に既にシュウジは無惨の懐にいる。彼が鞭を振るうよりも速くシュウジは行動に移る。

 

渦廻斬輪蹴(うずまわしざんりんげり)

 

両足を渦のように回転させて抜き放つ蹴りの応酬、無数の蹴りによって鞭ごと四肢を切り刻まれた無惨は再びあの日の出来事を思い出す。

 

無惨の脳裏の奥の奥に刻まれた忌まわしき記憶、自身を一方的に切り刻み死の淵へと追いやった忌々しい鬼狩りの剣士、やはりこの男は奴と同質。何としても逃げなければ今度こそ終わる。

 

(ふざけるな! 私は鬼舞辻無惨だぞ! 永遠の命を持つ人を超えた完璧なる存在! それをこんな、こんな奴ごときに終わらせられて───なるものかぁ!!)

 

 

切り捨てられた四肢を繋ぎ止めず、新たな鞭を形成する。切られた手足を動かし、無惨は未だに宙に浮いているシュウジへ全方向からの攻撃を行った。技を放った直後、加えて宙に浮いている今なら此方の攻撃を避けられる術はない。

 

己の勝利を確信した無惨は笑みを浮かべる。全方向からの一斉放射、しかし無惨の攻撃はどれ一つも直撃することはなく、放たれた得物はそれぞれ宙でぶつかるだけに終わった。

 

その時、無惨は信じられないものを見た。目の前の男は宙に浮かんでいた筈、なのにあろうことかこの男は宙を蹴り、三次元の動きで無惨の放つ攻撃を回避して見せたのだ。

 

空中を足場にする人間など聞いたことがない。鬼にだって血鬼術でも使わなければ空を飛ぶことは有り得ない。やはり目の前の男は化け物だ。そんな無惨が無意識に畏怖を抱き始めている事など関係なしに──。

 

「人越拳───霞獄」

 

無惨の視界に映るのは無数の貫手、次いで爆撃の如く衝撃を受け、四肢をこれでもかと破壊されるが、鬼舞辻無惨は腐っても鬼の首魁とされる男。その再生力は桁並み外れており、上弦の規格外な回復力をも上回る。

 

更には心臓が七つ、脳が五つ、既に生物としての枠すらも超越しつつある。それが鬼の頂点こと鬼舞辻無惨なのだが。

 

「胴回十字蹴り」

 

 ───関係ない。いかに無惨が並外れた再生能力を持とうと、心臓や脳を複数持っていようと、一切合切無視した斬擊染みた打撃の連打乱打が無惨の体を悉く粉砕していく。

 

十字に切り裂かれた肉体、それでも再生する肉体。どんなに砕かれても無惨の肉体が朽ちることはないが、対称的に無惨の精神はゴリゴリと削られていった。

 

一方的、あまりにも一方的な戦い。此方の攻撃はその全てが見切られ、不意打ちをしても予め読んでいたように避けられ、四肢から生み出した口を使って奴の動きを阻害しようと空気を吸っても、何てことないように対処される。

 

避けられ、捌かれ、受け流され、繰り出した倍以上の攻撃を無惨は受けている。怒りは募り、爆発させてもまるでシュウジは風に揺れる柳の如く流すだけ。罵倒し、挑発した所でなに食わぬ顔で鼻で笑われた時は怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 

「クソォ! 当たりさえ、当たりさえすれば!!」

 

 無惨の攻撃、その全てには自身の体に流れる血を仕込んでいる。鬼にとって絶大な力となる劇薬だが、鬼になる余地のない人間にとっては最悪の猛毒。これを一度でも奴に当たれば、それだけで自分は勝利する。

 

すると、突然シュウジの動きが止まった。何故? 奴は未だに呼吸を乱している様子はない。戦いに疲弊した様子はないし、忌々しいことに奴にはまだ余裕があるように見えた。

 

「───当ててみろよ」

 

 笑った。攻撃が当たらない自分の攻撃に苛立つ無惨にシュウジは当ててみろと笑って見せた。明確過ぎる挑発、故に無惨を怒り狂わせるには充分な威力を秘めていた。

 

「~~~~ッ!! 後悔するがいい!!」

 

幾つもの触手を束ね、一本と槍と化したそれをシュウジに向けて放つ。触れた無限城の回廊を塵にするほどの大威力、触れるのは勿論かすっただけでも致命傷は免れないその一撃を。

 

シュウジは、真っ正面から受け止めた。同時に起きる爆風、無限城全体を揺るがすような衝撃に周囲の襖や回廊は吹き飛んでいく。

 

確かな手応えがあった。奴と戦って初めて味わう感触に無惨の口元が笑みで歪む。

 

「は、はは、ハハハハハ! やった、殺ったぞ! あの化け物め、調子に乗って自ら勝機を手放したぞ! 無様、余りにも無様! 所詮人間ごときがこの鬼舞辻無惨に挑もうと言うのが間違っているのだ!」

 

自分の一撃を受けたことで決着がついたと高笑いを上げる無惨、自身の内側から溢れる得難い狂喜に震え、その笑い声は無限城全体にまで及んだ。

 

「フハハハハハ、ハハハ…………ハ?」

 

 しかしその高笑いは数秒たたずに終わりを迎える。崩れ落ちる瓦礫、立ち上る煙の中から現れる男に無惨の笑みは凍り付く。

 

男、シュウジには傷らしい傷はなかった。ただ上半身の着物が弾け飛び、直撃した胸元に僅かな赤みを帯びた痣があるだけ。体に降り注ぐ瓦礫の欠片を手で払いながらシュウジは言う。

 

「鬼の首魁になって、完璧な存在になっても────たった一人の人間は殺せないみたいだな」

 

今のは紛れもなく、無惨が繰り出せる最大の一撃。人間が受けきれる威力ではない。なのに、目の前の男は何てことないように佇んでいる。

 

化け物。再三自身の口から出てきた罵倒の言葉、それが本当の意味で事実だった事に気付いた無惨は二の句も上げず逃げ出した。脇目も降らず、一心不乱に、全速力で無限城の中を駆け回っていく。

 

「何処へ行く気だ? ここはお前が逃げ込んだ場所だろ?」

 

当然のごとく、シュウジは無惨の背後に追い付いていた。この時既に無惨はシュウジを人間としてみなしていない。純粋なる化け物、自分達鬼やあの日の呼吸の剣士とも違う。根っこの部分が異なる怪物。

 

無造作に振るった腕の刃がシュウジに向けて振り放つ、しかし既にそこにシュウジの姿はなく、無惨のなけなしの勇気を振り絞って放たれた一撃は空しく空を切るだけだった。

 

「さて、そろそろあの女琵琶士も完治する頃合いだ。面倒になる前に………そろそろ終わらせるぞ」

 

前方から聞こえてきた声、反応する前に跳ね上げられる顎、視界がぶれて体が宙に浮く。その体感はまるで上に向かって落下している様だった。

 

目の前には黒い穴が広がっている。鳴女ではない、何なのだ、今、自分が目にしているモノは、事象は、一体何なのだ!?

 

困惑し、纏まらない思考、混乱する無惨は為す術なく黒い孔に呑み込まれ、次に視界に映るのは辺り一面雪に覆われた場所だった。

 

「ここは………さっきの」

 

 周囲を見渡すと無数に切り倒された木々、頭部と体を潰された鬼達の死体が横たわっており、向こうの岩壁には唯一残った上弦の兄妹が串刺しにされていたままの様子がそのまま残されている。同じ所に戻ってきた。混乱する思考の中で無惨が理解できたモノ、逃げられたのか? そう安易に考えたのも束の間、突然無惨の体にこれ迄感じた事のない圧が自身の体へ覆い被さってきた。

 

僅かな抵抗も許さない圧倒的な圧力、有無を言わさず地面に叩き付けられた無惨は苦悶の呻き声を上げる。

 

「ぬ、ぐ、ああああああッ!!」

 

どれだけ力を加えても体にのし掛かる圧は消えない。何故自分がこんな目に合わなければならない、自身の振り掛かる出来事に無惨はなんて理不尽なと憤りを露にする。

 

 そんな彼の頭上からこの数時間で忌々しく思えるほどに聞き慣れた男の声が聞こえてきた。

 

「さて、これで少しは静かになったな」

 

視線だけ声の方へ向けると、先程まで自分が通ってきた黒い孔から完治した鳴女の首根っこを掴み、破けた筈の着物を身に纏うシュウジが現れる。ブンッと腕を振り、鳴女を岩壁へと投げ付けると、隣の堕姫達と同じく無惨が切り倒した木を利用して鳴女を磔にし、身動きを完全に封じてしまう。

 

彼女の手には琵琶はなく、そして疲弊しているのか血鬼術を使う様子はなく、項垂れたまま動かない。暗に自身の逃げ場は何処にもないことを示している事に気付いた無惨は自身の完全なる敗北という事実に悔しさと怒り、そして憎悪に満ちた怨嗟の声を上げる。

 

対するシュウジは何処までも冷ややかだった。どんなに泣いて喚こうと此処から逃がすつもりはない、倒れ伏す無惨を見下ろしながら近くの切り株へ座り、己の運命を受け入れろと口にする。

 

(とは言え、コイツらどうするかなぁ、動けなくなった所で死ぬことはないみたいだし、夜ももうすぐ明ける。それまでに竈門家の人達の所へ戻りたいが………さて、どうしよう)

 

 残った鬼と無惨の処遇について考えていると、ふと背後から人の気配を感じた。

 

そう言えば誰かが近付いてきていたな。なんて思いながら視線を向けると、そこにいたのはこのご時世に帯刀をしている青年で、呆然とした様子で立ち尽くしていた。

 

刀を装備し、奇抜な羽織を纏う青年。その格好はどこか先日助けた女剣士と似ている。

 

「もし、そこの青年。ここは今、少々危険だ。悪いことは言わないから今の内にお山を降りなさい」

 

「────アンタは?」

 

呆然としている青年に声を掛けると、青年はビクリと肩を震わせてシュウジに視線と体を向ける。心なしか警戒している様子。

 

まぁ、それも仕方がないかもしれない。辺りは鬼の血で赤く染まっているし、端からみれば普通に大量殺戮現場だし、向こうの岩壁にはパッと見て人間の男女が串刺しにされている。その中で倒れ付している異形の化け物とそれを見下ろす自分を見れば誰だって警戒はするだろう。いや、凄惨な現場を前に失神しないだけこの青年は相当胆が座っているのかもしれない。

 

「自分はこの山にある炭造りを生業にしている一家のお世話になっている者さ、そこに転がっている男はそんな一家に押し掛け強盗を仕掛けてきた奴で、俺はそれを対処したってだけ。周りの死体は………まぁ、そこの男がやったと言ったら信用してくれるかな?」

 

「────」

 

事の顛末を簡潔に話すと、青年は目を閉じて静かに深呼吸を繰り返す。独特な呼吸法だ。体もかなり鍛え上げているみたいだし、もしかしたらこの青年は先の女性剣士と何らかの組織に属している人間なのだろうか。

 

「───俺の名は冨岡義勇。鬼殺隊の者だ」

 

「鬼殺隊、聞かない名だ。それが君の所属している組織?」

 

深呼吸を繰り返した事で落ち着きを取り戻したのだろう。最初に見た戸惑いの表情は鳴りを潜め、無表情になった義勇と名乗る青年。その見事な感情のコントロールにシュウジは彼をこの時代の工作員なのかと勘違いをする。

 

 鬼殺隊。その名前からして鬼を倒す組織なのだろう。これまで無惨とその手下達と戦っていたからコイツらが普通の存在ではない事はシュウジもまた察していた。

 

ていうか手下の鬼の何人………人? かは、血鬼術て言ってたし、多分鬼なんだなぁ位の認識で戦っていた。でも、幾ら鬼でも頭砕かれたら普通死ぬでしょ? コイツ等、普通に再生したんだけど? 的な事をふんわりとした説明口調で義勇青年に訊ねる。

 

義勇青年は一瞬目を丸くさせていたが、それでも平静を装って話を続ける。鬼は鬼殺隊がもつ日輪刀で頚を切るか、太陽の光を浴びない限り死にはしないと。

 

(なにそれ、鬼ってか吸血鬼じゃん)

 

脳裏に浮かんだ疑問をシュウジは口にすることなく呑み込んだ。この世界の鬼はそう言う性質なのかと一人納得したシュウジが腕を組んで義勇の話に聞き入っていると、今まで黙っていた無惨が口を開いた。

 

「鬼狩りめ、忌々しい異常者どもめ! 今更ノコノコなにしに来た!」

 

「!」

 

「貴様等はいつもそうだ! やれ親が殺された! やれ妹が、弟が、兄が、姉が、家族が、大切な人が殺されたと同じことをベラベラと! 何故同じことを繰り返す! 日銭を稼ぎ、静かに生きていけばいいだろう! 私と出会った不幸に嘆くのではなく、鬼舞辻無惨という大災に見舞われたと諦めればまだマシな生き方があると何故理解しない!?」

 

「!!!???」

 

 無惨が己の名前を口にした瞬間、冨岡義勇の目は大きく開き、その顔を一気に憤怒の色に染め上げる。腰に差した日輪刀を抜き放ち、無惨に突き付けて義勇が口にするのは彼がこれ迄抱いてきた怒りの雄叫びだった。

 

「ふざけるな! お前の所為でどれだけの人間が死んだと思っている!? どれだけの悲劇が、嘆きが、引き起こされたと思っている!? お前の所為で姉は死んだ! 祝言を上げて、幸せになる筈だった! 錆兎も、皆も、幸せに生きる筈だった!!」

 

それは冨岡義勇が抱いてきた感情の発露だった。怒りの雄叫びを上げて、これ迄自分を生かしてくれた人達を思い出し、涙を流す彼の姿にシュウジは何も言えなかった。

 

「お前が壊した! お前が殺したんだ!! お前が奪いさえしなければ、俺達は、俺達は………」

 

それ以上、義勇は言葉を続けられなかった。感情のままに言葉を吐けば、きっと取り返しの付かない事まで口にしてしまいそうで、これ迄の皆を貶してしまいそうで、義勇は溢れ出す感情を拳を握り締めることで耐え抜いた。

 

そんな痛々しい彼を宥めようと、シュウジは彼の肩に手を置こうとする。もう見ていられない、敵討ちをして彼の気が少しでも済むのなら、そうしてやろう。

 

 ───しかし。

 

「知ったことかァ! 何故たかだか百年も生きられない貴様等人間の事など考えなければならんのだ!? 貴様は道を歩くとき地に這う蟻に気を遣うのか!? 病に冒されたら死ぬ、転び、打ち所が悪ければ死ぬ。そんな脆弱で愚かな人間など、気に病む価値などあるわけなかろう!!」

 

「!!」

 

冨岡義勇の心の叫びを無惨は下らない戯れ言だと両断する。その心のない罵詈雑言に義勇は息を呑み、シュウジの手が止まった。

 

「何度も言わせるなよ異常者め! お前達の感情は取るに足らない戯れ言だと知れ! 何が殺し殺されただ! そんなに死にたくないのなら平伏し、地に這って命乞いをしろ! そうすれば助かった命もあっただろうに無駄なことをしおって! そもそも、貴様の姉を殺したのは別の鬼であって私ではないのだろう!? 私に擦り付けるのは筋違いだ馬鹿が!!」

 

 

人は、怒りの感情を振り切れると何も考えられなくなるのだと、この時義勇は知った。鬼を生み出したのは自分なのに、その生み出された鬼で姉は殺され、多くの人々が悲劇に見舞われたのに、この怪物はそれを頑なに認めようと………否、自覚しようとしない。

 

呆然自失となる義勇、立ち眩み、一歩後ろに下がりかけた所に………ふと、背中に暖かいものに支えられた。

 

振り返ると、いつの間にか背後に立っていたシュウジが義勇の背中に手を置いていた。暖かい、人の温もりに触れ、シュウジの笑みを見た義勇は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

そんな彼に満足したように頷いたシュウジは義勇に代わって前に出る。その際に見えたシュウジの表情は底冷えするほどに無感情だった。

 

「それがお前の理屈か鬼舞辻無惨。己を頂点に座していると豪語し、自らを完璧なる存在と語る。成る程、永い時間の中を生き続けてきた者としては当然の帰結だな」

 

淡々と、語りながら無惨へと近付いたシュウジは無惨の顔側へ腰を下ろす。先程よりも近い距離感、手を出せば直ぐにでも届く距離だ。

 

しかし、その距離がとてつもなく遠い。歯をギリギリと軋ませ、屈辱で怒りを露にしている無惨に対して、シュウジは冷淡に話を続ける。

 

「では、そんな君に質問だ。人を人と思わず、文字通り有象無象と断じているお前は、どうして生きている? 何を目的に生きている? 死にたくないから? 死ぬのが怖いから? 成る程それは当然だ。死に対する拒絶反応は命を持つ者ならば誰しもが抱く当たり前の感情だ」

 

これ迄の短い間で無惨が異常な程の生に対する執着を抱いていた事をシュウジは見抜いていた。部下の鬼達をけしかけ、逃げに徹する事で自分という脅威から逃げ延び、無限城という異空間へと逃げ延びた。

 

いざ自分と戦い勝てないと分かれば直ぐに逃げる。生き汚いとさえ思える無惨、この男は自らを千年生きる完璧なる存在と言っている。その位永く生きれば大抵は自身の生き方に自分なりの誇りを持つというのに、この男にはそう言った“矜持”がない。

 

自尊心の塊。傲慢で不遜な人間のエゴの塊。なのに超然とした生き方ではなく、何処までも生き汚いその在り方。この鬼舞辻無惨という鬼はある意味最も人間らしい生き物なのかもしれない。

 

故にシュウジは追い詰めることにした。精神的に、徹底的に、一切の情け容赦なく。

 

「だが、それは生きる者にとって前提条件であり理由ではない。今一度聞こう鬼舞辻無惨、お前は一体何の為に生きている?」

 

「な、何故そんな事を貴様に……」

 

「言わなくてはならない……か? 構わないさ。こっちは大体察しが付いているからな。────そうだな、例えばより完璧な生命体になる為に日輪刀や日光の克服の為」

 

「っ!?」

 

「そんな驚くような事じゃないだろ? そこの冨岡青年の言う通りならば、簡単に分かる話だ。お前達鬼は日輪刀と日光を弱点としている。その弱点を補い、日の下で自由に生きたい。それがお前の本当の願望だろう?」

 

 自分の永く追い求めていた野望、それが白日の下に晒されて無惨の表情が大きく歪み出す。怒りや羞恥心に染まる無惨を無視し、シュウジは話を続ける。

 

「では、そんなお前が何故日光を克服し、日の下で生きたいと願うのか。これも簡単、人を見下してきたお前がその実、誰よりも人間の暮らしに憧れていたからだ」

 

「!?!?」

 

「無惨が、人間に………憧れている?」

 

無惨は人間に憧れている。その事を告げられた無惨は目を大きく見開かせ、義勇は対照的に困惑した様に反芻している。

 

「本当に人間を見下しているなら、別に人間と同じ格好をする事もないだろ? だけど、竈門家に来たときのお前はこの時代にありふれた衣服を着てやって来た。それはつまり、人間社会に溶け込んでいたという事に他ならない」

 

「人間を見下している癖に人間社会の中で生きる。酷い矛盾、天の邪鬼も良いところだ」

 

人間を見下し、人間を嘲笑うのなら、人間と一緒に生きる必要もない。先の鳴女の血鬼術によって造られた無限城という異空間も有しているのだ。無惨が人間と一緒に暮らしていく理由なんて何処にもない。

 

日光のような弱点を持つ為に普段は無限城に引きこもればいいだけだし、無惨が自身を人間と偽って生きる意味は然程ない。であるならば、答えは自ずと限られている。

 

鬼舞辻無惨は人として太陽の下で生きていく事を望んでいる可能性がある。無惨に関する情報が少なく確実とは言えないが、それでも決して眉唾とは思えない帰結に義勇は息を呑む。

 

対して無惨は震えていた。てんで的外れな持論を突き付けられたから? 否、シュウジの出した結論に正しく己の核心を打ち穿たれたからである。

 

 鬼舞辻無惨は嘗ては人だった。生まれた頃から体が弱く、この世に生まれ落ちた時などは心臓が止まり、危うく死にかけた事があった。

 

それからも病弱と死は無惨にとって身近な存在となっていた。どんなに生きようとしても死が確実に付いて回っている。死にたくないと願ってもそんな心とは裏腹に自身の体はドンドン弱くなっていく。

 

そんな時、一人の医者が無惨の前に現れた。青い彼岸花という花を使った薬、それを以て漸く元気な体になれるのだと思っていた無惨は、この日怪物となった。

 

人から外れた力、それと引き換えに手放した日の下での生活。嘗て憧れた世界から完全に切り離されたという事実に打ち拉がれた無惨は衝動のままに暴れまわり、癇癪の末にその時の医者を殺した。

 

それからは自身が今度こそ日の下で生きられる為に無惨は永い時を生きてきた。使える奴は側におき、そうでないものは捨て駒に。青い彼岸花の情報と、日の光を克服する方法を模索し、後に組織された鬼殺隊から逃げ延び、生き汚いと罵られようと今日まで生きてきた。

 

 ────全ては、あの日屋敷の中から見えた元気に遊ぶ子供達の様に生きたいと願ったが故に。

 

「………黙れ」

 

「あ?」

 

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェェェ!!」

 

「!」

 

「貴様ごときが私の心を暴くな! 私の心を覗くな! 私の心を踏みにじって、そんなに楽しいか!? 嬉しいのか!? この、この、人でなしがぁぁぁっ!!」

 

 初めて耳にする無惨の泣き叫ぶ声に義勇は動揺が隠せなかった。鬼舞辻無惨は自分達鬼殺隊の全員にとって倒すべき仇敵、それが目の前では子供のように喚き散らしている。これが、自分達が倒すべき相手だったのかと衝撃を受ける義勇を他所に。

 

「お前にだけは言われたくねぇよ」

 

低く、冷たいドスのきいた声が無惨のわめき声を掻き消した。

 

「お前はこれ迄、どれだけ多くの命を蔑ろにしてきた? 自分の命惜しさにどれけの命を弄んできた? 気に入らないというだけで殺し、踏みにじってきた?」

 

「お前は言ったな? 知ったことじゃないと。その台詞、そっくりそのまま返してやるよ」

 

「ぐ、ぐぅぅぅぅ!!」

 

「人を殺し、命を弄んできたお前にくれてやる慈悲はない。それに───もう、終わりだ」

 

 ふと、東側から明かりが見えてきた。光だ。夜と言う帳が消えていき、空には太陽の光が伝わってくる。夜明けだ。暗い夜の終わりに義勇は心なしか安堵する。

 

辺りの木々は無惨の一撃で切り倒され、遮蔽物が殆んどない状態となっている。あと数刻も経たない頃に辺り一面は気持ちのよい朝日が浴びれる事だろう。

 

「い、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァァッ!! 私はまだ、死にたくない! 死ぬわけにはいかない!!」

 

太陽の光が徐々に顔を覗かせるなか、鬼舞辻無惨は死にたくないと泣きわめいて訴える。自分はまだ何も為してはいない、何も始めていないし、何一つ始まっていない。

 

なにもしていない死んでたまるか。そう足掻き、のたうち回ろうとする無惨だが………悲しい事に触手一つ動かす事は出来なかった。全身から掛かる圧力、見えない何かで押し潰される感覚に無惨の表情はより歪んでいく。

 

これでは体を爆発させて細胞分裂しながら逃げることも、体積を増やしてやり過ごすことも出来ない。迫り来る死、これまで遠ざけてきた死がすぐそこにまで迫っている。

 

「人を殺し、命を蔑み、見下してきた鬼よ。お前の末路はそんなものだ。何も残さず、何も果たせず、とっとと塵に還るがいい」

 

「!?」

 

それは、事実上の死刑宣告だった。何も残せず、何も成せず、何かをする事なく消えていく。言外に無駄な人生………いや、鬼生だと断じられた無惨は死より恐ろしいものを理解した。

 

このままでは自分は消える。跡形もなく、千年も生きたと言う事実も、その全てが消えてなくなる。そんなのは嫌だ。せめて何か、死は避けられなくとも形ある最期にしたい。誰かの記憶に残る終わりを迎えたい。

 

そう思い無惨が最期にすがり付いたのは、皮肉にも鬼殺隊の冨岡義勇だった。

 

「鬼狩り! 私を、私の頚を切れ! その刀で私の命を刈り取れぇ!」

 

「!?」

 

「そしてその手柄でお前の名を歴史に刻め! それが私の生きた証となる! それだけが私が残せる唯一の証明なのだ! 頼む! こんな訳のわからない死に方をさせないでくれぇ!!」

 

義勇は困惑した。自分達が倒すと決めた鬼の首魁が自分の足下で切ってくれと懇願している。避けられない死を前にせめて生きた証を残したいとせがむ無惨に義勇はどうすればいいか迷っていた。

 

倒すべき仇がいる。これで奴の頚を刎ねればそれだけで全てに決着が着く。───皆の無念を張らすことが出来る。

 

気が付けば、義勇は日輪刀を振りかぶっていた。皆の仇、涙を流し、血走った目で見下ろす義勇に無惨は救われたように笑みを浮かべる。

 

シュウジは………何も言わない。此方に背を向けている様子から完全に後の判断は義勇に任せるつもりなのだろう。シュウジも義勇の敵討ちに口出すつもりはない。

 

 これで、全てが終わる。そう思い手にした日輪刀を振り下ろす義勇の目に太陽の光が差し込んできた。

 

目が眩み、手が止まる。眩しいと目を細める義勇が次に目にしたのは………死んだ筈の戦友達だった。

 

皆、慈しみの笑みを浮かべている。この中には親友の錆兎や真菰の姿もあった。

 

“ありがとう”

 

“お疲れ、義勇”

 

それは太陽の光が見せた幻覚、しかしそれでも自分を労ってくれる戦友達と親友の言葉の意味を理解した義勇は無惨の頚を刎ねようとした手を止める。

 

そうだ。自分は敵討ちや鬼を殺す為だけに刀を手にしたんじゃない。悲しみを止めたいから、悲劇を食い止めたいから鬼殺隊に入ったのだ。あとに続く誰かに繋げるために、分不相応ながら柱へと至ったのだ。

 

その事を思い出し、同時に自分の役目が終わったことを悟った義勇は日輪刀を鞘に仕舞う。

 

「おい、何をしている鬼狩り、どうして手を止める? 何故私を殺さない!?」

 

「───いいのかい?」

 

 自分の思い通りに動かない義勇に激昂する無惨、喚く鬼の首魁を無視してシュウジが問い掛けると、義勇は涙を拭って………。

 

「あぁ、────もう、意味はないから」

 

意味はない。そう言い切る義勇に無惨は言葉を失った。

 

そうしている内に朝日は昇り、シュウジ達のいる場所も照らし出す。照らされた日光、それは瞬く間に無惨と他の鬼達を焼いていく。

 

鬼の死体は血の痕すら残さず焼失し、岩壁に刺さった男女の鬼達も消えていく。彼らもまた観念したのか、比較的大人しく消滅していった。

 

「あぁぁぁ、あぁぁぁぁ、あぁああああああああああっ!!」

 

 その断末魔は鬼舞辻無惨の最期の足掻きだった。何も果たせず、何も残せず、ただ人に悲しみを植え付けるだけの害悪、本当にやりたかった事も成し遂げられず、ただ悪意しか振り撒いてこなかった男はこの日、塵一つ残さず消滅していった。

 

太陽が顔を覗かせる。日が照らし、青空が広がるなか。

 

「錆兎、真菰、皆………終わったよ」

 

冨岡義勇は晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 




RTAならここでタイマーストップですが、残念ながらもう少しだけ続きます。

本当に少しだけです。フリじゃないからね!

それでは次回もまた見てボッチノシ

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