「核弾頭というのはね。基本的に撃墜できないものだよ」
崩れゆく瓦礫を眺めながら、窓の外を見たまま言った。
「弾道ミサイルの終末段階、大気圏再突入後の速度はマッハ十五から二十だ。迎撃ミサイルがそれに追いつくためには、同等かそれ以上の速度で逆方向から当てにいく必要がある。相対速度はマッハ三十を超える。当たる確率を計算してみるといい。ゴルフのボールを別のボールで空中衝突させる方がはるかに簡単さ。しかも一発じゃない。MIRVで分離した場合、終末段階では複数の弾頭が別々の軌道を取る。どれが本物かも、どれだけあるかも、外からは判断できない」
男が指を一本立てた。辛抱強く教えるような調子で、しかし急がない。この話を何度もしてきた人間の間の取り方だ。
「個性で落とせばいいと思うだろう。電磁波で誘導装置を焼くか、軌道ごと弾くか。やれないことはない。ただ、発射から着弾まで最短で十五分だ。どこから来るかわからない。探知できなければ、十五分すらない。個性で空を全部塞ぐには範囲が足りない。迎撃は不可能だ」
笑顔のまま、肩をわずかに上げた。それだけで終わりだという顔をしている。
「だから核というのは、防ぐものではなく撃たせないものだ。撃たれた時点で、もう遅い。そういう兵器だよ」
この自分が大国と致命的な敵対を避けてきた理由の一つがそれだ。個性でどれだけ強くなろうが、大型ミサイルの雨の前では生き延びる算段が立たない。力で解決できないことがあるという事実は、わりと早い段階で理解していた。
「ええ、ありがとう。今の説明は全部知ってるわ。ふふ、一言一句わかってる。ちょっと歩きながら話しましょうか」
女が先に歩き始めた。案内するように、しかし振り返らずに。自分のビルで自分が先導される理由がない。だが止める気にもならなかった。
廊下に出ると死体がいくつか転がっていた。全滅ではない。意外だった。床に伏せているものや壁に寄りかかって動かないものが混在していて、生きているものは息を潜めて気配を消している。殺さずに無力化している。手間のかかることをする女だ。
強化した嗅覚が、弟の匂いを捉えた。
薄い。しかし確かにある。先ほどまでここにいた。それだけはわかったが、何も言わなかった。言う必要もない。
「なぜ殺さない。殺人を避けるようには見えないが」
「説得できる人は殺す意味がないでしょう。チェスより将棋の方が複雑で私は好きかな」
聞いていない。好みの話など一切聞いていない。こめかみの辺りで何かが力んだが、この際だ。努めて無視する。エレベーターは使わずに階段を下りた。女の足音が軽い。荒らした後の自分のビルを、遠足にでも来たような顔で歩いている。
ロビーに着くと、人がいた。
百人には届かないくらいだろうか。広いロビーに固まっていて、全員の表情がばらばらだった。怒りで顔を赤くしているものと、恐怖で青くなっているものと、ただ困惑して立ち尽くしているものがいる。共通しているのは、ここに自分の意志で来たわけではないという顔をしていることだ。
「じゃあまずはあなたへのプレゼントを紹介するわね」
女が振り返った。笑顔だった。
これらは全て女が協力を要請したり、拉致したり脅したりして集めた人々だという。もちろん色んな人を使ってやったわよと言い訳をしているが意味はわからない。
「あなたはね。簡単に言えばスキルの合成みたいなそういう装置なの」
「……本当に何を言っている?」
「ゲームでもして学んでね。つまりは個性を混ぜ合わせることができる特別な器とか装置ってこと。他にできるのは子供を作る時くらいっていうのは知っているでしょう?」
手を振って、人々の誘導を始める。
「はい。こちらに緑の人は集まってくださいね〜」
快活な声をかけると、びくりと人々が動き出す。それぞれが疑問すら挟まずに狩人を名乗る女の言いなりになっていた。
「こちら右から、『再生』『活性』『修復』『治療』『加速』『再現』の良い感じの保有者ね。全部合わせると『超再生』と呼べる個性になるわ。これだけでかなり死にづらくなるはずだから、プレゼントよ。今回の死因の三つ中二つはこれで防げる」
促されるままに個性を奪い取る。普段なら検知に掛からないほどの弱い反応が多い。無個性や雑魚個性として歯牙にもかけないレベルだ。けれど『再生』持ちが複数いるのはどういう意図だ?
「はいはい。ちゃんと教えますから待ってね。こちらの彼が『統合』彼女が『融和』。あの子は『結合』ね。これを合わせてあなたの中でまず、『超融合』を作って。それで細かい個性を合わせて強い『再生』を作れるから」
相手の能力を有無を言わさずに勝手に融合するあたり、原作リスペクトよ。という言葉の意味はわからないがこいつはなぜ僕の個性の特性を。しかも自分が知らないこんなことを知っているのか。
「でも、確かめるにはやってみるしかないでしょう?あなたならそう言うわ」
敵に力を与えて一体どうしたいのか。訳がわからぬままに、その個性を奪ってみる。
そして、それを混ぜ合わせるような。そんなことを試してみた。これまで試さなかったわけではないが、基本的に別々で運用するのが当たり前だった。エネルギーだけに変換してぶつけるぐらいならできるのだが、今回はそれを避けてやってみる。
ベラベラと喋り続ける女の助言はやけに的確で、聞き流すこともできない。自分の内的な感覚の話を人から指摘され続けるという会話に妙な感覚があったが、すでに違和感を忘れるほどにその結果に圧倒された。
複数の小さなものがまとまって、一つの個性に集まった。まだまだ荒削りだが、それでも強い『再生』がこの身に宿っている実感がある。銃器や刃物の類では、もう死ぬことはなさそうだった。
「この人たちの個性は一旦ここで全部受け取っておいて。あとで合わせ方と使い方を説明するから」
個性を集めるというライフワークを断る理由はない。いくらか改善された機嫌とともに多くの力を奪い取った。
「じゃあ、みなさんお疲れ様でした。後日補填というか、謝礼を送りますので。ご無事に帰ってくださいね〜」
手を振って解放される人々は本当にこれで終わりなのかと疑心暗鬼になりつつも、それでも一目散に出ていった。
それをビルの前、玄関口で見送っているとこちらに向かってくる人影が見えた。
粉塵が、風に押されて薄くなっていった。瓦礫の輪郭が見えてきた頃、そこから人が出てくる。
裸だった。上から下まで何も身につけていない。瓦礫の上を素足で歩いていて、足元に気を遣う様子がない。尖った鉄骨を踏んでいる。踏んで、そのまま次の一歩を出す。
「やあ。勧誘はうまくいったのかい?」
笑っていた。ああ、こいつがあの友人とやらだろう。
目が細い。もともとそういう目なのか、笑っているからそう見えるのかが判別できない。口角が上がっていて、表情全体が穏やかだ。近所に買い物に来た人間の顔に見える。粉塵まみれで、旅客機が刺さったビルだったものを纏いその顔をしている。
体の表面に傷がない。粉塵はついているが血はない。あの崩壊の中にいて、擦り傷一つない。服が消えた理由を考えた。爆発か、摩擦か、あるいは最初からなかったのか。どれも正解ではないような気がした。
細い目の奥には温度がなく。笑顔と目が別々に存在している。口元は穏やかで、目の奥には何もない。感情がないのではなく、感情を使い切った後の目だ。あるいは、感情が暴力と完全に一致してしまって、もはや区別がついていない人間の目。
その目を知っていた。鏡でよく見たことがあるから。
やあ。と男が言う。声は低くて、落ち着いていた。
振り返らずに、倒壊したビルの方向を親指で示す。笑顔は崩れない。
「しかし、どうして良い結果になるのか。狩人ちゃんの言っていることは訳がわからないからねえ。こちらとしては楽しそうだから乗ったけど」
「ありがとうございます。楽しかったのなら何より。これからもっと楽しくなりますよ。つまらなくなったらいつでも裏切ってくれていいですから」
「彼女は若いのに理解があって素晴らしい。君もこんな風に説得されたのかな。これからよろしくね。えーっと。たしか魔王君だっけ?」
「まだ、魔王志望ですから。でもそれでいいと思います。彼のことは帽子とでも呼んであげてください。あまり一緒に行動はしないので気になさらず」
そう言って、ハンチング帽を彼に向けて投げ渡し、他の着替えが入ったバッグも放るのだった。
「いい加減に根幹を説明しろ。あまりに意味が通らない。これ以上こちらを試そうというのなら……」
「はい。ここにある程度の説明が書いてあるので読んでくださいね〜」
『世界平和のしおり』と雑に印刷された数枚の紙がまとめられている資料がそこにある。
あまりに気が抜ける間の抜けた資料。用意した脅しもすり抜ける。まるで形を捉えることはできないこの異常を前に、戦闘よりも知らなくてはいけないという感覚が強くなり続けている。
用意された紙、というより小冊子を見てみると相手の能力が簡単に書かれており、この後のスケジュールすら書かれていた。
曰く、こうらしい。
・個性以外の予知能力を持っていること。
丁寧に、それを読んだ時のこちらの心象すら文字起こしされていた。心底気色が悪い。
さらに今後の行動すら書いてある。しかし、そんなものを信じることはできない。他の誰かの個性か、それとも巧妙に隠しているこいつの個性か。それを暴かなくてはいけない。
・核戦争が起きること。その弾道計算の結果をすでに知っているらしいこと。
・それらを撃ち落とすための個性とリソース。作戦があること。
・これから内閣府の職員の手引きで日本の中枢に乗り込むこと。
そんなことが書き連ねられた怪文書を読み終わり、なぜ自分が納得しているのか愕然とした。
この不出来な予言書のようなものがこれからの現実を言い当てているような気がして、それを無視できない。
そう思って最後のページを開くと、ダメ押しの一言が書かれていた。
『なお、このページをあなたが読んでいる頃。私は欠伸をして時計を見せているでしょう。その時間は12時38分29秒。そろそろ信じてくれるでしょう』
このページを読んでいる今の時刻が秒単位で事前に印刷されていた。いい加減に認めるしかないらしい。
「劇的に説明するのもいいけど、結構時間に余裕はないの。あとは移動しながらでいい?核戦争は流石に困るでしょう?ついでに日本もあげるし、良い取引だと思うけど」
「まずはどの程度この預言書が実現するのか見てやる。全面協力とはいかないよ」
「ええ、その嫌な感覚は無視していいわよ。今まで人のペースに巻き込まれたことがないだけの経験不足からくる違和感だから。女性に引っ張り回されるなんてあなたは二度と経験できないだろうし、良い機会だと思って欲しいの。あ、私は既婚者だから、それはごめんね?」
こいつはいつか殺す。それだけは心に決めるが、実現しそうにない殺意というものを初めて抱いた感覚が困惑をさせてくる。
「友人ということでいきましょう。あなたの初めての友人。『狩人』と『帽子』と『魔王』で世界を救う。臨時のパーティーってところね」
「総理大臣かぁ。仲良くしてくれるかなぁ」
手を差し出されるという光景を初めて見た。自分に触れれば個性を奪われて。何を渡されるかわかったものではない。だからこそ、こんな風に対等な様子で握手を求められることなど初めてだった。
「君はいつか必ず殺すよ。それまでは利用してあげよう」
相手の個性を探る。そこにあったのは『目覚め』眠りからの覚醒が素晴らしく良いものになるというもの。はっきり言ってゴミだった。睡眠が不要になる個性を集めた方がよっぽどいい。
「無理なこと言うのは男の子らしいけど。あなたモテなさそうねぇ」
殺意で交わした握手には敵対感情以外、何も込められていない。
けれどそれは、自分にとっては日常以外の何かの感触があったのだった。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
そこからの移動は車だった。
黒塗りの車が三台、ビルの裏手に待機していた。誰が用意したのかを聞く気にもなれない。どうせ答えは既に冊子に書いてあったのだろう。詳細までは確認していないが。
助手席に乗れと言われたので後部座席に乗った。
「結果を全部知っている相手に、滑稽だとは思わないの?」
「黙っていろ」
帽子の男は別の車だった。着替えを終えた後の姿は多少まともになったが、笑顔だけが変わらない。
街中は戦時中とは思えない平穏がいつも通りに続いていて、地続きでない島国の恩恵が人々から戦いを忘れさせてくれているらしい。
個性犯罪は多くなっているが、まだ日本という国は機能し続けている。だからこそ、自分は裏から支配を広げていた最中だった。
首相官邸までの道は空いていた。検問が二箇所あったが、どちらも止まらずに通過した。車を見た警備の人間が何かを確認して、それからすぐに道を開けた。手引きというのはそういうことらしい。内部に人間がいるそれもかなりの中枢にいるらしい。
官邸の裏手で車を降りた。
出迎えたのは中年の男だった。スーツが皺だらけで、目の下に隈がある。眠れていない顔だ。女を見た瞬間に安堵とも絶望ともとれる表情をして、それからこちらを見て固まった。
「ご案内します」とだけ言った。声が震えていた。
カーペットが敷かれていて、等間隔に扉が並んでいる。すれ違う人間が全員こちらを見た。見て、何かを察して、視線を逸らすものもいる。
案内の男が足を止めた。
両開きの扉の前だった。重そうな木の扉で、左右に警備が一人ずつ立っている。男が見せた許可証を見せると自然とその扉を開けた。
「ここが日本の心臓だって」
扉を開けると長いテーブルがあった。両側に人間が並んで座っていて、正面の上座に一人。全員がこちらを向いた。書類を持ったまま固まっているものや、立ち上がりかけて止まっているものがいる。部屋の空気が一瞬で変わった。
上座の人間が口を開いた。この国で二番目の上座にいる人間だ。
「一体どちらの……」
「この世界大戦の話をしに来ました」
そう言いながら銃を取り出して突きつける。狩人の声はやけに明るい。
「時間があまりないので、座っていてくださいね。立たれると邪魔なので」
誰も動かなかった。動くはずのSPは微動だにせず、何かを恥じるようにして床を見つめている。
部屋の端に立ったまま全員を一度見渡した。個性の反応を測る。強いものはいない。この部屋に戦える人間はいない。それだけ確認すれば十分だ。
「要求はなんだ?何が目的だ?どうやってここに!?」
思ったよりも動揺していないのは流石に国のトップだろうか。いや、震えているな。虚勢を張っているだけか。
「私は恒久の平和を念願しているだけですよ。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存をちょっと保持しようかなって。つまりは……」
内閣総理大臣の眉間に銃を突きつけて、そして言う。
「核戦争を止めに来ました。全て協力しなさい。ということです」
平和を謳うの狂女が国家の中枢へと届いた瞬間を見た時に感じたものは、一抹の同情心だった。