頬を撫でる風、青い空、豆粒みたいに小さくなった家。今ならムスカ大佐が言ったことにも納得できる。人がゴミのようだ。
「全てを一望できるこの感じ……最高だなギャラドス」
そう言って青い鱗を撫でてやると、ギャラドスは漢らしい雄たけびを上げてグルリと宙を一回転。やめんか酔う。
――空を飛ぶギャラドス、それに乗る俺。
この説明だけでわかると思うが、そう。俺はとうとうやり遂げたのだよ。夏油傑の捜索を始めるにあたり、コイキングをギャラドスに進化させることに成功したのである。これぞ特訓の成果、よくやったぞコイキング。俺の記憶上ずっと跳ねてるだけだった気もするけどよくやった。
だが不思議なことに数時間経つとまたコイキングに戻ってしまうという謎仕様。ポケモンって進化した後また戻るんだっけか? まあ進化できるんだったらそれでいいんだけど……ちょっとケチくさいよな。
因みにコダックの方もゴルダックへの進化が可能となった。でもやっぱりコイツもコイキング同様に数時間したらゴルダックからコダックに戻ってしまう。
もう進化したままでええやん。なんで戻すん? 戻すことに意味ある? 無いやん。やっぱりこの世界のシステムちょっと効率性に欠けるよな。
「お前もそう思うよな」とギャラドスの頭をペシペシ叩けば再び鳴き声を上げてジェットコースターのごとくグルグル回りだす。吐く吐く吐く吐く……!
ギャラドスの空中ジェットコースターグルングルンの餌食になり、無事グロッキーを迎える俺。そんな俺に追い打ちをかけるかの如く、急にギャラドスが下へと急降下。全身にフワリと気持ちの悪い浮遊感が襲う。
おまっ……後で覚えてろよ…………!!!
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桜の花は散り、緑葉が姿を見せ始めた五月下旬。春の終わりと共に夏の訪れを感じさせる軽暑に、呪術高専二年の七海建人はうんざりとした表情を浮かべた。
春は嫌いだ。新学期やら何やらでドタバタして良い思い出は無い。
夏は嫌いだ。蚊が鬱陶しいし、何より暑い。
秋は嫌いだ。春同様花粉が激しい。
冬は嫌いだ。単純に寒い。
春夏秋冬、七海のお気に召す季節は存在しない。適温に満たされた室内でノンビリと本を読むのが一番である。こういう日は家で好物のカスクートとコーヒーを嗜み、優雅に読書を楽しみたい。
しかし任務は任務、今日も呪霊跋除のために愛用の呪具片手に帳を下すべく詠唱を口ずさむ。
薫風が鼻を掠め、木洩れ日が揺れる中、ふと上空に現れる黒く小さな球体。詠唱が進むと共にソレは拳一つ分膨れ上がり、やがて水を入れ過ぎて限界を迎えた水風船のように破裂。そのままドロドロと空への浸食を進めていく。
太陽の光が遮断され、場は暗闇に包まれる。
――刹那、強大な呪力の気配を察知。
すぐさま気配の方向へと目をやり臨戦態勢をとる。いつ、どんな状況でも対応できるよう呪具と身体に呪力を纏わせ、神経を尖らせる。
しかし七海の目に映ったのは事前に知らされていた呪霊とは明らかに違う、近くの木が小さく見える程の巨大な青竜だった。その上には黒いTシャツにリュックサックを背負った男が一人。こんな男補助監督の報告にはなかったはずだ。
「……誰だ」
緊迫とした空気の中、七海は生唾をゴクリと飲み込みおそるおそるそう尋ねる。しかし男が口を開くよりも先に今回跋除する予定だった呪霊が姿を現した。スライムのようなぐにゃぐにゃとした見た目に大量の目玉。間違いない、今度こそ本物だ。
予想外の展開が立て続けに起こる中でもなんとか冷静さを保ち、呪具を構える。
だが男はそんな七海を静かに制す。そして右手を少しだけ動かし、青竜に合図を送った。
するとどうだ、青竜は鋭い牙を覗かせながら空気を肺一杯に吸い込み始める。
何が始まるのだと釘付けになっていると、青竜の口付近に光が集まり始めた。暗闇で一際眩く揺れるその光は目玉の呪霊に向く。
途端、辺り一帯が白い光に包まれたかと思うと、耳をつんざくような汚い悲鳴が響き渡った。
バキッ、バキッという木々が軋み、折れ、倒れていく音がする。
しばらくして目が慣れ、辺りの状況を確認できるようになる頃には呪霊の姿は見当たらず。代わりにボロボロになった木々を背景に佇む青竜と男のみ残されていた。
――規格外すぎる。
七海の脳裏に先輩である五条と夏油の姿が浮かぶ。
同じ匂いを感じた。規格外で、歪んでいて、イカレていて。この男からは、彼らと同じ匂いを感じる。
目の前に突如として現れた想像を絶する強大な力に言葉を失い、思考を停止させ立ちすくむ七海。そんな彼に対し、男はゆっくりと口を開く。
「――夏油傑という人間を、知っているか」
その口から紡がれた名前に、七海は思わず目を見開いた。
何故ここで彼の名前がでてくるのだ、と。しかしいくら考えようとも答えはでず、疑問ばかりが蓄積されていく。
聞きたいことは山ほどあるものの、男から発せられる威圧的な空気がそれを許してくれない。だがこのままだんまりを決め続けるのは愚策だ。
七海は意を決し、声を発した。
「あの人に、何の用だ」
沈黙。
風の音も、草の音も、パタリと聞こえなくなった。身体にヒシヒシとのしかかる圧倒的なプレッシャーに瞬き一つできない。
男が質問に答える様子はなく、鋭い瞳でただただ七海を睨み続けるばかり。無言の重圧がより一層不安をかきたてる。
「また、会おう」
ふと、男がポツリと呟いた。
その言葉に呆気にとられる七海であるが、そんな彼を他所に男は再び青竜に跨る。
颯爽と現れ、颯爽と去っていく男の影を、七海は茫然と眺め続けた。