執務室のような私室。無駄を排除したようなその部屋は主の性格をこれでもかと語ってくる。
ちなみに俺の部屋はオールマイトとナイトアイグッズの祭壇が二つあるため、結構散らかっている。二つも推しの偶像がいると結構大変だ。しかも近年のナイトアイグッズは自演でありかつての彼を貶めることがないように莫大な予算を注ぎ込んで開発をさせている。
まぁ、つまりなんだ。俺はあの二人が大好きだし。このイサドラという人物は何かに執着しているということがない。
それでもだ。唯一ある壁に大きく描かれた南米の地図は、彼女のビジョンを支える要素なのだろう。
そこに重なる形で映像は投影しており、南米各地の映像を小さくいくつかの窓にして見せてやっている。まさに惨劇と言うほかない映像たちであるが、彼女はこれだけでは動かない。
「その映像が本物だとして、なぜ私の考えを知っているのか。お前については不可思議な噂があまりに多い。五年前から出没し、あのオールマイトすら捕まえることはできていない。捕縛のための戦闘はいくつか見たが、全力だった。『狩人』という存在はおかしい。何かが変だ」
戦闘のセンスははっきり言ってない。なのに誰も勝てない。訳のわからない勝ち方を、それも圧勝を繰り返し続けている。
「私は未来を含む多くを知っている。確定していない無数の世界を含めて観測し、そして最適に動くことができる」
「……私がお前と話すのは何度目だ?」
「今回で28回目。お前だけでなく南米全土を見ていくつもの試行を繰り返している。お前とはすでに話は済んでいる。これが最短で説得できる方法だということは既知の事実だ」
「良いだろう。私の夢の実現に、どこまで協力できるのか言ってみろ」
「こちらが協力するんじゃない。そちらが我々の世界平和の達成に協力するんだ。この世界から麻薬というものを無くすという荒唐無稽な夢をどうすれば実現できるのか。具体的なプランを持っているのは世界で俺だけだ」
言い切った瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めた。投影された資料と、南米の地図に重なるデータの数々それらを見せるのが手っ取り早いと知っているから。
人を説得するのなら、情熱も大事だがわかりやすさとプレゼンの準備が大事というものだ。その点において抜かりはない。
イサドラはしばらく何も言わなかった。琥珀色の瞳が資料の端から端までをなぞり、次に俺の顔を正面から射抜く。そこに浮かんだのは怒りでも嘲笑でもない。明確な困惑と、わずかな動揺だった。似ているが全く異なる思想を計画から読み取ったということだろう。
「お前は頭がおかしいのか?」
低く吐き出された言葉は、侮辱というより確認に近い。常識の枠から外れた提案を前にすれば、誰でもまずそこに行き着く。
「当たり前のことをなぜ今更聞くのか、理解に苦しむね」
肩をすくめる。否定する気はない。常軌を逸している自覚は十分すぎるほどある。
「だが狂人だからこそできることもある。すでにプランは見せた。まだ足りない部分はあるが、お前の計画よりは余程マシだ。これは否定できまい」
言葉はいくらでも変えられるが、事実という名の根拠は揺らがない。
いくつもの邂逅を経て、両親を麻薬で失った彼女の計画は知っている。なかなかに壮大であまりに血が流れるが、それでも根本的な治療とは言えない内容であると断言できる。
世界中を重度の麻薬中毒者で溢れさせ、致命的なレベルまで蔓延させるのが彼女の計画の第一段階だ。そこから自己増殖型の麻薬が伝染病のように流行り、人類が試されていく。
淘汰された先に生き残った人種や個性を持つものたちは麻薬に耐性があるだろうというのが彼女の目論見である。または人類が必死になって麻薬を克服するための何かを開発することにも期待しているらしい。
自ら人類絶滅のきっかけを作り、そして淘汰圧となって種を進化させようという壮大なスケールの計画だ。一部には共感するが、それでもこの計画には穴がある。
残念ながらイサドラの計画はどう考えても潰されるしかない。過程で人が死にすぎる。それを許容は決してしないヒーローがこの世界にはいるのだから。
なぜって?この世界にはオールマイトがいる。はい論破。
事実としてこちらの方がアイデアがありリソースもあり、何より人々の支持がある。裏社会の人間だけで世界を変えようと思っても難しい。それこそオールフォーワンという規格外の化け物が100年がかりでないと世界を手に入れられないほどには難しいのだ。
イサドラはしばらく黙したまま、壁に重なる南米の地図と、その上に浮かぶ惨劇の映像を見つめていた。赤い光が彼女の頬の傷跡を強調し、影が深く落ちる。やがてゆっくりと視線を戻し、低く言葉を落とした。
「話としては理解した。私が協力することでさらに一歩進むということも。恐らくそれが最も可能性があるということも。しかし解せないのは。なぜメンシスなどという集団に固執する?あれらは一体なんだ?」
問いは冷静だったが、その奥には苛立ちが混じっている。自らの王国を支え、そして脅かす異物に対して、正体を掴めないことが許せないのだろう。
「それはこちらも探っているところだ。お前の意向がなければその部屋の奥に通路が現れないことも知っている。だからこうして時間を割いている。1秒でも早く協力してもらいたい」
淡々と告げるが、焦りはある。地下で進行している惨状は待ってくれない。
イサドラは小さく鼻を鳴らし、机の引き出しから古びた鐘を取り出した。装飾は剥げ、金属は鈍くくすんでいる。だが、ただの骨董品ではないと一目でわかる異様な気配があった。
「奴らの用意した重度の麻薬中毒者。先導者たちについて行かねば道は開けないはずだ。この鐘を鳴らして進むが、先導者を貸し出すかどうかは奴らの裁量だ。ここ数十分は一人も見かけていない」
「構わない。その鐘を俺に譲渡しろ。そうすれば使える」
一瞬、空気が止まる。イサドラの視線が鋭く細まり、値踏みするように俺を見据える。
「……なぜお前が?」
疑念は当然だ。メンシスという謎に満ちた集団の道具。明らかに機械でもないそれを、なぜ部外者が扱えるのか。俺だって気になる。
「知らん。現実か夢かも判断がつかないほど意識が曖昧で、頭がおかしいという点以外には心当たりはない」
自嘲でも虚勢でもなく事実だった。イサドラはわずかに眉を上げるが、目は欠片も笑っていない。
「まぁいい。私は自身の目的のために最善を尽くすまで。オールフォーワンでも、ナイトアイでもどちらでも構わない」
その言葉とともに、彼女は鐘を差し出した。選んだのは信頼ではない。合理だ。利用価値があるならば掴む。それだけのことだった。
そうして受け取った古い鐘の使い方は、最初は意味がわからなかった。メンシスさんたちは取扱説明書とかは使わない主義らしい。マニュアルとか書いとけまじで。
ここに結構な数の試行錯誤を使わされている。この鐘は殺して奪っても使えなかった。というかこいつの所持品から消えるのだ。譲渡させなければ消えてしまう。
そしてなぜか俺はその鐘を使って、狂人どもが隠れる扉を開くことができるようになる。本心から先ほど言った類似点以外は同じところはないと思う。何か、自分の知らないことがあるような気がしてならないが、それも一旦は置いておく。
鐘を鳴らした瞬間、空気がわずかに震えた。耳に届く音は決して大きくない。むしろ掠れた、古びた金属の響きだ。だがその余韻は壁や床に反射するのではなく奥へと吸い込まれていくように感じられた。
すると使者たちが奥の壁の手前に見えるようになってくる。彼らは一様に奥を指差してその壁の先へと誘導をしてくれる。
それを信じて進めば、そこにあったはずの壁は消えて。通路に歩みを進めることができる。幻のように壁は消えてしまうのだった。使者たちはよく見ればサムズアップしてくれているようにも見える。いい加減末期かもしれない。
その先に広がっていたのは、先ほどまでの執務室とはまったく異なる空間だった。天井は高く、石造りの曲面が奥へ奥へと続いている。湿った空気が肌にまとわりつき、わずかに鉄錆のような匂いが鼻を刺した。床には幾何学的な紋様が刻まれ、中央に向かって緩やかに傾斜している。
ダンジョンで倒した上位者。傷ついたアメンドーズが横たわっていた場所に似ている。人の理屈とは別の何かが支配している、そんな感覚を覚える空間だった。
そして、その中心付近に、女たちがいた。
円を描くように配置され、虚ろな目を開いたまま、ただ鐘を鳴らし続けている。動きは単調で、規則的だ。だがそこに意志は感じられない。意識はどこかへ置き去りにされ、生気も正気も削り取られている。肌は青白く、唇は乾き、瞳孔は焦点を結んでいない。
古びた鐘を握り、一定の間隔で振り続ける。その音が幾重にも重なり、空間全体を満たしている。
周囲には、すでに動かなくなった者たちが打ち捨てられている。役目を終えた部品のように。ここでは人間であることに意味はなく、ただ儀式を維持するための材料として扱われているのだと、嫌でも理解させられる光景だった。
今まで色々と試してみたが、殺す以外に進展する方法は見当たらない。
「やっぱり俺は、一人じゃ殺すしか能がない」
口田くんのようにはいかない。百ちゃんも轟もいない今、手数が乏しい。
けれど、殺すことにかけては誰よりも秀でている。年季が、積み重ねが違うのだ。
儀式場は上下二層に分かれている。上階は回廊状に円を描き、下階は中央へ向かってすり鉢のように沈み込んでいる構造だ。鐘の音が反響し、重なり、わずかに遅れて返ってくる。その規則性が儀式を維持しているのだと直感する。
一度の走破で終わらせる。
視界に最短経路が描かれ、各個体の位置、間合い、動作の遅延が重ねて表示される。しかしそれらは最善とも言えない。現時点で戦闘サポートのAIが弾き出した最適解を、試行回数の暴力が上回る。
最初の一体に肉薄する。近距離。打撃で顎を砕く。続く個体の喉元へ肘を叩き込み、崩れ落ちる前に次へ踏み込む。機械式のノコギリ鉈。そのプラズマでできた刃を振るう。首を焼断し、動きが止まるまで確認することすらしない。倒れる方向すら計算に含め、足場に利用する。
鐘は鳴り続ける。腕だけが機械のように動く。目は虚ろなまま、血が流れても反応はない。救済の余地を探す余裕もない。最短距離で音を止める。それだけが目的だ。
回廊を駆け抜けながら、ふと手元を見る。そこには先刻まで使っていたはずのノコギリ鉈はなくUAIの開発したAC装備であるこの道具が握られている。あれは気付けばどこかに消えてしまっていた。今はいい。きっとまた使者たちが必要な時に渡してくれる気がしている。
階段を飛び越え、二階から一階へと落下する。衝撃は膝で吸収し、そのまま前転しながら次の標的へ滑り込む。打撃。斬撃。射撃を連続で行い、止まらない。
最後の一体の腕が落ち、鐘が床に転がる。金属音が乾いた響きを残して止まる。
ようやく訪れた静寂に耳がなれない。
地下を覆っていた赤い光がゆっくりと薄れていく。壁に染みついていた血の色が、ただの石の色へと戻っていく。空間を蝕んでいた異様な気配が、霞のように引いていく。
完全に消え切る前に動く。
鐘をもう一度鳴らす。中央の穴の先がこれで変更されるというのもおかしい話だが、そうなっているのだから使わない手はない。
儀式場の中心へと走り込み、その穴へ飛び込む。重力の感覚が一瞬曖昧になり、視界が歪む。赤い残光が後方へ引き延ばされる。
次に足が触れたのは、石畳だった。
そこは緑谷たちが戦っている街。崩れた建物、煙、爆音。夢のような狂気の空間から、現実の戦場へと接続されたのだと理解する。
夢のような狂気が後退し、そこに残るのは現実的な惨状だ。単純な地下空間が物理法則に従って存在しているその場所に、機械を纏った『狩人』が降り立った。
さぁ。ここから厄介なアレが来る前に、必要なものを奪わなくては。
状況を確認し驚いた。
オーバーホールと融合していた少女がすでに助け出されている。怪我はしているようだが、その目は死んでいない。
こんな光景は初めてだった。
治崎廻が生きていて、そして死柄木があそこまで余裕そうに笑っている。
エリという女の子はこれまでで一番まともな状態で保護されていて……。
ミリオ先輩はいつでも変わらない。パワー!をヴィランたちにぶちこみまくってくれている。
この好機を逃してはいけない。やり直しをしている自分にとって、どこで勝負を決めるかというのはいつも悩み続ける問題だ。繰り返し続けることが最善ならいくらでもそうするが、この戦場においてはそうはいかない理由があった。
「来やがった。殺人鬼のくせにさぁ!なんでお前のことはヒーローたちは必死になって捕まえないんだろうなぁっああああああ!?」
テンションMAXの死柄木には悪いが、数発の銃撃でまずは両手を破壊させてもらった。跳弾を活用した射撃はそうそう避けることはできない。
頭と胴体は黒霧が守り続けているため撃ち抜くことはできない。まぁ工夫次第で殺せるが優先はこっちではない。
そう。死柄木弔など、どうでもいい。
ブースターを全開に、そして命令を出す。
爆発的に加速するのは二機のACだ。『ハンター』と『ユアネクスト』が加速して突っ込んでいく。同時に、緑谷出久を後方へと射出する。
「何が!?って!ええええええ!!!?」
かっ飛んでいく空っぽのACは新たな中身として治崎を飲み込んだ。これが現状で最善の確保方法である。少女へと群がるヴィランたちは先の射撃で一旦いくつかを殺しておいたから、あと25秒は安全だ。
どうにかこの回で好条件で突破する要素を明らかにしてしまいたい。もうこれ以上の繰り返しはここでは危険すぎると思っている。
そうして離脱のためにヴィランを殺戮していると、その元凶が現れた。前回より1分も早くなってやがる。
「待てええええ!狩人!!!」
大きな獣が落ちてくる。
着地と同時に石畳が陥没し、衝撃波が波紋のように広がった。
もはや人の面影はない。派手な色彩は泥と血にまみれ、道化の衣装は裂け、下から覗くのは剥き出しの筋肉と歪んだ骨格だ。笑いを取るために描かれていたはずの口は、耳元まで裂け、牙が並ぶ。笑っているのか威嚇しているのか判別がつかない。
ピエロのような化粧をしているとわかる獣というのは、なぜここまで気色が悪いのだろう。
最初はそれだけだった。けれど回を重ねるごとにおかしなものが足されていく。
今ではその背から異様なものが生えていた。肩甲骨を押し広げるように突き破り、異形の腕が二本、ぬらりと伸びている。
形状はアメンドーズのそれに酷似しているが、より太く、より節くれだち、関節の数も多い。皮膚の色は不自然に青白く、指先は異様に長い。空気を掴むだけで軋む音がする。自我を持つかのように独立して蠢き、主の体とは別の意志で獲物を探しているようだった。
そして頭部。
本来の顔の上に、もう一つ、寄生するように生えた頭がある。5回前の試行あたりから現れ始めたあの形状。眼球が無数に集まり、肉の塊の上に乱雑に貼り付けられている。瞼はない。ただ湿った表面が瞬きもせずにこちらを向く。
視線が合った瞬間、脳の奥が軋む。対策として即座に血が注入される。音が遠のき、色彩が歪み、理性が削られる。見つめられるだけで発狂に至る圧。長くは保たないが、対策は一応できている。
二つの頭が、異なる角度から同時にこちらを見る。
片方は道化の笑みを貼り付け、もう片方は無数の眼で無機質に観測する。獣のような咆哮が響き、背中の腕が石を砕きながら地面を掴む。
『モルヒネ』という武闘派ではなかったはずのヴィラン。凄まじく悪質ではあったが戦力としては雑魚のはずだったそれは。もはや原型を留めていなかった。
「お前を殺せば治ると、そう言っていた!ぜ、絶対に!絶対だ!!幸せな生活を返せええええ!!」
キャラが違う。最初に思ったのはそんな感想であったし両親と自分の仇でもある。即座に殺し続けていたが、やはり繰り返すごとにやつは強化されていた。
どうせオールフォーワンが悪いのだろう。嫌なところに嫌な奴を、嫌なタイミングで送ってくるのがうますぎる。
どんどん悪化するそれは、これまでも殺せていた。今回もきっと殺すことはできるだろう。自分の最悪の想像がどんどん具現化していくようで恐ろしいが、攻略方法はきっとある。
あの発狂眼球お化けよりも悪いものなんて想像できないから、多分これで上限であると信じたい。
曲がりなりにも、今まで勝ててしまっていたのがよくなかったのだろう。最悪を想像しきれていなかった。いや向き合えていなかった。
『おやすみなさい』
その声は、いつも聴いている声だった。そしてその響きも同じである。
母のような声が聞こえて、意識が遠のいた。