信じられないことに、遺跡の調査を始めてからまだ二時間も経っていない。時計を確認すればそうあるのに、体感では半日くらいは潜っている気がする。
血も流れた。流れすぎた。喧嘩もしたし、地下の奥へ奥へと降りてきた。時間の感覚が歪むほどの出来事が、短い間に詰め込まれている。
「今更だけど、俺たちの当初の目的は? はい。首席の緑谷、答えをどうぞ」
軽口の体裁を取ってはいるが、淡輝の目は真面目だ。確認を怠ると、ここではすぐに飲み込まれる。
「えっと。元々は、南米に潜んでいる反社会勢力の発見。隠蔽方法のヒントを調査すること。だったよね。それで調査報告に少し違和感のある場所を改めて探しにきたわけで、キャンプ跡が残っている遺跡自体は何もなかったけど……」
言葉を探しながらも、緑谷の記憶は正確だ。地上のキャンプ跡には目立った痕跡はなかった。ただ生活の残滓が散らばっていただけで、核心に触れるものはなかったはずだ。
続きを百が受け取って補足する。
「センサーが見落とした空間。そこにあった杯。あれを握った瞬間に意識が落ちました。その周辺にいた人を巻き込んで、ここにいたという訳ですわ」
杯に触れた瞬間の感覚は、まだ皮膚に残っている。冷たさとも違う、吸い込まれるような感触。目が覚めた時にはすでに地下の異様な空間に立っていた。
「気がつくと狩峰以外は動けていて、お前だけは動いてなかった。いや、この遺跡全体が止まってるみたいな感じで、何も起きたりもしなかった。狩峰がしばらく経って目覚めると、扉が開くようになったり血の匂いがし始めたり、ここが活発になった気がした」
轟の声は落ち着いているが、内容は穏やかではない。遺跡が止まり、そして動き出した。その引き金が淡輝だったという事実は、誰も口には出さないが無視できない違和感である。
「轟さんの言う通りです。人ならざる敵対的な生物が罠のように配置されたこの遺跡は、一体なんなのでしょう。階層ごとにまるで主のような存在がいるのも気になりました。だんだんと降っていますが、終わりなどあるのでしょうか?」
百の言葉の最後に、わずかな不安が滲む。理屈で説明できる範囲を、もう越えている。階層。主。まるで誰かが設計した舞台装置のようだ。終点があるのか、それとも底なしなのか。考え始めると足が重くなる。
全員が同じ懸念を抱いている。ただ一人、楽しげに百と淡輝を眺めているトガちゃんを除けばだが。
「おい、そのクソ幻影も忘れてんじゃねえぞ。本来の目的はこっちだろうが。死柄木も、イタリアマフィアのボスも幽霊みたいに見えてた。ここのあり得ねえ現象が、敵どもの仕掛けに決まってる」
爆豪が顎で示した先に、半透明の影が揺れている。屈強な男たちが、何かを運び込んでいる。ずた袋は大きく、形がいびつに沈んでいる。中身は動かない。だが、それが人であることを想像するのは難しくない。
こちらの存在には気づいていないようで、彼らは淡々と歩く。これまでは壁の向こうへ溶けるように消えて追えなかったが、今回は同じ通路の上を進んでいる。距離も、保てる。
「ちょっと追いかけてみよう。このフロアの敵はもう倒してくれたって話だから、歩きつつまとめていこう」
「賛成!絶対見失っちゃダメだと思う。できるなら、さらわれた人を助けたい」
できるならという言葉とは裏腹に、緑谷の目はもう決めている。助けると。視界に救うべき人影が入った瞬間、彼の重心は前へ傾く。いつもより半歩、速い。
淡輝が方針を打ち出して、そしてそれを実行していく。これがこのメンバーの一番自然な形に落ち着いていた。
「ギャングたちの隠し街。その隠蔽と移動の方法は十中八九これだろうね。異次元というか、別の世界を使ったワープのような感じかもしれない。そういう個性がいるのかもしれないし、それとも違う科学技術か怪奇現象の可能性も否定できない」
人攫いのグループらしき集団を追いかけつつ、話も進めていく。これまでどれだけ調査をしても雲を掴むような状態だったが、ここにきて核心に迫れている感覚があった。嫌な予感もしているし、何より既視感が凄まじいのだが、それでも足を止める理由にはならない。
いくつもの曲がり角を進み、そして目的地に着いたようだった。
「ここか、多分こっちには影響ないと思うけど……一応俺が先に見ようかな」
歩いている時も、人攫いたちには干渉できず逆もまた同じであった。こちらからは姿は見えているので対等ではないようだが相変わらず次元が異なるような妙な感じだ。
淡輝の視界には、カビ臭くどこか血の匂いがするはずの陰鬱な地下空間が広がっている。
そしてそこに、別次元のものや人が透明ながら輪郭を持ち、そこに確かにあるのだとわかる形で存在していた。きっと別次元のここには彼らが実際に存在し、その影のような幻を自分は見ているのだろう。
こちらの地下遺跡よりも広いのだろう。幻影は途中で壁へと消えている部分もある。
これまで様々な物事を見てきた淡輝は、大抵のことでは驚かないし嫌悪感もかなり薄れてしまっている。それでも見えた光景には一抹どころではない不安が溢れてくる。
「どうしましたの?何かあったのでしょうか」
反応がない自分を心配し、百ちゃんが声をかけてくれた。
「入らない方が……。いや、それはダメか。入ってきてくれ。でも、あまり動揺しないで冷静に助けることだけを考えよう」
自分勝手に彼らの目を塞ぐことをどうにかこらえて、みんなを中へと招き入れた。
「なんだろう。病室?それにしても大きいや」
「体育館くらいの集団病棟という感じでしょうか。災害時の避難所のような雰囲気ですわ。でも、一体何を見せたくなかったのですか?……あ!?」
そこには大量の人が集められている。そして彼女たちは30名以上はいるだろうか、その全員が女性であった。
さらに特徴的なのは、体型である。
全員が妊娠をしていると一目でわかる。妊婦だけが集められている集団病棟。そこに先ほどのずた袋から新たな妊婦が出されて、そこに加えられていく。
パニックに陥っている新人を周囲の人はどうにか安心させようと手を伸ばす。よく見れば人種も、多様であるが、この南米では見ないほど身体的な特徴が定型人類からは離れた人が多い。
慣れているのだろう。新たな被害者を人攫いたちからできるだけ遠い場所へと匿うように動いていた。
「異形型の個性を持った妊婦さん。そうでないならきっと、異形型の人との子供を妊娠した人?さっきはこんな幻影、見えなかったのに……」
口田くんの声は、かすれていた。震えを押し殺そうとして、余計に揺れる。喉の奥で言葉が絡まり、無理やり。想像を止めようとしている。だが、目は逸らせない。視界に入ってくるのは、守るように腹部を抱えてうずくまる女性たちの影。
このフロアはすでに調べ終えたはずだ。罠も敵も潰した。安全を確認した空間だ。そこに、今さら新しい光景が上書きされる。
「ここから先の探索は、基本的に俺がやる。口田くんも百ちゃんもそれでいいね?」
淡輝の声は静かだ。強くもない。けれど拒否を許さない響きがある。
二人は頷いた。百は唇を引き結び、口田くんは目を伏せる。普段なら「一人で抱え込まないでください」と言うところだが、今は違う。爆豪も何も言わない。ただ腕を組み、視線を低く保っている。全員がわかっている。頭の回転が速いということは、最悪の仮説を思いつけてしまうということでもある。
南米においては異形型というだけで排斥の対象である。それはその地域を治めるカルテルが捕縛し、処刑されるか有用であれば奴隷のように使われる。大抵が殺されてしまうのだった。 つまり、南米において妊娠中絶などの処置は異形型の人に対して行われることは少ない。
もちろん強力な個性を掛け合わせるような交配は行われているが、それでもここまで露骨な異形型は存在が許されていなかった。 だから、彼女たちは何か別の目的があってここに集められている。それが良いものであるという想像はまず不可能と言っていい。
ならば、なぜここにいるのか。
答えは想像できる。だが、口にはできそうもない。
「た、助けないと!どうにかして、干渉できないかな?僕は前にアメンドーズに触れたんだよね?」
緑谷が一歩踏み出す。幻影の縁に手を伸ばす。指先が震えている。必死に現実へと引き戻そうとしている。触れられれば、何かが変わるかもしれない。あの時のように。干渉できる可能性に賭けている。
だが、指は空を切る。何もできず、叫びも届かない。
泣き崩れる女。肩を抱いて慰める別の女。誰かが祈る。誰かが地面を叩く姿。音がない。口の動きだけが再生されているかのようだ。
すると、人攫いが一人を指差した。 自分が指名されているとわかるや否や狂乱し、逃げようとしているが。きっと人攫いの個性だろう。逃げようとした彼女も、それを助けようとする人たちも、一斉に動きを止めてしまった。
促されるままに、彼女は歩く。足取りは自分の意思ではない。引きずられるように大部屋を出ていく。
淡輝はそれを追う。廊下は長い。湿った石壁に、薄く苔が張り付いている。灯りはあるはずなのに、先が暗い。足音だけがやけに響く。世界の惨状を何度も見てきただけでなく、引き起こしてきた淡輝でさえ、その歩みは重い。
五分は歩いたか。感覚が曖昧になる頃、突き当たりの扉へと彼女たちは吸い込まれるように消えた。こちら側の扉は閉じたまま。取っ手も、隙間もない。叩いてもびくともしない。
開けられる場所はすでに開けているのだから、ここは行き止まりだ。
淡輝は深く息を吐く。胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと押し出す。
情報は多い方がいい。救出を考えるなら、なおさらだ。中身を確認できないことは、本来なら痛手のはずだ。
だけど、悔しがっていない自分がいる。あの扉の向こうに踏み込まずに済んだことに、安堵しているのだろうか。扉を凝視して、その場から動けなくなる。
戻るべきか。ここを見張っておくべきか。判断に迷っている。その悠長な迷い、息を吐くような油断を咎めるように、その扉と目があった。
いや正確には、目の前に、目が生えた。
するりと透過してくるのは。目と、それを支える台座であるところの頭部。
サンゴのようなゴツゴツとした岩肌のような頭部。それが頭とわかるのはそこに瞳があるからで、小さいながら口のようなものを認めたからだ。
しかし、瞳は二つではない。口だけはあるが、その上には無軌道に、無差別に星のように目が散らばっている。
白いサンゴの窪みに目がいくつも実っているような異形。そしてそんな頭部から、左右へと鋭いかぎ爪のような手足がぶら下がっている。
まるで、蜘蛛のようだとどこかで思った。白痴の蜘蛛という単語は一体どこから連想したものだろう。けれど、同時にこれはその蜘蛛ではないとも直感が論理を飛ばして確信している。
なぜなら、その蜘蛛は人間の頭部があった場所につながっており、異形の蜘蛛から人の体が生えているようなグロテスクな見た目であった。それは女性のようで、スラリと細い線が印象的だった。
これはおかしい。こんな風ではなかったはずだ。こんなのは、まるで失敗作みたいじゃあないか。
バン。という音を出すほどに強く自分を殴りつけ、正気に引き戻す。ちょっとやばいかもしれないな。変な既視感に持っていかれそうになる。意味のわからない単語が多すぎる。
それを落ち着いて見てみれば、全体像が把握できた。
頭部が女性になった女性。おそらく格好からして妊婦だった誰か。先ほど連れてこられた人ではない。それが先ほど女性が運び込まれた部屋から、まるで物が運搬されるようにして運ばれていた。
その腹部は膨らんでいるようには見えず、どこかに妊婦以外の被害者がいるのか。中で何かをした結果膨らみがなくなったのかは判別がつかない。
それから数分、数十分待っていても。何も起きることはなかった。背後では仲間たちが、何かを言い出すのを待ってくれている。
そうだ。いい加減にここに居続けることはできない。
しかし、ここを見ること以外に情報を新たに得られる方法も思いつかないから、自分はここに座り込んでいた。緑谷も同じような考えらしい。いつもよりも小声でブツブツと何かを呟きながら、それでも諦めない様子で横にいる。
ふと、そのつぶやきが止まった。
「何か、聞こえる? みんな、聞こえない!?」
緑谷以外は首を横に振る。
「聞こえた!助けてって!そう聞こえたんだ!」
緑谷出久は今までの鬱屈とした思いを爆発させるようにして駆け出した。そこはすでに確認済みの部屋の一つだった。罠があったが、轟によって起動させられ安全だとわかっている。
緑色の稲妻のようにそこへと到達した緑谷は、その幻影を見た。
手術台にのせられた。あまりに小さい女の子。額からは小さなツノが片方だけ見えている。その目は恐怖でいっぱいになっている。
周囲にある無数の器具はどれひとつとして安心を与えるものはない。というかそれぞれがどれほど恐ろしいものであるかは、彼女がすでに知っているようだった。
恐怖し切ったその表情とはチグハグに、その体には一切の傷が見えない。そもそも手術着すら着せられていないことに緑谷は怒りを沸騰させかけているが、そんなことより彼女の目から視線を外せない。
「たす……けて……」
おそらく何かの施術の合間なのだろう。泣きながら。どこかに向かって必死の言葉を紡ぐが、周囲の人影はそれに一切反応していない。
マスクをつけた中心人物らしい誰かが指示をしたようで、再び彼女が手術台に固定されていく。
緑谷は何かが切れる音を自覚しながら、彼女を害する全てに向かって拳を叩きつけていた。
ワンフォーオールの100%を無意識に引き出し、今度ははっきりと筋繊維が切れる音を聞きながら。それでも全力で力を放つ。
そして、その結果は。
無意味だった。何にも影響せず、手術の準備は進んでいく。そうして刃物がその柔らかい肌に当てられる頃には、どこからの出血かわからぬほどに血を出しながら緑谷出久は再び吠える。
それもまた、敵を止めることはできない。
ただひたすらに見るだけ、後ろから追いついた仲間たちはあまりの光景に目を背けた。
その光景に誰より心を痛めながらそれでも緑谷出久はずっと少女を見続けていた。それは奇跡だろうか、必然だろうか。またしてもヒーローだからという理由なのだろうか。
「……誰?」
「君を必ず救う。ヒーローだよ。必ず、絶対だ」
声はきっとお互いに聞こえていない。向こうがこちらを見えていたかもわからない。
しかし、何か届いた瞬間を。辛くとも目を逸さなかった緑谷出久と。何があっても見続けると決めた狩峰淡輝は目撃していた。
オールマイトならここで救えていたんじゃないだろうか。
でも俺たちはオールマイトじゃない。当たり前のこの事実はあまりに認め難いものだった。
ヒーローたちはこの蛮行に何一つ影響を与えられないままに、時間だけが過ぎていった。
彼女は生きたままに刻まれ、そして修復されていく。
残った恐怖だけが、それが宿っている目だけが暗く、暗く。ただ落ちていくようだった。
冒涜的な想像をした人はSAN値チェックです。
……
続いて、アイデアロールをどうぞ。