「ヴィランとは一体なんだろうね?」
たまに脈絡のない質問をするのが先生の癖だったと思う。自分の中で完結して、人への配慮がない。そんな姿が常に目線の先にあった。けれどそれが当たり前で、こう振り返ることができるようになるまでは疑問にも思わなかった。
「死柄木弔。君の新しい名前だよ。自由に生きるといい」
そう言われて生き始めてから。いやその前からずっと、体が痒かった。
だから掻きむしる。血が出るまでやっていると何か楽になった気がして今もやる。
昔、誰かに止められてたことがあったっけ。よく覚えてはいない。
はっきり覚えているのは先生の言葉だ。
「好きにするんだ。自分の思うようにやっていい。大丈夫さ。痛ければ後で治してあげよう。自分を傷つけたって、人を傷つけたっていい。自分らしさを大切にしていればきっと幸せになれる」
思うがままに壊して、そして傷つく日々。
記憶があるのは破壊と衝動の毎日からだった。それより前にもきっと生きていたはずだけれど忘れてしまった。
個性は『崩壊』。5本の指で触れたものを塵にするこの個性は、鉄だろうがなんだろうが関係がないけれど強度によって時間がかかったりする。
「いいや。それは君の思い込みだよ。本来その力には対象の物質の違いなど関係がない。鉄は頑丈だと思っているから時間がかかるし、生き物は脆いから早く崩れる。そんなイメージができているんだ。弔、君は全てを壊せる。それだけの力があるはずだ。僕を信じて、やってごらん」
個性の練習をある程度していれば他は自由だった。先生はかなりゲームをやっていて、凄まじく上手い。それでいてなぜか、ゲームをしている時がもっとも不機嫌でもあった。
「ゲームはね。嫌いなんだよ。有効だからやっているだけさ。対等で勝負がわからないというのはストレスさ。どんなキャラクターであっても現実の私よりも自由度は低い。自分で自分を縛っているようなものでね。それでも役に立つからやっているのさ。君の訓練と同じだよ」
個性の訓練は辛かったが、仕方なくやっていた。先生は個性をいじる時には楽しそうで。ゲームをする時には耐えている。俺と真逆だった。
この話を聞いてから、先生の言うことが段々と馴染んできた気がする。
『崩壊』の力が強くなりよくゲームを壊した。コントローラーは全然保たない。
何かを握ることができないというのは不便だが。崩壊の力を強くするために訓練や実験をすることはあっても制御は全く教わっていない。
「いいかい弔。君の個性は触れていないものでも壊せる。だいたい、物体は原子同士がつながっているように見えるだけで個別のものだ。それ以上に、ほらこれを持って」
投げられたペットボトルを受け取ると、その外側が崩れて中の水が床へと落ちる。
バシャリと濡れたその状態は、まるで人を崩した時のようだった。先生の話は難しくてよくわからない。勉強は嫌だからしていない。必要ない。
「よく考えるんだよ。ペットボトルのラベルやフタは原子の結びつきすらない。なのに一体となって壊れた。君の個性は正確に言えば、塵のような状態を経由した、物体の窒素への変換だ。それが結合していない物体にも伝播している。君はもっと多くを壊すことができるはずだよ」
「でも、触ってないのに壊せないよ。それに、もしできたら。世界ごと壊れちゃう」
そういうと、先生は感情を失ったように上機嫌のフリをやめて聞いたことのない声を出した。
「昔々、初めて核兵器を開発したものたちも同じことを恐れたらしい。核分裂の連鎖が空気にまで起こったらどうなるか?小規模な実験のつもりが、世界の大気全部を爆弾に変えるような破滅的な行いであったならどうすると」
その人たちはどうしたんだろう。
「実験はされたよ。そして世界は無事だった。事前に計算して安全だったからやったと言っているが、それでも僕はね。違う意見を持っている」
「きっと、彼らは見たかったんだ。物質の根源にある力の解放を見てみたかった。桁違いの花火を人類で最初に上げたかったという衝動を抑えきれなかった。彼らはそれが気になって、考える前に結論を出していたんだ。後から理由をつけるのが上手いのも、科学者というものらしい」
やりたいならやればいいのに。そう思えた。
「難しい話になってしまうね。今日はもう休むといい。君はヴィランとは何かいつかわかるはずだ」
食べて寝て壊して、そしてゲームをする。
先生の話は難しいけれど、聞いていたかった。あの声を聞くと安心する。
そんな生活がずっと続くと思っていたのはなぜだろう。でも日常は唐突に終わった。
「死柄木弔。今すぐに移動します。彼が消えました。彼が残したバックアップとともに、中国へ。今すぐに!」
あの先生が負けたとかいう嘘を聞かされて、なぜ暴れないと思ったのだろう。しかし、すぐに止められて無理やり黒霧のワープに押し込まれた。触れない相手は壊せない。手のひらで掴めば壊せるのに、拳を振るっても何もできない。
俺は無力だと、そこで最初に気づいた。先生が無敵じゃないという現実をなぜかすんなり受け入れることができたのは、最初からそう思っていなかったからかもしれない。
気分が悪く大いに暴れはしたが、それでも最後には受け入れた。
世界の全てだと思っていた先生は、意外にも小さくてそして完璧でないと見て分かってしまったのだ。
「やあ弔。こんな姿になってしまったよ。そしてこの半年の記憶はない。因子を分けた時の記憶を引き継いでいるからね。僕らはどんな会話をしていたのか、必要なことがあれば話してくれ」
「俺に個性を与えてくれる約束だった。そろそろ戦うからって」
思いつきで先生に初めて嘘をつく。今までは嘘をついても全部バレていたから意味がなかったけれど、今は最低限の個性しかないはずでそれを知っていた。というか見ていればわかる。
培養槽から予定より早く出されたことで、肺の機能が低いらしく人工呼吸器をつけている。そして頭部の感覚器もまだ完成していないようで、口以外はのっぺらぼうのようになっていた。
先生をここまで追い詰めたオールマイトに憎悪が募る。そうだ。いつもヒーローが邪魔をする。
ヒーローが邪魔だ。
あれなんで昔からヒーローが嫌いなんだっけ。
そうしているうちに戦争が始まり、また逃げ出す羽目になる。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
「なぁ弔。こんな話を知っているかい」
100年ほど前、アメリカのとある街には非常に強いヒーローがいた。
彼の名はミスター・インポッシブル。止められないものを止め、助からないはずの人間を助ける男だった。
ある日、彼は高層ビルから身を投げようとした男を見つける。
躊躇はなかった。落下寸前の身体を掴み、地面へ叩きつけないよう、全身で受け止める。下方向への加速を横へとどうにか変更してビルに突っ込んだ。
結果、男は生き延びた。全身を骨折はしたが、命に別状はなかった。
当時はその功績が報道され英雄のお手柄としてメディアも扱っている。けれど風向きが変わったのは数日後。
ミスター・インポッシブルは訴えられる。救ったはずの男が訴訟を仕掛けたのだった。
理由は単純だった。
「自分は死ぬ覚悟で飛び降りた。あの行為は救助ではなく、人生への介入であり暴力だ。結果として自分はあらゆる能力を奪われた!」
助けられた男は、重度の後遺障害と精神的苦痛を理由に、ヒーローを相手取って訴訟を起こしたのだ。裁判は混乱する。ヒーローは命を救った。だが、本人の意思を無視したとも言える。
結果として、社会は一つの結論に傾く。ヒーローの善意は、常に正義とは限らない。ミスター・インポッシブルは敗訴する。
以降、ヒーロー活動は制限され、登録制・管理制へ移行し始めるきっかけになる。勝手に助ける英雄は姿を消していった。
ミスター・インポッシブルも当然ながら表舞台を去る。彼が活動していれば救えたであろう命は失われていくが、市民たちがそれを選択したのだった。
判決の翌日にはすでに、なぜヒーローは助けないんだと別の被害者は声をあげることになっていたのは皮肉だろうか。
「さて、君はこの話を聞いてどう思う?」
「別に、どうでもいい。それよりUAIだ。あの連中が調子に乗って世界を自分のものみたいにしてる。見ててイラつくんだ」
「ヴィランとヒーローの何が違うのだろうね」
先生も俺も人の話を聞かない。勝手に話は進む。でもこちらが話そうとすると、人差し指を口に当てるだけで声が出なくなる。だから聞くしかない。
「衝動がたまたま社会にとって都合の良い形であったから、たったそれだけであそこまで大手を振って暴力を振るえるなんておかしいとは思わないか?」
頷いて同意する。
「そうだろう?例えばこれを見てみてくれ」
そう言って指を振ると画面に複数の人物が浮かび上がる。先生は今、目が見えないはずなのに幾つかの個性で感覚を補っているらしい。
「彼は冤罪だった。彼にしかできないというその犯行はいくつかの道具があれば簡単に再現できる。個性のせいにした警察の怠慢だよ。まぁまだ未開発とされている道具を渡したのは僕だけれど」
画面が切り替わる。
「彼女は洗脳されていた。何一つ自分で判断ができず、そうする術を奪われていた。僕が洗脳したんだけどね。個性抜きでできるか試したら、結構うまくいくものだったよ。それに、彼らは人質を取られていた。国家反逆の罪を着せられてもそれを最後まで全うして、全てを捧げた国によって死刑にされるなんて、なんて酷いんだろうか」
「正義と悪は一体どこが違う?この二つはよく似ている。両方とも深く考えないだ。心からの衝動に従って、そして人々が自由に呼称を当てはめようとするだけさ」
「人は自由に生きるべきだ。好きにやるんだ。結果としてなんて呼ばれるなんて、些細なものだ。自分らしくあればいい。僕はそれを肯定しよう」
きっとこの言葉で救われる人は多い。だからこそ、彼の元にはいまだに人が集まり続けている。社会からその衝動を否定されたものたちが救いを求めてやってくる。
南米のどこか。今は使われていない地下の遺跡を自由に繋げて作られた隠れ街は、なぜかUAIから見つかっていない。
それぞれの街の出入りには案内人と呼ばれるものが先導し、彼らについていけば移動ができた。唐突に数百キロを移動できるこの力はよくわからないものだったが。共通点が一つある。
全員が重度の麻薬中毒者であり、彼らが先導するときは完全にキマっているらしいことだ。
夢見心地の夢遊病のようなその歩みについていくときには、不思議なことが起きる。
化け物のような幻影が見えたり、そこにないものが現れて体を通過したりする。今も休んでいる部屋からは存在しない大広間が見えている。何かがそこで蠢いているがよく見えない。
今この場所は現実には影響を与えないらしい。夢の世界なのだと言われたが信用はしていない。特殊な個性で作られた空間なんだろう。
それでもその一つが、やけにはっきり見えてきた。
それは女だった。笑っている。自分の衝動に気づいて笑っている。
目の前に念願のものがあって、そしてようやく手にできる時の興奮に瞳孔が開いて、体が震えているらしかった。
幻影には干渉できない。向こうからもされない。でも、死柄木弔は呟いた。
「好きにしろよ。イラつくなら、やっちまえ」
誰にも聞こえない肯定は、誰にも影響は与えない。それでも人は勝手に何かをするものだ。
考える前に突き動かされるものたちは、勝手にやってしまうのだ。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
そう。あまりに強い衝動が、この血溜まりにあった。
ずっとずっと胸の中にしまいこみ、今まで大事にしていたこも上書きして。そしてそれだけのために生きていた。
なんだか、幽霊に応援された気がしてそれも気にせずに嗅覚へと意識が戻る。
月の香りが今までで1番強くなる。信じられない。夢のような光景が広がっている。
こんな機会や状況を完璧に制御していたあの人は。今まで見た中で1番弱っていた。どれだけ丁寧に襲っても、傷一つなかった彼が傷だらけで。大好きな血を撒き散らして、朦朧としている。
何より手当をするという申し出を信じてくれて。みんなみんな信じてくれて。誰も警戒をしていない。
ああ、みんな大好き。みんなになりたい。
狩峰淡輝を抱きしめて、そしてその首筋に噛みついて、人生で一番深く強く、心の底から吸いとった。
チウ。チウ。チ……。
ガッ!という衝撃に顔がぐるりと回りそうになりながら、壁にぶつかって体から力が抜ける。
全身全霊、体と魂の全てがその味を堪能することに使われていて。他に出来ることがなかった。
大好きな人と一つになる。ああ、どうしよう。幸せすぎて怖い。月の香りに満ちている。
こんなに気持ちのいいことが他にあるんだろうか。
「ひどい……」
殴られてひどいと可愛らしい女の声が嘆き。
「……なぁ」
最後の部分で余裕そうな男の声になった。
「百ちゃん。そこまでしなくても良くない?」
強かに殴られ、壁にもたれ掛かった狩峰淡輝は笑った。渡我被身子の戦闘服を着ている彼は幸せそうな表情だ。それは彼が五年ほどしていない笑顔。
渡我被身子を殴り飛ばした八百万百が取り戻したいもの。その笑顔を別の誰かが歪に作っていた。
「今すぐにやめなさい。わたくしはそれを、決して許しません」
百は失血で動けなくなった淡輝を支えて、殴り飛ばした方の淡輝を睨みつけている。絶対にそれだけは認められないと強い感情を向けていた。
「百ちゃんダメだよ。そんな風に睨むなんてさ。ヒーローがやることじゃあない。いや、そうでもないか。せっかくだし、好きにしてみてよ」
幸せそうな淡輝は口を血液でたっぷり汚して。裂けるかと思うほどに弧を描く。自分は好きにしたのだから大好きなみんなも幸せになってほしい。心からの願いだった。
そうだ。ヴィランというのは。ヒーローというのは。衝動のままに、考える前に動いてしまうものを指す言葉。
「さっきみたいに肌で血を吸えるのかな。百ちゃんの血を浴びながら殺されるなら、嬉しいかもなぁ」
猟奇的な幼馴染の笑顔を止めるために、八百万百は立ち上がった。
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