さて、どこへ行くかは決まっている。
この国のトップはわかりやすく、一番高いところにいてくれている。平地に国の主要な機能があった方が効率的だが、テロが起こりやすい場合は別だ。また信仰の対象が国のどこからでも見えるというのも重要でありこんな立地になっている。聖堂と庁舎が同じエリアに密集しているのだ。
市街を過ぎて上へと向かい、大聖堂を抜けて殴り込みをかけるだけ。
通常なら急いで30分もあれば達成できるその行程は、どうやらスマートには行かなそうだった。
破壊不可能な立派な柵が目の前に造られており、広場に出ることができない。
上から越えることもできず、こちらの動きを制限していた。まるでゲームのダンジョンである。設計者の意図に沿うようにこちらの動きが指定されている。目に見えた最短ルートを取ることが許されていない。
けれど、そこまで自由に設定はできないらしい。
自分が設計者で相手を妨害、というか排除したいのなら、そもそも進行不可能な壁で囲ってしまって餓死させるか、落下死をさせるところだが。そうはなっていない。
これはこの現象を起こした相手が意のままに操れる類の現象ではないということだ。
論理的にそう理解して、そして、なぜか直感的に確信していた。
この街並みは過去の再現であると知っている。だから無茶な進路妨害はできず、どこかは必ず先に繋がっているのだ。
路地を抜けると、広場に出た。
広場、と呼べる形はかろうじて残っていた。しかしカルブラの市場があった頃の面影は、もうほとんどない。屋台の骨組みだけが残り、布が垂れ下がり、地面に散乱した物資の上に石畳が重なっている。二つの時代が同じ場所に存在していて、どちらかが幻でどちらかが現実という区別はこの空間に当てはめることができない。
街灯が立っていた。
カルブラの照明ではない。ガス灯だった。橙色の光が石畳を照らし、その先の影を深くする。青白いマリアの端末パネルがまだ壁に埋まっていたが、画面は割れていて、光っていなかった。
その奥には人が何人かいるのが見えた。ふらふらと歩いていて、服装からここの市民であることはわかる。
最初は普通に見えた。けれどそうではないことはわかっている。立って歩いている、壁に寄りかかっている。しかし一人一人に目をやると、異常な点に気づき始める。
一人の男が、農具のような長柄のものを引きずりながら歩いていた。もともとは難民だったのかもしれない。着ているものはカルブラの支給品だった。しかしその首筋に、産毛とは呼べない密度の体毛が生えていた。逆光で見ると、耳の形が変わっているのがわかった。定型人類とは異なり尖っている。そういった個性である可能性もあるが、それは無視していいだろう。
目が合う。溶けた眼球はこちらを見ているようで、その実何も見ていない。
男は立ち止まらなかった。引きずる農具の音を残して、霧の中からこちらへと歩み出す。
別の人影が壁際にいる。それは蹲っていた女だった。両腕を膝に乗せ、何かを握っている。包丁だった。調理用の、ごく普通の包丁だ。しかし握り方が普通ではない。指が長く、節の数が多い。包丁の柄に絡みつくように曲がっている。背中に体毛が見えた。服の隙間から、黒い毛が覗いていた。
二人してこちらへと向かってきた。横を見ればよほど獣に近い姿の存在がいるだろうに、獣になると人のことを殺すべき獣であると認識するらしい。
今自分を殺そうとしている彼らは、こちらを獣だと思っている。
男が先に動く。農具を引きずっていた手が、気づけば地面から離れていた。柄を捨てて、両腕を広げて突進してくる。わざわざ武器を持っていただろうに、それを捨てるのは獣化が進んでいる証拠だろう。
走り方が人のそれではない。前傾が深すぎて、ほとんど四足に近い。爪が石畳を叩く音がする。
大型犬がフローリングを叩くような心地の良い音じゃない。石畳を削りながら迫ってくる殺意のこもった音である。
散弾銃を上げるより速く、体を横に流した。
男の爪が空を切る。風圧があった。細い指に似合わない力だ。すれ違いざまに仕込み杖の石突きで側頭部を打つ。鈍い音がして、男がよろめく。振り返る前に二撃目を入れる、刃が当たるように首の付け根に入れて、引く。
男は声を上げず、すうっと崩れた。石畳に膝をついて、そのまま前に倒れる。体毛の生えた首筋は溢れ出てくる血液を弾いているようで、パラパラと血が流れていく。その流れがガス灯の光に照らされていた。
間髪入れずに女も肉薄している。
包丁を握ったまま、走るでも歩くでもない速度で迫っていた。溶けた目の面が真っ直ぐこちらを向いている。見えないはずのものを、確かに追っている。絶叫を上げながら、その包丁を振りかざす。
咆哮を放つ口腔へと、散弾銃の銃口を向けて迷わず撃った。
音が広場に響いた。
バク宙でもするように女は後ろへ吹き飛んで、屋台の骨組みに背中から当たった。骨組みが軋んで傾く。そのまま動かなくなり、包丁だけが石畳の上を滑って、遠くで止まるまで踊っている。
今彼らを殺した自分は、彼らを獣だと思っている。きっと彼らと俺は対等なのだ。
血煙と硝煙が霧に混じると、なんだかその方が自然に思えた。この場所らしくなってきたと思える。
淡輝は立ち止まらなかった。二人を踏み越え、視線も戻さずに広場を迂回し奥へ向かう。ガス灯の光が届かない場所に、霧がある。霧の向こうに道がある。
どこかへ続いている道が、必ずあるのだ。
途中、獣の死体を磔にして、火をつけようとしている集団に出くわした。
轟々と燃える炎は毛皮を炙り、独特の臭いを周囲に撒き散らし始めている。
無視をしようと思ったが、これまた血走った目の爛れた犬が2頭も走ってきたため応戦する。最短ルートがわからないというのは無駄な戦いが多くなる。足の関節に杖を突き入れて、バックステップ。殺せなくてもそれだけで追い足はなくなるが、その隙に銃を撃ってくる住民がいた。
この国は日本に倣って銃刀法が存在し、銃はないはずだ。おそらく自作の改造銃だろう。
連射されるそれを防ぐために、犬の首を刎ねながらその死体を盾にした。
時折、おかしな銃声がする。
単発銃というか、フリントロックのマスケット銃のようなものを抱えている市民がいるのだ。これはおそらく、元のカブルラのものではない。この夢にどっぷりと浸かった際に手にすることができる、この散弾銃と同じようなものだろう。
そうこうしていると、キャンプファイヤーを囲んでいた集団がこちらを囲んできていた。
杖の変形機構を起動し、蛇腹のように伸びた刃で同時に三人を切り付ける。狙うのは眼球だ。
同時に何人も顔を押さえて蹲ったので、蹴りを入れて炎へと焚べた。よく燃える。
ここにいるのは、全部この殺し方にしよう。自ら起こした火に焼かれるなんて皮肉じゃあないか。
とても良い夜だ。思わず笑みが浮かぶ。
『いいか、その顔を絶対に笑わせてやると私は決めたぞ。死んでもだ』
ナイトアイのかつての宣言が脳裏に響いて気づく。自分の歪な笑みを指で触って自覚する。
いつもならマリアと話し指摘されることで気づいていたが、今自分の精神状態はかなり染まっていなかったか?
ああ、ダメだ。戦いに溺れて、血に酔ってしまっては彼らと同じになってしまう。
沸騰する血に抗え、そして戦いは最短で終わらせろ。
何より、ユーモアを忘れるな。その先には自らの手で多くを殺す何より笑えない結末が待っている。
「よし。もう大丈夫」
続く橋に向かうが、そこには完全に獣となった二人。いや二体が屍を貪っている場面であった。
「美味いのか?それ。ていうかやっぱり、なんでお互いに攻撃はしないんだろうな。変化率の違う人たちを並べて実験できれば面白そう……。いや、やっぱ今のなし」
まだ冷静になりきれていないな。でも自覚できている。
物語で見るような狼男という風貌だ。性別はぱっと見でわからない。
「狼男じゃあ配慮が足りないよな。じゃあ、狼人とでも呼ばせてもらいますか」
狼人は人よりも動きが早く強い。そして犬よりも一撃が重く、工夫がある。
その連撃はこの市街で受けたどの攻撃よりも避けづらく、そして長いものだった。
それでも、これまで戦ってきた理外の化け物や万能の怪物。歴戦ヴィランやヒーローと比較すれば大したことはない。
一体目が来た。
助走がなかった。静止から瞬時に最高速へ移行する、筋肉の設計が人とは違う動き方だ。四足で石畳を蹴り、橋の半ばで跳躍する。空中で体を捻り、両腕の爪を扇状に広げて落ちてくる。
身を低くして潜り込む。
爪が頭上を通過する。風圧で髪が揺れる。すれ違いざまに仕込み杖の刃を腹部へ流した。深くは入らない。毛皮が厚い。しかし確かな手応えがあって、狼人は着地の瞬間によろめいた。
振り返る前に二体目が来ていた。横から、低い軌道で。人間なら転倒と呼ぶ角度で体ごとぶつかってくる。跳ぶのではなく、滑り込む。避けきれず肩口を爪が掠めた。防寒着が裂ける。皮膚に熱い線が走る。
「くっそ。痛ってえ」
距離を取ろうかと思うが、本能は前に出ろと叫んでいる。
踏み込んで、もう一撃を受けながら滅多刺しにして返り血を浴びる。
すると、傷が塞がっていく。これは南米の遺跡で起きた現象で、後日UAIの研究室で行っても再現ができなかったが、ここでは機能するらしい。
傷ついたなら、より相手を傷つけろ。それがこの力が指し示す戦闘の哲学なのだろう。
こちらより頑丈であるはずの怪物に、一歩も引かずに死闘を演じる。
傷だらけの二体が並んで立っている。呼吸が荒い。白い息が霧に混じる。一体は腹を押さえるような素振りもなく、傷があることを忘れているかのようにこちらを見ていた。痛覚が変質しているのかもしれない。あるいはもうそういう概念がないのか。
連撃が来た。一体目が牽制で爪を振り、二体目が背後へ回ろうとする。拙いが連携と呼べる攻撃と言っていい、結果として挟まれる形になる。橋の欄干が背後にある。退路が狭い。
「でもそんなんじゃあ、ダメだ」
一体目の爪を杖で受けた。金属と爪が噛み合って火花が散る。これは防御性能は高くないし、そもそも膂力が違いすぎる。押し切られる前に体を回して力を逃がし、一体目の腕を掴んで引き込んだ。勢いのまま欄干へぶつける。石造りの欄干が軋んだが崩れない。しかし一体目の動きが一瞬止まった。
その一瞬に散弾銃を二体目の顔面へ向けて、その引き金を引く。
轟音。二体目の頭が跳ねて、体が橋の上に崩れ落ちた。
一体目が欄干から体を起こす前に、杖の変形機構を起動した。蛇腹に伸びた刃が首筋に巻きつく。
あとは引くだけだ。
静かになった。
橋の上に二体が横たわっている。せっかくなので持っていた物品を漁ると、どうやら油のようなものを持っていた。工具を持っている死体もあった。いくつかを拝借する。
霧が這い上がって、その輪郭を少しずつ曖昧にしていく。燃える死体の臭いがまだ風に乗っていた。肩の傷から血が滲んでいた後を確認するが、すでにそこに傷はない。
「ストーキングして待ち伏せまでしてくる女子高生の方が殺傷能力が高いってどうなんだ?」
トガちゃんという猟奇殺人犯との日常は、無駄ではなかった。ありがとうトガちゃん。
呟いて、橋の先を見た。機能性だけを突き詰めていたはずの橋は、今やゴシック建築のような意匠をしていて、歴史を感じる圧がある。
そうだ。この先には確か、孤児院がある。世界最大の孤児院であり、そこを世話する大人たちも多くがいるはずだ。彼らは無事だろうか。
橋を渡ろうとした時、先ほど聞こえた大きな獣の遠吠えが聞こえた。
石畳に巨大な暗がりが広がり、それが何かの輪郭だと気づいた瞬間には、もう着地していた。
衝撃で橋全体が揺れる。
大きかった。二足で立っているが、人の三倍はある。いや、それ以上かもしれない。背中が丸く盛り上がり、前傾の姿勢で頭が前に突き出ている。頭部は細長く、顎が異様に発達していた。口が耳まで裂けていて、開いた隙間から歯が不規則に並んでいる。どれも長く、嚙み合うようには設計されていない形をしていた。
全身に毛が生えていた。
白に近い灰色で、長く、不揃いだ。腹の部分だけ毛が薄く、皮膚が覗いていた。その皮膚に、かつて着ていたものの名残がある。布地が癒着している。引き剥がすことができなくなったローブの切れ端が、皮膚と一体化して模様のように張り付いていた。首元に、辛うじてカルブラのシンボルの形をした金具が残っていた。
まるで鎖のようだった。
かつて首飾りだったものが、体の成長に追いつけず食い込んでいる。金属が毛皮に埋まり、それでも千切れずにそこにある。
それは見覚えのあるアクセサリーであって、それが示す残酷な真実にも狩峰淡輝は動じない。
「悪いけど、先を急いでる。子供たちの生き残りも保護しなきゃいけない」
その言葉に、獣が頭を抱えて苦しそうに涎を垂らして苦悩している。
頭部へと伸ばす腕が異常に長い。直立した状態で、指先が石畳に届くほどだ。指は六本あった。それぞれが人の前腕ほどの長さで、先端の爪が橋の石を引っかいている。石が削れる音がした。
「まだ若干でも意識があるならさ。おとなしく殺されてくれ。苦しまないようにやるからさ」
顔に目があった。
小さかった。あれだけ巨大な頭部に対して、目だけがひどく小さい。しかし光っていた。黄色く、濁った光が、霧の中でも消えない。その目が橋の上の淡輝を捉えて、微動だにしなかった。
苦悩の時間は終わり、その目に映るのは獲物の姿だけである。
恐ろしく大きな口が開いた。
低く、長く、肺の底から絞り出すような音が橋の石を震わせた。霧が揺れて、その衝撃で空が見える。
そこには、大きな大きな赤い月が登っている。
これから向かう聖堂のその上に巨大な月が光っていた。
ああ、これが精神的な不調の原因か。ここまで急激な獣の病の進行にはどうやら仕掛けがあったらしい。
あの月の元に行くためにも、この獣はここで殺す。
拾った油を武器に纏わせ、そして金属ヤスリを切りつけて火花を散らす。
杖に炎が灯り、それに少しだけ獣が怯える感じがした。
死は恐れない。それでも無駄には死なない。最善を絶対に見つけてやる。
戦いが始まった。
・・- ・-・・-- ・・- ・・・・-
UAIランドからも、水爆の光は当然ながら観測され。南極に接近していた空母はEMPにより甚大な被害を受けて機能が停止しているが、UAIはまだ健在だった。
それでも防護が薄い様々な設備がダメージを受けて、混乱が広がっている。
強烈な火球の明るさが終わるとオーロラが光り、そして街中の警告灯と合わせて全てを照らしている。
次に起きたのは、南極の高い位置からの赤い光だ。
赤い月が南極にある。その影響は、UAIにも当然降りかかるのだった。
「やっぱロクでもねえことになりやがった!!」
爆発的にトゲトゲしく文句を吐くヒーローがいる。
「まぁ、予想はしてた。みんなそうだろ」
冷静に、それでも熱をこもった言葉を返すヒーローがいる。
「一人で行ってしまったのは許せませんが、ここを任されたと思うべきですわ!」
創造的な発想力で自信を宥めながらも、大切な人のために怒るヒーローがいる。
「うん。でも、僕たちがいる!」
新たな象徴にならんとする、ヒーローがいる。
何にだって打ち勝てる気がした。彼らはいつでも出撃できるようにと港と空港の付近でその光景を見ていた。
けれど、現実というものはいつも取り返しのつかない敵を連れてくるのだ。
中央部へと急ぎ戻れと報せが入る。
規格外のヴィランが発生し、人を襲っているのだとという。
それはなんと雄英高校の敷地に突如として現れた。異例の事態である。
先んじて駆けつけた爆豪と緑谷の両名は校庭にある光景を見て、絶句する。
犬だと思った。
四足で立つ輪郭は。丸い頭、短い首、太い胴体、やけに細い尾。しかし大きさが違った。毛は粗く、褐色と灰色が混じって、光の当たり方によって黒に見えた。
「分析は後だ!まずはぶっ殺す!!」
近づいて見れば見るほど、犬としては違和感がある。
鼻先が短すぎる。顎が張っていて、横幅がある。耳は丸いが位置が低い。体の重心が前にあって、後ろ足よりも前足が太い。走る姿勢になると背中が水平になり、頭を低く突き出す。
それらを爆破で蹴散らしながら、安全の確保をしていく。
「かっちゃん!これ、ネズミだ。ネズミがこうなってるんだ!」
ネズミだった。犬の体つきをした何かだった。数が多かった。
「研究に使ってたラットがこうなってんのか!?どういう理屈だクソが!」
「わからない。けど、あれが何か関係していると……。っ誰か襲われてる!!」
人差し指が示した先に、大きな何かがいる。
他と同じ輪郭をしているが、二回りは大きい。四足で立ったまま、頭の位置が人の頭上にあるほどの大きだろう。
けれど、それは今は地面の方へと顔を向けていて、何かを食べているようだった。だから正確な体高がわからない。
何か、それは人だった。
いや、人だったものがいた。
雄英教師の制服の切れ端が見えた。それが誰のものかを判断するより先に、状況が全てを説明していた。ネズミの王は食べていた。前足で押さえつけて、発達した前歯で引き裂いて、食べていた。
音がした。骨が折れる音と、それ以外の音がした。
夢中になって貪る怪物は、若きヒーローたちの渾身の一撃を真横から受けてそこから退いた。
そこから見えるのは職員室の惨状である。
間に合わなかった。なぜ職員室が破壊されているのか、雄英の教師というヒーローたちが全滅しているのか。
誰が生きているのかわからないが、少ない人数が確実に死んでいた。
それに気づいたのは、爆豪が先だった。
「おい、なんで。瓦礫が外に出てやがる?」
ハッとして職員室の破壊跡を見る。すると、それはまるで、内側から爆ぜたような方向性を持ってあらゆる破壊がされていた。
あの怪物が外から来たならそうはならない。そういえば、校庭にはまだ足跡すらない。
嫌な閃きが、正気を削る。
彼らはまだ気づいていない。
そのネズミの王の毛皮の中に雄英高校のバッジがあることを。ネームプレートには根津という文字が刻まれていることに、まだ気づかないで済んでいる。
ルドウイークを端とする医療教会の狩人は
また聖職者であることも多かった
そして、聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる