青の日   作:アンタンポン

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隣の席のセシリア・オルコット

 

 

春の風は、少し甘くて、どこか切ない。

 

窓の外では、桜の花びらが校舎の影に吹き寄せられ、くるくると回りながら、誰にも気づかれないまま地面に落ちていく。

ああ、なんだか、それを見ていたら、僕は自分のことを思い出してしまった。

 

──きっと、僕もそんなふうに誰にも気づかれないまま、どこかで静かに、地面に落ちていくんだろうな。

 

「……ねえ、あなた。聞いていますの?」

 

不意に、隣の席から声がした。

淡く透き通った、でもどこか芯の強さを秘めた声。僕は、咄嗟に体を揺らした。

頭の中から引っ張り戻されたような感覚だった。

 

「え、ああ……ごめん、なんて?」

 

そんな僕の惚けた返事に彼女は深くため息をつく。

 

「本当に、あなたという人は……。さっきからIS操縦演習の説明をして差し上げていたのですよ」

 

「……ああ、そうだったんだ」

 

「……ほんとうに、聞いていませんでしたのね」

 

少しむくれたような、でも心底呆れたような表情で彼女は僕を見た。

可愛らしいその仕草が、僕にはどこか新鮮で、不思議に胸がざわついた。

 

──彼女は、どうして僕に話しかけるんだろう。

 

セシリア・オルコット。

世界で名を馳せる英国代表候補生。気高く、美しく、誰もが彼女に憧れていた。彼女自身も、それを理解した上で、気高い態度を崩さない。常に完璧であろうとするその姿勢は僕の目には痛々しくすら写った。

 

でも、どうしてか──僕にだけは、少しだけ、違う顔を見せるようになっていた。

 

「ねえ、あなた。ほんとうに、IS操縦者としての自覚はありますの?」

 

「……ないかも」

 

「はあ…自覚を持ちなさい。あなたは世界で二人目の男性操縦者。周囲の期待を背負うのと同時に、責任も持ち合わせていなければなりません」

 

「それ、全部……僕に必要なのかな」

 

思わず、そんなことを口にしてしまった。

 

セシリアは、少し驚いたように僕を見つめた。

僕自身も、どうしてそんなことを言ったのか分からない。だけど、本当はずっと思っていた。

 

期待されることに、押し潰されそうになる。

彼女のようにはなれそうになくて、彼女の言う期待や責任というのは顔も知らない誰かのためにあって、実感の湧くものではなかった。

 

「僕はさ……本当は目立ちたくないんだよ。できれば、誰の記憶にも残らないで、静かに生きていたいんだ」

 

「……でも、あなたは選ばれてしまったのでしょう」

 

「うん、たぶん、そうなんだろうね」

 

苦く笑う僕に、セシリアは、ほんの少しだけ声のトーンを落とした。

 

「……私も、似たようなものですわ」

 

「え?」

 

「私は、家のために、国のために、ずっと『完璧な貴族』を演じてきましたわ。選ばれた、なんて……大したことじゃないのよ。たまたま……それだけ」

 

「たまたま……か」

 

「ええ。でも、それでも私は『たまたま』を手放したらいけないって、そう思ってきましたわ」

 

彼女の視線は、いつの間にか遠くの窓の外を見つめていた。

その横顔は、とても綺麗で、でもどこか寂しそうだった。

 

***

 

放課後。空がだんだんと暗くなる頃、僕は、ひとり屋上にいた。

 

雨が降り出しそうだった。いや、ぽつりぽつりと、すでに降り始めている。

 

制服の袖が、じんわりと湿っていく感覚。冷たいのに、不思議と、その冷たさを僕は心地よく感じていた。

 

昔の話、雨の日に一人の少女と出会ったことがある。

 

彼女は泣いていて、誰にも気づいてもらえずに、迷子になっていた。

泣いている彼女をなんとなく放って置けなくて青い薔薇のブローチを渡した。なんてことないただの露店でなんとなく買ったブローチだった。

 

──きっと、あれはあの子にとっては小さな出来事だったかもしれない。

 

でも、僕にとっては──その日を、ずっと忘れられないでいる。今でもたまに思い出すのだ。

あの子は元気にしているだろうか。もしかしたら僕の初恋だったのかもしれない、なんてことを考えてしまう。

 

「……あなた、またここにいたのね」

 

振り返ると、そこにセシリアが立っていた。

 

手には閉じた傘。

差さずに、彼女も濡れていた。

 

「雨、嫌いなんじゃなかったの?」

 

あんなに髪の毛のセットが崩れるから嫌いですわ、なんてぼやいていたじゃないか。そう言外に僕が尋ねると、彼女は小さく肩をすくめた。

 

「……今日は、いいの。どうせ、もう少し濡れたって、大したことはありませんわ」

 

そう言いながら、彼女は僕の隣に立った。

雨の匂いと一緒に彼女のふわりとシャンプーの香りが鼻に抜けた。

 

「ねえ、あなたは、雨の日って……怖くないの?」

 

「怖くはないけど、少しだけ寂しくなる」

 

「どうして?」

 

「雨って、ほら、世界がぼやけるだろう? 誰がどこにいるのかも、はっきり分からなくなる。……僕、あんまり人と強く繋がっていないから、雨が降ると、僕がいまどこにいるかわからなくなるんだ」

 

「……あなた、ほんとうに変わってますわね」

 

セシリアは呆れたように笑った。だけど、その笑いはどこか温かかった。

 

「……私、雨の日に迷子になったことがあるの」

 

ふいに、彼女が話し始めた。

 

「小さい頃、くらい場所で一人ぼっちだった。周りにはメイドたちが控えてくれていたけれど、結局私は1人なんだって蹲っていましたわ」

 

「うん」

 

「雨が降っていて、とても怖かった。周りから誰もいなくなるんじゃないかって、全部私のせいなんじゃないかって。頭の中がこんがらがってわからなくなってた」

 

彼女の声が、少し震えていた。

 

「けど、そんな時、男の子が私が泣いてるのも構わずに、いきなりブローチを渡してきたの。小さな青い薔薇のブローチですわ」

 

変な子でしょう?とセシリアは笑った。

雨が怖いなんて語る彼女ではないかのように明るく笑った。

 

僕は、静かに息を飲んだ。

 

──覚えてくれていた。

 

「私、ずっと、それを捨てられずにいるの。まるで……その人を、いまだに探しているみたいに」

 

セシリアは、僕のほうを見ない。

 

「ねえ。もし私がその人を見つけたら、私はどうすればいいと思う?」

 

僕は、少しだけ考えて、ゆっくり答えた。

 

「……見つけたら、そのブローチは返さなくていいと思うよ」

 

「どうして?」

 

「たぶん、その人は、君に持っていてほしくて、あげたんだと思う。返してもらうためじゃなくて」

 

セシリアは、しばらく沈黙した。

 

そして、静かに笑った。

 

「……あなた、少しだけ、優しいですのね」

 

「少しだけ、ね」

 

僕たちは並んで、しばらく雨に打たれ続けた。

 

たぶん、これが今の僕たちにとって、精一杯の距離だった。

あの青い日を、まだ、僕は覚えている。彼女にはよく青が似合うのだ

 

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