南米のどこか。世界が血眼になって探しても、なぜか見つからない施設の中で巨悪は笑う。
あまりにも想定を外されすぎて、イラつきすら覚えていない。笑うしかないという状態だった。
「それで、いい加減に一ヶ月も経つんだ。何か進展はないのかな?」
「申し訳ありません。案内人を何人調べても、麻薬中毒者というだけ。共通のランタンには謎の生き物が詰められており、それを回収して調べていますが。いまだに分析はできていません。現在の化学ではただの人間としか分析ができないのです」
「この隠蔽の規模、そして安定性と異常性。これでは僕の索敵スキルも役立たずだぜ。何をされていても気づけない可能性があるというのは気が気じゃないね。オールマイトが前の私を砕いた時の不可視の何かもそうだ。このところ、不確定要素が大きすぎる。それを南米の犯罪者が操っているというのは良くないだろう」
そこへ荒々しい音と共に、くたびれた様子の若者が入ってくる。いや、肌艶は良くない。目つきも最悪だが、これは寝ていないからだろう。
連日連夜、まるで負荷の限界を見極めるためとでも言うように、
「先生。どうするんだ。ずっと負け続けてる。あいつら。毎回完璧に待ち構えてやがる!今ようやくわかった!!どうせ逃すのもわざとだ。俺を使ってここを特定しようとしているんだ」
「ああ、そうだね。よく気付いたよ弔。すごいじゃないか。君には機械類の発信機が2つと、個性によるマーキングが4種ほどされている。昨日とは違う種類のね。しかしそれでも、この場所は一切感知されていない。あのナイトアイの目を掻い潜るほどの異常性は絶対に解き明かしてやりたい」
「もう我慢ならない。もっと、強い力をよこせ。あいつら全員殺せるくらいの……」
「ちょっと待つんだ弔。さっきの話は終わってない」
勝ち目のない襲撃が続き、南米の秘密は暴けていない。じゃあ、どうするのか。
あらゆる暴力と理不尽を発想し、ヴィランたちはこれからを想像する。
一同が持つ当たり前の疑問に対して、魔王は嗤った。
「降参してヒントを聞きにいこう。頼めば案外教えてくれるものなんだぜ?」
悪のカリスマ。世界の支配者とは思えない弱気の姿勢に、ついていけない者たちがいる。
「っな!?それでは貴方様がまるで!!がっああああ!?」
そこまで言ったその男は、首を抑えて浮かび上がる。見えざる力によって喉を締められ、そして虚空に吊らされているらしい。
「ああ嫌だよ。けれど僕はね。クリアできない方が嫌なんだ。犯罪者や独裁者、ヴィランと呼ばれる我々の弱点としてヒーローたちが公言して憚らないことがある。それはね」
ゴキリと音がして、首が回った。
「肥大した自意識、プライド。そんなものにこだわるから負けるんだ。宿敵にトドメを刺せる直前に、どうして勝因や敗因を演説する必要がある?時には逃げることも戦略だ。だが、それとは別に僕はヒーローではないから。気に食わなければこんな横暴もすることができる」
ゴミのように捨てられた部下は、この絶対的な悪に対する忠誠心を確固たるものにするという最後の仕事を終えて、生き物であることを辞めたようだった。
「だから、一介のヤクザが分不相応に交渉をしてきても今は怒らない。イタリアの他力本願の勘違い男も笑って見守ろうじゃないか。南米の蛮族どもが薬漬けの歓迎をしてきて、何もかも隠していても大人しくもできる。彼らは僕にできないことができる!それだけでワクワクするだろう?」
「でも大丈夫。最後には、全部が僕のものになる」
パチンと指を鳴らせば、死体は黒いモヤに消える。
「じゃあちょっと聞いてくるから、休んでいるといいよ。向こうもそろそろ話したそうにしていることはわかってる。先に折れることはできないってだけだ。くだらないねえ」
生命維持のための機械に頼りながら、それでも彼は最強であった。
「次の出撃は深夜だ。もちろん逃げてもいい。みんな好き勝手やろう」
逃げたものは当然拷問の末に殺される。しかし、言葉上では自由ではあった。何をしてもいい。僕もなんでもできるから。
反論はない。
無法という法が、この世界を支配しているのだと。その血に塗れた手は何より雄弁に語っていた。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
死体の山と、血の海。これまで喩えとしての屍山血河は幾度か考えたことはあったが、ここまで文字通りの光景は初めてだった。
高まる戦意に反比例するように、思考は冷徹に研ぎ澄まされていく。
これまでの上位者たちは、淡輝を見ると襲いかかってきていた。
今まで遭遇したアメンドーズは4体にも上るが、そこは一貫していたのだった。ダンジョンにいる化け物たちも同じように明確に敵であると、行動から示してくれていた。
これまでの戦いが、異形たちにとっての通常の会話であり、交流を目的としていたら。などという仮説も提唱されたことがあるが、だとしたら不器用すぎる。どの世界に相手をすり潰してレモンのように自分にかける友好があるというのか。
だとすれば向こうのマナーに合わせて血祭りにし続けているのだし、友好度を稼いでいるのかもしれない。
いや、ないか。彼らは同じ種族だが。どうにも連携している感じはしない。それぞれがフラフラと衝動のままに動いている感じがしっくりくる。
どこで一体どんなことをすればあんなものが生まれるのかは想像できないが、この世には自分の想像を超えることが容易にあるらしい。
また一つの予想外が、上から降ってくる。
どうして嫌な想像は容易に超えてくるのだろうか。
それは先ほどの蜘蛛頭の人間より、もっとずっと小さいものだった。おそらく似た蜘蛛であって。より人間離れしているという意味では違っていた。どのようにして生まれたのかはこちらの方が想像に容易いが、想像したくはない。
それは中心の蜘蛛の真上、天に掲げる腕の直上から落ちてきた。とはいえ少しずれている。このままでは下に落ちてしまう。
自分たちの足元は死体の山であるが、大きな蜘蛛の周辺は底が見えていた。なぜか水面になっていて我々は浮いているらしい。
地面に落ちて潰れる想像をしてたけれど、水面に飲まれる想像へと変わった。一体どうなる?
そう思っているうちに、緑谷は『黒鞭』をその落下物へと向かわせて、それをいずれの結末からも変えてやろうと当たり前に動いていた。
淡輝は致死の実弾を入れた銃を、化け物の上に接がれた人間へと向けて撃とうとする。
この残酷な世界には、助けるヒーローと殺す人間が同時に必要だから。
三つのことが、同時に起きた。
瞬間、ミイラのような鉄塔を被った人物の腕が変わる。白黒のモヤがその腕から放たれたと思えば、腕は青白い触手となり、鉄の檻から溢れ出した。落下物を『黒鞭』を弾きつつ絡めとる。
周囲の蜘蛛人が、淡輝に向かって殺意と敵意を剥き出しに。襲ってこようともがき始め、そして止まる。
なぜ止まったのかが、三つ目だ。
非常に驚くべきことに、全く警戒していない仲間から淡輝は妨害を受けていた。
トガちゃんしか警戒はしていなかったが、それはさておき淡輝の銃口を塞ぐように立ち塞がったのは、まさかの口田くんであった。
反射的に彼を避けるようにして、銃口を逸らし。射撃を断念する。
「ちょっと、待って!!!」
すると、周囲の敵意は霧のように消えていき。残ったのは困惑だった。
伸ばされた触手がスルスルと戻っていく。檻の人物が、落ちてきた小さな蜘蛛を懐に抱えて大事そうに抱いてる。
緑谷と俺はタイミングを外され、困惑した。一体どうしたというのか。あれは一体なんなのか?口田くんはなぜこんなことを?
「口田くん。あれは敵だ。人じゃない。また倒さないと、ここからは進めないと俺は思う」
「ま、待って!声、声が聞こえるんだ!僕には彼らの声っが……う、うおえ」
盛大に嘔吐しつつも、譲る気持ちはないようで戦闘をどうにかさせないようにと立ち塞がっている。
彼は普段は引っ込み思案で小さな声で主張はしない。けれど、ここで引いたら命よりも大事なものが消えてしまうような。そんな覚悟の表情で立ち塞がっているのだった。
「彼らは、いや。彼女たちは人間!人なんだっ!自分の子供を守りたいだけで、誰とも戦う必要なんてないと、思う!!お願い!やめよう!?きっと、話を聞いてくれると思うんだ!!これ以上は戦っちゃいけない!!」
泣きながら、吐きながら。それでも必死に主張をしていた。
予想はできていた話である。しかし、こうなった彼女らと意思の疎通ができるのか。いや、彼にそんなことをさせてしまって良いものか。
「ああ、わかった。だから、大丈夫。そんな無理には……」
現状、なぜか向こうから敵対もされていないし悪化する要素はない。ならば調査をしてみてもいい。あれが邪悪によって生み出された何かである確信には間違いないが。同時に被害者であるのかもしれない。
緑谷も、戦闘モードから気持ちを切り替えたようだった。
その場から戦闘意欲の一切が消えた時、周囲からの敵意も完全になくなってしまった。なんだ。戦うだけが正解じゃないのだろうか。他の道も探せばあるのかもしれない。
そう思った直後に、現実は回答を差し示してくれる。
蜘蛛の背中に寄生する人物。赤子のように蜘蛛を抱いていた人間が、その小さな蜘蛛を食い始めた。
バリボリと。グシャクシャと。あまりに水気のない音に、本当に生き物が食われているのかどうかわからなくなる。
そうして、赤子の鳴き声が空間全体に響き渡る。
おそらく大蜘蛛のところから響くこの声は、無数の赤子の集積のような。より集まったかのような輪唱で、同時にいくつもの声が響いているのだった。
もはや、逡巡はいらない。あれは明確に敵だった。殺さないといけない。
いや、殺すべきだ。
蜘蛛たちは被害者なのだろう。しかし、あの人物だけは明確に違う。あれは異物であり元凶だ。何かが満たされたように赤子は黙り、そして静かに寝息のような声になり。最後には何も聞こえなくなった。
全員が、武器を携えて。震える腕を隠すようにして立ち上がる。許してはいけない冒涜というものがある。この世には超えてはならない一線が存在するのだ。それを冒したものには相応の報いを受けさせなければ、そうでなければ。やってられない。
血が沸騰するように熱い。殺そう。狩るべきだ。
そうして赤に染まった意識は、予想外の衝撃を再び受けた。
俺と緑谷が、いや。飛び上がっていた爆豪も、熱を練っていた轟も。全員が同時に倒れる。
それは、あまりの圧に当てられたからだ。
流れ込むのは感情と意思の奔流。血みどろの生々しい痛みと、それでも揺るぎない我が子への愛情である。
「それでも!それでも!!!止まって!!!!」
それは口田くんの頭部。いつの間にか生えていたツノが発光してそこからあらゆる情報が直接伝えられている。
テレパシー能力の一種ではあったが、これは人間には作用しないはずだった。なのに今はそれがこちらに伝わってくる。彼の気持ちが、彼女たちの無念といまだ消えていない願いが。
「彼女たちは、あの大蜘蛛を自分の子供だと思ってる!あれを守るためなら、なんでも。なんでもしてしまう!!絶対に良くないことが起きるよ。絶対、ぜったいダメだ!!それだけは見過ごせない!」
「あれはその蜘蛛を食っただろう!?あの触手のやつは危険じゃないのか!」
淡輝が問えば辛そうな表情を返すが。それでも一歩も引かなかった。
「許せない。絶対に。でも、戦ったらみんな死んでしまう。それだけはダメだ。彼女たちを絶望させてはいけない!」
光るツノが、より伸びて。その圧に蜘蛛人たちも、意識を向けているようだった。
「彼女たちを救いたい!その声が聞こえるから、これはきっと。僕がやらなきゃいけないことなんだ!虫が苦手とか、敵がいるとか。全部全部!関係ない!!守らなきゃ!いけないだ!」
その感情と意思を心の底に直接ぶつけられ、同級生たちは足を止める。彼の訴えを無視できるような人間は一人もいない。あのトガちゃんですら、自身にはない感情を直接に届けられることによって衝撃を受けている。目をぱちくりとさせて口が開いてしまっている。
「話し合おう。殺しあうのは、最後の最後だ」
また一人。ヒーローが生まれたようだった。
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「本当に、これでいいのかな」
緑谷のその言葉に、誰も明確な答えは持っていない。
長くもない議論。情報の整理、彼女たちとは明確な対話は成立せず。中心の蜘蛛に至ってはまるっきり考えていることがわからないらしい。
それでも感情が時折伝わってくる。時折単語が拾われる。それらに耳を傾ける作業に没頭する口田くんはそれだけで発狂しそうになっているはずだ。
痛い。悲しい。怖い。あの子はどこ。無事でいてほしい。
それらが大半を占める中、比較的最近にここに落とされた者たちは若干複雑な思考まで読み取れることがあるようだ。
直前に聞いた単語や言葉を繰り返している者たちがいた。
その中から淡輝が拾い上げた言葉は以下の内容だった。
『メンシス』『ロマ』『儀式を隠す蜘蛛』『隠し街』『血の補給』『交信』『眠れない』『赤子を求めている』
恐らくだが、この蜘蛛は何か儀式を隠している。それは犯罪者たちの隠し街だろうか。そしてそれを維持するために血の補給が必要で、それがさっきの光景なのではないか。
そしてそれらをメンシスという人物か、組織か何かしらが裏側にいそうだということ。ロマは関係者らしいが何者かはわからない。
わからないことだらけだが、一つなぜか確信していることがある。
この状況はきっと、殺せば進行する。実際、その勘は正しいと思う。ここではそれが常道で。現実世界でもそうだった。
淡輝はそればかりやってきたから。だからこそ、初めて考えた。殺さずに狩りを終わらせる方法はあるのか?
これまでの自分なら、迷わなかったはずだ。目の前の異形を止めるには壊すしかないと、条件反射みたいに答えを出していた。その思考の癖が、どれだけ深く染みついているかを、いまさらながら思い知る。殺すという選択肢が先に浮かび、それ以外を探すのが遅れる。どれだけそれに頼ってきたのか、どれだけそれで乗り切ってきたのか、認めたくはないが事実だった。
未知の思考だ。刃を振るわずに終わらせるという発想そのものが、自分の中では異物に近い。それでも、ここでそれを試さなければ、きっと一生変われない。
当然ながら、その過程は一人で導き出したものじゃない。
「みんなで考えよう。殺す以外の方法を、苦手だからみんな助けてほしい」
喉の奥が少しだけ引っかかった。それでも、言葉は出た。自分が不得手だと認めるのは、思っていたより重い。けれど、口にしてしまえばあとは早い。緑谷が眉を寄せ、轟が静かに視線を上げ、百が一歩前に出る。爆豪は舌打ちしながらも、否定はしなかった。
そうして絞り出したのが、いま目の前で進めている案だった。緑谷がこれでいいのかと迷う程度には、鮮やかな解決ではない。ヒーローらしい、誰も傷つけない魔法みたいな方法ではない。ただ、壊さずに止める可能性が少しでもあるだけの、不格好な策だ。
寒気がする。鳥肌が立つ。
それは感情的な震えではなかった。空気そのものが、少しずつ性質を変えていく。肺に入る息が冷たくなり、吐く息が白くなり始める。皮膚の表面から熱が奪われ、指先の感覚が鈍る。
だんだんと、気温が下がっていく。
ゆっくりと、その場にいる生き物たちの活動が緩やかになっていく。カサカサと絶え間なく鳴っていた音が、間延びし、途切れがちになる。蜘蛛の脚の動きが遅れ、死体の上を這う速度が落ちる。巨大な異形の胸部にあったわずかな上下動も、目に見えて小さくなっていく。
「冷凍睡眠の理論は古いですわ。五十年以上前には実用化されている。けれどそれは専用の麻酔と、精密な温度管理設備があってこそ成立するものです。代謝を急激に落とし、雪山の遭難から驚異的な日数を過ごした後で生還した例はあります。ですが……」
細胞を壊さない速度で冷却し、再加温の計画まで含めて設計する必要がある。本来は医療施設で、複数の監視下で行う処置だ。
ここにはなんでもできる百と温度調節だけはできる轟しかいない。ということは十分だ。
百が必要な薬剤を生み出す。代謝を緩やかに落とすもの、凍結時の細胞損傷を抑えるもの。完璧ではない。理論値通りにいく保証もないし麻酔導入をしたこともなければ、それを受けるのはもはや人の形を歪められたものたち。それでも、ゼロではない。
轟が、慎重に冷やしていく。
一気に凍らせれば砕ける。ゆっくりと、均一に。熱が逃げる方向を見極めながら、地面から、空気から、相手の体表から温度を奪う。氷は壁のように閉じるのではなく、薄い霜となって全体を覆い、層を重ねる。
数日は彼らを休眠状態にできるのではないかという仮説。それ以上は保証できない。だが、数日止まればこれを作ったものたちが、点検をしに訪れるかもしれない。
凍りついていく死体と蜘蛛たち。
死体はもう抵抗しない。蜘蛛もまた、熱を奪われることに抗う様子はなかった。巨大な異形の多眼がゆっくりと瞬きのように閉じ、また開く。その速度が落ちる。脚の震えが止まる。
白い霜が積もり、灰色が青みを帯び、やがて氷の膜が厚みを増す。音が消えていく。カサカサも、息遣いも、衣擦れも。
そうして世界が、ゆっくりと止まっていく。
止まり切ったその瞬間、淡輝はまた幻覚をみた。
腹部から血を流し、致命傷と思える姿の女性。まるでウエディングドレスのような。純白のドレスを血で染めている一人の女性が。
そして、いつもの感覚がやってくる。
『目覚め』の個性が使用され、淡輝はどこかで目覚めるのだろう。
この目覚めが、良いものでありますように。
どこかで人形が、そう願っていることを淡輝は知らない。
少し区切ります!
いろいろありまして続きは3日後!
ハッピーバレンタイン!