空を裂いて進む男の姿は、ただ一人で音を超えていた。
だが完全な単独飛行ではない。彼の周囲には、大小さまざまな機器が衛星のように浮かんでいる。金属の円盤、筒状のユニット、展開式のアームを持つ装置。推進の炎を吐きながら、一定の距離を保って伴走している。それらは紐で繋がれているわけでも、翼で固定されているわけでもない。ただ彼の周囲に在り、同じ速度で空間を滑っている。
「ドクター。そちらの様子は?」
「ああ、それはもう素晴らしいの一言!興味深い現象が起きている。これがメンシスとかいう奴らの儀式らしいが、人の攻撃性や衝動を拡張しているように見える。これがただ空間に作用するのか事前に彼らに何かを投与しているのかはわからないが……」
音は遅れて追いかけてくる。衝撃波が雲を裂き、青空に白い断層を刻む。高度は高いが、彼の進路上だけ空気が歪む。周囲の機器から発せられる微細な光が、空間そのものを押し広げているように見える。
視線が向けられた。
その瞬間、遠方で閃光が走る。何かが爆ぜる。狙ったわけではないような、自然な発火。だが爆発は正確で、護衛機の一機が炎を噴きながら高度を失う。
「はは。楽しそうでいいけれど、それは後にしてくれ。弔の様子と本命についてを聞いているんだよ」
「死柄木弔か。ワシには今だにただのガキに見えるが何を見出しているのやら。まぁ遥か昔に脱落するというワシの仮説は否定され続けている。文句はあるまい。死穢八斎會の若頭を襲いに行ったらしい。あの個性消失薬の元を探っていると思ったが、あのままでは殺すだろう」
男が腕を横に薙ぐ。
それだけで、前方の空が光で埋まった。周囲を浮遊していた装置が一斉に反応し、無数の光線が扇状に放たれる。直線的なビーム、弧を描く熱線、粒子の奔流。夜ではないのに、空が昼の太陽をいくつも重ねたように白く染まる。
また四機、戦闘機が墜ちる。
「好きにやっているようでよかった。人は自分のやりたいことをするのが一番だからね」
回避運動も間に合わない。機体が裂け、炎と破片が散る。パイロットの脱出すら許されない速度で、空から消えていく。
「しかし、あのオーバーホールとかいうのは死柄木の上位互換じゃぞ。壊すだけの死柄木よりも数段使い勝手が良い。拡張性もある。あれこそ欲しいとは思わんかね?」
それでも対抗は続く。数十のミサイルが一斉に放たれ、白煙の尾を引いて迫る。赤外線誘導、レーダー誘導、複合追尾。あらゆる角度から包囲する。
「僕の教育方針は蠱毒だ。知っているだろうドクター」
「……まさか?あれもか?」
「ああ。彼も僕の孤児院の一つで育っていた。元気に個性を伸ばしてくれていて嬉しいよ。それにね。弔の個性は。彼の個性を元にコピーしたものなんだ。あの頃は色々試していたからねえ。つまりは兄弟対決というわけだね。どちらが残るのかとても楽しみだ」
次の瞬間、光が爆ぜる。迫るミサイルが空中で次々と弾け、連鎖爆発が起こる。爆炎の花が空に咲き、衝撃波が何重にも重なる。
爆煙の中から現れた姿は、傷一つない。音速を超えたまま、さらに加速する。
「それにしても、妙なのがいるな」
「UAIがこのところ使っている傭兵団じゃな。以前はこちらにも尻尾を振っておったというのに、節操がない」
幾度もの光の雨を抜けてもなお、落ちない影がある。三メートル近い人型ロボットが数機、編隊を崩さず高速で機動していた。
「彼らはそういうものだろう。しかし、妙にしぶとい。全体の指揮にはナイトアイの面影もある。罠が仕掛けられている気もしてきた」
再び攻撃をするも推進ノズルが閃き、空中で直角に軌道を変える。人の形をしているのに、慣性を無視した動きで光線の隙間を縫う。そのまま中距離から粒子砲を撃ち返してくる。撃ちっぱなしではない。予測射撃だ。こちらの進路を読んで、回避先に弾幕を置いてくる。
戦闘を楽しんでいるように、こちらと踊るようにして撃ってくるそれは。常人ではないのだろう。
雑に薙げば墜ちる相手ではない。
オールフォーワンの周囲に浮かぶ機器が再配置される。自身の傷は『超再生』で治せるが、生命維持にはこれらの機械が必要だった。
「まぁ何にせよ。本命まではもうすぐだろう。また会おうドクター」
「汝、なすべきことをなせ。ということじゃな。ジョンくん!また引っ越しじゃあ!」
ACを使う傭兵団は崩れないが隙がないわけではなかった。特におかしな動きの一機は自分から接近すらしてくる。
脚部スラスターで落下を偽装し、反転して背後へ回る。至近距離からの斬撃。装甲と肉体が擦れ、火花が散る。とはいえここまで近くまで踏み込めばいくらでも破壊する手立てはある。
その瞬間だった。
さらに遠方、視界の外縁から鋭い光が走る。ここぞというタイミングを見計らった狙撃だ。高出力の一撃が、わずかに生じた隙間を貫く。浮遊していた機器のひとつが爆ぜ、破片が高速で散る。
本来ならもう捕捉され、押し潰されている距離だ。だが見事な指揮で高度と進路を刻々と変え、護衛と防空網を連動させながら逃げ仰せている。単なる逃走ではない。時間を稼ぐための動きだ。追撃者を引きつけ、射線を分断し、わずかな遅れを積み重ねる。
次々と現れる増援を使い潰しながら、一瞬で通過する数百kmを稼ぎ続ける。
空は燃えているのに、戦いはまだ均衡している。
怪物は怒りを帯びた光を纏い、護送団と戦闘機は計算された軌道で舞いながら逃げる。近中距離で踊る機体に、遠方の狙撃機は沈黙の中で再装填を終える。
「みんな僕のものにしてあげよう」
魔王が笑い、そして戦闘は続いていく。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
地下の隠し街は、赤に満たされていた。
地下にあるはずのない天があり、そこに赤い月が登っている。
広場の中央に立つ異形は、その赤に溶け込みながらも、ひときわ濃く浮かび上がっていた。
オーバーホールは、もはや人の形を保っていない。
幾本もの腕が背から伸び、節の増えた関節がぎこちなくも滑らかに動く。肩から胸にかけての輪郭は膨れ上がり、融合した別の肉体の一部が脈動している。ペストマスクはひび割れ、その奥から覗く目が、赤光を反射して鈍く光る。地面に触れた指先からは、石畳が波打つように盛り上がり、棘となって伸びる。
増えた腕にも触れられてはいない。
最初は三つ巴であったはずの戦いは、脅威度に従いオーバーホールとその攻撃を対処する二人という構図になっている。
地面が裂け、盛り上がった岩の槍が弔の足元を穿つ。跳んだ先で、緑谷の視界を石壁が塞ぐ。即座に黒鞭を伸ばして回避するが、次の瞬間には別方向から棘が噴き出す。避ける。
避けるたびに、次の逃げ場が狭まる。
オーバーホールの腕が薙ぐ。直接の接触はない。だが風圧とともに、背後の建物が分解され、再構築される。壁が変形し、巨大な拳のような塊となって二人に叩きつけられる。弔が受け止めればそれは脆くも塵になるが、その処理に足を止めれば詰められてしまう。
「だから言っているだろうが。病人どもが。なんでそんな実力で勝手をできると思ってるんだ?ヒーローもヴィランも救いようがない。やっぱり一度死んだ方がいいぞ」
ACの武装は何があるかわからない。そして死柄木弔に触れられればそこは崩壊する。それでもオーバーホールは自身も治せるのだからもっと攻めてもいいはずだった。
その違和感の答えは、相手の部下が持ってきた。
「若!撤退の足を確保しました!移動できます!」
逃げるための時間稼ぎ。そもそもここで殺し合いをすることになど興味はないとオーバーホールは即座に撤退の構えを見せる。
「よし。もういいな。お前ら程度なら問題はないが、ダメ押しで言っておくぞ。よく聞いて、追撃なんて馬鹿な真似はやめろ。お前ら二人でいつまでも殺し合ってろ」
異形の体が変形し、中から本来のオーバーホールが出てきた。
紫のファー付きモッズコートが肩から掛かり、裾が揺れている。だが前は大きく開かれ、上半身は露わになっていた。赤い光に照らされた胸部は、ただの男のものではない。筋肉はある。骨格も男だ。だが、その上に重なっているものがある。
「俺は融合することで人の個性を使うこともできる。できるなら触れたくないんだが、まぁ役には立つ。意味がわからないか?そうだろうな。わかりやすいように見せて説明までしてやる」
少女が、そこにいる。少女だったものが。
胸郭の片側に、別の胸が浮き出ている。肩のあたりから細い腕が半ば埋もれるように突き出し、指先が痙攣するたびに皮膚の下で何かがうごめく。鎖骨の下には、もうひとつの顔の輪郭が浮かび上がっている。まぶたは閉じているのに、皮膚の内側から視線の気配がある。
肉体が溶け合っている。
腹部はさらに異様だった。筋肉の隆起の中に、少女の背中が埋まり込んでいる。背骨のラインが皮膚の下に浮き、その横を男の血管が走る。どちらが主でどちらが従かは明らかだった。
時折、少女の唇がわずかに開く。声は出ない。ただ空気が漏れるような動きが、男の胸の動きと連動する。まるで一つの肺を共有しているかのように。
「これがお前らのお目当てだ。こいつは俺と一体になっている。つまり俺を殺すことはできない。こいつの『巻き戻し』の個性も俺は扱える。俺を殺すことはもう、物理的に不可能なんだよ。まだわかってないのか?じゃあ一言で教えてやる」
そう言いながら逃げようと足を動かしていたオーバーホールに、二人は自然と追う形で距離を
詰めようとしていた。
「もう誰にも俺を止めることはできない。死ね」
反転して腕を増やしながら、必死の一撃。一握を行うために前に出た。
片手ずつを向けられて、その一本が無数に増えて襲いかかる。先に到達するのは凄まじい速度で迫っていたヒーローだった。
緑谷出久は、それらの致命的な脅威ではなく。その胸に埋められている女の子の顔を見ている。
それだけで十分だった。十分すぎた。
夥しい量の腕。手の津波が襲えば流石にあの機動力でも避けきれない。それは事実だ。
けれどもう避けるという行動をしたくなかった。
「僕は、お前を!!」
許さないと。そう言い切る前に、憧れのヒーローの言葉を思い出す。そして、それを言うのをやめた。
『いいか緑谷少年。ケツの穴ギュッと引き締めて、心の中でこう叫べ!』
SMAAAAAAAASH!!!!!!!!!!
拳が振り抜かれた瞬間、空間が遅れて割れた。
黒鞭で補強した腕を直接に叩き込み、そこから衝撃が叩きつけた腕を起点に波紋のように広がり、絡み合っていた無数の手へと伝播していく。骨が砕ける音は乾いていない。湿っていて、生々しい。皮膚が裂け、肉が千切れ、指がばらばらに弾け飛ぶ。
手が、たくさん降ってきた。
五指を開いたままのもの。何かを掴もうとする形で固まったもの。爪を立てたまま凍りついたような形のもの。どれも一瞬前までは意思を持って動いていたはずなのに、今はただの肉片となって赤い光の中を回転している。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
治崎廻は考える。
何十本、いや百を超えていたかもしれない手の群れが、一撃で引き剥がされる。まぁこれくらいはするだろう。オールマイトと戦うことも想定の中にはあった。それならもっと凄まじい攻撃を見舞ってくるだろうとも思っていた。
これは想定内であり、特に驚きに値しない。
問題がないのだ。いくらやろうが無駄というもの。全部治せる。自分の個性使用に伴う疲労ですら、『巻き戻し』を使えばゼロになる。
どれだけ熱のこもった一撃を放とうが意味がない。
そのはずなのに、なぜか体が重くなる。個性の使用。特にエリの『巻き戻し』の使用にラグが生まれている。一体なんだ?何をした?
「なんだお前は。こんな攻撃ができるならなぜ最初からしない?意味がわからない。攻撃すればエリが死ぬと言っただろうが。聞こえなかったのか?お前は何なんだ!?」
「僕は君を、助ける!ヒーローだ!!!諦めないで!!絶対に助けるから!!!」
それは相手への答えではなかった。このヒーロー気取りがエリに向けての言葉であって、俺に向けた言葉じゃない。
気づけばエリの角が伸びていた。まずい。今まで必死に使われないようにと制御していた力が暴走している。引き出すのを止めなければ、全部が巻き戻ってしまう。
融合の度合いを少し下げつつ、エリの暴走を止めなければ。
「おい!エリ。何を勘違いしている?また周りを壊して欲しいのか。なんのためにペットと友達を用意してやったか忘れたか?どれだけの苦痛だって何度でも……」
いつも通りの口調で叱りつければ、エリは従順な姿勢に戻る。手を伸ばそうとしていた腕から力が失われて、脱力していく。
希望なんかで予定を狂わせてなるものか。そう。今までどれだけの希望を砕いてきたと思ってる?こんな見せかけの希望なんか、もういらないと思えるくらいには学んでる。
すると、絶望的な救いの声が響いた。
「俺が壊してやるよ。全部殺して壊してやる。そうすりゃ苦しみだってない。触れれば終われるぞ」
それはもう一つの津波が殺到している奥から聞こえた破滅の声。
死への誘いというこれまでにない一手は、彼女に到達せずに消えるはずだった新たな黒く昏い光である。
けれど死柄木弔はここで死ぬ。腕の殺到をどうにかする術をあれは持ち合わせていない。
崩れるはずの見窄らしい男は、そのまま立っている。粉々になるはずの肉体は、赤い光の中で揺れただけで、形を保っている。
なぜか、やつの体を掴んでいる手の装飾だけが分解されて、消えていく。
同じように、こちらの腕が軋んだ。
皮膚の表面に、細かな亀裂が走る。乾いた大地が割れるように、ひびが広がる。そこから崩れ始めたのは、こちらの方だった。
「なっっ!?」
骨の奥まで侵食する感覚。そこまでは触れていない。それでも、破壊が遅れて届くように、腕の先から砂のように崩れ落ちていく。
崩壊は止まらない。
腕の断面から、さらに上へ。肘へ、肩へと、連鎖が伸びてくる。まるで見えない火が皮膚の下を走っているかのように、内部から侵されていく。
躊躇はない。噛み締めた歯の間から息が漏れるよりも早く、崩れ始めた腕を切り離す。肉が裂ける音。骨が断たれる鈍い衝撃。切断された腕が地面に落ちる前に、砂のように崩れ、形を失う。
破壊の伝播は、そこでようやく止まった。
肩口から血が噴き出す。熱いはずなのに、感覚は妙に冷えている。ほんの一瞬でも判断が遅れていれば、崩壊は胸に届いていた。
「お前ら、頭がおかしいのか?目的を奪いに来たんだろうが。殺してどうする?」
「絶対死なせない!助けてみせる!」
「もうどうでもいいや。気分がいいんだ。俺は、自由だ」
光と闇が答える。その答えは得たいものでは一つもなく。会話が成立していない。
「狂人どもが……」
しかし、それでも。彼女の意識がその言葉に呼応する。
助けて。殺して。
近いが異なるその願いは、一体となっている体への抵抗という同じ結果を生んでいた。