南米の戦いからようやく半年が経ったらしい。
視線を上げると、海が見えた。
空と水の境界が曖昧に溶けていた。眩しくはない。ただ、無色だった。波は遠く、音だけがここまで届いていたように錯覚するが波の音を聞き過ぎたせいだろうか。
視線を戻せばそこにはただの石がある。
誰かがここを見ても、一見して墓だとは思わないだろう。たまに花束をオールマイトが置いていくからそれで察する人もいるかもしれない。
墓碑銘を刻むことが許されない最高のヒーローの墓前に立ち。狩峰淡輝は振り返る。
あまりに慌ただしく、日常的にやり直しをし続けておりすでに体感時間としてはその半年を100倍にしても足りない程度には長くこの世界を歩んでいる。
「ちょっと疲れたから、1日休んで戻りますよ」
爆発的に暴力が増えたこの世界。起こる紛争や闘争は、もはや従来の戦争とは言えず。起こってからでしか知り得ない。組織的でなく一様でなく、あまりに多様性が高い戦いだった。
人々の中に眠る暴力性と、個性という狂気が噛み合うと突如として争いが起きるのだった。
彼らに共通点は一つだけ。多くは死ぬことになるが、一部の話を聞ける状態の者たちは一様に言い訳のようにこう言うのだ。
『こんなにも月が紅いから』と。
皆既月食が起こすブラッドムーンと呼ばれる現象はどこにも発生しておらず、当然ながら月は赤くない。けれど昨日まで善良な市民だった人間が月の光に当てられて暴れ出すことが相次いだ。
地下に逃げても意味はなく、精神的に追い詰められることで発症率が高まったという。
これはあのメンシスとやらが仕掛けた儀式の一つなのだろう。人の獣性を活性化させて暴力や狂気へと駆り立てる赤い月の儀式。
その詳細は未だ不明であり、南米にいた協力者と思しき人物はあらかた捕らえたにも関わらずその全容は全く把握できていない。妄執に取り憑かれた狂人のようなうわ言しか聞き取れず、組織的な追跡は不可能だった。
けれど、地下に捧げられていた蜘蛛に変化させられた人々の保護や生命維持という最低限の部分だけはすることができた。彼らの変化は不可逆だったが、中には意思を示せるものもいた。口田くんのような個性によって意思疎通をできるものも混ざっており彼らを見捨てることは許されない。
麻酔によって彼らは意識を手放して、そして個性と医療によって長い長い眠りについている。世界を平和にした暁には、きっと彼らも助けることができる。そう信じて彼らをどうにか延命しているのだ。
「事務所の捜査資料。死穢八斎會の初期捜査資料がありましたね。そこの孫娘だったらしいですよ。エリちゃんは。もし貴方がいればもっと早くに気づいたのかも」
死穢八斎會によって利用されていたエリという少女も無事だ。片手を失う重傷を負いつつも、彼女の腕は再生医療によって新たに作られ、2ヶ月前には移植手術も成功している。まだリハビリをしている最中だが問題はないだろう。
リソースさえあるならば四肢の欠損や失明ですら治療することができるのがUAIランドの医療体制である。そんな夢のような医療を持っていても、あまりに無力な現実がある。
人は何気なく傷つき過ぎているのだ。世界的に、同時多発的に死人が出過ぎていて手が足りない。
これまでように全てを救うような選択ができなくなってからすでに長い。いかに犠牲を減らせるかというベターな選択の連続でヒーローたちも疲弊を隠せないのだろう。世界中でヒーローの引退と新たな若い英雄の台頭という超常黎明期のような世代交代が行われている。
まぁ、そのまま独裁者になっていくヒーローもまた多いのだが……。
「でも、クラスの奴らはすごいですよ。辛いだろうけど、少しもへこたれない。緑谷だって頑張ってるし、爆豪も……」
オールマイトは未だに戦えはするが、活動限界はあまりに近く。静養を厳命させてもらっている。彼にはまだオールフォーワンとの因縁がある。必ず倒すと心に決めているようで、彼は人を助けに走るという本能をどうにか押さえ込んでこの半年を耐えていた。
彼にだけは俺の苦労を話しているから、だから勝手なことはできないと。本気で自制をしてくれている。ありがたいがやり直しの回数を伝えた時には毎回彼を傷つけてしまっているのがわかる。どうにかしたいが、自分も最善は尽くしているつもりだった。
市中にいる犯罪者を捕まえれば平和になるのか。
国を思うままに操る独裁者を倒せば平和になるのか。
世界を支配していた巨悪を倒せば平和になるのか。
どうやら全部違うらしいということくらいは、本を読んで知っていた。
そして歴史上、世界を最も平和に近づけたのは皮肉にも世界を支配していた魔王であるという事実も認めなくてはいけない。
彼は敵対勢力の排除だけでなく、圧倒的な機能として世界へと君臨した。
寿命や健康を渡し、個性を渡し、敵対者を殺す。そんな存在が重宝されないわけがないのだ。
圧倒的な別次元の存在として君臨する必要がある。一時期はAIにそれが期待されたこともあったが、大規模なデータセンターが維持できない世相になってからはだいぶ鳴りを潜めている。
オールフォーワンという支配者について、思い返すべきだろう。
あれが作った歪な平和という世界で生まれ、そして壊そうとしている一人として決して無視はできないのだ。
南米から始まった世界的な動乱は核の使用という強行によって、ヒーローとヴィランの両方が想定をしない形で終結へと進んだ。
これは自分にとっても、オールフォーワンにとっても予想外の一撃であり防ぐべき事態であった。
あの時爆豪を救うためにやり直していた時にはすでに、傭兵は暴走していたらしく状況を知った時に対処しようとしても無駄だった。
逃走のために通信封鎖した独立傭兵部隊への介入は南米からでは遠すぎるし、核の発射までが短か過ぎた。黒霧を使おうかとも思ったが、やはりモルヒネがいる状態で無数のやり直しはすることはできないと断念。この損失を受け入れた。
この世界で核兵器が発射されたのは100年ぶりであり、核の炎が実際に人々を焼いたのは第二次大戦末期の230年ぶりとなる。
前回の使用は第三次世界大戦の最中。個性革命が続く独裁国家と人道支援を掲げつつ利権を奪おうとする民主主義国家という対立で戦いが頻発し、緊張が限界まで高まっていたその時。
とある個人が核戦争へと発展させたのだ。国同士の軍事力に個人が影響を及ぼし得ると認められなかった世界にとって代償はあまりに大きなものであり、それに比べてきっかけは些細に過ぎた。
『弾道』の個性を使い、『打ち上げ』や『加速』などの仲間たちと協力した若者がアメリカからハワイから戦時中の中国、ロシアへと爆弾ですらないただのゴミを投げたことから始まる。
弾頭として届くようにと作られたその物体は、収斂進化の結果のようにまるで本物の弾頭と見分けがつかない。自由落下の加速を得て自国領空へと到達するその軌跡を個性というイレギュラーに対応できていなかった軍事レーダーが本物であると誤認するには十分だった。
国の代表同士が核を使うと脅し合い、そしてついにそれが行われたと認識されるには悪条件が重なっていたのだが、人類滅亡という罪に対して反省を活かすことはできない。
撃たれたのなら撃たなくてはと、中国が反撃しアメリカが本物の核ミサイルで報復攻撃を実施。
相手が思いとどまるだろうというあまりにも勝手な信頼は夢幻であったのだろう。互いが撃ち合ったと確信した直後にようやく後悔が襲ってくる。
すでに起こっていた異常気象にグローバル経済の崩壊。そこへ追い討ちをかける核の冬の中で人類は到底耐えることはできない。全員が凍えていく中で、ようやく永遠の平和を誓うのだろう。
実際そうなるには十分の状況であり、それは撃たれてしまったのだからそうなるはずだった。
けれど、世界はそうはならず。その弾頭はすべて日本によって撃ち落とされるのだった。
世界の終わりと無能だったはずの国の活躍。その衝撃に我に返った世界はようやく戦争を止めることができた。
そして、それを成したのは明らかにオールフォーワンである。日本にそのような迎撃能力と判断能力は存在せず、政府はある日をきっかけに人が変わったように動き出す。
明らかな異常を多くが指摘しなかった。『奇跡の内閣』ともてはやし、戦争を止めて戦後の覇権へと近づいた成果に誰もが狂喜していたからだ。当然異論は出たのだが、そんな人々は戦後の混乱の中で消されていった。真に賢しいものたちは口を閉じて本を書くのをやめた。
歴史から意識を取り返し、再び地平線に目を戻す。
輝く太陽は、世界を照らしているのだが。あいつもこれを見ているのだろうか。
そして、あいつが見る月も赤いのだろうか。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
「全くイライラさせられるね」
彼が握り潰したのはとある地域の王を名乗っているギャングの頭である。正確にはギャングの頭目の頭を潰していた。
世界的な治安の悪化は自分の計画の中にもあった。しかし、混沌が加速し過ぎている。
なぜ昨日まで平和な主婦だったものがいきなりその地域の反社会組織の長になっているのか。意味がわからなかった。
核兵器もダメだが、この人を狂わせる病の方が問題かもしれない。この不快感は最近多かったが、前に初めて味わったのは100年前だ。
この混沌を極める世界同時闘争という惨状は、自分が然るべき時に引き起こすものだったはずだ。
「僕の
旧支配者は回想する。不快の既視感。その元凶のあの女のことを思い出す。それは第三次大戦の最中、勢力を伸ばし始めた自分の前に唐突に現れた異物だった。
「一緒に世界を平和にしない?」
第一声から狂っていたその女の狂気を、まだまだ知らなかった自分をどうしても思い出すのだった。
どうやら1日勘違いしてたっぽいです失敬!
今日から再開していきます。
過去編。前回の大戦編が始まるぞ〜