航空自衛隊の基地というのは、思ったより静かだった。
格納庫が遠くに見えた。シャッターが半分開いていて、中に戦闘機の機首が見える。整備員が二人、何かを確認しながら動いていた。滑走路は視界の端にあって、今は何も動いていない。風が強くて、基地の端に並んだ街灯が微かに揺れていた。
連れてこられた会議室は嫌な緊張感に満ちている。自分は気にしないが、ここにいる人間は誰もが平静ではないとあらゆる感覚器官が拾ってくる。
こちらのパーティーを除いて、誰もが動揺し続けている。
窓が横長で、外の光が斜めに入ってくる。壁が白くて、蛍光灯が二列並んでいる。長机が並んでいて、パイプ椅子が規則正しく配置されていた。
軍の施設の会議室というのは、どこもこういう顔をしているらしい。余計なものが何もない。飾りもなく、観葉植物もなく、ただ必要な機能だけが置かれている。用が済めば片付けて、また別の用途に使う。そういう部屋だ。
窓の外で、輸送機が一機、遠くをゆっくりと横切った。音が遅れて届いた。
「個性があってもそれを扱えるかどうかが重要。まして複数の個性なら尚更だし、普段から訓練をしている人でなければ到底無理ね。その点あなたは何でもできるみたいだけど、その性能を限界まで引き出したり個性を育てることは苦手みたい。人のものはやっぱり人のものってこと」
女の声が白い壁に吸われていった。
元テロリストであり現内閣特別補佐官という地位。ありえない速度と暴力でこれを得たこの女の説得は、あまりにスムーズで無駄がなかった。場所が基地の会議室でも官邸の廊下でも瓦礫の前でも、こいつの話し方は変わらない。
外でまた風が吹いた。窓枠が微かに鳴った。
こいつの官邸での説得は筒がなく進行しあまりに何も起こらないため拍子抜けですらあった。
『以心』と『伝心』という個性を狩人へと一時的に与え、そして『受信』と『読心』という個性を総理大臣に与えるだけ。
心の中のイメージがそのまま伝わるそのコミュニケーション方法に衝撃が走るも、たったそれだけで嘘偽りなく全てが伝わるというわけだ。互いに発信と受信側を変えて体験してみればわかる。これは心を読むほど強い個性ではないが、二心を抱えて使えるものではない。
テロリストの妄想から、彼らの中では預言者の託宣に変わっていく。
「あなたの個性のやりとりって、なんていうか。シナジーがないのよね。しかも大体自分に溜め込むだけだし、それってものすごく勿体ないことだと思うの」
認め難いが、このような個性の運用は思いつくことはなかった。基本的に個性というのは独立しているものであって、それを合わせて使えるのは自分だけでいい。それが当たり前だったから。
よほど気に入った相手にしか個性は渡さないし、重要な個性なら尚更だった。はっきり言ってこの体験によって『オールフォーワン』の運用方法は大きく変わったと言っていい。
唯一の苛立ちは、自分をまるでなんでも取り出せる便利なロボットのように使っているその態度だけだ。
毎度我慢の限界に触れる瞬間に用意しておいたであろうこちらに有用な個性の組み合わせやその在処を伝えてくるから、最後の最後まで妨害をする気が起きなかった。
「というか、核戦争になったらあなたの国というか世界がめちゃくちゃになるのだから。いい加減に協力して。これ以上は子どもっぽすぎるわよ」
殺意を膨らませると、帽子が嬉しそうに身構える。それを見て、戦意が削がれてさっさと済ませるように態度を変えた。あれと関わるのはごめんだ。
思い出すのは先ほどまでいた瓦礫の前。帽子と接触した最後の機会だ。
かなり強力な個性の反応がしたため、当然ながら個性を奪いにかかった。それも決まっていたのだろう。それを笑顔で受け入れ、その隙に銃で障壁の内側から連射してきたこいつは、まるで死というものを恐れていなかった。
『超再生』がなかったら死んでいたかもしれないその不意打ちも、今はもう効かない。
個性を奪って殺そうとした時に、また邪魔がかかったのだ。
「あなたは器用だけれど、万能というわけじゃない。人の個性によっては宝の持ち腐れにもなる。彼の個性はまさにそれ。彼の特殊な精神構造があるから成り立っている個性なのよ」
そう言われた時に個性に触れて、それを一旦奪った時ゾッとした。
これは死ぬたびに自分自身を再構成する個性である。再び作られたそれは自分ではなく、所持しているだけで記憶の障害まで起きそうな気配がある。
「ええ、彼は重度の記憶障害を抱えている。けれど、衝動的に行動し続けているからそれを気にしていないだけ。連続性というものがどうでもいいなら、個性を奪うのも良いけれど……。それに、個性にはその人の記憶というか、意識がついてくるのでしょう?彼は面倒よ?」
『やぁ。よろしくね』
脳裏によぎったこれまでとは次元の違う自我の囁き。そして記憶の欠落。その予兆を感じ取り反射的に男を再び掴んだ。即座にこの呪物のような個性をなすりつけ、気色の悪い男を投げて捨てた。
「ひどいなぁ。こんな乱暴するなんて」
配慮などしなかった。両足が折れたのだろう。それを見るや否や
パン。という音と共にこめかみを撃ち抜き、そして怪我のない姿で立ち上がる。それは先ほどと同じ人物と言えないというのに。
「えーっと。ごめんね。君は誰かな?彼女の方は、覚えているんだけど」
「気にしないで、仲良くなれたところだから。彼はあなたに新しい能力を分けてくれる人よ。『透明化』と『分身』なんて使えたら、きっと面白いと思うでしょう?」
その光景を嫌悪感でいっぱいの感情で眺め、こいつらとは早く関わらないようにしようと決意する。こいつに触れるのはこれで最後だと絶対に決めた。
この日学んだことは自分の世界を変えてしまった。
奪ってはいけない猛毒のような個性もあるということと、理不尽な無個性という不条理な存在もいる。この二つだ。
「整列! 人員報告!」
「特務隊、総員33名、事故なし、現在員33名!」
各人の点呼が行われ、大きな声で数が数えられていく。
「以上!」
あまりにはっきりとした発声を聞いて、意識は目の前の兵士たちへと切り替わる。
そこには自衛隊の中から一方的に選抜されたメンバーが揃っていた。航空自衛隊に偏ってはいるものの彼らは陸海空と無関係なところから集められており、整列しているが内心は疑問で埋め尽くされているらしかった。
ここに追加で、民間から狩人が集めた人材も合流させている。40名とちょっとがここにいた。
民間人と軍人が合わせて80人程度。
「作戦と内容は個性を使って伝達します。驚かないでくださいね」
『伝心』を強力に、そして一方的にすることで実現する80人への情報の投射。それは到底初見ではできるはずのない個性であるはずなのにその女は使いこなしている。5分前に与えられた所ではなく、5分前に作られた個性をなぜか十全に使えていた。
作戦の内容は単純だった。単純だが、正気ではない。戦闘機で核弾頭を撃ち落とす。それだけだ。
ミサイルで迎撃するのではない。専用の個性を持った人間が戦闘機に乗り込んで弾頭に並走して、搭乗している人間が個性で直接無力化する。女が持ってきた作戦はそういうものだった。
「馬鹿げている!こんなのは不可能だ!!」
速度差の話をすれば、戦闘機の限界はマッハ5程度だ。核弾頭はマッハ15で落ちてくる。同じ軌道を取ったとして、相対速度の差は秒速にして約3,400メートル。一秒ごとに3キロ以上引き離されていく。並走どころか、視界に入った瞬間には既に前方に消えかけている。
たった1秒であると糾弾されるが、それに女はこう返す。
消えるまでに一秒もあると。
「通常兵器やレーザーの類を想定するなら不可能でしょうが、個性による妨害は核戦略に含まれていません。海に落とすことは十分に可能です。放射性物質が海中に眠ることになりますが、その落ちるところまで計算はできていますので回収の心配も不要です」
視認できれば個性は届く。届くなら無力化できる。その個性を持った人間を戦闘機に乗せて、弾頭が通過する軌道上で待ち構える。通過の瞬間に発動する。それだけと言い切る狂人は確固たる自信を持って断言した。追いかける必要はない。来るものを一瞬だけ見えればいいのだと。
問題は、その一秒が本当に一秒あるかどうかだ。
高度、速度、軌道の誤差、気象条件、搭乗者の反応速度。全部が噛み合った時だけ成立する。どれか一つがずれれば、戦闘機は何もできないまま弾頭に置いていかれる。
「それに、民間人までそんな高速戦闘へと駆り出すなど、あ、ありえませんよ!単純に不可能だ」
「では、世界は核の炎に包まれた。という語りであなた方の子供たちは物語を聞かされることになりますね。寒い寒い、終わらない冬の中でそんな終末を体験させるなんて嫌ではないですか?」
「それとこれとはっ……!私は能力の話をしている!訓練されていない個性を持った一般人には到底できるような内容ではないと言っている!!」
力強く机上へと叩きつけられたのは正論と拳の両方だった。
「ええですから、適正のある彼らを強化します。個性を触れないと使えないものは見ただけで使えるようにする。そして、反射神経に劣るものは単純に強化を施します」
「バカなことを!いや、一体そんなことを……まさか。でも、どうやって?」
「ご紹介します。皆さんの救世主。この世界を救うために数多の理不尽に耐えるヒーロー。彼のことは敬意を込めて『オールフォーワン』と呼んでください。たった一つの世界のために全ての力を合わせましょう」
にこやかな紹介とともに、自分という存在が浸透していく。
ほぼ1日しかない訓練の時間は個性の習熟訓練に当てられて、そのための熟練者なども連れてこられていた。誰もが家族のために、自分のために、世界のためにと動いている。
「おい。あの帽子がいないぞ。目を離してもいいのか?」
「ああ、彼ならもう。中国へと投下されました。JAXAのロケットから分離して今頃目標の場所へと落ちているはずです。彼だけは燃え尽きないように加工しましたから大丈夫です。きっと隕石か何かと見間違えられている頃ですよ」
一体なぜと問う前に説明がされる。
「第一波はこれまでの準備でなんとかなりますが、第二波以降はちょっと難しいので、中国を内側から崩してもらいます。あなたにもらった個性があれば彼ならやってくれますよ」
「記憶を失ってもか?そんなに都合よく人が動くとよく信じることができるな。いや、これも予知だったか。くだらない」
「彼は近くの人の不都合になるようにしか動きませんから。あれを国内に落としただけで十分なんです。最初の方はちゃんと忘れずにやってくれますしね」
「絶対にあれは僕の支配地域に近寄らせたくないね。あの国であればだいぶ長持ちはするだろうが、終わったなら別の国を用意してでも遠ざけるべきだ」
「きっと大丈夫。そこまでは断言できないけれど、きっと三国志のように国を割ってくれるわよ。あの人、絶対最後まで一つの陣営では戦わないから」
そういえば押しかけられてから、ここまでゆっくりと話時間はなかったかもしれない。
「それで、だ。総理大臣どころか内閣全部に個性を融通してやって、彼らはもう僕には逆らえない。健康も寿命も、敵を消すことも全部僕がいれば叶うし。敵対されれば終わりと理解している。僕はこの国を得ることができた。では、お前の狙いは一体なんだ?」
そうしてこちらを見る目には何かよくわからないものがあって、なぜか初めて目が合った気がした。
「そうね。私は、私が後回しにしてしまったことの贖罪がしたいだけ。もちろん家族の命は大切だけど、きっといつか私の子供の、そのまた子供の誰かはきっと、私が残してしまったものに捕まってしまう。私にはどうしようも無かったから血を代償にして逃げ出した。必死で戻ってきてしまったけれど、きっとまた繰り返されるのよ。夜はまだ終わっていないから」
そこにあった何かはかき消えて、最後にはこの女の芯でありほぼ全てである狂気が言葉に滲んでいた。自分だけの世界を語る狂人の言葉は、現実の誰かには届かない。
「嘘を言わずにそこまで支離滅裂なことを言えるのはいっそ感心するね。気色が悪いよ。心底そう思う」
「ごめんなさいね。でも、聞いてくれてありがとう。きっとあなたにも迷惑がかかるかもしれないから。私とその家族には関わらない方が良いわ。これだけは何度でも念押ししておくわね」
「これが終われば二度と会わない。そう願うよ」
「たまにはあなたのためにゲームでも送るわよ。本当に鍛えてくれないと、世界はめちゃくちゃになってしまうんだから。頼んだわね」
「僕に世界を預けると?やはり正気じゃない。僕はそのうち世界を壊すぜ?自分勝手に、気分で壊すと確信しているよ」
「ええ、それでいい。きっとあなたは世界を栄えさせて、絶頂の時に壊すでしょう?そこまで幸せにできるのならそれが現状で一番マシ。私はそう信じているから。それに……」
少しの間に、顔はまともそうなものにもどっていた。イタズラっぽく笑って答える。
「魔王を討伐する。英雄がきっと生まれてくるだろうから。そう思うと、楽しみでしょう?」
少し期待をしかける。確かにそれは面白そうだった。日本を手にいれた今、次にすべきことも考えなくてはいけなかったから。
「だからあなたは、最高の魔王になって。いつか倒されてちょうだい」
「絶対に僕は死なない。全部を手に入れてやるよ」
その握手を最後に、その女とは二度と話さなかった。
世界の終わりまで、あと2時間を切っていた。