世界の半分こ
光り輝く赤子が、その産声で世界を変えてしまうその前。
その少し前から僕はいたらしい。あとで本人に聞いてみたから恐らく合っている。
自分の年齢こそ定かではないが、こちらが年上であると本人同士で合意したのだからそれでいい。
そう。事実などどうでもいい。向こうが先に生まれたという理由で目立っていたのが気に入らなくて、象徴のように祭り上げられているのがイラついて。それだけの理由で、わざわざ出向いて個性を奪って殺してやった。
今思えば子供のような行動原理で笑ってしまうが、実際のところ僕は幼かったのだろう。
誰に何を教わるでもなく、本能的に他者から奪うのが好きだった。人が食べているものが欲しくなる。きっとこの目は色がおかしいのだ。隣の芝がここまで青く見える人間を僕はみたことがない。
気づくと世界に僕はいた。僕が世界の中心であるとどこかで確信をしていたと思う。
好き放題にしていた生まれてからの20年。所有物である弟がいなくなり、そのあたりで少しだけ成長したように思う。それでも今から考えれば愚かであったが、それでも相対的に僕は最強と言って良かった。
個性によって荒れる社会において、人から個性を奪って与えられるこの力はまさに神のような能力であったから。特に驚きも感慨もない。自分よりも弱いものたちがひれ伏していき、その数が増えるごとに確信は強まっていくばかり。
日本という国を丸ごと手に入れることができれば、弟も再び手元に置いているようなものだろう。
そんな考えが、原点だったかもしれない。
いや、違うか。きっと子供の時に読んだコミックが始まりだ。
子供の頃にたまたま読んだ漫画に出てくる、魔王を名乗る悪役の姿が忘れられなかった。
タイトルはもう覚えていない。絵も粗くて、ストーリーも大して練られていない、どこにでもあるような勧善懲悪の話だったと思う。主人公の少年が仲間を集めて、最後に魔王を倒す。読んでいた当時の子供たちは、たぶん全員その少年の側に感情移入していたのだろう。
僕は魔王の姿を鮮明に思い出せる。あいつだけが、好きにしていた。
城があって、部下がいて、世界の隅々に恐怖を行き渡らせて、それでいてどこかつまらなそうな顔をしていた。玉座に座って、頬杖をついて、世界を手に入れているのに何かを探しているような目をしていた。満足していない。もっと何かがあるはずだと思っている目だ。
主人公は何かを守るために戦っていた。仲間のため、家族のため、世界のため。
別に何も守らなくていいし、誰のためでもなかった。欲しいから取る。気に入らないから壊す。それだけだ。行動の理由が自分の中にしかなかった。それは自分の生き方であって、羨ましかったわけじゃない。そっちが人として正直だと純粋に思ったから共感した。
主人公はずっとよくわからなかったということだけを覚えている。
雑誌で読んだ記憶があるそれは、その後の展開で魔王が倒されるらしかった。だから出版社を襲ってその先が出ないようにしてやった。だからあの魔王は恐怖で世界を支配したままだ。雑誌では出たかもしれないが、単行本は出ていない。
好きにやっていると、どうやら世界もそうしたくなったらしい。
世界中で戦争が起き続けたが、日本は比較的平和であって他国と大きく争うことはしていなかった。同盟国からの圧力は日に日に増していき、周辺国の脅しも最後の切り札を出しているような状況だった。
それぞれが国の内部に反乱勢力を抱えており、国が力を持つことのできている最後の時代であるとどこか理解していたのだろう。国内への弾圧も、外国への強硬な姿勢も歴史上最も強かったと思う。
世界の情勢も政治も興味がなかった。自分のものに手を出してこないのならどうでもいい。
けれどそんな時に、ある女が唐突に目の前に現れる。
「一緒に世界を平和にしない?」
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
その頃のアジトというのは、湾岸に建てられたビルの最上階だった。
表向きは休眠中の貿易会社が入居しているということになっていて実際にそういう書類もある。誰かが用意した。僕が指示したわけではなく、気づいたら整っていた。そういうことが増えていた時期だ。下にいる人間たちが、何かと先回りをするようになっていた。
エレベーターは二基あって、どちらも暗証番号とID認証が要る。階段の出入り口には常に人が立っている。外からこの階の窓を狙える建物は三棟あったらしいが、そのうち二棟にはすでに手を打ってある。残り一棟は角度的に問題がない。
前の借主が会議室として使っていたのか、天井が高くて、窓が大きい。夜になると港の灯りが見える。
この窓から見える街並みは全て僕のものだった。
その女の登場は最初からおかしかった。
エレベーターの警告もなく、階段番からの連絡もなく、部屋に慣れないノックがあって当たり前みたいに部屋へと歩いてくる。
帽子を被った女だった。つばが深くて、顔の上半分が見えない。年齢は若く身体が小さくて、服装に統一感がなくて、一見するとどこにでもいる人間に見えた。杖のようなものを持っているが健康に見える。
刺客や敵対者は数えるのも億劫で、その類かと思いため息をついて個性を発動。相手の脅威度を測っていく。
帽子のつばの下から、口元だけが見えた。笑っている。
「一緒に世界を平和にしない?」
ああ、こういう類の狂人かと納得する。
やけに個性の反応が小さかった。あまりに薄い。雑魚か、あるいは個性を持たない人間か。じゃあいらないな。
人差し指から、刃を出す。硬質で、透明に近い色をしている。僕の個性ではない。以前奪ったものだ。名前も顔も覚えていないが、使い勝手が良かったので手元に置いてある。
指先から一瞬で伸びて、脳を貫通するような軌道。無様に部屋を汚し、そして部下が嫌がりつつもそれを表に出さないで片付ける。そこまでの想像ができていたのに、結果は異なるものだった。
上半身だけ、ほんの少し右に傾いた。それだけだ。刃が耳元を通り過ぎた。避けたというより、そこにいなかった。足が動いていない。重心の移動が最小で、無駄が一切なかった。
疑問を感じつつも、偶然ということもある。次は左手を掲げて、苛つきを熱に変えて放つ。これも奪いものだ。温度を上げた空気を圧縮して飛ばす個性で、当たれば皮膚が爛れる。狙いを散らした。一点ではなく、女を中心にした半径二メートルを面で焼くつもりで出した。避けようのない範囲だと判断した上で。
女は三歩だけ動く。
軌跡を後から追うと、熱の通り道を全部外していた。三歩で。面で来ることを、出した瞬間に読んでいた動き方だった。
僕は手を下ろした。
もう一度試した。今度は見えない電磁波を使った。電子レンジを再現するような個性であり、これは目が良ければ避けられる類のものじゃあない。
そこからもあと二種類の方法で殺害を試みたが、その全てが最小の動きで防がれる。ようやく反射的な苛立ち以外の感情が、疑問が無視できないほど大きくなっていく。
「お前は、何者だ?」
この女の個性の反応は薄いのは間違いない。
ようやく気づいた。反応の質が違う。個性で動いているのではなく、経験で動いている。どこかで、これと同じかそれ以上のものを何度も受けてきた人間の避け方だ。
「少し前までは平和を願うただの主婦だったけれど、あなたには『狩人』とでも呼んでもらえればいいわ」
返ってくるのは戯言のみ。どうやらこの部屋を僕が壊さないだろうとたかを括っているらしい。コストを度外視すればいつでも殺せるというのに。
「どうやって避けた。個性はなんだ?」
「質問には答えたでしょう。次はこちらの番よ」
スタスタと無防備に歩み寄る。
その姿はどこか歪で、熟練の兵士のような。違うような。まるで自分と同じかそれ以上に血を見てきたもののような、そんな余裕のある歩みであった。
「今から3回。あなたを殺すわ。そこから話を聞いてちょうだいね」
そう言いながら手元の杖を捨てる女。
腕を払う動作で致死の豪風を巻き起こすその手前、相手はさらに深い踏み込みでこちらの懐に潜り込む。バカが。肉を切らせて骨を断つなどということは、この力量差では起きるはずもない。
だいたい、個性で体は守られている。ちょうど刃物で狙いたくなる場所には不可視の空気を圧縮した鎧が用意されていて……。
撫でるように動いた刃物は、狙うべき箇所を一つも傷つけず。可動の際に必要な隙が全て把握されていた。その衝撃に一拍攻撃が遅れる。範囲攻撃が周囲を吹き飛ばす時には、部屋の中の最も頑丈な机を盾にして、器用に生き残った女が何かをそこに置いた。
「まずは奇襲で一回。あなたも知らない激毒よ。これを塗ったら殺せてた。あとで確かめてちょうだい」
何かがブチりと切れる音が聞こえる。もういい。こいつはこのビルがどうなろうと殺してやる。
内側に溜まったストレスが、目の前に発生した黒いエネルギーの塊へと注がれる。半径50mは吹き飛ばせる爆発だ。これが防げるわけがない。
「いいけど、廊下にゲストを連れてきているわよ。弟さんとあなたって似てないわね」
動きが、個性が止まる。こいつは何を言っている?
そうして駆け出した女が手に持っているのは、捨てた杖だった。
「再現が難しいのよ。特にこの蛇腹はね」
熟練の槍や棒というものは曲がってしなるように見えるらしいが、これはそのレベルではなかった。杖自体が分解したかと思えば、それが伸びて斬撃を間合いの外から浴びせてくる。
全面展開の障壁を張ってそれを防ぐが、特に威力はなさそうだった。これなら油断をしなければ負けはない。かなり頑丈な素材でできているようだったが、それだけだ。
「他にも、あなたが長年探してた個性の人たちを連れてきたから、後で会ってあげてね」
両手を使い殺意をぶつけ続ける。
右から刃と鞭と礫、左から熱と泡、同時に、しかし絶妙にタイミングをずらしながら出し続けた。部屋の中が徐々に削れていく。テーブルの端が焦げて、窓際の壁に細い切れ目が入って無惨な瓦礫へと変貌していく。けれど女には何も当たっていない。
おかしい。
だがしかし、動かすことはできた。そいつはずっと廊下を背後に立回り続けており、今ようやく動いたのだった。なぜかその辺の瓦礫をポイっと投げており、こちらを挑発する余裕を見せびらかしているらしい。
「 死ね 」
どれだけ速かろうが、光速の攻撃は見てから避けることはできない。5本のレーザーをまるで散弾のように散らして投射する。決して常人には到達できない威力と速度。これで多くの個性自慢を瞬殺してきたものだ。
それを空中で体を曲げて、全て避けたのには驚かされた。
けれど、続けて撃ち続ければいいだけ。燃費は悪いし個性自体が劣化する負担もかかるがそれでもいい。
「っっ!!??」
さらに驚愕したのは、壁を貫通したその光が全てこちらに戻ってきたことである。
4本で障壁が破壊され、そして最後の一本は先ほどやつが投げた瓦礫が当たって消えていた。
「はい。正面戦闘で2回目。ついでにその壁の裏にいるのはあなたが探していた『反射』を持っている人よ。大事にしてあげてね」
瓦礫の残骸が、静かに落ちた。
レーザーは消え、壁に四つの穴と焦げた床。砕けた障壁の残骸だけが残っている。
何も言わなかった。言える言葉がなかったというより、言葉にする前に整理すべきことが多すぎた。あの瓦礫は偶然ではない。最初から計算していた。レーザーが壁を抜けて戻ってくることも、それが僕に当たる軌道になることも、瓦礫がどこに落ちればそれを消せるかも、全部込みで動いていた。
あいつが投げた瓦礫に、僕は助けられた。その事実が、胃の底に溜まって無視できない。
埃を払う仕草が、ひどく気軽だった。
「次が最後よ」
帽子はまだ傾いていない。息も乱れていない。部屋がこの状態になっているのに、こいつだけが最初と同じ場所に立っているように見えた。
油断ということにする。
ここまでの全てが、強者ゆえの僕の油断だった。個性の反応が薄いと見た瞬間に格下と判断して、格下に対する殺し方をした。範囲で押し込んで、速度で潰して、逃げ場をなくせばいい。
もう一度、最初から見直す。
この女は個性で動いていない。経験で動いている。それは最初に気づいた。だが経験だけでレーザーの反射を利用できるか。できない。あの瓦礫の投げ方は、この部屋の構造と僕の攻撃の癖と反射の個性の角度を全部把握した上での動きだった。情報を事前に持っていたか、あるいはこの短時間で全部読んだか。どちらにしても、普通ではない。
この女はどこまで、何を知っている?
次が最後と言った。あと一回、何かをしてくる。何で来る。奇襲は一回目で使った。正面は二回目で使った。残り一回も僕を殺せると思っている。
もう部屋がどうなろうと関係ない。ビルごと落としてもいい。廊下に何がいようと知ったことではない。弟がいると言ったが、確認していない。確認する必要もない。今この部屋にいるのはこの女だけだ。全てこいつの嘘ということもある。
もう、全てがどうでもいい。
個性を全部出す。今まで使っていなかった分も含めて、全部同時に。それは前に一度だけ試した
全因子を解放するという荒技である。
「お前が何を知っていようが」
腕を伸ばして相手の命を掴み取る。昔からやっている同じ動作だ。
「関係ない」
両手を上げた瞬間、女が動いた。
まるで最初の自分の攻撃のように、指をこちらに向けている。いや、僕の後ろの窓を指差している?
見えすいた視線誘導にはかかってやらない。
背後も同時に見えるように視界を後ろにも発生させる『複眼』を使用。全方位を警戒するが……。
「派手にいきましょう?」
その光景に目を奪われた。
ゆっくりと、飛行機が飛んでいる。地面に向けて。
そう認識してから一秒もなかった。機首が見えた。胴体が長くて、塗装は白に青のラインが入っていた。それが窓の向こう、斜め右前方にある別のビルに向かってほぼ垂直に落ちていた。
頭から刺さるように、機首がビルの上層階に入っていく。
ガラスが外側に吹き出して、それが光を受けて一瞬だけ綺麗に光った。翼が建物の外壁に当たって折れた。左翼が先で、右翼がコンマ数秒遅れた。胴体がそのまま沈んでいく。建物が飲み込んでいく。
音が来た。窓が全部震えて、床が揺れて、遠くで何かが崩れる音が連続している。
僕は動かなかったが、ビルは傾いていた。
あれだけの質量が上層階に突き刺さったのだ。構造が耐えられるわけがない。ゆっくりと、確認できる速度で、ビルが横に傾いていった。内側から圧力がかかって外壁が膨らみ、それが破裂するように一層ずつ潰れていった。粉塵が出た。灰色の雲が横に広がって、下の通りを埋めていった。
崩れながら沈んでいく自分の世界。その噴煙と炎が、自分を激しく侵食しているような。
初めての不快感を腹から感じる。
「今のを落としたのは友人よ。当然だけど、ここに落とすこともできた。あの落下の衝撃にあなたは耐えることができない。これで3回目。そろそろ話を聞きたくなってきたでしょう?」
渾身の暴力を振るう寸前に、目の前でそれ以上の蛮行を行われた時に、人がどうなるのか初めて理解した。やけに冷静になっている。血の気が引いて、頭に上がっていた余計な血が落ち着いた。
自分より酷いものを見ると、人は冷静になるらしい。
「……話してみろ。狂人め」
ふふっと笑い。女は話し始めた。
「二日後に、核戦争が勃発する。私たちでそれを防いで、世界を平和にしましょう?あなたには世界の半分をあげるから、協力して欲しいの」
最初から最後まで、脳が理解を拒否するような荒唐無稽なことを吐き続けるその口を、どうにかして静かにさせる個性はなかったかと自身を探る。
現実逃避気味にこんなことを考えていたのは、自然な防衛反応だったと今ならわかる。
この女とその友人とやらは、あまりに理解の外にあり過ぎたから。
スリル満点!