六月の終わり、雨が上がった。
あんなに続いていた梅雨が、まるで名残惜しむように、最後の細い雨を降らせて去っていった。
放課後の校庭は、夕陽に染まっていて、濡れた芝生がきらきらと輝いていた。
僕とセシリアは、いつもの屋上にいた。
だけど、今日の屋上は、ほんの少しだけ違っていた。
雨が、もう降っていなかったからだ。
「……ねえ」
セシリアが、静かに僕を呼んだ。
「私、あなたに……ちゃんと話したいことがあるの」
彼女は、まっすぐに僕を見ていた。
その瞳の奥には、もう迷いがなかった。
「私、もしかしたら貴方がブローチをくれた彼なんじゃないかって…彼みたいにとても優しい貴方が彼だったらいいなって」
僕は、はっとした。
「でも、私……ずっと確かめるのが怖かったの。もし違ったら、どうしようって。……もし、私だけが、勝手に覚えていて、勝手に期待していたら、どうしようって」
彼女は、制服のポケットから、あの青い薔薇のブローチを取り出した。
「でも、あなたは……私のことを、ちゃんと覚えていてくれた」
「……セシリア」
僕は、何か言わなきゃいけない気がした。でも、言葉が出てこなかった。
彼女は、ほんの少し、寂しそうに微笑んだ。
「ねえ。あなたは、どうしてあのとき、私にブローチをくれたの?」
どうして、なんて──考えたこともなかった。
ただ、泣いている女の子がいて、泣き止ませたくて、ポケットにあったブローチを差し出した。
あの日、僕はただ、どうしようもなく、彼女を笑わせたかっただけだった。だって、彼女に、似合うと思ったから。
「……セシリアが、泣いてたから」
そう僕は、静かに答えた。
「それだけ?」
「うん、それだけ。でも……あのとき、セシリアが笑ってくれたのが、すごく嬉しかった」
彼女は、ふっと顔を伏せた。
「私……貴方がいてくれたから、ここまで来られたんだと思う」
「……」
「負けたくないって思った。誰にも、負けたくないって。周りの大人や他のIS乗りに負けないように。それでいて、貴方に、恥ずかしくない私でいたかった。強い私で、いたかった」
彼女の声は、少し震えていた。
「でも……もう、いいかなって、思うの。私、貴方の前なら……弱くてもいい、って」
「セシリア……」
「貴方に、守ってほしいって思っても、いいのかな」
彼女は、初めて、ほんとうに素直にそう言った。
「……うん」
僕は、ゆっくりと、頷いた。
「ずっと、守りたいって思ってた。あの日から、きっと、ずっと」
「ほんとに?」
「うん、ほんとに」
「嘘ついたら、怒りますわよ」
「嘘じゃないよ」
彼女は、青い瞳に薄らと涙を滲ませて、安心したように、小さく笑った。
「ねえ」
「ん?」
「私、貴方の隣に、いてもいい?」
「もちろんだよ」
「……ずっと?」
「ずっと」
その瞬間、セシリアは、僕の腕にそっと触れた。
「……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
僕たちは、並んで、夕焼けに染まる空を見上げた。
あの日の、青い空。
あの日の、青い薔薇のブローチ。
すべてが繋がって、すべてが、今、ここに戻ってきた。
きっと、忘れることはあるだろう。
きっと、離れる日も来るかもしれない。
だけど、それでも。
──あの青い日を、まだ僕は、忘れていない。