まるで刃物を向け合う戦闘をしているような緊張感、じっとりとした視線を交換し同級生のはずの二人は対峙していた。
一方は恍惚の表情を隠しもしない男子に見える。
一方は憤怒の表情を抑えきれない女子に見える。
孤月のように歪んだ口元は、いまだに幸せの余韻を味わっていたが。それを断つようにして、長い警棒が突きつけられる。
百が愛用するこの武器は、彼女の性格を反映したように真っ直ぐで余計な装飾がない実直さを表しているようだった。カーボン製のこの武器が最も創造するのになれており、即座に作れるため気づけば握っていることが多い。
「渡我被身子さん。個性を解除して戻ってください。それができることは知っていますわ。真似もやめて、今すぐに」
すでに咄嗟に殴打して距離を取らせてはいるが、その冒涜するような笑顔はそのままである。それを八百万百は許せない。
握る警棒に大切な人の血がついて、その滴った血が守るべき足元の大切な人へと垂れてしまった。
「どーしてですか?」
「どうして、という問いの意味がわかりません。この状況で仲間を傷つけるという行為が、どう見えるかわかりませんの」
惚けた表情の淡輝、いや渡我被身子はいまだに夢現の表情で短い問いを発している。
「何が悪いんですか?」
「この期に及んで!まだそのようなことを!」
「わあ!ちょっと待って!落ち着いて!かかか、かっちゃんも手伝ってよ!」
「くだらねえ。俺は周り見てくる。戻ってくるまでに終わらせとけ」
「かっちゃん!?そんなのって!」
「……おい『デク』。俺はヒーローとしてやることをやる。お前もそうしろ」
ヒーロー名を『デク』にした緑谷出久を、そう呼ぶことは抵抗があるらしい。
「だからここは仲裁をさ!」
「バカ同士が喧嘩しようがどうせ死にゃしねえ!それよりこの場所の敵と罠があぶねーってんだよ。俺はそっちに対処する」
そう言って、周囲の探索と警戒へと意識を移し。扉やその先の空間へと爆豪は慎重に歩みを進めていく。
「おい、てめえらも来い。今は無駄なことしてる場合じゃねえ」
目線の圧だけで相手を殴れそうな威嚇に晒され、口田と轟もそれに続いた。
この場に残っているのは、貧血で床に倒れて浅い呼吸をしている淡輝とそれを守るようしている百。壁にもたれかかって満足そうにしている淡輝の姿をしたトガに、そして間でオロオロとする緑谷だった。
そういったやり取りの間にも、百とトガの対話は進んでいるようで。あまりにトゲのある言葉。『危機感知』がうっすらと反応するほどの剣幕にようやく意識を戻すことになる。
「いま、なんと仰いました?」
その怒気はもはや敵意に近く、同級生へと向けるものではなくなってきている。
「教えてください。私はなにか悪いことしました?私が普通じゃないのはもう知ってます。だけど悪いことはあんまりしないようにしてきました。みんなと仲良くしたいから」
「一体何を……。友人に歯を突き立てて、血を吸うというのは立派な暴力行為です!知っているでしょう?」
「雄英高校。淡輝くんの言った通り、楽しかったなぁ。先生もみんなも戦えるし、ボロボロになるし。本当にみんな素敵です。訓練でもひどい怪我はありました。それと同じじゃないです?」
「全く違うでしょう!それは目的があって、そして合意があったからこそ……」
ゆったりとした口調のトガが、そこで目をパチリと開けて。そしてふらりと立ち上がり言葉を被せる。
「おんなじです。前からずっと言ってました。隠したこともないです。百ちゃんも知ってたよね?みんなも知ってます。先生たちも含めてみんなそう。淡輝くんにトガが刃物を向けるのを見たことがない人はいないはずです。そうですよね?」
にっこりと。満面の笑みを浮かべて語りかけるが、相手の反応はそれほど気にしていないようだった。
「トガはねぇ。ずっとこうしたくて。このために生きてきたの。だから淡輝くんと約束したんです」
スウっと息を吸って吐く。そして言葉が溢れ出した。
「いつでも飲んでいいって。淡輝くんも拳で抵抗はするけど幸せならそれでOKって言ってました。だから血を飲めるようにいつでもがんばってきました。みんな、私が訓練するのを手伝ってくれてましたよね。どうして今更ダメって言うんですか」
「訓練とは違います!これはただの暴力ですわ。だってあなた、喜んでいたでしょう!?」
「幸せになるのが目的です。みんなそうです。そのために鍛えて、笑顔になってる人もいましたよ。それと何が違うんですか」
「それに、淡輝くんとは同意してました。殺すなんてしません。絶対殺すなんてしない。だってわかったもん。この月の香りは、淡輝くんの匂いじゃなかった。ここまで執拗に付けられてたからわからなかったけど、自分の匂いじゃここまでしませんから。ニオイの元は別にある……」
「何を言っているんですの?あなたの言っていることがわかりません!早く個性を解いてください!」
「こうして誰かになるってね。きっと何より人のことを知れるんだってそう思うんです。だってほら、淡輝くんの目線で見ればすぐにわかります。百ちゃんがなんでそんなに怒ってるのか。そうだよね。いやだよね。ああ、こんな風に見てもらうなんて、淡輝くんはずるいです」
「トガさん!僕からもお願いだよ!こんなこと、やめよう?」
周囲からの制止の声は必死だが、問題の淡輝の声は淡々としている。どう考えても、悪びれているようには見えない。
最悪の想像が止まらない。
「そうですよね。嫌ですよねみんな。結局そうなんだ……。ううん知ってました。はい。だから……」
ふらりと手を動かして胸の前で組んだ。
警戒する百の体に力が入り込み、警棒を握り直す。緊張感が地下を支配して、どちらかが動けば戦いが起こるかのような。そんな張り詰めた糸が互いを結んでいる錯覚すら起きる。
緑谷は何が起きても対応できるように身を屈めて、地面をしっかりと足で掴んだ。唾を飲み込んで、どうにか口の渇きを誤魔化そうとする。
そして、その糸はふっと緩む。
彼女は、ただ、丁寧にお辞儀をした。
「ごめんなさい。もうしません。個性の解除はあれだけ飲むともう少しかかるんです。だから、もうちょっと待ってください。もう笑うのもやめますから、怒らないでね。百ちゃん」
上体を起こすとそこにはいつも通りに見える淡輝の顔がある。
申し訳なさそうに方をすくめて、謝意を込めた控えめな笑顔がそこにはあった。
想像の外、意外なほど平穏な解決。現実離れした光景に反応が遅れる。
ふーっと大きなため息がつかれて、そして張り詰めるような硬質な空気はどこかに消えていた。
「いえ、こちらも。少し怒りすぎてしまいました。手当てをさせていただいても良いですか?」
深く息を吐いて、怒気をどうにか追い出して手を差し伸べた。誰だって間違うから、それを許せないようではヒーローではないのだというようにして、いつもの笑顔で百は手を伸ばす。
そんな姿を見て、思わず緑谷出久は転びかけてしまった。体に入れた力をどこにやっていいかわからず、それでも大事にならずに安心して倒れそうになってしまう。
「よ、よかった。本当に、心臓に悪いよ。僕どうしたらいいかわからなかったよ」
「ええ、失礼いたしましたわ。でも、いきなりで本当にびっくりしたんですから」
「百ちゃん。ごめんねえ。許してねえ」
「こちらこそ、強く殴ってしまい申し訳ありませんわ。見せてください。ああ、でも元からの失血の方が酷いですわね」
「ごめんねぇ」
手当を行い、そしてボロボロの淡輝は二人ともどうにか立ち上がって探索へと復帰していく。
淡輝は重度の立ちくらみで周囲の状況を見ることはできなかったが、トガちゃんがやらかしてしまったのだということは聞いただけでわかる。
だいたいにして、そこに自分がいたなら一目見て察するというものだ。
しかし、わからないのはなぜ無事で戦闘が起きていないかである。
「……どうやって、解決した?」
「いえ、なんでも。ありませんわ。あとで詳しく話しますが、ちょっとした行き違いです。今はもう、解決しましたから」
「後で、ちゃんと説明してよ。だいたい聞こえはしてたから想像はつくけど」
「へへ。怒られちゃいました。見てください。お揃いですよ?」
「やめてくれマジで……」
そこからはいつも通りのやり取りが続き。探索組に合流していく。
「くだらねえのは終わったかよ。時間食ったぞおい」
「無事でよかった。こっちは多分、最後の扉とレバーを見つけたぞ。守ってた奴らも基本的には炎とかが多かったから、こっちで対処しといた」
すでに戦闘を終わらせていたらしい。爆豪の体から湯気が上がるほどに熱がこもっているようだが、あれは絶好調の証だった。
何も変わらない。トガはここで殺した獣ではない。人と人なのだから話せばわかるのだ。間違いだって犯すだろうが、それでも人は成長ができる。
「みんな、良い人ですよねえ」
そう言って狂笑を噛み殺し、静かに微笑んだ。自分が悪いと知っているから。
「ボロボロになっても頑張る、みんなのことが大好きなのです」
ドロリと溶け出すようにして淡輝の顔が崩れ落ち、奥から表情のない少女が顔を出す。
「ごめんねえ。許してねえ」
だって仕方ないだろう。また淡輝にはなるとして、今気になっているのは彼女だから。
「百ちゃん。恋してるんだよねぇ」
誰にも聞こえない声で呟く。人は成長ができる。そして自分で選ぶことができるのだ。
しかしその目は欲望に蕩けている。いまの今まで、我慢し続けた先に得た快楽を覚えた舌がこれ以上の我慢などくだらないと叫んでいた。
なんだかこの場所は自分を肯定してくれている気がする。ほら、幽霊みたいな手のオバケも、「壊しちまえ」って言ってます。
「許してねえ」
八百万百が大好きで、たまらない。百ちゃんになりたくなりたくて、どうしようもない。真面目で真っ直ぐ。嘘をつけなくて、それでも自分が間違っているかもってことも考えてしまう素直さ。何より自覚もなく好きな人のために頑張ってるなんて。どこまでいじらしいんだろう。
ああ、愛おしい。
だから、私にもそれを味わわせてください。
暗殺者のような身のこなしで気配を殺す。
そして、誰にも止められることはなく百の首筋に迫ってその牙を突き立てて……
獣の牙を止めたのは、人が扱う道具。人たるを象徴する火を噴き出す短銃である。
非殺傷の弾頭になってはいるが、それでもゴム弾の威力は凄まじい。
トガは弾かれるようにして倒れ、体が動かないことに疑問を感じているようだった。
「あれ?おかしいですね」
「変身が解けきってなかったねトガちゃん。どうだよ俺の身体は。想像より性能低い上に、失血で絶不調だ。あり得ないほど重くて鈍くて動きづらいだろ?」
というか、自分はこんだけフラフラなのに向こうだけ動けるのが謎過ぎる。百ちゃんの警棒から垂れた血がなければ、まだ倒れていただろう、
遅れて全員がその凶行に気づく。噛もうとしていたことすら、気づかない。『危機感知』も反応していなかったため緑谷もスルーしていた。
周囲から見れば、唐突に本物だと思っていた淡輝がトガ淡輝を撃ったように見える。入れ替わっていたかと勘のいい爆豪は身構えるがしかし、次の瞬間には溶け出す変身を見て余計に混乱した。
「トムとジェリーみたいなもんだからね。仲良く喧嘩しよう」
「あ、あーくん!?どういうことですの?」
「いつも通りの喧嘩だよ。また見てて欲しい。大丈夫だから」
欲望に気付き牙を剥き出しにした彼女を止められるのは自分しかいない。絶対に諦めるわけがないと俺はわかっていた。彼女はすでに狂っているが、それが彼女にとっての普通なのだ。
「コテンパンにしていつも通りに戻すよトガちゃん」
「今の淡輝くん、全然弱そうですよ」
俺が強ければ問題ない。ああ、くそ。ヒーローみたいな考え方になってきた。嫌になる。
でも彼女が暴走しないように、俺が圧倒すればどうにかなる。以前からずっとそうだった。
だがそれでも、狂気とは相対的なものでしかない。
彼女がおかしくても、俺がさらにおかしいのならそれでバランスは取れるのだ。人を襲いたい衝動を持っているだけの普通の少女でいさせるために、この戦いに勝たなければ。
「ていうかトガちゃん。レスバ強くなったね?百ちゃんを圧倒するとはやるじゃん。マジで見直した」
トガちゃんの言い分は一定の理があった。当然穴も多いが、百ちゃんは対話を拒否してしまった。そして相手の衝動までも否定した。それでは、きっとダメなのだ。
狩峰淡輝は、縋るように。祈るようにして暴力を象徴する武器を握りしめ。幾度殺し合ったかもわからないほどの相手を見据えていた。
「正論を言われても、暴力でどうにかする」
「さすがに、野蛮じゃないですか?」
俺は正しい百ちゃんとは違う道を進む。
対話をあきらめないが暴力に頼る。衝動を肯定するが、協力はしない。同じ土俵で負かせれば良い。力こそパワーな乱暴な結論で俺は行く。
どの口が言うのかと言う正論すら吐く余地もなく、間違いだらけの戦いが始まった。