公園の方向から、子供たちの声が聞こえてくる。
甲高く、よく通る声だ。怒鳴っているのか笑っているのか、この距離では判別がつかない。けれど元気だというのはわかる。
この場所の会話は、片方が意図的にこちらに流してくれているから完全な盗聴というわけではない。誰よりも他人とは言えないが、それでも忌避感が拭えない身内。ゲールマンは相変わらずで、生徒に助言をしているようだった。
ああ、また悲鳴のような嬉しそうな叫び声がしている。
異変の続くこの世界でも、子供の声だけはどこへ行っても変わらない気がした。
遊具の軋む音。誰かがルール違反をしたらしい抗議の声。泣き声になりかけて、すぐに笑い声に変わる。
小学校近くの公園。そんな下校時間も過ぎたその場所には、子供と親が名残惜しそうに残っている。付近にある幼稚園から来たのだろう、幼児も混ざっていた。
その場所にしてはずいぶんと珍しい表情が二つ、対決するようにしてそこにあった。
「ずいぶんと様になっているようだね。これで7ヶ月目。半年以上ひとつのクラスで教育実習を行なった成果はどうだったかな」
こちらは優しさの中にどこか物騒な雰囲気が隠れていない。穏やかな車椅子の老人にしか見えないはずが、抜き身の刃物のような恐ろしさがどこかにある。
そして対するは、トゲトゲとした印象そのままの髪型で威嚇するように睨みつける金髪の高校生である。
「うるっせえ。まだだわ。あのクラスの制圧はできちゃいねえってのは知ってんだろうがよ。こっちは忙しいんだ。クソみたいな説教には……」
「また明日な〜!!バクゴー!!」
「ノーベル先生〜。まったあした〜!」
賑やかな声がいつの間にそこにあったのか。類い稀な戦闘センスを持っている爆豪であっても不覚を取ったようだ。
伸びる手の個性が爆豪の背中を強かに叩き、目にも止まらぬ速度で飛んでいく子供もいた。まったあした〜という言葉にドップラー効果がかかるほどに加速が素晴らしい個性である。
その二つにキレ散らかそうとクワッと。目を見開いて叫ぼうとするが、子供たちは他にもいる。
「かっちゃん先生!あそぼ〜!」
「先生はウチらと遊ぶって言ったもん!」
「僕と爆発ジェンガするって約束したのに!!」
後ろ髪を引かれるとはこういうことだろう。文字通りにギギギと軋むような動作で向き直り、近場にいた子供たちへと照準が変わった。腹の底から絞り出すような咆哮だった。
「るせえ!全部やったるわ!俺が行くまで先に宿題でもやっとけや!早く終わらしたやつから片付けてやる。何見てんだぁ!?あ゛あ゛?」
「ひゃ〜!怒った怒った!」
「怒ってもいけめーん!」
プロヒーローにおいてもトップレベルの戦闘能力を有する彼の実力を知らないわけではない。その大きな力を持った男の叫びに押されて散り散りに逃げていく。が、悲鳴ではなかった。歓声だ。
初見なら泣くであろう怖い声を出しているのに、一人として足を縺れさせていない。転ばない。泣かない。
こいつが怒ると楽しいことが起きると、完全に学習されていた。
「ふむ。今のが成果として受け取っても?」
「どこかだ!あのクソガキ共時間が経つにつれてドンドン調子に乗りやがる」
子供たちが遠ざかっていく。その背中を見送る爆豪の横顔は、声とは裏腹に静かだった。
拳を合わせて、何かを考えている。顎を引いて、視線は中空のどこかに固定されている。
戦いの前に全員の位置と動線を頭に叩き込んでいる、あの顔だ。どこからどう見ても決戦前の顔である。
教育実習の話をしているはずだが、彼は戦いと認識しているのだろう。
「いじめはひとまず無くなった。それについては成果にカウントしていないのはなぜかな」
「……ありゃあ、俺っていう異物がきて。そっちのが楽しいから乗っかってるだけだ。本当の意味で反省はしてねえ。強くて有名で、面白い奴がいるから平和になってるだけだ。俺がいなくなりゃ同じことになる」
「それでも、一時的に平和をもたらしたのは成果と言える気がするが、高い目標を否定するつもりもない。今はそれでいいだろう。一年という時間の区切りを君から提案されたときは驚いたものだったよ」
「あいつらにとってフラッときた他人じゃ意味がねえ。もっとでけえ存在になってからようやく声が届く。そういうもんだろ。短期的に負かしても、そんときは反省するフリはするだろうけどよ。それじゃまた忘れた頃に同じことをする。俺は、知ってんだよ」
「ほう。就任直後に、個性の使用を認めて乱暴者を個性を使わずに全員制圧したと聞いた時には心配になったものだが、そこまで考えるのは良いことじゃないか。やはり経験は活かして始めて役に立つということだろう。彼らの個性の伸びはこれからグッと加速するということも加味すれば慎重な態度と言えるだろう」
「ああ。ガキどもと接してわかった。あいつらの個性はとんでもなく強くなる。それはこれからずっとそうなんだろうってな」
砂場の端で、幼稚園児が個性を使っていた。
小さな手を地面に向けて、ショベルカーと同じ出力で砂を掘り返している。あっという間に山ができる。隣では別の子が水を注いでいた。どこから出しているのか、量がおかしい。山が川になりかけていた。
楽しそうだった。それは本当に、楽しそうだった。
ただそれだけの光景が、少し怖い。今の中学生と同じくらいの出力が、あの体格に収まっている。本人たちは泥遊びをしているつもりだが、確実に人を傷つけることができる力がそこにある。
UAIランドでは個性の使用が禁止されていない、個性の先進教育機関としても注目されているがそれが端的に表れている光景だった。自由にさせた方が重大事故やヴィランになる若者が減るのではという社会実験に近いが、それでもやれたのは強権と未来視という反則ありきだ。
「スターアンドストライプやナイトアイを知った時にも思ったが、このところの個性の性能は異常だと言える。生物は危機に瀕して自らを変化させて生き残ると言うが、それこそ何かに対して人類全体が強制的に突然変異をしているようじゃあないか。その脅威の前に自分たちで自爆しないか心配だね」
世代を経るごとに、個性は強くなっていく。
それ自体は悪いことではない。人類の適応力であり、可能性の拡張だ。しかし現実はそう単純ではなかった。心が追いついていない。身体も追いついていない。それなのに力だけが先へ先へと走り続けている。
あの子供たちの中にも、今この瞬間に使えば人を殺せる個性を持った子がいる。本人はそれを知らないかもしれない。知っていても実感はないだろう。そういう年齢だ。
そしてそれが、年々加速している。
個性終末論という言葉が、オカルトの棚から引っ張り出されて真面目に論じられ始めている。ソフトウェアの肥大化にハードウェアが耐えられなくなる。比喩としては地味だが、的を射ている気がした。力が人を壊す前に、人が力を制せるかどうか。それだけの話だ。
だからこそ爆豪勝己がここにいることには、意味があると思っている。
「だからお前が。俺らがいるんだろうが。ヒーローもな。憧れを持ってるうちはまだマシだ。次世代の象徴は、絶対にいる。俺は無理だが、世界にはいるだろ」
「スターアンドストライプ。彼女こそオールマイトの後継だろう。名実ともにと言うやつではないかね」
「あの人は、すげえ。でも違う。オールマイトの一部は、強さだけでみりゃ超えてるかもしれねえが。オールマイトってのは、平和の象徴ってのはそうじゃねえんだよ。あのクソナードもそこはわかってやがる」
「緑谷出久。彼が後継たり得るとそう言うのだね。そうか。君はそこまで言葉にできるのか。少し見くびっていたようだ。謝罪をしよう爆豪勝己。君は確かに成長し、そして変わっているのだろう。けれど同時にこうも問おうじゃないか。『それでいいのか?』諦めるなと、そう憧れのヒーローが言っていそうなものだけれどね」
短い沈黙だった。
考えていたことがあったのだろう。まとめるための時間として、その静けさはそこにあった。子供たちの声と砂を掘る音だけが続いている。
やがて爆豪が口を開いた。
「俺は、間違えた。だから何かを諦めるのも仕方ねえ。全部そのまま、無傷で前に進めるようにはできて……。いや、違う。進めることはできるけど、俺が嫌だっただけだ。でも最後の最後まで諦めてるわけじゃねえ。やれるだけやってやるよ。俺ができてあいつにできないこともある。そう言う意味で、オールマイトを超えるなら今の方が近えくらいだ」
南米地下遺跡での子供達の保護。あの壮絶な戦いを彼は生き延びた。
子供を守り、そして自らを殺してまで守りきる覚悟を示した彼は、オールマイトや緑谷とは違う種類のヒーローである。
なぜなら最後には子供たちによって守られたのだから。
彼の中の強固なイメージはそれを決してヒーローとは呼ばないのだろうが、ヒーローとは誰かがそう呼ぶものである。子供たちにとって彼は紛れもないヒーローだった。
「赤い月が出てから、大人しくなったガキどもも騒がしくなってやがる。UAIランドは、南極に向かってるっつったな。そこに元凶でもありやがんのか?」
「ほう。白夜の南極に避難という名目をどうして信じられないというのかな。運営としては聞いておかねばなるまいよ」
「決まってんだろが。ナイトアイがいるこのUAIと雄英高校が、今まで問題の中心から逃げたことあるか?世界で一番荒れたとこに向かうのがここだろ。いい加減、バレてないとでも思ってんのかよ」
「くくく。そうだね。今までの積み重ね。その結果があまりにも被害が少ないからみんなが忘れているが、ここはいつも死地へと向かい、そして死地を生み出してきた。次の場所でもきっと何かが起こるのだろう。その時、君は何のために戦う?その戦いの先に、答えなどあるのかね」
「俺は、いつでも同じだ。俺のために戦うに決まってんだろ」
もう十分だと、彼は向き直り走り出す。
振り返らずに向かった先は、さっき子供たちが駆けていった小学校の方向だった。
すでに相手はいない中、ゲールマンはつぶやく。俺にだけ聞こえていると知っているから、これは俺への言葉だろう。
「その『俺』とやらが随分変わっているようだ。彼は随分強くなった。君のことを救うのは、案外彼のようなヒーローかもしれないね」
俺を救うという話題がここでも出てきた。どうやら各所にご心配をおかけしているらしい。
『助けるって言っても。すでに助けられてるけどな。赤い月の影響をあそこまで受けてから理性で引き戻るなんて例は爆豪だけ、それにあのACへの適正や殺人から逃げない姿勢は、学生の範疇じゃない。あいつはもう特殊部隊でもやっていける人材だよ』
「そういうことを言っているのではないが、君はそう言うだろうね。それもまた、仕方がない。先日のハワイでの戦い。あれを切り抜けるのに、またどれほどの距離を空けたのかな?相当なことがあったように思えるが、これは私の気のせいではないだろうに」
特化型の健康なオールフォーワンが二人同時に襲ってきて、さらに他にも潜んでいる可能性があったのだ。これは誰も気づいていないが、あまりにも絶望的な状況だった。
戦闘における勝ちの算段がついた頃、隠れているであろうオールフォーワンを炙り出すために、ハワイにいる全員を確かめたこともある。
あらゆる個性で偽装し隠蔽し、なりすますことができるあれをどうすれば確認できるのか。普通はできない。
確かめる方法はシンプルだ。全員を一度殺すのだ。
ハワイでの戦いが起きてから最後まで、UAIとあの地域に関わる全員の死を一度見届けている。
流石に死ぬ寸前にはあれが偽装を解くだろうから。
結果としてオールフォーワンはどこにもいなかった。だからあれで確定させたのだ。
「君は、自分が支払った代償を数えられているのかね。それともすでに忘れてしまったか。君は誰が思っていうより多くを支払っている。その誤算をしているのは君自身も含まれるだろうね。私からの助言をしても?」
まぁ、助言を聞くだけはいいだろう。自分の分身のような存在にこう言われるのは違和感があるが、聞いて損はない。
「司書先生を尋ねなさい。自身のオリジンについて、そろそろ思い出しても良いだろう。きっと君の夜を照らすのは、月光でも銃火でもなく。本が読めるくらいの優しく淡い、灯火だろうから」
意味深なポエムに影響される必要はない。
そのはずだが、この確認が終わったらまた司書先生と話したくなっていた。こうなると、もう無視することはできない。
『俺はお前が嫌いだよ』
「私は君のことを嫌いとは思わないよ。残念ながらね」
ため息をついて、伸びをした。これだから自分は嫌いなんだ。
うずうずと、そんな擬音が聞こえた気がしてもう一度ため息をついた。
『何か言いたいことがあるなら言えよ』
人形が何か話したそうにしていいるだろうとわかったので、聞いてやる。あのもう一つの自分の考えもある程度は想像できるから。
「淡輝様。ゲールマン様。私も、たまにはお話をさせていただきたいです」
分裂した自分と三人で話すという狂気。それでもそこには、切っても切れないものがある。
ずっと避けていた自分の別の側面と向き合う時が来たのかもしれない。