南米の地下遺跡をつなぐ巨大な空洞は、単発の洞穴などという生易しい規模ではなかった。
ひとつひとつが小さな村を丸ごと飲み込めるほどの容積を持ち、天井は闇に溶け、底は人工の床材とむき出しの岩盤が混在している。そこが終点ではない。
巨大空間の壁面にはいくつもの開口部が穿たれ、そこから無数の細道が枝分かれして伸びていく。その様子はアリの巣に似ているが、規模も精度も生物の本能に任せたものではない。むしろ計算され、意図され、拡張を前提に設計された構造だ。洞穴というより、地下に敷設された巨大インフラと呼ぶ方が実態に近い。「酸だー!」という声が聞こえてきそうだ。地球防衛の際には雷系の武器を乱射して戦ってしまいたい地形である。
通路の幅は一定ではない。人がすれ違える程度の狭隘な区間が続いたかと思えば、唐突に車両が旋回できるほどの広い節点に出る。床には排水溝のような溝が刻まれ、天井近くには換気を思わせる縦穴が走る。古い石積みと、明らかに近代的な補強材が混在している箇所もあり、時代ごとに増築を重ねてきた痕跡が残っていた。
少なくとも百年単位の時間はかかっているのではないかと考えるのが自然だ。
もちろん、最適な個性が存在すればその工程は大幅に短縮できる。しかし問題は副産物だ。これほどの規模を掘り抜けば、都市を覆うほどの土砂が生まれるはずで、その行方が一切記録に残っていないのは説明がつかない。
地上に巨大な捨て場もなく、衛星観測にも痕跡がない。もしそれすら隠蔽していたとすれば、話は一気に現実味を失い、オカルト雑誌の陰謀論じみた領域に踏み込むことになる。そうはならんやろ。なっとるやろがいと自問自答し、恐らくだが踏破したあのダンジョンに仕掛けがあるのだろうと辺りをつけた。
例えば、あの湖のような場所にいらないものを廃棄できるとしたら?
なぜか、ぞくりと鳥肌が立った。人間の飽くなき環境適応能力と愚かさ。そんなことをしてどんなことが起こるのか。冒涜を恐れぬ蛮勇に怖気が走る。
『イラン核施設へ急行している部隊に情報を送信しました。これで作戦遂行の可能性が大きく高まりますが、オールフォーワンの手札がわからない以上、確実ではない』
ああ、その通りだ。最初は探索中に捕捉され、そして逃げる時に捕まったりと傭兵部隊の彼らには何度か失敗してもらっている。
核弾頭を使うことはないだろうが、それでも敵の手中に核があるのは認められない。未来から得た情報を必要な場所に送り込み、そして状況を見守っていく。
盤面はすでに世界中へと広がっており、全一君はなぜか即座にイランに飛んでいくのだからそこは警戒を最大にしていた。
眉唾であると最初は思ったが結論としては、使用可能な状態の核弾頭が発見されるらしかった。前世紀の遺物をひっそりと地下で保管していたのだという。発射可能な状態でもないが、それでも危険性は圧倒的だ。
世界の平均的な科学技術が衰退した今、自国で核開発の能力を失った国々は多い。特に混乱を経験した独裁国家としては、これは相当に無理をしてでも手に入れたい代物になっている。
世界的に全一君の影響力が落ちてきた負の側面と言えるかもしれない。今までは秘密裏にでも核兵器に手を出そうとすれば全力で潰されていただろうから。
オールフォーワンとしては核兵器などの規格外の兵器がなければ安全という判断なのだろう。それは全く正しい。通常の戦力では絶対に勝てないのだあれには。核をぶっ放すのも一手だろう。上位者の腕でぶん殴ったり、上位者をぶん殴れる英雄に殴ってもらわないとあいつには勝てない。
まぁ、今更核弾頭一発で何が変わるかと言われればそこまで大きな変化はないだろうが。念には念を入れておきたい。
淡輝は、もはや自分の足で走っている感覚ではなかった。
ACが主導権を握り、最適な軌道を選び、最小のロスで加速していく。視界の端で数値が流れ、推進出力と慣性制御が自動で調整される。身体はハーネスとフレームに固定され、重力と遠心力を無理やり均されているはずなのに、それでも内臓がわずかに遅れてついてくる感覚がある。
地下通路が、線になる。
爆豪はすでに最深部へ向かっている。あいつの爆速は細かい探査には向かない。一直線に、迷いなく、最短距離を抉るように進んでいるだろう。緑谷は別方向。救いたい相手の位置は特定済みだ。あいつは迷わない。座標を示せば、そこへ飛ぶ。
だからこそ、淡輝は一人だった。
全一君がいない今、この地下で最大の脅威と正面から噛み合えるのは誰か。自分が当たるべきは誰か。思考と試行はすでに終えている。あとはそこへ最速で辿り着くだけだ。まぁその後にどうするのが正解かは、まだ掴めていないのだが。
通路が急角度で折れる。
通常なら減速が必要な曲がり角を、ACは壁面すれすれで滑るように抜ける。片足のブースターが逆噴射し、もう片側が推進を補う。身体が横Gで押し潰されかけるが、慣性制御がわずかに遅れて追いつく。装甲が石壁に火花を散らす。削れた破片が後方へ弾け飛ぶ。
『地下から溢れたヴィランたちが、各地で住民を襲っているのは事実のようです。世界的な指名手配犯が何人も確認されました。しかし、その行動は奇妙です。逃亡でも闘争でもなく、手当たり次第に人を襲っているだけ。一部捕獲して分析したところによれば、錯乱状態であると診断されています』
「変な薬でも盛られてたんじゃないのか。カルテルは得意だろう。特に女王様は」
分岐。三方向。
迷いはない。右。内部マップとリアルタイムの反応が重なり、そこにいるはずの敵の圧を淡輝は感じ取っている。ACが足元の摩擦係数を一瞬で計算し、加速を維持したまま方向を変える。
『麻薬の類が検出されない個体もいます。されたとしても通常の薬物のみ。この状況を説明するにはまだ見落としがありそうです』
衝撃波が通路を叩き、後方の空気が吸い込まれる。足音というより爆音だ。ブースターの噴射が、地下の静寂を破壊する。遠くで何かが崩れる音がするが、気にしている余裕はない。
視界の奥で、空間が広がる気配がある。
巨大空洞へ出る前の圧力の変化。風の流れが変わる。ACが出力をさらに引き上げる。ここから先は真正面だ。今は遠くに見えるドアへと突き進む。
淡輝は、加速を受け入れた。自分が当たるべき相手は、あの先にいる。そして、ここまで離れれば一旦自分にはあの影響はないはず。
「悪いな緑谷。でもお前ならきっと大丈夫だ」
この後に起こることは知っている。だからこそ淡輝は全力を尽くしているがそれでも、祈らずにはいられなかった。緑谷出久がきっとどうにかしてくれる。
勢いを殺すためにドアを使い、奥にあった机を無惨な姿に変えて制動する。
「俺は俺の仕事をしよう」
「その仕事というのは、私の部屋に押し入ることか?」
「その仕事というのは、私の部屋に押し入ることか?」
声は低い。響きは抑えられているのに、部屋の空気を震わせる圧がある。
イサドラは、机の残骸と粉塵の向こうに立っていた。
まず目に入るのは体格だ。女性であると認識できる輪郭を保ちながら、それを覆い隠すほどの筋量。肩幅は広く、胸郭は分厚い。無駄な脂肪はなく、鍛え上げられた肉体がそのまま外装になっているかのようだ。腕は丸太のように太く、二の腕から前腕にかけて浮き出た筋が、わずかな動きでも硬質な線を描く。
肌は濃い褐色。地下の灯りを受けて鈍く光る。ところどころに刻まれた古く執拗な傷跡が過去の闘争と拷問を物語っていた。
鋭い顎のライン。高い頬骨。目は獣のように切れ長で、琥珀に近い色が淡輝を射抜く。怒りでも嘲りでもない。評価する目だ。相手を測り、値踏みし、脅威か否かを一瞬で分類する戦士の視線。
イサドラは一歩も引いていない。
机を砕いて侵入してきた相手。世界中で指導者や犯罪者を血祭りにあげ続けている存在を前にしても、視線は揺れない。むしろわずかに口角が上がる。
戦いを歓迎している。一切避けるつもりがない。
だからこそ、何度もここで戦うことになった。その上で、今回は違う方向で行かせてもらう。
「イサドラ。お前に協力することができる。お前も協力しろ」
「何を言っている?」
「麻薬王であるお前の『麻薬撲滅』という夢を現実にしてやると言っている。だから協力をしろと言ったんだ」
戦いの熱ではなく、冷徹な警戒の温度に一気に下がる。それはそうだ。死の間際に余程の理由がなければ言わないであろう己の中に秘めた野望。それを初対面で告げられたのだから。
「メンシスを渡せば夢を叶えてやる。あれは人の手に余るだろうに」
「渡す理由はないな。裏切り者の末路というものは決まっている。あれらが常軌を逸しているのは否定しない。けれどそれはわかっていたこと」
「本当か?ここまでするとわかっていたのか?南米の地下網には今、電波障害まで発生させられている。映像を提供できるのはUAIの技術だけだ。ほら、これを見てみろ」
そうして映し出されるのは、緑谷出久の『ユアネクスト』からの映像である。
高速の機動を終えて、目標地点に到達し。今は被害者救出のために戦闘を行っているらしい。
死柄木弔率いるヴィラン連合と死穢八斎會の抗争が、地下で行われていたのだった。
「裏切りというのはオールフォーワンのことを気にしているんだろう。ウチは二度もあれに勝ったぞ。こちらに付く方が今は合理的だと思わないか?」
その問いに、イサドラは答えない。
その映像にあるあまりに凄惨な光景に、絶句していたから。
「一体、何が起こってる?」
「知らないが、メンシスというのが仕掛けたのはわかってる。これは異常だ。このままでは南米が滅ぶぞ?」
映像の向こう。地下空間であるのに何故か明るい大空洞には、街が丸々建設されていた。
そこではきっと、彼女の王国として普通の住民も暮らしていたのだろう。その人々が殺されていた。
いや、殺し合っている。
誰もが目を血走らせ、そして武器を持ち街を徘徊している。武器がなければ農具でも工具でもなんでもいいと。それぞれが狂気に駆られて襲いあっていた。
映像を届けている視点の主は、どうにかそれを止めようとしていた。
話は通じない。抑えることも難しい。だからと言って気絶させると、離れた途端に他の人間が群がってきて殺しにかかってくるのだった。
画面に映るもの全てが赤い。何故なら光源が赤いからだ。
「赤い月……。なぜ。地下に月がある?」
南米の地下空間に、紅く赫い笑ってしまうような光景が広がっている。
「UAIの軍もあれに影響されて、仲間を撃ち始める。だからもう撤退させた。あれに抗えるのは一部のヒーローだけだ。もう一度言う。こちらに協力しろ。赤い月を止めなきゃいけない」
メンシスの儀式を止めろ。さもなくば、やがて皆獣となる
脳裏に浮かんだ不気味な言葉。これが淡輝を駆り立てる。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
イラン上空。
乾いた大地の上に広がる空は雲ひとつなく、夕刻の光を受けて薄く白んでいる。その高みを、いくつもの人影が横切っていた。
人影、と言っても生身ではない。戦闘機の背に取りつくように、あるいは機体下部のハードポイントに固定される形で飛行しているのは、ACを装着した傭兵たちだ。
推進ユニットを補助的に噴かしながら、音速域の空気を切り裂いていく。通常ならば不可能な規模と距離の作戦行動を、UAIという後ろ盾が現実に変えていた。空中給油、極地経由、国境横断。かつてなら夢物語だった動きが、いまは当然の前提になっている。
高度は高い。だが安心はできない。
機体内に固定された核弾頭は厳重に梱包され、衝撃吸収材と多重ロックに守られている。それでも、これを失えば国際問題では済まない。世界の均衡そのものに亀裂が入る。
『確保した核弾頭は厳重に保管。直ちに作戦領域から離脱してください。敵が来ます。ルートを指示しましたので速やかに移動を開始してください』
通信は冷静だが、その裏に焦りが滲んでいる。
「なんですかこのルートは。戦闘機を乗り継ぎ、日本とオーストラリアを経由して、VOBの切り替えを三度も。正気ですか?それほどのコストをかけて一体何から逃げるというのです」
高度一万メートル超。視界の端で砂漠がゆっくりと流れていく。燃料計算、航路再設定、各国防空網との同期。通常の撤退経路とは思えない迂回だ。あまりにも遠回りで、あまりにも大掛かり。
『オールフォーワンが追撃に向かっているようです。極超音速の移動に追いつく術があるとのこと。ヴェスパー部隊は直ちに指示に従ってください。各国の防空網が撤退の援護をする予定です。そこまでは戦闘機をいくつ使い潰してもかまいません。目標をUAIまで届けてください』
オールフォーワン。
その単語が、空気をわずかに凍らせる。
「いいじゃないか。おもしろそうだ。いざとなれば俺が戦う。作戦指揮は任せたぞ」
軽口に聞こえるが、声の奥は本気だ。
「……。勝ってくれるのなら文句はありません、けどあれは普通ではないとのこと。眉唾な噂ばかりがありますが、脅威は確かだ」
「そんなにワクワクさせないでくれ。反転して向かいそうになる」
言葉を交わす間にも、レーダーは不穏な反応を拾っている。
「第二隊長閣下。高速で接近する物体の報告です。おそらく奴が来ました」
「ええ。いいでしょう。あなたはパッケージを決して離さず南米まで運びなさい。オキーフの後釜、第3隊情報主任として抜擢ましたがこの作戦で実力を示してもらいましょう。私の直属で作戦行動に臨めること光栄に思いなさい。ここで結果を出せばUAIはさらに我々『カンパニー』に借りができる」
戦闘機が大きく機動する。編隊が散開し、核弾頭を積んだ機体を中心に防御陣形を組み替える。
次の瞬間、遥か彼方から細い光が伸びた。
線だと思った。だがそれは一瞬で距離を詰め、空を横断する。機体が急旋回し、フレアが散る。回避行動の最中、後方で爆炎が咲いた。
最新鋭のステルス戦闘機が二機、ほとんど抵抗らしい抵抗もできずに落とされる。爆発は小さく、しかし確実だ。空中分解した破片が、太陽光を反射しながら砂漠へ吸い込まれていく。
「化け物が……。V1とV4は後ろへ。回避を優先しつつ、長距離射撃を行いなさい」
残る機体が必死に姿勢を変える。Gが限界を超え、パイロットの視界が一瞬暗転する。ミサイルが放たれ、遠距離からの迎撃が始まる。だが追撃者は、まるで予測しているかのように軌道をずらす。光線が再び閃き、空気が焼ける匂いが機体内にまで届いた気がした。
ACを装着した傭兵たちが、戦闘機から分離する。
推進を全開にし、迎撃態勢へ移る。音速を超えた衝撃波が空を震わせる。撃ち合いというより、速度のぶつかり合いだ。回避、再加速、再照準。わずかな遅れが死を意味する。
核弾頭を積んだ機体は、護衛に囲まれながら必死に高度と速度を維持する。
世界のどこかで起こり続けている戦いの一つ。追われる側の戦力は非常に高い。
それでも世界で一番不利な戦いである。あの万能者であり支配者が追ってくるというはまさしく悪夢だ。
飛行機雲を幾重にも生みながら、上空で流される血はどこに降り注ぎどんな結果を生み出すのか。誰も知らない。