荒く、鎧のような毛皮の隙間から熱を暴れさせる炎の獣が目の前にいた。
一飲みで自分など丸ごと食われそうなほどの巨大な顎が開くと、業火が燻っているのが見える。
ああ、これからこいつと俺は戦おうとしているのか。
バカみたいだ。一体何をしているのだろう。
考える前に体が動くなんてやっぱりヒーローたちはどこかおかしい。死ぬのは、誰かが死んでしまうのは恐ろしいことだろうが!
でもだからこそ、俺が殺して狩り尽くさなければ。
手に馴染むノコギリ鉈は頼もしい。これをくれた彼らのことをこれ以上、亡者とか死者だとか呼ぶのはやめておこう。まぁ見た目はどう見ても不気味な死者ではあるから……そうだな。使者とでも呼ぼうか。
そんな風に考えていると、凄まじい瞬発力で巨体が目の前に迫る。
「狩峰くん!危ない!!」
緑谷の忠告も聞いた後に動いていたなら死んでいただろう。
すでに無意識に動いていた体は即座に斜め前へとステップを踏み込み、そして抜けざまにノコギリで削っておいた。後ろ足をまるで馬のように放ってきたかと思えば、それは銃撃で迎え撃った。
タイミングは完璧であったが、相手も体重を乗せた一撃ではない。互いに体幹は崩さずに間合いを図る。
自分の応戦した姿を見て、やはり援護しようかと動き始めていた同級生たちは動きを止めた。見守ってもいいかもしれないと、彼らの中に考えが浮かぶ程度にはしっかりと戦えていたらしい。
「や、やはり一人で戦うというのは無茶です!援護させてください」
「いや、今だけは頼むよ百ちゃん。男が一世一代の大勝負をしようとしてるんだぜ。見ててくれ」
「そんな、そんなのは……どうしても今やることでしょうか?」
「絶対死なないから、頼むよ。ここで戦えないと、ダメなんだ」
絶対に引かないという意志を目線に乗せれば、抗議の言葉は止まってしまった。そうだ。自分も何度も諦めさせられてきた。言葉で説得するよりもよっぽど効くと嫌というほど知っている。
もう!という言葉と共に、彼女は遠距離から見守る方向で、装備を整えるようだった。大口径の対戦車ライフルみたいなものが見えた気がしたけれど、大丈夫かこれ。
「早めに片付けないと、諸共ミンチにされそうだ。それにしてもさ、ちょっと凶悪な顔面すぎないか。ハウンドドッグ先生に口輪のおすすめ聞いとかないと」
全然笑えないが、それでも軽口を叩こうという意志を示す。昔から、戦争映画の中で兵士たちがなぜあんな無駄口を叩くのか疑問だったけれど今わかった。
そうだ。笑いとは人と獣を分つものの一つなのだ。ユーモアなき世界に平和はないという言葉にはきっといろんな意味が宿っている。
一合、二合と命のやり取りを乗り越えて、狩りの夜を継続する。どんどんと体は動かしやすくなってきた。
「すごい……。動きに無駄がない。いつもの狩峰くんだ!」
「いえ、淡輝くんはいつもよりだいぶテンション高いです。全然、いつも通りじゃないですよ」
俺に詳しい批評家が多いが、しかしその指摘はもっともだろう。まだまだ自然体とは言えない。もっと無駄を削っていかなくては死ぬ。
ああ、怖い。本当に恐ろしい。敵の武器をよく観察するほどに背筋がぞくりと音を立てて折れそうになる。
口を開いた瞬間、牙が見えた。犬らしい犬歯は恐ろしいが、何故か奥歯は人間のような形になっておりグロテスクさが際立っている。
肉を噛みちぎるために生えたというより、砕くための臼だ。あれに噛まれたら全部持っていかれる。
想像しただけで、こちらの奥歯が噛み合わなくなる。唾が出ない。喉が渇く。
だからこそ、その大いに開かれた口腔にノコギリ鉈を突っ込んで、思い切り引き切った。盛大な血飛沫と共に白い輝きが飛び散る。
まるで火山の噴火のように、赤と橙が混じり合った奔流が天井まで届いた。
上出来だ。あまりに上手くいっている。だってやり直しが前提の自分の戦い方では、初見では何もできずに死ぬことも多いから。
だから、背中を盛大に爪によって抉られることくらいは軽傷だ。
遠くから悲鳴が聞こえる気がする。それでも、戦わせてくれるのはありがたい。
そうして次に見るのは、今まさに自分の背中の肉を引っ掛けたばかりの爪だ。 地面に触れた爪先が、石を削って火花を散らす。先ほど皮一枚と肉を何層か切り裂かれた感想としては。斬撃というより、持っていかれる感じである。皮膚も、筋肉も、つながっている感触ごと。
まだ抉っていない方の前足が血を求めて差し出される。連撃のようなその猛攻を捌きながら、隙を伺い。先ほど飛び散っていた牙のひとつを投げナイフのようにして相手の眼球へと投げ入れる。
嘘だろ。一発で、目に当たった。こんなことある?
ビンゴ。ジャックポット!キャリーオーバーだこれ!
その隙に、伸びている前足の関節へと変形攻撃を叩き込む。遠心力によって力を増した鉈状のノコギリが、その重量で関節を壊した。盛大に返り血を浴びながら、こうして良かったと心から思う。
無駄に残酷で不必要に血を撒き散らすことは今までもしたことはあるが、脅し以外に理由はなかった。でも今ばかりはして良かった。
何故なら直後に、凄まじい炎に炙られたから。全身を獣の血で濡らしていなければ一瞬で燃えていたかもしれない。
全身が焼ける。眉が消え、まぶたがくっつきそうになる。帽子がなければ髪の毛は無くなっていただろう。致命的な炎の直撃を無視して、相手の背後に向かって全力の振り下ろし。
鈍い音がして、尻尾がちぎれ落ちる。相手の態勢が大きく崩れる。それでも獣は勝ち誇ったように牙を覗かせた。
なんだ、結構可愛いところがあるじゃないか。 轟が以前にやったように、熱は容易に肺に入る。息を吸った瞬間、内側から焼かれる。喉が、気管が、肺胞が、一気に使えなくなる。
獣にも経験則からくる知恵のようなものはある。きっとそこで死ぬと思ったのだろう。
だけれど俺は止まらない。命が尽きるまでに、相手を殺し切ってやる。
その隙だらけの胴体へと火傷で爛れた手を伸ばして奥の方まで掴み取った。腕を引き抜くと、臓物が尾を引いて躍り出る。
叫ぶ獣を一切気にせず痛みを自覚する前に、動き続けて切り刻む。相手を傷つけるほどに、なぜか動けるようになっている。
はは、何故か自分の腕が綺麗だぞ。
敵も自分もこの場所も、全てが恐ろしいが、一歩も引いてやる理由はない。
引けば死ぬし、臆せば死ぬし、何もしなくても死んでしまう。
じゃあ殺してやればいい。
するとあまりに乱雑な攻撃を嫌がったようで、番犬が今度は無事な牙を使って噛み付いてきた。しかし、すでに動きに精彩はない。本来なら自分ももう動けなくなっているはずが、何故か体の調子がいい。
こうして目の前で間一髪の場所を噛まれると思い出すことがある。
たまに見る夢。どこか知らない病棟のような場所で、自分は手術台のようなところに寝ている夢だ。
そうしていると、使者たちが自分を祝福し。そしてやがて血の沼から現れる恐ろしい獣が自分を丸呑みにしていく夢だ。
いつも噛み砕かれていく悪夢であるのだが、今回はそれを再現するつもりはない。
沸騰するかと思うほど血潮が熱い。そうだ。血を燃やし獣を拒絶する。
それが狩りのやり方であった。
耳の奥で、血が脈打つ音がやけに大きく聞こえる。
自分の鼓動か、獣の最後の残響か、もう区別がつかない。遠くで誰かが叫んでいる気がした。
名前を。
俺の名前を呼んでいた。
でも声は、血と肉の層に遮られて、ひどく歪んでいた。まるで水の底から聞こえてくるみたいに。
俺はゆっくりと顔を上げた。目の前に広がるのは、崩れ落ちた巨体の残骸とその周りを埋め尽くす臓物の丘と、どす黒く煮えたぎるような血の海だった。
血で血を洗い、そして臓物を敷き詰める。屍山血河のその果て。母なる海に漂うようにしてようやく明確な意識を取り戻した時には世界が真っ赤になっていた。
何度も叫んでいた百ちゃんもすでに黙ってしまっている。ドン引きという擬音が聞こえてくる気がするが、まぁ言い訳のしようもない。
体から力が抜けるように倒れ込んだ。
ああ、やばいな。貧血だ。ていうか失血か。体を支えていた脳内麻薬が急速に切れていくのを感じる。
燃えるように熱い臓物のカーペットに倒れ込み、それでもどうにか口内を噛み切って意識保っておく。
夢の中で寝ることが夢の終わりになってしまうというのは定番だから。
「もうもう!一体どんな戦いですの!?今までみたいに無傷で終わらせると思っていたのに!心臓が4回は飛び出るところでした!」
「おい、七光りのクソ。なんで傷が治ってる。説明しろコラ。てめえまで個性隠してたんじゃねえだろうな」
「失血しすぎですね〜。止血しますから動かないで欲しいです。飲みたくなっちゃう」
ぎゃいぎゃいと心配や抗議をしてくる友人たちの姿に心を温めつつ、淡輝は初めて自分が本当の意味で戦いに勝利したのだと自覚した。
最後の力を振り絞り、右手を高く掲げておく。
憧れのあの人のように少しでも、一時だけでもなれたかもしれないと。恩師に報告するように、虚空に拳を掲げるのだった。
100話目にしてようやくノコ鉈振ってるブラボ二次があるらしい。うそだぁ。
ここまでお付き合いいただき感謝です!!
これからも書いていきますよ〜!